2000.10.23

歎異鈔について―C―四苦八苦

仏教では、私達に煩悩があるからこそ、涅槃(ねはん、悟りの世界、安らかな心境)を求めるのであると言う考え方を致します。
煩悩即涅槃(ぼんのうそくねはん)』と言う表現をしています。
涅槃とは悟りの世界と言う事ですから、煩悩=悟りと直訳出来ます。
煩悩とは、愚痴(ぐち)、貪欲(とんよく、単なる欲では無く、むさぼる欲)、瞋恚(しんに、怒り)が3大煩悩と言われます。
この煩悩は、苦を悩み煩うと言う意味です。
さて、この苦は仏教では、四苦八苦と言って、全部で8つの苦に集約します。

所有欲の強い私達は、自分の肉体に執着し、生に執着して死を忌み嫌います。
誰しも病気したくありませんし、老いたくもなく、死にたくもありません。
生・老・病・死』を四苦と言います。
この四苦に、
愛別離苦(あいべつりく、愛する人と別れねばなら無い苦)、
怨憎会苦(おんぞうえく、嫌な人・憎い人と会わねばならない苦)、
求不得苦(ぐふとくく、欲しいものが得られない苦)、
五取蘊苦(ごしゅうんく、心身が受けるすべての苦)
を加えて、全部で八苦となります。

2000年前、既に人間の苦しみをこの四苦八苦としてまとめられていると言う事は、大きな驚きですが、物質文明が如何に飛躍的に進歩しても人の心を満足させる事は無いと断言しても良いと思います。

基本的に人間は誰しも苦を背負って生まれて来ているとも考えられます。
でも『だから人生は、精一杯面白く可笑しく生きれば良い、死んでしまえば一緒』と考えては、折角、苦を苦として捉える事が出来、そして苦を種として『苦の無い安らかな世界に目覚められる(往生)』と言う他の生物では授かっていない貴重な人間と言う生命を無駄にしてしまいます。
折角のチャンスと言っても良いかと思います。

我が家には、12歳のシェパードがいます。
彼は庭を自由に走り回れますが、庭から外には自分の力では出る事が出来ません。
朝夕の散歩前のはしゃぎ様は、散歩を心待ちにしている証拠ですので、きっと本当はいつも外に出たいのだと思います。
外に出たいが出られない事は彼にとって『苦』だと思いますが、多分苦が悩みにはなっていないと思われます。苦は苦しいけれど、悩みとか不安にならなければ、苦は苦と言うだけです。

例えば、私達人間にとって病気になる事は『苦』です。
でも、苦を苦として受け容れれば、それほどでも無いと思いますが、『なんで自分はこんな病気になってしまったんだろうか』と思い悩んだり(これを愚痴と言いますが)、『このまま治らずに死んでしまうのでは無いだろうか』と不安になったりするから、悩みとなります。
犬は、恐らく病気になってもこんな悩みはしないでしょう。だだ、苦しいだけだと思います。

人間は、どうしても苦を悩みますから、何とか悩みから解放されたいと言う欲求が生まれるはずです。
これが前コラムで説明した他力の本願の顕れであるとも言い換えられます。

仏教的な表現をするとしたら、流転輪廻(るてんりんね)から脱出する事を願われているとも説明出来ます。
生まれ変わり死に変わり、また生まれ変わりして行くと言う輪廻思想ですが、人間として生まれている間に、往生すれば、輪廻の世界から飛び出して、悟りの世界に生まれると言う事です。
悟りの世界とは観念上の世界ですが、苦とか悩みを流転輪廻からの脱出の種と捉えて、積極的に乗り越えたいものです(因みに、輪廻とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上と言う6道を巡ると言います)。

親鸞も9歳で出家して比叡山延暦寺に登ってから法然上人に遭う29歳までの20年間と言うか、恐らくは思春期からの15年間と言って良いかと思いますが、大きな苦に悩み抜いたと想像出来ます。
だからこそ、何とか苦悩から脱出しようと、自分の心を清浄にしよう、悩みに負けない精神力を身に付けようと自力の修行に励んだようです。
どんな苦悩かに付きましては次章で触れたいと思いますが、やはり親鸞におきましても、苦が種となり他力本願に目覚めて、信心を得、悟りの世界に生まれ得て、日本仏教界を大きく転換させる聖人になられたのです。

大きく歎異鈔の解説から脱線してしまったようですが、歎異鈔を貫いている考えは、『他力本願を信じて、お念仏を唱えようと思ったその瞬間に往生出来ますよ』と言う事で、『その時には、老若男女、善人も悪人も変わり無く往生致します、肝腎なのは他力の本願を信じる一点ですよ』と言いたいのです。


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2000.10.20

お金より大切なもの

私から見まして、世の中には心から頭が下がる方々が大勢おられます。
様々なボランティアの方、福祉介護ヘルパーさん達も勿論そうです。とても私には真似が出来ないと言う想いが致します。

一昨日の新聞記事(10月18日の朝日新聞の夕刊)に、チェルノブイリで診療を続ける菅谷昭(56歳)医師の紹介記事(21世紀の旗手と言うシリーズ)がありました。
甲状腺外科のご専門で、25年勤務した信州大学医学部助教授のポストを投げ打って、1996年にベラルーシに渡り、被爆患者の治療を始めたと言う内容です。
1991年1月にテレビでチェルノブイリ被爆事故5年目の報道番組を見たのをキッカケとして、その春に民間調査団に参加され現地の国立がんセンターの甲状腺摘出手術を見学して、決意をされたと言う事です。
『自分なら違う方法でやれる』、幼い子供の首に残る大きな傷跡を見て、そう思われたそうです。
最初はもの好きな変わり者の医師が来たと思っていた同僚の医師も今では『とんでもない高いレベルの医師が、日本の大学での地位を捨て、子供達のために来てくれたのです』、『しかし彼にとって、この国では経済的にも技術的にも得るものはありません。なぜそんな決断をしたんでしょう』とコメントしています。

何故そんな決断をされたでしょうか?
多分、『お金より大切にしなければいけないものが、この人生にはある』と言う、崇高な、しかし断固たる心から来たものと思います。
それは、弱者への思いやりと言う様な表面的な心だけでは無く、かけがえの無い一つの生命(いのち)の尊さ(尊厳と言った方が良いでしょう)を想う気持ちからでは無いでしょうか?
『誰にでも、幸せに生き、幸せに老いて、幸せに死んで行く権利がある』とでも言い換える事が出来ますでしょうか。

また先週、NHKの番組で、中坊公平弁護士がリーダーとして手掛けた『豊田商事詐欺事件』の被害者への損害金の回収経緯について紹介されていましたが、やはり中坊氏も、『お金より大切にしなければいけないものが、この人生にある』と言う心からだと思います。
中坊氏の大切なものとは、表面的には正義だと思います。だから国や現行法律をも相手にして、正義を守る姿勢を貫き、その姿勢に多くの若手弁護士達もボランティアとして立ち上がったと言えるでしょう。
この事件の被害者の多くは、一人暮しの年老いた方々です。弱者への思いやり、極悪人への怒り、その様な社会に対する怒りもあったでしょうが、根本的には、やはり、『誰にでも、幸せに生き、幸せに老いて、幸せに死んで行く権利がある』と言う事ではないでしょうか。

一方、昨日のニュースで、三和銀行支店長代理の4憶5000万円の横領着服事件がありました。
お金以外に大切なものが無かったのだろうと思う事です。淋しく悲しい哀れな人生です。
しかし、この支店長代理だけを責める事は出来ません。少し間違いますと、お金だけに走る危うさを私も持っていると思うからです。

『あなたに、お金より大切にしなければいけないものがあるとしたら、何ですか?』
と聞かれて、はっきりとこれだと解答出来るでしょうか?

私も、少なくともお金とは思っていませんが、今の段階では『正直或いは誠意』と答えると思います。
一つの生命の尊さを深く想うまでには至っておりません。
菅谷氏とか中坊氏の様に、積極的に弱者を守ると言う正義とか慈悲心を持つ人になりたいと思います。


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2000.10.18

信仰について

親鸞に関する研究者は多いですが、親鸞と同じ境地に至った人は極めて少ないと思います。
私はこのコラムで歎異抄に関する紹介文をシリーズで書いていますが、私自身はどうかと言いますと、親鸞の境地には程遠い事この上ないと自覚しています。
勿論ギリギリまで、親鸞の到達した境地を推測して、歎異抄を解釈している積もりですが、それでも私の推測と親鸞の実際の境地とは、天と地の差がある事は間違いありません。

禅宗で『冷暖自知(れいだんじち)』と言う言葉があります。
冷たい、暖かいを幾ら説明を受けて頭で分かっても、自分で実際にその温度を感じないと、分かった積もりだけであると、頭だけの理解を戒めている言葉ですが、まさにその通りだと思います。

親鸞の歎異抄の解説書を書いた学者、親鸞の研究者は数多いですが、親鸞の境地を実体験出来た人は、極めて稀であると申しましたが、私は幸い、その稀な3人の方を良く存じ上げております。
しかも、この3人の方は師弟と言うか、まさに法然と親鸞の関係にあります。

無相庵カレンダーの詠に選択させて頂いている次の方々です(カレンダーをご確認下さい)。

11日の井上善右衛門師(元神戸商科大学学長)
15日の白井成充師(広島大学名誉教授)
16日の西川玄苔師(名古屋市、曹洞宗の宋吉寺)

西川師以外は既に亡くなられていますが何れの方のお詠も、おそらくは親鸞の到達した心境と全く同じだと思います。
特に他のお二人にとりましては、親鸞における法然のような存在であらせられた白井成充師の詠には、はっきりと、死のカーテンが取り除かれたお心が素直に詠われています。

『いつの日に、死なんもよしや、弥陀佛の、み光の中の、御命なり』と言うお詠です。

何時死んでも良いと申されている事も凄いのですが、それよりも自分の命を『御命(おんいのち)』と詠われており、自分の命が、最早自分の命では無く、宇宙と一体の命と認識されているところの素晴らしさを、井上先生からお聞きした記憶があります。
そうだなぁ、と感心させられた事です。

他のお二人も、やっと他力本願を心底感じ、心からのお念仏が口から出た瞬間を体験され、所謂往生された心境を詠われたものと思います。
『なかなか佛様を信じ切れない、こんな自分を、佛様は長い間辛抱して待っていて下さいました』と言うお心をお詠みになったものと思います。

仏教を頭で理解してから信じようとしている間は、佛様の存在も信じられませんし、お念仏も決して口から出ません。
出たとしても、空念仏と言うものです。
私も、未だお念仏は出ません。
20年前、協和発酵と言う会社の創業者社長でもあり、浄土真宗の信仰者であった加藤辨三郎氏から、『念仏が出ないのは、未だ自分を頼りにしているからだ』と指導頂いた事があります。
20年経った今もなお、当時のままである事は、率直にご指導頂いた加藤師に申し訳ない気持ちが致します。

私の心境のレベルは至りませんが、仏教が人生を生きる為に必要だとは認識しております。
従いまして、一般の方々にもそう思って頂きたく、なるべく仏教臭く無いように、このコラムで先ずは親鸞の教えを歎異抄を教材として説明をしておりますが、やはり最後は、佛様の存在が心から信じられる事無くして、親鸞の教えが分かったとは言えない事も知って頂きたいと思います。


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2000.10.16

歎異鈔について―B―他力本願

この章では予定を変更致しまして、一般的にも良く使用されながらも全く間違った使われ方をしている『他力本願』と言う言葉について説明しておきたいと思います。この言葉は、歎異鈔全体を貫いている思想でもあり、親鸞の教えの要(かなめ)の言葉でもありながら、浄土真宗が誤解されている基でもあると考えるからです。

一般の人が『他力本願』と言う場合は、『自分は努力せずに、他人の力を頼って自分の望みをかなえる』と言う意味で使用されていると思いますが、親鸞の言う『他力本願』の『他力』とは、『地球を動かしている力』、『宇宙全体を動かしている力』、『病気は自然に治ると言う場合の、自然治癒力のその力』の事を指しており、自分の力では無いと言う意味で、他力と呼んでいるだけです。また『本願』とは、々(もともと)のいを短縮した単語であり、本々とは、人間が存在する遥か昔、自然或いは宇宙が存在する最初(50億年もの昔)から決っている事と解釈して良いと思います。願いとは、法則とか帰する所と言う意味を人格的表現をしたものと思います。

従って、『他力本願』とは、仏教的な表現を避けて、平易に言いますと、『もともと決っている自然法則のままに』と言う事であります。無相庵カレンダー10日のお言葉『自然法爾(じねんほうに)』と言い換えても良いのです。

浄土真宗では『他力本願により助けて頂く』と言いますが、これは『全て自然にお任せ致しますと言う気持ちになれば往生出来ますよ』と言う事です。
耳で聞けば易しい事ですが、なかなか出来ない事ではないでしょうか?

卑近な喩ですが、泳げない人は、水に自分を任せられないから、水に浮かぶ事が出来無いと言います。
何も心配する事なく体を水に委ねれれば、体の力が抜けて簡単に浮きますが、自分の力で何とかしようとする間は浮き上がれません。
水に委ねなさいと指導しても、自分で体得しなければ委ねる事が出来ません。
水に浮かぶ事は訓練で少々時間を掛ければ可能ですが、私達が人生の全てを自然の成り行きに任せる事は出来ません。
なるようになると言っても、どうしても自分で何とかしようと致します。

病気になる時は病気を楽しみなさい、死ぬ時は死ぬのが良い、災難に遭う時は災難に遭うしかないと言われても、落ち着けません。
病気に悩み、病気を怨んだりします。死ぬ程嫌な事はありません。
災難に遭えば、災難に遭う自分の不幸を嘆き、前向きにはなかなかなれません。<参考>26日のお言葉

親鸞も私達と同じく自然の成り行きに任せられませんでした。
しかし親鸞は全てを自然に任せられない自分の事を『煩悩具足の凡夫(ぼんのうぐそくのぼんぶ、煩悩がすべて揃っている、救い難い人間)』と自覚せられ、こういう自分一人を助ける為に、お釈迦様が悟りを開かれ、仏教が伝わり、聖徳太子が日本に仏教を広められ、そして法然上人が顕れてお会いする事が出来たと、全てに感謝するお気持ちになられたと言います。
そして親鸞は、こういう気持ちになれたのも、自分の努力では無しに、他力の本願によるものだと説明されています。
親鸞自身は自分が悟りを開いたとも、往生したとも宣言していませんが、恐らく、死のカーテンは取り払われていたのではないでしょうか?
これは本人が心で思う事であり、問い詰めるべきでもありません。死のカーテンが未だしっかりとぶら下がっている私には、これ以上の説明は出来ません。

自分の修行・学問によって悟りを開こうと言う努力を自力と言い、代表的には禅宗が自力聖道門(じりきしょうどうもん)と言われます。
法然、親鸞共に約20年の修行を比叡山延暦寺で積んでおられますので、何とか自力で悟りを開きたい、煩悩を無くして楽になりたいと修行に励まれたようですが、自分の煩悩との戦いの末、辿り着いたのが、他力本願に身を委ねるしかないと言う境地だと思います。

私は、敢えて佛様とか、阿弥陀様とか、念仏と言う表現を使いませんでしたが、浄土真宗では、自然の力を人格化して、佛様と呼び、阿弥陀様とも呼んでいます。
本願とは、阿弥陀様が煩悩に悩む人間を、どうしても救うぞ、と言う誓いと願いであると申します。

そして、阿弥陀様にすべてお任せ致しますと言う気持ちで『南無阿弥陀仏』と念仏すると往生は間違いないと説明されています。

親鸞の境地に程遠い私には、他力本願の説明は大変難しい事でしたが、少なくとも、他の力に頼り拝んで、幸せになろうとか、往生しようと言う事では無い事だけは、はっきりと認識して頂きたいものです。

次回は、四苦八苦の説明と、四苦八苦と他力本願の関係を説明したいと思います。


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2000.10.09

歎異鈔について―A―往生について

仏教、その中でも浄土真宗が現代人、特に若い人々の信者が少ないのは、お坊さんのお説教(法話)の中で使用される言葉に抵抗を覚えるからでは無いかと推察しています。中でも、極楽、地獄、浄土、往生と言う単語は、架空の世界、想像の世界の話に受け取られ、幼稚で子供騙し的な響きがある事を否定出来ません。
実際のところ、極楽・地獄・浄土も観念の中で存在する世界であり、人の目に見えるものではありませんので架空と言えば架空ですが、法然・親鸞上人と同じ境地の人には確実に感じ取れる世界ですから、浄土宗、浄土真宗歴代の説教師の表現に問題があったからでは無いかと考えています。

浄土宗の法然(1133〜1212年、79歳没)、浄土真宗の親鸞(1173〜1262年、89歳没)は、鎌倉時代を生きた人です。
一般の民衆は、学問をまともに受けていませんし、室町時代から戦国時代へと続く武士達の戦争に巻き込まれて翻弄される人生を送っていましたし、多分生活も現代から想像出来ない貧しさだったと思います。
この歎異鈔も親鸞没後とは言え、精々1270年頃の完成だと推定出来ます。その頃は、世界を地球規模で考えられる情報もありませんし、星は見えても宇宙の事は何も知り得ない時代です。
それと引き換え、月に人間が降り立ち、DNAの解明が進み、遺伝子のコントロールも出来、コピー人間すら誕生し兼ねない現代とは、知識レベル・情報量が全く異なったはずですから、一般の民衆に、恐い恐い地獄絵、天女の舞う極楽絵を見せて、仏様を一心に拝んで極楽へ参りましょうと言っても通用したかも知れませんが、盲目的に話を信じない批判精神が備わり、頭で理解する訓練を受けている現代世代(私を含めての戦後生まれ)には、やはり、それなりの理論的な説明が必要であると思います。

私は未だ法然・親鸞の境地には程遠く、確かな説明が出来るかどうか分かりませんが、浄土真宗の要(かなめ)の単語でもある『往生』に付きまして、自分なりの現代解釈を披露して、法然・親鸞の教えの復活に役に立ちたいと思います。

歎異鈔の中に、往生、浄土と言う単語が何回も出て参ります。それは、浄土真宗信仰の目的が『浄土への往生』でありますから、無理もございません。
普通一般の現代人に理解されている往生は、死ぬ事だと思います。天寿を全うされた方の死に対しては、『大往生』とも言われます。
しかし、仏教的解釈は『往生』と『死』とは明確に異なります。往生とは、往は往復(おうふく、即ち行って帰る)の往ですから、死とは反対に、文字通り『往って生まれる(いってうまれる)』事です。何処へかと言うと、『お浄土に行って生まれる』と言う事になります。と言いますと又、やはり死ぬ事だと言う事になりますが、『死の無い世界に生まれる』と言うべきでしょう。
浄土真宗のお坊さんで、歎異鈔に救われそして育てられ、世の中に、その存在の意義を知らしめた暁烏敏(あけがらすはや)師は、『往生とは、死のカーテンが切っておとされる事』即ち『死』そのものでは無いと明言されています。
私達普通の人間は、肉体が朽ちたら終わりと言う認識で、死を一つの大きな壁(カーテン)と見て生きています。死で全てが終わるのだと言う認識です。
確かに私達は、遅かれ早かれ焼失する有限の肉体を持って生きています、そしてその頭脳で五感を認識していますから、自分の存在は、死と共に認識不能になりますから、死ねば全てが無くなると考えるのが極く普通です。
また、『人間は死んでも魂は生き続けて、また他の肉体に宿る』と言う事を尤もらしく言う人もいますが、これは仏教の考え方ではありません。
むしろ、他の肉体、自分の肉体と言う観念が無くなり、自分の生命が、地球と一体、宇宙と一体、天地万物と一体の生命であると自覚出来る瞬間があり、それが往生であり、往生の瞬間であると考えて良いと思います。

是非生きている間に往生したいものですが、残念ながら往生出来る人は極めて稀であると言うのが現実です。他の動物と同様に、往生する事無く、死んで行くのが普通です。
この世に人間として生を受けたからには、他の動物では出来ない往生をしてから死にたいものと思います。

次回は、肉体の死と往生を四苦八苦との関係で考察致します。


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2000.10.05

数学的検証 ―私の命の尊さと不思議―

地球上には確か40憶種類もの生命が存在すると言います。私がその中の人間に生まれると言う確率を考えますと、真に得難い命を受けたんだなぁ、と思います。しかも何も無いところから突然出現したのでは無く、地球上に命が誕生してから、その命が親から子へ、子から孫へと何代にもわたって連綿と受け継がれて、今日の私が存在する訳ですから、不可思議としか言い様がありません。私の命が今後も永遠に子孫へと受け継がれる保証はありませんが(子供が無ければ途切れますから)、今の私が存在しているのは、太古の昔からの命の継続である事は間違い無い事実です。

私の命の元を辿ってみますと、私の両親(二人)、そのまた両親達(四人のおじいちゃん、おばぁちゃん)、そのまた両親達(八人の曾おじいちゃん、曾おばぁちゃん)とどんどん先祖は増えて行きます。9月27日のコラム(要因の連鎖)で、10代前までさかのぼった時の人数に触れましたが、後で気が付いたのですが、実は誤りを冒していました。ここで訂正させて頂きたいと思います。

9月27日のコラムの計算式は、単純なウッカリミスもあるのですが、基礎となる数値である1代あたりの年数を人の寿命年数であると考え違いもしていました。改めて計算し直したいと思います。

1代あたりの年数は、子供を産む時の平均年齢を採用すべきです。過去の出産平均年齢のデーターがありませんが、寿命の短い昔は、20歳程度或いはそれ以下かも知れません。そこで、少し多く見て30歳と致しますと、約500年前の先祖までさかのぼるとするならば、16代前までさかのぼる事になり、累計の先祖の人数は、下式によりますので、何と約13万人(131070人)となります。たった500年前まででも、膨大な人数の先祖になります。紀元までになりますと、天文学的数値になります。しかも、その中の一人でも欠けておれば、今の私は存在しないのです。

N代前の先祖の人数は、2(2のN乗)です。従いまして、16代前までのすべての先祖を計算致しますと、次式になります。

2+4+8+16+32+64+128+256+512+1024+2048+4096+8192+16384+32758+65536=131070人

西暦1500年(室町時代)頃に生きていた人達の中の65536人は、私の血に繋がっている祖先の人々です。そしてその中の一人でも欠けていたら、今の私が生まれていない事は紛れも無い事実です。如何に尊い生命を頂いているかが分かります。
この事実から考察致しますと、成る程と言う事がたくさん出て来ます。

一つは、私はこれだけの人の血を受け、遺伝子を受け継いでいるわけですから、どんな素質が隠れているか分から無いと言う事です。殿様の血がひょいと混じっているかも知れません。剣術の達人の血を受けているかも知れません。しかし殺人者の先祖もいるかも知れませんし、強盗の先祖もいるかも知れません。あらゆる可能性を秘めているのがこの私の生命だと思います。

遺伝子、DNAの世界の事は分かりませんが、今の私の主たる性格、能力は先祖の誰かの遺伝子が強く働き出ているのだと思います。65536人の中には、私にそっくり似た人物は必ずいたはずでしょうし、全く同じ性格・能力を持った人物も、必ずいたはずです。会ってみたい気がします。

また、私一人にこれだけの先祖がいると言う事は、例えば今生きている中の10000人にはそれぞれに65536人の先祖がいる訳ですから、10000人の500年前の先祖の人数は、65536人の10000倍ですから、6憶5千5百36人となります。たった10000人の先祖だけの人数でも昔の方が人口が多くなります。しかしそんな事は有り得ません。10000人のそれぞれの先祖が多く重なっているのです。言い換えれば、皆どこかの代で同じ先祖を持っていると言う事です。ですから、人類皆兄弟と言うのは本当なのです。

また、よく他人の空似と言いますが、他人では無く、同じ先祖の誰かに似ていると言う事なのです。

また、上記計算式では、約500年前に戻りましたが、1万年前、1億年前、更に数十億年前と溯りますと、地球上に生命が単細胞として誕生してから、人間になる前の生物を経て、そして類人猿、人間となる間も、途切れる事無く綿々と命が繋がって今の私があるのですから、途中私はどんな生物だったか分かりません。と言う事は、仏教で説くところの、人間は地球上の草木も含めて万物と命は同根と言う事が明らかになります。

祖先を辿る事により、命の不思議と尊さに気付かされます。


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2000.10.02

歎異鈔について―@―

歎異鈔のボリュームは、A―4の大きさのページに致しますと、6〜7枚程度の短いものですが、その内容には、親鸞が到達した境地が余すところ無く盛り込まれていると思います。私見ではありますが、そこには仏教信仰のあるべき姿も示されていると言っても良いかと思います。従いまして、歎異鈔を解説するには、このようなコラムで言い尽くす事は出来ませんし、残念ながら私自身には、その能力もございません。このコラムでは、ほんの入り口にご案内するだけに留め、詳しくは、世に沢山ある解説書に譲りたいと思います。

歎異鈔は、多くの人々を精神的に救済して参りました。中でも感動的に人々を救済して来た言葉は、やはり、序章で紹介した、『善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』でないかと思います。普通は『悪人なほもて往生す、いかにいはんや善人をや』と言うのが世の常識のところを、何故親鸞は逆説的な表現をしたのか、私見的にまとめてみたいと思います。因みに往生と言う事は、取り敢えずは『安らかな世界に生きる』事と言う風に解釈して頂きたいと思います。

勿論、『善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』の善人と悪人を倫理道徳の世界の善と悪を前提にして『(ボランティアの様な)人の為に働く善い人々が往生するからには、(殺人・強盗をする)悪い人々は勿論、往生するはずです』と解釈しては、筋や理屈が通りません。善人の解釈は、そのままで良いとしても、悪人は、殺人者や強盗等、所謂無法者・犯罪人を指しているのでは無く、また、平気で嘘を言ったり、人の悪口を言ったりする人を単純に指差しているのでは無いと考えるべきでしよう。親鸞の指差す悪人とは、自分も場合によっては犯罪人になり兼ねないと自分の心の中の悪を徹底して自覚している人なのだと思います。実際、私は心の中で親を殺した事もあります。心の中でケンカ相手を殺した事は幾度もありました。たまたま行動に移せなかっただけです。

私は、親鸞が理屈っぽい人である一方、少々茶目っ気があり、人をあっと驚かす表現をして興味を引き、しかし真髄を確実に届けると言う工夫上手、話上手な人だった想像していますが、ここでは、親鸞の二つの意図・前提を感じ取りたいと思います。

一つは仏教の世界で説く一如(いちにょ)の世界です。仏教では、善と悪、綺麗と汚い、自分と他人、生と死と対比して捉えるのは、人間の頭で考えた基準から識別しただけであり、本来、大宇宙から見れば、区別出来ないものであると説いて、しばしば『一如』と言う表現を致します。仏様の前では善人も悪人も区別される事無く、皆往生するのですよと言う事ですが、私も善悪一如、自他一如、生死一如(しょうじいちにょ)と言う言葉は、よく聞いて参りました。親鸞は、『善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』の言葉の背景に、善悪一如と言う前提を持っていたと思います。

もう一つの前提は、宗教のお客さんは、悩める人だと言う事です。人生に悩む人が宗教を求めると言う事です。勿論人間の悩みには色々ありますが、病気が治らない、お金が無い、あの人が憎い、出世したいが出来ないと悩む人では無く、『自分の心の中にある悪に悩む人』こそ仏教のお客様です、そしてその人々を助ける為にお釈迦様が悟りを求めて修行され、沢山の経典が生まれました、と言いたいのだと思います。

悪人とは、『自分の心の中の悪に気付き、何とか善人でありたいと悩む人』と言い換えて良いと思います。『悪人正機説(あくにんしょうきせつ)』と言う事をお聞きになった事があるかと思いますが、『悪人こそ正客、お目当てと言う説』です。親鸞は、お釈迦様がお生まれになって悟りを開かれた意味を、この『善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』に凝集されて説かれたのだと思います。だからこそ、この言葉が、自分の心の中の悪に気付き、救いようの無い自分に悩み苦しんだ果てにこの言葉に出会った人の心を救い取って来たのだと思います。この場合、中途半端な反省や、懺悔ではありません。自分の力では自分を救えないと言う、徹底した自己否定があって、初めて救いの手(これを他力本願の他力と言うのだと思います、そして仏様の事だと思います)が伸びて来るのだと理解したいと思います。

当時、この親鸞の言葉を極端には『所詮人間は悪人だから、したい事をして暮せば良い、悪人こそ救われるんだ』と誤解・曲解した人々もあったと言います。従いまして、この一節を指して、危険思想と言われた時代もありますし、歎異鈔と言う聖教は、剃刀(かみそり)の刃を伝うような危ない聖教だから、初心者には読ませてはいけない、とも言われた時代があるそうです。しかし現代でも、浄土真宗の信者と名乗る人の中には『私は悪い悪い者で、とても救われません』と、悪人ぶる人がいます。いわゆる偽悪者ですが、キリスト教の誤った信者と言われる偽善者と同様に、そのままでは、とても救われない人々だと思いますので、一般の人々に誤解されない事を祈りたいと思います。

『善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』の言葉の背景にある前提を説明して参りましたが、この中の往生と言う単語は、取りあえずは、安らかな世界に生きる事と致しましたが、果たして本当はどういう事でしょうか?大往生とか、『往生しまっせ』と言う言葉も現代でも一般的に使用されていますが、天寿を全うした死とか、死ぬ程嫌な事の『死』と言う意味だけでは済ます訳には参りません。解釈を間違うと、仏教は死後を説くだけの宗教になってしまいます。

次章Aでは、往生を考察してみたいと思います。


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2000.09.27

要因の連鎖

9月26日の朝日新聞の天声人語欄で、飛行機事故と要因の連鎖についての考察が述べられていました。
また同じその日のスポーツ欄に、シドニーオリンピックで女子800mの金メダリストになった、モザンビークのムトラ選手のコメント『たくさんの偶然が鎖のようにつながって、今私はここにいる』が紹介されていました。
二つの記事は若干趣は異なりますが、両方に含まれている連鎖と言う単語とムトラ選手の仏教哲学的なコメントから、仏教で良く使われる『因・縁・果』と言う言葉を思い起こしましたので、歎異鈔のコラムシリーズに挟み込みまして感想を述べたいと思います。

飛行機事故も、交通事故も、そして企業で日常的に発生するクレームも、多くの要因が鎖のように繋がって、言い換えれば偶然が重なって発生するものだと思います。
原因の一つが担当者、当事者の単純なウッカリミスと言えるものでも、事故は、かけがいの無い人命を奪い、クレームは会社の命を奪います。
天声人語は、鎖の一つを断ち切れば発生しないと結んでいますが、鎖の随所に、過ちと誤りの海に漂う人間が関わる限り、この結論には異論もあるところだと思います。
私達には気が付かない程の無数の要因の積み重ねで発生している事を認識する事が大切であり、たった一度の再発防止策だけで事故の再発は防げると思い込む事だけは止めて、当事者全員が、常に安全或いは品質を確認するシステム作りと体質の強化に励み続ける事が何より大切と思います。

『たくさんの偶然が鎖のようにつながって今私はここにいる』と言うムトラ選手の言葉は、仏教で、お釈迦様が生まれて、7歩歩んで『天上天下唯我独尊』とおっしゃったのと同じ意味で(勿論、逸話ですが)、自分の命の尊さを宣言しているのだと思います。

今の私は、たった500年前までの先祖を辿るとしたら、10代前のご先祖までの合計と仮定しますと、7806人計算式は、2+4+8+16+32+64+512+1024+2048+4096=7806)となります。
実はこの中一人でも欠ければ、今の私は無いのですから、私の命は不可思議であり、偶然の積み重ね以外の何物でも無いと言えます。
しかも、生まれてからも、常に親に命を守って貰い、多くの人に出会い、助けて頂き、教えて頂き、飛行機に乗っても幸い事故にも遭わずに、今ここに生きています。
その明確な認識が、ムトラ選手の『たくさんの偶然が鎖のようにつながって、今私はここにいる』と言う言葉になったのだと思いますが、大したものだと思います。
私は、偶然と言うのは、人間には気付けない原因、特定出来ない要因と説明し尽くせない条件が整って発生した現象の事を言うのだと思います。

仏教の根本に、『因・縁・果』と言う理論・思考があります。
物事には、必ず原因があり、其処に縁が働いて、結果が生まれると言うものです。
仏教は、拝めば何とかなると言う祈りの宗教ではありません。
宇宙の真理・道理を説いている宗教です。
『因・縁・果』の説明ではよく、
花は、種(因)が有って、
それに土・水・空気・太陽の働き(縁)が有って
はじめて、花びらが開く(果)
と言う喩が使われますが、正にこの通りです。
『ここでお会い出来たのも、何かのご因縁で』と言う挨拶をしますが、これは仏教の『因・縁・果』を言っているのですね。
人間には分からないけれど、宇宙で起る現象(果)には、必ず原因(因)と条件(縁)があると言う事ですね。

飛行機事故に戻りまして、
要因の連鎖と言う事は、別々に存在する要因同士が同時に発生する事を言いたいのだと思いますが、それだけでは無く、『因・縁・果』の果が次の因になって次の果を生み、また次の因へと無限に繋がる『因・縁・果』も含めての事だと思います。
飛行機事故、交通事故も、企業で起るクレームの再発防止対策も、無数の『因・縁・果』を分析し続ける事に尽きるのではないかと思いますが、言うは安く行うは難しです。
私もサラリーマン時代を含めて30年近くの間、単純クレームとの戦いに、何度も挫折感を味わい、諦め掛けた事も正直なところ何回もございました。
しかし、その度に『因・縁・果』に想いをはせて、立ち上がり、立ち上がりして来たように思います。


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2000.09.25

歎異鈔について―序章―

歎異鈔は、『善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』と言う文言が高校の教科書か問題集に引用されていたと記憶しますので、浄土真宗の事を知らなくても、歎異鈔と言う本の存在はご存知の方もおられると思います。
しかし、歎異鈔は親鸞の境地、お教え、延いては浄土系仏教宗派の要諦を余すところ無く表わしたものだと思いますので、高校の問題に引用して、その解釈に正解が出る程浅いものでは無いと私は思います。

念仏、法然、親鸞、浄土真宗、歎異鈔、蓮如、本願寺は全て切っても切れない間柄ですが、その事すらご存知でない方もおられると思いますし、『善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』の真実の意味を理解されていない方もあるかと思い、それこそ、異なる理解があってはと思い、歎異鈔に触れてみたいと思いました。

勿論、歎異鈔は親鸞自身が著述した本ではありません。
多分親鸞の極々お側で、親鸞から直接話しを聞いた人(同胞か子か孫)が、親鸞の死後、親鸞の教えとは程遠い教えが、さも親鸞の教えの如く広まっている事を嘆き(異なる事を嘆きと言うところから歎異鈔と名付けられました)、後代の人の為に、自分の耳で聞き置いた親鸞の境地・考えを著わした本だと言われています。

浄土宗及び浄土真宗では、禅宗で言う悟りの境地に至った事を『信心を得る(しんじんをえる)』或いは『信を得る』『回心(えしん)』と言ったりしますが、本当に歎異鈔を理解して他の人に説明するには、信心を得た人でなければ資格が無いと思います。
私は、信を得た境地からは程遠く、その資格はありませんが、禅宗、浄土真宗と言う宗派には拘らずに信心深かった母からの折りに触れての仏法話や、信を得た方々の著書で勉強した事を集約・要約して、一般の方に多少とも、親鸞の教えを知って頂き、それを基にして共に勉強出来たらと思い、今回恐れおおくも解説に挑戦する次第です。

以後、全部で3回程度のコラムにまとめてみたいと思います。


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2000.09.18

銀・銀・金と金・金

シドニーオリンピックが始まって3日経過しました。16日には柔道で田村選手、野村選手が金メダルを獲得されました。

金メダルを取ると言う事は、もうそれだけで大した事ですが、この二人の選手には、前のオリンピックからの物語がありますから、普通の金メダル以上の値打ちがあるのではないかと思います。どちらが素晴らしいとは比較出来ません。

銀・銀・金と3度目の正直で念願の金メダルを獲得した田村選手は、世界選手権で何度もチャンピオンに輝いており、実力的には文句無しの世界一ですから、前回のオリンピックでも、金メダルを取って当たり前と、周囲も本人もそう思っているにも拘わらず、金を取れないまま、最後のチャンスであろうシドニーを迎えました。
『また今度も負けたら恥ずかしい、情けない』と言う状況で、一瞬の油断が命取りになる勝負を5回も乗り越えての金でした。
精神的な苦しみ・プレッシャーから解き放たれた金獲得の瞬間の田村選手の顔が、一切を物語っている様に思いました。

2大会連続の金メダルに輝いた野村選手も、田村選手と同様に凄いと思います。
普通ならば、一度金メダルを取れば、アマチュア選手にとってはもう目標達成し、最高峰に立った訳ですから、更に頑張ろうと言う気力も湧かないでしょうし、動機付けがなかなか出来ないと思います。
更にこの4年の間に、両膝の故障で試合にも出れない1年間もあり、柔道を辞めようと思い詰めた事もあったと言う事ですから、凡人ならば、シドニーにも出場すら出来なかったと思います。
それが再び金メダルを手にされました。

二人とも25歳の若者ですが、大きな感動を与えてくれました。
特に田村選手が試合後に語っていた『銀メダルに終わっていた時の自分は、やはり銀メダルの器だった』と言うコメントと『どうなるか分からない緊張感の中で挑戦する事は楽しい』と言う境地は、やはりこの8年間の想像を絶する心の葛藤を経て、事実を事実として受け容れて精進に切り替えた人でしか分からないであろう重みを感じました。


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