災難に逢ふ時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候
仏様の『安らぎ』の世界をわが住み処としている人は、苦も楽も、生も死も、悲しみも喜びも、順縁
も逆縁どちらとも、合掌礼拝で受け取る人なのです。
これは有名な良寛和尚のお言葉ですが、私達一般人から言えば、災難に遇いたくないから苦労してい
るんだと言いたいところです。また死ぬのが嫌だから怖いからどうしようかと苦にしているのに、と
言う想いですが、仏教の悟りと言った世界では、こう言うのを苦労な事、あれを楽しい事と区別し、
生と死を区別し、これは悲しい出来事、これは喜ばしい事と区別・差別しているのは、人間の自我か
ら決め付けた偏見で、この世の中で起こる全ての事は、本来色の無い、無色透明であって、善でも無
く悪でも無い、と言う訳です。良寛さんはそういう境地で、定住のお寺も持たず、野に設けた庵に住
んで近所の子供達と、日暮れまで遊んだと言う事です。
私達にはなかなか到達出来そうに無い境地ですが、『災い転じて福と為す』とも言いますように、自分
に発生した事をそのまま受け容れて、避けよう逃れようとせずに対処すれば良いのかも知れません。
『病気になる事は仕方無いとしても、病気に悩む事は止めましょう』と言う事を聞いた事があります。
また病気は天からのお手紙と思って有り難く受け取ってしまえば、病気と仲良く出来て却って治りも
早いかも知れません。