いつの日に、死なんもよしや、彌陀佛の、み光の中の、御命なり
自分の生命が、佛様の永遠の命に摂めとられている尊さに気付けば、何時死が訪れても満足ではない
でしょうか?それを知らないため、生死(しょうじ)に執らわれ、迷っているのです。
これは浄土真宗では有名な白井成允師(広島大学名誉教授、井上善右衛門先生の仏道のお師匠)が読
まれた詩です。私達には到底到達不可能な真宗的な悟りの境地ですが、自分の生命を御と言う文字を
付けて御命と詠えると言うのは、もう自分の生命ではなく、天地と一体の命に目覚められた心境から
の詩だと言う解説を井上先生からお聞きした事があります。