2002.03.11

歎異鈔の心―第13條の6項―

●まえがき
  この條の『本願ぼこり』と言うテーマは、親鸞にとっては、常に悩まされたものでもあったのです。29歳の時に法然聖人の下で信心を頂き、京都の街で布教に励み出し、越後から関東、そして京都と90歳でお亡くなりになるまでの60年間は、本願ぼこりの人々の存在故に、新興宗教を心苦く思う旧仏教と権力側との闘いでもあったのです。この條で作者は、親鸞聖人は、本願を誇る位の素直さがあってこそ、本願を信じる事が出来るのだとおっしゃったと紹介されていますが、これは、どうやら内向き(信者向け)のお言葉であり、公には、本願ぼこりを警める文書もあるように聞いております。
  私も『本願ぼこり』は非常に繊細で微妙なテーマだと思います。本当に本願を信じたら、本願に誇って悪い事は出来なくなると言いたいところではありますが、しかし、生きている人間が煩悩を滅してしまう事は出来ません。また本願を信じても(信心を得ても)、前世の因縁により、やむを得ず人を傷付け、自分を傷付ける事もあり得る訳ですから、本願を信じれば、自分の身の回りに問題は発生しないのだとは断言出来ないのです。
  29歳に法然上人の下で信心を得た親鸞聖人に致しましても、晩年の84歳で、実の息子善鸞の裏切りに遭い、息子を義絶(勘当)しなければならなくなりました。
  親鸞聖人は、60歳を過ぎた頃、約20年に渡って布教活動を続けた関東を去り京都に戻ったのですが、京都に戻ってから15〜20年経過した頃、関東の方で本願ぼこりが問題となり、信者間での言い争いが激しく、念佛に対する世間の風当たりも強く(鎌倉幕府から念佛禁止の圧力が出て来るという事態)なりました。その信者の動揺・混乱を治めるために、親鸞聖人は、息子善鸞を京都から関東に派遣したのであります。しかし善鸞は、親鸞を裏切り、名誉心と財欲から、異端の信者側に祭り上げられ、親鸞をより苦境に陥らせたと言う事であります。親鸞聖人は最後の最後まで、善鸞を信じながら、最終的には、実は善鸞が混乱を治めるどころか、混乱に乗じて、親鸞とは正反対の自力の念佛者集団の先頭に立っていた事を知ったのです。親鸞は、自分の至らなさ、愚かさを噛み締めながらも、肉親への愛欲の広海に沈没する自分を、阿弥陀様は見捨てる事無く、必ずや救うと言う本願をいよいよ確信するのでした。
  親鸞聖人の本当のお心は、煩悩を断じる事は無理でも、他人様に大いなる迷惑を掛ける様な事は出来なくなる、またそうで無くては、信心の意味が無くなるのだと、喉まで出かけていたのでしょうが、我が身(息子善鸞の事)を考えれば、高らかに宣言出来なかったのではないでしょうか。

●本文
おほよそ、悪業煩悩を断じつくしてのち、本願を信ぜんのみぞ、願をほこるおもひもなくてよかるべきに、煩悩を断じなばすなはち佛になる、佛のためには、5劫思惟の願その詮なくやましまさん。本願ぼこりといましめらるるひとびとも煩悩不浄具足せられてこそさふらうげなれ。それは、願にほこらるるにあらずや。いかなる悪を本願ぼこりといふ、いかなる悪がほこらぬにてさふらうべきぞや。かへりて、こころをさなきことか。

●現代解釈
そもそも、悪い事を決してしなくなり煩悩も無くしてから、はじめて本願を信じる事が出来ると言う事にすれば、なるほど本願を誇って悪い事をすると言う事も無くなると思いますが、しかし、煩悩を無くしてしまえば、それはもう佛様になったと言う事です。佛様になったと言う事は、もう救う必要がなくなったと言う事に外なりませんから、阿弥陀仏が永い間をかけて、思案を重ねてお立てになった本願は、何等、必要のない事になってしまいます。本願ぼこりを警め(いましめ)られる人々達自身も、煩悩も不浄(綺麗でない心)もみんな具(そな)えていて、現に悪い事をしておられるのではないでしょうか。それも本願に誇っていると言う事になると思います。そう言うことになりますと、どんな悪業(悪行とも)を本願ぼこりと言えばよいのでしょうか。本願に誇って悪い事をする者は救われないと言うことは、如何にも如何にも尤もなようではありますが、却って幼稚で浅はかな言い分だと思います。

●あとがき
  善悪を区別する基準は、人夫々に異なると思います。殺人を悪と思っていない人も現実にいるようです。殺人を善であるとは思っていないにしても、悪とは思っていない人がいるのだと思わざるを得ない昨今です。一方、良寛禅師は、自分の腕を刺して血を吸い取る蚊を殺せなかったと言うお話しを聞いた事があります。生命の扱い一つ取りましても、判断は、天地の差が厳然としてあります。また、ボランティアは善と思っている人もいれば、ボランティアする自分の心の中に偽善を感じて、悪だと自覚する人もいるでしょう。他の生命の犠牲の上に成り立っている我が身を想い、生きている事自体が悪だと自戒する崇高な心の持ち主もおられます。
  仏教では、佛様の清浄離塵(せいじょうりじん)な心(無我の心)を鏡に譬えて、この鏡に写せば、私の不浄が見えるようになると申します。この鏡の清浄度が、私達凡夫の値打ちを決めると申してもよいかも知れません。清浄度をたかめさせて頂くために、繰り返し、くりかえし、仏教のお話しを聞き、仏様の世界(お浄土)を聞く、阿弥陀仏の本願をお聞きすると言う事ではないかと思います。


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2002.03.07

生と死について

  3月4日の月曜コラムで私のテニス仲間の死をお伝え致しました。その66歳の死は、現在では若い死であります。せめて後10年は生きて頂きたかったと言うのが正直な想いでございます。お通夜、ご葬儀と、沢山の方々がご会葬に来られました。特にお通夜は、日曜日の昼に亡くなられた翌日の事でございましたから、それぞれに予定がある中、キャンセルされて参集された訳でございます。すべての予定を差し置いて参列される訳ですから、それ程、『人の死』は人間にとりまして、重要な出来事であると言う事は事実でございます。葬儀は厳粛な儀式ではありますが、僧侶の読経を聞きながら、何故か、ふとある問い掛けが私の心に湧いて参りました。『他人の死に対しては、これ程の優先順位を付けて大切に扱うのに、何故自分の死に付いては、重要視しないのだろうか?いや、重要視出来ないのだろうか?』と考えてしまいました。私達は、必ず死にます。しかし絶対に死にたくはないです。しかし日常生活では、自分の死はどこか遠いところにおいているのではないでしょうか。
  勿論、日常生活において、常に死に付いて考えを巡らせているとしたなら、それはノイローゼではないかと言われるでしょうし、またその通り異常ですね。私も、つい日常の忙しさに紛れて、自分の死について考えるのは、お葬式に参列したり、他の人々が事故・災害・事件で亡くなられた報道を聞いた時位に、ふと死を真近に感じる程度ですが、それも結局は他人事としてしか受止めておらず、自分も必ず死ぬ存在だと、はっきりと認識出来ていないのでは無いかと自分自身を疑っております。
  何故でしょうか。自分が一番嫌な事だから、無意識のうちに真正面から対峙(たいじ)する事を避けているのでしょうか?それとも、やはり自分の死は未だ未だ先の事と考えているからでしょうか?
  仏教は、先ず生死(しょうじ)の問題を解決せよと申します。生死の問題とは、生とは何か?死とはどういう事か?何時死んでも良いか?死の覚悟は出来ているか?と言う疑問に対して心の解決は出来ているかと言う事でございます。
  出家していない普通一般の私達は、生死の問題を解決せよと言われましても、生活がございますから、出家した修行僧の様には参りません。しかし、日常生活を乱す事は無いまでも、無為(むい)に過ごす時もあるはずですから、そう言う時には、偶(たま)には生死の問題を考えて見てはどうですか?と言うのが、仏様の、そしてお釈迦様の、或いは親鸞聖人など祖師方の問い掛けではないでしょうか。
  私達は、生の後に死があると考えています。しかし、祖師方は、死は常に生とともにある。それは丁度、船と海の関係だと説明された先生もおられました。船底が、常に海水と接しているように、生も常に死と接しているのです。暗い表現ではありますが、死と言う海に、生と言う船が浮かんでいるようなものだと言う訳です。生の次に死があるように思っているけれども、死ぬ順番は、必ずしも年齢順ではない訳ですから、生の永さは保証されていないのです。ですから生の後に死があるのではなく、生と死は隣り合わせです。むしろ、上記の表現を借りると、生と言う海に死と言う船が浮かんでいると言い換えても良い訳です。死があるから生がある。生があるから死がある。禅問答的な表現をしますと、本来、生も死も無いと言うべきかも知れません。
  誰しも死ぬのは嫌で、生きている事が苦しくても大好きですが、やはりこの人生を生きていくには、先ず生死の問題、死ぬ不安を解決しておかねばなりません。この問題を放って置いて財産をどれ程築いても、どれ程高い地位に就き、名誉を獲得しましても、自分自身が死と向き合った時、或いは愛する配偶者や子供の死に遭遇した時は、財産も地位も名誉も慰めとはなりませんでしょうし、何の支えにもならないと思います。死を何処かに置き忘れた生活に明け暮れていると、死を目前にした瞬間、それまで生きて来た人生は瓦解(がかい)し、幻の人生になってしまうのではないでしょうか?
  太閤さんと言われ、人生の成功者である豊臣秀吉は、辞世の句(死ぬ直前に遺す詠)『露とおき露と消えぬるわが身かな 浪花のことも夢の亦夢』を遺しておりますように、人生を振り返って虚しさを感じるしかなかった訳です。これは残念な事であります。一方、浄土真宗の信者であり、広島大学の名誉教授であらせられた白井成允(しらいしげのぶ)先生は、無相庵カレンダーの15日のお詠『いつの日に死なんもよしや弥陀仏のみ光りの中の御命なり』を遺されています。死のカーテン(生と死を区切る精神的な仕切りのようなカーテン)が無くなっているお詠です。皆さんは、秀吉の人生と白井先生の人生のどちらを選ばれるでしょうか?
  『死ねば終わり、生きている間に秀吉のように、権力を握って、したい放題の贅沢が出来れば、それで良い』。そう言う人もいるでしょうが、やはり、私は白井成允先生のように、今生きている時に、死のカーテンを取り除き、永遠の命を自覚させて頂いた上で、人生を全うしたいと思います。
  ただ、死のカーテンが無くなると言う事は、単純に、死の覚悟が出来ていれば良い、死ぬのが怖くないと言う事ではなく、心から生の悦びを感じ、永遠の生命を感じさせて頂く事だと思います。
  私も、今日が56歳最後の日であります。56歳の挑戦の日々が終わるのでありますが、56歳は、10年間続けて参りました事業の大幅な縮小(売上高は五分の一、人員は四分の一、工場面積は二分の一)を余儀なくされたと言う記憶に残る歳になると思います。しかし、挑戦は続きます。明日57歳の最初の日は、大袈裟に申しましたら、社運を賭けた大企業との折衝事があります。人生も、会社も、行く手には、多くのハードルが待ち構えています。一つ一つ乗り越えて行くしかございませんが、色即是空・空即是色と死のカーテンを取り払った心境で、淡々としかし悦びを持って乗り越えて行きたいものだなぁと思う事でございます。


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2002.03.04

歎異鈔の心―第13條の5項―

●まえがき
  浄土真宗は、他力本願と申します。一般の方々には他力と言う言葉も本願と言う言葉も、なかなか理解出来ないと思います。私も頭では理解している積もりですが、心の底から分かっているか、或いは信じているかと聞かれますと、残念ながら『はい』とは申せません。
  この條のテーマである『本願ぼこり』について理解して頂こうとしますと、本願と言う事を理解して頂かねばなりません。私の頭の理解でしか、この本願をご説明出来ないのですが、本願とは、子供に対する親の願いから想像して頂くとある程度理解出来ると思います。親は、子供に対して『どうか、幸せな人生を送っておくれ』と願いを持ちます。しかも、どの子供にも等しく願いを持ちます。幼年時代だけではなく、少年、青年、そして家庭を持って独立しても、その願いは変わる事がありません。子供が親の存在を忘れていても、いや譬え反抗する子供に対しても、その願いは衰えることはありませんね。
  仏様と私凡夫との関係も、殆ど同様と考えても差し支えないと思います。もっともっと強く大きい、永遠に続く願いと考えるべきでしょうか。仏様の、阿弥陀仏の願いも、やはり『どうか幸せな人生を送って欲しい』と言う願いです。ただ、凡夫の親の願いは、『この厳しい競争社会を生き抜く為に、良い学校に進学し、地位も名誉もある職業に就いて、お金に不自由しない幸せな人生を歩んで欲しい』と言うのが実状ですが、仏様の願いは、全く異なるものです。仏様と親の価値観が異なるからです。仏様(浄土真宗では阿弥陀仏と申します)は、生死の問題から目を背けて、貪欲、瞋恚、愚痴、驕慢だけの煩悩生活に溺れている私凡夫に、『それでは決して幸せになれないよ、今の生き方は間違っているよ』と、常に働きかけて下さっているのですね。私が本当に救われるまで、願いをかけて下さっているので、本願と言うのだと、私は理解しています。そして、お念佛は、私が称えるお念佛も、実は、阿弥陀仏のお念佛です。本願がお念佛として、私凡夫に現れたものだと解釈して良いと思います。
本願と言う事を私如きが説明出来るものではありませんが、ほぼこう言うものだと理解して頂いて、本願ぼこりも、分かって頂ければと思います。
  本願は悪人を救う為に立てられた願いだと言って、罪を犯しても良いと言うのが、『本願ぼこり』です。この本願ぼこりでする行為を許し難いと言うのが一般的見解だと思います。しかしこの歎異鈔の言葉から親鸞聖人のお考えを察しますと、どうやらそうではないようですね。親鸞聖人自身のお言葉ではありませんので、断定は出来ませんが、親鸞聖人が到達されたであろう、ご心境が、多少とも垣間見えるのだなと思います。

●本文
願にほこりてつくらんつみも、宿業のもよほすゆへなり。されば、よきこともあしきことも、業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまひらすればこそ、他力にてはさふらへ。唯信鈔にも、彌陀いかばかりのちからましますとしりてか、罪業のみなればすくはれがたしとおもふべきとさふらうぞかし。本願にほこるこころのあらんにつけてこそ他力をたのむ信心も決定(けつじょう)しぬべきことにてさふらへ。

●現代解釈
  こんな事をしても、本願はお許しくださるのだと自らの意思で犯していると思っている罪も、実は前世の因によるものなのです。ですから、良い事も悪い事も前世からの因縁で起るものと思って、ひたすら本願を信じて生きて行くのが、他力を信じていると言う事だと思います。
  唯信鈔と言う書物にも、『阿弥陀仏にどれほどのお力をお持ちかと考えてこんな罪を犯す身であるから、とても救われないと危ぶんでいるのだろうか』と書かれてあります。
  極端に言いますと、本願にほこる位の素直な気持ちがあるからこそ、何れは本願にお任せする信心が頂けるのではないでしょうか。

●あとがき
私自身が本願を誇るほどの素直な気持ちを持ち合わせていません。ですからでしょうか、この歎異鈔作者の言わんとする事が分かる様な気がします。本願ぼこりの人々を批判する信者をたしなめて、他力本願の信仰のあり方を正したいと言う気持ちが伝わって参ります。
本願を誇る人も、それを批判する人も、所詮は凡夫です。生きている限りは、誰もこの凡夫から離れる事は出来ません。親鸞聖人も、この歎異鈔作者であろう唯園房も、生涯凡夫の身を脱出はしていないと思います。しかし、身は凡夫でありながら、本願を信じて、生きながら、仏様の世界の風を感じられ、永遠の命を頂かれてたのだと思います。
親鸞聖人は、ご自身の書物で、『弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり』と申されています。これは、他人に対して本願を信じなさいと申されているのではなく、煩悩に苦しむ自分に言い聞かせておられ、且つそう言う自分をお悦びになったのだと思います。

一昨日、私のテニス友達(先輩と言うべきですが)が、テニスプレー中に倒れ、救急車の中で亡くなられたと言う連絡を受けました。ソフトテニスの全国レベルのトッププレーヤーでした。確か一度ペアーを汲んで頂き、試合に出た事もあります。人柄が良く、優しい人で、争い事を好まず、和を尊ぶ方でした。私が会社設立した時には、他のテニス友達と共に、出資してまでして頂きました。未だ、そのご好意のご出資にお応え出来ないまま、お見送りする事は、真に痛恨の極みですが、これをまた、事業再構築の励みとして、受け取らせて頂こうと思います。


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2002.02.28

良寛を訪ねて

  2月22日(金曜日)から25日(月曜日)に掛けまして、夫婦二人で娘の住む新潟市に行きました。23日に佐渡島、24日は良寛縁(ゆかり)の土地を訪ね歩きました。
  今回は、良寛を訪ね歩いた感想と共に、良寛について記述してみたいと思います。

良寛は、1758年に新潟の出雲崎と言うところで名主の長男として生まれました。幼年時代は山本栄蔵と言う名前、18歳で隣町の光照寺と言う禅寺で剃髪し、その後遠く離れた岡山県倉敷の円通寺で印可(悟りの境地に至った事が認められる)を受けました。その後故郷に戻り、分水町の国上山と言う山中にある五合庵を住まいとして20年近い修業をし、晩年を過ごした和島(隆泉寺に良寛の墓があります)の木村家で、1831年、恋人のように心を通わせた貞心尼(良寛より40歳下)等に看取られながら、73年と言う当時としては長い生涯を終えた。

  良寛様は、曹洞宗の禅僧ではありますが、曹洞宗の年表に載る立場の僧ではありませんでした。生涯自分のお寺を持たず、勿論結婚もせず、『山中独居』『只管打坐』『托鉢行脚』に徹し、名声を求めず、財産を求めない、姿勢を貫き通されました。しかし、周りの人々との交流、特に近隣の子供達と手毬などして遊んだと言う心優しさは、あまりにも有名ですし、日本の歴史上、もっともお釈迦様に近いお坊さんであると言っても過言ではないと思います。
  また、晩年の4年間、前述の貞心尼と情愛を交換した詠の数々は、孤高の僧侶ではなく、人間良寛を示すものと言えるでしょう。
  また、葬儀には、宗派を超え、曹洞宗、真言宗、浄土真宗、日蓮宗の僧侶が読経し、参列者は千人を数えたと言う事ですから、いかに良寛様の徳が高かったか、この事によっても、知られます。
  私は、良寛様の研究者ではありませんので、全てのお詠を知りませんが、無相庵カレンダーの26日のお詠以外では、下記のお詠は、私が幼い時から親しんできたものです。

焚くほどは、風が持てくる、落葉かな
托鉢して頂いたお米を焚くのに、必要な焚き木は、欲張らなくても風が持って来てくれると言う詠ですが、知足(ちそく)と言う事を私達にしめされているのだと思います。欲には限りがありません。与えられただけで足ると言う心境になれば、何も不足・不満はないと言う事だと思いますが、なかなか難しいですね。
うらを見せ、おもてを見せて、散る紅葉
これは、亡くなられる時に、貞心尼に対して詠われたものです。 人間にも紅葉と同じように、表と裏があります。紅葉が散る時、ひらひらと表を見せ、裏を見せて散る様に、私も僧侶としての表の顔だけではなく、人間としての弱さ・生への執着を見せながら死んで行くのですよ、と言う事でしょうか。或いは、表を色即是空と裏を空即是色と捉えても良いかも知れません。自然法爾を詠ったものだと捉えても良いのではないかと思います。

前述の詠は、良寛様の詠の中の、ほんの一部ですが、禅宗、浄土真宗を超えた心境を余すところ無く吐露したものだと思います。
良寛様を紹介するには、このコラムでは到底語り尽くせません。ご興味を抱かれた方は、是非、数多く出版されている本を参照されたいと思います。

下記は良寛様の略歴です。
良寛堂(生誕の地)
20年間修行の五合庵(国上山)
貞心尼と良寛
良寛様の墓(隆泉寺)
・1758年(宝歴8年)1歳
        出雲崎の名主橘屋山本家に生る。幼名栄蔵。父は以南(与板出身)、母は秀子(或いはおのぶ、佐渡相川出身)
・1775年(安永4年)18歳
        名主見習いとなる。尼瀬光照寺にて剃髪。

・1779年(安永8年)22歳
        国仙和尚に従い得度。良寛と名のり、大愚と号す。備中玉島円通寺に赴き修行す。

・1795年(寛政7年)38歳
        父、以南京都桂川に入水。

・1796年(寛政8年)39歳
        越後に帰り、国上の五合庵を中心に、出雲ア中山の西照坊、寺泊の密蔵院、野積の 西生寺、国上の本覚院等に転々とし一所不定の生活をする。

・1805年(文化2年)48歳
        五合庵に定住す。

・1816年(文化13年)59歳
        五合庵を出て乙子神社草庵に移る。

・1826年(文政9年)69歳
        島崎の木村元右衛門邸内庵室に移る。

・1827年(文政10年)70歳
        貞心尼、良寛を訪う。貞心尼、時に30歳。

・1830年(天保元年)73歳
        7月、病にかかる。

・1831年(天保2年)74歳
        正月6日寂す。8日葬儀、導師は与板徳昌寺住職大磯和尚。隆泉寺木村家墓地に葬る。


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2002.02.25

本願ぼこり

  歎異鈔解説は、1回お休みです。
このコラムがホームページ上に掲載される頃、私は娘の住む新潟にいます。娘が結婚して、この5月で2年になりますが、初めての新潟訪問です。新潟は雪景色なんでしょうか。
  次回の歎異鈔解説は13條の本願ぼこり最終節になります。本願を誇って悪い事をする人々を批判するのが普通のあり方ですが、歎異鈔は、そうでは無いのですね。
  それにつけて、私は、二十歳代の私と母との関係を思い出しています。二十歳の頃の私は、耳学問をして、かなり仏教の知識がありました。そして、信仰したら、当然仏様と同じような人格になるものと考えていましたので、仏教講演会を主宰していた母から愚痴めいた話を聞く事にかなり抵抗を感じていましたし、実際、面と向って批判もしていました。『仏教の話を聞いても、何にも役に立ってないんやね』と。そして、当時の『女性仏教』と言う雑誌に、『母の愛は無明』と言う題名で投稿もした事があります。今読み返すと恥ずかしい限りですが、浄土真宗の信心を得れば、仏様のような人格になるはず、禅の悟りを開いたら仏様と同等の尊い人格になると言うのが、当時の私の仏教理解でした。当然、本願ぼこりは許せる行為ではありませんでした。本願に誇って、わざと悪い事をするなんて事は、とんでも無いと考えていました。世間一般の方々も、同じ考えではないかと思います。
  『母の愛は無明』と言う投稿が雑誌に掲載された時、一番喜んでくれたのは、『母の愛は動物的な愛だ』と批判された母だった事を思い起こし、胸にじんと来るものがある今の私です(母はその雑誌を誇らしげに知人に見せていました)。今は、『母の愛は仏様の愛に等しいかった』と述懐しているところです。
  本願を誇って悪い事をする人々を批判する人は、悪い事をしない善人なんだろうかと問い掛けているのが歎異鈔なんですね。宗教は、他人を批判するためにある訳ではなく、飽くまでも自分の心と向き合うためだけにあるものだと、凡夫の私には耳の痛い13條であります。


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2002.02.21

仏様は洋服屋さん、足袋屋さん

  仏教徒以外の一般の方々には、仏様と言う言葉に抵抗を感じられる向きもあろうかと思いますが、仏様とは、この大宇宙を動かす偉大で、人知も及ばない、力とその働きを、人称的に表現したものと理解して頂ければ良いと思います。少なくとも私はそう理解して、このコラムにおいて、仏様と申し上げています(仏教界の学者方々にご異論があるかも知れませんが………)。

  さて、名古屋に西川玄苔(にしかわげんたい)と言う尊い尊い禅僧がおられます。NHKの『宗教の時間』と言う番組で存じ上げて(昭和57年頃と思います)以降、1年に1回の割合で神戸までご出講頂き、今もご交流させて頂いています。その西川玄苔老師は、曹洞宗・宋吉寺の前ご住職ですが(今はご長男に委嘱されている)、お若い頃、座禅と日常生活が別物に感じられて、今一つ満足・納得がいかなかったそうです。すなわち座禅をしている時は、すっきりと無我の境地に達するけれども、家庭生活に戻れば家族もあり、私達と同じ様に煩悩に悩まれたものと思われます。
  しかしそこで止まらないところが私達と違うところでしょうか。悩まれ苦しまれた挙げ句、禅とは異なる趣きの道、念佛の門を叩かれたそうです。訪ねられた相手は、甲斐和里子と言う京都女子大学の創設者でもあり、信心を極められた念佛者です。
  部屋に通されて、相対しますと、大きな声のお念佛に先ず驚かされたそうです(甲斐和里子女史は少し耳が遠くなっておられたようです)。西川玄苔老師が、座禅と日常生活の精神不一致に関する悩みを申し上げたところ、大きな声の念佛の合間に、『仏様は、洋服屋さんですな、足袋屋さんですな、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』と申されたと言う事です。そして続けておっしゃった事は、『こちらが注文せんのに、その人の寸法に合わせて、服を作ってくれて、足に合う足袋まで作って下さる、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』と。
  私は、このお話しをお聴きした時には、今一つ理解が足りませんでしたが、今自分の人生を振り返り、また現在の状況を想う時、甲斐和里子先生のおっしゃった意味が良く理解出来るのです。洋服と足袋は勿論喩えであり、人生とか環境・境遇とか経験とでも言って良いと思います。私の精神を向上させる為に、或いは私に信仰心を持たせるために、信仰心を深めさせる為に、仏様が色々な場面を、色々な苦労、色々な立場を与えてくれるのだと。しかも、その人その人の器量や段階に応じてピッタリのものを与えて下さると言う事だと思います。
  西川玄苔老師も、その場では理解も半ばだったかも知れませんが、兎に角その時以来、甲斐和里子女史のお念佛が伝染し、自然とお念佛が口を衝いて出だしたと言う事でした。宗派に拘られる方の中には、禅僧がお念佛とは何と言うこと、と思われる方もあるかもしれませんが、臨済宗の妙心寺派管長までなられた山田無文老師も、お念佛を唱えておられましたし、南無阿弥陀仏も南無観世音菩薩も南無妙法蓮華経も、大いなる宇宙の真理に感謝(帰依)すると言う点では、全く変わらないと、私は思います。
  西川玄苔老師は、その後も、『歎異鈔領解』と言う名著を遺された故白井成允(しらいしげのぶ、広島大学名誉教授)先生にも師事し、自力念佛から他力念佛へと信仰心を深めて行かれたとお聴き致しました。甲斐和里子女史は、西川玄苔老師を禅そして念佛と言う道を歩ませるべく、仏様は西川玄苔老師用の人生を用意して下さったのだと言う深い想いから、『仏様は洋服屋さんですな、足袋屋さんですな』と言われたのでしょう。
  このところの心境を西川玄苔老師は、『ながながの月日をかけて御佛は、そのみこころをとどけたまえり』と詠われたのだと思います(16日目の無相庵カレンダー)。
  長々と洋服屋さん、足袋屋さんについて書いて参りましたが、実は私にも思い当たるところがあるからです。私がこのコラムを書き始めた一昨年の7月から、偶然にも、私の会社の経営危機が現実のものとなりました。元々このコラムは、無相庵ホームページを編集管理する長男に、口頭では何故か伝え難い、私の人生観、経営観を書き記す為に開始したものですが、経営危機を契機として、自分自身の心の遍歴を書き表わすものとなりました。今は仏様に書かせて頂いているとしか言い様がありません。
  人間は危機・苦難・不遇に遭遇して、初めて自分を振り返ります。また乗り越えるために勉強も致します。1昨年までに至る10年間は、脱サラをし会社を設立すると言う大きな変化はございましたが、親の遺産も相続して経済的にも豊かな時期でもあり、バブル崩壊直後でもあり未だ経営の厳しさが押し寄せる前であり、苦労苦難を感じませんでした。従いまして、仏教書を紐解く時間を持たないまま何となく日常生活を過ごしていました。そんな私に突然として(一昨年7月14日)、納品先の会社の担当者からの1本の電話で経営危機が訪れた訳です。売上高の80%を占める製品が半年後に無くなるかもしれないと言う電話でした。結局は、色々な経緯があり、1年半後の今月末に現実のものとなったわけです。今も完全に払拭している訳ではありませんが、この1年半の殆どは、倒産・自己破産後の自分の妻と子供達家族の行く末に関する心配、恐怖との闘いでした。そして心の安定を求めて、10年間ご無沙汰していた仏教書を引っ張り出したのは必然の結果です。私は、こう言う危ない目に遭わないと、真摯に、真剣にお釈迦様や親鸞様の教えを求めなかったと思います。まさに仏様は洋服屋さんであり足袋屋さんであった訳です。こんな目に遭わせて頂かないと、私は、仏様に背を向けて、逃げてばかりの生活を送り、いずれ野垂れ死にしたに違いありませんでした。
  しかし、仏様に掴えられ捕らわれの身となってからは、仏様のあつらえて下さる洋服を着せて頂き、準備して下さった足袋を履いて人生を渡るしかなくなりました。常に不安は頭をもたげます。しかし、最終的には、仏様に預けた人生と言う事になりました。
  従いまして、この1月から一時に色々な課題解決を迫られましたが、一つ一つ冷静に対応して来た積もりです。不正経理の発覚処理、銀行への融資返済額の減免交渉、製品の新規顧客開拓、技術開発の為の試作研究、既に立ち上がっている新製品の量産品の不良対策、特許問題の解決、工場縮小工事準備交渉、廃棄予定の生産設備の譲渡交渉、生産中止品目の生産調整、残る人・解雇する人の人事調整等など。全て重い問題が一度に押し寄せましたが、銀行サイドの好意的な対応と、息子のサポート、生産協力会社のサポート、従業員の協力と理解により、乗り越えられたと思っています。
  これからどんなドラマが待っているか分かりませんが、仏様の描くシナリオ通り受止めて、仏様のあつらえた洋服を着て、足袋を履いて呼吸が止まるまで人生を歩むのだと思います。
  無相庵カレンダーの、『きみはきみでいいんだよ』も『いつの日に死なんもよしや弥陀佛のみ光の中の御命なり』も『自然法爾』も般若心経の『無有恐怖(きょうふあることなし)』も甲斐和里子女史の『岩もあり、木の根もあれどさらさらと、たださらさらと水の流るヽ』は、『仏様は洋服屋さんですな、足袋屋さんですな、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』と同じ事を言っているのだ思う様になりました。
  仏様は、人それぞれに特別にあつらえた洋服を必ず準備されているはずだと思いますが、素直に着用する事は、私にはなかなか難しかった事です……。
  あなたに、仏様は、どういう洋服が準備されていますでしょうか?


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2002.02.18

歎異鈔の心―第13條の4項―

●まえがき
  『職業に貴賎無し』と言う言葉がある。世間一般的には、お医者さん、大学教授、僧職、司祭は貴い職業と感じる一方、牛を解体する屠殺場やゴミ処理場の仕事は賤しい職業と感じ、出来る事ならば、子供をそう言う職業には就かせたくないと言うのが本音だろう。平社員よりも社長を格上と思うのも致し方無い。しかし、職業に貴賎は無いが、職業に取り組む姿勢には貴賎があると言う事にも、頷けるはずである。過疎地の無医村や、アフガニスタンの難民キャンプで奉仕医療に尽くすお医者さんがいる一方で、患者をお金儲けの対象としか見ていないお医者さんもいる。屠殺場で、お念佛を唱えながら牛を解体する方もいる一方で、牛肉の産地を偽りお金を騙し取る人間もいる。日本国の行く末を憂えて国政に心血を注ぐ政治家はほんの一握りで、利権・利権と走り回る政治屋には、賤しさを感じてしまう。そう言う事を裏返しに表現したのが『職業に貴賎無し』だと思う。しかしまた、この言葉を本当に自分のものとして受け取るには、深い深い自戒の心が必要である。随分昔の講演会で聞いた事であるが、強烈な印象として残っている話がある。ある浄土真宗の学者であり、また信仰者であるご講師が、京都であったある講演の後、ノーベル賞を貰った有名博士のご夫人と京都のレストランに行く途中、鶏を絞め殺す時の鳴き声を聞いたそうである。そのご夫人は動物愛護協会の名誉理事長を努められているからか、『何と残酷な事を!』と少々非難めいた言葉を発せられたらしい。その後、レストランで、その夫人は鶏肉も牛肉も涼しい顔で食べていたと言う話であった。そのご講師が言いたかった事は、表面的には上品そうで、自分は何一つ悪い事をしていないと言う偽善者的な顔をしているが、自分の生命が他の生命の犠牲の上で成り立っている事や、食物が口に入るまでの仕組みにさえ気が付いていない思慮浅さと偽善さについて、実例を挙げて説かれたのだと思う。考えて見れば、私達が口にする鶏肉も牛肉も、生きている鶏や牛を殺す役割を担う人々のお陰があって、初めて食卓に並ぶのであるが、私も、目の前で鶏を殺す場面や牛を殺す場面を見れば、『何と残酷な事をする人達なんだ!』と非難してしまうだろうと思う。
  しかし、動植物を殺す事を職業にして下さる人々がいるからこそ、私達は美味しい牛肉に、野菜にありつけるのである。
  誰しも喜んで、その職業を選んでいる訳ではないだろう。私達に代わって、その役割を果たしてくれていると言う事を忘れてはならない。その人々は、私達よりもむしろ、厳粛な生命の有り様に直面し、懺悔の想いを強くされているのではなかろうか。
  食卓に乗る食物は、動物に限らず植物も、多くの生命の犠牲と、多くの人々の手を経て、初めて私達の目の前に存在するのである。そう思えば、自然と手を合わせざるを得ないのではなかろうか?
  そんな事を想いながら、この條を味わいたい。

●本文
また、うみかわににあみをひきつりをして、世をわたるものも、野やまにししをかりとりをとりていのちをつぐともがらも、あきないをし田畠をつくりてすぐるひとも、ただおなじことなりと。さるべき業縁のもよほさばいかなるふるまひもすべしとこそ聖人はおほせさふらひしに、當時は後世者ぶりして、よからんものばかり念佛まふすべきやうに、あるひは道場にはりぶみして、なむなむのことしたらんものをば道場へいるべからずなんどといふこと、ひとへに賢善精進(けんぜんしょうじん)の相をほかにしめして、うちには虚仮(こけ)をいだけるものか。

●現代解釈
またある時、海や川で漁をして生活をする人々や、野山でイノシシや鳥を狩って生活をする人々と、物を売って商売したり農業を営む人々とは何ら変わるところはないと親鸞聖人はおっしゃいました。前世の業縁によって、私達はどんな事だってするものだと親鸞聖人はおっしゃいましたが、それにも拘わらず、当今の人々の中には、如何にも殊勝にも後世を願う様な顔をして、良い人々だけが念佛を唱える資格があるかのように、念佛者の集まる会場の表玄関に『これこれの事をした人々は、会場に入る事をお断りする』などと張り紙したりしていたようであるが、これは、外面は、我賢しと善人ぶって聖者の様な顔をしているが、内面は(真実から目を背けた)嘘だらけの心を持っている偽善者だと言えるのではなかろうか?

●あとがき
『ひとへに賢善精進(けんぜんしょうじん)の相をほかにしめして、うちには虚仮(こけ)をいだけるものか』
とは、誰の事でも無い、自分の事を言われているのである。聖徳太子のお言葉である『世間虚仮、唯佛是真』(せけんこけ、ゆいぶつぜしん)と言い換えても良い。世間とは、人間社会はと言う意味もあろうが、この自分は、とか、自分の心の中は、と解釈すべきだと思う。実際、自分の心の中をえぐりだせば、嘘・名誉心・強欲の塊である。真実なるものは何も無いのであるが、凡夫と言うのは悲しいながら、なかなかそう徹底して思えない、どこか未だましなところがあると思ってしまう。そこが凡夫たる所以である。そこのところを親鸞は、『悲しきかなや愚禿鸞、愛欲の広海に沈没して、冥利の大山に迷惑す』(何と悲しい事であろうか、この愚かな親鸞は、愛欲の海に溺れ、名誉欲に踏み迷っているのである)と自らを顧みているのである。こう顧みられるのは、阿弥陀様の光に照らし出されたからであり、凡夫の力ではない。『松影の黒きは、月のひかりなり』と言う古歌があるが、真夜中の松が黒い黒い影(凡夫)を映し出すのは、それだけ月(仏様)の光が強いからである。『この世に生を受け、無数の祖先からの遺伝子を受け継いだ私は、凡夫のまま人生を渡るしかないのであるが、出会い難い仏法に縁を頂いた今生においてこそは、仏様の光を精一杯浴びて、流転輪廻の闇路に闇路を踏みそえる境涯から脱却したいものである』と言うのが親鸞の切実な願いであろう。私も是非親鸞の心に近付きたいのであるが……。


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2002.02.14

信頼と検証

2月6日の朝日新聞夕刊『窓(論説委員室から)』の欄に、『信頼と検証』と言うテーマで興味深い論説があった。以下が全文である。

『定年退職した同僚に、旅行券を贈ることになった。仲間でお金を出し合って、大手旅行会社の店で千円の旅行券を100枚買った。ところが、その夜、「千円券のつもりで1万円券を渡してしまいました」と店から電話がかかってきた。翌日、旅行券は無事、千円券100枚と交換されたが、店とのやり取りや慣れない大金の保管場所探しに、すっかり疲れてしまった。受け取った時に、旅行券を確認しておけば、こんな騒ぎにはならなかっただろう。だが、大手企業だから間違うはずがない、という「信頼」があったのも確かだ。「信ぜよ。だが、検証せよ」というロシアの古い格言が、つい、口に出た。80年代初頭の米ソの戦略兵器削減交渉の際に、この言葉をさかんに引用したのはレーガン大統領である。根強い対ソ不信から削減の実行をきびしく検証する条約を求めたのだ。いま、米ロは新しい戦略兵器の削減交渉を始めている。冷戦時代と逆に、「両国は信頼関係を築きつつある。検証を定めた条約は必要ない」と米国は主張する。一方、ロシアは「削減には条約による義務化がやはり必要」と不信感を示す。旅行券と違って、扱うのは大量の核である。「信頼」と「検証」の間でうまく折り合いを見出して欲しい。「信頼も不信も、ともに身を滅ぼす」という古代ギリシャの格言のようにならないことを望みたい』

  私は、この1月の中旬、6年間に亘って会社の経理を任せ切っていた30代の女性に、その信頼を裏切られていた事が分かった(裏切られたと言う表現は、私の気持ちに忠実ではない。その様な事をさせてしまったと言う想いの方が強いのであるが………)。今のところ金額としては、50万円弱程度の業務上横領であるが、金額の大小の問題ではなく、精神的なショックは筆舌し難いものがあった。特に会社の経営も、月末に過半数の従業員の解雇を決め、工場も半分に縮小して生き残りを賭けねばなら無いと言う差し迫った状況の中での思わぬ出来事であったので、2、3日は食事が喉を通らなかった。その経理担当ウーマンは、世の中の例と同じく、『あの人がそんな事をするはずがない』、『今でも信じられない』と言うありふれたパターンである。そんなショックも冷め遣らぬ時に、上記の論説に出会ったからであろう、私の心に鋭く突き刺さったのである。

  がしかし、この論説を読んだ後、色々と考察し、何が正しいか、何が自分の心の落ち着きどころかと思案した。なかなか結論には至らなかった。人間付き合いの在り方を変える事は難しいが、平気で悪い事をする人もいる事も確かだ。何の根拠も無く、ただ感覚的に人を信頼して、多くの人にも迷惑を掛ける事は避けねばならない事も正論だ。中道理論からすると、とことん人を信頼するのも、最初から最後まで人を疑って掛かる事も如何なものかと言う事になるが………?思案に思案を重ねた挙げ句の結論は、従来通り『信頼して騙されても良い』、自分の感覚で信頼出来そうな人は、とことん信頼して行こうと思った。かの経理ウーマンにも『社長は人が良過ぎる』と言われたが、私からお人好しを取り除いたら、私では無くなってしまうと思い直した訳である。決して騙されるのも宿業とは思わなかった事も敢えて付け加えたい。
  ただ、京セラの稲盛さんの『実学』と言う本で、経理は、ダブルチェックシステムにして、経理の人に罪を犯させない配慮をしなければならないと言う事を学んでいたし、何れは実行しなければと考えていたので、今回の失態により、少なくとも会社の経理については、検証とまではいかないが、二人作業にした。また、人を信頼するに際しては、他の人の眼も借りて、忌憚のない助言を貰おうと思った。
  信頼も不信も身を滅ぼすと言う格言は、一瞬正しい事を言っていると感じたが、その後は、これではあまりにも淋しい人間関係ではないか、と思うようになった。不信は確かに身を滅ぼすだろうが、信頼は良き人間関係の基本だと思う。少なくとも、そう信じて生きて行きたいと思うが………皆さんはどう考えるられるのだろうか?
  最後に付け加えておかねばならない。私は他人を騙した事も裏切った事も無いと思っているが、それは自分でそう思っているだけだと考えねばならない。騙した積もりはなくとも、相手の期待や要望・願望を知らないで、結果的には裏切ってしまった事は、沢山あると思う。いやきっとある。今振り返ると、私と長く付き合って頂いている人々も多いが、私から離れて行った人々も、少なからずいるのである。私は自分をお人好しと思っているが、離れて行った人々から見れば、とんだお人好しだろうと思う。
  仏教で示されている四苦八苦の中に、怨憎会苦(嫌な人と出遭わねばなら無い苦)、愛別離苦(愛しい人と別れ無ければならない苦)の2苦が示されているが、人生では色々な人に出会うと言うことだろう。私達自身の心の中にある我執によって、出遭いたくない人にも会い、騙される事もあると言う事だろう。自我が消えれば、騙される事も無くなると言う事であろうが、何時の日の事であろうか。
  信頼と検証と言う論説から、色々と考えさせられたのである。

  次回の木曜コラムでは、色々とあった1月そして2月の会社の事。追い詰められた経営者としての取り組み、決断した事、悩んだ事、そして将来に向けての心構えや、心の支え等を赤裸々に書き残したいと思う。


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2002.02.11

歎異鈔の心―第13條の3項―

●まえがき
  『本願ぼこり』と言うのは、『悪い事をしても、悪い者こそお救い下さる本願のお陰により往生は間違いない』と言う考え方を言う。親鸞の生きている頃、既にそう言う考えをする人々が存在していたようである。親鸞としては、悪人こそ救われると言う悪人正機説を悪用された想いだったろう。しかし、悪い事は、本願とは関係なく、また個人の意志でもなく、前世の業により為される事であると断言されていたようである。
  ここで言う『悪』とは、所謂犯罪行為も含んでいると思うが、親鸞の自戒する究極の『悪』とは、生きている事そのものが『悪』なのである。即ち、生きると言う事は、他の生命を犠牲にした上で初めて成立からである。親鸞と同じように徹底した悪人の自覚が出来て初めて私達は、本願の救いに身を委ねる事が出来るのではなかろうか?

●本文
そのかみ、邪見におちたるひとありて、悪をつくりたるものをたすけんといふ願にてましませばとて、わざとこのみて悪をつくりて、往生の業とすべきよしをいひて、やうやうにあしざまなることのきこへさふらひしとき御消息に、くすりあればとて毒をこのむべからずとあそばされてさふらふは、かの邪執をやめんがためなり。またく、悪は往生のさはりたるべしとにはあらず。持戒持律にてのみ本願を信ずべくは、われらいかでか生死をはなるべきやと。かかるあさましき身も本願にあひたてまつりてこそげにほこられさふらへ。さればとて、身にそなへざらん悪業は、よもつくられさふらはじものを。

●現代解釈
親鸞聖人が未だ生きておられた頃、間違った見解に陥った人があり、悪を働いた者を助けると言うのが本願の趣旨であるからと、わざと悪い事をして往生の種にしようと言いふらして、色々と悪い評判が立った時、親鸞聖人は、『毒を消す薬があるからと言って、好んで毒を飲むような事があってはならない』と諭されたのは、上に述べたような間違った見解を止めさせるためでした。決して悪が往生の支障になると言う事をおっしゃりたいのではないのです。悪い事を止め、善い事をすると言う戒律を保つ事によって、はじめて本願に救われると言う信心ならば、戒律を守る事の出来ない私達は、どうして生死と言う迷いから解脱する事が出来るでしょうかと言われました。私達のようなあさましく罪深い者も、本願に出遭って始めて救われると思えばこそ、安心して本願を誇れると言うものです。だからと言って、つくるべき業縁のない悪い事は、たとえ自分がつくろうとしても出来ないものなのです。

●あとがき
歎異鈔にしても、他の仏教関係の本にしても、読む年齢によって全く趣きが変わるものではなかろうか。2度目、3度目であっても、初めて読むような気にさせられるものである。思えば、仏教書だけではないだろう。人間は年齢を重ねる毎に経験を積み、知識も広がる。
母を亡くしてから読む親子の愛情物語、自分の子供を亡くしてから見る子供の訃報ニュースは、それ以前とは全く受取り方、感じ方は異なるものである。そんな事を思いながら、この歎異鈔を読んで行きたいと思う。


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2002.02.07

企業のモラル

  一昨年から、雪印乳業、三菱自動車、そして今年は雪印食品と、大企業が世間の常識を超える品質上の問題と、世間の信頼を失うモラル欠如を相次いで露呈した。大企業には、こう言う事件を起こし得る土壌が確かにあると思うが、それでも、今回の雪印食品の事件は、製造業に身を置いていた私でさえも、驚くばかりである。しかし私も最近、付き合いのあった大企業の2社に同様のモラル低下を感じさせられた。しかもそれぞれがその企業が属する分野での国内トップ企業である。一方は、特許に関するモラル問題、一方は契約違反そのものであった。私は、この2社は雪印食品等と殆ど変わらない企業体質を持っているのだと思っている。
  では何故大企業がこうなのか?10年前に、一部上場の企業を脱サラし、そして起業した私には、ある程度推察出来るところがある。
  冒頭の何れの大企業にも、数人規模で出発した起業期がある事は間違いない。ソニーも松下もセイコーエプソンだって数人からのスタートであった。そして、出発時点では、勿論事業が成功し利益を上げて規模を大きくしたいと言う願いはあったはずだが、それよりも世の中の役に立つ商品やサービスを提供したいという大いなる『志し』とも言うべき意気込みを持っていたのだと思う。そして、多くの意気込みを持った人材が集まり、人材に恵まれ、支えられ、うまく離陸した企業が一流企業へと変身して来たのだと思う。多くの一流企業は、昭和30年代初期から昭和63年までの所謂高度成長期に、より上を目指して『志し』と言うエネルギーで成長を遂げたのだと思う。しかし、高度成長期には、極論かも知れないが、品質とかモラルと言う大切なものを疎かにしても利益は自然と確保され成長を遂げる事が出来たのだと思う。そして当初の『志し』を忘れ去り、次第に利益のみの追求に走るようになってしまったのではないかと思う。そして、バブルが弾け、東南アジア諸国の低賃金の攻勢によって、志しも、品質も、モラルさえも忘れ去り、利益との格闘に突っ走ってしまったのである。
  その結果の象徴が今回の雪印食品の犯罪であるが、繰り返して言うが雪印食品は氷山の一角でしかない。多くの名のある企業は、程度の差こそあれ、日本の良き風習・伝統・モラルをかなぐり捨て、利益に走っているように見える。企業は利益を上げなければ、舞台から去らねばならないと言う事も間違いは無いが、利益さえ上げれば良いと言うものではないと言う事もまた間違いが無い、と私は思う。私は明日知れぬ零細企業の経営者であるが、喩え先に倒産が待っているにしても、人の道に外れた事は勿論であるが、納入先だけでは無く仕入先・内職に対して不愉快な想いをさせたり、またお客様を失望させるような事はしたくないと思って今日までやって来た積もりである。
  天網恢恢、疎にして漏らさず(『天網恢恢疎而不漏』)と言うが、悪い事をすれば必ず見付かるから悪い事をしないと言うのではなく、私はむしろ、積極的に人の役に立つ事を旗印としてやって来た積もりである。敵に塩を送る様な事までして来たように思う。経営信条の一番目に『感動を与え、感謝する心を仕事に現したい』を掲げている訳である。先月22日に設立10周年を迎えたが、その月末、止む無く従業員の過半数に退職して頂くと言う厳しい再出発であるが、大企業とは異なる経営信条をそのままに、世間に役立つ商品の開発に邁進したいと思っているところである。


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