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No.560  2006.1.9

正信偈の心を読む―第35講【依釈段(道綽章)―C】

●まえがき
道綽禅師は、仏道を聖道門と浄土門に分けられました。仏教では、お釈迦様が亡くなられた後、500年間を正法(しょうほう)の時代、その次の1000年間を像法(ぞうほう)の時代、それから1万年を末法(まっぽう)の時代、さらにそれから滅法(めっぽう)の時代になると言う考え方があります。今日勉強する句の中にある「像末法滅」と言うのは、そのことを云っています。

正法の時代は、お釈迦様の教えが生きており、仏道を正しく歩む人もおり、悟りを開く人もいると考えます。像法の時代は、教えは残っており、正しく仏道を歩む者もいるけれども、悟りを開く者はいない、像(すがた)だけは正法の時代と似ていると考えます。そして末法の時代は、お釈迦様の教えは残っているけれども、仏道を正しく歩む者もいないし、勿論悟りを開く者はいないと考えます。滅法の時代は、お釈迦様の教えも残っていない時代です。

しかし、末法の時代にしても滅法の時代にしても、阿弥陀仏のお慈悲によってのみ、私達は救われるのだと言うのがお釈迦様のお心であると、道綽禅師は読み取られたと言うことであります。

そして、救われるためには、悪を止め善を行うからと言うのではなく、私達凡夫を救い取らずにはおかないと言う阿弥陀仏の本願を心底信ずることによって始めて悟りの世界へ往けると説かれているのが本日の内容であります。

●依釈段(道綽章)原文
道綽決聖道難証(どうしゃくけっしょうどうなんしょう)
唯明浄土可通入(ゆいみょうじょうどかつうにゅう)
万善自力貶勤修(まんぜんじりきしごんしゅう)
円満徳号勧専称(えんまんとくごうかんせんしょう)
三不三信誨慇懃(さんぷさんしんかいおんごん)
像末法滅同悲引(ぞうまつほうめつどうひいん)
一生造悪値弘誓(いっしょうぞうあくちぐぜい)
至安養界証妙果(しあんようかいしょうみょうか)


●依釈段(道綽章)和訳
道綽は聖道(しょうどう)の証(さと)り難きことを決し
唯浄土の通入す可きことを明す
万善の自力勤修を貶(おと)しめ
円満の徳号専称を勧む
三不三信の誨(おしえ)慇懃(おんごん)にして
像末法滅同じく悲引したまふ
一生悪を造れども弘誓(ぐぜい)に値(あ)いぬれば
安養界(あんようかい)に至りて妙果(みょうか)を証(さと)る

●大原性実師の現代意訳(全文)
道綽禅師は、聖道門の教えでは、今時とうてい証りを得ることの難きことを明らかにして、ただ一つ、浄土門のみ救いの道であると教えられ、一切の善根も自力である限り修すべき価値なしと斥けて、ひとえに万徳円備の名号を称すべきことを勧められました。更に信心の純と不純に関して懇切丁寧な誡めを垂れて、念仏の教えは像法末法の時代はおろか、法滅の根機をもよく引導する旨を明かされて、たとえ一生涯罪悪を造っている者でも、本願のお救いに値いさえすれば、浄土に往生して、勝れた証果を得るとお説きになりました。

●暁烏敏師の解説
三不三信とは、信心の相で、淳心・一心・相続心が三信、そうではないのが三不信であります。この不信と三信のことを、三不三信と一つにして云っているのであります。勿論、この三不信・三信のことは、曇鸞大師の『浄土論註』に出ています。それを道綽禅師が受け継がれて、一層懇(ねんご)ろに、教えられたのであります。兎に角、信心が第一であると言うことです。本(もと)の信心をしっかり得たら、正しい日暮しが出来る。正しい日暮しが出来ないというのは、信心が決定出来ないから信心が不淳になり、一心もなく、相続もしない。

「一生造悪値弘誓」ということは、、悪さを直そうとか直らないとか思うことではない。私の善悪に心をかけずして、ただ一筋に本願他力を頼むのである。ただ一筋に助けねばならないという如来の本願を頼むのである。この凡夫このまま、どう眺めても罪の固まりであるが、それを気にしないで、このまま弘誓に値(あ)うのです。 仏の心が私の心に流れ込んで下さると、凡夫の濁りがなくなる。罪を消して本願に値って、そして証りを開くのではない。罪を持ちながら、悪を持ちながら、その悪も罪も苦にせずに、また、それでよいと言うのではない。悪いと言うのでもない、止めよと言うのでもない、止めなくてもよいと言うのでもない。ともかく、自分の機に善悪の心をかけない。悪いとあやまったり、善いと高ぶっていては駄目である。そういうことはそのまま、うち任せておいて、ひとえに弘誓に帰する。そうすると本願の力で、安養の浄土に往生して、無上涅槃の証りを貰うのである。本願に乗托したら、先の悪も罪もどこかへ行ってしまって、仏のみしか見えて来ない。「金剛の信心は彼らにも障へられず」で、本願の船に乗り込んで行く者には、何の妨げもない。とんとん拍子で、安養の浄土へ往くことが出来るのです。

●あとがき
しかし、「阿弥陀仏の本願をただただ信じよ」と云われましても、「はいそうですね」とは素直に信じられないというのが、現代に生きる知識階級の人々の普通の姿ではないでしょうか。それに対しましては、「信じられないのは、あなたに驕慢な心があるからだ」と言うことになりましょうが、科学的根拠も無い事を信じることは、科学教育を受け、宇宙の仕組みもある程度聞きかじった現代人には抵抗があると思われます。私自身も、阿弥陀仏とは何か?本願とは何か?浄土とは何か?いずれも所詮は人間が考え出した架空のものではないかと言う想いを完全には払拭出来ていないと言うのが正直なところであります。

親鸞聖人の生きておられた時代は、地球が丸い事も、地球が太陽の周りを廻っている事も分かっていませんでした。天気のメカニズムも、地震のメカニズムも分かっていませんでした。ミクロの世界、微粒子の事も分かっていませんでした。学問が一握りの上流社会のものであった時代の一般庶民と、殆どが裕福な現代日本の庶民では、浄土や往生の受け取り方が大きく異なるのはむしろ当然ではないかと思います。「ただただ信じよ、ただただ念仏を称えれば救われる」という事では、怪しげな新興宗教の教祖を信じるのと大差が無いではないかと言うことになりましょう。 ただ、私は、井上善右衛門先生をはじめとして、多くの学者であり仏法者であられた先生方を存じ上げておりますし、ましてや、経典の全てを読破された上で阿弥陀仏の本願を選び取られた、親鸞聖人と法然上人以前の七高僧の存在を思いますとき、信心が至り届いていないのは、私の心の問題だと思わずには居られません。

しかし、安易に信じるのではなく、疑いを恥とはせずに、疑いが晴れる時を待ちつつ勉強し続けたいと思っています。


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No.559  2006.1.5

信と願

正月三ヶ日も終わり、昨日が仕事始めの方も今日からが仕事始めという方も居られますでしょう。兎にも角にも、いよいよ本格的に2006年が始まりましたが、今年の目標を立てて、スタートを切られた方も多いと存じます。私も目標と言う程の具体的なものではありませんが、今日の表題の「信と願」ということを失念せずに、これからの人生を立てて行こうと思いました。

私は、この正月休みの間、最近少しご無沙汰していた禅門関係の本を読みました。故山田無文老師(元臨済宗妙心寺派管長、花園大学学長)の『むもん法話集』(春秋社版)と言う、昭和31年から38年の間に為された法話の中から聞き書きされ選択されものでありますが、法話というものは為された年代は関係なく、何時聞いても読んでも新鮮に感じるものであります。

その法話の中に「人間には三つの信が大事だ」と言う一節がありました。その三つの信とは、下記の通りでございます。

@天或いは神仏を信じて疑わないこと
A他人に信頼され得る人間になること
B自分の仕事に自信を持つこと
@の信は、大自然の摂理を信ずる、或いは、お釈迦様が発見された法を信じることだとおっしゃっておられます。Aの信は、お金も人も社会からの預かりものであるから、私欲のために使うのではなく、人類・社会の為に必要な時に出せるように大切に管理することが信頼される人間になることだと言われております。Bの信は、自分の仕事が「これこそ最も良い天職だ」という自信を持てるものであることだとおっしゃっています。

Bの信は、案外忘れられがちであります。今でも未だ小学生の低学年頃から、勉強・勉強と子供を追い立てる傾向にあり、その子にしかない素質に眼を向けようとしない教育が家庭でも学校でも続いているように思われます。勉強は勿論人生を生き抜いてゆく基本知識として大切でありますが、その子が一生、生甲斐を持ってやれる仕事が見付かるように、才能を見付けて上げ、見守って上げる眼を持つことも同じように大切であると思います。私は、昨春から小学生相手に塾を始めておりますが、算数問題の説き方を教える一方で、その子の優れた点を見付けてあげると言う視点で、一人一人に接して行きたいと考えています。努力することが苦にならない、むしろ努力することが楽しいと思える仕事が天職であろうと思いますし、仕事に自信を持てる必要且つ十分条件であろうと思いますので、孫にせよ、塾生にせよ、余裕を持った広い眼で見守ってあげたいと思っております。

しかし、飽くまでも、Bの信だけでは片肺飛行であります。昨年から話題になっているIT企業の若い社長さん達は確かにお金儲けの才能は秀でており、仕事に自信を持っているとは思いますが、@とAの信はどんなものでありましょうか。あの方達がBの信に加えて@とAの信を身に付けられたら、日本の将来は誠に明るいものであると思うのであります。この事は、これから政治家になる方々にも是非心に留めて頂きたいと思います。

さて、信が確立いたしますと、自ずから「願い」が生ずるものと思います。人間としての生命を受けた限りは、これだけは成し遂げたいと言う願いであります。

私には未だ三つの信は確立しておりませんが、おぼろげながら、二つの願いがあります。
一つは、畏れ多いことではありますが、これまで白井成允先生と井上善右衛門先生からお教え頂いたこと等を纏め上げまして、いずれは歎異抄の現代版を作成し、親鸞聖人の教えを現代に伝え直したいという願い、もう一つは、その教えをバックボーンとして、地域の教育事業に何らかの貢献をしたいと言う願いであります。信が確実になればなるほど、この願いも明確になっていくに違いありません。今年から、この「信と願」と言う言葉を失念せずに、生きて行きたいと思っている次第であります。


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No.558  2006.1.1

正信偈の心を読む―第34講【依釈段(道綽章)―B】

皆様、明けまして、おめでとうございます。
本年は、仏法を一般の方々に更に親しみを持って頂けるように、私自身色々勉強して参りたいと考えております。どうか宜しくお願い申し上げます。

● まえがき
前の二句で、道綽禅師が聖道門では悟りに至ることは難しく、浄土門によって始めて悟りに至り得ることを明らかにされたと親鸞聖人は述べられました。そして、今回の二句では、念仏を称えても、それが善根を積むという意識では自力の念仏であって、これまた、聖道門の念仏であるとして、善悪を超えた、善悪に拘らない角の無い円満な念仏を称えることを専ら勧められたと言うことであります。

これは言うは易く行うは難しであります。従いまして、私は、未だ念仏を称えるには至っていません。勿論、仏前で形だけの念仏を称える事はありますが、心と形が一体化致しません。浄土真宗の門徒、或いは指導的立場にある方の中で、兎に角念仏を称えることを大切にされる方がいらっしゃいますが、私は非常に抵抗を感じて来ました。しかし、無理に念仏を称える必要は無いと、この道綽章で、親鸞聖人ご自身が明らかにされていると思い、ほっとした次第であります。

勿論、念仏に抵抗を感じることも、一種の拘りではありますが、無理に念仏を称えるべきではありませんし、ましてや、他人に念仏を強いるのは如何なものかと思います。時節が到来すれば、自然と心の底から念仏が口をついて出てくるのではないでしょうか。私は、そう期待しておりますが・・・・・・。

● 依釈段(道綽章)原文
道綽決聖道難証(どうしゃくけっしょうどうなんしょう)
唯明浄土可通入(ゆいみょうじょうどかつうにゅう)
万善自力貶勤修(まんぜんじりきしごんしゅう)
円満徳号勧専称(えんまんとくごうかんせんしょう)
三不三信誨慇懃(さんぷさんしんかいおんごん)
像末法滅同悲引(ぞうまつほうめつどうひいん)
一生造悪値弘誓(いっしょうぞうあくちぐぜい)
至安養界証妙果(しあんようかいしょうみょうか)

● 依釈段(道綽章)和訳
道綽は聖道(しょうどう)の証(さと)り難きことを決し
唯浄土の通入す可きことを明す
万善の自力勤修を貶(おと)しめ
円満の徳号専称を勧む
三不三信の誨(おしえ)慇懃(おんごん)にして
像末法滅同じく悲引したまふ
一生悪を造れども弘誓(ぐぜい)に値(あ)いぬれば
安養界(あんようかい)に至りて妙果(みょうか)を証(さと)る

● 大原性実師の現代意訳(全文)
道綽禅師は、聖道門の教えでは、今時とうてい証りを得ることの難きことを明らかにして、ただ一つ、浄土門のみ救いの道であると教えられ、一切の善根も自力である限り修すべき価値なしと斥けて、ひとえに万徳円備の名号を称すべきことを勧められました。更に信心の純と不純に関して懇切丁寧な誡めを垂れて、念仏の教えは像法末法の時代はおろか、法滅の根機をもよく引導する旨を明かされて、たとえ一生涯罪悪を造っている者でも、本願のお救いに値いさえすれば、浄土に往生して、勝れた証果を得るとお説きになりました。

●暁烏敏師の解説
万善の自力勤修を貶(おと)しめ

万善を施す、病気の介抱をする、酒を飲まない、或いは嘘をつかない、など色々と云われていることを自分の力でやっていく。それはちょっと善いことをされている。「諸悪莫作衆善奉行」諸々の悪を為すことなかれ、衆(もろもろ)の善を奉行せよ、ということで、自らその身に行うのである。ところが、道綽禅師は、万善の自力勤修を貶(おと)しめられた。勤修を貶(おと)しめるとは、止めるということです。明治35年頃、私は一生懸命称名念仏していた。ところが清沢先生は、それは止めたがよかろうとおっしゃった。道綽禅師も、万善の自力勤修を貶(おと)しめられた。そんなちっぽけなことを勤めることを止めよ、とおっしゃった。そして何を勧められたか。
円満の徳号専称を勧む 念仏を専ら称えることを勧められた。清沢先生はそれを称えることを止めよとおっしゃった。称えることを善いことと思うようになるから、私の先生は止めよとおっしゃった。念仏を称えることを善いことと思うて称えれば、それは万善の修行の一つである。悪いことをすれば悪いが、善いことを善いと思ってやれば、やはり悪いことである。だから少々善いことをし、善根功徳を積んだ人は驕慢だ。そういう人には打融けた友達がない。自分一人善いと思っている。そこに生活の無理がある。

そういう自分で善いと決めたことは、決めた調子が高い。そういうようなことは要らぬ行である。標準を立てる、その心をいかんというのである。それで自分を括(くく)り、他を括っているのである。そこに信心の難しいところがある。我々は何かをしようと思う時に、これを運んでゆくときは標準をきめなければならないとよく言う。そして、その決めた標準に括られて、真実を忘れようとする。決めると括られる。括られても決めねばならないものはきめなければならない。そこに中道実相の本当の道がある。どちらへも拘泥しないのである。一切衆生、智者も愚者も、男子も女人も来いよと言う、大きな心の現われが南無阿弥陀仏である。

その念仏を称えよとおっしゃるのである。それでは南無阿弥陀仏を称えらればよいのか、それではまた円満でなくなる。やはり善根である。仏の名号を己れの善根にすることになるのである。それが自力である。ここに道綽禅師が、円満徳号の専称を勧められるのである。

欠け目のない、角のない、円い徳を具えさせられた仏の御名、それが称えられれば、我々の世界は角のない円満な世界となる。そこには善悪に分けられないものがあるのだ。そこに善悪を超えた微妙なものがある。形の上に善があり、善の底に悪がある。切るに切れないものがある。それを人間の小さな計らいで、善と決めたり、悪と決めたり、堅苦しいことにしてしまう。そして自らも傷付き、他をも損なう。そうした善悪の二つを捨てて、円満な仏の名を称えよ。ということを勧められるのである。

● あとがき
昔、南禅寺の故柴山全慶管長がご法話の中で、京都の街中に、禅の法話と浄土門の法話の案内看板を並べて立てたら、100人の中80人は禅の方に行き、20人が浄土門の法話に行くのではないかと言われました。私は、未だ遠慮をされてのご発言だったと思ったものであります。ひいき目に考えても、95人:5人ではないかと私は思ったものでした。柴山老師は、何も禅が優れて念仏が駄目だと言う事をおっしゃりたいのではなく、念仏の教えに関して、現代人への説き方に問題があると言うことをおっしゃりたかったようであります。「妙好人」と言う講題の法話の中でのご発言であり、同じ法話の中で、「禅のお悟りも、浄土真宗の信心も至るところは同じではないか」とおっしゃっていたからであります。

今でも、浄土真宗の一部の指導者は、「お念仏を称えなさい、お念仏を称えれば救われます、浄土に往生出来ます」と説いているのではないかと思います。これでは、戦後の科学的教育を受けた知的階級の人々は、「まじないなんかで救われるなんて事はありえない」と、程度の低い宗教と誤解するのではないかと思います。この正月にも全国の神社に多くの人々がお参りし、商売繁盛と家内安全を神様に祈るものと思われますが、神様に祈る事で、本当に願いが叶うとは思っていないのではないかと思いますが、科学的教育を受けた人々も、人間を超えた大きな力の働きがあると言うことをおぼろげながらも感じているのではないかと推察しております。

私は、この正信偈を勉強して参りまして、親鸞聖人は、決して単純に「南無阿弥陀仏を称えれば、救われる」と言うような事をおっしゃってはいないと思います。親鸞聖人の信心への想いを、お気持ちを、現代の人々にも正しく伝える責任が、私達、親鸞聖人の教えに縁を頂いた者にあると思います。そう言う想いから720年前に親鸞聖人の直弟子である唯円房によって著述されたのが、『歎異抄』であると思います。

親鸞聖人がお亡くなりになって750年、戦後教育を受けた私達も、唯円房と同じ役割を果たさねばならないのではないかと思っております。その為には、円満徳号の念仏が自然に口に出るように、聞法を重ねなければならないと思います。


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No.557  2005.12.29

キュアサルコーマ

表題の「キュアサルコーマ」と言う言葉を皆さんは初めて聞かれたに違いありません。英語に直しますと、Cure Sarcomaとなり 、Cure(治癒・治す)Sarcoma(肉腫)です。実は私もつい最近知ったところです。岡山に住む娘の知人の幼馴染が平滑筋肉腫(へいかつきんにくしゅ)という癌の一種を発症し、画期的な治療の研究開発(標的遺伝子療法と言います)支援へ募金をしたと言うことが娘のブログに書いてあり、始めて知った次第であります。

私も直ぐに募金をしようと思い、キュアサルコーマのホームページをチェックしましたが、グループ名、代表者、住所、電話番号の記載が無く、また、募金に関する説明が不充分でもあり、最近募金に事寄せて、違法にお金を集める輩(やから)もおりますので、疑問を娘のブログ上にぶつけました。その結果なのか、或いは私の見方が変わった所為か、ホームページ(http://www.curesarcoma.jp/)の内容が分かり易くなったように感じました。代表者、住所、電話番号が公にされていないのは、このグループが患者さんご自身が主体となって運営されており、電話応対等に機敏な対応が出来ないと言う事情がある事も分かり、完全納得した次第であります。そして、早速、募金(二口、2000円)に応じました。そして、募金に対する返礼として、今流行のリストバンド2種類が送られて参りました。

癌の一種に平滑筋肉腫やGIST(ジスト)消化管ストローマ腫瘍と言って、現在治療法すら見付けられていない肉腫があるそうですが、「標的遺伝子療法」と言う、画期的な療法の開発に向けて研究を続けている医療チーム(大阪府立成人病センター研究所)があるそうです。その研究を支援する為に、患者さんとそのご家族数名が、署名や募金(現時点では5000万円が目標)を集める私的グループを立ち上げられました。そして希望を込めて「キュアサルコーマ」という名前にされたと言うことであります。

平滑筋肉腫は、人間の体のあらゆるところに存在する平滑筋が肉腫細胞に侵され、転移し、肉腫細胞が散在・点在する為に切除手術が出来ないと言うところが非常に厄介であり、肉腫細胞だけを狙い撃ちして死滅させる遺伝子操作したウイルスを注入する「標的遺伝子療法」と言われる方法が現在のところでは唯一の治療法だと言うことであります。

しかし、この平滑筋肉腫は10万人に一人位にしか発症しない病気だそうであり、従いまして、世界的にも研究者が少なく治療法開発に対する公的支援も無く、患者さんとそのご家族に取りましては、上記の医療チームの「標的遺伝子療法」が唯一の希望の光です。臨床試験等に費用も年数も相当掛かるそうですが、ささやかながらも募金をして差し上げて、心身共に現に苦しんでおられる患者さんとそのご家族を励ますことになればと思います。

私達も様々な病気に罹ることがございますが、考えてみますと、過去多くの医療研究者達の恩恵と患者さんの犠牲があって確立した治療によりまして死に至らずに″マんでいるに違いありません。唯恩恵を受けるだけではなく、子孫の為にも、我が為にも、医療の進歩にたとえささやかでありましても貢献したいものであります。無相庵ホームページ読者の皆様にも、コラムの場を借りまして募金(一口1000円)への参加をお願いしたいと思います。
→こちらからリストバンド募金のページへ直接リンクしています。
詳しくは、「キュアサルコーマ」ホームページ(http://www.curesarcoma.jp/)をご覧頂きたく、お願い申し上げます。

今回の木曜コラムが今年最後のコラムとなりました。多くの読者様のお励ましによりまして、今年も無相庵ホームページを続けることが出来ました。有難うございました。来年も引き続き、事情が許す限りは続けさせて頂きますので、宜しくお願い申し上げます。
皆様、よいお年を!


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No.556  2005.12.26

正信偈の心を読む―第33講【依釈段(道綽章)―A】

道綽禅師は、仏教を聖道門と浄土門に分けられましたが、前回申しましたように、聖道門を通らないと浄土門を潜(くぐ)ることは出来ないと暁烏敏師がおっしゃっています。この仰せは仏道を歩む者に取りまして、大変重要なサジェッションでは無いかと思います。

禅宗の方々は、ご自分の仏道を自力聖道門とは申されません。勿論他力浄土門であるとは言われはしません。しかし、私が直接ご指導を頂いた妙心寺管長を勤められた山田無文老師も、南禅寺管長であられた柴山全慶老師も、親鸞聖人の教えを能く引用され、また、妙好人の心境は、禅のお悟りそのものであるとも言われておりました。お二方は臨済宗のお坊様でありますが、もう一つの禅門の曹洞宗に至りましては、開祖の道元禅師は、「自己を運びて証するを迷いとし、万法に証せられるを悟りとなす」と言われていますように、これは他力の教えそのものだと思いますし、曹洞宗の良寛様も、晩年は、「南無阿弥陀仏」を称えておられます。また、私が尊敬している西川玄苔老師も、曹洞宗のお坊様でありますが、親鸞聖人の教えで信心を得られて、南無阿弥陀仏を大切にされていますし、青山俊董尼の教えも、本願他力の教えと異なるところはありません。

龍樹菩薩も天親菩薩も曇鸞大師も道綽禅師も聖道門から浄土門に入られているとの事であります。勿論、法然上人も、親鸞聖人も天台宗の比叡山で聖道門のご修行をされた上で、浄土門に道を求められ、信心を得られたのであります。これは私達にはとても大切な事実ではないかと思います。

●依釈段(道綽章)原文
道綽決聖道難証(どうしゃくけっしょうどうなんしょう)
唯明浄土可通入(ゆいみょうじょうどかつうにゅう)

万善自力貶勤修(まんぜんじりきしごんしゅう)
円満徳号勧専称(えんまんとくごうかんせんしょう)
三不三信誨慇懃(さんぷさんしんかいおんごん)
像末法滅同悲引(ぞうまつほうめつどうひいん)
一生造悪値弘誓(いっしょうぞうあくちぐぜい)
至安養界証妙果(しあんようかいしょうみょうか)

●依釈段(道綽章)和訳
道綽は聖道(しょうどう)の証(さと)り難きことを決し
唯浄土の通入す可きことを明す
万善の自力勤修を貶(おと)しめ
円満の徳号専称を勧む
三不三信の誨(おしえ)慇懃(おんごん)にして
像末法滅同じく悲引したまふ
一生悪を造れども弘誓(ぐぜい)に値(あ)いぬれば
安養界(あんようかい)に至りて妙果(みょうか)を証(さと)る

●大原性実師の現代意訳(全文)
道綽禅師は、聖道門の教えでは、今時とうてい証りを得ることの難きことを明らかにして、ただ一つ、浄土門のみ救いの道であると教えられ、
一切の善根も自力である限り修すべき価値なしと斥けて、ひとえに万徳円備の名号を称すべきことを勧められました。更に信心の純と不純に関して懇切丁寧な誡めを垂れて、念仏の教えは像法末法の時代はおろか、法滅の根機をもよく引導する旨を明かされて、たとえ一生涯罪悪を造っている者でも、本願のお救いに値いさえすれば、浄土に往生して、勝れた証果を得るとお説きになりました。

●暁烏敏師の解説
道綽禅師は、一代仏教を聖道門と浄土門に分けられて、聖道門の修行では証(さと)り難い。ただ浄土の一門のみが通入すべき道であるということを明らかにされた。なぜ聖道門は証り難いのか。聖道門の証り難いのは無理があるからだ。又、聖道門の修行には自分の我がはいっている。今までの日暮しが罪悪の日暮しであるならば、聖道門の修行は罪悪に対しての善根である。悪に対する善である。だからそこに無理がある。世の中の真実相は、善でもなければ、悪でもない。善、悪、そういうことには分けられないのです。分けることが出来ないほどに些細(ささい)な世界、微妙な世界である。それを凡夫が小さい理智・論理を交えて、自分で決めた勝手な道理に基づいてする生活が、所謂罪悪というものである。罪悪ということは、自然の大道に叛き、大道を汚す生活である。

恵空禅師という方は、往生のために毒になるものは二つある。一つは苦い毒、一つは甘い毒である。苦い毒とは罪悪、甘い毒とは善根である。苦い毒に妨げられるということは少ないけれど、甘い毒に妨げられて報土往生の遂げられない者が多いとおっしゃいました。盗み、人殺し、そういことは悪いことである。が、それは直ぐにわかる。ところが、人に金を施す、病人の介抱をするというように所謂善いことのくくられからはとれ難いものである。悪いということは反省することは出来るが、善いということは捨てることが出来ない。聖道門は善ということに執着する、だから証り難いのである。

唯、信心の道一つが開いている。唯浄土へ帰入する一つの道が開いている。その道ひとつである。浄土門と聖道門と二つの道があるが、そのどっちでもよいというのではありません。この道一つしか救われる道はないのであります。それは大きな自然の道で、明るいのであります。その中に抱かれ、その中に育まれるというのであります。それは、善と決めるのでもない、悪ときめるのでもない。善悪二つを離れたみぢであります。

凡夫の理屈で決めるという世界を離れて、本願他力の心のままに打ち負かせるのです。我々が信心に入るのは、右へ行こうか、左へ行こうか、どっちでも行けるからこの道を選ぼうというものではありません。どっちでもというような道はないのであります。左にも右にも行くべき道がない。善導大師が、二河白道のお譬えの中で、「行くも死せん、退くも死せん、留まるも亦死せん」と言われましたように、窮処に陥った者に一つの道が開かれる。それが浄土門であります。「我が賢くて信ずるには非ず」です。選び出されて必然に行くのであります。大慈悲によって引かれて行くのです。浄土の一門に悲引せられるただ一つの道であります。

●あとがき
お釈迦様は、29歳で出家されるまでにも、当時のインドにあったすべての哲学を学ばれたようであります。そして、深山に篭られた6年の苦行の末に、その苦行の無意味なる事に気付かれて、ブッダガヤと言うところの菩提樹の下で瞑想に入られて、暁の明星を見られた時に忽然と悟りを開かれたと言われています。

私達は、到底お釈迦様と同じような苦行をすることは出来ませんが、やはり初めから他力本願ということではなく、また「南無阿弥陀仏」を称えさえすれば信心が得られると言うことではなく、それなりに自力。努力があった上での、他力本願だと思います。自力・努力は、数年、数十年の聴聞であるかも知れません、座禅でもいいと思います。また、仏教書を広く、深く勉強することでもよいかも知れません。

いずれにしましても、仏道は自力から他力へと言う道筋が私を信心に導いてくれるのではないか、この正信偈の勉強をして、感じていることであります。


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No.555  2005.12.22

4年振りの忘年会

私が経営する株式会社プリンス技研の最後の忘年会は2001年12月28日でした。その忘年会の前日のコラム(139番)の最後に「明日は皆との最後の忘年会である。」と書き記しております。そして2002年の年明けて、従業員の第一陣(16名)に退職して貰ったのが1月末、第2陣(4名)は4月末でした。それから昨日まで、私は一度も一人にも元従業員とは会っていませんでした。会社の再興見通しが多少でも立ったならば、いずれは報告と当時のお詫びを兼ねて再会忘年会をしたいと考えておりましたが、遂に願いが叶わないまま4年が過ぎてしまった訳です。

ところが、先週の土曜日の夜遅くに、元女性社員の一人から電話があり、「明日の午前11時から13名程度の女性従業員が集まって忘年会をしますが社長も来て頂けませんか?来て頂ければ皆喜ぶと思います」と言うことでありました。予期しなかった事でもあり、また、私としては多少会社の見通しが立って会社としてそれなりの経費負担が出来るようになってからと言う想いがありましたので即答を避けました。

娘や妻にも意見を聞きましたところ、「そんなん、なかなか呼んで貰われへんよ、何を迷ってるん?行くべしやと思う」と言う反応でありました。元従業員が4年も経つのに半数以上が忘年会に集まる事自体が珍しいですし、会社の都合で解雇された元従業員がその首切り社長に忘年会への参加を呼び掛けてくれるなんて事は、娘や妻が言うように、世間では有り得ない事だと思いました。そして皆の顔を見て、会社再興の元気を貰おうと、翌朝「皆の顔も見たいし参加させて貰います」と連絡しました。「みんな喜ぶと思います!」という昨日と同様の心温かい応対をしてくれました。

約4年振りに顔合わせた面々は明るい楽しそうな懐かしさが溢れた笑顔で迎えてくれました。嬉しかったです。集まった皆はフルネームで覚えている面々ばかりでした。そして外観容姿も物腰もすべて4年前と少しも変わっていませんでした。「社長も全然変わってへんわ」と言うお世辞も嬉しいものでした。それぞれ新しい職場で働いている人、専業主婦に戻った人と大きな変化をしているはずですが、わいわい、がやがやと、昔とちっとも変わらず、好き勝手な冗談を言い合い、笑い声が絶えない楽しい忘年会でした。途中からカラオケ大会になり、昔何回か行った慰安旅行や忘年会で聞き覚えのあるそれぞれの18番を聞き、懐かしくも、時の流れと言うものも感じた次第です。私は午後2時に来客予定があり途中で退席しましたが、延々とカラオケ大会が続いたものと思います。

私は事業を継続出来ずに従業員を全員解雇すると言う事態を招きましたので、完全に社長失格でありますが、こうやって4年経っても元従業員が集まって忘年会をする程、会社の雰囲気は良かったという事ですし、首切り社長を忘年会に呼んでくれると言う事は、親しみを持ってくれていたと言う事であり、人間性重視の運営をしていた証(あかし)であると、皆に励まして貰ったと思っております。

忘年会の席上、「いずれは皆を連れて慰安旅行に行けるように頑張る」と宣言しましたが、かなりハードルは高いですが、それを励みとして、更に頑張って参りたいと思います。


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No.554  2005.12.19

●正信偈の心を読む―第32講【依釈段(道綽章)―@】

今回から七高僧の4番目、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)に関する章を学びます。曇鸞大師(476〜542年)、道綽禅師(562〜654年)、善導大師(613〜681年)はいずれも支那(しな、現在の中国)に生まれられたお坊さんです。道綽禅師はお釈迦様が亡くなられてから1511年目に曇鸞大師と同じ州にお生まれになられたお方です。道綽禅師は曇鸞大師の教えを直接善導大師に引き継がれました。

法然上人が浄土門に帰依されたのは、「ひとえに善導大師に依る」と言われますから、善導大師が生まれられなければ、親鸞聖人も浄土真宗も日本には生まれなかったし、私達も他力本願の教えには出逢えませんでした。ということは、道綽禅師が果たされた役割は日本仏教には極めて大きなものであったと言えます。

道綽禅師は14歳で出家されたのですが、曇鸞大師と同様永らくは浄土門ではなく、涅槃宗と言う宗派の学僧として『涅槃経』に精通され、涅槃宗の第一人者であったようです。『涅槃経』は『法華経』と同じような精神を記されたお経で、仏様の広い広いお心を述べたものです。仏様のお徳は悪人凡夫のみならず、禽獣虫魚草木国土に至るまで救おうとされる大きな心を説いているお経で、あります。肉体を超えた涅槃の境地、その大きな心の世界のことを、細かく説いているのが『涅槃経』であります。

しかし、曇鸞大師が仙経を焼き捨てたと同様、道綽禅師は、たまたま曇鸞大師がお建てになられ住まわれた玄忠寺と言うお寺にお参りになられた時、曇鸞大師が仙経を焼き捨てて阿弥陀仏の道に入られたと言う碑文を見られて、深い感激を得られたと言うことであります。道綽禅師は、当時高僧として名高かった慧?禅師(えさんぜんじ)の下で、一切皆空の教えを聞き、いろいろ修行をなさっておられましたが、どうしても心の安心を得ることが出来なかった。「曇鸞大師のような高徳な方でさえ、自分の力や、自分の思いや、自分の修行では、とても仏になれないということに気がついて、念仏の一道に入られた。それを思えば、自分のような者が、いくら学問しても、いくら修行しても、なかなか悟りを開くことは出来ない。どうしても仏の力を仰がなければならない」と感ぜられ、すっかり元の宗旨を捨てて、『観無量寿経』の研究者になられたと言うことであります。

道綽禅師は後に『安楽集』という上下2巻の著述を残されていますが、道綽禅師の教理上の功績は、仏教を聖道門と浄土門の二門に分けられたことです。龍樹菩薩は、仏教を難行道と易行道に分けられ、曇鸞大師は、難行道を自力の道とし、易行道は他力の道であるとされました。それを受けて、難行自力の道は聖道門、易行他力の道を浄土門とされたのが、道綽禅師であります。

今回は、導入編とさせていただき、次回から内容の勉強に入りたいと思います。

●依釈段(道綽章)原文
道綽決聖道難証(どうしゃくけっしょうどうなんしょう)
唯明浄土可通入(ゆいみょうじょうどかつうにゅう)
万善自力貶勤修(まんぜんじりきしごんしゅう)
円満徳号勧専称(えんまんとくごうかんせんしょう
三不三信誨慇懃(さんぷさんしんかいおんごん)
像末法滅同悲引(ぞうまつほうめつどうひいん)
一生造悪値弘誓(いっしょうぞうあくちぐぜい)
至安養界証妙果(しあんようかいしょうみょうか)

●依釈段(道綽章)和訳
道綽は聖道(しょうどう)の証(さと)り難きことを決し
唯浄土の通入す可きことを明す
万善の自力勤修を貶(おと)しめ
円満の徳号専称を勧む
三不三信の誨(おしえ)慇懃(おんごん)にして
像末法滅同じく悲引したまふ
一生悪を造れども弘誓(ぐぜい)に値(あ)いぬれば
安養界(あんようかい)に至りて妙果(みょうか)を証(さと)る

●大原性実師の現代意訳(全文)

道綽禅師は、聖道門の教えでは、今時とうてい証りを得ることの難きことを明らかにして、ただ一つ、浄土門のみ救いの道であると教えられ、一切の善根も自力である限り修すべき価値なしと斥けて、ひとえに万徳円備の名号を称すべきことを勧められました。更に信心の純と不純に関して懇切丁寧な誡めを垂れて、念仏の教えは像法末法の時代はおろか、法滅の根機をもよく引導する旨を明かされて、たとえ一生涯罪悪を造っている者でも、本願のお救いに値いさえすれば、浄土に往生して、勝れた証果を得るとお説きになりました。

●あとがき
道綽禅師が仏道を聖道門と浄土門に分けられましたが、暁烏敏師は、この二つの門は、横に並んでいるのではなく、竪(たて)に時間的に並んでいると、次のように言われていますが、私も全くその通りだと思います。『聖道門と浄土門とは、横に並んでいるものではない。竪に時間的にあることで、聖道門を過ぎなければ浄土門へは行けない。聖道門は自力の門です。が、ここを過ぎなければ浄土門には行けないのです。だから自力の勤めをやってもよいのです。やっている者も浄土門へ行くのである。よく究めたらそこではじめて大きな道に出るのです。だから、初めから自力・他力と言っている者には直ぐには分からない。腹の減った者が、ふくれた者の真似をしても駄目である。』

考えて見ますと、龍樹菩薩も、天親菩薩も、曇鸞大師も、道綽禅師も、法然上人も、親鸞聖人も、皆、聖道門から易行浄土門に転向されています。また、聖道門と言われる禅宗で究められた高僧方も、南無阿弥陀仏を称えはされなくとも、自分を超えた大きな力に生かされている自己を自覚されているのでありますから、やはり、他力によって救われていると言えると思います。禅宗の方々は、自力とも他力とも言われませんが、生かされて生きていると言う境地は、まさしく他力本願そのものだと思います。別に私は浄土真宗門徒でもありませんが、それが仏教信仰の真実だと思います。


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No.553  2005.12.15

妙好人(みょうこうにん)

浄土宗信者の中で、学問的には浅いレベルの人ながらも信心を得た(禅宗で言えば、悟りを開いたと言うこと)人を妙好人と言います。数十年の聴聞を重ねた結果、心境的には親鸞聖人と同じ境地に達しられた方々であります。禅宗その他の宗派ではそのような方が存在したことを聞いたことがありませんので、浄土真宗特有の存在だと言うよりも、浄土真宗だからこそ、妙好人と言われる人々が生まれたと言うべきでありましょう。

有名な妙好人として、浅原才市(あさはらさいち)翁と言う方がおられまして、禅の大家と言われる鈴木大拙師が、『妙好人』と言う著書の中で讃嘆されながら紹介されています。鈴木大拙師は、その著書の冒頭、次の様に、妙好人について説明されています。

浄土宗信者の中に「妙好人」の名で知られている一類の人達がある。ことに真宗信者の中にそれがある。妙好というは、もと蓮華の美わしさを歎称しての言葉であるが、それを人間に移して、その信仰の美わしさに喩えたのである。仏教では、インド伝来の故に、芬陀利華(フンダリーカ、白蓮華)がその文学によく引用せられ、色々の意味に使われる。『妙法蓮華経』などは誰の口にも膾炙(かいせき)せられている。
妙好人と言われる人達の最も大なる特徴の一つは、彼らの比較的文字に乏しいことである。法然上人は、信仰は「一文不知の尼入道」にならぬと得られないというようなことを強調する。それから「白木の念仏」ということもある。何でも心に蟠(わだかま)りがあると、信仰の入る余地がないのである。これはどの宗教でも同じことで、心に私念があったり、抽象的概念で充たされていたりすると、「他力」は、素通りをする。受入れ体系が十分整っていないからだと言われる。真宗では、しかし、もっと大胆な表現を用いる。「他力」は、八万四千の煩悩をそのままにして、そこに突入して来るというのである。これはまた大乗仏教に通ずる体験だといってよいが、とにかく、学問とか智慧才覚などというがらくた≠ェあると、それは信仰に進むものの障礙となることは確かである。妙好人にはそれがないというので、入信の好条件を具えているわけである。
妙好人の特徴は、心に浮かんだ悦びを歌にしていることであります。殆どひらがなで書かれていますが、深い境地の心がそのまま出ています。
たとえば、
なむあみだぶつと、みださまわ
ひとつもので、ふたつがないよ。
なむあみだぶが、わたくしで
みださまが、をやさまで、
これがひとつのなむあみだふつ。
ごをんうれしや、なむあみだぶつ。
これは浅原才市翁が書き残した沢山の歌の中の一つですが、阿弥陀様ともお念仏とも一体になっている才市翁になっています。誰にでも詠える歌ではありません。

なまじ学校教育を受けた者は、私も含めまして、色々な仏教書を読んだり、経典を読んだりして何とか信心を得たい、天地万物と一体になりたい、一如平等の心境になりたいと励みますが、励めば励む程に、仏から(悟りから)遠くなるような気がすることがあります。
妙好人から学ぶべきことは、耳から仏法を仕入れるという事かも知れません。耳から入る知識は、知識のフィルターを通らずに直接的に心に入り込むのかも知れません。妙好人の人々は、文字は読めませんから、お寺で法話を理解しながら聞くのではなく、シャワーを浴びるような感じで聞き流しているのだと思います。私の場合は法話を聴いていても、耳から入った言葉を一旦文字・漢字に変換して、自分の持っている知識というフィルターを通して納得したり、分からなかったりしているような気が致します。

学問を身に付けた者と妙好人の違いについて、鈴木大拙師は、また次のように述べられている。

妙好人というのは、大体「学問」のない人々で、信仰に厚いのをいうのであるから、彼らの表白はいずれも自らの心の中に動くものが主となる。「学問」のあるといわれる人々の場合では、その学問の故に、自らを偽ることを知っている。それは何故かというに、その学問のお陰で、他人の事でもわがことのように言いなすすべ≠覚えているのである。彼らの論議なるものは、それ故に、自ずから抽象的になる。自分の体験から割り出すことの代わりに、何か抽象的・一般的原理とかいうものを持ち出すのである。それが誠に結構でもあり、また甚だ然らずでもある。抽象的であるから、あてはまる点は広いが、徹底を欠くのが常である。従ってそれを聞くものの胸の奥に突き通るということはない。知性が主となっているところでは、もとより然るべきである。

才市翁の如き妙好人の言説に特に力あるものを感ずるのは何故かというに、自己の内面生活がそのままに描き出されるからである。蓮如上人の『御文』さまにしたところが、他を教えんとするのであるから、どうしてもその所説にはよそ行きの心持が出る。何だか自分をつくろわんとするようなものが見える。そうして、それまでに到った心的経過及び自らの当時の心持そのままが、裏に隠れてしまう。なおその上に、以前から伝来の抽象的文字を使うことに慣れているので、それに附帯する空疎な感じをも伝えんとする。ここに「学問」あるものが何かというと生活そのものから離れんとする傾向を示すのである。霊性的自覚の生活に「学問」や智慧才覚が喜ばれないのは、実にそのためである。学問、もとより斥くべきではないが、それに囚えられてはならぬ。これは今更いうまでもないことである。禅者の言葉に「教壊(きょうえ)」というのがある。これは、教育で却って人間が損なわれるの義である。物知り顔になって、その実、内面の空虚なものの多く出るのは、誠に教育の弊害であるといわなくてはならぬ。
妙好人の歌には、難しい仏教語は殆ど出て来ません。妙好人の方々が聴いたお寺の住職さんの法話には多分、多くの仏教語があったに違いありませんが、そういう要らざる知識は淘汰され、何時しか心の眼が開いたのではないかと思います。

浄土真宗では、「仏法は聴聞に極まる」と言うことを申しますが、そういう意味なのかな?と、鈴木大拙師の著書「妙好人」を読みながら考えた次第であります。


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No.552  2005.12.12

正信偈の心を読む―第31講【依釈段(曇鸞章)―D】

●まえがき
曇鸞大師の章は、今回を最終と致します。
親鸞聖人にとって七高僧すべて、重要な存在であったと思いますが、誓願、他力、唯信心、往相廻向、還相廻向と言う言葉が並ぶ「曇鸞章」を知りまして、私は、親鸞聖人が他力本願の教えに確信を抱かれた拠り所は、曇鸞大師にあるのではないかと思うのであります。

そして、親鸞聖人の直接のお師匠さんは法然上人でありますが、その法然上人が師と慕われた善導大師にこの曇鸞大師の教えを忠実に伝えられたのが次文章で勉強する道綽大師であります。

今回勉強する箇所は、親鸞聖人が拠り所とされたであろう他力本願の教えの源でありますので、一句一句に関しまして暁烏敏師の解説文を転載させて頂きました。少し長い内容でありますが、是非ともお読み頂きたいと思います。

●依釈段(曇鸞章)原文
本師曇鸞梁天子(ほんしどんらんりょうてんし)
常向鸞処菩薩礼(じょうこうらんしょぼさつらい)
三蔵流支授浄教(さんぞうるしじゅじょうきょう)
梵焼仙経帰楽那(ぼんしょうせんきょうきらくほう)
天親菩薩論註解(てんじんぼさつろんちゅうげ)
報土因果顕誓願(ほうどいんがけんせいがん)
往還廻向由他力(おうげんえこうゆたりき)
正定之因唯信心(しょうじょうしいんゆいしんじん)
惑染凡夫信心発(わくぜんぼんぶしんじんほつ)
証知生死即涅槃(しょうちしょうじそくねはん)
必至無量光明土(ひっしむりょうこうみょうど)
諸有衆生皆普化(しょうしゅじょうかいふけ)

●依釈段(曇鸞章)和訳
本師曇鸞は梁の天子
常に鸞の処に向ひて菩薩と礼したまえり
三蔵流支浄教を授けしかば
仙経を梵焼して楽那に帰したまひき
天親菩薩の論を註解して
報土の因果は誓願なりと顕はしたまふ
往還の廻向は他力に由る
正定の因は唯信心なり
惑染の凡夫信心発(おこ)れば
生死即ち涅槃と証知す
必ず無量光明土に至れば
諸有(あらゆる)衆生皆普く化す

●大原性実師の現代意訳(全文)
曇鸞大師は梁の天子から鸞菩薩と云って常に礼拝せられ給うた方であります。若き日、菩提流支三蔵から浄土の聖典を授けられたので、不老長寿法の認められてあった仙経を焼き捨てて浄土門に帰依せられました。天親菩薩の浄土論の註釈を遊ばされて、浄土に往生する因も果も、共に如来の本願に基づくことを顕わされました。すなわち浄土に向かって進む往相廻向も浄土より還る還相廻向も、いずれも他力によるのであり、浄土に往生する正しい業因は、この他力におまかせする信心一つである。罪悪にけがれはてた凡夫も信心が発(おこ)れば、生死即ち涅槃という大乗仏教の妙味を体得することを得、やがて浄土に往生せば一切の衆生を済度する力用(はたらき)を恵まれるのであると仰せられました。

●暁烏敏師の解説
  往還の回向は他力に由る

往還の廻向とは、往相の廻向、還相の廻向である。往相ということは、この娑婆からお浄土へ往く相である。還相とは、お浄土から娑婆へ還ってくる相である。差別の境地から絶対の境地へ到る道が往相で、絶対の境地から差別の世界へ還って来るのは還相である。『浄土論』には、因の五念門に、果の五功徳門とある。この果の五功徳門のうち、近門、大会衆門、宅門、屋門というところまでが往相門で、最後の一つの園林遊戯地門が還相だ、とある。

これはあらゆる菩薩についている。お浄土へ往ったら、ちょっと還って来る。その往く相も還る相も、みな他力廻向による。往相廻向も還相廻向も他力だ。仏の力だ。往くも還るも自分の力ではどうも出来ない。仏の力でやらせてもらう。往く相も貰いもの、還る相も貰いものである。凡夫自力の慥えもので浄土へは往けない。還ることも出来ない。こっちの思った料簡や感じたものを持って出てゆけば、いつも暗闇に出てゆかねばならない。そういうものをすっかり捨てて、他力に帰依する、というときに仏の力でお浄土へ往く。又お浄土から還らして貰う。

  正定の因は唯信心なり
正定は、心が正しく定まること、どうしたら心がしっかりと定まるか。信心一つだ。唯信心だ。外に何にもない、信心だ。一に信心、二に信心、助かるのは信心一つだ。信がないから暗いのだ。信がないから恐ろしいのだ、信がないから苦しいのだ。心がたしかに据わるもとは信心一つだ。正定の因は唯信心だ。「報土の因果は誓願なりと顕したまふ 往還の廻向は他力に由る」報土の因果を貰い、往還の廻向を貰うて、たしかに心が据わる、その落ち着きが出来る、それは唯信心一つだ。

  惑染の凡夫信心発(おこ)れば
惑は惑い。居ろうか、行こうか、前へ行こうか、後ろへ行こうか、と戸惑うことである。向こうが見えなければ惑うのです。染は染まる。心に汚いものが付いているのです。煩悩の心でものを決めるです。どうしようかと迷うのではない、決めるのだ。自分の邪見で、こうするのだ、ああするのだと決めるのです。惑の凡夫、染の凡夫、惑うており、心の汚れている者。凡夫とは、つまらん奴だ、ということです。その惑に沈み、埃に汚れて煩悩の中に染まっておった凡夫が、一度信心の眼が開けると、
  生死即ち涅槃と証知す
生死とは、生まれ死ぬことで、これは変化のあること、無常の姿である。涅槃というのは、生死を超えること。いつも乱れることがなく、いつも絶えることがなく相続している、それが涅槃である。生死は騒がしいが、涅槃は寂かな世界である。正定の信心が一度発ると娑婆と未来の垣根がとれるのである。あ、情けない、こんな当てにならん娑婆があろうか、こんなところを遁れて、早く浄土へ往きたい、と思う。ところが本願が信ぜられると、いやなところがなくなるのである。

有るわ無いわ、足らんわ足るわというこの娑婆がそのまま涅槃の世界である。逢うたものは逢うただけ、別れるものは別れるだけ、暑ければ暑い、寒ければ寒い、逢うて別れ、生まれて死ぬ。そのまま、このままが涅槃だ。どこへ行くのではなかった。場所替えするのではなかった、それが分かるのです。

始めは、場所替えをして浄土へ往こうと思った。ところが、本願のいわれを聞いて本当の信心が発ると、今まで迷うていた凡夫、沈んでいた凡夫が、生死即涅槃ということがわかってくる。ぽかんとしたものだ、どこへも行くのではないのだ。本願の舟に乗ろうとかかっていたら、本願の舟は、足の下にあったのだと喜んだ人があった。別ではない、このままだ。お浄土の蓮台、百味の飲食は娑婆の向こうだ。信心が出来たら、娑婆の向こうに行けたのだ。同じ家にいても、娑婆の中にいる者と、娑婆の外にいる者とがある。もう還って来た者には、娑婆も未来もない。このままだ。ここに広いものがある。善だ、悪だ、正だ、邪だ、そういうことは何もない。ただ朗らかな世界がある。そして、善があり、悪があり、正があり、邪があって、このままである。信心の眼が開けるとそういうのどかな世界がわかる。それが、無量光明土だ。

  必ず無量光明土に至れば
無量光明土とは量り無い光明の土ということである。親鸞聖人は、『教行信証』をお作りになって、お浄土の証りをおっしゃった「真仏土の巻」に何と書いてあるか。「土はこれ無量光明土なり」とある。真実報土は無量光明土だ。無量光明土へ往くと、西も東も、前も後もない、非常に広い、娑婆と未来の垣もとれ、仏と凡夫との隔たりもとれる。どこへ行っても無碍光だ。生死即涅槃という心は、無量光明土へ至る姿である。信心を得ると、生死即涅槃が分かって、それから無量光明土へ至るというのではない。生死即涅槃の証りが、そのまま光明土である。信心が発ると無量光明土が得られるのだ。無量光明土へ至るとどうなるか。
  諸有(あらゆる)衆生皆普く化す
無量光明土へ至るのは、涅槃の姿である。その涅槃の姿がそのまま、あらゆる衆生を皆化する、普(あまね)く化する。これが生死の世界に出て来るのである。涅槃即生死だ。生死即涅槃が証られたから、涅槃即生死の境地にはいるのだ。「仏ともなりかたまりていらぬもの石仏らを見るにつけても」仏というても、固い冷たい石仏のようなものでは仕方がない。真の仏は、石ではない、血の通うたものである。だから切れば血が出る。喜びがあり、悲しみがある。が、そのままだ、どうしてそのままであるのか。すべてを化する、すべてに融ける、普く化する、皆融け合うているのです。

「無量光明土に至る」無量光明土の相は、どういうところか。諸有の衆生を普く化する、皆が折れ合うて行く、隔たりがない。疑いがないのである。これと反対に、他の誰にも打融けられない、隔たりを持っている。そういう者は暗い世界にいる。生死と涅槃と別々だ。そういう人は、まだ信心がないのだ。信心が発れば、生死即涅槃だ。仏と凡夫の垣が取れる。善悪がなくなる。正邪がなくなる。

「疑いなく慮(おもんばか)りなく彼の願力に乗じれば定んで往生することを得と深信す」何にも執するものがなくなる。その相が尽十方無碍光である。至るところ可ならざるはなき相である。皆の心がとけて、親しく、なつかしく、融けて行ける心である。それが諸有の衆生を普く化するのだ。そこへ行くと、俺は信心を得たいという頑張りがない。信心を得たということは、そういう変なものがなくなった相だ。凡夫のまままだ。そして一切の衆生を化するというのが還相廻向である。

「無量光明土へ至る」往相廻向がそのまま還相である。お浄土へ往ったと思ったら、それがそのまま還相だ。お浄土を頼んだら、そのままだ。このままであると聞いて往って見ると、お浄土はここまで延びていた。往生とは恐ろしいものと思うていたが、仏に融けてみると、十方衆生は御同朋御同行だ。垣をして睨まねばならぬことは一つもない。のどかな朗らかな心であります。

●あとがき
浄土真宗の教えは死んでから極楽浄土へ往くためのものであり、その為にお念仏を称えると受け取られている向きがあると思いますが、そうではないことが、この曇鸞章の最後の一句『諸有(あらゆる)衆生皆普く化す』に示されています。

信心を獲たならば、あらゆる人々に影響を与え、あらゆる人々に信心を芽生えさせる事になると言うことであると思うのですが、しかしこれは別に、人々に法を説いて廻って念仏の道にお誘いすると言うことではないと思います。

本当の信心を獲たならば、自然とあらゆる人と打融け合い、直接的ではなくとも、仏法を後世に伝える因となり縁となると言うことだと思います。


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No.551  2005.12.8

ヨーイドン、癌は私の出発点

今日の表題は本日アップさせて頂く法話コーナー(青山俊董尼)の表題と同じであります。どうか、法話コーナーの『ヨーイドン、癌は私の出発点』も一緒にお読み頂きたいと存じます。

さてこのコラムと法話の同時アップは、過日のコラム(ウィッキー)で紹介させて頂き、またリンク集にもホームページを掲載させて頂いたyururi(ユルリ)さんとの交流が産み出したものであることを先ずはお伝えしたいと思います。

そして表題は、法話の中にも紹介されていますが、北海道の浄土真宗のお寺の奥様で、癌によって47歳という若さで亡くなられました鈴木章子(すずきあやこ)さんの最期の頃に詠われた詩から戴いたものであります。

癌は
私の見直し人生の
ヨーイドンの
癌でした。
私、今、
出発します。
仏教はこの世の苦を、生老病死苦、怨憎会苦(おんぞうえく)、愛別離苦(あいべつりく)、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四苦八苦にまとめていますが、私達が最も恐れている苦が『死』であることはどなたにも異論はないと思います。そして死に直結する癌告知≠ヘ出来れば避けたい、いや絶対避けたいものであります。鈴木章子さんはその癌と言う病(やまい)と真正面から向き合われて、癌は自分の人生の出発点だという尊い「心の転換」を果たされました。

法話の中で青山俊董尼は宗教の目的は「苦から私を救うのではなく、苦が私を救ってくれるのである」と言う言葉を紹介されていますが、苦に遭遇することによって、私達は人生の意味を見直すことが出来、そして新しい価値観で人生の出発点に立てるのだと言うことを説かれているのであります。

鈴木章子さんは、「癌は私の出発点」といわれましたが、様々な苦に遭遇する私達は、「苦は私の人生の出発点」と受け止めて、苦に怯(ひる)む事なく、今出来ることを今やっていくという積極的且つ淡々とした気持で生きていくことを鈴木さんの詩から学びたいと思います。


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