ヨーイドン、癌は私の出発点

青山俊董老尼

(1) 光に導かれることによって開かれてゆく人生
苦に導かれてアンテナが立ち、そのお陰で正しい教えに出会い、教えに導かれることによって、体は病みつつも、そこに仏の慈悲の御手の只中といただき、病苦のお陰と病気を拝み、一歩一歩をそのままお浄土に変えていった人がいる。

北海道の知床半島の入り口に位置するところに斜里という町があり、鈴木章子(すずきあやこ)さんという方が住んでおられた。浄土真宗のお寺の奥さまである。乳癌が次第に転移して、47歳を一期として世を去られたが、教えに照らされ導かれることによって、癌と共に生きる人生が、これほどまでに深く、すばらしいものになるものかと、おどろくばかりである。(『癌告知のあとで』探求社)

まずは肺癌のベッドの上で気づいたこと。財産も肩書きも、旦那様も子供も、何の役にも立たない。はぎとられるものは全部はぎとられて、まる裸の一個の人間がベッドの上にころがされているだけ、そこで大切なことは、心にどんな宝をいただいているかだ、ということに気づいたという。

この気づきは大切である。章子さんはさいわいに癌のお陰で早く気づくことができた。癌にでもなって、否応なしにはぎとられるという土壇場に追い込まれないと、人は一生気づかずに終わってしまう。財産も肩書きも旦那も子供も、皆持ち物にすぎない。いざという時何の役にも立たない、いざというとき全部置いてゆかねばならないものばかり。そんな中途半端なものに目がくらむ、得たといって酔っ払い、失ったといって死にたくなるほどに嘆き悲しんでいる私たち。これさえ手に入れば最高に幸せと思い込んでいたものが、いかに泡沫(うたかた)のような中途半端なものであったか、癌のお陰で早く気づき、早く手放すことができた章子さんは、むしろ幸せ者である。

章子さんには3人の子供さんがあって末息子は高校生で卓球の選手でもあり、その特訓のあいまをぬって、肺癌の手術の日、息子がかけつけてくる。章子さんはこの末っ子がとても心にかかり、何とか息子に心配をかけまいと、息子が入ってきたら、お母さん大丈夫、ハハハ≠ニ元気に笑って、手をしっかり握ろうと、ひそかに心準備する。息子が入ってきた。「お母さん痛むかい?」と、お母さんの手を握ってくれた。予定としてはお母さん、大丈夫だよ≠ニ元気に答え、ハハハと笑うつもりであったが、肺を切りとられた体は笑い声一つ立ててくれず、握り返す手にも全く力が入らない。予期しない涙ばかりがボロボロこぼれるという現実に出くわし、大切なことに気づかせていただくことができた。

それまでは健康にまかせて、なせばなる、なさねばならぬなにごとも、ならぬは人のなさぬなりけり≠フ歌をふりまわして、自分も頑張り、子供達のお尻をひっぱたいてきた。しかし、どんなにやる気があっても、天地一杯のお働き、仏様のお働きをいただかなかったら、笑うこと一つできないのだ、ということに。この気づきもすばらしい。

なせばなる、なさねばならぬなにごとも、ならぬは人のなさぬなりけり≠フ歌の示す通り、一つのことをやり遂げ得るか否かは、やる気があるかないか、本気かどうかにかかっていることは確かである。しかしどこにでも落とし穴があるから気をつけなければならない。やる気、本気はよいが、私の努力でやったという驕(おご)りの心がしのびこみやすい。この驕りの心は、やらない人を責める刃(やいば)となりかねない。どんなにやる気があっても、天地一杯のお働きを頂かなければ、呼吸一つ、笑うこと一つ、手を握り返すことさえできないんだということ、一つ一つがすべて天地一杯からの働きかけをいただいて初めてできるのだということに気づかせてもらうことができたというのである。 この働きを仏と呼び、縁起といい『般若心経』では「空(くう)」とか「無(む)」という言葉で語っているのである。

(2) 今ここをお浄土に
肺癌の手術の結果もよくて大部屋に移された鈴木章子さん。隣のベッドの奥さまが明日退院だという。 「よかったですね。子供さんが待っておられるので、早く帰ってあげて下さい」
というと、その奥さま、
「いえ、私は明日退院しません。大安の日を選んで退院します」という。その奥さまが半年後に亡くなられた。その奥さまの姿を通して新聞のご説法が聞こえてきた。新聞は、大安の日には喜びの記事しか載せていないかといえばそうではない。仏滅の日には悲しい記事しか載せないかといえばそうでもない。どの日もこの日も同じように喜びと悲しみも満載している。それが人生の道具だて。わが心にかなうことだけで人生が準備されているのではない。

喜びも悲しみも、愛も憎しみも成功も失敗も、健康も病気も、同じようにとりそろえてくれている。むしろ思うようになることばかりの人生では極楽トンボみたいな人間になってしまうであろう。しあわせがあたりまえとなり、しあわせをしあわせといただくアンテナがなくなってしまうから、むしろ不幸ですらある。思うようにならない人生、悲しみや苦しみによってこそ、聞く耳が開け、アンテナを立てさせていただくことができ、そのことによって教えに出会い、人生を大きく変えてゆくことができたと、悲しみや苦しみを積極的にようこそ≠ニ受けて立ってゆけと、新聞が毎日ご説法してくれていたことに気づかなかったけれど、大安を択(えら)んで退院していった奥さまを通して、新聞のご説法が聞こえてきた。

「今までご説法というものは、お寺の本堂でお坊さまから聞くものだと思っていたが、そうではなかった。癌をいただいたお陰で至るところからのご説法が聞こえてくる。肺癌で寝ているこのベッドの上が、如来様のご説法の一等席であつたと気づかせていただくことができた」と涙する章子さん。

金子大栄先生は、
「信仰は、宗教は、その人の置かれた状態をなおすのではなく、お金のない人が急にお金持ちになったり、魚のとれないときに急に魚がとれるようになったりというように、その状態をなおすのではなく、人間そのものを救う」と語っておられる由。われわれ凡夫が「救われた」と思うときは、苦の状態からのがれて救われたと思う。つまり条件が変わらないと救われないような気がする。そうではない。

状態は少しも変わらないまま、癌がなおって救われるのではなく、癌の苦しみの中に身を横たえているという状態は少しも変わらないまま、むしろ癌の苦しみのお陰でしっかりとアンテナが立ち、その場所がそのまま如来様のご説法の一等席といただける。まさに「私が苦しみから救われる」のではなく、「苦しみが私を救う」とおっしゃった尻枝神父さまのお言葉そのままである。

「肺癌のベッドの上が如来さまのご説法の一等席であった」と気づいたとき、そこがたちまちお浄土となる。そう気づいたそのとき「往生した」という。「浄土に往生する」とは、西方十万億土の話でもなく、死んでからの話でもない。いかなる状態の中にあろうと教えに導かれることにより、一歩一歩をお浄土と転じてゆかねばならないのであり、またおのずから開かれてゆく世界でもある。

『般若心経』で「無明(むみょう)もなく亦無明の尽くることもなく、乃至老死もなく亦老死の尽くることもなし」という言葉が出てくる。「無明」というのは「明るくない」ということ。天地の道理に暗い、教えという光に照らされないがゆえに暗いことを「無明」という。

どこを歩いているのか、どっちへ向かって歩いてよいのか、全くわからないままに、闇路の人生という山坂をつまづきつつ、ころびつつ歩いてゆく姿を、無明から始まり老死で終わる十二因縁という形でお釈迦様はお説きになった。同じ人生の道具立てに変わりはないが、その苦に導かれて教えに出会い、まことの教えという光に照らされることで、同じ生老病死の人生が、さん然と輝くお浄土の景色と変貌する。これが光、つまり「明」によって歩き始める人生の展開であり、苦は苦のままに脱落底の世界となる、というのであり、鈴木章子さんの生き方はまさにそれといえるであろう。

(3) 人生の道具だては変わりはないが
亡くなる二ヶ月ほど前のこと、鈴木章子さんは自宅で静養しておられた。ご主人が、「夜、眠ってしまって、知らないうちにお前が息をひきとるといけないから、同じ部屋で横に寝る」という。章子さんは、 「お父さんに、同じ部屋で休んでいただいても、いざというとき一緒に死んでいただくわけにもいかないし、代わって死んでいただくわけにもいかないし、死ぬことを延ばすわけにもいかない。それよりもお父さん、子供のためにも体を大事にしてほしいから、別の部屋で寝ましょう」 といって、二階と下と別々の部屋で寝る。そのときのご挨拶、「おやすみなさい」という詩が残されている。

「お父さん
ありがとう
またあした
会えるといいね」
と手を振る。
テレビを観ている顔をこちらに向けて
「おかあさん
ありがとう
またあした
会えるといいね」
手を振ってくれる。
今日は一日の充分が、
胸いっぱいに
あふれてくる。
「お父さん ありがとう」の一言の中には二十年余りの夫婦として共に歩むことが出来たことへのお礼の思いもある。「またあした会えるといいね」と、切なる思いで願ってみるけれど、間違いなく明日を迎えることが出来るという生命の保証はない。今夜お迎えが来るのかも知れない。永遠の別れの思いをこめて「おやすみなさい」、そして二階と下に別れる。 幸い朝が迎えることが出来た時、「お父さん、会えてよかったね」「お母さん、会えてよかったね」と心おどる思いで挨拶をかわす。

46年の人生の歩みの間、こんな挨拶を一度だってしたことがあったであろうか。健康にまかせて「いそがしい!いそがしい!」心も体も宙に浮いたような生き方しか出来ず毎日の挨拶もうわのそらの挨拶しかしてこなかった。癌をいただいたお陰で、一度一度の挨拶が、恋人のように胸おどらせての挨拶ができる、と喜びの中で語る章子さん。

癌は
私の見直し人生の
ヨーイドンの
癌でした。
私、今、
出発します。
これは章子さんの最後の頃の詩である。章子さんは言う。「人生はやり直しは出来ないが見直し出直すことは出来る。癌のお陰で死を見据える眼が深くなり、一日いただくことができた生命の限りない重さにも気付かしていただくことができ、はじめてこの生命どう生きたらよいかも見えてきた。癌のお陰で、ようやく人生の意味も、生命の重さも、そしてあるべきようも見えてきた。死は終着点ではない、出発点だ。よし、やるぞ!」というのである。「乳癌だけでは気付かないボンヤリ者の私のために、肺癌、転々移という癌までくれまして、章子よ、目覚めよ、章子の華を咲かせてくれ≠ニの、如来さまの大慈悲の賜り物であった」と感謝しつつ47歳の生涯を閉じられた。

『般若心経』の中の「無明もなく亦無明の尽くることもなく、乃至老死もなく亦老死の尽くることもなし」の部分を、理解しやすいように整理してみよう。まずは二つに分けなければならない。 一つは「無明もなく乃至老死もなく」であり、もう一つは「無明の尽くることもなく、乃至老死の尽くることもなし」である。十二因縁の第一番目に出てくる「無明」と第十二番目に出てくる「老死」だけをあげ、中間は「乃至」という言葉で省略して語っている。

「無明もなく乃至老死もなく」の方は、「明」つまり光明に照らされ導かれての人生はたとえば病者の床に臥しているという状態は変わらないままに、そこがお浄土となる、鈴木章子さんのように、苦を仏さまよりの「気づけよ」との慈悲の贈り物としていただけたとき、苦は苦のままに脱落底となる世界を語ったものといえよう。

かといって、光明に照らされ、導かれての人生行路に、生老病死や愛憎の起き臥しという景色がなくなってしまったわけではなく、花開き、紅葉し、やがて散り果てることに変わりはない、というのが「無明の尽くることもなく乃至老死の尽くることもなし」である。 同じ人生の道具だての中にあって、光明があるかないか、仏の智慧に導かれるか否かによって変貌する人生の二つの世界を、ひっくるめて語られているといただいたらよいであろう。




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