2002.04.15

歎異鈔の心―第15條の1項―

●まえがき
  前回コラムで紹介させて頂いた通り、金曜日の夕方、大分の病院長さんが我が家に来られました。約14時間のご滞在でしたが、旧知の友と言いますか、まさに初対面とは思えない、和やかな出遭いをさせて頂きました。そして仏法談義満開の楽しいひとときに、時間の経つのも忘れて、気が付いた時には深夜12時前でした。290余のベッド数の院長さんと言う重々しい感じはなく、私の心に沁み込む仏法の真髄をお話し頂き、春風のように大分に帰って行かれました(記念写真、前列右端が田畑先生)。まさに、遠く宿縁を慶ぶと言うのが実感の初対面でした。
  田畑先生は、九州大学医学部の学生時代に、他大学の教授であられた、化学者でもあり念佛者でもあった細川巌師と言う善知識にお出遭いになり、親鸞聖人の教えに導かれて30年、今ではお仕事の医療と仏法は、生老病死と言う同じ課題に取り組むものだと言う尊い認識をお持ちになり、公の病院ながら、院内で仏法講座も開かれております。また仏法の盛んなる事を念じて、近隣の九州地域のみならず関西方面にも足を伸ばされて活動されている事を知り、私も、経営と仏法の一致、更に仏法の弘宣を実践しなければと、深い感銘と示唆を受けました。
  コラムにアクセスして頂いた方には、田畑先生に関連するホームページにアクセスして頂きたいと思います。歎異鈔に関する更に深い味わいと領解が得られるものと思います。

http://www.oec-net.or.jp/~mtabata/(歎異鈔に聞く会)

http://plaza9.mbn.or.jp/~Tannisho/index2.html#Oita(細川巌師の歎異鈔講義)

  さて、私の歎異鈔解説に戻ります。
  生きているうちに悟りをひらくと言う事は有り得ないと言うのが、この條で歎異鈔作者が言いたい事です。真言宗では即身成仏と言われ、修行によって生き佛になれると言われているようですし、禅宗では、まさに悟りを求めて修行に励み、実際に悟りに至ったと言う師匠の証明としての『印可』があります。
  歎異鈔作者の唯園は、聖道門で目指すところのこの世での悟りをも否定されているように読み取れますが、私は、宗派が異なると悟りと言う事の定義が異なるのだと思いますので、こう言う議論・論争は無意味だと考えます。
  しかし、当時の浄土真宗門徒の中でも、即身成仏を主張した方々があり、これにははっきりと異議を唱えたのが、この條です。
  約2500年前、お釈迦様も、皇太子と言う地位を捨てて悟りを求められて山に入り難行苦行をされましたが、難行苦行の無意味を覚られ、山を出で、瞑想に入られ、暁の明星を観られた時に忽然と悟りを得られたとお聞きしています。難行苦行によって悟りをひらかれはしませんでしたが、その難行苦行無くしては悟りには至らなかったのではないかと思うのです。自力の限界に挑戦する事なしに、他力本願のお救いにお任せする事にはならないと私は思います。ですから、私は即身成仏を願って念佛しても良いのではないかと思います。そう言う段階もあると思います。
  この條の末尾で作者は、『親鸞聖人はこの世で本願の救いを信じて、来世には浄土に往生して覚りをひらかせて頂くのであると法然聖人から承っているのである』と明言されていますが、この来世に往生して覚りをひらくと言う点に関しては、色々な議論があるように聞いています。
  私の現在の考え方は、生身の肉体を抱えている限りは、煩悩を完全に滅する事は不可能であると思いますので、即身成仏は、有り得ないと思います。親鸞聖人もその点を考えられて、卑近な表現ではありますが、悟りの約束手形として、『正定聚(しょうじょうじゅ)』と言う到達点(或いは悟りへの出発点)をお示しになられたのではないかと考えます。

●本文
煩悩具足の身をもて、すでにさとりをひらくといふこと。この條もてのほかのにさふらう。 即身成佛は、眞言秘教の本意、三密行業の證果なり。六根清浄はまた法華一乗の所説、四安楽の行の感徳なり。これみな、難行上根のつとめ、観念成就のさとりなり。來生の開覚は他力浄土の宗旨、信心決定の道なるがゆへなり。これまた、易行下根のつとめ、不簡善悪の法なり。

●現代解釈
煩悩を抱えた身のままで悟りをひらくと言う事は有り得ない事です。即身成仏と言って、生きたままで仏になると言うのは真言密教での事であり、三密加持といって、手に印契を結び、口に真言を称え、心に本尊を観じて、大日如来の心口意(しんくい)の三業を行ずると言う修行によって得られる證果(さとり)です。また、六根清浄と言って、眼耳鼻舌身意の六根即ちこの身を清浄無垢にして自由自在の身になると言うのは、大乗仏教の最高の経典と言われる法華経の説くところです。それは四安楽行と言って、身も心も安楽に導く、心口意と誓願の四つの修行によって初めて感得出来るものであります。この二つの道は、難行苦行と言われるもので、生まれ付き聖者の素質を持っている方々にしか遣り通せない修行であり、精神統一し、観念を凝らして始めて成就出来る悟りの世界です。
  これに対して、来世に覚りをひらくというのが、他力法門の浄土真宗の教義で、信心さえ頂ければ、必ず往生して直ちに佛になると言う道です。これは行じ易い道であり、どんな愚かなものにでも出来る努めです。そして善人であるとか悪人であるかを区別せずに救って下さると言う有り難い教えなのです。

●あとがき
  正定聚の位とは、往生が定まった身、即ち、歎異鈔の第1條の『阿弥陀仏の本願のお救いを信じて、念佛を称えたいと思い立った』、その瞬間であると考えて良いと思います。この瞬間の到来を私は念願しているのですが、なかなかです。
  一般の浄土真宗門徒の方々の中には、有り難いお説法を聞いて、ただ単に、お念佛を称える事が大切であると教えられて、最初から抵抗無しにお念佛を称えられている方も多いと思いますので、念佛を称えようと思い立つ瞬間を見失っておられる方もおられるのではないかと思います。
  私は、その瞬間を心待ちにして、頑なにお念佛を口にしておりませんが、この頑なな『私が……、私は……』と言う固い氷が溶かされるその瞬間には、正定聚の位に立たせて頂けるのだと確信しております。そしてその時には、白井成允先生の下記のお詠が本当に自分のものになると思います。

業風吹いて止まざれども
ただ聞く弥陀招喚の声
声は西方より来たりて
身を繞り(めぐり)髄に徹(とお)る
慶ばしいかな
身は娑婆にありつつも
すでに浄土の光耀(こうよう)を蒙むる
あはれあはれ十方の同胞
同じく声を聞いて
皆倶に一処に会せん
     南無阿弥陀仏
                     (白井成允「招喚の声」)

  『すでに浄土の光耀を蒙る』とは、実に素晴らしい心境、羨ましい心境です。


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2002.04.11

遠く宿縁を慶ぶ

  明日4月12日、我が家に、遠く大分県の国東(くにさき)半島からの来客があります。
  今年の2月13日に、この無相庵コラムに初めてアクセスされたお方です。多分、歎異抄と言うキーワードでの検索により、偶々(たまたま)無相庵ホームページに立ち寄られたものと思います。
  インターネットでのお出遭いで、しかも約2ヶ月の短いメールでのお付き合い、しかし12日は、拙宅(せったく)にご宿泊頂くご予定であります。世間一般の常識的な世界では考えられない事だと思いますが、これこそ信仰の世界故の不思議なご縁だと申すほかございません。

  そのお方は総合病院院長のご要職の傍ら、『歎異抄に聞く会』と言う聞法の会を主宰され、自らご講師として月4回、地域の方々と共に、歎異抄に親しみ、親鸞聖人のご教義を信奉されている念佛者でいらっしゃいます。

  親鸞聖人がその著書『教行信証』の総序におきまして、
  ああ、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)は、多生にもまうあひがたく、真実の行信は億劫にも獲がたし。偶ま(たまたま)、行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。
と言うお言葉を述べられています。
  これは親鸞聖人が他力本願の御教えにお出遭いになられた事を、千載一遇と言うよりももっと希有な出来事であり、この御教えに遭ったのは偶々(たまたま)ではあるけれども、私がこの生をうける前の遠い遠い昔に溯ったところからの因縁によるものに違いないと、法悦と言う軽い表面的な喜びではなく、しんみりと心の奥底深く噛み締められた慶びの表現でありますが、今回の病院長様とのお出遭いは、まさに遠く宿縁を慶ぶべき出来事であります。

  今回お越し頂く縁が実りましたのは、単にインターネットを通じてのお出遭いと言うだけのものではございません。この縁に重なって、最近パソコンを始められてメル友にもなった古くからの知人と、その知人が愛読されている『大乗』(西本願寺出版)と言う月刊誌が取り持つ縁でもあります。『無相庵ホームページにアクセスして来られたこんな方からメールが届いた』と言う事を伝えた私のメールに対して、メル友は、『その方は、私が読んでいる月刊誌『大乗』にコラムを連載されている方ですよ』と教えて下さいました。そう言う念の入った縁なのです。その知人は私より年上の女性ですが、ワープロの必要性と、私の無相庵ホームページをご覧になりたいと言う想いも含めて、今年からパソコンに挑戦され、私とも今年2月2日にメール交信を開始したところと言うおまけ付きでもあります。
  一方、病院長様の方も、ご子息が今年、京都の大学に入学され、下宿環境のご確認と言う事もございましょうし、また偶々外科学会が京都で開催される事もあり、関西に来られる縁が整ったと言う事でもございましょう。

  ご子息の難関大学合格が無ければ、こんなに早く直接お会いする事はなかったかも知れません。また、インターネットがこの世に生まれていなければ、月刊誌『大乗』が無ければ、知人がパソコンに挑戦しなければ、私が無相庵ホームページを持たなければ………親鸞聖人がお生まれにならなければ………お釈迦様がこの世にお出ましにならなければ、このお出遭いは無かったなぁと、まさに、遠く宿縁を慶べと言うしかございません。12日は、そのメル友の方も同席を楽しみにされています。

  私達の人生におきましては、たまたまではあるけれども、必然性を感じざるを得ない事に時として遭遇するものです。結婚にも言える事ではございますが、今回の様な出逢いは、人生において、そう多くないものだと思います。


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2002.04.08

歎異鈔の心―第14條の4項―

  ●まえがき
今日、4月8日は、お花祭りの日。花の咲き薫る春の行事なので"お花まつり"と呼ばれます。正式には、釈尊降誕会、灌仏会、仏生会などといいます。2千5百年前にお釈迦様が、今のネパールの国のルンビニという所でお生まれになった日とされます。お釈迦様がお生まれになった時、甘露の雨が降ったという言い伝えから、花まつりには花御堂に誕生仏を安置して、上から甘茶を注いでお祝いする行事が広く行われております。
  一方、2月15日は、涅槃会(ねはんえ)と申しまして、お釈迦さまがクシナガラ城に近いバッティ河のほとリで、お亡くなリになられた日です。お寺では、お釈迦さまが涅槃に入られたあリさまを描いた大きな掛軸をかけ、報恩の法要を行います。
  親鸞聖人も、歎異鈔も、お釈迦様あっての存在です。遠き宿縁を悦びたいと思います。

  さて、歎異鈔の解説書、研究書は100を超えて存在するそうです。歎異鈔によって、親鸞聖人の信心を学問的にも領解するには、親鸞聖人自身が著述された『教行信証』を背景として読むべしと示唆されているご意見があります。私は、そのご意見を進めて、法然上人、善導大師、竜樹菩薩、天親菩薩、お釈迦様へと還えって行くべきであると思います。
  阿弥陀仏やお念佛そのものに関しまして、所詮は人間が頭の中で考え出した架空の事柄であると言う(疑い深い)立場の人は、浄土三部経に立ち帰って、阿弥陀仏の本願を理論的にも情緒的にも我がものにして、心の底からお念佛がほとばしり出るように究極の努力(自力の限界までの努力)をする必要があります。私は、人一倍疑い深い人間ですから、丹念に勉強して行きたいと思っています。私が今この歎異鈔を恥ずかし気も無く現代解釈しているのは、その出発点であり、何れはまた帰って来るべき終着点になるのでは無いかと考えているからです。このコラムによって、親鸞聖人に関して興味を抱いて頂けた方がおありならば、阿弥陀仏、お念佛が我がものになるまで(信心を頂けるまで)、是非、ご一緒に勉強して頂きたいと思います。
  科学の世界では、ニュートン、ガリレオ、エジソン、アインシュタイン、ダーウィン等多くの天才によって、科学的真実が発見され、物質文明は発展して来ました。そして近年ノーベル賞と言う名誉を受けた数多の人々がおり、一般の方々も、それなりに認識されていると思います。しかし、仏教のお釈迦様、キリスト教のキリスト様に関して一般の人々に取りましては、『お釈迦さんもキリストも、仏教徒やキリスト教の信者が拝む神格化された人であって、新興宗教の教祖と変わらない。私達には関係ない歴史上の人だ』と言う見方だと思います。
  しかしそれは違うのです。宗教の世界でのお釈迦様の位置は、ニュートン、ガリレオに相当するものであり、浄土門系では親鸞聖人、聖道門系では道元禅師、白隠禅師に至るまでに世に出られた高僧方は、お釈迦様の教えを原点(原典)として守り且つ発展させて来られた方々であり、科学世界の天才達に匹敵する精神文化面の天才であり、宗教的真実を明らかにされて来られたのであり、決して絵空事を述べておられるのではありません。近年発生している新興宗教は、単に一人のひらめきによって成り立っているものであり、その人物と共に消え去るものです。これらの新興宗教と仏教は訳が違う事を知らねばなりません。
  科学万能・科学絶対と言う意識が強くなり過ぎた現代、お釈迦様、いや、お釈迦様以前から連綿として続いている仏教の教えに立ち返って、21世紀以降の人間社会の幸福を考え、実践しなければならないと思います。

  他力本願と言う言葉が、広く、正しく世に解釈されるように努力する責任が、親鸞聖人を宗祖とする私達にはあると思います。

●本文
また、念佛のまふされんもただいまさとりをひらかんずる期のちかづくにしたがひても、いよいよ彌陀をたのみ、御恩を報じたてまつるにてこそさふらはめ。つみを滅せんとおもはんは、自力のこころにして、臨終正念といのるひとの本意なれば、他力の信心なきにてさふらうなり。

●現代解釈
また、臨終間際になってやっとお念佛を称えると言うことでありましても、悟りをひらかせて頂く時期が近付くにつれて、いよいよ阿弥陀仏のお救いを頼み、御恩に感謝する心から、自ずとお念佛を称えさせて頂くのです。それとは反対に、罪滅ぼしの為にお念佛を称えて来た人々は自力を頼りにする訳ですから、臨終の時こそ往生を祈ると言う立場であり、これは他力のお救いにお任せすると言う信心では無いと言うべきだと思います。

●あとがき
  現代人は、眼耳鼻舌身(げんにびぜっしん)で感じる視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚で確認した事しか、その存在を認めない傾向があります。それでは、他の動物と全く変わりません。人間には、もう一つの感覚があります。仏教では、『意』と言い、心で感じる事象があるとして『眼耳鼻舌身意(げんにびぜっしんい)』を6根と定義しています。六根清浄(ろっこんしょうじょう)と言うことを聞かれた事があると思いますが、この6根です。6番目の『意』が真善美聖を感じる感覚と言っても良いでしょう。だから宗教が生まれ、信仰が生まれています。5官だけが頼りの他動物とは異なる唯一の点は、真善美聖を感じ取る感覚を持っているかどうかであると極論しても良いでしょう。
  信じると言う事が、何か事実でない事柄を根拠も無く認知すると言う風に考えている向きがあるようですし、また、そう考えられても仕方の無い新興宗教の存在がありますが、私達現代人は、信じると言う人間だけに与えられた大切な能力を見直すべき世紀に立っている事に思い至らなければならないと思います。
  そう言う観点から、この歎異鈔を読み、この14條の他力念佛を領解したいと思います。


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2002.04.04

星野阪神タイガース4連勝に想う

  タイガースが46年振りの開幕4連勝を成し遂げた。昨年までのタイガースとは様変わりした事は確かである。赤提灯も飲み屋もタイガースの話題一色である。タイガースファンは心配性ゆえに、連敗した後の取越し苦労をしながらも、ひょっとして1985年以来17年振りの優勝かも?と言うおめでたい考えもよぎっているに違いない。
  一般の関西人も、『虎の豹変』で、何とか景気回復に繋がりはしないかと、タイガースファンならずとも、隠れ阪神ファンになっているに違いない。そして、英雄星野仙一監督である。『やる気にさせる監督術』と言う本が店頭に並ぶ日も来るかも知れない。

  しかし、思い出して欲しい、あの野村監督就任の年のフィーバー振り、そして、野村沙知代の学歴疑惑等の問題と共に、急速に萎んで行った事を。
  私は、星野監督を評価していない訳ではない。ただ、監督一人の力でチームが優勝したり、最下位になる訳ではない事はこれまでの監督物語で明らかである。私は、贔屓球団の勝敗に一喜一憂する楽しみも良いとは思うが、仏教の因縁果の教えに思い至る必要があると思うのである。その方が、楽しさも倍増するはずである。

  私も、野村阪神誕生の年は、大学時代のテニス部3年先輩が阪神球団社長(高田順弘氏)に同時就任したので、テニス部OB会も、梅田リッツカールトンホテルで盛大な励ます会をしたし、巨人ファンの私自身俄かタイガースファンにもなったので、偉そうな事は言えないが、それだけに、因縁果を骨身に沁みて、感じた次第であった。

  日本シリーズを征した監督が、その後期待されながら結果を出せなかった例は多い。先ず1985年阪神タイガースが日本一になった時の吉田義男監督は、低迷するタイガースに夢よもう一度と1997年、98年と再任したが、4番打者・エースに恵まれないままAクラス入りさえも果たせなかった。1985年の優勝は、掛布、バース、岡田の3連発ホームランに象徴される如く、やはりメンバーに恵まれたのである。吉田監督の後を継いだ野村監督も、4番打者、エース不在のチームをどうする事も出来なかった訳である。
  阪急ブレーブスを率いて3度日本一になった上田監督は、その後日本ハムを率いたが、リーグ優勝も果たせなかった。あの時の阪急ブレーブスの球団社長は、浄土真宗の僧籍を持つ渓間秀典師で、因縁果の教えを説いたかどうかは分からないが、あの時のチームは、スペンサーと言う強力4番バッターと山田投手(現中日監督)、クローザー山口投手と言う選手の、しかも最盛期であったと言う因と縁(環境、条件)があったからだと思う。
  また、神戸・淡路大震災の年の平成7年、仰木監督率いるオリックスは、震災を乗越えよう、神戸市民を励まそうと言う一致団結と、イチローと言うスター誕生の年と重なり、リーグ優勝そして翌年の日本一となった。その後は、イチローの活躍は続いたものの、山田投手コーチの退団、エースと4番バッター不在により、低迷が続き、昨年仰木監督は辞任した。
  ヤクルトを日本一に導いた野村監督は、最下位阪神タイガースを再建すべく3年頑張ったものの、連続最下位を脱出出来ないまま、沙知代夫人の不祥事で無念の退団となったが、ヤクルトの日本一は、野村監督のデーター野球の浸透努力もあるが、やはり古田捕手、ブロス投手を中心とした守りと、オマリー、ハウエル、広沢と言う4番バッターの布陣が揃ったという因と縁によるものだと考えざるを得ない。
  西武ライオンズの黄金時代を築いた森監督は、昨年横浜ホエールズの監督に就任した。私は森監督に期待し賭けもした。森監督は、1986年から1994年の9年間の中8回リーグ優勝、6回日本一を達成させているのである。監督技術・管理技術と言うものがあるとしたら、森監督率いる横浜は、1998年に優勝実績から考えれば、優勝してもおかしくないのであったが、昨年は3位。今年も開幕4連敗と前途多難である。森監督も、広岡監督の遺産、清原・秋山・工藤・石毛・伊東・デストラーデと言う持ち駒に恵まれると言う因と縁によっての快挙だったと言って良いだろう。
  古くは、9年連続日本一の読売ジャイアンツの川上監督は、その後監督を勤めなかったので、立証出来ないが、長島・王と言うプロ野球史上最強打者二人にしかも同時に恵まれると言う因縁によるものだと断定して良いと思う。
  何れの日本一監督も、素晴らしい管理技術を持っている事は間違いないが、それだけでは、日本一の監督になれなかったに違いないと言う事を言いたい。

  これは、プロ野球監督だけではなく、誰の身の上にも言える事である。小泉首相も、約1年経過しつつある現在、予想もしなかった9.11の同時多発テロ、BSE(狂牛病)、小泉首相産みの親とも言うべき田中真紀子大臣更迭を含む外務省問題、世界の人々と一緒に被る現象もあり、日本国民と共に味わう縁もあった。これからも考えもしない現象と結果が現れるだろう。小泉首相一人でこれら難問が解決されて行くものではない。言い換えれば、すべての国民が小泉首相と共に、因縁を体験しなければならないのである。
  私も、脱サラして現在までの10年間、何とか会社を経営して来れたのも、主要取引先、銀行、従業員、仕入先をはじめ、勿論家族も含めて、無数の人々に支えられての事である。無数の因と無数の縁によって現在がある。そしてこれから先も、私の予想出来ない因と縁によって、会社の行く末が決って行くのである。

  お釈迦様は、人生は苦なりと言うところを出発点とされました。私達一人一人、夫々の苦悩を抱えながらの人生であるが、一人だけに原因のある苦ではない。無数の縁が働いての苦である。解決も、一人で為し得るものでは決してない。

  そう言う因縁果を世界観として、人生の現象を客観的に眺めて見るのも、壁にぶち当たった時に精神的に追い詰められない一法だと思うのだが。

  しかし、しかし星野タイガース4連勝目の勝っぷりは、ホワイトの力強い2本のホームランを含めて、5本のホームランで圧倒したものだ。17年振りの優勝への因縁は整ったかに見える。後は6ヶ月後のを夢見ながら……今日も楽しみだ。どうか桜の花とともに散らないでくれぇ………。


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2002.04.01

歎異鈔の心―第14條の3項―

●まえがき
  たった今、阪神タイガースが巨人に連勝したところ。開幕連勝は、23年ぶりとか。メンバーが昨年までとはかなり変わり、戦力もかなり補強された事も要因だと思いますが、選手の表情を見るかぎり、それと同じ位に、陰の野村監督から陽の星野監督への切り替え効果だと思わざるを得ません。星野監督が素晴らしいと言うのではなく、陰から陽への監督の切り替わり方が絶妙ではなかったのではないかと私は分析しています。選手の表情を見ると、抑圧からの開放と言う感じを受けるからです。私は幼い時から巨人ファンですが、長嶋も王もいない巨人よりも、今年は地元の星野阪神タイガースに声援を送る事になりそうです。
  しかし、不景気だと言われながらも、贔屓の球団の勝ち負けに一喜一憂し、ワールドカップに期待する現在の日本国民は、過去のどの時代よりも、恵まれているのではないかと思わざるを得ません。
  歎異鈔が作成されたのは、鎌倉時代で、源氏から北条氏が執権として国を治めていた頃でありますが、やがて建武の新政を経て室町幕府が誕生するまでの不安定な世情で、一般民衆の生活は、死と隣り合わせのものであり、生き地獄に近いものであった事を忘れてはなりません。生きる為には、少々の罪を犯す事もあったのかも知れません、この時代、お念佛を称えるだけで、お浄土へ行けると言う浄土門の教えは、生き地獄に住む人々の心を捉えたのだと推測出来ます。それだけに、歎異鈔作者が困惑せずにはいられない状況も、分かるような気がします。

  歎異鈔が著わされた時代における親鸞聖人を慕う門徒の方々の中には、お念佛第一主義的な集団があったのだと思います。確かにお念佛を称える事は信仰の上で大切である事は間違いありませんが、お念佛を、何かのお呪い(おまじない)のように、捉える向きもあったのではないでしょうか。他力本願を旨とするお念佛は、往々にして、本質を誤って捉えられる傾向があると思われます。現代の浄土真宗門徒の中にも、同じ誤りを犯している可能性を感じる事があります。お念佛を称えるという形から入るのも一つの道かも知れませんが、何が何でもお念佛と言う考え方には、非常に抵抗を覚えさせられる事が時としてあります。高らかに念佛すべしと言う高徳の方のご見解も承った事がありますが、お念佛は、一人静かにいる時に自然と悦びと共に沸き上がって来ると言うのが本来ではないかとさえ、思う時があります。これは夫々のお念佛に対する関わり方で決るものでもありますから、どうあるべきだと断じる筋合いのものではありませんが、要点を踏み誤っては悲しい事であります。罪滅ぼしを願ってとか、往生を乞い願ってのお念佛は自力を頼んだものであり、阿弥陀仏の摂取不捨の本願力を信じるかどうかが一番大切な事であると、この歎異鈔著者は執拗に繰り返し力説されている訳です。そして敢えて、お念佛を称えているかどうかは問題ではありませんとまで言われているように思います。
  それ程、他力本願の主旨を間違い易いと言うことを、私達も胆に銘じなければならないと思います。

●本文
念佛まふさんごとに、つみをほろぼさんと信ぜんは、すでにわれとつみをけして往生せんとはげむにてこそさふらうなれ。もししからば、一生のあひだ、おもひとおもふこと、みな生死のきづなにあらざることなければ、いのちつきんまで念佛退転せずして、往生すべし。ただし、業報かぎりあることなれば、いかなる不思議のことにもあひ、また病悩苦痛をせめて、正念に住せずしてをはらんに念佛まふすことかたし。そのあひだのつみをば、いかがして滅すべきや。つみきえざれば、往生はかなふべからざるか。摂取不捨の願をたのみたてまつらば、いかなる不思議ありて罪業をおかし、念佛まふさずしてをはるとも、すみやかに往生をとぐべし。

●現代解釈
念佛を称える度に罪が一つ一つ消えると信じているとしたら、それは罪を消してから往生しようとする自力の心から来ていると思います。もしそのような想いでお念佛を称えるとしましたら、私達は、生きている限りは、迷いの中で生きており、むしろ罪を作りつつ生きていると言っても良いので、死ぬ間際まで念佛をし続けてなければ、往生出来ない事になります。しかし考えて見ますと、私達は何が起るか分からない宿業によって生かされている身でありますから、お念佛を称えられない状況にも立たされます。そんな時に作る罪は、どうして滅ぼす事が出来るでしようか。罪が消えなければ往生は出来ないのでしようか、そんな事ありません。宿業によって罪を犯し、しかも念佛を称えられなくて命が終わるとしても、阿弥陀仏の摂取不捨の本願を信じるならば、往生は間違いないのです。

●あとがき
  お念佛を称える事は簡単ですが、『阿弥陀仏の本願を信じる』と言う事は、言葉では簡単でありますが、阿弥陀仏も、本願も、信じると言う事も、たった1回のお説法を聞いてこの身が領解出来るものではありません。親鸞聖人は、20年間の比叡山でのご修行と勉学、29歳で聖徳太子をお祭りする六角堂100日参り、そして95日目に太子のご啓示を受けて訪ねた法然上人の法座通いを経て、漸く辿り着かれた道であります。
  禅宗の難行苦行に比して、浄土門は易行と言いますが、私は、そんなに簡単なものではないと思います。歎異鈔作者も、そんな想いではなかっただろうかと思います。


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2002.03.28

良き師に出遭う

  私は、自分の人生を振り返った時に、良き先生や良き先輩、良き上司に出遭ったと言う想いは残念ながら持ち合わせていません。ここで言う人生とは、学校の勉強とか会社での仕事と言う面での人生です。今の会社を経営するまでに転職2回を経験致しました事と少々関係があるのかも知れません。見習いたい、少しでもその水準に近付きたいと思い、尊敬出来る、所謂『良き師』と出遭え無かったからだと思います。一方の私的人生、趣味のスポーツではお二人の良き師に出遭いました。ですから、テニスは生涯のものとなりました。全日本のトッププレーヤーとして活躍された先輩ですが、お二人ともに、テニスを心から愛している感じが言動に溢れていました。そして謙虚さの中に颯爽とした自信が感じられました。プレー技術に関しましては、ボールを打つ『間』がとても素晴らしく、天才的な球筋とボールコントロールに私は憧れました。少々見所があると思って頂いたのか、私とは所属する団体が異なりましたが、直接手ほどきを受け、また折りに触れてアドバイスを頂きました。なかなかご指導通りには出来ませんでしたが、その方達の存在のお陰で、目標が明確になり、少しでも、その水準に近付きたいと思いまして練習に励み続ける事が出来ました。この良き師のお陰により、私は、社会人になってからも、赴任先の各県のトッププレーヤーとして40代半ばまでプレー出来たのだと感謝しています。

  このテニスでの良き師との出逢い経験から、私は、良き師とは、直接指導を受けた人である事が前提ではありますが、勉強であれ、仕事であれ、趣味・スポーツであれ、その道を心から愛し、且つ技を極めたお師匠さんの事を言うのだと思います。そして技術面の実力だけではなく、日頃の立ち居振舞い、言動、生活態度においても尊敬出来、生きた目標だと思います。

  宗教も同様だと思います。いや、むしろ宗教では、『良き師』が不可欠では無いかと思います。仏教では、その良き師の事を『善知識(ぜんちしき)』と申します。広辞苑で調べますと、善知識は、仏教語で『正法を説き、人を仏道に入らせ、解脱を得させる人』と説明されています。

  親鸞聖人も、法然上人と言う良き師に出遭う事により、お念佛の道に入られました。親鸞聖人は、『たとえ法然上人に騙されて念佛を称えて地獄におちても後悔はしない』とまで、帰依されました。勿論法然上人と言う人物だけを狂信されたのではなく、法然上人を通してお釈迦様、善導大師など中国の浄土系7高僧に帰依し、そして阿弥陀仏の本願に身を委ねられたわけですが、29歳で良き師に出遭った親鸞聖人は、34歳の時に流罪地が土佐と越後と別れ別れになり、それ以後会う事はありませんでしたが、念佛するところに必ず法然上人がいると言う想いを抱きながらの人生であり、本当に幸せだったと思います。
  親鸞聖人と唯園房(歎異鈔の作者)も同様の関係に違いありません。私がこのコラムで度々ご紹介した、井上善右衛門先生(故元神戸商科大学学長)と白井成允先生(故元広島大学教授)は、共に倫理学の博士でありながら、信心を頂かれた念佛者ですが、井上先生が白井先生を語られる時のご表情は、本当に心から嬉しそうなものでありました。親鸞聖人と法然上人は、斯くあっただろう、これが同じ信仰の道を歩む師弟関係なのだろうと言う想いを抱いたものです。
  その井上善右衛門先生は、『師を持たない哲学者・信仰者は、何処か独り善がりと言う面を否定出来ないものだと思います』とおっしゃっていました。その点、禅宗は、『印可』と言いまして、座禅を含めて永年の修行を積み、師匠からお悟りに至った坊さんに、所謂『免許皆伝』とも言うべきケジメの儀式を持ち、必ず印可を与えてくれた師匠がいます。お釈迦様、達磨大師からずっと続いているものだと聞いています。勿論、お釈迦様と同じ悟りの瞬間を得たと、自他共に認可した人々に限ります。
  しかし、浄土門では、禅宗の様に、はっきりした免許皆伝儀式はありません。これは理由があります(歎異鈔にも触れられています)。信心は、阿弥陀仏から賜ったものであるから、師匠とか弟子と言う事ではなく、対等の関係だと言う教えがあり、御同行(ごどうぎょう)とか御同朋(ごどうぼう)と言う言い方を致します。敢えて師匠と言う言い方を避けているように思いますし、特定の一人だけの師匠の存在ではなく、お釈迦様をはじめとして、過去も現在も含めて、色々な方のお陰を総称して、阿弥陀仏から賜った信心と言う徹底した他力の考え方の表れだと思います。しかし、やはりその中でも特に生きた阿弥陀様に出遭えたと言う先輩の存在は、良き師と言っても良いのではないかと、私はそう思います。

  良き師に出遭う事は、一般社会生活におきましても稀であり、幸せであるとは思いますが、信仰の道で出遭う良き師は、この世に受けた生命を光り輝くものにする事は間違いありません。

  私は、多くの阿弥陀仏の化身とも言うべき方々にお会いして参りました。故井上善右衛門先生も、故山田無文老師(元妙心寺派管長)も、西川玄苔老師(名古屋宋吉寺住職)も、故柴山全慶老師(元南禅寺派管長)も、その他沢山の善知識に回り逢いましたが、私は未だ悟りを開いていませんし、信心を頂いておりません。これだけの善知識に出逢いながら情けなくもありますが、こうして仏教のコラムを書かせて頂いているのは、間違いなく、阿弥陀仏の働きなのだと、思わざるを得ません。
  そして、私の本当の善知識は、仏教講演会(垂水見真会)を主宰し、『何故か仏教の事になると燃えるわぁ』と言いつつ私を産み育ててくれた今は亡き母(大谷政子)なのかも知れません。


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2002.03.25

歎異鈔の心―第14條の2項―

●まえがき
  昨夜、午後11時過ぎに無事台湾から帰国致しました。台南と言う台湾で4番目に大きい都市にある、台湾の印鑑業界のトップ企業を訪問して参りました。この時期は卒業旅行を含めて旅行客が多く、名古屋空港からの出国と入国になりました。名古屋から台北(首都)。台北から高雄(2番目に大きい都市)と飛行機を乗り継ぎました。約4時間半程度かかります。そして高雄から高速道路を使用して車で約1時間のところが台南です。道路の舗装状態は、あまり良くありません。交通量は夜10時を過ぎても多く、それにオートバイが多いのにはびっくりしました(写真)。お店も夜遅くまで開いており、日本より活気があるように思いましたが、不景気は不景気だと聞きました。訪問した企業では、私達三人のネームを書いたウェルカムボードを玄関に準備してくれており、丁重なおもてなしを頂きました。私達は納入側であり、普通の日本の企業には無い、心のこもったもてなしには感激しました(写真)。台湾の気温は大体25℃。帰って来た名古屋は寒かったです。

  自力のお念佛は、念佛を称える事によって、罪を消したいと言うものを言います。懺悔のお念佛は無いと言うべきかも知れません。お念佛を沢山称える事によって、日頃の沢山の罪を懺悔し、往生をさせて貰いたいと言う気持ちからするお念佛は、悉く自力のお念佛だと断じています。もう少しはっきり言いますと、往生させて下さいと言う気持ちでする念佛は、自力の念佛だと言う事です。私はキリスト教のすべてを知りませんが、ここのところがキリスト教と浄土真宗の根本的な違いだと思います。『お助け下さい』とか『この罪深い私をお許し下さい』と言う気持ちで称えるお念佛は、自力念佛だと断じているのです。この気持ちから称えると致しましたら、人間は罪深いですから何回もお願いの念佛を称えなければなりません。
  しかし、浄土真宗では、阿弥陀仏の本願を信じて念佛を称えたいと思い立った瞬間に既に救われているのですから、その後はすべて、感謝のお念佛だと言う立場です。御恩報謝のお念佛と言う訳です。
  一般の方には、理屈っぽくて、難しいかも知れません。しかし、自力念佛とはどんなものかは、お分かり頂けたと思います。自力念佛とは、苦しい時の神頼みと言うレベルのお念佛と申しても良いでしょう。これを断じて否定している訳です。

●本文
そのゆへは、彌陀の光明にてらされまひらすゆへに一念発起するとき、金剛の信心をたまはりぬれば、すでに正聚のくらゐにおさめしめたまひて、命終すればもろもろの煩悩悪障を轉じて無性忍をさとらしめたまふなり。この悲願ましまさずば、かかるあさましき罪人、いかでか生死を解脱すべきとおもひて、一生のあひだまふすところの念佛はみなことごとく如来大悲の恩を報じ、徳を謝すとおもふべきなり。

●現代解釈
その訳は、阿弥陀仏の智慧と慈悲によりまして、お念佛を称えたいと思い立った瞬間に、どうしても崩れない固い信心を頂いたのであります。ですから、その時すでに往生は間違いない身と確定しているのですから、死ねば色々な煩悩も罪もそのまま転じて、悟りをひらかせて頂けるのです。この阿弥陀仏の本願が無かったならば、どうして私達のような罪深い人間が、生死から解脱出来るだろうかと感謝せずにはいられません。そして、一生の間称えさせて頂くお念佛の全ては、如来大悲の恩徳に感謝するものであると心得なければなりません。

●あとがき
  私も勉強不足で、はっきりとは言えませんが、浄土真宗は、どうも死んだ後に初めて悟りひらき佛になると言っているようです。しかし、往生が確定した身として、正定聚(しょうじょうじゅ)と言う位を用意しています。一方、禅宗の方は、この世で悟りを開く事を目標にしています。異なるように思いますが、私は、実際は同じだと思います。生きている限りは、肉体を持っており、欲が無くなる事は有り得ません。恐怖が無くなる事はないと思います。肉体が無くならないと、所謂生死から完全に解脱する事はないと思います。煩悩も完全には無くならないと思います。従って、親鸞聖人は、正定聚と言う位を用意されたのではないかと思いますが、これは私自身が、正定聚の位にさせて頂かないと断言出来ません。

  今回、名古屋で時間がありましたので、本屋さんに立ち寄りました。そこで、昔から欲しかった白井成允先生の著書『歎異鈔領解』(たんにしょうりょうげ)と言う本が、高島屋で見付かりました。インターネットで、新本、古本について調べましたが、見付かりませんでしたし、もう既に絶版になっていると諦めておりましたが、大蔵出版から2002年3月20日新装初版として販売されていました。実に3月20日に買い求めましたので、感激でした。私が尊敬する井上善右衛門先生、西川玄苔先生が師事された白井成允先生の著書でもあり、且つ愛読された本であり、一字一句読むのが楽しみです。


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2002.03.21

仏教の悟りについて

  このコラムを読んで頂く頃、私は台湾に向けて飛ぶ飛行機の中です(名古屋9:30発、台北11:50着)。日本企業2社のお二人の社長と共に、台湾企業との取引確定の表敬訪問と共に、台湾とのビジネス拡大に向けて、弊社技術のプレゼンテーション(紹介、アピール)を行うのが目的です。弊社の資金状況から致しますと、台湾出張旅交費は、決して小さいものではありません。そしてこの台湾出張が直ぐに弊社を資金的に助けるものではありませんが、1年後のビジネスの種蒔きとしては欠かしてはいけない出張であるとの経営判断でありますと共に、この台湾行きも、小さな小さな縁の積み重ね、細い細い縁の糸によって実現したビジネス展開であり、縁を大事にしたいという経営信条によるものであります。

  さて、私は、前々回、前回の木曜コラムで、一般の方々にも仏教に多少とも関心を持って頂けたらと、なるべく平易な表現で、『生と死について』、そして、『宗教心について』記述して参りました。今回は、宗教を求めた結果について、仏教では、どう言う到達点が待っているか、悟りを求めると言うものが山を登って行くものとするならば、頂上は一体どうなのかと言う事について、私の知り得るところを一般の方にも分かる表現で記述し、仏教への道先案内になればと考える次第です。

  ただ、悟りの心境は、本来悟りを開いた方から詳細に説明して頂きたいのですが、悟りを開かれた方は、むしろ悟りとはこんなものだと言えなくなるのかも知れません。私自身、悟りも何も体験がございませんので、差し控えるべきではありますが、祖師方のお言葉の端々から、想像を逞しくして、敢えて解説に挑戦する次第ですので、必ずしも真実・事実では無いかもしれない事をご了承頂きたいと思います。

  さて『禅僧の悟りは、無我の境地である』とお聞きになった方もあろうかと思いますが、無我とは、心の中が空っぽと言う事ではなく、俺が俺が(己が己が)と自己に執われていた私が無くなって、天地と一体の生命に目覚める瞬間であると聞いております。 一方、浄土真宗では、回心(えしん)と申しまして、阿弥陀仏の願いを信じて、念佛を称えようと思い立った瞬間、即ち自力(自分の努力で何とかしたいと言う考え)を捨て、他力(宇宙を動かしている力、自然の力→本願力)に委ねしめられた瞬間を申します。

  昭和を代表するお二人の禅僧、故山田無文老師(元妙心寺派管長)も故柴山全慶老師(元南禅寺派管長)も、浄土真宗の回心も禅の悟りも同じはずだと申されていますが、
では、その瞬間はどんな想いが沸き上がるかと想像しますと、禅宗の悟りの瞬間も、浄土真宗の回心の瞬間も、自分の生命が自分だけの生命ではなく、太古の昔から宇宙を動かし、地球上のあらゆる営み、あらゆる生命を演出している『生命の源』との一体感を感じた瞬間だと考えて良いと思います。『私は自分の力で生きていると思っていたけれども、実は宇宙や大自然を動かす力によって生かされていたんだなぁー、空も、星も、雲も、木も、鳥も、私と一体の生命なんだなぁ』と言う感動の瞬間ではないかと思います

  『生命の源』と言う言葉を更に説明致しますと、例えば、数十億枚の葉っぱが生い茂っている大樹を想像して頂きたいと思います。そして、私自身がその大樹の葉っぱ1枚であるとします。葉っぱは確かに生命を持っているけれども、その生命は小枝無くして成り立っていません。小枝も大枝無くして生きられません。大枝は、太い幹そして根っ子へと繋がっています。葉っぱが生きているのは、根っ子があり、根っ子から土中の水分・養分を吸い上げる生命力、『生命の源』の働きがあるからです。そして、葉っぱは、やがて枯れ落ちます。枯れ落ちた葉っぱは、土中のバクテリアによって分解し、水や炭酸ガス、養分に変化して、大樹の生命を支え、新しい葉っぱの誕生へと繋がります。大樹の生命が続く限りは、葉っぱが誕生し、そして枯れ落ちます。葉っぱは死にますが、元の命、樹の生命はそのままですから、葉っぱが死に絶える事はありません。葉っぱはまた、根っ子のお陰だけではなく、太陽の光、雨、勿論空気の存在、そして、死に絶えた動植物を養分として、初めて生きている訳です。葉っぱ1枚、ありとあらゆる周りのお陰で、生きています。人間も全く同じ事だと気付かされ、生命の源を、頭ではなく、体全体で、魂そのもので感じ得た時が悟り・回心の瞬間だと思います。

  禅宗と浄土真宗は、自力と他力と言う風に区別されておりますが、これは、浄土真宗側からの区別でありまして、禅宗の方々が禅宗は自力により悟りを開く教えであると言っている訳ではありません。私も、悟りも回心も、我執の自己が無くなると言う点で少しも変わる事はないと考えております。

  曹洞宗開祖の道元禅師は、次の様に申されています。

仏道を習うは自己を習うことである。
自己を習うとは、自己を忘れることである。
自己を忘れるとは、
万法に証せられることである。
自己を忘れると言う事は、自分の力で生きているのではないことに気づくと言う事であり、それは、万法に証せられる事、即ち、大宇宙によって生かされている自己に気付かされると言う事だと申されているのです。

  江戸時代の名僧、白隠禅師も、『衆生本来佛なり、水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に佛なし』(白隠禅師座禅和讃)と言われており、氷と水は見た眼では固体と液体の違いがありますが分子構造(H2O)は一緒です。水と氷の関係を挙げられて、私達凡夫(氷)は本来佛(水)であると言われているのだと思います。

  親鸞聖人は、『たとえ法然聖人に騙されて、念佛を称えて、地獄におちても、全く後悔はしません。何故かと申しますと、私にはもうどんな修行も役に立ちませんし、地獄行きが決っている程の悪人だからです』と、完璧に自力を放り投げて、他力に委ね切っておられます。

  浄土真宗の学者であり念佛者であった白井成允先生は、このコラムでも度々ご紹介していますが、『いつの日に死なんもよしや、弥陀仏の、み光りの中の、御いのちなり』と詠われていますように、自己が無くなり、自分は弥陀仏の命なのだとまで言われております。

  浄土真宗も禅宗も、その到達する境地は、全く同じものだと言えると思うのですが、悟りにせよ、回心にせよ、私達の知識を駆使し、頭を働かせた延長上に有るものではなく、ある時忽然と至るものであるようです(回心は、何時の間にかと言う事もあるそうですが…)。
お釈迦様は、ある時、暁の明星をご覧になった時に忽然と悟られたと聞いておりますし、白隠禅師も、夜明けの鐘の音を聞いて忽然と、ある祖師は、桃の花を見た瞬間に等など、ある時、何かをキッカケとして、『何だ、こうだったのか』と言う世界が開けると言うもののようです。
恐らくは、悟ろう、悟ろうとして、もがいた挙げ句の果てに、何かのキッカケで知識が吹っ飛び、真実の世界に目覚めた瞬間だろうと想像しております。
  単に、座禅を続けても、お念佛を称え続けてましても、そう言う瞬間は来ないだろうと思います。自己を問い直し、知識を駆使して疑い、自力の限りを尽くし切った後に、我が身にふと体現する他力の働きによるのではないかと思うのです。


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2002.03.18

歎異鈔の心―第14條の1項―

●まえがき
  一般の方が『南無阿弥陀仏』と念佛を称えられるのは、お葬式とか法事の時に祭壇を前にしてとか、お墓参りして、死者を弔う時であろうと思います。もう何百年も受け継がれて来た慣習ですから、致し方無いのですが、『南無阿弥陀仏』と称えるお念佛は、本来は死者を弔うためのものではなく、また、何かをお願いするためにするものでもなく、阿弥陀仏の本願力に出会い、本願力により永遠の生命の中に生かされている事に気付かせて頂いた感謝の表れとして、称えさせて頂くものであると、親鸞聖人は説かれています。自分の意思で唱えるのではなく、称えさせて頂くと言う他力の働きによる念佛という事になります。
  自力の念佛、他力の念佛の区別もなかなか難解でありますだけに、親鸞聖人が生きておられる時から、自力の念佛と、他力の念佛が混同され、論争があったものと思われます。現代でも、自力の念佛に陥り勝ちであります。と言うよりも、私達はなかなか自力の念佛から脱出出来ないのであります。
  他力の念佛をと自分に言い聞かせましても、自力の心から脱し得ないのであります。親鸞聖人に致しましても、ふと気が付くと自力の念佛になりがちな自分に気付いてお出でになります。
  この條で、作者唯園は、そう言う事情も充分知りながらも、自力の念佛を否定されているのだと思われます。
  本文中の『劫(こう)』は、梵語の当て字ですが、宇宙規模の時間の単位で、非常に長い時間の事であり、億劫は更に、人智の及ばぬ位長い時間であり、更に八十億劫は、更に更に長い時間を表現しているものです。

●本文
一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべしといふこと。この條は、十悪五逆の罪人、日ごろ念佛をまふさずして、命終のときはじめて善知識のをしへにて、一念まふせば八十億劫のつみを滅し、十念まふせば十八十億劫の重罪を滅して往生すといへり。これは十悪五逆の軽重をしらせんがために一念十念といへるか。滅罪の利益なり、いまだ、われらが信ずるところにおよばず。

●現代解釈
『八十億劫もの長い間流転輪廻を繰り返さねばならない重罪も、一声のお念佛によって許される事を信じて、念佛に励もうではないか』と主張する人々がいる。この人達の主張は、『十悪五逆を犯した罪人で、しかも日頃は念佛を称えなかった者でも、臨終の時に善知識(信心を得た師)の教えにより、一声の念佛を申せば、それが初めての念佛でも、八十億劫の間迷わねばならないという罪が滅し、十回の念佛を申せば、十八十億劫の間迷わねばならない罪が滅んで、往生を遂げる事が出来る』と言う観無量寿経の言葉によるものと思われますが、これは大きな誤りです。このお経の言葉は、単に十悪五逆の罪の軽重を知らせるために、喩として言われたものです。念佛の回数で、罪滅ぼしを得ようとするのは自力の念佛であり、親鸞聖人の教えを受け継ぐ私達とは大いに異なるのです。

●あとがき
  死者をお弔いする念佛は別と致しまして、私は、自力の念佛も他力の念佛も、既に本願に出会った後の念佛ですから、何れも他力から賜ったお念佛ではないかと思っております。自力、他力と言うのは、相対世界に生きる人間のはからいから区別しているだけものではないかと思うのです。
  私は、未だ小賢しい分別の世界に住んでおりまして、帰依の念佛も、感謝の念佛も、自力の念佛も、他力の念佛は勿論、口にする事はありません。私の口から自然な『南無阿弥陀仏』が出るのは、阿弥陀仏の本願と本願力を信じた回心(えしん)の瞬間だと思います。それまで、大切に取っておきたいと思っております。
  さて、十悪と五逆について、何かを説明致します。

十悪とは、殺生、盗み、邪淫、妄語、綺語、悪口、両舌、貪り、怒り、邪見です。この中、妄語は、嘘。綺語は、お世辞、両舌は、2枚舌です。その他は、一般的解釈で良いでしょう。
五逆とは、(1)父殺し(2)母殺し(3)殺羅漢(4)和合僧を破る(5)仏身より血を出す
これらの罪を犯す人を悪人で、助からない悪人と言う訳ですが、むしろ、私達は、十悪を平気で犯しており、五逆も、実際の行為で犯していなくとも、心の中で犯しているのではないかと言う、罪の意識、悪人の自覚を求められているのですが、なかなか悪人と思えないものです。
自分が真に、十悪五逆の罪人と自覚出来ましたら、無理せずとも他力念佛が、口をついて出るのだと思います。


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2002.03.14

宗教を求める心

  人間以外の動物は、宗教を求めないと思います。しかし一方、宗教を求めない人間も存在する事も確かだと思います。さて、この日本、宗教に関心を持つ人口は果たしてどの程度いるのでしょうか。そしてまた、人間は何故宗教を求めるのでしょうか。或いは何故宗教に関心がない人も存在するのでしょうか。私自身が仏教を求めている心を見詰め直して考察してみたいと思います。

  このコラムを毎回読んで下さる方々は、約40名程いらっしゃいますが、多少宗教に関心をお持ちの方か、宗教にご関心をお持ちでない方だと致しましても、より良く生きたいと言うお考えをお持ちではないかと存じます。
  宗教を求める心と言いますと、堅苦しくなります。平易に『より良く生きたい、苦しみや悩みのない人生を送りたい、幸せになりたいと願う心』と言い換えた方が良いと思います。私も、この願いを間違いなくしかも人一倍強く持っています。

  私の家に14歳になるシェパードの老犬(大きい犬ですが、名前はリトルと言います)がいますが、最近は、足も衰え、殆どの時間は惰眠をむさぼっております。つまらなさそうですが、これは私から見て想う事で、本人(本犬?)は、単に動きたくないから寝ているだけなのでしょう。精神的苦痛はないのでは無いかと想像しております。食欲、散歩欲、睡眠欲は強く持ち合わせている事は感じますが、悩んでいる様子は見受けられず、『幸せになりたい』等とはとても考えていないと思います。
  私とリトルの違いは、『常に、死の不安を抱えている』『常に、選択を迫られている』『常に、我が身が一番可愛いい』と言う想いに追っかけられて、常に不安と焦りに襲われている私と、そうではない動物の違いではないかと考察しています。

  先週のコラムで生と死を取り上げましたが、私は、常に自分の死について考えている訳ではありませんが、常に死の不安を心に秘めている事は間違いの無い事実でございます。ちょっと下腹が痛くなると、『ひょっとして大腸癌ではないか?最早これまでの命か?』と思ってしまいます。超音波検査を受けまして、結果が出るまでの心配な事、出来るはずの無い死の覚悟を試みたりと、お医者さんの第一声が怖くて仕方がありません。日頃は死を忘れて生きていますが、いざとなりますと死が怖くて仕方が無い私です。また、日常の生活では、常に『あれか、これか。こうすべきか、ああすべきか。どうすべきか』と選択を迫られております。まぁ四六時中と申しても良いのではないでしょうか。結婚相手を決める時、受験する学校を選ぶ時、就職先を選ぶ時等の人生の転換と言う程の大きい選択もありますし、女性の方々ならば洋服の買い物をする時に、あれが良いか、これが似合うかと悩ましい選択があります。食事の時ですら、今食べようか後にしようか言った小さな小さな選択もあります。そして、そんな大きな選択や小さな選択を同時に迫られているのが、私の人生ではないかと思うのです。

  そして、常に自分が一番可愛いと言う想いも、消える事がございません。本能ではないかとすら思います。昔から能く聞く喩えですが、何処かで撮影した集合写真を頂いた時、必ず真っ先に自分を探して、良く写っているかどうかを見ます。子供と一緒に写っていても、子供より先に我が身です。それからやおら気になる人に目が移ると言った具合です。我が身が一番可愛いと言う心の現れを仏教では、名聞・利養・勝他(みょうもん・りよう・しょうた)を求める心だとまとめております。そう言えば、何か行動を起こす場合、或いは先程の選択に当っての判断基準になっているのも、この名聞・利養・勝他を追い求める心であると、私には思えます。
  『名聞』とは、名誉や地位を求めたり、人に誉められたい、称えられたい、感心して欲しい、尊敬されたいと言う心です。
  『利養』とは、お金が欲しい、得したい、裕福になりたいと言う心です。
  『勝他』とは、何でも他人より勝りたい、先んじたい、上になりたいと言う心です。

  人間は例外無く、この名聞・利養・勝他の心を持ち、死の恐怖を根底に抱え、焦りの中で人生を過ごしていると言いましても過言ではないと思います。私も間違いなく、この通りでございますが、一方で、この境涯(こう言う生活態度・心の動き)から逃れたいと言う想いを抱いております。何とかして逃れたい、乗り越えたい、心を転換したいと言う強い希望を持っています。持ち続けて何十年と言うべきでしょう。
  この、『これではいかん、何とか生き方を変えたい、価値観を変えたい』と先人の経験、人生観に学ぼうとするのが、宗教心の芽生えだと言ってよいのではなかろうかと存じます。そして、お釈迦様の到達されたご心境に共感を覚え、近付こうとするのが、仏教で言うところの悟りを求める心だと思います。

  死に対する不安、選択に迫られ、名聞・利養・勝他を求める境涯は、すべての人が共有するものだと存じますが、この境涯から逃れたいと強く想う事が、宗教を求める心であると申しましたが、この境涯から逃れたいと思わない人も間違い無く存在致します。徹底して名聞・利養・勝他を追い求め続けて人生を終える人や、この悩ましい境涯から逃れられる訳が無いと諦めたり、人生とは、こんなものだと逆に達観して人生を終える人達もいる事も事実だと思います。やはり先週のコラムで、辞世の句『露とおき露と消えぬるわが身かな 浪花のことも夢の亦夢』を遺した豊臣秀吉がまさにそう言う人生であったと思います。また、私の父や兄がそうですが、元々名聞・利養・勝他をそんなに激しく追い求めず、淡々と人生を渡っていると言う人もいる事も確かだと思います。所謂、物事に執着が少なく、元々迷わない、悩まない人ですが、こんな人は、罪深くなく、宗教を必要としないのだと思います。

  もし、私と同じように、『人生は苦だ、しかしこの苦から脱出したい』と切望される方は、既に宗教の入り口、私流に申しますと、仏教の悟りへの道のスタートラインに立たれていると申して良いと存じます。そして、必ず悟りに到達する手形を頂いたようなものだと言って良いと思います。

  悟りとは何でしょうか。来週のコラムで説明してみたいと思います。私は未だ悟りの手形の決済が出来ておりませんので、私自身の言葉で語る事は出来ませんが、祖師方、先生方から聞いた範囲で、お伝えしてみたいと思います。


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