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No.590  2006.4.24

歎異抄に還って―はじめに

所感に引き続きまして、先ず歎異抄の全貌を見渡して見たいと思います。 昨日、全くたまたまでありますが、テレビを見て私は始めて知ったのですが、この4月からNHKの『こころの時代』で「歎異抄を語る」と言う表題のシリーズが始まりました(多分1年間続くものと存じます)。幸いにも第一回を見る事が出来たのでありますが、ご講師は武蔵野大学教授の山崎龍明師であります。早速購入した副読本のテキストに、歎異抄の全章が命名されていた部分がありました。この命名者は、江戸時代末期の『歎異抄』研究者である妙音院了祥師(1788〜1842年)でありますが、これから始めて歎異抄に接する方も、歎異抄を大掴みに知ることが出来るのではないかと、『はじめに』ご紹介したいと思う次第であります。

折角のご縁でございますので、この『歎異抄に還って』の参考書として、白井成允先生と高史明師のご著書に山崎師のテキストと講義内容を組み入れながら進めて参りたいと思います。

さて、歎異抄は親鸞聖人が書かれたものではなく、親鸞聖人の死後約20年経った1283年頃、歎異抄の中に名前が出て来る「唯円(ゆいえん、1222〜1288年)」と言う親鸞聖人の弟子が『歎異抄』の名前の通り、親鸞聖人の説かれた教えと異なった理解が弟子たちの間に散見される事を歎いて、後の世において親鸞聖人の教えを学ぶ人々の為に親鸞聖人の教えの真実を書き遺されたものであります。

それだけに、この歎異抄は懇切丁寧且つ配慮深く整理されております。前半10章は、著者唯円坊が直接親鸞聖人からお聞きした中でも耳の底に留まるところ=A忘れようとしても忘れ得ない深い肝銘を覚えたところをそのまま記した部分であり、後半8章は、「親鸞聖人の仰せにあらざる異義ども」が世間に行われているのを聞いて、その「言われ無き条々」を細かく考え、親鸞聖人の仰せに照らしてこれを批判し是正したものであります。そして、18章が終わって最後に全てを結ぶ長い1章があり、その中には著者の歎異のこころに映る親鸞聖人の追憶と共に、著者が特に「大切な証文」と呼べる親鸞聖人の御持言が二条ばかり書き残されています。

この歎異抄を妙音院了祥師は、18条を次の様に命名されています。(  )内の説明書きは、山崎師の添書きであります。

師訓篇(10条)

第一章 弘願信心章(ぐがんしんじんしょう、弥陀の誓願とは)
第二章 唯信念仏章(ゆいしんねんぶつしょう、ただ念仏のみ)
第三章 悪人正機章(あくにんしょうきしょう、悲しき者の救い)
第四章 慈悲差別章(じひしゃべつしょう、慈悲と愛)
第五章 念仏不廻章(ねんぶつふえしょう、父母のために念仏せず)
第六章 誡弟子諍章(かいでしじょうしょう、弟子一人も持たず)
第七章 念仏無碍章(ねんぶつむげしょう、絶対自由の道)
第八章 非行非善章(ひぎょうひぜんしょう、念仏は私の行にあらず)
第九章 不喜不快章(ふきふかいしょう、真実に背く自己)
第十章 無義為義章(むぎいぎしょう、はからいなき信心)
異義篇(八条)
第十一章  誓名別信章(せいめいべつしんしょう、本願と名号の関係)
第十二章  学解念仏章(がくげねんぶつしょう、なんのための学び)
第十三章  禁誇本願章(きんこほんがんしょう、親鸞と唯円の対話)
第十四章  一念滅罪章(いちねんめつざいしょう、滅罪と報恩の念仏)
第十五章  即身成仏章(そくしんじょうぶつしょう、かの土にてさとりを)
第十六章  自然廻心章(じねんえしんしょう、人生の方向転換)
第十七章  辺地堕獄章(へんちだごくしょう、化土は地獄か)
第十八章  施量別報章(せりょうべつほうしょう、布施とさとり)

さて、世の中一般では、歎異抄と言えば親鸞、親鸞と言えば歎異抄と言う位に捉えられているものと思われますが、学問の世界では、歎異抄は必ずしも親鸞聖人の教えそのものではないと論じたり、極端な意見としては、親鸞聖人の教えとは全く異なる点があると論ずる学者もいるようであります。しかし一方では、吉野秀雄氏(歌人、良寛研究の第一人者)のように、もし歎異抄が親鸞聖人のものでないならば、私は親鸞宗から歎異抄宗に鞍替えしてもよいと言う位に『歎異抄』に傾倒している方々も多いと思われます。

歎異抄は唯円坊が書かれたものであり、唯円坊が理解した親鸞聖人の教えに基づいているのでありまして、歎異抄が親鸞聖人の教えの100%を物語っているはずはない事も確かでありますし、若干ニュアンスの異なるところもあるのは避けられないと思います。従いまして、学問的な議論は学者さん方にお任せして、私達は、歎異抄を通して、また歎異抄を我が人生との関係で読み取り、読み込みまして、親鸞聖人の教え、ひいては仏法の真理に目覚める事が何よりも大切な事ではないかと思います。

異なるを歎かれているのは外でもない、私自身であると心しながら、歎異抄を再び勉強したいと思います。『歎異抄に還って』とは、そう言う気持ちを込めさせて頂いた積りであります。
前置きが長くなりましたが、次回から、いよいよ本文に入らせて頂きます。


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No.589  2006.4.20

人生における優先順位第一位は?

先週の木曜コラムで私は、「私の優先順位第一位に付きまして、次の木曜コラムで語らせて頂きます。抽象的ではありますが、平易な表現を致しますならば『人間に生まれたからこそ出来る事』から具体的項目を抽出したものであります。」とお約束致しました。結論から申しますと、『人間に生まれたからこそ出来る事』に関する優先順位第一位は、「いつ死を迎えても人生に悔いなしと思える生き方をしなければならない(=私利に走らず利他を優先する)」と言う事であります。

それは、死を乗り越える事でもありますが、今のところ、私自身死を全く恐れないようになるのは極めて難しいことであると考えております。空(くう)を悟れば、「我が生も空、我が死もまた空である」と云う事になり、無執着の心境に至るとも言われておりますが、「死ぬのはやっぱり心地の良いものでは無い」と言われながら亡くなられた禅僧も居られましたし、歎異抄第9条に紹介されている親鸞聖人の「勇躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へまいりたくそふらはんには、煩悩のなきやらん、とあやしくさふらひなまし」と言うお言葉等から推測致しましても、親鸞聖人も勇んで死んでいける心境には無かったと考えるべきでありましょう。

しかし、親鸞聖人は心の奥底では、ご自身の生死(しょうじ)は阿弥陀仏の御計らいにお任せになって居られた事もまた間違いの無いところであります。そうして『世の中の平穏と仏法興隆』を願って、他力本願の仏道をまっしぐらに歩まれ、また人々にも説き勧められたのであります。私を捨てて、仏法に一生を捧げられ=uいつ死を迎えても我が人生に悔いなし」と自覚されていたのではないかと思っております。

自分の為だけではなしに、周りにいる他の人々のみならず、私達のような後代の人間の為にも、法然上人が開かれた浄土の真宗(本願他力の教え)をお釈迦様の意に沿うものであるとして、『教行信証』をまとめられ、また一般民衆にも分かり易い平易な言葉で謳い上げた和讃も遺されたのでありますが、このような大事業は人間に生まれ、そして仏法に出遇われて始めて為し得たものであると私は思っておりますし、それだからこそ、臨終には「我が人生に悔いなし」と「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏を称えられながら安らかに人生を閉じられたのだと思います。

今年で生誕百年、亡くなりまして丸20年となります私の母は、生前「仏法の事になると燃えるわぁー」と申していましたが、5人の子供を女手一つで育てながら仏法を聞く会(垂水見真会)を主宰して36年、お釈迦様、また親鸞聖人の教えを地域社会の人々に紹介し仏法と縁結びをする事に死ぬ直前まで命を捧げていたのだと思います。

自己の欲望満足の為に東奔西走して終わる人生では、他の動物と何ら変わるところがありません。動物が他の為に行動するのは、せいぜい母性愛と言う本能から子供を守り育てるだけの事であり、仏法で言う『利他』の行為は一切出来ないのであります。人間だけが利他の行為を為し得る心と能力を与えられています。この人間にしか与えられていない心と能力をフルに生かす事が、この人生で一番優先すべき事だと思います。

消費者金融のように、経済的弱者に返済不能なお金を超高金利で貸し付け、多重債務に陥(おとしい)れ、命まで奪い取ったり、或いは壊れやすい建物を偽装設計したり、それを高額で売り付けたりする詐欺を働いたり、自分さえお金が儲かるならば他の人がどれ程の苦難に陥ろうとお構いなしと言う違法行為は言語道断でありますが、違法行為までは犯さなくとも、社会からの恩恵を受けるばかりで、自らは一切社会の為に働かないと言うことでは、折角人間に生まれながらまことに勿体無い人生であります。

と申しながら、私自身も未だ未だ社会の為に役に立っているとは申せませが、冒頭に述べた私の優先順位第一位を現実のものとする為には、先ずは成人病を抱えている身を自覚致しまして、寝たきりにならないようにウンと節制・管理する事を優先順位第0位にすべきだと思います。社会の為に働く以前に為すべき事、『先ず健康!』を心掛けつつ、冒頭の優先順位第一位を護り続けるように頑張る事を誓いたいと思います。


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No.588  2006.4.17

歎異抄に還って―所感

歎異抄はこのコラムで一度『歎異抄の心』として、2001年5月28日から2002年の7月15日に亘って勉強したものであります。この時期は、私が経営する会社が既に主たる事業が中国に持っていかれる事が確定しており、劇的なリストラを断行せざるを得なかった時でありました。『歎異抄の心』を開始した2001年5月頃は未だ従業員が25名程度居りましたが、それから2002年1月末には20名を解雇し、4月末には更に4名を解雇して従業員はとうとう1名へと急激な変化が生じた時期でありました。あれから丸4年経過する中でも、賃貸工場を立ち退き、残った従業員1名も解雇、そして10年間一緒に仕事をした長男にも再就職させ、会社本店所在地の登記を自宅に移転し、今や私一人で細々と生き永らえている状態へと変化しております。

急転する人生を経験する中で、私の心の支えになって来たのは、家族、そして落ちぶれ者を見捨てることなく逆に励まし続けてくれる友人の存在ではありますが、一番の支えは何にも増して仏法であり、そして「善友」であるところの妻であります(昨日更新した『唯識の世界』で申し述べました)。

冒頭の経緯を含む丸4年を経て読み直す『歎異抄』、そして親鸞聖人が書きのこされた『正信偈』を学び終えて読む『歎異抄』は、これまで気付き得なかった親鸞聖人のお心に触れる事になるのではないかと予見しております。

『歎異抄』は、親鸞聖人が直接説かれたものではなく、親鸞聖人から直々に教えを蒙られたお弟子「唯円坊」が書き遺された著書でありますが、親鸞聖人が日常生活の中で交わされた会話を含んでおりまして、聖人の人間性が窺えまして、和讃と共に、親鸞聖人の名著『教行信証』には無い親しみを感じさせる役割を果たして余りあるものがあると言う高い評価を得ているものであります。もし『歎異抄』が本願寺の奥の院で眠ったまま、世に紹介されなかったならば、親鸞聖人の教えは本願寺教団と一部門徒の間に止まり、私達現代人に、更には欧米に広がる事はなかったと言われる位であり、この『歎異抄』の存在は仏教史にさえ多大な影響を与えたものであります。

今回は、主として、故白井成允先生のご著書『歎異抄領解(たんにしょうりょうげ)』を参考文献とさせて頂き、1年以上をかけて勉強し終えたいと思っております。また現代語訳は、高史明師が昭和63年にNHKの『こころをよむ』と言う番組で講義されたテキストに為されているものを更に現代的な表現に書き改めさせて頂こうと考えております。

高史明師の紹介:
1932年(昭和7年)、山口県に在日朝鮮人2世として生まれる。高等小学校中退後、さまざまな底辺労働を遍歴。政治活動にも参加するが、やがて文学に道を求める。『歎異抄』を、最初に紐解いたのは、この頃のことである。 1975年、岡百合子との間のひとり子、岡真史が自死。このことが縁となって、改めて『歎異抄』に導かれ、今日に至る。 著書には、『生きることの意味』『いのちの優しさ』『少年の闇』『深きいのちに目覚めて』などがある。


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No.587  2006.4.13

優先順位

人間生きている限り、生きているその時点で自分が抱えている課題(解決しなければならない問題)は殆どの方は複数、場合によりましては5件を超えるかも知れません。年齢と共にその課題は移り変わって参りますが、中学生や高校生のお子さんをお持ちの方に取りましては、希望の高校、大学に入ってくれるかどうかが一番の関心事であり、しかも優先順位は一番かも知れません。しかし、そのご両親が離婚の危機にあるならば、優先順位は離婚の方に一番を譲らねばならないでしょう。しかしまた、その家族の中の誰かが死に直結する病を告知されたなら、その病への対処が優先順位一番になる事でしょう。

同じ課題を抱えていても、優先順位の順序は、家庭・家庭で入れ替わるものだと言う事は、胸に手を当てて考えて頂ければ、直ぐに納得出来るものだと思います。

この優先順位というものは、私生活上だけではなく、企業においても、大きくは政治の世界でも、非常に大切だと思います。この優先順位を適切に付けられるかどうかが、企業において仕事が出来るかどうかの判定基準になっているものと思われます。部下が抱えている課題は上司の課題でもありますけれども、上司は他の部下に与えている課題も抱えていますから、上司の優先順位一番は、必ずしも自分の優先順位一番の仕事ではないかも知れません。今の時代は特に、日々上司の課題の優先順位は目まぐるしく移り変わって行くのだと思います。企業に在っては、上司の優先順位一番を常に把握する事が、出世への道である事は間違いないと思います。

日本国家にとっての優先順位は正しく定められているのでしょうか。内閣総理大臣の一番の仕事は、優先順位第一位を政府内にも役人にも、そして何よりも国民に示すことだと思います。それが不明確故に、ビジョンが無いと言われ、継ぎ接ぎ(つぎはぎ)だらけの政治になってしまっているのだと思います。小泉首相だけではなく、ここ20年近くの歴代首相すべてがそうではなかったかと思います。
勿論野党にも同じ事が言えると思います。勿論、優先順位を付ける作業は言う程容易いものではありません。でも、これが明確でない国家は、羅針盤の無い船と同様に、行き先も分からないまま漂流するしかありません。

国家もそうですが、私達の人生の優先順位も大切です。これが明確でないと、単に食べて寝て起きて、ちょっと楽しい事に喜び、辛い目にあって悲しみ、人生はあっと言う間に過ぎ去ってしまいます。 「あなたの優先順位第一位は何ですか?」と聞かれた場合、あなたは直ぐに答えが出せますか? 「お金を儲ける事」「子供を立派に育てる事」「マイホームを建てる事」「出世する事」・・・そのような答えでありましても、直ぐに出るならば大したものかも知れません。しかし、これらは全て、手段だと思います。その上位に目的があり目標があると思います。

私達が間違い易いのは、真の目的を忘れてしまって、いつの間にか手段を目的と勘違いしてしまう事です。政治も、仕事も、私的生活の場においても然りであります。偉そうな事を言っている私自身が、その例に漏れませんでした。でした≠ニ言う過去形を使いましたのは、この六年間で、過去の人生ではして来なかった様々な経験をし、また仏教経典を学び、皆様に経典をご紹介するコラムにまとめて行く中で、かなりはっきりと優先順位第一項目が見えて来たように考えているからであります。

私の優先順位第一位に付きまして、次の木曜コラムで語らせて頂きます。抽象的ではありますが、平易な表現を致しますならば『人間に生まれたからこそ出来る事』から具体的項目を抽出したものであります。皆様にも、手段ではなく目的と言う事で、ご自分の優先順位第一位を考えて頂きたいと思います。


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No.586  2006.4.10

正信偈の心を読む―第48講【依釈段−結勧】

●まえがき
昨年の4月18日に始めたこの『正信偈』の勉強もほぼ一年後の今日最終回を迎える事となりました。 『正信偈』は、私自身が小学生の頃から空で覚えていたお経でありますが、今回勉強するまでお経の意味するところを全くと言って良いほど知りませんでした。「善導独明仏正意」と言う「ぜんどう・・・・」と言う善導章が始まれば、お経も半ばであることを知っていましたから、「これでやっと半分かぁー」と、お経を唱えている母親の背中を見ていた事を今思い出しております。

今日が正信偈の締め括りの章であり、高僧方への感謝の心がしっかりと示されていますが、今回の勉強を通して、親鸞聖人が法然上人を師匠として敬愛され、そしてその背景に中国・支邦の高僧方、そのまた背景に阿弥陀仏の本願を感じられていたことが知れ、親鸞聖人の信心の源を感じた次第であります。

●依釈段(結勧)原文
弘経大士宗師等(ぐきょうだいししゅうしとう)
拯済無辺極濁悪(じょうさいむへんごくじょくあく)
道俗時衆共同心(どうぞくじしゅうぐどうしん)
唯可信斯高僧説(ゆうかしんしこうそうせつ)

●依釈段(結勧)和訳
弘経の大士宗師等
無辺の極悪濁を拯済(しょうさい)したもふ
道俗時衆共に同心に
唯斯の高僧の説を信ずべし

●大原性実師の現代意訳(全文)
真実の教を弘めて下された高僧知識の方々は、限りなき苦悩と罪濁の人々をお救い下さいます。この世に生を受けた人々は道俗共に一味の心となって、ただ、これら高僧の遺しおかれた仰せを信ずべきであります。

●梅原眞隆師の解釈(全文)
三国の七祖は相ついでこの世に出でさせられ、釈尊の経説を頂き、本願の名号を仰いで、辺(ほとり)ないほど数多き五濁悪世の衆生を救うてくだされた。世の人々よ、出家たると家たるとを問わず、共に心を同じうして、唯この高僧方の説かれたことを信ずべきである。

●暁烏敏師の解説
『正信偈』の一番始めに、「無量寿如来に帰命したてまつる 不可思議光に南無したてまつる」と、自督を述べられました。そして、その信心の相をお述べになり、七高僧の御化導をお述べになった。最後に、「唯斯の高僧の説を信ずべし」とおっしゃった。この「帰命無量寿如来」というお言葉と、「唯可信斯高僧説」というお言葉を比べると、帰命無量寿如来は、自ら帰命するのである。その心は誰から伝わったかというと、七高僧方のお骨折りで我々に伝わったのである。

我々の帰命無量寿如来の信心は、この七高僧が濁悪の我々を憐れんで下さった、その尊い御教えが到り届いて下さっただけだ、といわれるのであります。

「唯斯の高僧の説を信ずべし」というと、何か人に対して命令せられているように受け取れますが、これは自らのお領解(りょうげ)を申されたのであります。帰命無量寿如来というこの信心は、三国のこの高僧方の説を真受けにしたより外はないのであります。お教えを頂いて、はじめて無量寿如来に帰命したてまつるのである。我々の信心は、我が賢くて得たのではない。如来の教えが我々に現われて下さったのである。

●あとがき
この正信偈を学んで後に再び勉強しようとしている『歎異抄』がどのような事を語りかけてくれるのか、大変楽しみであります。 皆さんと共に、わが人生を重ねながら、読み進みたいと思っております。

『正信偈の心を読む』と大それたネーミングを採用させて頂きましたが、親鸞聖人のお心を読み解くまでには未だ至り得ませんでした。この点に付きましては、これから『歎異抄』を読みながら『正信偈』の心にも立ち帰らせて頂き、更に理解を深められればと考えている次第であります。


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No.585  2006.4.06

民主党代表選

最近は、仏法以外の事に関しましては、ブログ『世事雑感』に意見表明をさせて頂いておりますが、今回は、民主党の存亡に拘る代表選であることから、コラムに昇格させて、論じた次第であります。

偽メール問題の処理を誤って前原執行部が総退陣し、民主党は代表選挙へと舞台が大きく廻りました。あるテレビコメンテーターが、「政権交代に力を注がねばならない民主党が、党首交代ばかりにエネルギーを費やしている」と言っていましたが、これは至言(しげん)だと思いました。

ただ、私の考察では民主党が政権交代に成功することは無いと思っています。そしてもし、たとえ民主党が政権交代を実現出来て民主党政府が出来たにしても、民主党が考える行政改革が出来るはずが無く、あの細川政権と同様、半年も持たずに政権を投げ出すに違いないと思っています。もう50年以上も自民党とスクラム組んで政策を実行して来た霞ヶ関の役人達が、そう簡単に仕事のやり方を変えたり、毛色の異なった大臣の言う事に従うはずが無いからであります。

政権交代必要論が出て来たのは、日本政府がお手本として捉えている先進国であるアメリカ、イギリスがそうであるからと言う事でしか無いと思われます。しかし、アメリカで共和党と民主党がかなり頻繁に政権交代が出来ているのは、政権の交代と共に、事務方がそっくり入れ替わるからであると聞いています。
私が政権交代の難しさを述べる根拠は日本の国民性にあります。農耕民族は元来保守的であり、変化を好みません。だからこそ、江戸時代は400年近くも続き得たのだと思います。400年もの長きに亘って徳川家が君臨出来たのは、間違いなく日本の農耕民族をルーツとする国民性に依るものだと思います。戦国時代であるとか、政権交代が頻繁であった時期は、国民は安定を求めていたが、上流階級が権力闘争をしていただけだったと考えています。今の日本国民には元々は変化を好まない保守的な農耕民族のDNAがしっかり埋め込まれていますから、民意が反映される今の政権選択にあっては、単にこれまで続いて来たからと言う理由だけで、自民党政権が続くと言うシナリオしか描けないのであります。

さて、代表選に付いてでありますが、小沢一郎氏と菅直人氏の二人の立候補表明があったようですが、昨日の朝日新聞の社説に堂々とぶつかり合え≠ニ『話し合いによる一本化は、渡辺恒三国対委員長の指摘を待つまでもなく、「国民から見れば談合」にほかならない。地に落ちた国民の支持を取り戻すどころか、民主党離れをいっそうひどくするだけだ』と論説していましたが、私は、それは違うのではないかと思いました。

堂々とぶつかり合った後に、堂々と手を握り合う大人の政党ならばいいのですが、そんな政党ではないからこそ、メール問題の処理に時間が掛かり、また真相も分からないままではないのかと思います。党内がバラバラの民主党であるからこそ、「ここは私が幹事長として貴方を支えますから、貴方が代表になって下さい、そして先ずは党内を一本にまとめて、共に政権奪取に向けて頑張りましょう」と話し合いで一本化しなければならないと、私は考えます。これは談合では無いと思いますし、談合と非難されようと構わないではないかと思います。

既に、二氏による立候補表明がありましたから選挙に突入するしかありませんが、もし、二人の間で「選挙で代表に選ばれなかった者は幹事長になって代表を支える」と言う密約が交わされていなかったとしたら、どちらが代表になっても、民主党の将来は無いと考えるべきだろうと思います。

これは野党の代表選である限り致し方ないと思います。と言いますのは、政権与党の代表者選びは、総理大臣選びでもありますから、代表に選ばれた者は大きな権力を握ります。大臣ポスト配分の裁量権を持つ代表に対して、代表選で負けた者は素直に頭を下げるしかないのであり、代表には図らずも求心力が増大しますが、野党の代表になっても何の権力を握る訳ではありませんから、代表に求心力が働くはずもありません。代表に選ばれなかった者は、最大の党内抵抗勢力になるのは必然であろうと思われます。従いまして野党の代表(党首)は、党内の批判・抵抗勢力とも闘い、自民党とも闘わねばならないのでありますから、それはそれは大変な立場であり、何か事があれば辞任せざるを得なくなるのは当然であり、その証拠に、党首交代劇ばかりしか印象にない民主党に成り下がっているわけであります。

静かに自己を顧みる自己洞察力があれば、今回のような偽メールを掴まされる事も無かったでしょうし、代表選挙も回避し得たであろう事を思う時、真の知恵者が居ない政党が政権を取れるはずもないと思う次第であります。


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No.584  2006.4.03

正信偈の心を読む―第47講【依釈段(源空章)―B】

●まえがき
親鸞聖人が『教行信証』を表わされたのは、法然上人の『選択本願念仏集』が旧仏教からこぞって批判され、否定されたことが間違っていることを主張されるためであったようであります。旧仏教からの批判は法然上人と親鸞聖人の流罪となって具体化されるのでありますが、その批判に対して、法然上人の教えの根本は、信心であることを論理的にまとめられたのであります。

日本の浄土門は浄土宗と浄土真宗に分かれておりまして、浄土宗の方は、どちらかと言いますと、信心を第一にされているような印象しかありません。しかし浄土真宗も、中には浄土宗的な立場に見て取れる方々もおられますし、信を第一にされる方々もおられます。

本当は、法然上人も親鸞聖人も信心を大切にされたのでありますから、本来、日本の浄土門に二つの宗派があることはおかしいのでありますが、私達在家の者は、宗派とは関係なく、法然上人ご自身が説かれた信心がなければ救われないと言う教えを親鸞聖人と共に受け継いで行きたいものであります。

●依釈段(源空章)原文
本師源空明仏教(ほんしげんくうみょうぶっきょう)
憐愍善悪凡夫人(れんみんぜんまくぼんぶにん)
真宗教証興片州(しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう)
選択本願弘悪世(せんじゃくほんがんぐあくせ)
還来生死輪転家(げんらいしょうじりんてんげ)
決以疑情為所止(けついぎじょういしょうし)
速入寂静無為楽(そくにゅうじゃくじょうむいらく)
必以信心為能入(ひついしんじんいのうにゅう)

●依釈段(源空章)和訳
本師源空は仏教に明らかにして
善悪の凡夫人を憐愍し
真宗の教証を片州に興し
選択本願を悪世に弘めたもう
生死輪転の家に還来することは
決するに疑情を以って所止と為す
速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは
必ず信心を以って能入と為す

●大原性実師の現代意訳(全文)
本師である源空法然上人は一大仏教に通達されましたが、善悪の凡夫を憐れまれ、浄土門を独立せしめ、真の教えをこの日本に興し、本願の大道をこの悪世に弘(ひろ)められました。この迷いの世界に幾度も生まれ代わり死に代わりして、これより逃れ出ることの出来ないのは、疑いの心に滞(とどこお)っているからであり、速やかに悟りの世界に入ることの出来るのは、ただ信心一つによるのであると仰せられています。

●梅原眞隆師の解釈(全文)
本宗の祖師たる源空法然上人は、仏教を詳しく究められた上で、善悪一切の凡夫を憐れんで、凡夫の救われる真宗の教義をこのアジア大陸の片寄った日本の国に興され、念仏一つを選ばれた第十八願の旨趣をこの五濁悪世に弘められた。この教旨の要は信心を勧め疑情を誡めることに尽きている。即ち我らが生死の家に果てしなく迷いを繰り返すのは、紛れもなく、疑情に繋がれているからである。すみやかに寂静のみやこに入るには必ず信心の因があらねばならないと仰せられました。

●暁烏敏師の解説
法然上の念仏は単なる口先のものではありません。一番大事なのは信心だというので、その心を明らかにするために書かれたのが、『教行信証』であります。ここに信の尊さを表わされたのであります。法然上人の教えは信心一つであります。信心為本であります。『選択集』は長いのですが、要するに「生死の家には疑情を以て所止とし、涅槃の家には信を以て能入とす」と言われました。何故我々は迷いの世界に止まっているのか、それは疑いがあるからであると。疑いが晴れて信を得たら浄土へまいる。これだけに法然上人の腸(はらわた)を解されたのであります。親鸞聖人はそこを見抜かれたのであります。

親鸞聖人の仰がれる法然上人は、信心為本であります。単なる念仏ではありません。信心のある者は助かる、信心のない者は助からない、という教えが法然上人の教えの要であります。その思し召しのあるところを、上人没後において明らかにされたのであります。

信心があって始めて寂静無為の楽しみに入ることが出来るといわれていますが、これは私たちの生活でも、人を疑うとイライラするものであります。誰に対しても、自分の子供に対しても、或いは親に対してもつれあいに対しても、友達に対しても、何れの点か一点の疑いがあると一挙一動不安です。その人の言うことすること、総てが不安になります。従って、その人に対して言う事もすることも、やはり不安です。落ち着きがありません。そして何かに脅迫されてしまいます。疑いは恐ろしいものであります。疑いは地獄を作るのです。

「生死輪転の家に還来することは 決するに疑情を以って所止と為す 速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは 必ず信心を以って能入と為す」ですから極楽・地獄といいますが、それは信心があるかないかで決まるのであります。法然上人の教えはこれだけであります。ただ信をお勧め下さるのであります。

●あとがき
疑うというのは、何を疑うかと申しますと、阿弥陀仏の本願であると言ってよいと思います。本願を信じられて始めて人生に落ち着きが出て来るのだと思いますが、この疑いの心は、そう簡単には晴れるものではありません。

阿弥陀仏の本願よりも、お金や社会的地位の方を大切に思い、それらを信じて生活しているのが凡夫の偽らざる生活であります。法話を聞きましてもなかなか疑いは晴れませんが、これは自分の力を頼りにしているからであります。しかし、何れは自分の邪見驕慢具合を知らされる時が来ざるを得ないと思います。その時に始めて本願を頼りにしないと生きられなくなるのではないでしょうか。頼りにならない自分に気付かしめられざるを得ないことになるのだと思います。

さて、いよいよ次回、正信偈も最終回を迎えます。


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No.583  2006.3.30

歎異抄に還ります

もう少し、あと2回で正信偈の勉強は終わる予定であります。その後どの経典の勉強をしようかと思案して参りましたが、歎異抄に還りたいと思います。歎異抄は、このコラムでは『歎異抄の心』として、2001年5月28日から2002年の7月15日に亘って勉強したものであります。あれから既に4、5年経過しており、私自身の経済的困窮度合いはあまり変わらなくとも、心境、信心の有り様におきましてはかなり変化したように感じております。

実際、人は同じ書物を読みましても、読む時が異なれば内容の受け取り方が異なり、異なる書物に感じることがあると申します。子供を亡くしたり、最愛の伴侶を亡くしてから読む歎異抄とそれ以前に読んだ歎異抄は全く趣きが変わると聞いております。書物の文章も文字も変わらないけれども、読み手の6感(眼耳鼻舌身意)が変化すれば、当然変化することは唯識の説くところからも容易に想像が付きます。私自身、どのように自分が変わったかを今は把握しておりませんが、再び歎異抄の勉強を進めるに従いまして、それは次第に明らかになって行くものであろうと少々楽しみにしているところであります。

今回は、主として、故白井成允先生のご著書『歎異抄領解(たんにしょうりょうげ)』を参考文献とさせて頂き、これも、1年以上をかけて勉強し終えたいと思っております。白井先生は、ご長男を戦後のシベリア抑留で失い、奥様を若くして亡くされ、再婚されましたものの、その再婚の奥様もまた永き闘病生活をされると言う真に苦難の連続を経験されました。倫理学の学者(広島大学名誉教授)であられる一方、念仏者として尊敬を集められた方であります。西川玄苔老師(曹洞宗)は、白井成允先生に出遇われて信心を頂かれたのでありますが、初対面の時は、生きた阿弥陀様に出遇った気がしたとおっしゃっておられました。誰しも苦労をしたくはございませんが、人を導く役割を背負ってこの世に生を受けられた方にはそれなりの試練が与えられるのかも知れません。そしてその苦労を乗り越えられた方のご法話であるからこそ尊いものであろうと思われます。

私達は、苦難をどのように乗り越えたかと言う一点が知りたくて法話の席に足を運んでいる訳でありますから、もし何の苦難に遇うことなくただただ幸せな一生を過ごした人があったと致しましたら、そのような方のお話は恐らく私の耳に入らないと思います。誤解があってはなりませんが、死ぬほどの苦労をしなければ信心が得られないというのではないと思います。以前のコラムで申し上げましたが、仏教は一切皆苦(いっさいかいく)を法印の一つとして考えます。むしろ「私達の人生は苦である」と正しく認識しないと仏法は始まらないと言うことだと思います。もし人生を幸せだと感じていると致しましたら、それは人生を正しく認識していないと言うことになるのだと思います。すなわち、それは正見(しょうけん)ではなく邪見(じゃけん)であります。正見(正しい見解、縁起の理)を持つことが本当の幸せであると考えて一生仏道を歩まれ、また人にも説かれたのがお釈迦様であり親鸞聖人であります。

親鸞聖人の代表的なご著作『教行信証』は格調高い書物であり、私達にはとっつき難いところがありますが、歎異抄は、親鸞聖人の日常会話をまじえながら、裃(かみしも)を脱いだところの親鸞聖人のお教えだと言われています。正信偈を学んだ後に再び歎異抄に接する縁を有り難く思います。


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No.582  2006.3.27

正信偈の心を読む―第46講【依釈段(源空章)―A】

●まえがき
親鸞聖人がこの正信偈をお書きになられた頃は、勿論、今の浄土真宗と言う宗派は存在していませんでした。遺された親鸞聖人の子や孫が聖人のお墓を守る役目を受け継がれているうちに、蓮如上人がその役目を中心とした教団に仕立て上げられたようであります。私達が考え直さねばならないと思いますことは、親鸞聖人を崇(あが)めるあまりに、親鸞聖人が浄土真宗の御開山で、真宗をお開きになられたと思い違いをしているところであります。

親鸞聖人は法然上人と立場を異にして教行信証を書かれたのではなく、法然上人の教えを理論的に説明して、浄土真宗の正しさを証明されたものだと思われます。親鸞聖人は飽くまでも法然上人を生涯、本師として讃嘆されたのであります。親鸞聖人が法然上人を通して、源信僧都、善導大師、道綽禅師、曇鸞大師、天親菩薩、龍樹菩薩、お釈迦様、阿弥陀仏の本願と出遇われたように、現代の私達も直接お出遇いした師を本師とし、その上で親鸞聖人の教えに出遇い、その親鸞聖人を通して法然上人、源信僧都、善導大師、道綽禅師、曇鸞大師、天親菩薩、龍樹菩薩、お釈迦様、そして阿弥陀仏の本願と出遇わねばなりません。それが本当の本願に出遇うことであり、法然上人を忘れてしまって、親鸞聖人にのみ依りかかるというのは、何処か危ういものがあるように思います。

●依釈段(源空章)原文
本師源空明仏教(ほんしげんくうみょうぶっきょう)
憐愍善悪凡夫人(れんみんぜんまくぼんぶにん)
真宗教証興片州(しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう)
選択本願弘悪世(せんじゃくほんがんぐあくせ)

還来生死輪転家(げんらいしょうじりんてんげ)
決以疑情為所止(けついぎじょういしょうし)
速入寂静無為楽(そくにゅうじゃくじょうむいらく)
必以信心為能入(ひついしんじんいのうにゅう)

●依釈段(源空章)和訳
本師源空は仏教に明らかにして
善悪の凡夫人を憐愍し
真宗の教証を片州に興し
選択本願を悪世に弘めたもう

生死輪転の家に還来することは
決するに疑情を以って所止と為す
速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは
必ず信心を以って能入と為す

●大原性実師の現代意訳(全文)
本師である源空法然上人は一大仏教に通達されましたが、善悪の凡夫を憐れまれ、浄土門を独立せしめ、真の教えをこの日本に興し、本願の大道をこの悪世に弘(ひろ)められました。
この迷いの世界に幾度も生まれ代わり死に代わりして、これより逃れ出ることの出来ないのは、疑いの心に滞(とどこお)っているからであり、速やかに悟りの世界に入ることの出来るのは、ただ信心一つによるのであると仰せられています。

●梅原眞隆師の解釈(全文)
本宗の祖師たる源空法然上人は、仏教を詳しく究められた上で、善悪一切の凡夫を憐れんで、凡夫の救われる真宗の教義をこのアジア大陸の片寄った日本の国に興され、念仏一つを選ばれた第十八願の旨趣をこの五濁悪世に弘められた。
この教旨の要は信心を勧め疑情を誡めることに尽きている。即ち我らが生死の家に果てしなく迷いを繰り返すのは、紛れもなく、疑情に繋がれているからである。すみやかに寂静のみやこに入るには必ず信心の因があらねばならないと仰せられました。

●暁烏敏師の解説
本師源空は仏教に明らかにして

本師は、根本の師匠、一番大事なお師匠様であります。龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信といろいろ御讃嘆になっていらっしゃいますが、法然上人のところへ来ますと、本師と申されます。もっとも親しく、そして最も大切にされる心が本と言う字に現われています。本師源空ということは、御和讃にも、しばしばおっしゃっておられます。親鸞聖人は、九つの歳に仏門に入られ、29の歳まで仏教を研究されましたが、自分の胸に明らかにならなかったのです。従って仏教がわからなかったのです。29歳の時に法然上人にお出遇いになって、はじめて自分の心が明らかになられたのです。自分の心が明らかになるのと、仏法が明らかになるのと同時です。親鸞聖人は、法然上人に出遇われるまでは仏教には暗かったのです。法然上人によって仏教が明らかになりました。ですから、この言葉は実に実感のお言葉なのであります。

善悪の凡夫人を憐愍し
善悪の凡夫とは、普通の人、平々凡々のつまらない人間と言うことです。その中には、善人も悪人もあります。こう言う人を憐れに思われまして、真宗の教証を片州に興されたとおっしゃっておられるのです。
真宗の教証を片州に興し
真宗とはまこと≠フ宗旨、つぶさには浄土真宗であります。しかし、今日では、真宗と言えば親鸞の親鸞宗を意味するのでありますが、もし親鸞聖人に、あなたは浄土真宗を開かれましたか、と尋ねたとしたならば、いや、それは法然上人である。私は宗旨を開いていない、私は師匠の法然上人によって、信心を頂いて念仏するだけである、浄土真宗は法然上人がお開きになられたのであると、仰るものと思われます。
教証とは、教・行・信・証のことです。片州とは日本のこと、ご和讃の中に「栗散片州に誕生して」というお言葉がありますが、当時の支邦の人達は、自らの国を中国といい、日本を東夷・倭国といいました。日本を片州というのはこの支邦人の考えで、親鸞聖人は支邦の人の言う事を受け伝えて自分の国を栗散片州と言われたのであります。栗散片州とは、栗粒のように散らばっている、中国大陸の片隅に散在している国(日本)と言う意味であります。
要するに、法然上人が真宗の教えを日本の国に興されたのだとおっしゃっているのであります。

選択本願を悪世に弘めたもう
前の句を説明して、真宗の教証というものは本願を根本としておりますから、法然上人はこの本願の教えを今の曲がった世の中に弘められたと仰っているのであります。

● あとがき
法然上人の教えは、往生の業は念仏を本とすると云うことで、ご自分も一日何万遍と言う念仏を称えられようでありますが、本当のところは念仏行の前に信心が大切だと言うお立場であられました。
念仏さえ称えれば極楽往生が出来ると言って念仏するのは他力本願ではなく、念仏を称える自力に頼っていることになります。 仏様に願われている身を知らされる事が信心獲得(しんじんぎゃくとく、禅門のお悟り)と言うことになるのでありましょう。この他力本願の教えは、法然上人が日本に広められたと言うのが、この正信偈で親鸞聖人が仰っている重要な部分だと思います。


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No.581  2006.3.23

現代日本人の宗教心

「現代日本人は、科学的知識教育を受けた為に宗教心を失った」と言う考え方をよく聞きますし、私自身もこの無相庵コラムで何回か発言して来たと思います。今もそう言う見方を全面否定するには至ってはおりませんが、私の頭の中では少し変化して来ています。

先ず宗教心とは何かについて私なりの定義を致しますと、「宗教心とは、人間の知識、論理では説明出来ない現象に対する畏敬の念、尊崇の念、尊敬する気持ち」だと思っております。そう言う定義から致しますと、確かに現代は、人間の身体内に関しては生物化学、遺伝子化学の進歩が目覚しいですし、人間の心身の外の世界、中でも遠い遠い宇宙に関しては探査機を放ったり致しまして、宇宙や自然に対する畏敬の念は取り除かれているように感じますので、人類は徐々に宗教心を失いつつあると言ってもよいかも知れません。

しかし、我々日本人の日常生活に目をやりますと、最近頻繁に発生する痛ましい幼児殺害事件の現場には、直接被害者とは面識が無い方々が花を手向けて冥福を祈る姿があります。科学的に判断しますと、殺害現場にはもう遺体はありませんし、霊魂が現場に留まっていることも有り得ないはずであります。それでも現実には、多くの方々が現場を訪れられています。そこにはどうしても、花を手向け、手を合わせて拝まないと気が済まない何かがあるのでしょう。阪神淡路大震災が発生した1月17日の5時46分にも犠牲者の数と同じ蝋燭の火が点されて、亡くなった人々の冥福を祈り続けています。亡くなって10年以上も経っているにも拘らず、何故そのような行事が営まれるのでしょうか。

現代人の多くが本当に科学知識中心の物の考え方をするならば、お葬式もしないでしょうし、お正月の初詣もしないのではないかと思います。通常の科学知識からすれば「人間は死んだら水と炭酸ガスになって骨だけが残ってお終い」のはずでありますが、なかなかそう割り切るまでには至っていないと思われます。論理的には説明出来ない精神の動きがあるのではないかと思います。即ち、人間の知識・智慧を超えた何かに対する畏敬の念、尊崇の念が未だ人々の心の中に潜んでいるのではないかと思います。

しかし、そうであっても現実問題、現代日本人が宗教に関心を持っているかと言いますと、殆ど持っていないように見受けます。ただ私は、宗教への関心が江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代になるに従がって薄れて来たのではない、即ち、科学的知識教育によって宗教への関心が薄れたのではないと思うようになりました。恐らく、江戸時代、明治時代、大正時代から昭和前半までの庶民は、江戸幕府の将軍や、殿様、或いは天皇・貴族、そして総理大臣並びに大臣、或いは、地域の名士や寺子屋の先生であるとか庄屋さん等、畏敬の念、尊崇の念、或いは尊敬の念を抱く存在があり、神様、仏様への帰依の心が無くとも、精神的な統制が取れていたのではないかと推察しております。即ち、庶民にとってはお金より大切な存在があったと言うことだと思います。

それが、昭和20年の敗戦によってアメリカの支配が始まり、そう言う秩序が一気に破壊され、お金儲けが一番大切だと言う考え方に国のトップから庶民に至るまで洗脳されてしまったのだと思います。その洗脳によって日本は経済の高度成長期を迎え、世界第二位の経済大国にはのし上がりましたが、一方でお金第一主義国家に成り下がったのだと思います。利害得失、勝った負けたが人生における選択基準として国家にも庶民にも、強く根付いたものと思います。

この60年間で根付いた人生観・価値観は、そう簡単には変えられませんが、冒頭に申しましたように、多くの日本人の心の根底には人間の知識・智慧を超えたものに対する畏敬の念が未だ僅かであっても残っていると思われます。この心を掘り起こして、お金第一ではない価値観へと転換させるのは、宗教に携わる者・団体の役割であり、責任であると思います。宗教心は未だ失われていない、大切なもののトップの座を占めるお金の地位を少し後退させるのは、拝金主義で政策を策定する今の自民党政府に頼っていては永遠に無理だと思います。日本人の心に残っている宗教心を掘り起こし、大きく育てる教育改革が為されなければこの日本の本当の意味での改革はできませんし、日本の危機を救えないと思いますが、宗教教育を排している現行の教育制度は簡単に変わるはずもありませんので、当分は民間の宗教団体、宗教者が、特定の宗教を布教すると言うよりも、正しい宗教に関する知識を地域・地域に導入していく努力を続けなければならないと思っております。


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