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No.540  2005.10.31

正信偈の心を読む―第二十六講【依釈段(天親章)―C】

●まえがき
前回の第二十五講で、五功徳門について触れました。天親菩薩から浄土門の証(さと)りの段階として5門あると親鸞聖人は学ばれました。即ち、近門、大会衆門、宅門、屋門、園林遊戯地門であります。
今日学ぶところにある『蓮華蔵世界』は、宅門のことのようです。そしてこの宅門と屋門がお浄土の世界であります。
しかし、大切なのは、お浄土の世界に行き着いたらそれでよいと言う訳ではなく、お浄土の世界から、園林遊戯地に出る、或いは煩悩の渦巻く世間に帰って活動をして始めて証(さと)りが成就したことになると言うのです。これは丁度、般若心経の『色即是空』で終わらずに『空即是色』と帰って来ると言う般若心経の心と相通じるのではないかと、私は思います。

自分一人が悟って苦から解脱すればよいと言うものではない、人の居ない奥深い山中で悟りの心を楽しめばよいと言うものではないということであります。煩悩の渦巻く世間に戻って、煩悩に支配されて苦しむのではなく、むしろ煩悩を支配する自由自在の身となって見本を示し、全ての凡夫衆生を助ける活動をしなければ、本当の悟り・信心ではないと言うことであります。

●依釈段(天親章)原文

天親菩薩造論説(てんじんぼさつぞうろんせつ)
帰命無碍光如来(きみょうむげこうにょらい)
依修多羅顕真実(えしゅたらけんしんじつ)
光闡横超大誓願(こうせんおうちょうだいせいがん)
広由本願力廻向(こうゆほんがんりきえこう)
為度群上彰一心(いどぐんじょうしょういっしん)
帰入功徳大宝海(きにゅうくどくだいほうかい)
必獲入大会衆数(ひつぎゃくにゅうだいえしゅじゅ)
得至蓮華蔵世界(とくしれんげぞうせかい)
即証真如法性身(そくしょうしんにょほっしょうしん)
遊煩悩林現神通(ゆぼんのうりんげんじんつう)
入生死薗示応化(にゅうしょうじおんじおうげ)

●依釈段(天親章)和訳

天親菩薩は論を作りて説かく
無碍光如来に帰命したてまつると
修多羅(しゅたら)に依りて真実を顕し
横超の大誓願を光闡し
広く本願力の廻向に由りて
群上を度せんが為に一心を彰わしたもう
功徳の大宝海に帰入すれば
必ず大会衆の数に入ることを獲(う)
蓮華蔵世界に至ることを得れば
即ち真如法性の身を証せしむ
煩悩の林に遊びて神通を現じ
生死の薗(その)に入りて応化を示すといえり

●大原性実師の現代意訳
天親菩薩は浄土論をつくって、まことの教を開説あらせられた。すなわち自ら尽十方無碍光如来を信じ、浄土の三部経とりわけて大無量寿経に依りて、真実功徳の名号の云われを明らかにし、横超の救いを述べた大きな誓願の旨を詳しく述べられた。そして我等群上を救わんが為に、すべて本願力の廻向によって救われることわりを示して、一心の道理をあらわし、功徳の大きなこと海のごとき名号に帰する一心によって、必ずこの此土にありながら浄土の聖衆の班に列すなる身分となり、寿命終われば蓮華蔵世界とたたえられる浄土に参らせていただき、そのまま真如法性の涅槃の名理を悟って佛果にのぼり、そして一切の群上を済度するために、煩悩の林にも神通の力をあらわし、生死の薗にも応化の身を示して、還相の利他を成ずるのである。

●暁烏敏師の解説
本当の信心を獲た者は、煩悩の林に入って煩悩に穢(けが)れぬ、食べもし飲みもする。しかし、食べたもの飲んだものに縛られない。さらさらと停滞することがない。信心のある者と無い者とは同じように見えるが大いに違う。親鸞聖人は妻子を持っておられた、信心の無い者も妻子を持っている。が、親鸞聖人の持っておられる妻子の交わりと、外の者の妻子との交わりとは違う。そこでは争いもある。笑い腹立ちもある。しかし、信心のある者の腹立ちと、無い者の腹立ちとは違う。信の無い者は、くどくどへばりついてそこから出られない。丁度堀に落ちると藻にからまって出られないように、信心の無い者は、煩悩の中へはいると呑み込まれて出られない。信心のある者は今日の日暮しが遊びである。だから百姓するのも遊び。私のように本を読むのも遊び。徳川家康は「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」と言ったが、信心を獲た者の一生は遊びである。煩悩にのめり込まないのである。

信心を獲た者は、何をするか、娑婆の日暮しの中へ入る。証った者は証らん者の中に入る。「煩悩の林に遊びて神通を現す」。何もなくなる。証りまでなくなる。凡夫そのままになる。何もない。そして何もないそこに本当の済度がある。高い所に坐っている者に済度はない。こっちが一緒にいる、そこにこっちと共に行ける道がある。信心を獲たというて堅苦しい顔をしてじっとしている者が本当に証ったのではない。証った臭味がなくなる。即ち、生死の薗(その)に入りて応化を示すのである。

●あとがき
証(さと)った臭味が無くなると言うのは有難い言葉だと思います。宗教に臭味があるのは抵抗を感じます。キリスト教臭さ、念仏臭さを感じた事が皆様にもお有りだと思いますが、仏教はいつの間にかお葬式を司るのが主体となって、抹香臭さが付きまとっています。

親鸞聖人は一度もお葬式などと言うものとは関わりを持たれませんでした。そしてご自分が亡くなったら遺体は鴨川に流して魚の餌(えさ)にして欲しいと言われていたそうです。江戸時代の頃からでしょうか、お坊さんが生活の為にお葬式をサイドビジネスとし、やがて本業にしてしまったようであります。

この臭みを取り除くには、何百年、何千年掛かるかも知れませんが、仏教徒と自称する限りは、臭みがでないように誡めたいものであります。


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No.539  2005.10.27

人生の宿題

私は今年の3月8日に満60歳になりました。13年前に設立し、そして『製造業の空洞化』と言う波に押し流されて漂流中でありますが、事業の再興を期して踏ん張っているところです。従いまして、過去を振り返る余裕はございませんし、振り返るよりも前を向いて進むのみでありますが、それじゃー、全く過去に付いて何も考えないとか、反省も無い、後悔も無いかと言いますと、凡夫の私には勿論、反省も後悔もあります。そして過去に交流を持った極一部の人々や付き合った企業に恨みや怒りが全く無いと言いますとそれは嘘になります。

しかし、今、私が抱えている最も大きな問題は、事業の再興ではなく、人間として生まれて来る時に、既に背負っていた『人生の宿題』が未だ出来ていないことだと思っています。『人生の宿題』、それは他の動物には与えられていないもので、二つあると思います。

一つは、自分に与えられている才能と素質を見付ける事、もう一つは、人間だからこそ感じられる『生きる慶び』を体得することです。

一つ目の宿題が他の動植物には与えられていない事は容易に分かります。桜は、生まれた時から桜、柳も生まれてから死ぬまで柳。桜が柳になりたいと思っても無理、菜の花が豪華なバラの花になりたくても、それは無理。猿は猿、犬は犬、競馬馬は競馬馬と・・・。人間以外の動物も植物も、この地上に生を受けた時から死に枯れるまで、例外無しに、個に与えられた外観、役割、特徴を変えることは出来ません。

しかし、人間は皆同じ人間の外観・人相を貰ってこの世に送り出されますが、生育した後の役割と人相は千差万別です。職業も千差万別、得意分野も千差万別です。同じ人間に生まれましても、学問で人類の幸せに貢献する学者、イチローや松井選手のように野球の技術で人を楽しませる人、タイガーウッズのように卓越したゴルフの技術で人々に夢を与える人、歌で楽しませる人、神技としか思えない絵が描ける人、最近の村上ファンドやIT企業の社長のようにお金儲けの天才達、政治力で世間の経済や外交をリードする人々等など、同じ人間でも、その人生は全く異なります。恐らく人間はそれぞれに秀でた素質を遺伝子に書き込まれてこの世に生まれて来ているのだと思いますが、自分に与えられた『素質と言う宝物』を見付けられる人と、見付けられないままに人間と言う生を終える人がいるようです。「私には何の素質も才能も無い」という人がいますが、それは、自分の細胞の遺伝子に埋め込まれた『素質と言う宝物』をこれまでに見付け出せないままに来たと云うことではないかと思います。

私は今、塾を始めて小学生の勉強を指導しておりますが、勉強も大事ではありますが、人生は勉強だけではないと思っております。私が小学生の頃は、勉強、勉強で、勉強さえ出来れば幸せな人生が待っているかのような家庭教育・学校教育を受けていたように思います。そして、私自身の子供の家庭教育も、その子の与えられた素質・才能は何かと、発掘してあげると言う視点での家庭教育ではなかったように振り返っております。

塾は、勉強の実力を向上させるのが唯一の役割で、人生の有り方を教える所では無いし、親御さんからそう云う期待もされていないと云うのが普通一般の考え方だと思いますが、私は、それと共に、その子その子に与えられた才能・素質面での長所を一緒に見付ける、或いはそう云う考え方で勉強にも取り組む方がベターではないかということも伝えて行きたいと考えています。

さて、二つ目の人生の宿題ですが、それは、動物では恐らくは考えることが無いと思われる、『生きる慶び』を体得し、実践することだと思います。人間に感得出来て他動物に感得出来ないのは、世に言われる『真・善・美・聖』だと思います。私達人間の日常生活は、大方は欲望に衝き動かされ、競争に勝ち残ろうと言う願望が先に立ち、『真・善・美・聖』を求めたり、その価値に気付く慶びに浸ると言うものではありません。しかし、人間に生まれた所以(ゆえん)は、この『真・善・美・聖』に出遇うことだと申しても良いと思います。名誉・権力なら、お猿さんでも求めるものであります。ましてや、その他の欲望は、単細胞の菌も含めて全ての動物がその欲望の満足を唯一の目的にして生きているに過ぎません。折角人間にのみ与えられたこの『能力』を発揮せずして人生を終えるのは真に残念であります。

この二つ目の能力を如何無く発揮され、また他の人々にも勧められたり実践されたのが、お釈迦様であり、イエス・キリスト様であり、聖徳太子、親鸞聖人、白隠禅師、極最近ではマザーテレサ女史であると思います。そして、この方々は、一つ目と二つ目の宿題を別々の答案用紙にではなく、一つの答案用紙に書き残された方々でもあります。人間として為し得る最高の人生をまっとうされたと申してよいと思います。

私は未だ60歳、今からでも遅くは無いと思います。これから人生の宿題に取り掛かろうとしているところです。


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No.538  2005.10.24

正信偈の心を読む―第二十五講【依釈段(天親章)―B】

●まえがき
親鸞聖人は、天親菩薩(インド)と曇鸞大師(中国)のそれぞれから一文字を戴かれて、『親鸞』と名乗られたのでありますが、正信偈で挙げられている七高僧の何れの方に特に尊崇の念を抱かれていたと言う訳ではないことは勿論でございます。しかし、歎異抄第一条に「ただ信心を要とすとしるべし」と言う親鸞聖人のお言葉を紹介されているところから致しまして、天親菩薩の『一心帰命(いっしんきみょう)』の心に強く共感され、ご自身の信心を確信された拠り所であったからではなかったかと思います。

天親菩薩は唯識の原典である『唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ).』の著者でもあり、唯識法相宗の興福寺にその木像が安置されているほどの方であります。しかし、私の不勉強かも知れませんが、親鸞聖人が天親菩薩と唯識を結び付けて讃嘆されている文言に遭遇したことはございません。多分、天親菩薩の一方の代表的著作『浄土論』の方が、『唯識三十頌』よりも後に記されたものでありましょうし、また、これは私のあくまでも推測ですが、親鸞聖人と法然上人は興福寺を始めとする奈良の旧仏教界から朝廷に出された直訴状によって流罪に処せられたと言う経緯がございますから、天親菩薩と唯識法相宗の興福寺を結び付けて考えたくなかったからではあるまいかと。これこそ、凡夫の邪推かも知れませんが・・・・・。

親鸞聖人は、天親菩薩の『浄土論』、そして、この『浄土論』の注釈書『浄土論註』を書かれた曇鸞大師から、この正信偈の冒頭の『帰命無量寿如来』と言う『一心帰命』の心を受け継がれ、拠り所とされたのではないかと思います。

●依釈段(天親章)原文
天親菩薩造論説(てんじんぼさつぞうろんせつ)
帰命無碍光如来(きみょうむげこうにょらい)
依修多羅顕真実(えしゅたらけんしんじつ)
光闡横超大誓願(こうせんおうちょうだいせいがん)
広由本願力廻向(こうゆほんがんりきえこう)
為度群上彰一心(いどぐんじょうしょういっしん)
帰入功徳大宝海(きにゅうくどくだいほうかい)
必獲入大会衆数(ひつぎゃくにゅうだいえしゅじゅ)
得至蓮華蔵世界(とくしれんげぞうせかい)
即証真如法性身(そくしょうしんにょほっしょうしん)
遊煩悩林現神通(ゆぼんのうりんげんじんつう)
入生死薗示応化(にゅうしょうじおんじおうげ)

●依釈段(天親章)和訳
天親菩薩は論を作りて説かく
無碍光如来に帰命したてまつると
修多羅(しゅたら)に依りて真実を顕し
横超の大誓願を光闡し
広く本願力の廻向に由りて
群上を度せんが為に一心を彰わしたもう
功徳の大宝海に帰入すれば
必ず大会衆の数に入ることを獲(う)

蓮華蔵世界に至ることを得れば
即ち真如法性の身を証せしむ
煩悩の林に遊びて神通を現在じ
生死の薗(その)に入りて応化を示すといえり

●大原性実師の現代意訳
天親菩薩は浄土論をつくって、まことの教を開説あらせられた。すなわち自ら尽十方無碍光如来を信じ、浄土の三部経とりわけて大無量寿経に依りて、真実功徳の名号の云われを明らかにし、横超の救いを述べた大きな誓願の旨を詳しく述べられた。そして我等群上を救わんが為に、すべて本願力の廻向によって救われることわりを示して、一心の道理をあらわし、功徳の大きなこと海のごとき名号に帰する一心によって、必ずこの此土にありながら浄土の聖衆の班に列すなる身分となり、寿命終われば蓮華蔵世界とたたえられる浄土に参らせていただき、そのまま真如法性の涅槃の名理を悟って佛果にのぼり、そして一切の群上を済度するために、煩悩の林にも神通の力をあらわし、生死の薗にも応化の身を示して、還相の利他を成ずるのである。

●暁烏敏師の解説
一心を獲ると功徳の大宝海に帰入するのです。帰入の帰は帰命の帰の字で、帰納と解する。 帰は「よりかかるなり、よりたのむなり」と、親鸞聖人は説明されておられます。或いはまた、敬順の義、敬い順う心だともおっしゃいました。又、帰は帰(とつ)ぐという字で、女の人が嫁に行くときは帰(とつ)ぐという。帰入するとは丁度嫁にゆくようなものです。全身をそこへ持ち運んでゆくのです。

功徳というのは、御和讃の「功徳は行者の身にみてり」の功徳と同じです。功徳とは功労の上に現れる徳であります。徳は得なりで、道徳の徳は所得の得です。仏の本願、仏の修行、それが功労です。力です。その功によって仏の心に広い喜びやら、力やらが具わる。それが徳であります。

功があったから功徳が現れる。仏の五劫永劫の御苦労から、光明無量・寿命無量の徳が現れるとおっしゃるのであります。その功徳のある宝の海に流れ込むというのであります。この功徳の大宝海に浸かっていれば、「必ず大会衆(だいえしゅう)の数に入ることを獲る」。この大会衆とは、悟りの位で果の五功徳門の一つです。果の五功徳門とは、近門、大会衆門、宅門、屋門、園林遊戯地門であります。礼拝、讃歎・作願・観察・廻向の因の五念門を修すると、そこから功徳が生ずる。それが五功徳門です。功徳の大宝海に帰入すれば、大会衆門に必ず入ることが出来るということです。

二河白道の譬えに、西の岸に至ると「善友相見て慶楽すること已(や)むこと無からんが如し」とあります。自力の心をもっている者に真の友達はない。信心があるかないか、人に検査して貰わなくても本当の友達があるかどうか、自分の胸の中を見ればよい。形の上の友達はあるかも知れないが、心から共に踊り、共に歩く、我が胸も人も踊るような友達があるかどうか。個人主義者、利己主義者には真の友達はない。

大きな如来の功徳の大宝海に融け込んでみると、友達が沢山ある。大会衆の数に入ることが出来る。そう言うことであります。

●あとがき
親鸞聖人は、一体何時頃に龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』や天親菩薩の『浄土論』、曇鸞大師の『浄土論註』などを読まれたのでしょうか。法然上人の下に行かれて、念仏でしか救われないと法然上人に帰依されてからであろう事は間違い無いと思いますが、この様な書物は、地方では手にすることは出来なかったでありましょうから、1202年から、越後へ流される1207年の5年間での法然上人の下であったか、それとも、60歳を過ぎて京都に戻られてからでしょうか?

教行信証は、どうやら越後から関東に移住された40台半ば位から書き進められたと言う見解がありますから、越後の流罪生活中に、京都から何らかの手立てで書物を取り寄せられて、勉強されたのかも知れません。流罪生活であったが故に、勉強に邁進出来たという面もあるでしょうが、それに致しましても、難しい内容の書物でしかも指導者がいない中で、よく独習されたものだと、感動させられます。


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No.537  2005.10.20

空の思想と日本の仏教

無相庵コラム読者のお一人から、次のような問い合わせを頂きました。

お手数ですが、『空の思想と日本の仏教』について質問させてください。

【質問1】
   龍樹(ナーガールジュナ)という人は八宗の祖と言われているので、日本の各宗派も龍樹の空の思想に準拠しているのだと思います。真宗や禅宗では、空の思想をどのように取り入れているのですか?

【質問2】
   龍樹の縁起の概念は「相互依存」を意味するため、「相依性(そうえしょう)」と意訳して、初期の縁起説(因果性)と区別しているそうです。真宗や禅宗でいう「空」とは相依性でしょうか因果性でしょうか?

●はじめに
仏法に関心を持たれて未だ1年にも満たないと言われる方からの質問とは思えない、仏法の根本に迫るお問い合わせに、びっくりもし、また、ある種感動を覚えました。しかし、私は仏教系の大学で体系的に仏法を学んだ者ではありませんし、『空』を体得するに至っておりませんので、ご回答を差し上げることには戸惑いがございましたが、無相庵と言うホームページを開設して、仏法に関する情報を発信している立場上、私がこれまで聞きかじり読みかじりして理解しているところを申し述べる義務と責任があると思い、ご質問にお答えしようと思った次第であります。そして、他の読者様にも何らかの参考になるかも知れないと思いまして、コラムとして掲載させて頂くことと致しました。

●縁起と空について
さて、『仏教の三法印(お釈迦様の教えであると認められ得る三つのしるし)』といわれるのが、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」「諸法無我(しょほうむが)」「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」であります。この三つの教義が揃わない限りそれは仏法ではないと言うものでありますが、前の二法印が、「空」を言い換えたものだと私は考えています。「空」と言う文字から私達は直ちに“空っぽ(からっぽ)”と言う状態を連想してしまいますが、そうではなくて、思い切った言い換えをするならば、“絶え間無く変化している様態”と言ってもよいと私は考えています。

一方、仏法とは何かと一言で説明する場合、『縁起の道理或いは真理』だと言われます。縁起とは「存在も現象も全ては縁に依って生じる」と言うことでありますが、“縁”とは、現代的に表現するならば『色々な条件』でありますから、「存在も現象も全ては色々な条件が整って始めて生じるものだ」と言い換えられると考えます。そして、これを逆に申しますと「色々な条件が変わると存在も現象も滅する或いは変化する」と言うことになりましょう。

たまたま条件が揃った故に生じた存在や現象は、一つでも条件が欠けますと、消えたり変化したり致します。従って、「絶対的固定的に存在するものも現象も無い」と言うことになり、これを『空』と表現したのであります。“縁起”故に空、“空”故に“無我”と言う事になります。

●禅宗と空
“空”と言う考え方に近いと一般的に思われていますのが禅宗だと思います。座禅をして無念無想、無我になれと言うようなことをどなたもお聞きになった事があると思います。極めて分かり難い議論の事を『禅問答のようだ』と日常会話にも使われていますが、禅における修行者は、論理的に説明出来ないところにまで師匠(師家)から徹底的に追い詰められます。徹底して固定観念の払拭を求められるのであります。「有ると思っているものを有ると思うな!」と言うことになりますが、“空”“無我”を体得するまで修行を続けるのが禅宗であります。

禅宗では、「徹底的に疑え」とも言われますから、どちらかと申しますと理屈好きの人が入門するには禅宗の方が相性がよいかも知れません。しかし、その疑いは自己の理屈を基準においたものでありますから、誰しも自分では破れない、そして超えるに超えられない高く大きな壁にぶち当たることは必然であると申せましょう。

●浄土真宗と空
一般的には“空”を説かないのが浄土真宗の教えのように思われていると思いますが、実は、“空”と言う言葉を使わないだけではないかと私は思っております。浄土真宗の本願寺教団がどう考えているかは承知しておりませんが、少なくとも、親鸞聖人の至られたご境地は、“空”そのものだと私は考えております。親鸞聖人は、“空”とは申されず、『自然法爾(じねんほうに)』と表現されていると思います。『自然法爾(じねんほうに)』とは、親鸞聖人が『自然法爾章』と言う書きものの中で次のように述べられています。

自然といふは、自はおのずからといふ。行者のはからひにあらず。しからしむるといふこと なり。然といふは、しからしむといふことは行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆへに。 法爾といふは、如来の御ちかひかるがゆへに、しからしむるを法爾といふ。この法爾は、御ちかひなりけるゆへに、すべて行者のはからひなきをもちて、このゆへに他力には義なきを義とすとしるべきなり。
盛んに「行者のはからひにあらず」と繰り返されておられますが、行者とは、特別な人を意味するのではなく、私達人間の事だと考えてよいでしょう。従いまして、「この世で起こること、或いはこの世に存在するものは、人間の計らいとは関係無く、他力によって生じるものだ」と言うことだと思います。そう致しますと、「すべては他力にお任せ、如来にお任せ」、「あるがまま」と言うのが『自然法爾(じねんほうに)』の心であり、人間の計らいを否定する“空”の世界観と共通するものだと私は思うのであります。

阿弥陀仏の本願にお任せすることが親鸞聖人の言われる信心でありますが、お任せするには、自分の計らいを無くさなければなりません。これも、禅宗と同様に破るに破れない、超えるに超えがたい高く大きな壁でありますが、浄土真宗では、他力に依って超えしめられると考えます。他力本願により、超えさせて頂けると考えるのであります。しかし、今週の月曜コラムでご説明した『横超(おうちょう)』ということですから、論理的思考にならされている私達には簡単なものではありません。

●相依性(そうえしょう)について
龍樹菩薩の縁起観念が、相依性か初期因果論かどうかは存じませんが、仏教哲学の学問上では、縁起を、時間的因果と論理的(空間的)因果に分けて考えられて来ていることは間違いようであります。 「150億年前に宇宙で起こったビッグバーンがあったから、46億年前に太陽系も生じ、私達の地球も生まれた」というのが、縁起の時間的因果面であります。「お母さんとお父さんが結婚して、私が生まれた」というのも時間的因果です。そして、「地球は太陽があるから存在し」、「地球に空気や水があるから私達人間やあらゆる生命が存在している」と言うのが、縁起の空間的因果面であろうと思います。そして、この空間的因果を場合によりましては“相依性”と言っているのではないかと思います。

浄土真宗と禅宗がどちらの縁起を説いているかと言うご質問に対しましては、特にどちらに片寄っているとは思えないとお答えさせて頂きたいと言うことになります。法話や書物を表面的に読みますと、確かに浄土真宗は宿業(宿命)を説き、禅宗でも曹洞宗を開かれた道元禅師は、『修証義』で“三世の因果”を強調して説かれておりますから、一見、時間的因果縁起論のように受け取られると思いますが、親鸞聖人は、煩悩具足の凡夫がいるからこそ、阿弥陀仏の本願を確信されておりますし、道元禅師は、「自己を運びて万法を証するを迷いとし、万法に証せらるるを悟りとなす」と言われていますが、人間は特別の存在ではなく、全ての存在と一繋がりの存在だと言う根本のお考えを持たれておられました。このような事から、私は、禅宗も浄土真宗も、特に初期因果論に片寄っているのではなく、また、相依性のみでもなく、お釈迦様の説かれた縁起を根本の教えとされていると思っております。

●あとがき
ご質問を頂き、あらためて、お釈迦様の説かれた仏法と、私達日本人に伝わっている仏法を縁起とか空と言う視点から見直させて頂いたことは、私に取りましても、非常に有意義でありました。ご質問を下さった方に、ここに感謝の意を表したいと思います。

そして、あらためまして、仏法である限りは縁起、相依性、因縁果報、空、無我、三法印(一切皆苦を含めて四法印)をすべて包含しており、一つでも欠けますと、それはお釈迦様が説かれた仏法とは異なるものであると、再認識した次第であります。

思いますに、この『無相庵』の“無相”も、実は“空”を言い換えたものでありました。臨済宗の中興の祖と言われる白隠禅師の座禅和讃の中の「無相の相を相として・・・・」と言うところから、亡き母と共に熟慮の上で拝借したものであります。“無相”は、“空”と言うことでありますと共に、“自然法爾”ということでもあります。今更ながら、亡き母の願いと想いを感じますと共に、有り難い名前に恵まれたものだと再認識した次第であります。


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No.536  2005.10.17

正信偈の心を読む―第二十四講【依釈段(天親章)―A】

●まえがき
天親菩薩が活動された地域は、一週間前の大地震によって数万人とも言われる犠牲者が出たカシミール地方であります。天親菩薩が亡くなられて1600年、あの辺りは、インド・オーストラリアプレートと、ユーラシアプレートが衝突する地域であり、ヒマラヤ山脈などはその衝突エネルギーによって隆起したものだと言われており、恐らくこの1600年間のうちにも何回かの大地震に見舞われて来たものと思われます。

大昔から幾度かの天変地異に見舞われ、大自然の力に畏敬の念を抱かざるを得なかった太古からの歴史が、ひょっとすると、インドに仏教を、ヒンズー教を起こさせたのかも知れません。「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」の「アミタ」は、原語で「畏れおおい」と言う意味であり、「ナム」は、原語では「ナマス」と言い、「帰依する」「お任せする」と言う意味でありますが、お念仏の発祥地がヒマヤラ山脈の麓(ふもと)であると言う事は、必然なのかも知れません。

このようなことを思いますと、七高僧から親鸞聖人へと引き継がれた他力念仏の教えは、古代からの天変地異による多くの人々の犠牲もあってのものであり、それこそ、「ナムアミダブツ」と報恩感謝の意を表わさねばならないと思います。

●依釈段(天親章)原文

天親菩薩造論説(てんじんぼさつぞうろんせつ)
帰命無碍光如来(きみょうむげこうにょらい)
依修多羅顕真実(えしゅたらけんしんじつ)
光闡横超大誓願(こうせんおうちょうだいせいがん)
広由本願力廻向(こうゆほんがんりきえこう)
為度群上彰一心(いどぐんじょうしょういっしん)

帰入功徳大宝海(きにゅうくどくだいほうかい)
必獲入大会衆数(ひつぎゃくにゅうだいえしゅじゅ)
得至蓮華蔵世界(とくしれんげぞうせかい)
即証真如法性身(そくしょうしんにょほっしょうしん)
遊煩悩林現神通(ゆぼんのうりんげんじんつう)
入生死薗示応化(にゅうしょうじおんじおうげ)
●依釈段(天親章)和訳
天親菩薩は論を作りて説かく
無碍光如来に帰命したてまつると
修多羅(しゅたら)に依りて真実を顕し
横超の大誓願を光闡し
広く本願力の廻向に由りて
群上を度せんが為に一心を彰わしたもう

功徳の大宝海に帰入すれば
必ず大会衆の数に入ることを獲(う)
蓮華蔵世界に至ることを得れば
即ち真如法性の身を証せしむ
煩悩の林に遊びて神通を現在じ
生死の薗(その)に入りて応化を示すといえり

●大原性実師の現代意訳
天親菩薩は浄土論をつくって、まことの教を開説あらせられた。すなわち自ら尽十方無碍光如来を信じ、浄土の三部経とりわけて大無量寿経に依りて、真実功徳の名号の云われを明らかにし、横超の救いを述べた大きな誓願の旨を詳しく述べられた。そして我等群上を救わんが為に、すべて本願力の廻向によって救われることわりを示して、一心の道理をあらわし、功徳の大きなこと海のごとき名号に帰する一心によって、必ずこの此土にありながら浄土の聖衆の班に列すなる身分となり、寿命終われば蓮華蔵世界とたたえられる浄土に参らせていただき、そのまま真如法性の涅槃の名理を悟って佛果にのぼり、そして一切の群上を済度するために、煩悩の林にも神通の力をあらわし、生死の薗にも応化の身を示して、還相の利他を成ずるのである。

●暁烏敏師の解説
天親菩薩の『浄土論』には、

我修多羅真実功徳相に依って、願偈を説き総持して、仏教と相応したてまつらん。
とあります。この“修多羅”は、スートラと言いまして、お経のことです。インドでは経をスートラという。セイロン島では、スートントラと言います。スートラとは、お釈迦様がお説きになったお経のことです。 天親菩薩は、ご自分の信心を「世尊我一心に、尽十方無碍光如来に帰命し、安楽國に生まれんと願いたてまつる」と述べられた。この私のお領解は、私の手作りではない。世尊、あなたのお説きになった御教えによって、育ったご信心です。ですから、この自分の簡単に述べた信心の相は、あなたの教えを、お経のお心に照らしてこまごまとありのままに申し表わしとうございます、と。

横超ということに付きましては、横という言葉は他力を表わす。飛び超えてゆくのであります。親鸞聖人は、あらゆる仏教を分けて、横(おう)と竪(じゅ)との二つにせられました。横は、横着・横車或いは横道というように何も順序を経ないことを言います。これは、三段論法の論理の梯子を経ないこと、理論的の結論のないということであります。小さな論理を超えたことを横超といいます。

●あとがき
一般の方々には、「横超(おうちょう)」という言葉は馴染みがないものだと思います。横に超えるとは?と考えてしまいますが、そうではなく、『横(おう)』は漢字辞典には、「よこ」と言う意味とは別に、「よこしま」「道理に従わない」「ほしいまま」「かってきまま」と言う意味が示されています。横行(おうこう)、横領(おうりょう)、横暴(おうぼう)と言う熟語も、横超の「横」と同じ使われ方であります。

浄土門における信心は、法話を聞いたり、本を勉強して自分なりの論理を積み重ねて行くだけで獲られると言うものではなく、論理を超越した他力に依って救われるということでありますが、私達がぶち当たる壁は、まさにこの横超と言う易行ではあるけれども、実は超えるには難中の難の壁であります。何とかして自分の力で頑張って超えようとしてしまうところが問題でありますが、この壁は、自分の邪見と驕慢が造り上げている事になかなか気付けないのであります。

親鸞聖人は、そう言う自己を見詰められて、詠まれた(85歳頃)のが下記の和讃ではないかと思います。

弥陀の本願信ずべし
本願信ずる人はみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり

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No.535  2005.10.13

野田聖子議員と平沼赳夫議員の決断

一昨日の衆院本会議で、政府与党が提出した郵政民営化法案が200票差で可決されました。約一ヶ月半前の通常国会の5票差での可決から様変わりしたのは、言わずもがな、84名と言われる小泉チルドレン達の誕生によるものでありますが、前回反対票を投じた、いわゆる造反議員17名の中から11名の逆造反議員が出たことが、この様な大差になったと言えると思います。

前回反対票を投じた自民党衆議院議員の中で、今回の投票行動が注目されたのは、閣僚経験者でもありポスト小泉とも言われ、選挙区民の多くにその活躍を期待されて当選した平沼赳夫議員と野田聖子議員だと思います。しかしそのお二人が、全く反対の決断をされました。平沼議員は、「前回法案と何ら根本的に変わっていない」と言う理由で前回と同様に反対票を投じられましたが、一方の野田議員は、「法案反対と言う自らの政治的主張が完敗した」と言う理由で、反対を翻されて賛成票を投じられたのであります。

このお二人の決断は、どちらも決して簡単に出されたものではないでしょう。特に、野田議員の場合はご主人が自民党議員であるという事情もあり、また党の強い要望に逆らって自分を支持した岐阜県連への配慮もあっての苦渋の決断であった事は想像に難くないところです。選挙区事情、人間関係等の事情も分からない者が軽々しく批判すべきではないと思いますが、私がもし同じ立場ならば、平沼議員の決断をするであろうと思います。それは、一人の人間が大きな決断をするに当たっての選択は、損得ではなく、信念に基づく正邪の見極めこそが肝要だと思うからです。

お二人ともにこれからの政界で活躍をしたいと言う志を持たれている事疑うものではありません。だからこそ恐らく、野田議員は自民党に復党せずして志は遂げられないと考えられたでありましょうし、周囲の方々もその様な進言をしたことでしょう。信念を貫き通すよりも、「大事を為すに際して、小事には拘らず」と言う考え方から賛成票を投じて、自民党復帰の可能性に賭けたのではないかと思われますが、どこかに自己保身と言う損得勘定が働きはしなかったでしょうか。

一方、平沼議員はご自分の政治的主張、そして人間としての信念を貫かれたものと思います。再び反対票を投じる事で、自民党から除名されても、そして復党の道が閉ざされて自分の描く政治生命が断たれたとしても後悔はしないと言う覚悟をされたのではないかと推察しております。野田議員と平沼議員のどちらが正しいとかは誰にも言えるものではないと思いますが、しかしながら、それは世間を上手に渡る上で正しいか正しくないかと言う評価でしかないと思います。

世間的には、野田議員がいずれは自民党に復帰し、自民党の要職に返り咲くかも知れません。そして、平沼議員は、与党の要職に返り咲くこともなく、野党にも加担出来ずに、いずれは世間からも忘れられてしまうかも知れません。そうなれば人々は、野田議員が正しく、平沼議員は、間違った決断をしたと言うことになるでしょう。

しかし、それは名誉と言う世間の評価項目に於ける損得勘定と言うだけのものであると思います。こう言う世間の上での評価は、ちょっとした事で逆転した例は、枚挙にいとまが無いことであります。それに、直ちに反対の結果となるやも知れません。平沼議員の信念と行動が共感を得て、数年後には政治の表舞台に引っ張り出されているかも知れません。そして、郵政民営化反対を表明して当選した野田議員は、選挙民の信頼を失って、次回の選挙では政治の舞台から下ろされるかも知れません。

数年後の結果は、今誰にも分かりません。しかし、私は、心安らかなのは、どちらかと言えば、平沼議員の方ではないかと思います。それは何故かと申しますと、平沼議員は既に最悪の事態を想定し受け入れる心の準備が出来ているからであります。一方の野田議員は、これからも損得という感情に惑わされ続け、しかも正邪に対する負い目を背負って行かねばならず、精神的には非常に辛い人生が待っているのではないかと推察しています。

思いますに、大きな決断をするに際しては多くの人の意見に耳を傾ける姿勢は大事でありますが、人生の大きな賭けとも言うべき決断を迫られた時は、人々の意見を聞いた上で自分自身の心と向き合って、自分の信念で決断する方が、後悔はないのではないかと思います。野田議員は投票後のインタビューで、心境を聞かれて「義務を果たしました」と答えていました。清清しさが無い言葉と表情のように感じたのは、私だけでしょうか。

私達誰しも人生で一度は大きな決断を迫られる時があると思いますが、損得ではなくて、また周りの人々の意見に耳を傾ける心の広さは必要だと想いますが、自分の心と相談して信念で決断が出来るように平素から心を磨いておく必要があると思います。

あの刺客として登場した小泉チルドレン達が、自らの信念で立候補したとは思えません。比例区との重複立候補と言う議員予約券を渡される事で、損得勘定の計算が出来ただけだと私は思っています。彼等彼女等の行く末と共に、野田議員、平沼議員、そして亀井静香議員の今後を見守りたいと思っております。


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No.534  2005.10.10

続―良寛を訪ねて

山門
円通寺外観
本堂内部
2002年2月24日、新潟の良寛ゆかりの史跡を訪ね歩き、その紀行文として、2002年2月28日のコラムにて報告させて頂きました。あれから、3年半余り経った昨日(2005年10月9日)、良寛さん若かりし頃の修行寺、岡山県倉敷市の玉島にある円通寺(えんつうじ)を訪ねることが出来ました。

新潟の良寛史跡巡りは、娘の結婚相手の赴任地がたまたま新潟であったからこそ実現したものでありますが、今回も、娘夫婦の転勤地がたまたま岡山市であったからこそのものであります。良寛さんに手招きされての良寛紀行ではなかったかと云う気が致します。

本堂の座敷からの眺め
一枚岩の御影石の上に建つ方丈部屋と岩を削って作った蓮池
円通寺より山道を歩いて3分程の展望広場からの景色
良寛さんは、22歳の時に新潟から円通寺に来られて、約11年間修行をされ、33歳の時に国仙和尚から印可(悟りに至った証明)を受けられたそうであります。円通寺は、小高い山の頂上近くに建つ曹洞宗のお寺ですが、想像していたよりもかなり小さな佇まいでありましたが、火災に遭うことがなく、ほぼ、良寛さんが修行していた当時のままの状態にあると言うことで、良寛さんが、目にし、歩き回られた本堂内部や千畳はあると云われる御影石の上に建てられた方丈部屋や蓮の葉が一面を覆う池を見つつ、良寛さんがどのような気持ちで修行に励まれていたのだろうかと300年前の良寛さんを偲んだことでした。

この円通寺の開山が良高和尚と云われることから、良寛さんのお名前の由来も分かりましたが、曹洞宗の僧侶として修行された良寛さんが、いつ頃から「南無阿弥陀仏」を称えられるようになられたのかに、私は興味を持っているのですが、円通寺では、その手掛かりはどうもなさそうでした。良寛さんは、円通寺での修行を終えられた後に、4、5年は四国を始めとして全国を行脚されたそうですし、新潟は親鸞聖人が流されて行かれた土地でもありますので、何処かで他力本願の念仏に出遇われたものと思います。

以前にもこのコラムに書きましたが、禅宗の2大宗派の一つである臨済宗に比べまして、曹洞宗は、どこか他力的であります。もともとお釈迦様の教えには、他力も自力も無いわけでありますが、やはり、座禅とか瞑想によって心境を深める禅門と、念仏一つ信一つで救われると言う浄土門とでは、どうしてもあい入れ合わないものがあります。そんな中、南無阿弥陀仏を称えられた良寛様、そして同じく南無阿弥陀仏によって救われたと言う名古屋の西川玄苔師の存在は、在家で仏法を求める者にとりまして、得がたい師であると思っております。

これからも、折に触れて、良寛さんの辿られた道を勉強したいと思います。


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No.533  2005.10.6

親鸞聖人の名前の変遷

今、月曜コラムにて、正信偈で親鸞聖人がお蔭を蒙ったとされる七高僧、即ち、龍樹菩薩・天親菩薩(以上2高僧はインドの方)、曇鸞大師、道綽大師、善導大師(以上3高僧は、中国の方)、源信僧都・法然坊源空上人(この2高僧は日本の方)に付いて、どのようなお蔭を蒙ったかを述べられているところを読み進んでいるところであります。

親鸞聖人が如何にこの七高僧を敬愛されていたかは、親鸞聖人のお名前の変遷を見ても窺えるものと思っております。

範宴(はんえん):9歳から29歳(比叡山での修行時代)
綽空(しゃくくう)29歳から32歳(法然上人の門下に入ってから)
善信(ぜんしん)33歳から?
親鸞(しんらん)?

親鸞と名乗られたのは何時からは分かりませんが、綽・空・善・信・親・鸞、のどの文字も、七高僧の御名から戴かれたものであります。

また、親鸞聖人85歳にして義絶せられた長男、善鸞(ぜんらん)の名も同様の由来であります。比叡山を下りられてから法然上人の下に参られてからは、浄土門一筋のご生涯であったことを証明するものでは無いかと思っております。


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No.532  2005.10.3

正信偈の心を読む―第二十三講【依釈段(天親章)―@】

●まえがき
天親菩薩(西暦320〜400年)と言う方は一般的にはよく知られていないと思われます。世親(ヴァスバンドゥ)とも呼ばれる方です。 龍樹菩薩も天親菩薩も現在のインドのお坊さんであります。そして、龍樹菩薩は、お釈迦様の死の700年後、天親菩薩は龍樹菩薩の200年後に世に出られた方ですから、お釈迦様のお話を直接聞かれた訳ではなく経典を通して、お釈迦様の教えを受け継がれた方々であります。

天親菩薩は、現在のカシミール地域を拠点として活躍されましたが、当初は、小乗仏教派の僧として、龍樹菩薩の大乗仏教を批判する立場でありました。しかし大乗仏教派であった実兄の無著(むちゃく、梵語ではアサンガ)の影響を受け、仏法の本意は小乗ではなく、大乗の仏法にあると悟られたそうであります。この兄弟二人は『唯識』の祖師として、無著と天親菩薩の木像が奈良の興福寺(法相宗)に安置されています。唯識の祖師、天親菩薩である一方、『浄土論』と言う著作を遺されており、浄土門の祖師として、親鸞聖人が天親菩薩から、“親”と言う文字を戴かれた事に、私は非常に興味を持つ訳であります。

おそらく、この天親章の冒頭にある“論”とは、『浄土論』を指されていると思います

●依釈段(天親章)原文

天親菩薩造論説(てんじんぼさつぞうろんせつ)
帰命無碍光如来(きみょうむげこうにょらい)

依修多羅顕真実(えしゅたらけんしんじつ)
光闡横超大誓願(こうせんおうちょうだいせいがん)
広由本願力廻向(こうゆほんがんりきえこう)
為度群上彰一心(いどぐんじょうしょういっしん)
帰入功徳大宝海(きにゅうくどくだいほうかい)
必獲入大会衆数(ひつぎゃくにゅうだいえしゅじゅ)
得至蓮華蔵世界(とくしれんげぞうせかい)
即証真如法性身(そくしょうしんにょほっしょうしん)
遊煩悩林現神通(ゆぼんのうりんげんじんつう)
入生死薗示応化(にゅうしょうじおんじおうげ)
●依釈段(天親章)和訳
天親菩薩は論を作りて説かく
無碍光如来に帰命したてまつると

修多羅(しゅたら)に依りて真実を顕し
横超の大誓願を光闡し
広く本願力の廻向に由りて
群上を度せんが為に一心を彰わしたもう
功徳の大宝海に帰入すれば
必ず大会衆の数に入ることを獲(う)
蓮華蔵世界に至ることを得れば
即ち真如法性の身を証せしむ
煩悩の林に遊びて神通を現在じ
生死の薗(その)に入りて応化を示すといえり

●大原性実師の現代意訳
天親菩薩は浄土論をつくって、まことの教を開説あらせられた。すなわち自ら尽十方無碍光如来を信じ、浄土の三部経とりわけて大無量寿経に依りて、真実功徳の名号の云われを明らかにし、横超の救いを述べた大きな誓願の旨を詳しく述べられた。そして我等群上を救わんが為に、すべて本願力の廻向によって救われることわりを示して、一心の道理をあらわし、功徳の大きなこと海のごとき名号に帰する一心によって、必ずこの此土にありながら浄土の聖衆の班に列すなる身分となり、寿命終われば蓮華蔵世界とたたえられる浄土に参らせていただき、そのまま真如法性の涅槃の名理を悟って佛果にのぼり、そして一切の群上を済度するために。煩悩の林にも神通の力をあらわし、生死の薗にも応化の身を示して、還相の利他を成ずるのである。

●あとがき 天親菩薩の著書『浄土論』のはじめに、

世尊我一心に、尽十方の無碍光如来に帰命し、安楽国に生まれんと願いたてまつる
とあります。
この“一心に”と言う事に親鸞聖人は、感銘を受けられたようであります。それを端的にあらわしているのが、この正信偈のはじめに『帰命無量寿如来』と言う言葉を持って来ておられるものと思います。
龍樹菩薩からは、他力による易行道を確信され、そして一心に他力に任せることを天親菩薩から教えられたものと思われます。

私は、未だ『浄土論』を読んでいませんが、あの戦乱の鎌倉時代に、どのようにして書物に接しられたのか、知りたいものであります。


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No.531  2005.09.29

衆議院総選挙の一つの総括

今回の自民党の圧勝に関して、殆どのマスコミメディアは、小泉さん特有の手法(小泉劇場の演出とでも言うような)を主たる勝因としています。そう言う面を否定するものではありませんが、色々な論評の中で、キラリと光る論評が眼に止まりましたので紹介したいと思います。加藤周一さんと言う評論家の論説ですが、朝日新聞の水曜日の夕刊に『夕陽妄語』と言うタイトルで定期的に寄稿されている中のもので、2005年9月21日掲載されていました。抜粋しますと、

加藤周一氏の論説からの抜粋:
国民はなぜ自民党を支持したか。それは一人一人に訊(き)いてみなければわからない。しかしそうすることはできないので、私は想像する。 第一に、国民の大多数にとっては現状維持が望ましい。失業率が高くなっても、失業者より多い就業者はそう考えるだろう。もちろん職があっても、将来の不安、福祉の後退、老人の世話、子供の不登校その他いろいろ、暮らしの苦労は絶えないのではあるが、とにかくまあまあ衣食に足りる、という現状の大枠は変えたくない。誰がそれを保証してくれるか。自民党と官僚機構。たとえ勇猛果敢な小泉首相が三日に一度「改革」を唱えているにしても、根本的には何も変えないだろうという大衆の信頼感が自民党にはあった。

第二に、しかし何十年経っても金権政治や代議士の世襲制度が続いているのは退屈な話である。会社から帰ってTVを眺める勤め人男女は、もう少し華々しく、もう少し劇的な見世物を求めるだろう。すなわちそこに改革願望があらわれざるを得ない。どういう内容の改革か。「適切な内容だ」いつ改革するのか。「適切な時期にする」。というような哲学的問答を通して、「改革」願望がこの日本の空を翔(か)ける。

第一の現状維持願望と、第二の改革願望とは矛盾する。その矛盾の弁証法的止揚に首相と自民党は成功し、民主党は失敗した。選挙の経過と結果は、そのことを鮮やかに示しているだろう。政府与党側の成功、――ほとんど輝かしい成功は、まず衆議院を解散して、争点を「郵政改革」に絞ったことである。この場合の「改革」は民営化を意味するが、多くの有権者=国民はその功罪を具体的に知らず、しかし郵政がどう再組織されても自らの日常生活には大きな影響がないだろう、と考えたに違いない。

これは見世物として十分に大衆の改革願望に応えると同時に、現状維持願望をも満足させる。ある鋭敏なジャーナリストの言葉を借りれば、まさに「小泉劇場」だった。劇場の内部には波瀾万丈の冒険(想像上の、また可能性としての)があり、劇場の外に一歩出れば、外部の現実には劇場内の冒険が何ら影響を及ぼさない。自民党の大勝利は必然であった。

――転載終わり

今回の選挙は、郵政民営化に賛成か反対かの国民投票だと小泉首相は絶叫し続けました。そして、自民・公明で3分の2の議席を獲得したので、郵政改革をせよと言う民意を得たと言うことですが、国民投票だとしたら、小選挙区の与党の獲得した投票数(3350万票)が野党の獲得した投票数(3450万票)よりも少なかった事実と、国民の30%が国民投票にすら参加しなかったと言う状況を冷静に考察すれば、とても、「国民の多くが郵政民営化、構造改革を進めよ」と言う民意ではない事は明らかであります。

私は、古き善き日本が重んじた“義理と人情派”であり、刺客を差し向けられた数人の候補者を心情的に応援するあまり、どうしても自民党に投票する気持ちにはなれませんでした。幸いその方々は苦しい厳しい闘いの末、議席を獲得されましたので、「日本も捨てたものではない」と安堵すると共に、加藤周一の言われるように、農耕民族の血が脈々と流れている日本国民は、今後も劇的改革にはストップをかけるだろうと予感した次第であります。

加藤氏が宗教を持っているか知りません。しかし、加藤氏が真理・真実を見極めようとする宗教哲学的姿勢に共感を覚えました。


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