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No.490  2005.05.09

正信偈の心を読む―第三講(弥陀章(本願名号)―@)

●まえがき
親鸞聖人が法然上人に出遇われて、自分が救われるのは南無阿弥陀仏しかないと確信されたのでありますが、この念仏による救いは、インドにお釈迦様が出られて、それが中国を経て、日本に伝えられたからであると、親鸞聖人は遠くて長い縁をお感じになられたのであります。そして、また、お釈迦様は突然この世に現れられたわけではなく、もっともっと前にその因があると言うことを説かれてある『大無量寿経』を信奉されたのではないかと考えます。

現代の私達は、実在した証拠も無い法蔵菩薩の話はなかなか信じられるものではありませんが、法然上人と言う正師に出遇われた親鸞聖人には、法然上人ご自身が阿弥陀仏そのものに映り、法蔵菩薩にも映り、歴史上の事実とか事実ではないという視点ではなく、『大無量寿経』が真実を顕わした尊いものである事がはっきりしたものと思われます。

また、法蔵菩薩を皇太子の地位を捨てて出家された歴史上実在のお釈迦様に感じられたこともおありになったのではないかと思います。 この講では、法蔵菩薩と法蔵菩薩の願い(本願)について、暁烏敏師のご説明から学びたいと思います。

●弥陀章原文
法蔵菩薩因位時
(ほうぞうぼさついんにじ)
在世自在王仏所(ざいせいじざいおうぶっしょ)
覩見諸仏浄土因(とけんしょぶつじょうどいん)
国土人天之善悪(こくどにんでんしぜんあく)
建立無上殊勝願(こんりゅうむじょうしゅしょうがん)
超発希有大弘誓(ちょほつけうだいぐぜい)
五劫思惟之摂受(ごこうしゆいししょうじゅ)
重誓名声聞十方(じゅうせいみょうしょうもんじっぽう)

●弥陀章和訳
法蔵菩薩因位の時
世自在王仏の所(みもと)に在(ましま)して
諸仏浄土の因
国土人天之(の)善悪を都見して
無上殊勝の願を建立し
希有の大弘誓を超発せり
五劫に之を思惟し摂受す
重ねて誓たまうらく  名声十方に聞こしめんと

●暁烏敏師の講話からの抜粋
「法蔵菩薩因位の時」といえば、いわゆる学生の時である。それが先生になった時は阿弥陀仏である。親鸞聖人の、「無量寿如来に帰命したてまつる、不可思議光に南無したてまつる」という信心は、どこから起こったか、それは昨日や今日の話ではない。聖人は29歳の時法然上人にお遇いになって心が開けた。が、そういう歴史はおっしゃらぬ。もっと古い。法蔵菩薩因位の時から起こったものであるとおっしゃる。法蔵菩薩の本願が最初であります。この本願は流れ流れて今の私の心にも至り届いていて下さるのであります。

法蔵菩薩は本願を建て、それを成就して阿弥陀仏となられた。南無阿弥陀仏の信心を得られるまでは、法蔵菩薩は正覚を取られなかった。ここに因位の時とあるのは法蔵菩薩が本願を建てて下さった時、その時からである。古い、全く古いことである。時代に応ずるとか応じないとかいうことがあるが、そんなものではない。日本とか支邦(中国)とかそんなことじゃない。もっと偉大な根本がある。この法蔵菩薩のことは、『仏説無量寿経』の上巻にくわしく説かれております。簡単に述べてみます。

久遠無量不可思議無央数劫の昔に錠光如来が世に出て、無量の衆生をお助けになった。それから53の仏が世に出られてその最後に世自在王仏がお出になった。ある時王様がこのお話をお聞きになって、王の位におりながら、味わうことの出来なかった広大な世界があることを味わわれた。そしてその広大な世界へまいりたいという願を建てられた。無上正真道の心をおこされたのである。その願を成就するために、王位を捨て、修行者になられた。それが法蔵菩薩である。富や権勢がいくらあっても満たされないものがあった、その満たされないものを仏はもっておいでになる。それが望ましい、それが得たいばかりに王位を捨て、出家されたのである。

だから仏の道は娑婆を超えた道です。仏になる道です。法蔵菩薩はそうした願いを発して世自在王仏の前に出られた。そして世自在王仏のお徳を讃嘆し、自分の願いを述べられた。その偈文が「嘆仏偈」である。それから世自在王仏の御教えを受け、いろいろのおさとしを頂いて、ここに無上殊勝の願を超発せられた。そして五劫という長い間思案をして、世自在王仏によって調った願をば衆生の前に述べられた。これが『四十八願』である。更に重ねて三つの願を述べられた。これが「三誓偈」である。それからはその願を成就するために修行された。修行成就されて阿弥陀仏と申し上げるのであります。この事を聖人は『正信偈』の初めにお書きになったのであります。

●あとがき
私も正直申しまして、法蔵菩薩のお話はしっくりとは受け取れておりません。それは恐らく、私が未だ、損得・勝ち負けの世界に未練を持ち、そこに幸せを求めているからだと思われます。この人生に本当の行き詰まりを感じ、自分の心の闇に遭遇したならば、その時はじめて浄土を求め、法蔵菩薩の有り難さ、南無阿弥陀仏一つで救われる信心の世界に目覚めるのではないかと考えています。


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No.489  2005.05.05

生きる目的

極最近の掲示板に、「生きる目的はなんですか?」という投稿がございました。改まって尋ねられますと、『生きる目的』は咄嗟には答えられない大きなテーマであります。もし、街行く人々に質問したと致しましたら、怪訝そうに「・・・・」無言で立ち去る人、「何かなぁー」と考え込む人、「生まれて来たからには生きるしかないでしょう」と投げやり的な人、「よりよく生きる事・・」と優等生的な答えをくれる人等、様々な反応があるものと思われます。

恐らく、多くの人は人生の中で、「何の為に生きているのかな?」と云う疑問が胸に去来した経験をお持ちだと思います。少なくとも、この無相庵にお越しの殆どの方は、現在もそのテーマと取り組まれているのではないかと推察致します。私自身がそうであるからです。

「人間誰しも生きる目的を持って生まれた人はいない」と云う考え方が常識であります。少なくとも、意識の世界ではその通りであり、「何の為に生まれて来たのかな?」と考え出すのは、自我が芽生えてからだと思われます。殆どの人は、学校の先生からも親からも教えられることはないでしょう。私の場合も、「勉強して、少しでもよい大学に入り、一流企業に就職して出世する事」とか「世の中の役に立つ人になる事」を漠然と教え込まれ、「それではそれは一体何の為にか」と云う事は誰も教えてはくれなかったと思います。私と同年代の大方の人も大なり小なり、私と同じ事ではないかと思います。

私の母は熱心な仏教徒でしたから、私も幼い頃から仏教に親しんでいましたが、仏教が生きる目的を教えるものであると明確に認識出来たのは、生きることの苦しさを実感し始めた極最近のことであります。私の母も、やはり世の中の親と同様、二人の息子の出世を何より期待していると感じていましたし、三人の姉達の結婚相手にはやはり高学歴と良い家柄を条件にしていたようにと思われます。「名誉・財産なんかは人生の目的ではない」と云う教育は受けなかったように感じておりました。そして、勉強で良い成績を取ったり、有名大学に入ったり、有名企業に就職したときには、人にも自慢していたように思いましたので、何時しか私は、母の期待に添うことが良い人生で、それが生きる目的になっていたように振り返っております。

でも、もし当時、私が母に生きる目的を尋ねていたら、「仏法を聞くことだ」と答えたに違いありませんし、「お金や名誉が人を幸せにすることはない」と答えただろうと、今思うところであります。 「お金も名誉も人生を生きて行くには大事だけれど、それだけが人間に生まれて来た目的ではない」証拠に、母は、仏法が生きる支えとなって世間の人々に役立つように、私財を投じながら、仏教講演会を35年間、亡くなるまで主宰し続けました。そして、夜は何時も仏教の法話テープを聞きながら眠りに就いていましたから、上述の「生きる目的は、仏法を聞くことだ」と云う答えは間違い無いと思っている次第です。

人の生きる目的がどの人にも共通な一つのものではないでしょう。伝統芸能を受け継ぎ、次代に引き継いで行くことが"我が人生の目的"と言う人もいるでしょうし、それはそれで立派なことだと思います。大きな事業を営み、多くの人の人生に関わり、社会貢献する事を人生の目的としている人もおられましょう。ナショナルを創業された松下幸之助さんは多分そう云う人生観を持たれていたと思われます。インドの路上で行き倒れになった人に、せめて人間らしい最後をと、ベッドを提供し安らかな死を祈り続けたマザーテレサ女史の人生の目的は、キリスト様の教えに従った"弱者救済或いは隣人を愛す事"だったのでしょうか。

生きる目的は多様だと思いますが、それでも、目的として共感出来るただ一つの条件は、「体の自由が利く若い時だけのものではなく、老いを迎えても、そして死ぬ間際まで変わらない"生きる目的"である事」ではないかと、私は思います。

仏教では、人はもともと"生きる目的"を与えられてこの世に生を受けていると考えます。白隠禅師坐禅和讃にある「長者の家の子となりて貧里に迷うに異ならず」と言う白隠禅師のお言葉は、法華経の信解品(しんげぼん)の『長者窮子の喩(ちょうじゃぐうじのたとえ)』から引用されたものと思いますが、「人間に生まれた意味」に気付こうではないかと言うメッセージだと思います。欲望を追いかけたり、本能の趣くままに生きることは、動物でも出来ていることであります。

お釈迦様が皇太子の地位を捨て、妻子さえも捨ててお城を出られたのは、人間に生まれた意味を求められたからだったと思います。揺るぎ無い永遠の幸せを求められたからであります。そして6年間の難行苦行の末に、永遠の幸せを得るには、『苦』から解放されなければならないとし、苦の原因を明らかにされ、苦の原因を取り除く方法と苦から解放された後の寂静の世界を示されました。そして、これをご自身だけの悟りに終わらせずに、80歳で亡くなられるまでの45年間、インド各地を遊行されて、人々に教えを説かれ続けられたのであります。

仏法は、得難い人間と言う命を頂いた意味を説くものであります。他の動物とは違う命を生きる事を説くものであります。それはどう言う生き方かは、仏法を聞き進みながら、自分自身が選択することだと思いますが、お釈迦様をはじめとする先師、先輩の生き様をお手本とする事が仏教徒が歩むべき道だと、私は思います。


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No.488  2005.05.02

正信偈の心を読む―第一講(総讃ーA)

● まえがき
今回も引き続きまして総讃の心を読み取りたいと思います。前回は主として『帰命無量寿如来』の心を尋ねましたが、今回は『南無不可思議光』の心とはどんなものかを尋ねたいと思います。

仏教で『光』と言いますと、それは『智慧』を表わしています。私達凡夫は"迷いの世界"に住んでいると言われます。"迷いの世界"は"暗闇の世界"であります。暗闇を破るのが光でありますように、暗闇の人生を明るい人生に変えてくれるのが『智慧』であります。そしてそれは人間の浅はかな智慧ではなく、仏の智慧であります。

仏の智慧とはどんなものなのか、それは私達には到底計り知ることが出来ないものでありますから、これを"不可思議な智慧"即ち"不可思議光"と言い事になります。従いまして、南無不可思議光とは、「私達に推し量ることが出来ない仏の智慧にお任せ申し上げます」と言うことになります。従いまして、南無不可思議光は、南無阿弥陀仏と同じ心から発せられたと考えてよいと思います。

『南無阿弥陀仏』をキリスト教徒が神様の前で唱える『アーメン』と同じ様なものである、と一般的には捉えてられているものと思いますが、『南無阿弥陀仏』は、仏様に何かをお願いしたり、仏様に懺悔の気持を表白すると云うものではありません。そして、そもそも"神仏"と云う言葉がありますが、正当な仏教で使う"仏様"と云う言葉は、"神様"と云う創造主的なものでもありません。

『南無阿弥陀仏』とは、仏の智慧に出遇った時の喜びと感謝を言葉と言う形に表わしたものと言ってよいのではないかと思います。

● 総讃原文
帰命無量寿如来
(きみょうむりょうじゅにょらい)
南無不可思議光(なむふかしぎこう)

● 総讃和訳
無量寿如来に帰命し
不可思議光に南無したてまつる

● 暁烏敏師の講話からの抜粋
不可思議光に南無し奉る心の人は広々として明るく朗らかである。仏の智慧は円満である。智慧の姿は明るい。日本の国の昔の事をだんだん研究すると、大和民族は非常に光を好む民族である。非常に明るい。日本人は光を好む。光明に対するあこがれが強いのです。だから日本で一番尊い神様は天照大神です。この神様は光の神様です。又、天皇陛下を日継の皇子として崇め奉った.明かりの中で一番大事なものは、心の明かりである。それを日本人の心に教え給うたのは聖徳太子である。太子が仏法によって光を仰ぐように教えられたのである。

法蔵菩薩が世自在王仏の御もとで世自在王仏のお徳を讃嘆せられる時に、「あなたのお顔は非常に輝き光っておいでになります。その明るさは太陽も月も比べものになりません。お日様を望んでも私の暗い心が明るくなりませんでしたが、あなたのお光によって私の心が明るうなりました」と述べておられます。こうなると最も明るい光は阿弥陀様の光明だということになる。

親鸞聖人も29歳の年まで世の中は暗かった。真っ暗だった。その暗い胸が、法然上人に逢うて上人の人格を通し又お言葉を通して、はじめて明るい心になられたのです。だから法然上人は親鸞聖人の光の親様である。その法然上人は、43歳の時に、善導大師の光に逢うて明るくなった人である。だから法然上人では善導様が光の親でありました。

我が心が広くなれば、お助けということがわかる。自分の心の物差しをあてて疑い、自分で苦しんでおる。「疑えば華開かず、信心清浄なれば華開いて仏を見奉る」と『華厳経』にある。蓮如上人は雑行雑修を捨ててとおっしゃった。ああじゃろか、こうじゃろうかという計らいを持って出て自分の勝手なことを思うて穴を掘り、そして世の中は暗い、世の中は冷たいという。世の中は明るく、朗らかなのだが、自分でこしらえた暗いものの中へ、自分で入っておるのだ。そこに我々の地獄というものをこしらえておるのだ。

その地獄の釜の蓋(ふた)がどうして破れるか、仏の光の届く時に破れる。胸の闇がとれ、氷が解ける。その時に仰がれるものを不可思議光という。不可思議とは思議すべからずということである。言うことが出来ぬ、これだけと計ることが出来ぬ不可思議である。不可思議を信ずる時、とかくの計らいがなくなる。道理がない、わけがない。どうしておっても愛がある、信がある。それが不可思議だ。何もわからんというが、何にも知らんから、明るい不可思議光に南無し奉ることが出来るのだ。それは光の前にひれ伏すのだ。南無し奉る心は、光が私にことよさしめ給う、光が私に現れて下さる、尊い光が私に生まれ出て下さるのだ。明るいのは仏の心が私に生まれて下さる、だから明るい心の外に仏がない。そこへ仏が出て下さる、信ずる心の外に仏はない。信心の外に仏はないというのは仏壇を壊すことではない。信の外に仏がない。仏の外に信がない。仏・衆生一体になることだ。そこにひれ伏す信心である。その心を親鸞聖人は二つに分けて、はじめには「帰命無量寿如来」と申され、あとには「南無不可思議光」とあげられたのであります。

● あとがき
『仏の智慧』と言うものを説明することは出来ません。私達に推し量ることが出来ない不可思議な光でありますから、人間の言葉で説明し尽くせないのでありますが、そう言ってしまいますと、話が始まりませんので、正信偈を表わされた親鸞聖人のお心から私が感じているところを申し述べたいと思います。

仏法を説かれたお釈迦様は歴史上実在された方であります。そのお釈迦様がこの世に生まれられ、仏法をお説きになられた事自体、仏の智慧の働きそのものであると親鸞聖人は実感されたのではないかと思います。そして、そのお釈迦様の教えが、2500年を経て、インドから中国そして朝鮮半島を経て日本に伝わり、しかもその時の日本の政治をリードしておられた聖徳太子がおられたからこそ、仏法が日本に根付くことになったのだと、これは仏の智慧以外のなにものでも無いと実感され、更に、比叡山で人生の暗闇でもがき苦しみ続ける親鸞聖人が、夢のお告げにより、法然上人に出遇う事が出来た事は、仏の智慧と慈悲の顕れとしか考えられないと、仏の力・働きを確信されたのだと思われます。

お釈迦様がこの世に生まれられたのも、突然のことではないと大乗仏教、特に浄土門では考えます。因縁果の道理から致しましても、そう考えるのが自然だと思いますが、お釈迦様以前の出来事として、法蔵菩薩の話が出て参ります。法蔵菩薩は歴史上実在のお方ではありませんので、架空の神話と違いないレベルの物語的でありますので、現代人は、ここで眉をひそめるのではないかと思います。私自身も、何とかならないものかと以前は考えていましたが、法蔵菩薩の本願から始めなければならないのが、また自然ではないかと思うようになりつつあります。 さて、次講からいよいよ正信偈の中味に入ることになります。


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No.487  2005.04.28

日本の安全第一主義・品質第一主義について

今週の月曜日に発生したJR西日本福知山線での脱線転覆事故は、現時点では死者97名、負傷者460余名と言う大惨事でありますが、これから先頭車両に閉じ込められた人々の救出作業に取り掛かると言う状況ですから、死者は更に増えるものと思われます。JR西日本のトップは考えられない事故だとコメントしていますが、多くの交通事業関係者も、また私達一般の者にとりましても、全く予期出来ない想定外の事故であることに異論はないものと思われます。

この機会に日本企業の安全第一主義につきまして、いささか考察して見たいと思います。以下は企業サイドに立った見解ではあります。今回の事故は確かにショッキングなものでありますが、今回の事故だけで、これまでのJR西日本の管理システムがすべて悪かったと断定してしまうのは如何なものかと思うのであります。重大事故を起こしたJR西日本は一切弁解出来ない立場でありますので、私は第三者として、冷静に考察して見たいと思います。

テレビのコメンテーターは、今回の事故がJR西日本の、安全第一ではなく効率を重んじる企業体質が原因だと口を揃えています。確かに、事故の前後の状況から、ダイヤの精確重視から来る厳しい管理体制・人事管理方針が背景にあるように思われます。そして、ヒューマンファクター(人の要素)に起因したものであったことも事実かも知れません。

しかし、企業では、未然に事故を防ぐ努力の一つとして、危険予知訓練や、ヒヤリとした事とかハッとした事を作業者に申告させて予め災害・事故が起らないように対策をとる事もしております。そして、遺族の方々の怒りを買うかも知れませんが、他の交通機関に比べまして、死亡を伴なう列車事故の発生確率は極めて低く、いわゆるPPMレベル以下、ナノレベル以下でしか発生していない事も事実であります。秒単位のダイヤを組み、しかも数十年にわたって私達に安全を提供して来たことも事実であります。それは、旧国鉄、現在のJR各社の企業努力によるものである事を見逃してはならないと思います。

今回の事故で知ったことは、世界に誇る安全性と定時性を誇る我が国の電車交通システムが意外と人 に頼る部分があると言うことであります。私は、JR西日本の肩を持つ訳ではありませんが、人に頼る部分があるにも関わらず、これまで人為的なミスによる重大な事故を発生させずに今日まで来たと言うことは、安全に関する管理システムがそれなりに機能して来たと評価すべきではないかと思います。人命よりダイヤ優先の企業体質だとして厳しい批判に曝されていますが、人命を第一に色々な設計とテストを繰り返してシステムを構築して来たからこそ、極めて低い事故発生率を実現してきたと言うべきではないかと思います。

交通事業の品質は、時間の精確性・信頼性にあると思います。我々顧客は時間を買っていると言ってもよいでしょう。商売上において、私達は交通機関の運行時間を信頼した上で顧客と面談時刻の約束を致します。もし、交通機関の運行時間・時刻が全く信頼出来ないと致しましたら、恐らく日本のビジネスは様変わりするものと思われます。JR西日本の人事管理システムが厳し過ぎるとか、強権的であるとか、と言う内部告発も出て来たり、識者のコメントがありますが、このシステムのお陰で、ダイヤが守られ、私達の生活が成り立って来たことを忘れてはならないと思います。

今回の事故の真因を究明し、再発防止に全力を傾けることは当然のことであります。そういうことの積み重ねで、今日まで安全が保たれて来たことも事実であります。

私達人類は、効率を重視する文明を開いて参りました。効率と安全とは相反するものであり、両立出来るものではなく、バランスを取って進むしかないのではないかと思います。そう致しますと、安全を100%確保出来るものではないこともまた覚悟しなければなりません。

安全第一と言うお題目は企業の建前であります。恐らく企業経営者で、毎日、安全第一が頭の中を占領している人はいないと思います。合理化、効率化、コストダウン、シェアー拡大策が頭の中を駆け巡っているはずであります。生存競争の社会を生き抜く限りは、本当は安全第一では生きてゆけないのも、これまた現実であります。

同じ様に、品質第一も同様であり、過剰に品質レベルを上げることは、コストアップになり、今の世の中では、生き残っていけません。品質とコストのバランスを図らねば、企業は生きてゆけません。

今回のような事故が起こりますと、世論は過剰反応をして、非現実的な要求を企業に要求しがちでありますが、原因究明を徹底することは要求しなければなりませんが、これまでの企業が為して来たすべてを否定してしまうことは、如何なものかと思います。

私達は、生存競争の世界にあります。他の生命を奪わなければ生きてゆけない宿業(しゅくごう)を抱えています。企業間の競争、企業内での人と人の競争を免れる訳にはまいりません。非常に厳しい環境の中で生きている存在であります。人生の一面は厳しい生存競争でありますが、もう一面から捉えますと、共存共栄の側面がある事も確かであります。自分一人で生きてはゆけません。他の力を借りて、他の働きのお陰があってはじめて生きてゆける面があることも忘れてはなりません。

今は、すべての人がJR西日本を批判し、全否定の有様でありますが、JR西日本のお陰で生活・ビジネスが成り立って来た面を決して忘れてはならないと思います。 ただ、この度犠牲になられた方々の死を無駄にしないように、再発防止対策が構築される事を私達は永い眼で監視する必要があるのは、言うまでもありません。私の物造りの経験から、仕事には適正があると言う事、そして、うっかりミスをしても、重大な事態には至らない(メーカーではバカよけと言います、鉄道の場合は、速度自動監視システム)機械上の工夫を進めることでしか、事故発生を限りなく“ゼロ”に近付けることは出来ないと考えます。

亡くなられた方々のご冥福を祈り、遺族の方々にお悔やみを申し上げますと共に、JR西日本に対しましては、徹底した真因究明と多少のコストが掛かっても確実な再発防止対策を取られることを切に希望したいと思います。


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No.486  2005.04.25

正信偈の心を読む―第一講(総讃―@)

●まえがき
さて早速ですが、お経の内容に入って参ります。 はじめてお経に接する方を念頭におきながら、進めて参りたいと思いましたが、とっぱしから、恐縮ですが、それはなかなか難しいことだなと、そして私はえらい大それた事をやろうとしていた事を思い知らされました。

と言いますのは、正信偈の最初の1句の「帰命無量寿如来」の"如来(にょらい)" と言う言葉だけでも、私自身の理解している内容が浅く、一般の方に自信を持って説明出来る状況にないことに明確に気付かされたからであります。

しかし、一旦勉強する意志を表明致しましたからには、私の今の理解をそのまま素直に書き表して、一般の方々の親鸞聖人の教えへの理解に多少とも役立たないか、また誤解・偏見を何とか取除く一助ともなれかしと勇気を振り絞り、スタートする決意を固めた次第であります。

もし浄土真宗門徒の方々が読まれて、ご不審な点、明らかに間違っている解釈がございましたら、是非ご指摘頂きたいと存じます。

今日の2句は、この正信偈の総讃と言う位置付けのもので、親鸞聖人のご信心のすべてが、この2句に集約されると申してもよいものだと思います。「無量寿如来」も「不可思議光」も、「阿弥陀仏」を異なった表現をしたものであります。従いまして、今日の2句はお念仏の「南無阿弥陀仏」と言うことであります。

親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」と言う"6字の名号"をお書きになられて、それを拝んでおられたと言うことですが、他に、「南無不可思議光如来」の"9字の名号"、「帰命尽十方無碍光如来」の"10字の名号"も拝まれていたようであります。要するに親鸞聖人のご信心は「南無阿弥陀仏」 でありますが、その「南無阿弥陀仏」の心を二つの言い方で具体的に表白されたのが、今日の2句と考えてよいと思います。

●総讃原文
帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)
南無不可思議光(なむふかしぎこう)

●総讃和訳
無量寿如来に帰命し
不可思議光に南無したてまつる

●暁烏敏師の講話からの抜粋
親鸞聖人は、この第一句、第二句においてまさしく自分の心に抱いておられる信心を最も簡単に述べて「無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる」とおっしゃったのであります。一番最初に、「無量寿如来に帰命したてまつる」とこうおっしゃったところに、聖人のご信心の最も中心の中心ともなっているところが現れておることを味わいます。聖人は、阿弥陀仏のことを「無量寿如来」とか「不可思議光仏」などといろいろのお名で称えられるが、ここにことさらに「無量寿如来に帰命す」と仰せられています。

寿とはいのちのことで、無量寿とは量りなき命のことである。その量りなき命の如来に帰命するというのである。無量寿如来というのは無量の命を体得して仏になった人をいうのである。如来とは如より来生する意で実証、真理そのものである。宇宙の真実そのものが如より来生したものである。そのありのままの真理が再現されたらそれが如来である。真実信心のそのままに現れておる、それが如来である。無量寿如来とは無量寿を体験したお方である。抽象的な理屈じゃない、観念じゃない、具体的な実在である。もう一つ変えていえば抽象的な無量寿が具体的な人間性の上に現れておる方を無量寿如来というのであります。その無量寿如来に帰命するのである。

帰命とはお告げです。仰せです。命令です。仰せ・命令・お告げに、よりかかりよりたのむということです。帰命は梵語でいえば「南無」であります。「南無」は「帰命」であり、意に随うことである。はいという返事ばかりで随うのではなく、全身を向うに投げ出すのです。そうして仰せに随い、お召しに叶うのです。随うとは全身を投げ出して仰せを聞くことです。聖人は帰命の味わいの中に、法然上人のお弟子として、お師匠様と仏様と自分と一つになった命をお味わいになったのであります。帰命するということは命に通うまことである。命がけであり、一生懸命である。通うということは生命の本源の欲求です。だから命がけにやるということは傾倒する、投げ出すことです。

●あとがき
無量寿と言うのは永遠の命ですが、私達人間は、平生は忘れておりますが、必ず死に至ります。これだけは間違いないことであります。「絶対に、と言う事はこの世には無い」と言われますが、「絶対死ぬ」事は誰も否定出来ません。絶対に死ぬことは自覚していても、私達は、明日死ぬとは思っておりません。私も60歳になりましたから、平均寿命までは18年しかありません。しかし当分は大丈夫だろうと思っています。多分平均寿命まで生きたとしても、未だ当分は大丈夫だろうと考えるに違いありません。

この世の苦しさに堪えかねて自殺を選択する人もいますが、私達人間は本当は永遠の命が欲しいと思っているのではないでしょうか。死ぬのが恐いだけではなく、この地球上から私が消え去ること自体が残念無念なのだと思います。親鸞聖人も、無量寿を願われたのです。無量寿を願われて、9歳から29歳まで比叡山で修行されましたが、無量寿を自覚するには至らず、法然上人に出遇われて、法然上人に無量寿を感得されたのだと思います。即ち、法然上人を無量寿如来と信じられたのだと思います。

如来とは、「真如(しんにょ、真理の世界)より来生(らいしょう)せる存在」と説明されますが、一般の方々は、多分、阿弥陀如来の仏像などを思い浮かべられると思いますが、仏像は象徴的に顕わされたものであり、如来とは仏像でも、キリスト教の神様のようなものでもありません。

極論すれば、一輪の花を見て、その花に永遠の命を感じれば、その花が「無量寿如来」であります。教えを頂いたお師匠さんに永遠の命の現れを感じる程に信頼出来たならば、その先生が「無量寿如来」であると私は思います。

次回は、引き続きまして、「南無不可思議光」に付きまして勉強したいと思います。


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No.485  2005.04.21

大乗仏教が根付かなかった中国

このところの毎週末、中国各地で反日デモと日本領事館や日本料理店などの破壊行為が起きている事が報じられています。昨年末の日中のサッカー試合あたりから、中国人民が日本に対して持っている反感が一挙に表面化して来たように感じます。テレビの報道を見る限りは、中国政府が破壊行為を黙認しているように映り、また、先日の外相同士の会談の席上において、我が国の外相の謝罪要求にも応じず、むしろ日本政府を批判する中国外相の不遜な態度を見るにつけ、日本国民の多くは、不快感を抱いたのではないでしょうか。

何故か今や急速に、日中、日韓関係は戦後最悪の状況になりつつあります。そして更に拉致問題を含む日朝問題もあります。私はこの状況を招いたのは、小泉首相のアメリカ重視の外交姿勢が大きな要因ではないかと考察しています。そして、アメリカと深い同盟関係を持つが故に中近東で孤立して来たイスラエルと同様、日本は東アジアで孤立化を深めて行かざるを得ないのかも知れないと推察しています。

この状況に至ったのは、前述したように、日米関係を重視し東アジアの近隣諸国との関係を軽視し靖国神社参拝を頑なに続ける小泉首相の外交姿勢がもたらしたものでありますが、小泉首相個人を責めるのではなく、小泉首相をトップに選んだ与党と、その与党を支持する国民大半が選んだ道である事に私達国民が思い至り、深く反省しなければならないと思います。

他国が小泉首相の靖国神社参拝に反対する事は内政干渉だと言う見方もあります。私も内政干渉だと思いますが、近隣諸国が反感を表明し続ける靖国神社参拝は、目的が「二度と戦争はしない」と言う誓いの為であるとしても、相手国の心を受け容れて、素直に止めるべきだと思います。私は、小泉首相の態度は、古来の日本人が取って来た態度とは明らかに異なり、アメリカ的な自己主張を善しとするものであり、日本人的な謙虚さを失った心から来るものではないかと思慮しているところであります。

どのような争い事も、双方が自分の立場をのみ正当化して主張し、相手を非難している限りは解決に至らないことは誰しも経験していることだと思います。このような日中関係に至った原因は、相手に責任を求める日中双方にあることは言うまでもありません。私は、我が国よりも歴史のある中国が孔子・孟子の思想を忘れ、また大乗仏教を受け容れ開花させた中国が「己を知る」思想を失い、責任を他に求める現共産党政権に危うさと疑問を感じております。13億人と言う人民を抱えるお国事情が絡んでいるとは聞きますが、今回の日本公館の破壊活動を制止しなかった中国政府が、むしろ責任は日本にあると主張するのを報道で知り、私は、自己を見詰める事を忘れた中国に大乗仏教が根付かなかった理由を知らされた想いが致しました。

今回の反日デモと仏教の歴史を結び付ける事には少し飛躍があるかも知れません。しかし、仏教が生まれたインドにも、そして大乗仏教を受け継ぎ花開かせた中国にも今や仏教が途絶えている現状を知る時、何故?と言う疑問が生じるのは私だけではないと思います。

仏教、即ちお釈迦様の教えは、自己の心を見詰める、或いは問い直すことが出発点であります。禅門に『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』と言う有名な言葉があります。これは「先ずは自己を顧みなさい」と言うことであります。現代日本の国民性を考察するとき、どちらかと言いますと、相手を非難するよりも、先ずは自分に非があるのではないかと言う謙虚さを持ち合わせていると思います。はっきり言えば、自己主張が苦手な国民性ではないかと思います。拉致問題における北朝鮮と日本の発言と態度を見れば、明らかではないでしょうか。相手を責めるよりも先ず自己を見詰めると言う性癖は紀元前から日本人のDNAに埋め込まれたものではいかと言う気が致します。だからこそ、自己の心を問題視する大乗仏教が唯一根付く国となったのではないかと考えている次第であります。

しかし、日本もこの戦後60年間にわたり、アメリカ的な自己主張を重んじる教育を受け続けて参りましたので、日本国民が持っていた自分に責任を求めると言う謙虚さを失ってしまったように思われます。その顕れだと思いますが、この日本も大乗仏教が枯れ衰えつつあるのではないかと危惧しています。

この東アジアの平和は、自己を見詰める謙虚さを持った我が日本民族が主導して達成しなければならないと思います。自己を見詰め、問い直すことが出来るのは、人間にのみに与えられた智慧であると思いますが、大乗仏教が根付いたこの日本が世界平和に大きな役割を果たすべきだと思います。私は大乗仏教が興隆することを願うことは勿論ですが、それよりも、現代日本人が失った、我が身を振り返ると云う謙虚さをお互いが取り戻さねばならないと思う次第です。そして、日本を代表する首相には、日本古来の「和を以って貴しと為す」と言う哲学を身に付けた方になって頂き、アメリカとの同盟関係を維持しつつ、東アジア各国との相互理解を深める外交を行なって欲しいと思います。


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No.484  2005.04.18

正信偈の心を読む―はじめに

『正信偈(しょうしんげ)』の正式な名称は『正信念佛偈(しょうしんねんぶつげ)』であります。そして、この正信偈は、親鸞聖人の著書であり、浄土真宗の所依の経典であるところの『顕浄土真実教行証文類』(通称『教行信証』と云われている)の中に組み込まれている偈頌(げじゅ)であります。偈頌(げじゅ)とは、広辞苑によりますと「経典等の中に、詩の形で、仏徳を讃嘆し、教理を述べたもの」であります。親鸞聖人は、和讃も数多く遺されておられますので、そう云う文学的・詩的才能をお持ちでした。

『正信偈』を浄土真宗の門徒が朝夕に読み上げる経典と位置付けたのは蓮如上人でありまして、その後、江戸時代を経て今日までの500年間にわたりまして詠み継がれ、浄土真宗と言えば『正信偈』と言う程の象徴的な存在となっております。

しかし、親鸞聖人の書き遺された原文は、漢文でありまして、現代人には馴染み難く、従いまして、意味を理解することは浄土真宗の門徒に取りましても容易ではありません。そして、その内容は親鸞聖人の信仰心そのものでありますから、一般人に取りましては更に難解であります。

正信偈は、親鸞聖人が本願他力の念仏に出遇えた悦びと、お釈迦様以降に浄土の教えを伝えて来られたインド、中国、日本に出られた高僧方への感謝を謳い上げられたものであります。従いまして、浄土の教えの本質を理解し、読む私達自身が信心にまで至らなければ、本当の意味で正信偈の心を読み取ることにはならないことは申すまでもございません。

これから正信偈を解説しようとしている私自身の信仰心は、親鸞聖人の信仰心には遠く及びませんので、私の言葉で『正信偈』の解説を試みることは出来そうにございません。そこで、暁烏敏(あけがらすはや)師の著書『正信偈の講話』を教科書として読み進んで行こうと思います。そして、梅原眞隆師の『正信念佛偈講義』、大原性実師の『正信偈講讃』を参考書としながら、私自身が勉強しながら、何とか少しでも一般の方々にも理解して頂けるような内容に仕上げる努力をしたいと考えております。

なお、暁烏敏師は明治10年(1877)7月12日、石川県松任市のお寺に生まれられ、東京の修養所「浩々洞」で一生の師である清沢満之に育てられ、雑誌『精神界』を発刊されました。その後、活動の場を加賀へと移した暁烏敏師は同じ真宗(浄土真宗)大谷派の高光大船、藤原鉄乗とともに、宗教界の加賀(または北陸)の三羽烏と呼ばれました。暁烏敏師は昭和29年8月27日に亡くなられましたが、昭和26年12月1日に、当時は東本願寺総長であらされましたが、垂水見真会にご出講頂いております。私は未だ6歳でありましたが、カラスと言う名前と共に何となく記憶しております。


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No.483  2005.04.14

お釈迦様の教えとの出遇い

私は母の影響で仏法に親しみ、今では仏法は人生を渡る上での拠り所ともなっています。もし仏法と出遭っていなかったら、どんな人生になっていたろうかと思うことがあります。人は何かを信じ、何かを拠り所として生きているのだと思います。占いを頼りに生きている人もおられるでしょうし、お金を唯一の拠り所として日夜お金儲けだけを考えて生きている人もおられるでしょう。

夫々の縁によって信じるものは異なるのだと思いますが、私はお釈迦様の教えに出遇って本当に幸運だったと思っています。親鸞聖人もお釈迦様の教えに出遇ったことを悦ばれまして、来週の月曜日から勉強を開始致します『正信偈(しょうしんげ)』を書き残されました。

親鸞聖人の直接のお師匠さんは法然上人ですが、法然上人を通してお釈迦様の教えを体得されたのであります。正信偈では、法然上人からお釈迦様まで遡るまでの7名の高僧方の存在を讃嘆されていますが、親鸞聖人はその高僧方を讃嘆されると同時に、お釈迦様を世に送り出した大きな力(本願力と云われる)の存在を確信され、この本願力に出遇えたことを讃嘆されているのであります。

信仰と言うものは、人を信じることでもありますが、人を通して真理に気付き、その真理を信じるものだと思います。お釈迦様は、人を拠り所にせず、法を拠り所とせよと言い遺されたそうですが、 教えを説く人と説かれている法をバランス良く信じることが正しい信仰ではないかと私は思います。あまり特定の人を信じる事に偏りますと、とんでもない信仰に迷い込んでしまう危険性がありますし、また説かれる法のみを強調するのは信仰ではなく学問になってしまうのだと思います。

私は、お釈迦様や親鸞聖人を慕わしく思っておりますと共に、仏法に出遇えたことを悦んでおります。


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No.482  2005.04.11

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第314条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―下され物辞退のときの仰せ事

● まえがき
さて、今回が『蓮如上人御一代記聞書讃解』の最終回であります。
井上善右衛門先生が選ばれました70箇条を勉強して参りました。この聞書は親鸞聖人の教えそのものではありませんし、また、蓮如上人ご自身が書かれたものではなく、蓮如上人から聞いたお話をご子息或いはお弟子さん方が書き留めたものであります。その点に留意して、親鸞聖人の教え、更にはお釈迦様の説かれた仏法の真髄、更には真実とは何か、真理とは何か、この世に生まれて来た意味とは何かを自分自身が問い直さなければならないと思います。

この聞書に限らず、色々な経典を読むに致しましても、内容の正しい解釈に心掛けることは勿論大切でありますが、もっと大切なことは、その経典から、自分自身がこの世を生きて行く上での、確かな信念、いわゆる安心(あんじん)、信心(しんじん)を獲る縁としなければならない事だと思います。

私自身、そう言う事を念頭に置きつつ、また他の人々の信仰を深める助けになればと思いながら勉強して参りましたが、如何でしたでしょうか。

● 聞書本文
蓮如上人、兼縁に物を下され候ふを、冥加なきと御辞退候ひければ、仰せられ候。遣はされ候ふ物をばただ取りて信をよく取れ、信なくば冥加なきとて仏の物を受けぬやうなるも、それは曲(くせ)もなき事なり、我すると思ふかとよ。皆御用なり、何事か御用に漏るることや候ふべき。と仰せられ候ふと云々。

● 現代意訳
蓮如上人が息子の兼縁様にお召し物をお上げになった時、兼縁様は「冥加に尽きます」と辞退された。それに対して蓮如上人は「与えられたお召し物は素直に有り難く頂戴して、信をよくとりなさい。信のない心で冥加に尽きると仏様からのお召し物を辞退しても、それは却って相手の心を無にすることになる。私がお召し物を与えると考えるのは間違いで、みんな如来聖人の御用物を私が取り次いで与えるまでなのである。御用物でないものなんて無いのだ。素直に頂いて信を取ることに心をつかいなさい。信を取るにまさる大切な御礼はないのだ」とおっしゃいました。

● 井上善右衛門先生の讃解
「我するとおもふか」とは、ここの我とは蓮如上人御自身のことを言われているのです。即ち我れが汝に物を与えるとでも思っているのか。そうでないぞ、如来聖人の御用物を取り次いで与えるまでであるから、有り難く素直に頂いて信を取れ、信を取るにまさる大切な御礼はないと申されたのです。

そして更に、何事も皆御用である。如来の仏物でないものはない。それを我物顔にするところに、人間の勝手な振舞いの誤りが生じるのであると、誡めを結ばれているのであります。 人間は自分勝手な世界に住んでいるものです。勝手な世界とは人間自身気付かぬのですが、人間の意識には真実に一致せぬ性質があって、その性質から画き出している世界に住んでいるということです。しかも人間はそれを当然の事と思い込んでいますから、そこに厄介な問題やら煩らいが起ります。

人間の意識の性質を『維摩経』には、「痴あれば愛あり、愛あれば病あり」と語っています。痴とは真実にかなわぬ愚かさです。愛とは愛着です。その愛着の対象になるのは、自己と自己の所有物でありまして、その所有物には事物はもとより、才能も能力も知識もすべて我れに所属するものが含まれます。これを我・我所と仏教では教えています。病ありとは心の幻想に悩む病です。人間は何としても、自ら作って自ら悩むこの病から脱して、真実の光の中に住む身とならねばなりません。

日常生活の中でも遠慮や気兼ねといった心の葛藤が始終あります。なかなかさらりとした秋空のような胸の中にはなりえぬものですが、よくよく考えて見ると、ここにも何か執らわれた思いがあって、そこに煩いが起っているのではありませんか。

それに対して素直というのは実に気持のよいものであり、美しいものです。この素直さにはどうすれば道が開けましょうか。素直さには円(まろ)やかで無用な角がありません。そしてさらりとした明るさがあります。さらに素直さには相手の心を十分に受け取っている豊かさが感じられます。即ち素直さには、我執が転じたところに、自然に現れる清々しい"こだわり"の無さであり、そしてその時、正しさに順じる明るさが恵まれて来ると思います。

われわれが真実からはみ出して勝手な生き方をしている事に、いささか気付くようになっても、なかなかわが心は思うようにはなりません。真実にかなうように努力してみても、わが心の無力をいよいよと感じるのみです。

自己中心的な我が思いを転換せしめて、法の真実に自ずから方向づけて下さるものは本願力一つであります。大悲の信に恵まれる不思議な仏徳が然らしめて下さるのであります。
「我と我所」の執にもとづく発想が転じられて、天地自然の恵みを感じるようになり、それがやがて仏物として信に映じてきます。そして如来の御用の中に生きているという自覚に立ち帰ったとき、実相にかなったまことの生活が顕現するでありましょう。物を大切にするということは、宗教的開眼によって本当に末徹ったものとなるのです。

● あとがき
私は、この聞書を勉強しながら、浄土真宗で信心を獲られた大先輩である井上善右衛門先生と白井成允先生のご著書を読み直しました。そして、お二人の先生が共に、唯識を深く勉強されていたことを改めて知り、私自身も唯識を勉強することになりました。そして、親鸞聖人がお名前の一字を頂かれた『天親菩薩』が唯識学上最も有名な「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」を著したインドの学僧であったことを知り、親鸞聖人も間違い無く唯識を勉強されていたことを確信するに至りました。

「宗教の基本は自己を問い直すことにある」とは、江戸時代から明治維新にかけて親鸞聖人の教えを深く研究された清沢満之師だったと思いますが、自己を問い直すと言うことは、自己の心を問い直す事であり、その方法として、大乗仏教の深層心理学とも言われる『唯識』の智慧を借りるのが最も適切ではないかと思うようになりました。そして、昨年の12月に『唯識の世界』と言うコーナーを開設することになりました。『蓮如上人御一代記聞書讃解』の解説を縁として、『唯識の世界』のコーナーが出来、そして私自身が唯識に親しむことになったことを喜んでいる次第であります。

さて、次回からの月曜コラムは、親鸞聖人ご自身のご著書である『正信偈(しょうしんげ)』を勉強したいと思っております。『正信偈』は、浄土真宗の門徒が朝夕仏壇の前で読み上げるお経でありまして、私も幼い頃から意味が判らないまま読み上げていたお経であります。私は学者でありませんので、私には漢文のお経を解説する能力はございません。この聞書と同様の手法で、浄土真宗の僧侶として有名な、故暁烏敏(あけがらすはや)師のご著書である『正信偈の講話』(法蔵館出版)を参考書として、学んでまいりたいと考えております。


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No.481  2005.04.07

コミュニケーションの有用性について

近年、有名人の離婚報道は珍しいことでは無くなりましたが、私の身の回りでも結構多くなっていますので、所謂(いわゆる)離婚率は、この半世紀で飛躍的に高くなっているものと思われます。極最近では、森進一・昌子夫妻の別居騒動がテレビを賑わせています。20年間歌謡界のおしどり夫婦として連れ添いながら、しかも3人の子供がありながら別居に至り、当人同士の話し合いの道が絶たれている現在の状況に、人間関係の難しさ、寂しさ、空しさ等などを感じ、暗い気持になっているのは私だけではないと思います。

夫婦は所詮他人同士であり、親子関係とは趣きが異なります。私達夫婦も今は離婚の芽は全くありませんが、どちらかが浮気をすれば、これまで構築して来た信頼関係は一瞬のうちに崩壊し、たちまち離婚という事になるものと思います。勿論、私達夫婦には有り得ない事だとは、私も妻も思っておりますことは言うまでもありませんが・・・・。

私は以前のコラムで、コミュニケーションの重要性を語りましたが、人間同士が分かり合うのにコミュニケーションは欠かせないと思う一方、幾らコミュニケーションを重ねようとも、分り合えないと言う関係もあるのではないかと考え始めています。更に、コミュニケーションが必要と言う人間関係は、既に互いの信頼関係が損なわれており、最早、コミュニケーションそのものが無意味になっている状態なのかも知れないと考えたりしています。

国会の与党と野党の議論を聞いていましても、お互いに議論して、分り合う場面に出くわしたことはありません。国家間に目を移しましても、理不尽な北朝鮮とコミュニケーションを取る事が、拉致問題の解決になると思っている人はいないでしょう。コミュニケーションで解決出来るならば、戦争は起らなかったはずであります。

私も現在、コミュニケーションが取れない人間関係があります。話し合っても解決しないだろうと言う思いから、話し合いの機会を設けるに至っておりません。コミュニケーションを取っても、多分、関係を悪化させる可能性すら感じますので、恐らくは、この状態は続くものと思います。

この状況から脱却する手段として、やはりコミュニケーションでしか有り得ないことも確かですが、一旦こじれた人間関係が、単なるコミュニケーションだけで修復出来ない事は、殆どの方が経験されているものと思います。ではどうすればこじれた人間関係を修復出来るでしょうか。お釈迦様の教えからしますと、自と他を分けて考える分別の世界から、自他一如の世界へと目覚めなければならないと言うことになりましょう。唯識的な考察を致しますと、自他を区別する私の末那識がすべてを一如平等と認識する心に転換した上でのコミュニケーションによってのみ、心と心の触れ合いを取り戻せると言うことになりましょう。

簡単なことではありませんが、人と人の間も、国家と国家の間にも平和を取り戻すには、仏法に耳を傾けることでしか為し得ないのではないかと思います。


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