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No.340  2003.12.01

修証義に啓かれてー第31節(最終節)ー

写真は、法話テープをお貸ししたコラム読者様から頂いた3種類の柿です。左から水島柿(富山県)、四谷柿(石川県)、富有柿(岐阜県)です。柿も、産地により或は品種改良によって、同じ柿と申しましても、顔形、味も様々です。頂いた柿の中で未だ四谷柿しか味わっていませんが、実にジューシィーで、こんな柿もあるのかと感動いたしました。

●まえがき:
いよいよ修証義最終節を迎えました。4月末に始めましてから、丁度7ヶ月を費やしましたが、振り返りますと、あっという間に31回を数えた感じが致します。修証義は、確か私が中学生になった頃から、意味も分からないまま、母に就いて仏壇の前で詠んでいたお経ですが、母も、詠む時には第2章の10節までしか詠んでいませんでしたので、私もこの度はじめて修証義を最後まで読ませて頂いた次第です。

修証義は、日本の曹洞宗開祖である道元禅師の正法眼蔵から抜粋編集されたものですが、読み終わりまして、道元禅師の教えや思想は、同じ禅宗である臨済宗のものよりも、むしろ親鸞聖人のものに近いんだなと感じました。私の知る限り、臨済宗は罪業(ざいごう)とか懺悔・慙愧と言う事を強調致しませんし、従って御恩報謝と言う事を説き聞かせませんが、道元禅師も親鸞聖人も自らの罪業を慙愧することが出発点であり、御恩報謝・仏恩報謝がゴールのような感じを受けました。私が存じ上げている曹洞宗のお坊さんである西川玄苔老師は、道元禅師の教えと只管打座の道を極められ、最終的には南無阿弥陀仏の信心も得られ、禅と念仏の両方の悟りを体得された珍しい禅僧だと思いますが、別に不思議な事では無かったのだと頷くことが出来ました。

●修証義―第31節
謂(いわ)ゆる諸仏とは釈迦牟尼仏なり、釈迦牟尼仏是れ即心是仏(そくしんぜぶつ)なり、過去現在未来の諸仏、共に仏と成る時は必ず釈迦牟尼仏と成るなり、是れ即心是仏なり、即心是仏というというは誰というぞと審細に参究すべし、正に仏恩を報ずるにてあらん。

●西川玄苔老師の通釈
今まで、諸仏、諸仏といってきたが、その三世十方の諸仏は、悉く、釈迦牟尼仏一仏と渾然一体となって収まっておられるのである。釈迦牟尼仏は発心・修行・菩提・涅槃されて、大覚を成ぜられ、三世十方宇宙一杯をわが身とされ、一切衆生を吾子と憐れみ、慈悲心一杯に済度される。これが即心是仏である。だから、過去・現在・未来の諸仏がたも、発心・修行・菩提・涅槃して大覚を成ぜられた時は、必ず釈迦牟尼仏となるのである。即心是仏といって、三世十方宇宙一杯はわが身と理解したのが即心是仏ではない。実際に発心・修行・菩提・涅槃をして、はじめて即心是仏である。発心・修行・菩提・涅槃をというと、順序階段へて段々と成じていくことかと思いがちであるが、仏法の世界では、一刹那に永遠があり、一点に宇宙一杯がある。一声の南無仏が、そのまま発心・修行・菩提・涅槃そのままであり、即心是仏である。それは誰のことか。それは自己自身の、その場、その時の問題であることを、よくよくつまびらかに究めつくしてゆくべきである。こうしてこそ正しく仏の御恩徳を報ずるということとなるのである。

●あとがき:
この最終章は、本文も西川先生の通釈も、私達には分かり難いものではないかと思います。私にも正直なところスッと心に響いて参りませんから、一般の方にはなかなか理解しがたいのではないかと存じます。それはそれで良い、と言うよりも致し方ないことだと思います。と申しますのは、最終的に仏法は頭で理解するものではないからです。最終的と申しますのは、最も大切なところ、即ち仏法における悟りに関しましては、どのような説明をしても説明し尽くせないと思うからです。説明し尽くせないと言うことは、聞く側にとりましては、聞いても真実のところは分かり得ないと言うことではないでしょうか。

仏法の悟りと言うのは、ある瞬間、フッとすべてのことが分かる、『なぁ〜だ、そうだったのか』と言う様な瞬間が来るのだと思います。その瞬間には、自分がそれまでに悩んでいたことも、疑問に感じていたことも、抱いていた煩悩も、善と思っていた事も悪と感じていた事も、すべては尊い真実であって、一如平等(いちにょびょうどう)の世界に目覚めることであって、善・悪、正・邪、好・嫌、煩悩と菩提などと言う差別・区別が無くなるのだと思います。それを西川先生は、『一刹那に永遠があり、一点に宇宙一杯がある。一声の南無仏が、そのまま発心・修行・菩提・涅槃そのままである』とおっしゃっているのでしょうし、それをこの節で使われている難解な『即心是仏』と言うのだと思います。

そして『諸仏も仏となるときは釈迦牟尼仏となる』と言う意味は、多分、臨済宗の白隠禅師が坐禅和讃で『衆生本来仏なり』と言われ、『当所即ち蓮華國、この身即ち仏なり』と言われた御心と同じことを言われているのだと思われます。しかし、これも私自身が悟りを体得しなければ永遠に分かり得ない心境だと思われますので、これからも自分の宿題・命題として研鑽したいと存じます。

〜〜〜〜〜〜  修証義に啓かれて      〜〜〜〜〜〜


   来週の月曜日からの経典解説は、当初、浄土真宗門徒の家では必ず朝夕詠まれている親鸞聖人の『正信偈』を取り上げようと考えていましたが、あまりにも一般の方々には馴染み難い内容になりそうですので思い止まりまして、平易な和文で書かれており、且つ浄土真宗の教えがどんなものであるかが分かり易いと思われる『蓮如上人後一代記聞書』を取り上げたいと思います。

   蓮如上人は、浄土真宗中興の祖と言われており、一向一揆とも関係し、死別とは言え五人の妻を持ち合計27名の子供を持って戦乱の世を生き抜いた人であり、親鸞聖人とは全く人格も生き様も異なる人物でありますが、現在の浄土真宗の本当の意味での開祖と言うべき蓮如上人が親鸞聖人の教えをどのように受け止めて、現在の浄土真宗教団にどのように影響を与えているかをも知りたいと思います。


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No.339  2003.11.27

日本の進路を仏法に聞く

2年前のニューヨーク同時多発テロ以来、テロ撲滅戦争に突っ走るアメリカとの付き合いのあり方と共に、日本国憲法第9条の改訂が現実味をおびてきました。今この時期に自衛隊をイラクに派遣することの是非についても、国民及びマスコミの70%以上が派遣反対の立場とも伝えられる中、今般の特別国会でも与野党は真っ向から対立致しました。

特別国会で、派遣の是非に関する論議が為されましたが、これは矮小化(わいしょうか)された論議であり、本当に論議すべきは、アメリカとの付き合い方を含めた日本国のあり方だと思います。即ち、国防も経済もすべてはアメリカ頼りで来た我が国が、このまま対米依存国家、極論すれば、アメリカの第51番目の州と言う立場を続けるか、それともアメリカの核の傘の中から追い出されることも覚悟した上で、アジア・ヨーロッパとも均等に付き合う自主独立国家としての道を歩み始めるか否かについて、国民が選択しなければならない局面に来ていると思います。

この点に関しまして小泉政権は、明確にアメリカ依存を続ける立場を表明しています。ブッシュ政権は危険な政権では無いと明確に宣言した上で対米協調の重要性を強調していますが、野党の民主党は今後日本がどう生きて行くかに関する言及がないまま、アメリカ追随外交を批判しているだけのように思えます。もし民主党がアメリカの核の傘の中からの脱出、そして国防に関する明確な方法論、そしてアメリカ頼みから方向転換する経済面における対策を国民に提示してくれれば、はじめて二者択一の状況が生まれ、緊張感のある政権選択の選挙が実現するのではないかと思います。

勿論、この選択は難しい選択であることも確かだと思いますし、仮に国民投票があるとした場合、国民の多くは随分迷う部分があるのではないかと思っています。私自身も、これまで揺れてきたことも確かであります。核原子爆弾の洗礼を受けた唯一の国家として、戦争には明確に反対すべきで、自衛隊を含む一切の戦力は憲法9条に記載された通り放棄すべきだと考えたこともあります。また、アメリカの傘に守られている以上、アメリカと行動を共にすべきだ、日本だけが血を流す危険を回避するのは先進国、経済大国としては身勝手過ぎるのかも知れないと考えたこともあります。

しかし、イラク問題が混迷を深めて来たことや、一向に和平が実現しないイスラエル・バレスチナ紛争を見るとき、二元対立思考(善と悪、正義と邪悪、神と人間)を基本とする西洋的考え方で突っ走るアメリカに追随するのが日本の正しいあり方とは思えなくなって来ました。それは世界の平和を実現する上では決して正しい選択では無いのではないかと考えつつありました。

そんな折、仏教徒の先輩であり、私が最も敬愛する故井上善右衛門先生(元神戸商科大学学長、倫理学)や西川玄苔老師が恩師として尊敬されていた故白井成允先生(しらいしげのぶ、広島大学名誉教授、倫理学)が昭和27年に著された『人類の平和について』と言う本を読みました。井上先生や西川先生からお聞きする限りは、白井成允先生は、阿弥陀様の生まれ変わりのような実に穏やかなご人格であり、私は、きっとガンジーの如き、非暴力主義、無抵抗主義、戦争絶対反対の立場に立たれての平和希求発言であろうと想像しながら読ませて頂いた訳でありますが、内容は大いに異なり、日本国憲法は占領軍に押し付けられたものであり、日本人の手によって新しく制定すべきこと、そして、アメリカへ隷属する事のふがいなさ、他国からの侵略には武器を持って国を守らねばならないこと等、お釈迦様の遺された経典(涅槃経、法句経)に書かれている史実を論拠とし、また聖徳太子の生き様から学び取った、仏法を背景としたご見解は、理論的・哲学的で説得力に溢れ、現代にそのまま通用する素晴らしい論文とも言えるものであります。

白井先生は、将来あるご長男(東大で教授への道を歩まんとされていたと聞きます)が敗戦後のシベリア抑留時に亡くなられると言う痛ましいご経験をされた上でのご見解でもあります。侵略戦争に対する反省と批判は人一倍のものがある事を申し添えた上で、白井先生のご見解要旨をご紹介させて頂きます。

白井成允先生のご見解は、『世界平和は、我は正しく、彼は邪である、と自らを奉る正義感の奥に我執の煩悩が潜んでいる事に気付かない西洋文明の延長では実現せず、「共に是れ凡夫のみ」と、互いに相和らぎ、相同ずる聖徳太子が示される仏法に依ってはじめて可能になる』と言うもので、世界平和実現は、大乗仏教が唯一伝わり残っている日本国にしか出来ない、日本国に与えられた使命であるというものです。

そして、『この使命を尽くすために此の国は護られなければならない。武力を用いねばならぬ事も、此の国が他の国から武力によって侵略される場合は、避け得ざる事とせねばならない。これは、法を弘めるために剣に訴えたことは、これまで無かったけれども、法を護るために剣を執ることがあった悲しむべき歴史とも相応することである』

また、『他国からの侵略に遭い、武器を執らねばならぬようになったとしたら、それは我々自身の無知と驕慢と懈怠とに因る事を知り、恥ずるところがなければならない。現に武器を執って殺生することが罪深い悪業であることを思い、外交によって止めることが出来なかった己の不徳を省みる自覚と慙愧があってはじめて、和の法を護るために武器を執るという矛盾が超えられる』と申されています。

白井先生は、世界平和実現には、法を護るために日本を護らねばならない、日本を護るためには、他国からの侵略に対しては、武力行使も致し方なしというものですが、好戦主義とは全く異なるお立場であり、武力行使に至らないように、仏法の和する心で外交を展開すべきであると言うものだと思います。

今では、お釈迦様にも聖徳太子にも親鸞聖人にも、現代日本が歩むべき道をお聞きすることは出来ませんが、もしお聞き出来ると致しましたら、私は、白井成允先生のご意見からそう離れたものでは無いのではないかと想像している次第であります。

白井先生のご見解から想像致しますと、日本国憲法の第9条は、他国からの侵略に対して武力行使出来る条文に改訂されるべきだと言うことになりますが、侵略される前に先制攻撃が出来なければ、犠牲・被害を防ぎ得ないと言う考え方にもなり、アメリカが犯した過ち、60年前に日本が犯した過ちを繰り返す事になります。武力行使が出来る条文に書き改めるに致しましても、今回のイラク攻撃のような侵略的武力行使が出来ない条文に書き改めることが、日本のためにも、世界平和のためにも必要であると考えます。コラム読者各位のご意見をお聞かせ頂ければ幸いであります(掲示板をご利用下さい)。

参考までに、自衛権に関係する日本国憲法の一部を下記に転載させて頂きます。私もこの度はじめて、一字一句を確認した次第であります。

日本国憲法前文の一部

日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

  われらは,いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて,政治道徳の法則は,普遍的なものであり,この法則に従ふことは,自国の主権を維持し,他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

  日本国民は,国家の名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

第9条 戦争放棄、軍備及び交戦権否認

 (1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇叉は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 
 (2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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No.338  2003.11.24

修証義に啓かれて ー第30節ー

●まえがき:
光陰矢の如しと申します、私も60歳が目前となっておりますが、過ぎ去った年月を振り返りますと、あっと言う間の年月だったと振り返らざるを得ません。さすがに小学校時代は少し遠く思えますが、大学受験、そしてテニスに明け暮れた学生時代は、ほんの昨日のようにも思える感覚があります。そして、社会人になり、結婚し、孫まで持つ今に至るまでには約40年の歳月が経過しておりますが、まさに矢のように速く過ぎ去った想いが致します。

その過ぎ去った年月は、一体何だったかと顧みます時、この節で道元禅師が『日月は声色(しょうしき)の奴婢と馳走す』と申されている表現そのものではないかと思わざるを得ません。声色とは、耳に聞こえ目に見える物事と言うことで、欲望そのものと言い換えて良いと思いますが、その欲望の奴隷として走り回った年月だったと思います。そして、今も名誉とか財産を追い掛けたり、失う事を恐れて戦々恐々とする日暮しでしかない自分に思い至ります。しかし、それでも、親鸞聖人のように、『愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑す』と自己を慙愧するまでには至らずに、やっぱり世間体を気にし、世間を生きて行くにはやっぱりお金が無くてはどうしょうも無いと迷い惑う心は、消しても、消しても消し去ることが出来ません。

この状況を親鸞聖人は『罪悪深重、煩悩熾盛の凡夫だ』と煩悩を消し去ることが出来ない自己を見詰められていますが、親鸞聖人ほどの慙愧に至らずとも、私だけではなく、仏法を求めた人が必ず踏み迷う境涯ではないでしょうか。そしてそれは果てしない自己との闘いの日々だと思われます。しかし、諦めずに仏道を歩み続けることにより、きっとある日、自己の中の仏心に目覚める時が必ず来る、それは、過去の諸仏であるお釈迦様をはじめとする祖師方の願いであり、また未来の仏道を歩む人々からも願われているからなのだと。 この第30節は、道元禅師から私達後代の仏教徒への励ましのお言葉のように受け取ることが出来ます。

●修証義―第30節
光陰は矢よりも迅(すみや)かなり、身命は露よりも脆(もろ)し、何れの善巧方便(ぜんぎょうほうべん)ありてか過ぎにし一日を復(ふたた)び還し得たる、徒(いたず)らに百歳生けらんは恨むべき日月なり、悲しむべき形骸なり、設(たと)い百歳の日月は声色(しょうしき)の奴婢と馳走すとも、其中一日の行持を行取せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の佗生をも度取すべきなり、此一日の身命は尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり、此行持あらん身心自らも愛すべし、自らも敬うべし、我等が行持に依りて諸仏の大道通達するなり、然あれば即ち一日の行持是れ諸仏の種子なり、諸仏の行持なり。

●西川玄苔老師の通釈
月日がたつのは矢が飛んで行くより速いし、我々の命は露の消えるのよりももろい。どんな巧みな手立てをもってしても、過ぎ去った一日を二度と還し戻せない。ただ漠然と百歳の寿命でも過ごしきたれば、悔いだけ残る恨めしい月日であろうし、やるせなき悲しい躯(むくろ)と思える。それが、たとい今までの百年の月日が、見たり聞いたりする外境に、無闇に振り回された奴隷のような生涯でも、もし、その百年の中の僅か一日だけであっても、永遠真実の生命の息づく仏祖の道を行ずることが出来たならば、無益に過ごした百年の生涯を永遠に生かすことになるのみならず、来生の百年の生涯までも生かし得ることになる。だから、仏道を行ずる一日の身命は、まことに尊ぶべき身命であり、貴ぶべき躯(むくろ)である。
幸いにして、この仏道を行持出来る身心となれば、自分自身を愛し、敬わねばならない。我々がこの仏道を行持することで、過去・現在・未来の三世諸仏の行持が全部生きて来るし、また三世諸仏の大道が我々の行持の上に通達して、我々が生きてくるのである。だから、たった一日の行持が、そのまま三世諸仏のあらゆる功徳を生み出す種であるし、三世諸仏自身の行持でもある。

●あとがき:
昨夜のNHK番組で、大リーグに挑戦したヤンキースの松井選手のドキュメント『ベースボールの神様に抱かれて』が放映されました。その中で、大リーグ挑戦の決意表明をした記者会見での『命を賭けて頑張る』と言う言葉を捉えて、『最近、命を懸けて挑戦するものを持っている人は果たして何人いるだろうか、この若者は現代の日本人が忘れていたものを思いださせてくれた』と言う内容のコメントがありました。

考えてみますと、この日本は、命を懸けるなんて古臭いという風潮になって久しいように思われますが、これは仏道を求める上にも言えるように思えます。道元禅師にしろ、親鸞聖人にせよ、更にはお釈迦様も、若い身命を懸けて、道を求められたのだと思い起こされます。そして、命を懸けるほどの菩提心があってはじめて、扉が開かれたのだと思います。

親鸞聖人が『弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり』と言われた心は、お釈迦様をはじめとして過去の祖師方すべてのご修行・ご努力・ご説法は、この親鸞一人を救うためのものだったと言う感謝、忝(かたじけな)さだと思いますが、このお言葉は、命懸けで修行された月日があってはじめて実感されるものだと思われます。

そしてまた、そう自覚し得た時、自分の悩み苦しんだ過去の一切が光り輝くと共に、お釈迦様をはじめとする過去の祖師方のご苦労も報われて生き返り、それが仏恩報謝そのものであると、道元禅師はおっしゃりたいのではないでしょうか。

そう考えますと、私のこの命は、とてつもなく大切な命だと、自らの命の尊さに気付かしめられ、声色の奴隷に終わらせては勿体無いことがひしひしと感じられるのは、私だけではないと思います。

まさに光陰矢の如しです、明日の命が知れないからこそ、命懸けで仏法を聞き啓かねばならないと思います。

●次週の修証義―第31節
謂(いわ)ゆる諸仏とは釈迦牟尼仏なり、釈迦牟尼仏是れ即心是仏なり、過去現在未来の諸仏、共に仏と成る時は必ず釈迦牟尼仏と成るなり、是れ即心是仏なり、即心是仏というというは誰というぞと審細に参究すべし、正に仏恩を報ずるにてあらん。


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No.337  2003.11.20

構造改革よりも人間性改革

私の尊敬する故井上善右衛門先生が、ご自身が神戸商科大学の学長をされていた昭和48年のご講演の中で、学長と言うお立場を踏まえてのものだと存じますが、日本社会の問題として次のような発言をされておられました。

最近、私の立場から、つくづく思わせられることが一つございますが、それはどういうことかと申しますと、今日は組織・制度優先の時代でございまして、組織・制度さえよければすべてのことがうまくいくと言う観念が至るところにひろがっている。しかし実際の問題に携わってみますと、組織・制度の欠け目というものは、人間の良識と協力で補っていくことが出来ます。しかし人間の欠陥というものを組織・制度ではうめ合わせてはくれません。反対に組織・制度が悪用さえされる。こういう問題点を、私は何か身につまされて感じるのでございますが、そこに『人』という問題がある。その『人』という問題が何か隠されておりまして、そして見える組織・制度だけが問題視されておる。人間と言うもの、或はこの世の中というものが機械でありましたら、それは組織・機械というものだけで事が円満に整ってまいるでしょう。しかし何と申しましても私どもの人生というものは『人』というものが生きて動いておる世界です。その『人』の内的要素というものを見えぬところへ隠しておきながら、組織・制度だけを優先させて、それで事が片付くというような考え方で、はたして正当な生き方をつくり出せるであろうか。

井上先生は組織・制度の外にも法律・規則を含めて言われたのだと推察していますが、組織・制度・規則・法律が不要と言っておられるのではありません。その必要性と同時に、人間の改革と言いますか、人間性の見直しをも同時進行させなければ、決して目的を達成出来るものではないと、大学の運営に関する歯痒さを噛みしめられながら吐露されたものだと推察しています。井上先生が学長をされていた昭和46年から48年に掛けては、大学紛争盛んな時であります。お一人の力ではなんともし難く、無力感を味わわれたのではないでしょうか。

井上先生が問題にされたテーマは、一つ大学のものではありません。
『人』の内的要素というものを見えぬところへ隠しておきながら、組織・制度だけを優先させて、それで事が片付くというような考え方で、はたして正当な生き方をつくり出せるであろうか、と言う問題提起は、国の問題でもあり、世界の問題、人類が根源的に抱える問題であります。

日本の歴史、世界の歴史を紐解いてみますと、より良い社会を目指すために、組織・制度・主義を戦争と言う痛ましい手段で破壊し改変する事を繰り返して来たことが分かります。そして、一度だって、民衆にとっての良い社会、平和な社会が実現した事はありません。そして現在はテロと言う無秩序な破壊行為を生んで、現在進行形であります。この人類の愚かな徒労は、恐らくは永遠に続くものだと思われます。

日本では一度だけ、人間性を問題にした改革が行われようとしました。それは十七条憲法を制定し、仏教を政治の基本に置いた聖徳太子によるものです。しかし残念ながら聖徳太子は早死にされたため、目的は達成されず、曽我氏の滅亡、大化の改新へとまた制度改革への道を歩み始めてしまいました。そして、それ以来日本は、幾度かの政変を経て、戦争を経て今日に至っています。そして、現在も、制度改革に邁進する小泉政権が新しい日本を作ってくれるかのように思われている現実があります。

世界も、平等な社会を実現すべく共産主義が台頭し、一時期資本主義と肩並べるかに見えましたが、 15年前に崩壊致しました。社会制度だけでは幸せな社会は構築出来ないと言う何よりの証明であります。しかしこれを、アメリカの資本主義制度が正しく勝利したと言う間違った考え方をしたブッシュ政権が昨今のイラク問題を引き起こしています。この問題は長引くものと思われますが、今度こそ人類は、制度や主義ではなく、聖徳太子が十七条憲法で詠っている『和を以て貴しと為す』精神に学び、人間性を取り戻さねば取り返しの付かない21世紀になると思います。

日本も、小泉さんが首相就任当初紹介した『米百俵物語』に学ぶ必要があります。『米百俵物語』は、実は教育が如何に大切であるかと言う事を史実に基づいて戒めるもので、小泉さんは教育に力を入れられるかと期待されましたが、そうではありませんでした。ただ、危機にさいして、国民に辛抱を求められただけの事のように感じますが、小泉さんには、下記に示す本当の米百俵の精神に立ち返って頂いて、日本の国の舵取りをして欲しいと思います。

慶応4年、長岡藩は北越戌辰戦争で大敗して、城は落ち、藩主は追放され、禄高は三分の一に減らされ二万4千石となりました。家中の者たちは窮乏のどん底に追い込まれて、飢えの色さえ漂っている矢先に、分家の三根山藩からお見舞いとして米百俵(6トン)が届きました。藩中一同、配給されるのを待ちましたが、大参事の小林虎三郎が『今、藩中の者は8500人、その人々に米百俵を配っても、一人四合か五合だ。それでは一日か二日で食いつぶす。それでは焼け石に水で、何にもならぬ。それより米百俵を元手にして学校を建て、教養を広め、人材を育てれば、国は、日増しに富み栄える』と皆を説得し、後の長岡中学になる藩校を建て、沢山の人材を輩出しました。食べる糧も無いほどの窮乏の時に、人材養成の教育を先決とした小林虎三郎の英断を伝える物語だった訳であります。


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No.336  2003.11.17

修証義に啓かれて ー第29節ー

昨日、女子マラソンの高橋尚子選手が思いも掛けないブレーキで優勝を逃しました。当然優勝と確信していた全国のマラソンファンは大ショックを受けたと思います。私も、30キロ過ぎを迎えて苦しさが表れた高橋選手の顔に不吉な予感を感じながらも、勝利を確信していましたが、刻々と背後に迫って来る2位の選手の姿に、予想した不幸が現実になると言う恐怖感を覚えたのは私だけではないと思います。小出監督もご自分の油断だったと反省されていましたが、やはり勝負事は、どんなに力が傑出していても、油断大敵と言う昔からの金言は生きているのだと思いました。

しかし、高橋選手のレース後の全く悪びれる事の無い、爽やかな笑顔を見ますと、やはり彼女は精神的にも傑出した一流選手だと思いました。そして、今回の2位は、アテネでのオリンピック連続金メダル獲得のために天が与えた温かい忠告に違いないと思いました。

●まえがき:
この最終章の題名である『行持報恩』の行持(ぎょうじ)とは、仏道を常に怠らず修業することであり、報恩とは、仏恩に報いる、お釈迦様をはじめとして仏法を伝えて来た祖師方のご努力の恩にお応えすると言う意味です。

道元禅師は、仏恩に報いるには、仏道を常に怠らず、毎日修行することであると、この節で言われているのですが、仏道を怠らないとは、前章で勉強しました四摂心(ししょうしん)、即ち、布施・愛語・利行・同事に勤める事だと言われているのだと思います。それが、ひいては仏法を広め、伝えて行くことになるからではないでしょうか。

また、禅師は『日々の生命をなおざりにせず・・・』と申されて居ます。『やれやれ今日もまた一日が始まった、しんどいな』と朝を迎えるのと『さぁ、今日も一日頑張ろう』と起き上がるのでは、一日の重みが違います。朝の体操の歌に『新しい朝が来た、希望の朝だ』と言う詩句がありますが、その言葉の背景には、今朝も尊い命を頂いて目覚め得たと言う報恩感謝の心があると思います。

また『私に費やさざらん』とは、折角頂いた人間の命を、煩悩が燃え盛る一日に終わらせては、まことに勿体無いではないかと叫ばれているように思います。

●修証義―第29節
其(その)報謝は余外(よげ)の法は中(あた)るべからず、唯(ただ)当(まさ)に日日の行持、其(その)報謝の正道なるべし、謂(いわ)ゆるの道理は日日の生命を等閑(なおざり)にせず、私に費さざらんと行持するなり。

●西川玄苔老師の通釈
私どもが現在、遭い難い仏法にあって、その道を歩ませていただけるのは、歴代の仏祖方の身命を投げ捨てての仏祖道の御相伝によるものであるから、その報恩謝徳する道は、仏祖道を精進する以外の事を為しても当たろうはずがない。ただ、まさに毎日毎日、仏祖の道を忠実に行じ、相続護持していく以外に報謝の正道はないのである。さて、それでは報謝の正道にかなったあり方はどうかといえば、毎日毎日の自分自身の命を大切にして、無益に過ごさず、我儘勝手な私の行為に、その日その日を費やさずに、ただ仏祖の説かれ行ぜられた、仏祖の道を修行し護持していくということである。

●あとがき:
西川玄苔老師が、通釈の中で、報謝の正道にかなったあり方について述べられていますが、 平易に申しますと、自分の欲の満足だけを考えた毎日を送るなと言うことだと思います。

これは大変難しい事には違いありませんが、私達の現在は、仏法だけに限りませず、すべては、過去の人々の工夫と言う努力の上で成り立っています。或は、よく言われる戦争と言う犠牲の上に成り立っていると言える面もあります。また、近くは両親、広くは後の世の幸福を願う先人達の強い意思が現在となって現れているかも知れません。

突き詰めて考えますと、自分の努力で成り立っている事は、一つも無いと言っても過言ではないのではないかとさえ思われます。自分の現在は、過去の人々の努力と犠牲と願いによって成り立っているといって良いでしょう。

そう考えるようになりますと、過去の恩恵を享受するだけではなく、社会に恩返しをせずにはいられなくなると言うものではないでしょうか?大きい事は出来なくとも、先ずは身の回りの人々に対して、布施・愛語・利行・同事の中の愛語だけでも徹底したいと思う次第です。

●次週の修証義―第30節
光陰は矢よりも迅(すみや)かなり、身命は露よりも脆(もろ)し、何れの善巧方便(ぜんぎょうほうべん)ありてか過ぎにし一日を復(ふたた)び還し得たる、徒(いたず)らに百歳生けらんは恨むべき日月なり、悲しむべき形骸なり、設(たと)い百歳の日月は声色(しょうしき)の奴婢と馳走すとも、其中一日の行持を行取せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の佗生をも度取すべきなり、此一日の身命は尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり、此行持あらん身心自らも愛すべし、自らも敬うべし、我等が行持に依りて諸仏の大道通達するなり、然あれば即ち一日の行持是れ諸仏の種子なり、諸仏の行持なり。


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No.335  2003.11.13

念ずれば花ひらく

写真は、愛称フォックスフェイスと申しまして、原産地は熱帯アメリカの植物だそうです。和名は角茄子(ツノナス)学名, Solanum mammosum.英名, nipplefluit. のナス科の植物です。草丈は1.5m〜2m位になり、黄色く熟す果実(7〜10cm位の大きさ)が狐の顔に似ていることからフォックスフェイスといわれています。先日、毎日曜日に、苦境にある私達夫婦に野菜や果物を持参して励ましに来てくれる友人が、幸福を招く植物だと言って、大分からのお土産として届けてくれました。初めて見る植物ですが、珍しいだけに、なんだか、本当に幸せがやって来るような気にさせる姿かたちです。それ以来、リビングに飾らせていただき、友人の心配りに励まされています。

この友人は、私達家族を親族の如く、いやそれ以上に、苦境からの脱出を祈ってくれています。今日のコラム題名ではありませんが、正に念じてくれています。勿論、この友人だけでなく、直接声をお掛け頂く方以外にも、多くの方々にご心配や気を揉ませている事は間違いありませんので、何とか、普通の経済生活に戻らなければと努力しているところであります。

さて、念ずれば花ひらくと言う詩を読まれたことがあるでしょうか。次のような詩です。

  念ずれば
  花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
この詩は、先週のコラムで紹介した、二度とない人生だからの詩の作者でもある坂村真民師のものであります。坂村真民師に関しましては、下記のホームページをご覧下さい。

『坂村真民の世界』(http://homepage2.nifty.com/tanpopodou/


この詩の中の母と言うのは、坂村真民師を長男として5人の子供を抱え、36歳で未亡人になったお母上の事ですが、そのお母上は、裕福な家庭のお嬢さま育ちだったそうですが、大黒柱のご主人を亡くし、広い庭のある大きな家から、山ばかりの貧しい村の小さな家に移り住んで、畑を耕して、自給自足の生活をしながら、『念ずれば花ひらく』と頑張り抜き、5人の子供を育て上げられたそうです。

私の母も、私が10歳の時、やはり5人の子供を抱えて48歳で未亡人になりながら、私達を何不自由なく育て上げてくれましたが、恐らくは坂村真民氏のお母上と同様、『念ずれば花ひらく』と言う想いで、色々な難関・難局面を乗り越えてくれたものに違いないと思います。

私の母の場合は、幼くして(小学入学直後)病で亡くした長女への申し訳無さ、悔恨から、聞法に聞法を重ねた結果、自分が救われた仏法を世間に広める事が亡き長女への何よりの供養であり、亡き長女を仏様がこの世に遣わせた菩薩様だと想い至ったようです。そして80歳で亡くなるまでの32年間は、『仏法広まれ』と念じる心で過ごしたのだと振り返ることが出来ます。母の念じる心は、今も私の姉達に受け継がれ、母の主宰していた垂水見真会(毎月1回の仏教講演会を開催)は、今年の5月で、500回を数えました。そして、私に無相庵コラムを書かしめ、少数とは言え、インターネットで世界の人々にも読んで頂いて、仏法の種を巻く役割を与えてくれました。母の念が、やがては、大きな仏法の花を開かしめるのではないかと思います。

『念ずる』と『祈る』とは、何処かニュアンスが違うように感じます。念は、心の奥深く祈る、命懸けの願いと言うニュアンスがあります。木曜コラムと法話コーナーでは数回にわたり、生き甲斐をテーマとしていますが、念ずる心は、自分がこうなりたい、こうありたいと言う真の生き甲斐が見付かる事によって生じるものだと思います。

坂村真民師のお母上は、子供達に立身出世して欲しいとは一回も、5人の子供達の誰にも言わなかったそうです。ただ、自分の花を咲かせて欲しい、人間らしく生きて欲しいと念じて子供達を育て上げられました。そしてそれを何よりの生き甲斐とされたのではないかと思われます。
立身出世を願われなかったけれども、『念ずれば花ひらく』『二度とない人生だから』をはじめとして、多くの言葉の花びらを全国に届ける坂村真民師を育てられた事が、何よりも、念ずれば花ひらくを実証されたのではないかと思います。

念ずれば花ひらくをお借りして、『心が変われば、人生が変わる』と言う有名な詩句とドッキングさせてみました。斯く有りたいと念ずれば、念ずる心が因(種)となって、様々な縁を呼び込んで、人生に大輪の花が開くのだと思います。これ即ち、仏法そのもの、縁起の道理を詠ったものであります。
真の生き甲斐は、念ずる心を生む
念ずれば、態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人柄が変わる
人柄が変われば、出遭いが変わる
出遭いが変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生に花ひらく
植物の花は、念じなくとも花は咲きます。しかし、私達の人生の花は、念ずれば花ひらくが、念じなければ花はひらかないと言う事も厳然たる事実であります。二度とない人生だから、真の生き甲斐を見つけようではありませんか。未だ持ち得ていなくとも、今からでも、全然遅くは無いと思います。


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No.334  2003.11.10

修証義に啓かれてー第28節ー

●まえがき:
西川玄苔老師が『ながながの  月日をかけて 御佛は  そのみこころを  とどけたまえり』と言う歌を詠んでおられます(無相庵カレンダー16日)。そのお心は、ご自分が仏法に出遭って以来、十数年間悟りを求めて坐禅し、瞑想もし、戦争を含む様々な苦難にも遭い、澤木興道老師をはじめとする仏道の諸先輩に縁を頂きながら、なかなか出遭えなかった仏心(禅で言うところの本来の面目)に漸く出遭えたと言う歓喜の歌であると共に、お釈迦様の仏法が2500年も経過した現代の自分に漸くにして至り届いたのだと言うしみじみとした感動・感激を表されたものであろうと思いますが、老師は、この修証義の、この第28節を思い起こされながら詠まれたのではないかと推察しているところです。

仏法は、お釈迦様がお悟りになられた教えですから、2500年前から現代の私にまで伝わるには、多くの人々のお陰があります。お釈迦様は、ヒマラヤの麓のお生まれですから、仏教は、現在のインド北東部から中国を経て、朝鮮半島を経由にして、日本に伝わった訳です。西遊記のモデルになった玄奘三蔵法師は、シルクロードを通り、十数年を掛けてインドと中国を往復して経典を持ち帰り、中国に仏教を伝えたとされています。このような身命を顧みない努力が、2500年にも亘って積み重ねられて、はじめて私達が仏法に親しむことが出来ている訳です。

●修証義―第28節
今の見仏聞法は仏祖面面の行持より来たれる慈恩なり、仏祖若し単伝せずば、奈何(いか)にしてか今日に至らん、一句の恩尚お報謝すべし、一法尚お報謝すべし、況(いわん)や正法眼蔵無上大法の大恩これを報謝せざらんや、病雀尚お恩を忘れず三府の環能く報謝あり、窮亀尚お恩を忘れず、余不の印能く報謝あり、畜類尚お恩を報ず、人類争(いかで)か恩を知らざらん。

●西川玄苔老師の通釈
私どもが今、まのあたりに絵像、木像の仏を礼拝出来たり、山川草木を仏として拝むことが出来たり、或は聞法し修行することが出来るのは、印度、中国、日本と歴代の仏祖がたが面々相対して伝えて来られた行持の慈恩のたまものである。歴代の仏祖がたが、師匠の一器の水を弟子の一器へそっくりそのまま注ぐようにして伝えてこなかったならば、どうして今日の私まで到り得ようか。だから、仏法のたとい一句でも、たとい一法でも、その恩徳の広大深重なるを感じ報謝すべきである。いわんや、釈迦牟尼仏のお悟りたる無上菩提を信受し奉行できる身となった恩は、どうして報謝せずにおられようか。第四章で述べた楊宝が病雀を助けた(その雀は実は西王母仙人の使いであった)その礼に楊宝の子孫四代にわたり、三公の位につく白環四枚を与えたことや、孔愉の助けた亀が、後に余不亭の侯に封ぜられたとき、印形のつまみに亀を鋳出したが四度まで首を左へ向けて鋳られてきて恩を報じた。このように畜類でも恩を報ずるのに、どうして人間が恩徳を感ぜず報謝せずにおってよいものか。

●あとがき:
仏法だけに限らず、日常生活の便利さも、先人達の工夫の積み重ねがあってはじめてその恩恵にあずかっていますし、大自然の恵みも含めまして、自分の力で得ているものは何一つありません。にも関わらず、私達は自分の力、自分の思考・能力で生きている積もりでありますが、よくよく源(みなもと)を辿りますと、『お陰』でしかないと言うことに気付かざるを得なくなります。

そうなりますと、感謝するしか無いではないか、有り難い事ではないか、と道元禅師は、動物でさえ恩返しをする、ましてや私達人間は恩に報謝せずにはおられないとおっしゃっています。実際、日本の仏教は他力浄土門、自力聖道門と分けられていますが、仏道を極めて参りますと、仏法は御恩報謝に尽きるのではないかと、私はそう思いながら、この修証義を読み進んで参りました。

●次週の修証義―第29節
其報謝は余外(よげ)の法は中(あた)るべからず、唯当に日日の行持、其報謝の正道なるべし、謂ゆるの道理は日日の生命を等閑(なおざり)にせず、私に費さざらんと行持するなり。


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No.333  2003.11.06

縁起の道理と生き甲斐

先週の木曜コラムは、次のテーマについて、考えて見ようと言うことで、今週に引き継ぎました。
テーマ1: 私がこの世に人間として生まれ出た縁(条件)の数々とは?
テーマ2: 現在の私が存在する縁(条件)の数々とは?
テーマ3: 今の瞬間、私が生命を維持出来ている縁(条件)の数々とは?


そして、『これらのテーマを追求して行きますと、自然と生き甲斐が見えて来ると思います』とも申し添えました。

テーマ1は、私と言う人間が地球と言う星に生命を頂くまでには、150億年前と言われる宇宙の誕生、46億年前と言う地球の誕生、30億年前と言う生命の誕生、5000万年前の哺乳類の誕生、700万年前の猿人の誕生、10〜20万年前の現代人ホモサピエンスの誕生、そして、現在の私が生まれて来るまでには、数千代の祖先達の存在と人生がある。一人でも欠けていたら、今の私は無いのである。勿論、私が生まれて来た直接的な、直前的な縁は両親の結婚です。しかし、たった十代前(約300年前)の先祖には512組の夫婦がいます。宇宙の誕生までさかのぼりますと、無数の先祖達と無数の条件が折り重なって初めて私と言う生命が現出していることが実感されます。

テーマ2は、『おぎゃー』とこの世に生まれた瞬間から今まで生命を維持し、現在の私すべて(肉体と精神、知識と技能、家族)が存在するに至った縁です。善いも悪いもすべて含めて、色々な人々との出遭い、色々な出来事との出遭いを経て、現在の私があります、そして子供達、孫達がいます。これらは決して自分の努力だけではない、戦争と言う苦難も含めて、色々な局面で私を守ってくれた両親の愛情と努力、そして社会から受けた恩恵は、大自然から与えられている恵みは、量り知る事が出来ない位です。これまた、無数の縁が働いた結果が、今の私のすべてである事も実感されます。

テーマ3は、今この瞬間に生命がある条件です。大地がある、万有引力が働いている、空気がある、太陽がある、海がある、雨が降る、炭酸ガスを酸素に変えてくれる植物がある、食べ物としての動植物がある。それらを加工してくれる人々がいる。周りの存在はすべて、私の生命を維持する上で欠けてはならないものばかりである。無駄なものは一つもありません。すべてによって生かされている自分である事が実感出来ます。昨夜、掲示板で"枯葉りんらんさん"から戴いた詩は呼吸の不可思議に生かされていると言う出だしの素晴らしい詩ですが、正に私達は寝ている間も、自分が意識する事なく呼吸をしています。仕事している時も、色々と不平不満を並べ立てている時も、呼吸があるからこそ、生きていられます。これが、意識して呼吸しなければ生きられなかったら・・・・・吐いて、吸って、吐いて、吸って・・・・。多分、呼吸以外には何も出来ないでしょう。それが生命力だと言えばそれまでですが、歩く事とも同様、無意識のうちに私を生かしめる力が働いているのです。

仏教では、これら(テーマ1、2、3の事)を時間的縁起空間的縁起と言ったり致します。物事が起こるには、前後の時間関係があります、あの事があったから、こうなったと言う時間的経緯を時間的縁起と言い、太陽があるから、地球がある、大気があるから、生命があると言う風に、すべてのものの関わり合いを空間的縁起と言います。そして仏教は、時間的縁起と空間的縁起の重なり合いの中に、今この瞬間の自分があると言う哲学的な考察を致します。

私の今ある縁起の道理に思いを馳せますと、自分の生命は実にかけがえの無いものだったと実感致します。私の命は真に尊いものであります。その実感をお釈迦様は、『天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)』と、おっしゃったのだと思います。

お釈迦様は、ご自分が悟られた真理を他の人に伝える事を生き甲斐とされました。80歳で亡くなられるその日まで、インド各地を伝道して廻られたと伝えられています。恐らくは、菩提樹の下で縁起の道理の中にあるご自分に気付かれてからの一生(45年間)は、自分の生き甲斐が何かなどと考える暇もなく、使命感に衝き動かされての人生だったと思います。私から見れば、生き甲斐に満ち満ちた人生を送られたのだろうなぁーと羨ましく思います。

私達もお釈迦様と同じ人間と言う格別に尊い命を今の瞬間にも頂いています。そう気付かされた時、おのずから、私が為さねばならぬ、私にしか出来ない社会に於ける役割と言うものが目の前に現れて来るのだと思います。そして、それが生き甲斐なのだと思います。

縁起の道理を出発点としない生き甲斐は、本当の生き甲斐にはなり得ないと思います。生かされて生きている私だから出来る事、幸せの青い鳥は、やはり私の胸の中に生きているのだと思います。

地球の歴史、生命の歴史が年表に変換された資料がございます。ご興味のある方は、『生命の歴史年表』をクリックして下さい。
そして、縁起の道理に衝き動かされての素晴らしい詩、『二度とない人生だから』を添えたいと思います。

『二度とない人生だから』(坂村真民師、念ずれば花ひらくから)

二度とない人生だから
一輪の花にも無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳をかたむけてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ぺんでも多く便りをしよう
返事は必ず書くことにしよう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日  しずむ日
まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの星々の光にふれて
わがこころをあらいきよめてゆこう

二度とない人生だから
戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を一篇でも多く作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる若い人たちのために
この大願を書きつづけてゆこう


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No.332  2003.11.03

修証義に啓かれてー第27節ー

●まえがき:
もし私がお釈迦様の生まれられる前にこの世に生を受けていたなら、仏教に縁が無かった 訳です。或は、親鸞聖人が生まれられる前に生まれていたら、歎異抄には出遭うことが出 来ませんでした。これは当たり前のことではありますが、仏教徒ならば、尊い貴重な仏縁 (ぶつえん)を頂いたものであると、いくら感謝しても、し足りない事が実感されるはず であります。

そして、仏教が現在の私に届くまでに、お釈迦様以降、どれだけ多くの祖師方の努力があ った事かと思う時、御恩に報謝するしかないではないかと言うのが、道元禅師のお心だと 思いますし、道元禅師の修証義を勉強させて頂いている、現代に生を受けた私自身、そう 思わざるを得ません。

仏法が多くの人の努力によって存続して来たことへの感謝は、私達がその仏法を大切にす ることによって表そうではないかと言う報謝の勧めを説くのが、この第27節であります。

●修証義―第27節
静かに憶(おも)うべし、正法(しょうぼう)世に流布せざらん時は、身命を正法の為に抛捨(ほうしゃ)せんことを願うとも値(お)うべからず、正法に逢う今日の吾等を願うべし、見ずや、仏の言わく、無上菩提を演説する師に値(あ)わんには、種姓(しゅしょう)を観ずること莫(なか)れ、容顔を見ること莫れ、非を嫌うこと莫れ、行いを考うること莫れ、但(ただ)般若(はんにゃ)を尊重するが故に、日日三時に礼拝(らいはい)し、恭敬(くぎょう)して、更に患悩の心を生ぜしむること莫(なか)れと。

●西川玄苔老師の通釈
よくよく心を静めて考えてみなさい。絶対真実たる正法が、この世間にゆきわたり、説かれ行われていない時代に生まれたら、いくらわが身命を正法のために投げ出そうと思い願ってもあうことは不可能ではないか。それを幸いにも、正法流布の時代に生まれ逢った今日の私どもは、正法のために身命を投げ出して菩薩の願いを行ってゆくことを生々世々願い続けようではないか。経典の中に説かれてある、次のような御文を見てみようではないか。仏が聞法者の心得として、次のように説かれている。『この上なき尊い真実の道を述べ説いている師に逢ったなら、その師の氏素性を問う必要はない。姿形の善し悪しを見る必要はない。様々な欠点を嫌ってはいけない。行いの完全、不完全を考えてはいけない。ただ、師の説き行じておられる仏法の智慧自体を尊重して、教えに随順していくのである。だから、仏法を敷衍しておられる師に対しては、毎日毎日、朝も昼も夜も、礼拝し恭敬して、師に孝順のまことを尽くし、師の心をして、憂い悩ませるようなことがあってはならない』と仏はお説きになっておられる。

●あとがき:
この文節で、道元禅師は、私達が出遭う仏法の師匠の生まれ育ちや経歴、人格の善し悪しを問題にするなとおっしゃっています。ただ、師匠の説く仏法を聞き、仏法に従いなさいと説かれています。そして、その師匠を仏様のお使いとして敬い、決して批判して、師匠を傷付けてはいけないと説かれています。

私もよく経験した事でありますので、深く反省しなければなりませんが、仏法を説く講師には、それに見合った立派な人格とか、なるほどと納得し得る立ち居振る舞いであるとか、はたまた心遣いを含む高度な道徳・倫理求めてしまいます。私自身かなり前に経験した事でありますが、私が所有する仏教書をお貸ししたあるご講師が、返却をお忘れになっています。そうなりますと、いっぺんにその先生が色褪せてみえ、先生の仏法のお話さえも、何だか有難く無く、素直に受け取れないと言う気持ちになってしまった事がございます。 如何に社会的地位を得られているお方でも、立派な仏法をお説きになられましても、世間の約束事、ルール、しきたりを守られないご講師を尊敬する気になれないと言うのは、自然な感情だと思うのですが、道元禅師は、それを窘(たしなめ)られておられるのです。

考えてみますと、完全無欠な人間はいないことも勿論ですが、自分自身も至らぬ人格であり、私自身は気付いておりませんが、他人様から見ますと、前述の先生に負けず劣らない非常識や失礼をしているはずであります。

法とは、生きながらにして仏になられた(成仏、すなわち悟りを開かれた)お釈迦様が発見された真理ですから、仏法と申しますが、この法を更に遠い遠い未来の人達にも伝えていかねばならない、その役割を今を生きる仏教徒の私達は担わねばなりません。法を説く人は、尊い行為をされている訳ですから、それだけで敬い、大切に処遇しなければならないのだと存じます。

法を説く師を見ず、その師の指差す先に眼を凝らそう、そう言う事だと思いながら、この27節を読みました。

●次週の修証義―第28節―
今の見仏聞法は仏祖面面の行持より来たれる慈恩なり、仏祖若し単伝せずば、奈何(いか)にしてか今日に至らん、一句の恩尚お報謝すべし、一法尚お報謝すべし、況(いわん)や正法眼蔵無上大法の大恩これを報謝せざらんや、病雀尚お恩を忘れず三府の環能く報謝あり、窮亀尚お恩を忘れず、余不の印能く報謝あり、畜類尚お恩を報ず、人類争(いかで)か恩を知らざらん。


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No.331  2003.10.30

生と死と仏教

私達が毎日考えている事は、恥ずかしながら、自分のプライドが満足したとか傷ついたとか、損したとか得したとか、そして、食欲、性欲、睡眠欲をはじめとする様々な欲望をどう満足させようかと言うことであったり、その結果として生じる不平、不満、愚痴、後悔が頭を占領しているのではないでしょうか。更には、既に生活の一部になっているテレビの世界に身を投じて、小泉さんがどうだとか、田中真紀子がどうするとか、タイガースが勝ったの負けたの、有名人がどうしたのと、1ヶ月も経(た)てばすっかり忘れてしまう浮世のさざなみに心を奪われながら、日々を過ごしているわけであります。

そんな事では勿体無いぞというのがお釈迦様の説かれるところでありまして、生老病死の苦を認識せよ、そして、苦から解放されなければ本当の人生ではないよ、折角人間に生まれたこの機会に、むなしい人生を過ごすのは、実に勿体無いぞ、と、言うことであります。

しかし、人間の最も嫌な『自分の死』について、私達が考え廻らせることは、果たして1日に1回あるでしょうか?1ヶ月に1回あるでしょうか?自分が嫌な死は忘れたいと言うのが人情でありますから、『死』をテーマとする仏教は敬遠されて当たり前かも知れません。

しかし一方、私達は『自分の生』『自分の命』についても、見詰め直すことを疎かにしていると思います。お釈迦様は、生の尊さと死の厳粛さを同時に問題にされていたと思いますが、後代の仏教関係者は、どちらかと申しますと、死に代表される苦に焦点を当て過ぎたきらいがあるのではないかと思います。『死を抱えた生であるからこそ尊い命なのだ』と言う現代仏教は正しい捉え方であるとは思いますが、一般の方々には、やはり暗く感じるのではないでしょうか。そして、特に幼い児童や、夢抱く若者達には、取っ付き難い教えとしか映らないのではないかと思います。

そこで私は、『生』を手掛かりとしてお釈迦様の教えを一般の方々に考えて頂きたいと考えました。

一度、『自分の生』『自分の命』について考察して頂きたいと思うのです。今日は、三つのテーマを掲げ、コラム読者ご自身でお考え頂き、お釈迦様はどうお考えになられていたか、そして現代に生きる私はどう考えているかを来週のコラムで申し述べさせて頂きたいと思います。

テーマ1:私がこの世に人間として生まれ出た縁(条件)の数々とは?
テーマ2:現在の私が存在する縁(条件)の数々とは?
テーマ3:今の瞬間、私が生命を維持出来ている縁(条件)の数々とは?

このテーマを追求して行きますと、自然と生き甲斐が見えて来ると思います。


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