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No.330  2003.10.27

修証義に啓かれてー第26節(第5章行持報恩(ぎょうじほうおん))―

●まえがき:
今年4月21日に学び始めた修証義もいよいよ最後の章になりました。まとめの章は報恩感謝で締めくくられています。
最終章の題名の中にある行持(ぎょうじ)とは、『仏道を常に怠らず修業する』という事ですので、行持報恩とは、『仏法に遭わせて頂く尊い生命を授かったことに感謝して行こう、それが仏道を歩むと言うことなのだ』と解釈致します。

親鸞聖人も他力の信心(浄土門における悟り、回心)を賜った後の念仏は『報恩感謝の念仏』と言われておられます。その他多くの祖師方、先達方がおっしゃられる事を総合しますと、仏法の行き着くところは、報恩感謝に尽きるのではないかと思われます。仏法は懺悔ではなく感謝を大切にする教えだと申してもよいと思います。道元禅師も親鸞聖人も、人間に生まれ、仏法に出遭えた事実に感謝しても感謝し切れないと、親鸞聖人は『ただ念仏して(報恩感謝)』とおっしゃり、道元禅師は『ただ坐禅して(報恩感謝)』とおっしゃられたのだと思います。

この第26節は、文中に出て来る南閻浮(なんえんぶ)という言葉も含めて、なかなか理解し難い内容でありますが、『この世は悩みも多く苦しい世界であるが、だからこそ仏法に出遭うことが出来たのではないか』と言う考え方が根本にあると思います。喩えが適切かどうか分かりませんが、渋柿(しぶがき)は、渋があったからこそ、甘柿よりも甘い味になるように、煩悩があったからこそ苦悩があり、苦悩があったからこそ、仏法に出遭うことが出来たと言う事ではないかと思います。そして、その仏法に出遭えたのも、自分の能力や努力ではなく、他力(宇宙の働き)と言う大きな力(本願力)によってと言うところが大切だと思います。

わたくしも、3年前から経営破綻に直面しており、現在もいよいよ厳しい局面に立たされています。しかし、そのお陰で、真剣に仏法を求めさせて頂く身になり、こうして仏法を学ばせて頂き、このコラムを書かせて頂いております。仏法に出遭わなかったならば、今頃は、夫婦して精神的にも経済的にも地獄生活に堕ちていたに違いありません。親しい人々からの精神的な支援、経済的な支援を頂いているお陰も勿論大きい支えでありますが、仏法が支えであり、励みであることは疑いようがございません。

そうなりますと、大乗仏教の国、日本に生命を得た事も、この大不況、デフレスパイラルに遭遇した事も、その他良い事も悪いと思える事も、すべては、私が仏法を求める縁であったのではないかと思えます。

苦しみがあるからこそ仏法を求め、仏法を求めるからこそ、苦しみを乗り越えられるのではなかろうかと、今はそう感じています。以前のコラムで『苦しみから私が救われるのでは無く、苦しみが私を救う』と言う言葉を紹介致しましたが、まさに、この言葉は仏法、特に本願を説く、他力浄土門の真髄を表しているものだと思います。自力聖道門といわれる禅宗の道元禅師がこの第26節で説かれている事も、その事であろうと思われます。

●修証義―第26節(第5章行持報恩(ぎょうじほうおん))
此発菩提心(このほつぼだいしん)、多くは南閻浮(なんえんぶ)の人身に発心(ほっしん)すべきなり、今是の如くの因縁あり、願生(がんしょう)此(し)娑婆(しゃば)国土し来たれり、見釈迦牟仏を喜ばざらんや。

●西川玄苔老師の通釈
この菩薩精神の根本である菩提心がおこるのは、南閻浮提州(なんえんぶだいしゅう)という国土に生まれた人間が一番多くおこしやすいといわれる。この南閻浮提州というのは、昔のインド人の宇宙観で、宇宙の中心に八万4千由旬(はちまんしせんゆうじゅん、由旬は梵語の距離単位)の高い須弥山が聳(そび)えており、その山を日、月が廻っている。その須弥山の東西南北に四つの国土があり、その南の国土を南閻浮提州といった。そこに生まれた人間の寿命は、長くて百歳という短い寿命で、又、諸々の苦悩が他の三つの国土より、より多く満ち満ちている。これが南閻浮提州で、別名、娑婆国土といって、耐え忍ばねば生きていけない国土である、と説かれている。このように短命で苦悩多き国土であるから、無常観じ、罪業観じて、何とか永遠、真実なる道に、自分も出たいし、人々もそうあらしめたいという願行に精進出来るのである。このように、菩提心の起こし易い国土であるから、世々生々この娑婆世界へ願って生まれたいと発願し、そして娑婆世界をわが身となされ、この国土の一切の衆生を救わずば、わが願いの成就は無いと出現なされ、娑婆世界のあらんかぎり、生きておられる教主としての釈迦者牟尼仏に、お会い申し、導かれるのである。

●あとがき1:
今日は、プロ野球日本シリーズの最終、第7戦です。今日勝った方が日本一です。4勝した方が日本一ですが、4勝0敗と、4勝3敗では、どちらの歓びが大きいでしょうか? 負けを知らずに日本一になった方が嬉しいと言う見方もあるかも知れませんが、接戦をやっとの想いで制して、日本一になった方が、感激が大きいと言う気が致します。

もしタイガースが日本一になれば、18年振りです。2年前まではセリーグの最下位の常連であっただけに、タイガースファンの歓びはひとしおと言うところです。敗者と言う惨めな目に遭い続けたが故の感動は、常勝ジャイアンツのファンには感じられない歓びだと思います。

余りにも卑近な喩えではありますが、苦があるからこそ、仏法に出遭えたと言う逆転の発想から来る歓びは、今日タイガースが勝てば、18年振り、しかも4勝3敗の日本一の歓びに通じるものではないかと考えて見たり致します。

生まれ難き人間に生まれ、遭い難き仏法に出遭え、人間に生まれた喜びを噛み締められるようになったのは、この苦しみに満ちた娑婆世界に生まれせしめられたが故であったと言う、逆転の発想は、『煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)』『不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)』と言う『煩悩があるからこそ、悟りがある』と言う仏法の本質的な考え方であります。

こういう考え方を説く宗教はなかなか見当たらないと思いますが、それだけに難しく、私の説明だけでは言葉足らずだと思います。西川玄苔老師が大宝積経(だいほうしゃくきょう)と言う大乗仏教の経典を引用されて、この26節の説明をして下さっていますので、あとがき2に御紹介いたします。少し長いものになりますが、是非お読み頂きたいと思います。

●あとがき2:
「南閻浮(なんえんぶ)」というのは須弥山(しゅみせん)の南方にある大洲で、訳すと穢洲 といわれる。須弥山の東方にある東勝身洲や北方にある北瞿盧洲(ほっくろしゅう)よりは、果報が劣っている。だから娑婆国土といって、種々様々の出来事に、終始、堪忍(かんにん)せねばならぬ国土であるといわれる。堪忍土であるが故に、仏の出現があり、仏法を聴聞し、仏を修証することは、本州をもって第一とするといわれている。

これは、とても大変な問題が、この娑婆と名付けられることによって教示されている。まぁ、通常では、この娑婆世界は、堪忍土であるから、何事もよくよく「耐え忍ぶ」ことが大切であるぐらいに受け取られ易い。これでは、娑婆という名が仏様より名付けられた重大な意味が失してしまう。
『大宝積経』に説かれている、次の問答により、私どもは、娑婆国土の尊さを、よくよく学ばねばならない。それは、相荘厳星宿王菩薩と、沙羅起王如来との問答である。

菩薩『どうして娑婆世界というのですか』
如来『彼の世界は、貪瞋痴及び諸々の苦悩を堪忍するところだから娑婆という』
菩薩『娑婆世界の人々は、罵倒されたり、打たれたり、虐待されたりするのを堪忍するのですか』
如来『そうではない。娑婆世界の人々は、罵倒されたり、打たれたり、虐待されても、それを辛抱する事は出来ない。かえって貪瞋痴(とんじんち)の三毒の煩悩に追い使われ、怨んだり、妄想を起こしたりするのだ』
菩薩『それでは堪忍世界と言えないのではありませぬか』
如来『相荘厳星宿王菩薩よ。しかし、娑婆世界の人々が、皆が皆、そうではない。善男子、善女人があって、生々世々、無量の諸仏を供養し、堪忍を成就し、己が心を調伏し、もし危害を加え苦しめるのがあっても、それを堪忍して、終に、貪瞋痴の煩悩を起こさず、一心に道を行ずるものがある。それだから娑婆世界というのだよ。それとは異なって、麁暴(そぼう、粗暴と同じ)で愧(は)ずる事もなく、仏法僧を敬わずして、当然、地獄か畜生か餓鬼に堕ちる、始末におえぬ者がある。然るに、娑婆世界の大恩教主釈迦牟尼如来は、此の下劣の衆生の中に於いて、罵倒されたとも思わず、怨まれたとも思わず、謗られても謗られたとも思わず、辱められたとも思わず、危害を加えられても危害を加えられたとも思わず、すべてそれらを超越して、心は大地の如く、びくとも動かず、脱然として物表に立ち、供養を受けても寂静にあり、高下もなく、憎愛もない。だから釈迦牟尼如来のよく堪忍あそばされるに従って娑婆世界というのである』
菩薩『世尊よ、私どもは幸福です。娑婆世界の幣悪下劣の衆生の中生まれなかったことを感謝します』
如来『それはお前、了簡違いだ。なぜかといえば、この世界の東北方に妙荘厳忍という世界があり、大自由王如来という仏がおいでになる。その妙荘厳忍世界の衆生は一向に安楽である。譬えば修行僧が滅尽定に入って大安楽のようなものだ。若し彼の妙荘厳忍世界に於いて、億百千歳、諸々の清浄の修行をなすも、此の娑婆世界に於いて、一弾指の間、諸々の衆生に於いて慈悲心を起こすにおよばぬ。娑婆世界に一弾指の間、慈悲心を起こした功徳は、妙荘厳忍世界で億百千歳諸々の清浄な修行にも勝る。況や娑婆世界に於いて一日一夜の間、清浄の心に住して修行したならば、其功徳は実に不可思議不可称量なものである』

以上、少々長い経文の問答を記述したのであるが、娑婆という呼称を仏が御名づけ下され た真意が如何に重要であったかが、よくうなずける。我々人間が住む、この世界は、辛い目、悲しい目、とんだ目、悔しい目、恐ろしい目、言うに言われぬ目、思いもよらぬ目、等など、数え切れぬ程の目に遭遇して堪忍してゆかねばならぬが、それが容易に堪忍出来ないからこそ、ますます迷いの闇路を貪瞋痴三毒の煩悩、八万四千の煩悩に引きずられて六道輪廻するのである。だからこそ、仏の出現があり、仏法僧三宝の帰依があり、諸仏の大法を聞法し、思惟し、修行し、信証し、無上菩薩道を得ることが出来るのである。

悪毒かえって大良薬となり、心は大地の如く動ぜず、脱然として物表に立ち、常に寂静に住し、高下憎愛のない涅槃が成就するのである。穢洲であればこそ、仏道が成就出来るから娑婆世界であると仰せられるのである。

ただ単に、諸々のつらい事を堪忍しなければならぬ処だから娑婆世界と申すのではなく、堪忍せねばならぬ事が満ち満ちていて、それが堪忍出来ないからこそ、仏の出現があり、帰依三宝がおこり、仏の願力成就があって、心は大地の如く不動で、脱然として物表に立つ、寂黙能忍が成就できるからこそ、娑婆国土と仰せられるのである。

だから娑婆国土は、苦悩の人間から名付けた名字ではなく、仏の方より、堪忍土なるが故に、仏道成就が出来る、まことに尊き限りなき国土であると礼拝したまうところより名付けられたみ名である。

道元禅師が"この生死は、仏のおん命なり"と生死界を菩薩の園林場として拝んでおられる。だから、此の娑婆国土に願生してくるのである。
見釈迦牟尼仏とは、釈迦牟尼仏の大法にお遭い申し、聞法し、思惟し、修行し、得道するのである。

仏道を歩んで行けば、どんなことにも腹が立たぬようになるということではない。腹が立つ事は、次より次へ起こってくるけれども、坐禅という、"永遠の背骨"で受けとめさせていただける。念仏という心光照護で融和させていただける。だから、超越が可能なのである。超越と言う事は、腹が立つという事実があるから、その事実より超越という事が起こるのである。腹が立つという事がないならば、超越という事もないのである。

貪瞋痴三毒が渦巻き、外からの諸難の波浪が打ち寄する、腹の立つことばかりであるが、それを、帰依三宝の功徳力で受け止めさせていただくところに、超越がおこるのである。超越させていただくところに破顔微笑がある。柔和忍辱の喜びが湧き出ずる、有難いと感謝出来る。それは、私の力によりて出来ることではなかった。仏法僧三宝、如来の本願力によりて、させていただけたという喜びである。ただただ仏恩深重(ぶつおんじんじゅう)を感謝するのみである。とてもとても堪忍出来ざる者が、ようやく堪忍せしめて下さった、物表に立たしめて下さった、涅槃界に超越させていただけたという大慶である。
"見釈迦牟尼仏を喜ばざらんや"という喜びである。

●次週の修証義―第27節(第5章行持報恩(ぎょうじほうおん))―
静かに憶(おも)うべし、正法世に流布せざらん時は、身命を正法の為に抛捨(ほうしゃ)せんことを願うとも値(お)うべからず、正法に逢う今日の吾等を願うべし、見ずや、仏の言わく、無上菩提を演説する師に値(あ)わんには、種姓(しゅしょう)を観ずること莫(なか)れ、容顔を見ること莫れ、非を嫌うこと莫れ、行いを考うること莫れ、但(ただ)般若(はんにゃ)を尊重するが故に、日日三時に礼拝(らいはい)し、恭敬(くぎょう)して、更に患悩の心を生ぜしむること莫(なか)れと。


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No.329  2003.10.23

続―お釈迦様が求めた『幸せの青い鳥』

前回の木曜コラムを、『縁起の真理から、お釈迦様は人間の尊厳、諸法無我、諸行無常、二灯二依と言う教えを説かれましたが、これらに関する考察は、来週のコラムに譲りたいと思います』で終わりましたが、少し考えるところがあり、今日のコラムも、お釈迦様が求めた『幸せの青い鳥』の続編とさせて頂きます。

わたくしが、お釈迦様が求めた『幸せの青い鳥』に取組みましたのは、あるコラム読者さんから次のような質問を頂いたからであります。
『仏教では、現在の苦しみは過去に悪い事をした結果であり、それは業(ごう)だから諦(あきら)めよと言われますが、どうも納得がいきませんし、それは受動的・消極的な考え方だと思うのですが、本当に諦めなければいけないのですか?キリスト教に比べると何処か暗い感じが致しますが・・・・?』

勿論、仏教は、『現在の苦しみは、過去の悪業の結果だから諦めなさい』と言う立場ではありません。少なくともお釈迦様の教えで、そのような事を説かれていません、しかし、教えを取り違えますと、そう言う風に受け取られ易いところがある事も否定出来ません。そう言う点から、仏教に対するイメージが暗いと言う事になっているのだと思いますが、そのイメージ払拭は私達現代に生きる仏教徒が必死に取組むべき責務だと思っています。

過去の結果として現在があると言うのが仏教である事は確かです。しかし、だからこそ、未来も現在の結果であるから、現在を大切に生きようと言うのが、お釈迦様の『縁起の道理』に基づく正しい考えです。そして、地球上に無数の生命体(動植物)が存在致しますが、それを為し得るのは、唯一、意思力を与えられている人間にしか出来ない事であると、人間の命の尊厳を人類史上最初に自覚されたのがお釈迦様であり、その教えが仏教であります。

しかし、そう言う前向きの考え方を説かずに、『苦』や『煩悩』と言うマイナスイメージの強い言葉をテーマとして来た事に、大きな問題があるように思います。私も、過去のコラムで、『苦』と『煩悩』を取り上げ過ぎたきらいがあります。そして、前回のコラムでも、やはり、そう言う流れになってしまっている事に気が付きました。

勿論、『苦』とか『煩悩』が、仏道に入り、縁起の道理に目覚める手掛かりである事は間違いございませんが、『苦からの解脱』だけを問題にするのは、片手落ちでは無いか、そしてそれが、仏教イメージを暗くしている大きな要因ではないかと反省致します。

前回のコラムで、"お釈迦様が求められた『幸せの青い鳥』そのものは、『一切の苦から解放された自由』である事は間違いありません"と申しましたが、最初から明確な解決目標を持たれていなかったのではないかと思われます。勿論、生まれながらに宗教的感性が並外れた方でありましたから、生老病死に関する苦等、仏教が説く四苦八苦を感じられていた事も想像が付きますが、お釈迦様は、小国とは言え、皇太子と言うお立場であられましたので、衣食住は申し分の無いものであったでしょうし、いわゆる人間の有する5欲(名誉欲、財産欲、性欲、食欲、睡眠欲)は殆ど満たされていたに違いありません。しかし、何と言っても、心の空虚さを払拭出来なかったのだと思います。自分の幸せは5欲の満足では無いと明確に認識され、もっと活き活きと生きられる人生のあり方、すなわち生き甲斐があるはずだと考えられて、衣食住満ち足りた皇太子と言う身分を捨てて、生き甲斐と言う『幸せの青い鳥』を探すために、出家されたのだと推察致します。

当時のインドの上流階級では、幼い時から哲学の勉強が主なものであり、一生を通して解脱を求める事が理想の人生とされていたようであり、結婚をし、後継ぎが成長したら、自分は家を出て森林に隠棲し、坐禅瞑想をしたり、断食や苦行をしたり、哲学的思索を重ねて解脱をはかるのが一般的だったようでありますので、お釈迦様は、人生に対する問題意識が大きく、後継ぎの成長を待つ事無く、出家を断行されたのだと思います。

そして、約6年間の修行において、坐禅・禅定に習熟される一方、『幸せとは?』『生き甲斐とは?』『苦とは何か?』『苦から解放されるにはどうすれば良いか?』などについて、先輩修行者に教えを請い、自らも思索し続けられ、最終的に『縁起の道理』の発見に至られ、完全な解脱を果たされると共に、その人生の考え方を、人生の苦しみに迷う世間の人々に伝えてゆくところに、生き甲斐をも見出されたのではなかろうかと推察致します。

『苦からの解脱』と『生き甲斐の自覚』が共に果たされた時に、お釈迦様はしっかりと『幸せの青い鳥』を掴まえられたのだと思います。そして、その『幸せの青い鳥』は、『縁起の道理』を離れては存在しない事も間違いないと思います。

苦が解決されていない生き甲斐は砂上楼閣です。また、苦からの解脱が果たされても生き甲斐の無い人生は無味乾燥なものでしかありません。来週のコラムでは、仏教の積極的な考え方である、生き甲斐と縁起の道理に関して、更に考察したいと思います。


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No.328  2003.10.20

修証義に啓かれてー第25節(第4章発願利生(ほつがんりしょう))―

●まえがき:
この第25節は、四摂心(ししょうしん)まとめの節ですが、この四摂心(布施、愛語、利行、同事)は、菩提心に目覚めた人の他の人々に接する際の在り方について示されたものです。そして、この四摂心を施された人々が、同じく菩提心に目覚めて欲しいと言うのがこの四摂心の大目的でありますが、それと同時に、四摂心を施すその人自身も、この易しそうで難しいこの行為を完遂していく中で、自己を磨き、自己を見直し、問い直してゆく修行・修養でもあると言うのが大乗仏教の考え方だと思います。

こう言う考え方は、お釈迦様が生きておられた原始仏教時代には無く、後の世(数百年後)の仏教徒が、お釈迦様がお悟りを開かれて後の45年にわたる伝道・布教のお姿に、真実の仏道のあり方を見出し、大乗仏教の要義(要点とする意義)として今日に伝えられているのだと思います。

宗教は、自分の救いを求めて信仰を深めてゆくものだと思いますが、お釈迦様も、当初の出家の目的はそう言う自己の救いを求められてのものだったと想像致しますが、自己が救われる(成仏得道、お悟りを開く)と同時に、自分が救われるだけでは、本当の幸せは得られないことをも深く悟られたのだと思います。そして、亡くなられる(涅槃に入られる)まで、民衆の教化に我が身を投げ出されたのだと思います。

布施、愛語、利行、同事と言う行為をどのような場合にも、どのような相手にも施してゆくと言う事は実際並大抵ではありません。しかし、仏教徒の使命として、社会を幸せに導くため、人類の平和と幸せを実現する為に、この四摂心によって仏教流布に励もうでは無いかと言うことではないでしょうか。

●修証義―第25節(第4章発願利生(ほつがんりしょう))
大凡(おおよそ)菩提心の行願には是(かく)の如くの道理静かに思惟すべし、卒爾(そつじ)にすること勿(なか)れ、済度(さいど)摂受(しょうじゅ)に一切衆生皆化(みなけ)を被ぶらん功徳を礼拝恭敬(くぎょう)すべし。

●西川玄苔老師の通釈
だいたいにおいて、一切衆生をして仏法に会わしめ、仏道修行して成仏得道せしめんと、自分のすべてを投げ出して、縁の下の捨て石となって働いていく菩提心の願行は、以上に述べた、布施、愛語、利行、同事の道理を心に深く思い考えて、行動していくのである。ゆめゆめ、軽率にしてはならない。この菩提心の願行によってこそ、一切衆生が仏法に会い、引き入れられ導かれ、仏の道より脱線せず、強化されて成仏得道していくのであるから、この菩提心の功徳は最上最高のものである。だから、この菩提心の願行に生きてゆくものは自分であろうと他の人であろうと、礼拝し恭敬して、尊んでいかねばならない。

●あとがき:
道元禅師は別のところで、修証一如(しゅうしょういちにょ)と言う事を申されています。修証義と言う名はそう言うところから名付けられているのだと思いますが、修は修行、証は悟りですから、修証一如と言う事は、修行と悟りは同じ一つの事であると言うことで、修行して悟りを開くと言うことでは無く、修行する事それ自体がそのまま悟りだと言うお心を表されているのだと思います。

道元禅師の専売特許として有名な只管打座(しかんたざ)とは、悟りを求めて坐禅するのではなく、坐禅そのものが悟りだと提唱されたお言葉ですが、修証一如も同じ事を言われたものだと思います。

四摂心も、悟りを開いてから行為として現れると言うものではなく、仏道を歩み始めた者にとっては、この四摂心を行為してゆくところに、真実の仏道があると言う事をおっしゃりたいのだと思います。そして、それが何故真実の仏道であるかを、これからの第5章で説明されます。

●次週の修証義―第26節(第5章行持報恩(ぎょうじほうおん))―
此発菩提心、多くは南閻浮(なんえんぶ)の人身に発心すべきなり、今是の如くの因縁あり、願生此娑婆国土し来たれり、見釈迦牟仏を喜ばざらんや。

●大乗仏教と小乗仏教について
現在、タイ・ミャンマー・セイロンに伝わる仏教を小乗仏教と申します(大乗仏教側がそう呼ぶのであります)。大乗仏教は、自分一人が救われる事を目標とせず、世間の人々皆一緒に救われる事を目標にするところから、大きな乗り物に乗って悟りの国に参りましょうと言う意味から、大乗仏教と申します。
一方、小乗仏教は、自分一人が悟りを開き救われる事を目標にしているから、小さな乗り物に乗ってあの世に渡ると言うところから小乗仏教と呼ぶのでありますが、私は目的と手段のどちらに焦点をあてるかが異なるだけであつて、本来はどちらもお釈迦様の教えそのものだと思います。
小乗仏教は、どちらかと申しますと、お釈迦様が出家され、悟りを求めて坐禅をされたり難行苦行されるお姿に真実の仏道の在り方を見付けられたものではないかと思います。そして小乗仏教も、結果としては、自分一人悟れば良いと言う立場から、広く世の中の為に働きたいと言う立場に至るのだと思います。

私は、スポーツを致しますので、大乗仏教と小乗仏教をプロスポーツに喩えて考えます。
プロスポーツは、勝利が大目的では無いと思います。社会の人々にプレーを通して感動を与え、生きる勇気を与えるのが大目的だと思います。そして、その為に勝利を目指して厳しい修練を致します。心・技・体にわたっての厳しい修練無くして勝利はありませんが、厳しい修練と勝利は、世の中の人々に感動を与えるためのあくまでも手段であると思います。
私は、修練と言う過程こそ大切と言う立場と、鍛えた心・技・体をプレーによって表現して世間の人々に感動を与えることこそ大切と言う立場の違いが、そのまま小乗仏教と大乗仏教との立場の違いだろうと理解しています。


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No.327  2003.10.16

お釈迦様が求めた『幸せの青い鳥』

仏教には、『親の因果が子に報い』とか、因果応報、宿業とか言う言葉もあり、一般の方々には、どこか後ろ向きの、消極的・悲観的な宗教イメージが強いようであります。宗教行事も、仏前結婚式もあるにはあるのですが極めて少なく、葬式ばかりやっているようで、そう言うことからも暗いイメージが付きまとっています。

そして、死んだ後に浄土に参るとか、この世における幸せを追求せず、追及すると言えば、坐禅とか、滝に打たれると言う様な、難行・苦行をしなければいけないみたいであるし、一方では、教団によっては執拗に勧誘し、入信したら沢山の寄付金を要求されたり、また、なかなか抜け出せ無い場合もあり、兎に角、近寄り難い、近寄りたく無い宗教であると思われている向きを感じます。

しかし、これらは全く的が外れたイメージであり、本当の仏教は、前向きの教えで、人生が明るくなり、幸せな人生が開かれる教えなのです。今週の木曜コラムと次回の木曜コラムで、2500年間に亘って仏教に染み付いた垢を一切取り除き、お釈迦様が見付けられた『幸せの青い鳥』について考察し、一般の方々の仏教観を一新する一助となればと思います。

お釈迦様は、今から約2500年前のインド(ヒマラヤ山脈の麓近くにあった小さな国)に生まれられた歴史上実在された方です。氏素性については、口伝で遺されたお言葉(原始経典と言われる阿含経や法句経など)や、他宗教に於いて伝えられている史実などから推定されていますが、今回は、そう言う事は一切省いて、お釈迦様の求められた『幸せの青い鳥』についてのみ考察したいと思います。

お釈迦様が求められた『幸せの青い鳥』そのものは、『一切の苦から解放された自由』である事は間違いありませんが、さて、その自由な境地が、どのような真理を見付ける事によって得られたのかと言う事の方が、むしろ重要であります。

お釈迦様は、苦からの解放を求めて坐禅に励まれ、精神の統一・無念無想の境地(禅定)に達せられましたが、坐禅を離れると、生老病死の苦から解放されていない自分に失望されました。これでは意味が無いとして坐禅・禅定を捨てて6年間の苦行に入られ、不眠不休・断食・無呼吸などで肉体を痛めつける事によって、心をも無にする事に挑戦されましたが、やはり苦からの解放感を得ることが出来ませんでした。坐禅でも苦行でも、苦からの解脱を果たせなかったお釈迦様は、痛めつけた身体を癒し、普通の思考が出来る状態になって、改めて、自分が求めている苦からの解放について考察されました。大きな木(後に菩提樹と名付けられました)の下で坐禅され、沈思黙考されたのだと思います。

そして、苦とは何か、苦は何故起こるのか、苦から解放されたらどのような心境になるだろうか・・・・・等と理論的に考察されたものと思われます。そして、お釈迦様が生まれる頃には確立していたインドの哲学思想も吟味されながら、恐らくは、思案に思案を重ねられたものと思われます。お釈迦様以前には、すべての現象も存在も創造主と言われる神によってコントロールされ、動かされていると言う考えがありました。また、肉体と霊魂は別の存在であり(二元説)、霊魂が前世、現世、来世と輪廻転生して行くと言う業報思想もありました。

しかし、お釈迦様は、霊魂とか、神の存在は、人間が検証出来無い事であり、受け容れられませんでした。そして、すべて(人間が感知出来る物質も現象)は縁に因って起こると言う『縁起の真理』に思い至られました(ある時、暁の明星を見られた瞬間、苦からの解脱を成し遂げられたと言われています)。

人間も他生物も、物質も現象も、すべては、因があって、因に様々な条件(これをと言う)が働いて、結果が生じると言うところから、『因縁果の道理』とも言います。結果がまた因にもなり条件(縁)ともなりますから、縁起の真理と言う言い方が一般的です。

これは、2500年前におきましては画期的な発想でありました。宗教は沢山ありますが、仏教以外の宗教は、絶対的な創造主としての神様の計らいでこの世がコントロールされていると考えています。お釈迦様だけが、この世は神様がコントロールしているのでは無い、一切は、縁に因って起こっているのであると断定されたのです。これは、仏教の大切な出発点であります。
これを踏み外した教えを説く宗派は、仏教宗派ではありません、少なくともお釈迦様の説かれた教えとは全く立場が異なります。

では、仏教徒が拝む仏様はどうなのかと言う疑問を抱かれる方があると思います。実際、仏様を神様のように拝み、お願い事をされている仏教徒がいると思いますが、厳密には、お釈迦様は、首を傾げられると思います。現代的な表現をすれば、私を生かし、地球上の一切の生物を生かしている生命力、地球を自転・公転させ、宇宙に働く万有引力などの一切の働きを総称して、仏様とか、阿弥陀仏と擬人化して名付けたものだと解釈すべきだと思います。

現代ほど科学文明が進歩していなかった古代、地球が丸い事も、自転している事も公転している事も分からなかった時代、朝と晩が何故起こるかも、雨が降る原理、嵐が起こる訳も知りえなかった時代です。すべての現象は、神様が起こしていると考えないと納得出来なかったでしょう。日食、月食も神様の怒りと受け取らざるを得なかった事でしょう。

そう言う意味では、現代に於きましても、人間の科学知識では理由を説明出来ない事は、山ほどあります。生命についても、生科学が発達し遺伝子解析も極限まで付きとめられていますが、生命がどうして生まれたのかは推定にしか過ぎません。その証拠に人間が細菌すら造り出せません。地球が何故自転するかも、分かりません。月への着陸は出来ても、人間の手で地球の自転を止める事は出来ません。この世の現象の原因を、何故、何故、何故・・・と5回追求してゆきますと、もう人間には解明出来ない領域になります。

そう言うところから、仏教以外の宗教が、神様の存在を考えざるを得なかったのは、ある意味では人間の智慧と言えるかも知れません。しかし、お釈迦様は、神様ではなく、物事には必ず因があり、その因に縁が働いた結果であると悟られました。

私は科学分野で仕事をする人間でありますから、どちらかと申しますと、お釈迦様の考え方に魅かれますが、どちらが人間としての、あるべき姿であるかは、結論は出ないと思います。それぞれの想いに従って然るべき問題だと思います。
ただ、仏教は、創造主としての神様の存在を否定し、すべては縁起の道理に因ると言う考え方をする事は、しっかりと心すべきだと思います。

さて、この縁起の真理から、お釈迦様は人間の尊厳、諸法無我、諸行無常、二灯二依と言う教えを説かれましたが、これらに関する考察は、来週のコラムに譲りたいと思います。


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No.326  2003.10.13

修証義に啓かれてー第24節(第4章発願利生(ほつがんりしょう))―

●まえがき:
布施、愛語、利行と進めて参りました四摂法(ししょうほう)の説明も、今回は最後の同事(どうじ)になりました。布施も愛語も利行も、相手の立場、他人の立場になって行う行為でありますが、同事は正に相手の立場に成り切る事そのものであります。

相手の立場に成ると言う事は一瞬出来そうに思えますが、私の場合は、『相手によっては・・・』と言う前提が付いてしまう事に思い至ります。相手が善い人ならば、気の合う人ならば、と言う事になりかねません。

しかし、仏教の説く四摂法は、相手を限定していません。誰に対してもと言う事でありますから、簡単な事ではありません。

同事と言う事に関して考察して見ますと、相手が悲しみにくれている時に、同じように悲しめるかと言う事です。相手が喜び弾んでいる時に、同じように喜び弾めるかと言う事です。極端な譬(たとえ)になりますが、我が子を亡くした時と、他人様の子供が亡くなった時の悲しみは全く異なります。他人の子供さんが亡くなった時には、同情は出来ても三日三晩泣き明かす事にはなりません。反対に、我が子が難関の学校に合格した時の喜びと、他人様の子供さんが合格した時の喜びは、どうでしょうか、他人の子供さんの合格は、表面的には喜び、称賛の意を表しても、本心では妬み心さえ混じって、素直に喜べ無いかも知れません。

これは、我執に囚われる凡夫故の悲しい現実ですが、そのままで人生を終わるのは、それ以上に悲しい事です。そう言う悲しい凡夫から抜け出したいと言うのが菩提心への目覚めだと思います。

●修証義―第24節(第4章発願利生(ほつがんりしょう))
同事というは不違(ふい)なり、自にも不違なり、佗(た)にも不違なり、譬(たと)えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、佗(た)をして自に同ぜしめて後に自をして佗に同ぜしむる道理あるべし、自佗(じた)は時に随うて無窮(むきゅう)なり、海の水を辞せざるは同事なり、是故に能(よ)く水聚(あつま)りて海となるなり。

●西川玄苔老師の通釈
菩提心をおこして、一切衆生をして、成仏得道せしめんと願った者は、同事の行いをしていかねばならぬが、その同事というのは、人でも、物でも、事でも、出合うところ一切に対し、そむき違(たが)わないということである。先ず、天地とぶっ続きの生命で生きている本当の自己に、そむき違わないことであり、それは同時に、天地とぶっ続きの生命で生きている他に対しても、そむき違わないことである。同事行をたとえていえば、人間界へ仏として出現された釈尊は、生まれ、出家し、修行し、得道し、教化し、80歳で死んでゆかれた。これ人間に同じて我々を済度(さいど)して下さったのである。この同事行が出来るのは、常に一切衆生のためにならんとする慈愛の念で向かうゆえに、たとい怨心、逆心をもっていた者でも、その慈愛の念にとかされて、同事行を為す者に心が柔らぎ向かってくるから、こちらが、その向かって来る者と一つになって、真実の道を共に歩んでいくことが出来るのである。そして、自他一如になって、その時、その事を為していけば、一切にそむき違うことはなく、はてしなき真実の道を歩んでいく。丁度、大海が清流でも、泥流でも受け入れるから大海となるように、一切に対し、憎まず、逃げず、慈愛をもってそのまま受け入れ同じていくのが同事である。

●あとがき:
同事の行なんて自分に出来るだろうか言う想いを抱きますが、よくよく考えて見ますと、私がこうして仏教に関係するコラムを書かせて頂いているのは、お釈迦様から始まりまして、インドから中国に仏教を伝えた達磨大師、インドから中国へ大蔵経典を持ち帰った三蔵法師をはじめとして、聖徳太子、法然上人、親鸞聖人などの数え切れない祖師方の、『人生に悩む人々の何とか助けになりたい』と言う、同事の行のお陰であります。

そう考えますと、同事の行を受け取るばかりではなく、お返しせねばならないと想う気持ちになるのは自然の感情でありましょうし、そうあらねばならないとも思います。
もし、私に出来る事があると致しましたら、仏教の水先案内人として、祖師方のお教えを出来るだけ現代の人々にも分かりやすく伝える事だと思います。そして、苦難を経験しつつ、幸せの青い鳥を私自身が抱けるように、仏法を深めて行くように努力したいと思っています。

更に考えますと、こうしてコラムを世界に発信出来ますのは、直接的には、ホームページを管理編集してくれる長男のお陰でありますし、更に、パソコンの開発に携わった多くの過去からの無数の技術者をはじめとして、無数無限のお陰があります。そのお陰に報いるのが、四摂法として挙げられている、布施、愛語、利行、同事では無いかと思い至ることが出来ます。

西川先生の通釈の中にある『天地とぶっ続きの生命』と言うのは、私を生かしめている宇宙の働きと、庭の草木を生かしている働きは、全く同じものであると言う事です。親鸞聖人が、『一切の有情は、みなもって、世々生々の父母兄弟なり』(歎異抄第5条)と言われている事と全く同じ心であります。その心が、布施・愛語・利行・同事と言う行為として表れるのは、これまた自然のことだと思われます。

次週の修証義―第25節(第4章発願利生(ほつがんりしょう))―
大凡(おおよそ)菩提心の行願には是(かく)の如くの道理静かに思惟すべし、卒爾(そつじ)にすること勿(なか)れ、済度(さいど)摂受(しょうじゅ)に一切衆生皆化(みなけ)を被ぶらん功徳を礼拝恭敬(くぎょう)すべし。


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No.325  2003.10.09

幸せの青い鳥―忍土(にんど)から楽土へー

木曜コラムで2回に亘りまして『幸せの青い鳥』と言うテーマで幸せについて考察してまいりました。 少し視点を変えて、更に考えてみたいと思います。

幸せの青い鳥を探すと言う事は、現在が幸せではないと言う事です。実際、現在が『何も言う事の無い幸せの絶頂、いや絶頂で無くとも、また、幸せで無くとも、何も問題がないとか悩むべき事が何も無い』と言い切る人は、1000人の中で、何人おられるでしょうか?

私は、皆無だと思います。もしおられたら、お釈迦様の再来か、人間の顔をした動物ではないかと思います。

私自身、大雑把(おおざっぱ)に過去を振り返りますと、意外と苦労感がありません。親の庇護の下にあった学生時代は、今想えば懐かしく、幸せだったような気が致します。しかし、よくよく詳細に振り返りますと、定期試験はあったし、厳しい受験地獄もあったし、自由に遊びまわるお金もありませんでした。また、恋愛、友人関係も含めて、瞬間・瞬間、常に色々と問題を抱えていた事を思い出します。社会に出てからも、仕事上の問題、人間関係の問題と、尽きる事が無かったように思います。極最近の11年間の脱サラ経営者生活は、正に苦労と悩みの連続であります。そして、現在が一番不幸であるように思っています。

結局、振り返りますと、幸せな時もあったような錯覚を致しますが、その実、常に苦労とか悩みは尽きることがなかったではないか、勿論、瞬間・瞬間の楽しみや嬉しい事もあったけれども、日々として振り返ると、悩みの尽きなかった日々の連続であったと思われます。そして、現在も、幸せを遠くに置いて、今は不幸のどん底と思いながら現在を生きている自分に気が付かされます。『何とかして製品開発が成功し、売上高が回復し、生活の見通しが付くようになってくれれば、辛い勤務に耐え忍んでくれている妻に苦労をかけずに済むのになぁー』と言う想い、こうなったらなぁーと言う先に幸せを求める想いから脱却出来ていません。

仏教では、この世を忍土(にんど)と呼んだり、苦の土(くのど)と言ったり致します。私の母が、事ある毎に『この世は苦の土やからねぇー』と言っていた事を思い出します。それは辛抱・辛抱と、自分に言い聞かせていたのだと思います。この言葉を聞いて、明るい気持ちになる人はいないと思いますが、しかし、否定出来る方も極めて少ないのではないかと思います。

だからこそ、お釈迦様は、先ず、この世は苦だと知れと説き始められたのだと思います。そして、苦の原因、苦から脱出した広やかな境地の素晴らしさを示し、その境地に至る八つの道を示されたのだと思います(四聖諦の道理)。それが幸せに至る道だと・・・・・。

大切な事は、お釈迦様は、この世は忍土であるけれど、人間の意思によって心を転ずれば、忍土が楽土に転ずると言う事を力説されているところにあります。最初から楽土であれば、楽土である事すら認識出来ません。仏教は、転じるところに、意味があるようです。欲を無くすのではない、煩悩が消え去るのではない、苦が無くなるのではない。欲も煩悩も苦もすべてが転じて、この世が、この忍土が楽土に転じるのだと思います。死んで浄土へ行くのではない、往生とは死ぬ事ではなくて、この世を忍土から楽土に転じる事だと思います。

転じると言う意味で、一般の方々にも分かり易いお話として、今日新しく法話として採用させて頂いた、元臨済宗妙心寺派官長、故山田無文老師の引用されている実話をご披露したいと思います。
妙心寺の霊雲院の檀家に、Nと言う夫人がおられる。最も古い目白女子大の出身であるが、今日80歳と言う高齢をもってなお矍鑠(かくしゃく)として家庭裁判所に勤め、社会のヒズミを治す医師として、往診に暇無い人である。
結婚して初めて生まれた長男が小児麻痺で、いわゆる精薄児として生まれられた。その不具な子を抱えて若い夫人は、どんなにか悩まれたことであろう。苦悶の末ついに求められたのは宗教であった。まずA宗教の門を叩かれた。その宗教では、『そういう不具な子供の生まれたことを神の恩寵と思え、そのためにあなたが教会へ来て教えを聞くようになったのだから』と教えられたが、いくら考えても、この不憫な幼子を抱いて神の恩寵とは頂けなかった。
次にB宗教に移った。その宗教では『そういう思うようにならぬのが、この世のきまりで、いずれにしても苦の人生なんだから、今世の願いを捨てて、未来の成仏を祈れ』と教えられた。しかしこの不憫な子供を放っておいて、どうして自分だけがお浄土の幸福を祈られよう。
第三にC宗教に走ると、その宗教では、『それは先祖を祭っていない祟(たた)りだから、先祖の霊を厚く弔え』と教えられたが、これも納得がいかなかった。もし自分が先祖だったら、どんな苦しくても、子供に祟るような非情なことはしないであろう。
最後に、主人の坐禅の師である霊雲院の三代前の宗徹和尚のところへ連れてこられた。宗徹和尚は茶を呑みながら、いとも無造作に『それはなあ、仏様からお預かりした大切な子じゃぜ、大事にしてあげや』と言われた。その一言で、あれほど悩み抜いた夫人の意(こころ)が始めて納得いったと言うのである。禅というものは難しいものだとばかり敬遠して、主人がいくら奨めても、お訪ねする気になれなかったが、たったこの一言で一切の悩みが決したのである。
仏様からお預かりした子なら自分の責任では無い。大事にしてあげましょうと、安心して育てるようになった。そして後から生まれる子供たちにもよく言い聞かせ、『兄さんは仏さまからお預かりした大切な兄さんだから、大事にしましょう』と言うて、家中で温かく育てられた。
今日50歳過ぎても、よだれをくって、『ああ! ああ!』と言うておるような兄さんであるが、みんなが大事にして、ご家庭の中は至極円満で、老後を楽しんでいられるのである。先日、久しぶりにお目にかかると、『この頃は、兄ちゃんが一番よく働いてくれます』と言われる。それは近年小児麻痺や精薄児を抱えたお母さん方が多くなって、『いっそ、この子と心中してしまいたい』ほど悩まれた挙句、この兄ちゃんの話を聞いて、わざわざ訪ねて来られ、その幸福な姿を見て、みんな感激し、母も子も共に救われるというのである。
不具な子を持って、それを仏さまのお預かり子と、心を転じられた故の、人生の転換であったろうと思います。

苦とか悩みから逃げ出すのではなく、真正面から取組み、そしてそれを生き甲斐に転じて行くことでしか、幸せの青い鳥を抱き寄せる事は出来無いと思われます。


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No.324  2003.10.06

修証義に啓かれてー第23節(第4章発願利生(ほつがんりしょう))―

●まえがき:
四摂法(ししょうほう)を、身近な言葉に言い換えますと、サービス精神が現れた4通りの言動と言って良いのではないかと思います。そして、そのサービス精神は、何かの見返りを求めてのものではないと言うことです。報恩感謝の心から自然に現れる行為とも言えると思います。そしてその行為は、そのまま、人々を仏法に導く縁となると言うのが、この四摂法(ししょうほう)の考え方であります。

布施、愛語の次は、この23節の『利益(りやく)を与える行為』を意味する利行(りぎょう)ですが、さて、利益(りやく)を広辞苑で確認致しますと、"利益とは、為になり、幸いを与えること。他を益することを利益と言い、自分を益する事を功徳(くどく)と言う"と説明があります。いわゆる経済的な利を与えると言うよりも、困っている人を助けてあげると言う意味が強いようであります。

●修証義―第23節(第4章発願利生(ほつがんりしょう))
利行というは貴賤の衆生に於きて利益(りやく)の善功を廻らすなり、窮亀を見、病雀を見しとき、彼が報謝を求めず、唯単に利行に催おさるるなり、愚人謂わくは利佗を先とせば自らが利省(はぶか)れぬべしと、爾(しか)には非ざるなり、利行は一法なり、普ねく自佗を利するなり。

●西川玄苔老師の通釈
利行とは、上下貴賎を問わずあらゆる人々をして成仏得道の利益を与えることをはじめとして、世間的に少しでも利益を与えようと、あらゆる善いてだてを思いめぐらして働きかけていく事である。中国の晋の時代に孔愉という人が、売られてゆく亀を買って海に逃がしてやったとか、後漢の時代に楊宝が九歳の時、病んだ雀が蟻にたかられて苦しんでいたのを助けてやったのは、何も、その善行から良い報いを得ようとして行ったのではなく、ただ可哀相にという一念で、そのような利行の行為をしたのである。智慧の無い人がよく思い違いをする、そんなに他人ばかりに利益を与えることに骨折っていると、自分ばかりが損をするのではないかと。そうではない。だいたい一切衆生の生命というものは、天地法界ぶっ続いている同一生命が生きているものであるから、自他はその根元においては、仕切り目のないものである。だから利行の行為は、天地法界あまねく自他平等に大利益を与えるものである。

●あとがき:
私達仏法を求める者は、私達の言動を判断・評価される場合、『あの方はなかなかの人物だと思っていたが、そうですか、仏教を信仰されているんですか、成るほど、私たちとは何処か違うと思っていました』と言われる位でありたいですが、反対に『あの人は仏教を信仰されていると言うけれど、仏教も大したものではないですね、あんなことを平気でされるなんて』と言われるようでは、仏様を傷付ける行為であり、無間地獄に堕ちると言われる仏法で言う五逆罪に相当し、仏法を誹謗する事になってしまいます。

無間地獄に堕ちるかどうかは別に致しまして、親鸞聖人は、自分こそ、五逆罪を犯している凡夫なのだと慙愧されました。外見は殊勝に見えても、自己の言動の奥底に潜む心を深く見詰めれば、仏様に恥をかかせている張本人は私であると言う慙愧のお心であったと思います。しかし、その慙愧の心が、報恩感謝の心に転換して行く時に、初めて本当の布施となり、愛語となり、利行となるのだと思います。

もう一つ付け加えさせて頂きますと、親鸞聖人の慙愧は、もっともっと奥深い事が次の和讃で知られます。慙愧すら出来ない自分なのだと言う深い深い慙愧です。ここまで徹底的に自己を問い直された方は、世界の宗教史上でも例が無いと思います。

無慚無愧のこの身にて
  まことのこころはなけれども
  弥陀の回向の御名なれば
  功徳は十方にみちたまふ
しかし、それ故に、他力の本願によって救われる事を確信されています。この心の転換が浄土真宗の要ですが、大変難しいところでもあり、親鸞聖人ご自身、難中の難と言われています。

●次週の修証義―第24節(第4章発願利生(ほつがんりしょう))―
同事というは不違(ふい)なり、自にも不違なり、侘にも不違なり、譬えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、佗をして自に同ぜしめて後に自をして佗に同ぜしむる道理あるべし、自佗は時に随うて無窮なり、海の水を辞せざるは同事なり、是故に能(よ)く水聚(あつま)りて海となるなり。


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No.323  2003.10.02

続―幸せの青い鳥

先週のコラムの続きとして、もう少し『幸せの青い鳥』を探して見たいと思います。

今週の火曜日の朝、NHK番組(8:35〜生活ほっと)で、『癌とともに生きる』と言うテーマが取り上げられて放送されていました。私達夫婦の友人がかなり重い癌に罹(かか)っており、その友人に番組の存在を紹介すると共に、私達も内容確認のために見ました。

癌は直ちに『死』に直結致しますから、誰しも罹(かか)りたくない、一番恐れられている病気であります。現在は、早期発見出来れば、かなりの確率で、直ちに死に至る事はありませんが、早期発見もなかなか難しいと言われており、多くの人は、癌の告知と共に、死と向き合うと言うのが現状のようです。従いまして、こう言っている私が、既に進行した癌に冒されている可能性も充分にあり得る訳であります。

しかし、早期発見され、手術などで一旦治癒したと申しましても、やはり再発の可能性は否定されませんから、早期であろうと、やはり死と隣り合わせの生活が続くのだと言われていました。ゲストとして、ノンフィクション作家の柳沢和子さんが出演されていましたが、彼女自身、癌の告知を受け、手術も受けられて、今も生と死をフィフティ・フィフティに感じられながら、癌患者への励ましのメッセージを著述されています。彼女は癌患者は『体の中に時限爆弾を抱えているようなもの』と言われていましたが、まさに、死を抱えながら生きていると実感を表現されていました。

番組では、助かる確率が1%と言われながら、果敢に闘病されているサラリーマン氏のケースも紹介されていました。氏の場合は、癌患者仲間とその家族を招待して、1年に1回、趣味の落語を披露しているところが映し出されましたが、『プロの落語では笑えないけれど、ここでは笑えるんです』と言う、参加者の感想が紹介されていましたが、それらの参加者全員を、満面の笑顔で迎えて、送り出しているそのサラリーマン氏の姿は、私が未だ見付けられていない『幸せの青い鳥』を既に掴まえておられると感じました。

考えてみますと、癌患者で無くとも、私達人間は、誰しも常に『死を抱えた生』を生きている訳であります。ただ、死を現実のものとして意識出来ていないだけ、いや忘れているだけであります。明日も生きている積もり、来週も、来月も、来年も生きている積もりであります。そして、今日の幸せを求めずして、当ての無い遠い先に、しかも、いるかいないか知れない『幸せの青い鳥』を追い求めたり、今の私の様に、経済的不安を抱いて、取り越し苦労をしながら、向き合っている今と言う貴重な、そして再び帰り来ぬ瞬間を失っているのだと思います。

お釈迦様のお言葉として伝えられている次の詩があります。

過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来たらざるを想うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そはいまだ至らざるなり
ただ今日まさに為すべことを熱心になせ
たれか明日死のあることを知らんや
私達は、どうか致しますと、過ぎてしまって、今更どうしようもない事をくよくよ愚痴ります、また、どうなるか分からない将来を先取りして、取り越し苦労に終始してしまい、現在ただ今の瞬間を大切にしないまま、『幸せの青い鳥』に出遭うことのないままに、人生を過ごしてしまいます。

明日の生命を当たり前と思いながら翌日不慮の災害や事件・事故で亡くなられた方は数限りありません。神戸の大震災でも一瞬のうちに6千人余りの方が亡くなられました。誰が翌朝の死を予見出来たでしょうか?そう言う事を、お釈迦様は、『たれか明日死のあることを知らんや』と言われたのです。

仏教では、生があって、そして死があるのではない、死と言う海に浮かんでいる生なのだとも説きます。更に表現を変えて、死を抱えた生に目覚めなさいと説きますが、柳沢和子さんが生と死がフィフティ・フィフティの人生と言われましたが、これはご体験から来る実感ではないでしょうか。

番組を見せて頂きながら、死を見詰める事によって初めて今日頂いた命の尊さに目覚められ、緊張感 と共に、本当の喜びと生き甲斐を感じる人生を生きられるのだと思いました。そして、それが、『幸せの青い鳥』に出遭えた瞬間では無いかと思いました。

テーマ『癌と共に生きる』は、来週と再来週の火曜日と、後2回続きがございます。


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No.322  2003.09.29

修証義に啓かれてー第22節(第4章発願利生(ほつがんりしょう))―

● まえがき:
布施(ふせ)、愛語(あいご)、利行(りぎょう)、同事(どうじ)と言う四摂心(ししょう しん)の説明に入っているのでありますが、今回の修証義の命題は、愛語であります。
無相庵カレンダーに和顔愛語(わげんあいご、13日のお言葉)という言葉を掲げさせて頂いていますが、愛語は、『慈愛から語られる言葉』と言い換えが出来ると思います。しかし、愛語と申しましても、必ずしも優しい言葉とか、相手に心地良く響く言葉とは限らないと、西川玄苔先生は語られています。

道元禅師はお弟子達に対して、かなり厳しい指導をされていたようですし、西川先生も師 匠の沢木興道師からの厳しい叱責の言葉(頭がクラクラする位の厳しさであったと・・・) を述懐されていましたが、すべては私をして悟らせしめようと言う愛語であったと言われ ています。

身近な例を取り上げますと、タイガースの星野監督が、選手に対して厳しく叱咤する言葉 を投げかけているようですが、この言葉が選手を一人前にしようと言う慈愛の心から発せ られている限りは、言葉はキツクとも、これは愛語と言うべきであります。反対に、いく ら優しい誉め言葉でも、根拠の無い、お世辞と言われるものは、愛語ではなく、仏教が厭(いと)い戒(いまし)めている綺語(きご)と言うものになります。

しかし、厳しい言葉が愛語となるには、発する人が余程の人格者で無ければ、逆効果にな ります。やはり良き人間関係を構築し、維持するためには、私たちは、優しい言葉を掛け る事に努めるべきでありましょう。
勿論、これもなかなか難しい事でもあります。大抵の人は、言うべき言葉ではない言葉を 発して人間関係を壊してしまう事が多いのが現状ではないでしょうか。私も何回かそう言 う経験をしております。世間のルールを守らない相手に、何度か厳しい言葉を投げかけて は失敗を重ねて参りました。今にして思いますと、相手に対する慈愛の念が含まれておら ず、相手の非を責めるばかりであったと慙愧(ざんき)にたえません。

心を込めた愛語は、相手のかたくなな心を柔らかに解きほぐし、素直な心と心の触れ合いを演出致します。逆に相手を突き刺すような厳しい批判・非難は、相手の心をかたくなにして、相手の心は閉ざされ、説得とか指導の本来の目的が達成出来ません。国会の議論はまさに、この姿を私たちに見せてくれています。

夫婦、親子、嫁姑関係も含めまして、人と接する時に、愛語そして、和顔(微笑みをたたえた柔和な表情)を心掛けてみましょう。我執がある限りは、なかなかし通せるものではございませんが、そう言う努力を菩薩の修行法と称するのだと思います。そういう修行を通しまして、自己の我執の強さにも気付かされ、その我執を手掛かりとして、仏様の摂取不捨の本願(必ず、永遠の生命に目覚めしめたいと言う宇宙の働きかけ)に出会えるのだと思います。

● 修証義―第22節(第4章発願利生(ほつがんりしょう))
愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり、慈念衆生猶如赤子(じねんしゅじょうゆうにょしゃくし)の懐(おも)いを貯えて言語するは愛語なり、徳あるは讃むべし、徳なきは憐れむべし、怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり、面(むか)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす、面わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず、愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。

● 西川玄苔老師の通釈
愛語とは、一切の衆生に対し、丁度、子を宿した母親が、その胎児を抱きかかえて、慈(いつく)しみ、生まれると、食料その他、さまざまなものを与えて愛養するような心であって、このような深い慈愛の心をつねに離さずもって言葉を掛けるのである。法華経に説かれてあるように、一切衆生を、わが一人っ子の如く慈愛の念で胸一杯に満たし蓄えて言葉をかけるのが愛語である。徳ある人へは、讃嘆し、徳のない人には責め憎まず憐れみの心を起こすべきである。いかなる怨みある敵に対しても愛語でのぞむなら、その怨み心は屈伏するであろうし、何かの思い違いから相当な人物と仲違いしても、愛語をもってすれば、やがては仲良く睦まじくなるのも、愛語を根本としているからである。面と向かって愛語を聞けば顔に喜びがあらわれ、心を楽しくする。面と向かわずに愛語を聞けば、その喜びは肝や魂に深くしみこんで忘れられないものである。愛語の力は実に強大なもので、絶対の権力を持っている国王がこうだと定めたことでも、愛語をもって諌めるならば、王はその言葉の徳により心を翻すほどの力のあるものであることをまなばねばいけない。

● あとがき:
本文中、直接相手に発する愛語も然ることながら、相手のいないところで発する愛語は、更に相手の心に強く響くと述べられていますが、確かに面と向かって誉められるのは、何となく気恥ずかしさを感じますが、『彼は君の事を大変誉めていたよ』と間接的に聞く方が、真実味があって、深く胸に刻まれたと言う経験をされた方もあるのではないかと思います。

しかし、世間一般では、陰で誉めるよりも、陰で悪口を言い合う場面の方が多いようです。 陰口をたたく人は信用出来ませんが、陰で誉め言葉を言う人は信用して良いのだと思います。そう言う人格でありたいですし、そう言う人々と交わって行きたいものです。

仏教では、綺語・妄語・悪口を戒めていますが、綺語とは、心にも無い愛語の事です。綺語ではない愛語が発せられる素直な心と、相手を育て、自分をも育てる向上心を磨きたいものであります。

● 次週の修証義―第23節(第4章発願利生(ほつがんりしょう))―
利行というは貴賤の衆生に於きて利益の善功を廻らすなり、窮亀を見、病雀を見しとき、彼が報謝を求めず、唯単に利行に催おさるるなり、愚人謂わくは利佗を先とせば自らが利省れぬべしと、爾には非ざるなり、利行は一法なり、普ねく自佗を利するなり。


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No.321  2003.09.25

幸せの青い鳥

私たちは誰でも幸せを求めています。しかし一方、幸せって何?と聞かれても、即座に答えられない事も確かです。『裕福、自由、名誉、健康のすべてを手に入れることが出来たら幸せである』と答える人もあるかも知れませんが、『いや、どうもそれだけでは幸せとは思えないのではないか、やっぱり、生き甲斐が必要である』と言う方もおられるでしょう。『兎にも角にも、こうして毎日平凡な生活が繰り返せているそれ自体を幸せに感じて生きていくべきではないか』と自らに言い聞かせている方もおられるでしょう。

幸せとか、平和は私たち人間の最大のテーマである事を否定される方はいないと思います。しかしながら、毎日幸せを目指して仕事をし、勉強し、子育てに邁進しているのが、人生でありますが、幸せを掴んだと言う人に廻り遭ったと言う経験を持つ人もまた極めて少ない、否、皆無に等しいと言わねばなりません。

実際のところ、数千万円のお金を手に入れても、幸せは瞬間です。一生懸命子供に学費をつぎ込んで一流大学から一流企業へと進ませても、それが我が幸せに結び付く事はありません。日本のトップである首相も幸せには見受けられません。皇室の雅子様も手放しの幸せかどうか思いやられます。

イギリスには、一日の幸せを求めるなら、床屋へ行け。 一週間なら、結婚せよ。 一ヶ月なら、新しく馬を買え。 一年なら、新しく家を建てよ。 一生涯なら、正直人間になれ。と言う格言があるそうです。正直人間が一生涯の幸せを得るかどうかは別に致しまして、永遠の幸せはなかなか手に入らないと言うことだと思います。

『幸せの青い鳥』は、メーテルリンクと言う作家が1900年初頭に書いた童話として有名ですが、日本語に翻訳して紹介した堀口大学という文化勲章受章作家は、「あとがき」の部分につぎのように述べています。

  「万人のあこがれる幸福は、遠いところにさがしても無駄、むしろそれはてんでの日常生活の中にこそさがすべきだというのがこの芝居の教訓になっているわけです。夢さながらの美しい舞台で、詩のようになだらかで詩のように意味深い言葉で作者はこれを語っています」
また、作家五木寛之は「青い鳥のゆくえ」(1995年7月、朝日出版社)においてチルチルの最後の言葉を次のように理解しています。つまり、人間にあらかじめ用意されて手渡されるようなレディーメイドの青い鳥などというものはないんだ。そして、青い鳥は必ず飛んで逃げていってしまう。けれども人間にはどうしても青い鳥が必要なんだと。この三つのことが語られていると思うんです。と言っているそうです。

結局、幸せの青い鳥は何か、何処に居るかと言う結論を、文学界或は一般の識者では誰も出し得ていません。その質問に対する答えは、やはり宗教に求めるしかないと考えますし、私は、私達一般人に実現可能であり、そしてはっきりと答えを出しているのは、仏教しかも親鸞聖人の教えではないかと思っています。

幸せは、自分の外部に求めるものではない事は確かだと思います。衣食住をいくら追い求めて豊かにしても、幸せを末永く感じることは出来ません。幸せは、きっと心が感じるものですから、幸せは、私の心の中に求めるしかありません。

私の心の中と言いましても、こころの構造は、単純ではありません(仏教で考察する心の構造に付きましては、法話集にアップした井上先生の法話をご参照下さい)。私たちの言動を支配していますのは、『末那識(まなしき)』と言う潜在意識とも言う表面に現れていない心であると考えられています。 私たちの心の有り様として、理性と感情と言う事が言われますが、『末那識(まなしき)』は、どちらかと申しますと、感情と言うニュアンスに近いと思います。

これは、前回の木曜コラムで我執と言う事を考察致しましたが、この我執が感情の本体です。『自分が一番可愛い』『他人には良く見られたい』『他人に勝ちたい』『死にたくない』などの感情です。日頃私達は、このような想いを意識はしていませんが、寝ている時も意識されている無意識の意識だと言われております。しかし、仏教では、この我執を消し去れば、永遠の幸せが得られるとは申しません。少なくとも、親鸞聖人のお教えは、我執とか煩悩を否定していません。

この我執を源として起こる煩悩を手掛かりとして、私自身の心が、永遠の生命に目覚めるのです。煩悩というものは、宇宙の真理・真実(この働きを擬人化して仏様と言う)が私に働きかけているドアノックのようなもので、そのノックを手掛りとして、生かされて生きているわが身の尊さに目覚め、煩悩を抱えたままに、不退転の(もう不幸には戻る事が無い)幸せな生活が始まるのだと思います。

親鸞聖人は、それを、不可称、不可説、不可思議の出来事だと言われておられます。

一般の方々は、煩悩や、欲望を無くせ、坐禅をして無我になれ、と言うのが仏教だとも思われている向きが多いと思いますし、南無阿弥陀仏と言うお念仏を、キリスト教の神様へのアーメンと同様、仏様へのお祈りの言葉と受け取られていると思いますが、そうではなくて、煩悩も欲望も含めて、私達を生み出し、生かしている宇宙の働き(お釈迦様をこの世に送り出した事も含めて)に対して、感謝の心を持たざるを得ないと言うのが、大乗仏教の立場でないかと思います。

1年前のコラムで、厳しい現実として私の状況を申し述べました。妻も、パート勤務に出て丸1年になります。と言う事は、私が日常生活の食料・日用品の買い物、夕食の準備をし始めて、丸1年になったと言う事です。この間、住宅ローンの軽減措置交渉、車ローンの借り換えによるローン減額、借家としていた住居の売却、工場の移転・縮小、税金の支払いに関する税務署との交渉など、色々とございました。

会社の再生に関する製品開発面におきましても、韓国まで出向きましたし、十数社以上との交渉もありました。私たちの日常は変化がないものと感じていますが、振り返りますと、確実に状況は変化しております。これは皆様方におきましても、言えることだと思います。

境遇は、刻々と変化致します。凡夫にとりまして良いと思われる方向に参る事もありましょうし、都合が悪い、面白くない、避けたいと言う方向もありましょう。私も、或は倒産・破産と言う境遇を迎えるかも知れません(現状が変わらねば、可能性は高いです)。そうなりますと、私達夫婦も、息子の5人家族も、今住んでいる家を出なければならないでしょう。

誰しも、世間的に見まして、不幸な結果を望みませんが、与えられた境遇を素直に受け取り、その境遇に意味を見出して、その境遇において、世の中のお役に立って行かねばならない、それが、親鸞聖人も歩まれた道だと思いますし、そうありたいと考えております。親鸞聖人は、34歳で、越後に流罪となられました。京都から独り歩いて越後に赴かれました。当時は全く無名の一介の坊さんであった訳ですが、『越後に流されるのも、仏様の御命令』として前向きに受け取られたとの消息がございます。親鸞聖人にとっては、すべてが障害にならなかったと言うことであります。この親鸞聖人の立場は、良寛様の、『災難に逢う時は災難に逢うがよく候、死ぬる時は死ぬがよく候』と言われたご心境に通じるのだと思います。

どんな境遇をも、私に必要な勉強の場と受け容れて、人々のお役に立ちたいと言う心が芽生えた時、青い鳥を掴まえたと言うことになると思います。


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