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唯識の世界


33.大随煩悩の検証―散乱(さんらん)

『散乱』を広辞苑で調べますと、「唯識でいう随煩悩の一つで、凡人の心が六塵(ろくじん、認識対象)によって散り乱れ、一箇所に止住しないこと」とあります。檻の中の猿が、興奮した時に、檻の金網に飛びついたり、木の枝から枝に頻繁に飛び回るのと同じような凡夫の精神状態を言うのだと思います。

大随煩悩の一番最初に勉強した『掉挙(じょうこ)』とは、心が平静でないところが共通しているようであります。

私の性癖だと自覚している「せっかち」は、この『掉挙(じょうこ)』と『散乱』の二つの大随煩悩から来ているのか、或いは、セッカチと言う根本煩悩があって、そこから出ている随煩悩かどちらかだと思われます。

セッカチな人とゆったりした性格は、どうも生まれ付き決まっているように思えてなりません。

太田久紀師の解説:
『法相二巻抄』には、
    心を散らし乱する心なり。
といわれている。
<こころ>が散る、<こころ>が定まらないのである。散漫で落ち着かないといってもよかろう。フラフラしているのだから、本人自身は落着きのない散漫な生活を送ることになるが、そうかといって、他人に危害を及ぼすほどのことはない。しかし、清澄な統一された前進力にはならないから、<大随煩悩>の中に含めるのである。<散乱>とよく似たのに、さきほどの<掉挙(じょうこ)>がある。<こころ>が落ち着かないという点では共通であるが、違う点もある。どこが違うのであろうか。

『大毘婆沙論』には、
    不寂静の相を掉挙と名づけ、非一境相を心乱(散乱)と名づく。
とあり、『百法問答抄』にも、その違いを、
    彼(掉挙)は解を変えしめ、
    此(散乱)は縁を易(か)えしむ。

と同主旨の説明がみられる。つまり<掉挙>は、<こころ>それ自体が落ち着かない状態であり、何事かを思いつめて、一人で興奮している様子である。病院で何時間も待たされてイライラしていたり、昼間のけんかを思い出して、夜、寝床の中で、ひとりで腹を立てているのなども<掉挙>の一つであろう。修行中にも当然ある経験である。修行にのぼせるのも<掉挙>だ。

それに対して<散乱>の方は、対象がくるくる変わって落ち着きがない状態である。いま何かを考えていたかと思うと、次の瞬間には関連のないことを気にしている。 <掉挙>が内面の興奮であるならば、<散乱>は、対象への移り気である。何れも精神の浮動不安定である。

―引用終わり

夜眠りに入る前に、その日にあった出来事や、日ごろから気になっている事などが、次から次へと出て来て、なかなか眠れない夜があります。まさに心の散乱状態です。この心が内面に隠れているからよいようなものの、もし、映像になって外部に映し出されるとしたら、恥ずかしい想いをするのではないかと思うことであります。

昔、受験勉強をしている時、数学を勉強している時は、英語が気になり、英語を勉強している時は数学が気に掛かると言う経験をしました。今向き合っていることに集中出来ない、「心此処に非らず」と言うことは、今でも常に経験するところであります。このこと自体は、他人さまに直接的には迷惑をかけるものではありませんが、当の本人は、この煩悩故に、苦しい思いを致します。大随煩悩に分類される所以なのでしょう。

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