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唯識の世界


24.小随煩悩の検証―まとめ

まとめ

小随煩悩10の検証が終わったところで一服します。だらだらと煩悩を列挙して勉強して来ましたが、唯識の中の勉強であることをついつい忘れそうになります。小随煩悩は、私達が意識出来るものであります。意識は出来ますが、これを意識的に滅する事は出来ません。それは、この随煩悩が第六識の6根本煩悩から出ているのですが、それは更にマナ識と言う無意識層から出ているからであると唯識は考えます。

おさらいとして、10小随煩悩を列挙し、夫々が6根本煩悩の中の貪・瞋・癡とどのような関係になっているか学びたいと思います。

忿(ふん)・・・いかりの爆発
(こん)・・・うらみ、陰性のいかり
(ふく)・・・自分の名誉・利益を守るために、罪を一生懸命おおい隠す心
(のう)・・・気に入らないことに対して、一人で腹を立て、一人で悶々とする心
(しつ)・・・嫉妬心(しっとしん)
(けん)・・・ものおしみするケチ根性
(おう)・・・自分の利益の為に相手をたぶらかし、自分を売り込んでいく心
(てん)・・・人の心を自分の方にむけさせるために、心にも無く、へつらう心
(がい)・・・人の悲しみの分からぬ心
(きょう)・・自分をおごりたかぶる心

1.を根元とするもの 覆、慳、誑、諂、驕
2.を根元とするもの 忿、恨、悩、害、嫉
3.を根元とするもの 覆、誑、諂

なお、貪(とん)とは、貪(むさぼ)る心、瞋(じん)とは、いかり、癡(ち)は、おろかさであります。

この小随煩悩を勉強しながら、親鸞聖人の『煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫』と自らを表現された言葉を思い浮かべました。煩悩具足とは、煩悩を一つのこらず具(そな)えていると言う事であります。おそらく、親鸞聖人も、この唯識の随煩悩を一つ一つ吟味され、すべてご自分の心の中に具えていることに思い至られたのだと思います。

この随煩悩は、他人事ではなく、私達凡夫は必ず自分の心の中に抱えているものだと思います。自分には関係無いと思う限りは、まだまだ凡夫の自己を見詰める仏心には回り逢えてはいないと思わねばならないと思います。

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