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唯識の世界


20.随煩悩の検証―F(誑(おう))

7.誑(おう)

誑の訓読みは、「たぶら(かす)」であります(広辞苑での説明は「だます、まよわす」)。 「自分は、他人様をだますなんて事は絶対にしていない」と大方の人は主張されるかも知れませんが、それは、自分の煩悩が見えていないからだと唯識は考えます。煩悩の無意識性の恐ろしさではないでしょうか。

大田先生は、「私たちは、人をたぶらかして生きている」と断言されています。例えとして適切かどうか分かりませんが、猥褻(わいせつ)行為を犯した学校の先生、警官、公務員についての上司・同僚の感想は常に「あの真面目で仕事熱心な人が・・・信じ られない」であります。おそらく、それは表面に現われた人格を正しく評価したものでしょうが、それ程、本性をうまく隠す能力を私達が持っていると言う事だと思います。

自分でも気が付いていない本性は勿論、気付いている本性をも化粧で隠して世間を生きている事を否定出来る人は先ず居ないでありましょう。

太田久紀先生の説明:
   相手をたぶらかすこと。
       『法相二巻抄』には、
           名利を得んがために、心に異なるはかり事を廻(めぐ)らして、かたましく(姦ましく、偽りの心を持って)徳ありと顕わす偽り心なり。
       とある。
自分の利益のために相手をたぶらかし、自分を売り込んでいくことである。相手の<こころ>を乱すところが、<諂(へつらい)>と違うところだ。

私たちは、人をたぶらかして生きている。お化粧をしたり、おしゃれをしたり、名刺に肩書きを並べてみたり、<誑(おう)>はいたるところにある。別にそんなに自分を飾らなくとも、ありのままでよいではないか、そう思いながら、知らず知らず人の目を誤魔化そうとしている。

この誑(おう)の心所を考えるたびに思い出す一つの話がある。玄沙師備(げんしゃしび)禅師(835〜908年)の話だ。

この方は一生、雪峰山(せっぽうざん)の真覚大師に随侍した人である。一人の師、ただ一人の師のもとで修行をしたのである。その頃、修行者は諸国を行脚しながら、師を求め道を問うた。それが普通のあり方であった。玄沙さんは、それをしなかった人である。諸国に師を訪ねるのもすばらしいが、ただ一人の師に生涯をかけて、右顧左眄(うこさべん)しないのもよい。師とともに生死をともにするのである。

その玄沙さんが一度、雪峰さん(真覚大師の通称)のもとを辞して諸国修行に出ようとしたことがあった。師匠に"いとまごい" をして旅に出て、まだいくらも行っていないところであった。足を石にぶつけてしまった。思わず「痛い!」と叫ぶ。玄沙さんに一つの証悟があった。仏教では、この身は空(くう)だという。空であるこの身が何故痛いのか。この事件は玄沙さんにとって重大な意味を持ったようだ。くるっと廻れ右をして、玄沙さんは、再び師匠の所に帰ってくる。

出掛けたばかりの玄沙さんが帰ってきたのである。「おい、どうした」と雪峰さんは問う。 その時の、玄沙さんの答えが素晴らしい。そこに誑(おう)が出てくるのである。
           終に敢えて人を誑かさず
と言うのである。「ありのままだ」とでもいってよいのであろうか。禅僧の問答というものは、論理的なものではない。どこがどうつながるのか、わからない。ここでは、人を誑かさないという言葉の重さを受け取ればよいだろう。

飾ることなく、誤魔化すことなく、ありのまま、そのまま生きればよい。それこそが自分の正体なのだから。それに付け加えるべき何ものがあろうか。自分が人にどうみられようと関係ない。自分は自分だ。人を誑かさずだ。自分の人生を生きればよいのである。

本来そうであるのに、それを障(さまた)げ、実物以上の自分を見せびらかそうとする。それが誑(おう)煩悩である。

―引用終わり

他人を誑(だふら)かして生きている事を認めないわけには参りませんが、もっと問題だと思うのは、自分をも誑かして生きてはいないか、と言うことではないでしょうか。まことにお粗末な人間であるのに、他人を誑かしているうちに、自分をも誑かしてしまうことがあることに気付かされます。

私は今、無相庵ホームページでお釈迦様の教えを伝えておりますが、お伝えさせていただいているだけであり、自分の本性は、お釈迦様からは実に程遠い人格であります。しかし、何時しか勘違いをして、自分が法を説いているような錯覚に陥り、実はお粗末限りない実態であるのに、立派な人格を演じてしまうことが無きにしも非らずであります。

世間を生きてゆくためには、時には他人を、そして自分をも誑かすことも必要だという考え方もありましょうが、この誑(おう)煩悩を独り歩きさせないように、自己を戒めながら生きてゆくことが大切なのだと思います。

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