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◆ ◆ ◆ 唯識の世界 ◆ ◆ ◆
16.随煩悩の検証―B
3. ごまかし【覆(ふく)】
"ごまかし"と云う言葉は何か心苦しい響きがあります。と言うことは、私自身が犯して来た想いがあるからに相違ありません。しかし、具体的な事例を思い起そうとしましても、何故か想い浮かびません。と言うことは、全く身に覚えが無いと云うよりも、常にごまかしているからかも知れません。常に自分を良く見せる為に、努力している自分が見えて来ます。
この随煩悩も又、私には強烈なパンチです。私は意識としては真実を求めていますし、ごまかす人生を送りたく無いと言う意志は働いていますが、結局は、人にはよく見られたい、感じ良く思われたい、厳しく問い詰めますと、私の日常はごまかしの生活なのだなぁーと反省させられます。聖徳太子様が、「世間虚仮唯仏是真」と言われたお心は、他人とか世間一般を歎かれたもではなく、人間の持つ"ごまかし"と言う随煩悩を我が身に、我が心に感じられてのお言葉では無かったかと想います。
太田久紀先生の説明:
『法相二巻抄』には、
名利を失わんことを恐れて、つくれる罪を隠すなり。罪を隠す人は、後に必ず悔い悲しむ事有り。
と言われているように、自分の名誉・利益を守るために、罪を一生懸命おおい隠すのが<覆>である。隠せば必ず苦労する。
この<こころ>の根本は、<貪(むさぼり)>と<癡(おろかさ)>である。自分の名利に対する<貪>が一つの根底にある。そして、自分の悪を隠しおおせると思っている。<癡>なのだ。人の目をくらましたり、法の網をくぐり抜けることは出来るかもしれない。しかし己れの眼を逃げることは出来ない。
わが咎(とが)、我心に見られては、ゆるす事なし。(至道無難禅師『即心記』)
『法句経』にも、
空にありても、海にありても、また山間の窟にいりても、
世に罪業より脱(のが)るべき所なし
おおい隠すことの出来ぬものを、隠せると思う。<癡(おろか)>な人間の一面であろう。
己れの罪を隠さない。それが「発露白仏(ほつろびゃくぶつ)」である。仏の前に懺悔するのである。
―引用終わり
JR西日本が起こした事故も、次々と起こる事件によって、風化されつつあります。マスコミの姿勢によるものでもあり、また私達視聴者も、新しい事件・事故に目移りすると言う性癖を持っているからでしょう。もう1ヶ月もすれば、JR西日本の事故に関するニュースはマスコミ報道から完全に消え去るでありましょう。
私は今回の事故が起きた真因はJR西日本の安全第一主義では無い体質から発生したと考えていますが、ひとりJR西日本だけの問題ではなく、日本企業の全部、そして日本国民全体が、安全第一主義でなくて、効率第一、利益第一、損得第一で突っ走って来た結果だと認識すべきだと考えています。安全第一と言う意見に異議を唱える人はいませんが、その異議を唱える人も、現実的には、安全第一の行動は取っていないと想います。安全第一ならば、もう車は運転出来無いはずです。交通事故死者は、年に1万人です。今回の列車事故とは比較出来ない位の大問題です。対面通行、追い越し車線の存在、そして自動車のスピードは運転者の自由裁量に任せられている現状を鑑みる時、とても、安全第一が基本で国家が運営されているとは言えないと思います。
国土交通省も、分かっていながら、真実を語っていません。また、今回の事故列車に乗り合わせたJR西日本の運転手2名の反省の手記が新聞に掲載されていましたが、運転手個人の本当の気持が書かれているとは、とても読み取れませんでした。4号車に乗っていたと言う運転手の手記の中に、「現場に残るとが出来なかった判断の甘さとこれでいいのかという思いが出勤の途中に何度もあり、時間がたつにつれ日頃から安全と人命を守ることを教えられていながら出来なかったことは一人の人間としての愚かさ、後悔がますます強まり心苦しい毎日です」とありますが、私も大企業のサラリーマンをしていた経験からして、この手記がJR西日本の経営者・管理者のチェックを受けていないはずはなく、"日頃から安全と人命を守ることを教えられていた"と言う文面は上司から書かされたものだと考えられるのが、世間一般の受け取り方だと思います。この運転手さんも、本当に心から後悔はされていると思います。しかし、組織の所属するサラリーマンとしては、真実を語れないのだと思います。
この運転手さんもJR西日本の経営者・管理者も全員が真実を語らず、"ごまかし【覆】"に終始していると思います。真実が語れないのが、組織で働くサラリーマンの宿命と言っても良いと、サラリーマンをしていた私、そして、小さな企業の経営者として大企業と渡り合うなかで数々の歯痒い経験をした私はそう分析しています。
厳密な意味で、"ごまかし【覆】"を一切せずに人生を渡っている人は極めて稀ではないでしょうか。でもせめて、その自分自身の随煩悩【覆】を時折自覚し、自己を見詰めなおしたいものであります。
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