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唯識の世界


5.唯識と守・破・離

前項で、唯識の要(かなめ)とも言える『八つの識』を勉強いたしました。これから夫々の識について、学んでゆきたいと思いますが、その前に、唯識を勉強する上で、どうしても忘れてはいけない事、心得ておかねばならない事があると思います。唯識を学びながらも、ついつい唯識の真髄から離れてしまう可能性があると思うからです。

なかなか本題に入らないことに、いらいらされる方もおられるかも知れませんが、この唯識を確実に自分のものとし、私自身が勉強の為の勉強にならない様に、ゆっくりと進めて行きたく思いますので、ご容赦下さい(急がれる方、また、独自で勉強されたい方の為に、私が現時点で参考書としている本を末尾に紹介致しますので、自習して頂きたく存じます)。

表題に掲げた守・破・離(しゅ・は・り)と言いますのは、江戸時代の茶道の大家が言い始めたもののようですが、習い事をする上での心構えと言うもので、その後広く日本の武芸に使われるようになりました。この考え方は、既に武芸・スポーツに留まらず、ビジネスの仕事を習得する心構えにも応用されております。守・破・離とは、下記の3段階を申します。

私は、唯識を学ぶ上では、この守・破・離が特に且つ非常に大切な誡めだと思っています。守・破・離と言うのは、最終的には「捉われるな自分自身のものとせよ」と言う誡めでありますから、この守・破・離の考え方こそ唯識そのものだと申してもよいのではないかとすら思います。ただ、一言付け加えるならば、守・破・離の離というのは、師の教えとかけ離れねばならないと言うことではなく、師の教えるところと同じでもよいのである。しかし、師の教えを破る段階を経た上での結果としての『離』が求められていると思います。

捉われるなと言う事に付きまして、具体的な説明を5−1項で説明致します。そして、5−2項では、これから唯識を学ぶ筋道をお示し致しました。

5−1唯識を学ぶ上での心得たい事

  1. 唯識は「ただ心だけで実体があるとは言えない」と言う考え方ですので、言葉で語ること自体、既に固定化して、観念化された言葉に囚われてしまうと言う矛盾が起ります。例えば、『阿頼耶識』と言う名詞を使ってしまいますと、『阿頼耶識』を観念化し固定化してしまうと言う間違いを起こしてしまいます。また『唯識』という言葉に付きましても同様の観念化・固定化してしまうおそれがあります。これは言葉と言う伝達方法を生み出した人間の宿命でもありますが、観念化・固定化に陥りやすい自分である事を客観的・大局的に認識しながら学んでゆきたいと思います。

  2. 唯識は、何と申しましても、お釈迦様の教えや心境を理論的に分析追求して出来あがったものだと言えます。従いまして、唯識を学ぶ目的は、唯識と言う学問を知るところにあるのではなくて、お釈迦様と等しい境涯に至るためであると思います。そして、お釈迦様の境涯に関しても観念化・固定化する事なく、究極的には、自分自身も含めて人間社会全体が心身共に自由になる事が理想であり目的であると思います。少なくとも、私はそう言う目的で学んで参りたいと思っています。

5−2唯識を学ぶ道筋(予定)

  1. 唯識の根本哲学(お釈迦様のみ教えの基本)
  2. 阿頼耶識とは?
  3. 末那識とは?
  4. 第六意識とは?
  5. 前5識とは?
  6. 唯識が考える煩悩(4つの根本煩悩、6大根本煩悩、20の随煩悩)について
  7. 悟りへの段階と、その方法
  8. 禅と唯識
  9. 親鸞聖人と唯識
  10. 唯識から現代社会へのメッセージ

5−3唯識の参考書(これから増えると思います)

  1. 唯識のすすめ』(NHK出版)岡野守也【1120円】
  2. 唯識の読み方』(大法輪閣)太田久紀【3700円】
  3. 唯識で自分を変える』(すずき出版)岡野守也【1700円】
  4. 「唯識」という生き方』(大法輪閣)横山紘一【1800円】

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