『洋菓子の経営学』―「神戸スィーツ」に学ぶ地場産業育成の戦略(出版:プレジデント社)
著者:森元伸枝(神戸大学大学院経営学研究科リサーチフェロー)解説:加護野忠男神戸大学大学院教授
第三章 洋菓子業界を育てる「縁の下の力持ち」
いくら腕のいいパティシエがいても、いくらよい顧客がそろっていても、スウィーツのおいしさを決める原材料がなければおいしものにならない。 神戸には、そうした企業がパティシエとコミュニケーションができる距離におり、パティシエたちの感性や「わざ」を刺激する食材を数多く提供している。
増田製粉所
よい食材を提供する企業のひとつに、増田製粉所という製粉会社がある。
製粉会社といえば、日清製粉やニップン(日本製粉)などの名前を挙げる人は多い。増田製粉所という名が出る人はかなりの粉通の人か、あるいはケーキ通の人だといえよう。 ご存知のように、ケーキには小麦粉は欠かせない(近頃は小麦粉の代わりに米粉も使われたりしているようだが)。そのケーキ用の粉としてつくり出されたといっても過言ではないのが「宝笠」というブランド名がついている薄力粉である。増田製粉はこの「宝笠」という薄力粉を生産している。そのため、ケーキの味にこだわりのある人であれば、必ず増田製粉の≠ニいう名前が出るのだ。
神戸の洋菓子の歴史において、はやくから洋菓子という存在を知らしめ、伝統的な味を今日にも伝えている亀井堂は「亀井堂瓦せんべい」用特注小麦粉、同じく本高砂屋は「エコルセ」用特注小麦粉を増田製粉に注文している。有馬名物の炭酸せんべい、伝統と格式のある宝塚ホテルの洋菓子、エーデルワイスが技術提携したベルギー皇室御用達ヴィタメールの「フィナンシェ」、ケーニヒスクローネの「クローネ」にも、増田製粉所の薄力粉が使われている。そのほか、神戸の戦後間もない時代からの老舗である元町ケーキ、ボックサン、その後に創業したフーケ、今日のおしゃれな「神戸の洋菓子」を全国的に知らしめているアンリ・シャルパンティエ(2008年9月よりアッシュ・セー・クレアシオンに社名変更)においても増田製粉は絶賛されているのである。また、神戸発ではないが「長崎文明堂のカステラ」も同じく増田製粉の粉である。
「そりゃあ、いつか増粉さんで、自分とこのケーキのためだけの特別な粉をつくることができればと思います。でも、それには、それだけの量がはけるようにしないといけませんからね。つまり、お客さんがそれだけ買ってくれなあきませんからね。それをまた継続的に買い続けてくれる商品でなければ難しいですね。そこの店の名前がでたら、その商品名がすぐに思いつく、そんな商品でないとね。ですから、増粉さんで、自社粉をつくってもらうのは、夢ですね。」(「フーケ」上野一郎氏へのインタビューより) なじみのある菓子には増田製粉が用いられていることに気づく。パティシエやケーキづくりにこだわりのある人は「増田のあの粉でないと、この商品はできない」という人も多い。しかし、増田製粉という製粉会社の名前を知っている人はそう多くない。
ブランド薄力粉「宝笠」
神戸市長田区に本社を置く増田製粉所は、従業員132名、2008年3月期の連結売上高は約89億円の製粉会社である。 小麦粉は大きく強力粉、中力粉、薄力粉の三つに分けられる。大手の製粉メーカーは、使用量の多い麺やパンなどに用いられる中力粉や強力粉で多くの売上を占めている。ところが、増田製粉の場合は、売上の約65%が薄力粉である。薄力粉を主力とすることで、他社との差別化をおこなっているのである。しかし、薄力粉を用いた料理といえば、天ぷらやケーキなどに代表されるように、単位当りの使用量は強力粉や中力粉にくらべて少ない。値段は他社メーカーの薄力粉が100グラム【(転載者の注)1000グラムの間違いでは?)】につき300円前後、増田製粉の一押しの「宝笠」でも310円や320円で、若干高いぐらいである。にもかかわらず、増田製粉の売上がよいというのは、ここの小麦粉の質がよく、そのことをわかっている人が愛用しているということである。
増田製粉所の「宝笠」は、増田製粉所の製粉技師たちにより、大正時代から商品開発を繰り返すことでできた薄力粉である。今日の「宝笠」の土台を成したのは、戦後の配給時代のことだそうだ。こんにち「宝笠」製造に携わる職人のひとりである製造部長の松岡弘貫氏から「宝笠」の話をしてもらった。
「当時は、食べるものが少なかったからね。多くの製粉メーカーは、主食となるパン用の強力粉に力を入れてたみたいです。でも、増粉はそんなときも、菓子用の薄力粉を研究し続けてたんです。それは、戦前から関わりのある、カステラで有名な『長崎文明堂』さんとのことだったんですけどね。当時、増粉でも食料が少ない中であってもより栄養のあるものを食べてもらいたいという思いもあって、卵という栄養価の高い原材料でつくれるカステラに目を向けていましたね。それで、増粉もどうやったらグルテンの活性を抑えられるか・・・。グルテンを抑えた方がきめの細かいカステラになるからね、研究してたんです。研究はずっと続けてますが、とにかくできる限り品質の高い、より安定した状態の粉を提供するにはどうすればいいかを追求するという教えの賜が宝笠なんです。」(松岡氏へのインタビューより)
後に述べるが、この「安定した状態の粉を提供する」ことこそが「宝笠」をつくる職人の「わざ」である。
「一生ここで骨を埋めるつもりで」
日清製粉や日本製粉が販路を拡大する際にとった手段のなかで、大きな特色として挙げられるのは合併・買収である。「日清製粉百年史」の中にも、「そのほとんどは本業の製粉事業の拡大であり、合併によって同業他社と競争するに充分な規模を備えるとともに、成長のための栄養素を取り入れてきた」と書かれている。両社とも販路拡大による市場シェア・事業規模拡大のために度重なる合併を行ってきた。
増田製粉所は神戸に創業以来、一度も買収・合併にあわなかったし、買収や合併をすることもなかった。しかし増田製粉の販路は全国区にまで伸びている。増田製粉所はすでに砂糖商でつながっている販路を利用することに力を注いだ。 買収・合併は、社員にとって心理的ストレスである。一緒に仕事をすることになった人たちとの軋轢もある。価値観や規範の違いなど、すでに自分たちが当然だと認識していたことが相手に伝わらないという問題が生じるのである。こういう問題は明文化できないことが多いので、対処しづらい。買収や合併による新しい他者との相互期待が、一方的な押し付けになったりする。協働への信頼度の低下は、生産性を下げ、成果への影響をおよぼす。だが、増田製粉所においては、合併・買収を行わなかったため、このような問題に関わることがなかった。他者とのストレスが少ない増田製粉所の歴史は、会社が社員を大切にするという伝統を生み、社員の愛社精神を育んでいる。
たとえば、職人の引き抜きである。わが国の製粉会社ではどのメーカーでも同じ小麦を使用している。設備を整えて職人を引き抜きさえすれば、どこのメーカーでも「宝笠」ができるはずである。そんな優秀な職人が引き抜かれる心配はないのかという質問に対して、増田製粉所の社長山田稔也氏は、次のように答えた。
「そういう問題は今までなかったし、これからもありませんね。ここで働いている職人さんは、一生ここで骨を埋めるつもりで働いているんじゃないですか。職人さんはみんな、本当に一からたたき上げてきたっていうんですか、厳しさに耐えてきた、そんな人ばかりです。決して手を抜かないという熱心さがあるんです。ですから、自分たちと一緒にやってきた人を裏切るとかはしないんじゃないですかね。それが社風なんですかね。自分たち増田だけでやっていくというのは明治時代から受け継いでいますね。何ていえばいいのか、昔の武士のような精神っていうんでしょうかね。愚直という言葉が相応しいんでしょうかね」
製造部長の松岡氏は増田製粉所の居心地の良さに大変満足している。
「まず、この『宝笠』を扱わせてもらっている限り会社は裏切られませんな。自分たちの責任いうのは100年の中の一端を担っとうだけですからね。先代から受け継いだ『わざ』を受け継ぎ、受け継いだものを後へ継がすというのが私らの責任ですわ。
仮に大手さんに引き抜かれてどんな設備つくってもらっても、私一人じゃ、どないもしようが ないんです。さっきもいいましたでしょう。『宝笠』を扱っとう三人が寄ってはじめて一人前なんですわ。おおざっぱなことは一人でもわかるものの、おおざっぱじゃ『宝笠』はつくられへんのですわ。
それに私らみんなこの増田の社風が好きでね。なんせ、仕事しやすいし、チームワークが抜群なんですわ。同じような価値観を持ったモンが集まってて、同じ目的を持っててね。8時間は仕事を一生懸命やる。でも、仕事が終わったら、みんな仲間ですからね。私の部長という役職もそれは、会社から与えられたものにすぎないんです。仕事終わったら仲間とワイワイいうて楽しむ、それがこの増粉(マスフン)カラーなんです。この色以外には染まれませんなあ」
総務の堀井美千代氏が述べた「大量生産して、たくさん売れたら大手さんみたいに給料もいっぱいもらえていいんでしょうけど(笑)、でも、増粉の基本は今の現状をきちんと維持していくことなんです」という言葉こそが、増田製粉所の企業理念であろう。現状維持、つまり現在の顧客を満足させ続けることが増田製粉所の社会的使命なのである。
食材ネットワーク (加護野教授の解説)
森元さんによれば、神戸のケーキ業界の発展を支えてきた大事な一つの要素は、食材調達ネットワークである。神戸は古くから国際貿易港であったので、世界中から食材を調達する専門商社が生み出されてきた。UCCはコーヒーの輸入商社から発展した会社である。同じくコーヒーの輸入商社から綜合的な食材商社になったのが石光商事である。 明治時代に創業され、その後総合商社になり、過剰な拡大政策によって破綻した鈴木商店も、もとは西洋式砂糖の輸入専門商社であった。日仏商事は、パンのドンクがつくった食材輸入商社である。
輸入された食材を、職人が使いやすいように加工する加工業者も神戸にはある。その中には、増田製粉所のように、神戸のケーキ産業にとって不可欠な業者もある。増田製粉所は、鈴木商店と同じように明治に創業された古い会社であるが、事業を多角化した鈴木商店とは違って、製粉一筋で存続してきた会社である。ケーキに適した高品質の小麦粉を作る技術とノウハウを持つニッチ企業である。このようなニッチ企業がさまざまな分野に存在している。