現代の病理とその処方
マスコミの功罪

米沢英雄先生

人間の非人間化は、現代人すべての病いでありますから、現代の何処を切ってみても、その切り口に症状が出ているわけであります。試みに現代の花形で、最も馴染み深いマスコミを例にとってみましても、 あのマスコミで流れるニュース、あれは活字でなく生きた人間の肉声で流されるにもかかわらず、実に冷酷なものであります。

修学旅行の中学生が湖水で大勢溺死した事件がありましたが。湖畔にかけつけて、子供の生死を案じている父兄に、報道陣は非情のマイクをつきつけて、感想を語らせている。その悲劇はどんな不謹慎な場 所にも一様に流される。これは甚だしい人間侮辱であると思われる。
中村吉右ヱ衛門が亡くなった時、その娘婿の某俳優は舞台で勧進帳の弁慶を演じていたが、幕が終わると同時に岳父の霊前にかけつけた。それもあわてて衣装を替え、化粧を落として自動車に乗ったそうで ありますが、報道陣はそれでは面白くないので、弁慶の舞台衣装のままかけつけたと勝手な脚色を加えたという。また岳父のところへかけつけても、ここにも報道陣が待ち受けていて、すぐには遺骸に会わ せてくれない。マイクをつきつけてまず感想を聞かれる。タネをとりに来た記者に対して、人気商売の悲しさ、早速お悔みにかけつけて下さってありがとうございますと、遺骸に別れも告げさせぬ相手に対 して、嘘の礼を言わねばならぬとは、甚だしい人間侮辱ではないか。しかも聴取者はこうして舞台裏のいきさつは知らぬのであります。これもまた甚だしい人間侮辱ではないか。こうして人間が非人間化し つつあるのです。

何故か。現代の使命とするニュースの提供、資本主義経済機構がこれを命じているのであります。私は何も資本主義を打倒せよと言うているのではない。社会主義になっても、非人間化という点に到っては 同じなのであります。経済制度を変革したくらいで救われる病状ではないのであります。

たとえばまた、テレビの普及と共に、それが子供にあたえる悪影響が問題視されている。問題視はされるが、ただそれだけであって事情は一向に改善されていない。依然としてギャングものが人気を集めて いるようであります。昔ならば、悪いと思うことは個人の意思によってやめることが出来た。個人は他とその点で無関係に生きることが出来た。しかし今日はアトム化が進むと共に、アトムとアトムが無 意識的に結び付いている。その結び付きが強いので、他と無関係に生きることが出来ない。自分ところでテレビを見せぬようにしても、街の何処でも氾濫しているために、子供は何処かで見る。見ていない と友達同士は話が出来ない。共通の話題をもつためにも、仲間外れにならぬためにも、テレビは見なければならぬ。見なければならぬというところに、現代の奇怪がありはしないでしょうか。

しかし、一面、面白い現象もあります。農村でもテレビが普及したために説教をやっても流行(はやら)らぬということです。以前には農村では、家を新築すると、その披露のために、近在の者を集めて説 教を開いたものです。別にまじめに、求道心があって聴いていたわけではないので、この頃ではテレビが面白くて、そんな造作な説教など聞く者がなくなったという。テレビの普及で浪花節まがいの説教が 駆逐されたとすれば、これは功罪のうちの功の方かも知れない。
またテレビは家中が見るために、老人と若い者の間に共通の話題をもたらし、家族と家族とを結び付ける作用もあるので、これも功の方に入るでありましょう。新しい家族のあり方を教育するプログラムも あるそうですから、説教以上の説得力をもっているかも知れません。

また、現代の経済の特徴は商品が市場に提供され、そこで競争されて価格が決まる。そこで市場で高価に売れれば成功したのであり、売れなければ不成功、市場がこれを決定するのだそうです。その市場に 提供されたのは、初めは勿論商品でした。ところがやがて労働力が売買されるようになった。果ては人間そのものが売買されるに到った。昔人肉の市といわれて、婦女が醜業のために売買されたことはあり ます。現代は大の男が売買されるのです。奴隷ではありません。たとえば野球の選手、歌手、あれは人間が売買されているのです。高く売れたら成功者なのです。

昔、青田売買というのがありました。お米が出来ない先に、青田のうちにその収穫量を売買するのです。投機であります。今日は人間の青田売買が行われています。大学在学中に会社から買いに来ておりま す。落ち着いて勉強も出来ないでしょう。何のために勉学しているのかわからない。学問はどうでもいいのかもしれない。学校のトレードマークだけでいいのかもしれない。学問というものの権威も落ちま した。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

無相庵の感想:
日本だけでなく世界が病状を悪化しているのは、マスコミに大いに問題があることは、私も世辞雑感で何回か指摘させて頂いています。米沢先生は、マスコミの功罪と言われて、功にも触れられてはいます が、取って付けたような感じが致しますので、半分皮肉的に仰ったのではないかと思います。今や、世界を動かし、世界に怖いものなし(一番怖いのは、視聴率かも)と云う状態のマスコミに何らかの規制 を掛けないと、米沢先生の言われる非人間化が野放しで進み、お金第一主義がますます進んでしまいます。




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