心の詩ー四季咲き
米沢英雄先生
●詩−桜―榎本栄一
ここ二三年
桜見るのを忘れていた
あるがままの自分を
見ているのが一番たのしい
自分の中には
桜よりもおもしろみのある花が
次ぎ次に 咲く
● 米沢秀雄師の感想
世の中は三日見ぬ間の桜かなとかいって、桜の花は咲いたと思うと散ってしまう。日本人なら誰でも桜が好きで
(花の下で飲む酒や団子の方かもしれないが)、桜を見て今年も春がきたという実感を確かめるのに、この人は
、二、三年も見たことがないという。そんなにご商売が繁盛で結構ですなあ、と世辞と皮肉をないまぜたような
挨拶が飛びそうだが、市井のまん中にいて、附近には桜がないのだろう。夜桜見物とかいって、わざわざ人混みに揉まれに行く気がしないのだ。年とって億劫になったわけでもない。つ
まりこの人は身体を運んでわざわざ目新しいものを探しにでかけなくても、一人いて結構楽しめるものを見付け
ているのだ。食道楽でも骨董道楽でもない。縁に触れて、その都度反応して現われてくる自分自身の姿が面白い
のだ。カッコいい自分ばっかりではないよ。人まえへ出すことをはばかるような自分が飛び出さんでもないけれど、そ
れがやっぱりあるがままの自分だ。これでも昔は自分の下等なものをいやしんで、おおいに修養してと向上心を
かきたてて苦しんだものだが、年のせいで気が弱ったのだと他人は言うかも知れんが、あるがままの自分が愛(
いと)しまれるようになったのだ。自己弁護のように受け取られるかも知れないが、自分に妥協しているのではないと思う。人間を超えた存在、仏
というのか、そういうところから見られている自分、それに隠す必要を認めなくなった自分が目覚めたように思
うのだがね。自分の中も無限でね。これからも何が出てくるのか、一面こわく、一面楽しみだね。● 無相庵の感想
人間観察が、それも自分の心が移りゆく一瞬一瞬の動きを観察するのが面白いのだろうと思います。それは多分
、自我が働き出る自分の心を客観的に観察出来る真実の自己に目覚めた人だけが楽しめるものではないかと思わ
れます。自我の満足を追いかけるだけの生活は苦しみだけしか味わえないものです。桜の花見も突き詰めれば自我の満足
の現れと言えるかも知れません。帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ