心の詩ー時が熟して

米沢英雄先生

●詩−赤い実のなる木―竹部勝之進

     赤い実のなる木に
     赤い実がなった
     木の満足

● 米沢秀雄師の感想
赤い実のなる木に赤い実がなったって、当たり前じゃないか。それがどうして木の満足にな
るの。金色の実がなったりすると、それこそすばらしくて、木は喜ぶだろうけど。ウム、面
白いことを言うね。金色の実がなると突然変異だろうなあ。突然変異がいいのかなぁ。君の
言う通り、赤い実のなる木に赤い実がなるのは、当たり前なんだな。だが、当たり前のこと
が当たり前になるのも容易なことじゃないんだよ。

日照りが続いて枯れたり、雨が降り過ぎて腐ったりして、実のならないこともあるよ。赤い
実がなるのは、その木のもっている素質というか、因だろうけれど、無数の縁がこれに加勢
しなくちゃ赤い実のなる木だって、赤い実をならせることは出来ないんだよ。

そう考えてくると、赤い実がなったというのは、その木にとって大満足にちがいないじゃな
いか。木は自分で喜んでいるだけじゃない。その無数の縁に感謝しているんだと思うな。だ
からこそ、赤い実がツヤツヤと光り輝いているんだろうなあ。

さっき突然変異って言ったけど、印度の昔、阿闍世という王様があってね。自分の父親を牢
獄に閉じ込めて殺したんだね。ひどい奴だね。これには深い事情があった訳だが、王は以来
自分のやったことが恐ろしくなって夜も寝られなくなる。誰が慰めても効果がない。そこに
耆婆(ぎば)という大臣が来て、王を救うものは釈尊だ、釈尊に会いなさいとすすめる。王
は耆婆と共に釈尊を訪ねる。この時はもう王の心に深い懺悔が目覚めていたんだね。この懺
悔が王を救ったのだ。

釈尊は王に罪あるなら、王の父を教化した自分にも罪があると言われた。その時、王がね。
極悪の自分が救われるとは、これは奇蹟だ。臭い木となる種から香りのいい木が生えたよう
なものだと言ったんだね。

つまり突然変異だ。実はこれも突然変異じゃなんいんだね。本来美しい心、仏の心をみんな
もって生まれてきているんだけれど、欲でね、欲に目がくらんで、美しい心が奥底へ圧しつ
けられているんだね。釈尊はそれを取り出されたんだね。赤い実のなる木には、やはりいつ
か赤い実がなるんだね。有難いね。

● 無相庵の感想
阿弥陀経の中に、「青色青光(しょうしき・しょうこう)」 「黄色黄光(おうしき・おう
う)」 赤色赤光(しゃくしき・しゃっこう)」 白色白光(びゃくしき・びゃっこう)」
と云う浄土の様子を詠った言葉があります。この竹部さんの詩は、おそらく、この阿弥陀経
を背景とされているのだと思われます。

当たり前のことが実は当たり前ではなく、尊い、美しいと云うことなのでしょうが、私たち
はその当たり前を喜べないものですね。何故でしょうか。それは多分、本来は真っ白な心(
現実の事実そのものをそのままに観れる仏様の心)を持って生まれたに違いありませんが、
煩悩満ち溢れる競争社会を生き抜かねばならない親に育てられ、自分もまたその厳しい競争
世間を生きる間に、煩悩と妄想に明け暮れる生きものになってしまうからでしょうね。

幼子の瞬間瞬間に笑ったり泣いたりする様子を見ていて、その純粋無垢さに思わず微笑んで
いる自分に気付く時に、「もう、あんなに素直になれないなぁー」と、元々は自分にも有っ
たに違いない仏様の心を思うのです。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ




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