心の詩ー彼岸の調和
米沢英雄先生
●詩−虫に―竹部勝之進
落葉に穴があいている
まるい穴が二つあいている
虫が喰ったのだ
虫よ うまかったか
● 米沢秀雄師の感想
色あざやかな落葉に心ひかれてひろってみる。残念ながら「欠陥落葉」だ。いたんでいなけ
れば本にはさんでしおりにするのに。虫が食ったんだな。ちょっと虫をにくむ気になっ
たが、そうだ、虫にとってはこれが食べものだ。これでかよわい命をつないでいるのだ。私たち人間は山海の珍味などとぜいたくいって、腹一杯食べた上にまだ土産まであてにする
ほど欲張っているが、虫はかわいいものだ。小さな穴二つあけただけで満腹して食卓を
はなれたんだ。葉っぱを食い、しかも少ししか食べられないのが、その虫の宿業とはい
え、いささかこちらが恥ずかしくなる。虫よ、うまかったかと、何処にいるかわからぬ虫に呼びかけたくなるほど、その欲の少ない
虫に親しみがわいてくる。食道楽なんて不届きなことは、無限の欲望をもっている人間にだけあることだろう。そのエ
スカレートしてやまぬ欲望のために苦しみ悩むからこそ、少欲知足(しょうよくちそく)
の教えも人間だけの話だろう。眼耳鼻舌身意(げんにびぜっしんい)の五感に訴える欲
望充足の製品が近来無制限に開発されてきた。が、なくてかなわぬものというと、存外
虫があけた二つの穴くらいのものかもしれない。こんなことを言えば、原始人への逆行だと叱られるに決まっている。無限の欲望を満たそう
として積み上げてきたのが文化なのだから。だがソロソロ文化の重圧が問題になってき
ているのじゃないか。人間の自我中心の文化の進歩によって、草木が枯れ、虫が姿を消
し、魚が死に野鳥野獣が滅亡して行く。彼らの生存と人間の生存とは、どうも不即不離
らしい。人間だけが生きのびようとするのは無理なんじゃないか。釈尊は歩まれる時、地下の虫をふ
み殺さぬように配慮されたときく。釈尊の願われた調和は、草木国土鳥獣虫魚の一切が
生きてゆかれる世界であったらしい。● 無相庵の感想
竹部さんは、葉っぱに二つの穴を開けた虫と命を共有する友達意識を感じた、否、そう云う
些細な自然現象に単刀直入的に仏法を感じ、詩に謳い上げたい衝動に駆られたのだと思
います。地球は人類だけのものではないのに、人類は己の欲望を満たす為に樹木を片っ端から切り倒
して地球上から緑の森を消し去っている。自然の循環を無視する人類の存在に依って、
数百万年命を繋いで来た貴重な生物が絶滅させられているのが、今の地球と云う星の現
状です。自分を含む人間の誤った生き方を見詰めなければならないことを竹部さんはこの詩で訴え
たかったのではないかと思います。
先月に起きた東日本大震災は未だ現在進行形の中でありますが、地球は人類だけのものでは
ない事に気付き、便利さを文化と心得違いしている経済活動最優先の人類の生き方を、
これから数千年掛けて改めるキッカケにしなければならないと思います。それを米沢先生は『彼岸の調和』と言葉で竹部さんの意図を解説されたのではないかと推察
した次第であります。合掌ーなむあみだぶつ