心の詩ー二にして一
米沢英雄先生
●詩−自転車念仏―榎本栄一
自転車に乗り
ふと気がつけば
仏のいのちが
私のいのちになり
風の中を
なむあみだふつ
走っている
● 米沢秀雄師の感想
自転車で走る仏さんって現代式だなあ。いや自転車はおろか、ホットパンツの仏さんもある。仏さんってお寺の奥や、うちの仏壇の中におさまりかえっているものと思ったら間違いだろう。 あれは仏さまの写真を飾って拝んでいるけれど、親というのは写真じゃなくて、私たちを生み苦労して育てたはたらきが、それが親なんだね。それが有難くて、それを忘れぬために親の写真 を拝むんだね。私たちは親から生まれてきたには相違ないが、いのちそのものは親が作ったんじゃない。親をも超えたところからきている。
人間を超えたのを仏と呼ぶなら、私たち一人一人のいのちは、仏のいのちを生きているんだなあ。絶対のいのちを一人一人分けて貰っていながら、誰のいのちも過不足のない絶対的いのちな んだなあ。だから昔の人は仏を親さまとあがめたんだろうねぇ。
肉親の親が苦労して私たちを育てあげたように、いのちの親さまは、いのちを分けるとともに、形をとって人間となったがために会わねばならぬさまざまな苦悩をも超えさせようと、ご苦労 されたんだね。それには私のいのちは私一人のいのちと思っているけれど、仏のいのちと一つなんだと知らねばならんだろう。
そこで苦悩がやすらぎ、生き抜く力が生まれてくるだろう。ちょうどこの世の親のもとへ里帰りすると、なつかしくうれしく心がやすらぎ、何となく生きる力が出てくるようにね。仏のいの ちと、私たちのいのちが一つになった姿がなむあみだぶつ≠ネんだろう。
榎本さん!仏さんのいのちだ。あわてて走って自動車にぶつからんようにね。
● 無相庵の感想
私の命は20数億年前の地球に生まれた生命まで遡ることが出来る。両親から受け継いだ命であるが、両親の力だけで誕生したものではないし、30代遡るだけで既に10億人の先祖達から のバトンが今の私に手渡されているのであるが、その10億人の先祖達も、結局は『仏』と呼ぶしかない人間の思量が及ばない宇宙の働きに依ってこの世に生ましめられた存在である。つま り、私そして両親も無数無限の先祖達を生んだ本当の親は『仏』なのである。
それに、私たち人間だけではない。他の動植物、無機物も、宇宙に存在するすべては仏の働きに依って生み出されたものである。何故かは分からない。どうしてこのようになったのかは永遠 に人間にも誰にも分からないだろう。分からないことだらけである。
であるのに、分かった積りで毎日を忙しく走っている。榎本さんはそんな自分にふと気づかれたのであろう。
合掌ーおかげさま