心の詩ー予約席
米沢英雄先生
●詩−信行両座―木村無相 (1904年〜1984年)
コレコレ おまえは
行の座か―――
コレコレ おまえは
信の座か―――
イエイエ わたしは
願の座に―――
● 米沢秀雄師の感想
若き日の親鸞を語る一つの挿話(エピソード)がある。
法然の門下にあった時、彼が発案して信の座、行の座、二つを提出して法然の門下生一同にどちらの座を選ぶかという、いわばテストをした。テストのつもりはなかったろうが、これで師匠の教えが身についているかどうかがわかるわけだ。一同、いずれにせんか躊躇しているうちに、親鸞が兄事した聖覚法印がまず信の座に名を列(つら)ねた。続いて法蓮が。遅れて来た法力(熊谷直実の法名)が、仔細を聞いて直ちに信の座に名を列ねる。他の三百余名の弟子がなおとまどうている最後に、師匠法然が自分も信の座に着こうと言われた。ここで一同は動揺したであろう。
平素念仏行を強調していられるから、当然行の座に着かれることと思ったのにと、親鸞も皮肉なことをやられたものだ。いわば彼は門下では若輩。それが数多(あまた)の先輩たちをテストした結果になる。
ところが無相さんは親鸞に造反して、もう一つの座を設定し、自分はその願の座に坐ると宣言する。願とは弥陀の本願。自分は行にも落第し信にも落第し、というのは別の詩でこの人が述べているが、念仏しようと思っても、その念仏が容易に出てこない。また凡夫の信心なんてものは一向に続かない。
結局、こういう根気のない、また何においても、精魂うちこまねばならぬはずの信心にも念仏行にも見捨てられた愚か者には、その愚か者を目当てにたてられた本願、洩らさず救う、救わねばやまぬという本願。それを頼む以外には術がないというので、自分の座席を決定したのだろう。
そうだ。信心だの念仏だのを問題にしているけれども、その大本は、私たち一人ひとりが仏から願いをかけられている身であるということだ。願いをかけられている身であることが知られれば、愚か者は愚か者なりに生きてゆくことが出来るし、その有難さに自ずと念仏がこぼれるだろうし、おのずと念仏がこぼれるころに、いつしか信心も成就しているのであろうか。
● 無相庵の感想
『信行両座』は、他力本願の教えを体得し後戻りしない(不退転)と言えるのは『弥陀の本願を信ずる心が定まった時(信不退)』にあるか『本願を信じた上でなお、行、すなわち念仏称名が身に付いた時(行不退)』の何れにあるかを若き親鸞聖人(30歳〜35歳頃)が法然門下三百余名の仲間に問う場面を書き伝えた有名な話でありますが、この話は親鸞聖人の曾孫で本願寺第3代目の覚如上人が親鸞聖人の伝記として書残している『御伝鈔』の中にあります。他力本願の教えに学ぶ人々の一般的な考え方に、「歎異抄の第一章にただ信心を要とすとしるべし≠ニあるから、阿弥陀仏の本願を信じることが出来たら、それで充分だ。口で念仏を称えるのは信心があろうと無かろうと誰にでも出来るではないか・・・」と云う考え方と、「いやいや、本当の信心が確定すれば念仏を称えたくならねばならないと思う。念仏の無い信心はホンモノではない。同じ歎異抄の第一章に念仏申さんと思い立つ心の起こるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたもうなり≠ニあるではないか・・・」と云う相反する考え方があると思います。
もし私が信行両座の場面に居たならば、『行不退』の座には着かなかったとは思っていましたが、そうかと言って、『信不退』の座に迷いなく着いたとも言えないと思っていました。そこに、今回木村無相さんの『願の座』の詩に出遇い、「そうかぁー」と思わされました。 と申しますのは、信不退であれ行不退であれ、凡夫の側の心身で起こることであります。『教行信証』に親鸞聖人が示されている如く、阿弥陀仏が仏になる前、すなわち法蔵菩薩の時に、凡夫であれ、何であれ全ての衆生、全ての生きとし生けるものを救わずには居られない、救わなければ決して仏にはならないと言うのが阿弥陀仏の本願であります。従って、私たちが信の座に着こうが行の座に着こうが、本願が至り届いて必ず救われると云うのが他力本願の教えでありますから、私は願の座に着くと云う木村無相さんの詩には、私はピシャリとやられた気が致しました。
木村無相さんは、真言宗と浄土真宗の間を行ったり来たりした方であります。つまり、自力と他力を3度行ったり来たりした方であります。最終的には他力本願でしか救われない自己の真実(自分が最悪最低の愚か者であること)に目覚められたそうですが、直ぐには他力本願の教えに頭を垂れられたのではありません。
私自身が今現にそう云う(他力本願の教えに徹底できない)状況でありますから、この米沢先生の『心の詩』は身に沁みて有り難いです。
合掌ーおかげさま
因みに、無相庵と云う名称は、今から26年前(母が亡くなる2年前)木村無相さんの『無相』と白隠禅師の坐禅和讃に詠われている「無相の相を相として・・・」の『無相』の両方の『無相』を念頭に、亡き母と意見が一致して名付けたものでございます。