在家仏教
人間になって死ぬ米沢英雄先生
『はたらきそのもの』からの続きー
これは今年の夏の暁天講座の際、47歳の奥さんが癌で、それが手遅れでなくなりました。その講座の時は、まだなくなられていなかった。この方が8月の半ばになくなられました。その方が今まで仏とも法とも聞いたことがない。癌で手遅れになって、私の知っている奥さんから仏法を聞かれた。それが28日間で、それこそ速製で本当の自分に会われた。つまり浄土に生まれられた。これは死を目前にしてなので、早かったわけである。真剣に聴聞して、死を目前にした人にうそがあるわけはない。
その方がノートに書き付けられていた言葉を、ノートが汚れれていたので、娘さんが書き写して、私の知っている奥様のところへもって来られた。その人から借りて、私が写しました。それが非常に良い言葉です。嘘つくはずのないものです。その人を、今51歳の、私の知っている奥様が説得した。
その方がうまく説得した、といえば失礼なことだが、私の強調したいのは、この説得はお寺でないということ。病室であるということ。説得した人がお寺さんでないということ。念仏を食った人である。念仏を食った人が念仏を伝える資格がある。そういう点で、念仏を食った人から念仏が伝わってくるものであるということは、この夏の講座でも申し上げました。
仏法を伝えた奥様が自分の心の中の醜さを言ったら、「死にとうない、死にとうない」といって心の安らかになる道を求めている人に、その説得する自分の醜さを相手にぶっつけても何にもならぬ。だから病人は「貴女の話は聞きとうない、聞きとうない」といって、「もう来てくれるな、来てくれるな」と言ったのだが、この方はそういう時には病室から出て、30分も外に立ってまた病室に入って説得した。
私なら止む無く、「縁なき衆生は度しがたし」と逃げて帰っていくところであるが、よくも続けて説法されたと思う。癌でなくなった奥様が、
「いやいやで、一度聞いたことが縁となり、人間の道に出して下さったあの方が貴い」
仏法を聞いて何になるか。それはしゅうとめを恨んだり、小じゅうとを憎んで、「死にとうない、死にとうない」と言っていた。おそらくこわい顔をしていたが、それが自分の「自我」であることに気付いてから、心安らかになり、顔も穏やかになって、「いやいやで、一度聞いたことが縁となり、人間の道に出して下さったあの方が貴い」と。「一日で一番楽しい時が来た。あの方がみえる、あの方が来られる」
今度はあの方が来られるのを待つようなった。食事もおかゆぐらいで、仏法を聞くことが一番楽しみになって来た。
「絶望の患いになったればこそ、あの方の声が聞かれた。あの方の心が聞かれた。この病を拝む」説得した奥さんの心を言っているのだけれども、それは説得した奥さんを通じて働いている阿弥陀仏の声が聞かれた。そしてこの病を拝む。病が一番いやでならなかったのが、病みついたればこそ、人間になる道を聞くことが出来た。
「耳新しいことばかり。けれども行きつく先は悪い、すまないことでありました」死を目前にした人が、悪いすまない私であった、毎晩のように28日間この人がやって来て、やっと夜明けが出来た。それからあとも、話を聞いたが、一夜一夜、同じでない。耳新しいことばかり。同じことの繰り返しにちがいないが、それがすべて耳新しいことばかり、万劫(まんごう)の初ごと≠ニ言われるように。しかし行きつく先は、悪いすまない私のことであります。
この機の深信を少しも離れていないところが大事なところで、仏のお使いを待つが、仏のお使いがまだ来られない。今まで、いやいやであったが、それを待つようになった。一度聞いたことが縁になり、人間の道に出して下さったあの方が貴い。
「(頭を)下げたことはあっても、下がったことのない私。地下にもぐりたい恥ずかしさ。あぶないところでありました」
初めて頭が無条件に下がって、仏を見つけたということ。あぶないところでありました。
「皆様にうらみを残して終わるところでした。子に詫び、子にすまぬ中から、愚か愚かの念仏で終わる母の幸せや」
「朝が来た。今日もいのちをいただく。恥ずかしい悲しい業が念仏の手を合わせる。
おしゅうとめさまが仏でありました。愚か者を今日もお世話して下さるうしろ姿を拝む」
「形だけの人間でなく、本当の人間になって死ぬる。こんなすばらしさを、あの方は与えてくださった」
今まで死ぬことがこわかった。
「心の音が、いのちの音が、トクトクと耳まで響く。真実の声だと、あの方は教えてくださった」
やせ衰えても、この人を生かそうとして心臓が働いて下さった。それが真実の声だ。「知らなかった、知らなかった。大きな苦しみの裏側に、念仏の幸せがありました」
しゅうとめからいじめられ、その苦しい生活の裏側に、念仏の幸せがあった。あまり楽でいると、念仏の幸せが過ぎてしまう。これが人を恨んで生きてきたのだ、そこで初めて知ったのだ。「夜、静かなシーンとした中で、秘かに私に会う。一人はたのしい。色々の自分が見えるから」
普通は病床で、死の直前はさびしい、心細いはずだ。それが逆に色々な自分が見えて楽しい、と。
一度も咲いたことのない花、蓮華の花が咲いた。泥凡夫の中に信心の花が咲いた。51歳の奥さんから仏法を聞かされて、人間として死ぬる喜びをあたえて下された。これでよい。「仏、仏、仏よ。
このまま申しわけなきままで、帰らせていただく
身の幸せ、幸せ、私は幸せ」
仏、仏、仏よ。これがよいですな。
「このままで申しわけなきままで、帰らせていただく身の幸せ」
帰る浄土を知ったということである。これが2ヶ月前に癌になって「死にとうない、死にとうない」といって、しがみついておった人の叫びである。こういうことが非常に大事なことであると思う。私はこの人を説得した奥様も、「自分が教えるどころか、この方から教えられた。自分はまだ命がある。自分は健康であると思っているから、自分こそあまく、愚かである。無慚無愧であることを、かえってこの人から教えられた」と言っておられる。これは非常に大事なことだと思います。
教えてやったと思ったら、増上慢になってしまいます。この人から教えられているところに、お互いの間に浄土が開かれておる。お互いの間に蓮華が開かれている。こういうことが言えるのでないかと思われます。時間が長くなりました。いいかげんなことをしゃべりたてて、お役に立たなかったかと思いますが、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。
(昭和51年10月13日、恵徳寺報恩講記念講演)
―完
合掌ーなむあみだぶつ