在家仏教
家庭のわずらい

米沢英雄先生

『御伝鈔にない話』から続くー

とかく我々に出来ぬことをやっている人を見ると、我々よりも偉いと思われるのですけれども、肉食妻帯せずに行ないすましておられる方を見ると、自分がそういうことが出来ぬから偉い人だと思う。しかし偉いとはそういうことでなくて、家庭生活をして泥水の中から本願の念仏をいただいていくという、泥をかぶった中から本願の念仏をいただいていく。こういうことが非常に大事なのでないかと思います。

どなたの書かれたものか、昔から言われています。泥の中から蓮の花が咲く。高原の陸地には蓮は咲かぬ。岩の上や陸の上には蓮は育たぬ。蓮は泥の中に咲く。蓮は泥の中に根を張って咲く。高原の陸地ということは、自惚(うぬぼ)れということだと思います。驕慢心の中からは、蓮の花というような奇麗な花は咲かぬ。泥の中というのは家庭生活をして、みなさまの家庭はそうだろうと思う。外へ出ると親父というものは偉そうな顔をしているけれども、内では孫の馬になったりめちゃめちゃだ。しかしそういう中から蓮の花が咲く。家の中でも親父面していばっていると、花は咲かぬもの。子供や孫の馬になったところから花が咲く。驕慢の自惚れの中からは咲かぬものでありましょう。

曹洞宗に菩薩願行文というのがあって、その中に、「我を罵り我を苦しめることあるも、これはこれ無量劫来我見偏執に依ってつくりなせる、我が身の罪業を消滅解脱せしめたもう方便なりと、一心帰命言辞を謙譲にして深く浄信を起さば、一念頭上に蓮華を開き、一華一仏を現じ、随処に浄土を荘厳せん」とあります。

これは禅宗の話でなくて、我々が根本的に持っているところの我執。自分が一番かわいいという心を、大昔からというよりも、我々の根本構造としてもっている。その我執を打ち砕く。そこに謙譲の心が生まれてくる。その謙譲の心の中に、一人ひとりがうてな(花のガク)≠ノなって、その上に仏が立たれる。つまり我執が打ち砕かれるところに、花が開く。高原の陸地というところ、我執をそのまま容認するところには、蓮の花は開かぬ、こういうことであろうと思う。

泥の中から花が開くということは、煩悩の中から花が育ち生まれる。高原の陸地というのは自力聖道門に当たるのであり、他力浄土門というのは泥の中、家庭をもって家庭生活の中でお互い苦しみ悩む、そういうところから、信心というものが生まれてくる。苦しむところに我執の崩れる場所、機会が与えられる、こういうことであると思います。

ところがこの間、9月10日、11日と名古屋で「一日出家の集い」というのがありまして、これは中日新聞と清和会館が中心となって催される。清和会館は山田さんという方が作られたらしい。その山田さんは聞くところによると服地を織る仕事をしておられた。お金を遺しても、後財産をどのように使ってしまうかもわからぬ。それよりも仏教というものをみなさんに知ってもらうという機会を作った方がよいというので、清和会館というものが出来た。その清和会館と中日新聞の合同で「一日出家の集い」というものが催されて、これは浜松の奥の方広寺という臨済宗の寺で行われた。

何でそのようなことを申し上げるかというと、そこで三日間研修会が行われる。60人位集まって来られる。お年では70歳くらいのおじいさんもおられました。若い方で20歳くらいの女の学生さんがおられる。若い方が多かったように見受けました。その一日坐禅研修に禅宗のお寺さんと、真宗では私ということで、お話を聞くとか、座談をするという会が催されました。そこで問題になるのは、そこは山の上にある古いお寺で環境が非常によい。人里離れたところで、家族とも離れて、気分がさわやかである。

問題は三日間は良いけれども、それが済み、家庭へ帰ったり、職場へ帰ると、その清らかな気持を持ちこたえるということが非常に難しい。それでここで習ったことを家庭なり職場なりで、どういうふうにして生かしたらよいかということが、その参加者の人たちの大問題になるわけです。

座談会で出てくる話は、偶々臨済宗のお寺で催されたからという意味ではないけれども、家庭を離れるとか職場を離れるということは自力聖道門と一緒だと思う。一人やっている時は気分さわやかであるけれども、家へ帰るとまたもとのもくあみになってしまうのでないか。故(もと)の木阿弥にならぬのにはどうしたらよいか、こういうことが問題になって、そういうことで会場のお寺さんが司会者として出て来られたので、その方に聞いた。

この坐禅を各家庭にもち帰って、一日に十分でもよいから坐禅をしなさいと、このようにすすめておられました。それで一日に十分でも坐禅をせよと言われるので、言われる通り積み重ねたら、何か効果が現れるのかもしれぬ。効果が現れることを期待して坐禅をすると、道元禅師からは叱られるのであろうと思います。

禅師は悟りを目標にしたり、或いは自分の精神統一の為に坐禅をするということを間違いであると、そういうことを考えずに「只管打座」と言われたので、道元禅師から叱られるかもしれません。しかし禅宗のお寺さんとしてはそう言わざるを得ないでしょう。ここで坐禅の仕方を習って、一日に十分でも坐禅せよと勧める以外に禅宗のお寺様は手がないであろうと思います。

真宗ならばどういう手があるかということです。ただ念仏ということがあるから、家へ帰ったら念仏しなさいというのが真宗かというと、私はそうではなかろうと思う。ただ念仏なさいと、称えよというならば、それは真宗でない。浄土宗だと思う。浄土宗の方ならば、ただ念仏を申しなさいと言われるだろうと思う。

ご承知のように法然上人は日に6万べん念仏せられた。ところが法然上人は80歳くらいで亡くなられました。親鸞聖人と同時に念仏停止によって四国へ流罪になられた。ところが四国まで行かずに京都へ帰られて間もなく亡くなられました。ところが法然上人は晩年ボケられたそうです。つまり独身で念仏称える生活というものはボケるのである。親鸞聖人のようにわが子を勘当せねばならぬような、善鸞に苦しまされるお蔭で、ボケる暇がなかった。だから家庭生活をするものはボケることはない。それでなるべく勘当せねばならぬような息子を持つことです(笑)。

法然上人は家庭を持って念仏出来るなら家庭を持ちなさい、独身で念仏出来るなら独身でおりなさい。念仏申されるような生活をなさいと、このように言っておられる。いかにももっとものようである。しかし独身であるとボケますよとは言っておられない。だが身を以ってボケるということを証明しておられる。家庭を持って念仏。それは頭で考えただけの話である。頭で考えるのと、実際に家庭を持つということは、根本的に違う。

親鸞聖人は実際に家庭を持って、家庭を持つということはどういうことであるかを、体験されたのである。親鸞聖人の奥様の恵信尼様も、もし善鸞が先ほども申すように継子(ままこ)であったとしたら、家庭内のトラブルがなかったはずがない。我々の苦しむようなことを、親鸞様ご夫婦も苦しんでおられる。だからその中で申される念仏である。

その中での本願の念仏であるが、これは非常に大事なことであろうと思う。浄土宗では南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えておる。これはいつか申し上げたことがあると思うが、念仏三昧。 三昧というのは精神統一で、釈尊が説法を始められる場合は、必ず三昧に入られて後出られて、その三昧の中で感得されたことをお話しなさって、『法華経』は無量義疏三昧から出て来られて語り出されたものであるというように、また『華厳経』は海印三昧に入られて、そこから出られて説かれた。それはちょうど静かな海に大空の星が映るように、釈尊が三昧に入られた。その透明な頭に宇宙がそのまま映るように、宇宙の実相を語られたという。『大無量寿経』は大寂定三昧から出られて説かれた。

―『真の念仏三昧』に続く

合掌ーなむあみだぶつ




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