心の底に
大脳の生理についてーB

米沢英雄先生

東大医学部教授の時実利彦先生は、今まで述べてきた大脳のことは、その著書の『脳の話』(岩波書店刊)で示されたのですが、その『脳の話』の終章で、この平和の問題に言及していられるのであります。私は、大脳生理学を専攻される学者が、平和について考えられていられるところに、現代というものの厳しさを感じます。

今日、戦争か平和か、平和を如何にして守るかということは、たんに政治家、外交家、評論家だけの問題ではなくなってしまいました。物理学者もまた、平和について熱心に考え、発言しておられる時代であります。

科学者が、平和問題について熱心なこの時代に、それこそ宗教家の役目ではないかと思われる、この問題に対して宗教家の間から、強力な発言がないということは一体どうしたことであろうかと不思議でなりません。もっとも、平和は論議で達成されるものではありますまいから、宗教家は論議よりも、黙々と実践されているのでありましょうが。

ともあれ、時実先生は次のようにおっしゃっています。
『偉大なる文明を生み出した「生の創造」の精神は、皮肉にも、私たちに人類滅亡の危惧をいだかせることにもなった。脳の仕組みからくる悲しむべき現実である。しかし私たちは、私たちの特権である生の意欲を何とかして達成しなければならない。これまた、脳の仕組みからくる必然的な願望である。
この葛藤と相克をどう処理したらよいか。確かに、平和への道はけわしい。しかし私たちは、思いを深く、私たちを操る脳の仕組みにいたせば、必ず打開の道が見付かるのではないか。思うに、平和への努力は、主体性の座、新皮質のレベルで論議しても報いられないだろう。大脳辺縁系のレベルでは、いっそう厄介になるばかりである。さすれば、もっと深く、人間すべてが持っている共通の営みの場、すなわち脳幹のレベルまで掘り下げるよりほかはあるまい。
共通な営み==それは、私たちの身体の“いのち”である。そして、これだけは人種を問わず、国を問わず、老若男女を問わず、貴賎を問わず、すべての人間に共通である。したがって、これだけは、理屈なしにお互いに尊重出来るはずである。それは、理屈をこね、主義を主張し、欲情を充足せんとする私たちの、もろもろの精神活動の外にあって、黙々と営まれているから』

私は深くこのお言葉に共鳴致します。確かに、いい時には、誠に頼もしいが、いざ理屈をこね、主義を主張するようになりますと、新皮質も頼みになりません。ましてや欲情の充足を求めてやまぬ古皮質は、方向を持たず、未来についての誤りない判断を持ち合わさぬ衝動的なものであります。人類に共通で、生命に直接的な脳幹レベルまで掘り下げて、と言われることはもっともであります。

しかし私は、ここにも疑問を持ちます。生命の中枢が脳幹に宿るということと、この場所を尊重するという意識とは別ではなかろうか。私はむしろ脳幹を尊重する意識が、何処に宿るかが知りたいのです。時実先生は、新皮質を主体性の座といわれましたが、私はむしろ生命の中枢の宿る脳幹を尊重しようと云う意識の宿る場こそ、人間の主体性の座であるべきだと思うのでありますが、如何なるものでありましょう。

大脳生理学を専攻される学者方の努力によって、大脳の各様の意識の起こる場所、意識の座が、探し当てられてきましたから、今後の研究によって、平和の意識の座――これこそ釈尊が、涅槃と呼ばれたものでありましょうが――この場所が大脳の何処かに探し当てられることでありましょう。

その時、科学と宗教とが、真に握手をするのでありましょうが、大脳生理学は、別に平和の意識の宿る座を探し求めるのを使命としているわけではありませんのに、現代という危機に促されて、自然にこうした発言をしなければならぬところに、分業の一旦を辿って発達してきた人間の文化が、今や綜合に向かいつつあり、この方向を自覚しなかったならば、人間は無自覚性の精神分裂病患者に、みんなが落ち込んでしまうのではなかろうかと思われます。

時実先生は、同じ著書の中で、シャルル・リシェというフランスの生理者で史学者、文学者でもある方の言葉を引用しておられます。彼は人間のかずかずの愚行をあばきたてた後に、こう付け加えています。 『実は人間を、ホモ・スツルチッスムス(超愚人)と呼びたいところだが、最上級の形容詞はやめて、ホモ・スツルッス(愚かな人)ぐらいで勘弁しておこう』

人間は今日まで、余りに大脳皮質に信頼をおきすぎました。大脳皮質は、教育することによって、ますます発達する場所で、私たちが、子供の教育を考える場合、この大脳皮質の底には、教育の力の及ばぬまた教育しなくても時期が来れば発動してくる大脳辺縁系があります。これが人間の愚かさの根元であります。

どんなに優れた大脳皮質の所有者でも、この大脳辺縁系と絶縁するわけに参りませぬ。それが生きる気力の根元でありますから、それでは人間の真の尊厳とは人間の脳の、どの場所に、人間意識の、どの分野にあるのでしょうか。

――大脳生理に付いてに続く




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