魂の軌跡(昭和35年)
法蔵菩薩の誕生―T

米沢英雄先生

  みなさまは法蔵菩薩という方にお会いになったことがおありですか。世界中で私ほど不幸なものはまたとあるまいとお思いの方、この世の中に神も仏もあるものか、いっそ死んだ方がましだとまでよくよく思いつめられた方、それほどまででなくても、自分の思うようにならぬという不平不満が少しでもおありの方、そういう方は一度法蔵菩薩にお会いになるといいと存じます。

法蔵菩薩はそういう方々の心を明るくする方法をご存じの方であります。またそういう方にどうにかしてお会いしたいと向こうから願っておられ、そういう不幸な方々と話し合うて、その方々になるほどそうでございましたか、そういう生き方もあつたのでございましたかと、心から喜んで頂きたいという願いばかりに生きていられる方であります。 今、全世界の人々が等しく求められている絶対の平和、絶対の自由はこの方にお会いすることによって初めて実現するものであり、この方にお会いしなければ到底実現不可能とさえ思われるのです。

さて個人の身の上相談から世界連邦会議まで引き受けようという法蔵菩薩は一体どういう方で、何処にいられて、どうしたらお目にかかれるのでありましようか。暫く私の拙い紹介をお聞き下さい。

法蔵菩薩はもと法蔵比丘と申されました。比丘というのは坊さんのことですが、寺に住み、経を読み、お弔いをし、お説教をする坊さんと違って、この嘘いつわりばかり、悪人栄えて正直者が馬鹿を見るという世の中が嫌になって、何処かに美しい真実の住みよい国がないものかと尋ねて歩く人のことであります。(かく申せば、私たちの心の中にも時折この比丘の姿を見かけるようでありますが)何でもこの法蔵比丘はもとは身分もよく経済的にも恵まれ、ひと通りの教養も身につけ、美人の奥さんがあって、出来のいい子供さんもあったのだそうですが、それらを捨てて一介のプロレタリアになられました。

私たち身分賤しくその日の生活に追われているものから見れば、まるで勿体ないような、理想的とさえ思われる境遇でさえ、その方を満足させることが出来なかったのであります。法蔵比丘の身の上話によりますと、いくらお金があったり、名誉や地位があったり、身体が健康であっても、それだけでは人間は満足出来ないものと見えます。これは私たちが考えなければならぬ大事なことではないかと思います。

その頃の彼は、世の中の苦しみは全部自分一人が背負いこまされたというような、誠に鬱陶しいしかめ面をしておりました。どうにも自分が楽でないものですから、人の言う事を聞いては、あの教えを聞くと助かる、この教えを聞くと救われる、と言われるままに方々訪ねまわって、何でも53人ばかり師匠をかえたということです。彼は頭がよくないのです。頭さえよければ、空とか無我とか真如とかいう境涯を悟って、確かに早く楽になることが出来たのでありましょう。

そういう哲理を教えてくれる先生のところへも通って、大分勉強してみたのですが、何しろ頭が悪くて落第しました。また彼は疑い深いのです。科学精神とかいう厄介なものを持っていて、奇蹟は信じない、科学的真理に合わねば信じないというのですから、せっかく親切にこういう神さんを信じなさい、こういう仏様を信じなさいと言うてくれる人があって、そこへも大分通うてみたのですが、どだい疑い深いのですから、ものになりません。「どうにも救われません」と告白しますと、とうとうそれはお前の信心が足らんからだと叱られたので、それきり足が遠のいてしまいました。

また彼は根気が乏しいのです。自我を抑制する苦行を積むと楽になる道が見付かると教えてくれるところもあったのですが、何しろ30分静かに坐っているだけの根気さえも持ち合わせぬので到底駄目なんです。それに今は生活に困って働かねばならんので、静かに坐ってなんかいる時間の余裕も心のゆとりもなかったのですから無理もありません。

そんなに暇も根気もないのなら、このお札を買うて毎日拝みなさいと言うてくれる人もあったのですが、スッカラピンの彼にはそのお札を買う金さえなかったのでこれも駄目、というわけでせっかく方々訪ね歩き、色々苦労をして見ましたけれども、これで明るくなった、これで元気で日暮しが出来るという心のきまりがついにつきませんでした。

そこで法蔵比丘は、俺は神にも仏にも見放されたんだ、人生なんて生きる意義がないんだ、馬鹿馬鹿しいというて酒を飲んでみましたけれども、それも酔うている間だけのこと、醒めてみるとやはり寂しいんです。何か、よりどころがほしいんです。そのよりどころが見付からず、さりとて独り立つ力はなし、こうして彼は絶望の底に落ちていったそうです。

その時彼は世自在王仏と言う人の名を聞いたのです。世自在王仏というのは大和言葉で申すと、「世の中のこと、よろず思いのままのみこと」とでもいうのでしょうか、勿論その人の徳をほめたたえたあだ名であります。

法蔵比丘がこの名を初めて聞いた時は「何と大袈裟な。俺がこれだけ真剣に尋ね求めてさえ助からなかったんだ。この人だって大したことあるまい」と、たかをくくって訪ねていかなかったのですが、威張ってみても、どうにも自分で自分始末がつかなくなってしまったものですから、とうとう我を折って、世自在王仏のところへ訪ねて参りました。

今まで訪ねた53人というのは、いずれも豪壮な住宅で、豪勢な暮し向きに見受けられたのに、世自在王仏の生活は質素というべく、いささかみすぼらしいもので、あまり「思いのまま」でもなさそうなのですが、会うてみますと、その方は円満な光り輝いた清浄なお顔お姿で、法蔵比丘はさすがに今日までいろんな人を見てきただけに、一目で之は本物だ、今まで会ってきた人たちとは全然違うものだと直感致しました。

その充ち足りた心の王者というてよい世自在王仏のお顔を見ておりますと、何か自分が物ほしげなみすぼらしい人間に見えてくるのが妙でありました。そしてまだ一言も交わさぬ先から、この方こそ多年の自分の悩みに解決をあたえて下さる方なのだ、自分は今日この方にお会いするために多年苦労してきたのだ、と云う確信が不思議にも湧いてくるのでありました。

そこで法蔵比丘は率直に自分の悩みを訴え、苦しみや悩みのない国へ住み替えたいという命がけの希望を述べ、現世のあらゆる束縛から脱れる方法を尋ねました。またその際自分一人が解放されても他の一切の人類が同時に解放されねば、それを見ていることはまた自分の悩みであるからして、自分が解放されると共に世界一切の人類がたちどころに解放されるように、しかもそれも資本家が没落して無産階級が解放された時にというような、くるのかもしれんが、いつくるかわからんという不確かなものでなくて、今日只今この眼で直に見てなるほどと頷ける解決方法を教えていただきたい、これがわからなければ死んでも死にきれませんと一心に願いました。

そのひたむきな法像比丘の願いを黙って聞いていられた世自在王仏は微笑をたたえながら言われました。
「法蔵よ、誠に大きな願いを立てたお前を心から尊敬するがねそんな望みの起こせるえらいお前にそのくらいのことがなしとげられんかね」
法蔵はうなだれて、
「はい、誠にお恥ずかしいことですが、私の分際では出来そうにもございません」
すると世自在王仏はやさしい中に威厳をもって語り出されました。
「法蔵よ、それはおよそ人間として誰でもがもっている根本的な願いなのだ。その願いが心の中に目覚めた時、人間になるのだといっていい。その願いが成就した時、人間を超えた仏になるのだ。人間とは仏になる道を歩むものだ。この道は容易に見出されるものではないし、この道一つと心が決まるまでには、お前のように深い迷いを重ねなければならないのだ。迷うのは己の外にあるものを頼りにするからだ。しかも迷う己自身も頼りにはならない。己にあってしかも己を超えているものをこそみいださねばならない。53人のところで満足を得なかった今こそ、誰でも、いつでも、何処でも、救われる道がお前のものとなるであろう」

  そこで法蔵は今まで自分の外にあるものを頼ろうとして、しかもそれが頼りきれないためにさすろうてきた自分の姿が照らし出されてくるように思いました。 「それではお前のようにあらゆる教えから落第したものの救われる世界を教えてあげよう。そこはね、摂取不捨、あらゆる苦労も失敗もみな無駄事に終わらせない、一切をおさめとって捨てぬという国、しかもそこはそこへ生まれたいと願えば誰でも生まれることの出来る平和の国、自由の国、清浄の国、絶対満足の国なんだ。だからそこにいられる人々の心は平和に清浄な慈悲心に充ちた方、仏といわれる人たちばかりなんだ」

法蔵は、それこそ自分が願い続けてきたことではないかと思わず叫びました。 「いい国ですなぁ、そういうところこそ私の求めていたところですが、ユートピアのようにお話だけの国ではないんでしょうね」
「お前の疑うのももっともだ。こんな国、ありそうもないと誰でも思う。しかしこれこそ真実にある国、もっとも現実的な国なんだ。さぁ、これからお前をこの国へ案内しよう。君なんか自分だけでなく、全世界の人類が同時に救われねばならんと主張する誠に人道主義的な正義感にあふれたえらい人だから、真っ先に入国出来そうだがね、しかしまぁ一応規則に従って入国希望者の資格審査をやりましょう」
  さて法像比丘はその願いの如く果たして入国出来たでありましょうか。

―法蔵菩薩の誕生―Uに続く




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