国づくり 人づくり――A
山田無文老師
昭和38年10月8日、尾西市文化会館講堂にて
朝日新聞に、ひととき@唐ニいうのがありまして、いつもご婦人が投書をなさっていますが、あるとき、若い奥さんがこんな投書をしていらっしゃいました。わたくしは結婚して一年あまりになりますがときどき姑さんは、「まだか」、「まだできんか」とおっしゃって、孫を待っていらっしゃるようです。主人もときたま、「まだか」というようなことを申して、子供を待っております。しかし、子供ができましたら、わたくしはどうしてりっぱに育てて行くことができましょう。そんな自信は、今のわたくしには全くございません。子供ができるということを考えただけでも、わたくしは恐ろしくなります。どうしたらいいでしょう。こういう若いおくさんの投書でありました。
おそらくこれは、どこの奥さんでもご同感だろうと思うのであります。わたくしはりっぱに、育ててみせますなどという、自信をお持ちのお母さんは、おそらくいらっしゃらないと思います。しかしまぁ、案ずるよりは生むが易し≠ナ、育てるのじゃない、子供は育ってくれるのだと思いますが、子供は何も知らないようでも、無意識のようでも、お母さんのなさることをちゃんと見ておりまして、お母さんの行動が、ことごとく子供に移っていくのであります。そう考えますと、お母さん方というものは、なかなか容易ならん立場にいらっしゃると思うのであります。
先月、第五回の人つくり懇談会がございました。その結果は一向に発表されませんが、中央教育審議会というほうから、文部大臣に進言がありました。第一、愛国心のある人間、第二、奉仕の精神のある人間、第三、開拓精神のある人間を作らないかん、こういう進言がありましたが、これは非常に具体化して、はっきりと意思表示がなされております。
第一に、愛国心のある人間を作りたいということでありますが、まことに愛国心というものが、今日の日本のどこにありましょうか。祝祭日には、昔はどの家でも日の丸を立てましたが、現在お立てになる家が何軒ございましょうか。学校で、あるいは公衆の会合で、君が代≠お歌いになることがどれだけございましょう。国旗もなければ国歌もないというような国はありますまい。
アメリカあたりでは、国旗が掲揚されますと、国民は胸に手を当てて、国家に忠誠を誓うということであります。国歌が吹奏されれば、たとえ酒を飲んでおっても起立して、敬意を表するということであります。今日の日本民族には、国旗もなければ国歌もない。国旗と国歌が大事にされますのは、オリンピックの時だけであります。
一体これはどうしたことでございましょう。静かに考えてみますと、あの日の丸の旗の下で、大事な息子は死んだんだ、あの日の丸の旗の下で、大事な主人はなくなったんだ、日の丸なんぞ、見るのも嫌だ、という感傷的な気持が、国民の心の片隅にないともかぎらないと思うのであります。
出征されるとき、あの日の丸の旗に、みんなで名前を書いて送ったものですが、考えてみますと、あの日の丸の旗に、わたくしどもが下手な字をなすりつけて名前を書いた、あのことが、すでにもう国旗を冒涜しておったと、わたくしは思うのであります。国旗というものは、そんなものではなく、もっと神聖なものであるはずです。
もう少し深く考えてみますならば、そういう感傷だけでなくして、日本民族の心の奥底に、この戦争は悪かった、アジアの国々を侵略し、無辜(むこ、罪の無い)の良民を殺害し、破壊略奪を恣(ほしいまま)にしたが、悪い戦争だった、申し訳ない。そういう深い良心的な反省が、わたくしどもの心の中に、あるのじゃないかと思うのであります。そういう深い懺悔が、あの日の丸に対して暗い感情をともなうのではないかと思うのであります。
もうひとつ申しますならば、忠君愛国≠ニいう立派なスローガンで、われわれは生命懸けで戦ったのだが、この戦争は、少しも忠君愛国にはならなかった。天皇様を主権者の座から追放してしまい、天皇さまに、「朕は神に非ず」と、悲愴な宣言をおさせしてしまった。どこが忠君だったのか、満州の権益を失い、樺太を失い、千島を失い、台湾を失い、朝鮮を失い、琉球さえも失おうとしておる。どこに、愛国の実があったか。もう二度と、愛国心なんて甘い言葉にだまされやせんぞ。こういう強い反発が、われわれ国民のどこかに、わだかまっておるのじゃないかと思うのであります。
日本民族が、再び愛国心を持つためには、公正な、良心的な、国際的視野にたつ、そして実質のある愛国心を示さないかぎり、もううっかりその美名に飛びつかないと思うのであります。 君が代≠燗ッじであります。進歩的な新しい人たちにいわせれば、今日は主権在民の世の中じゃないか、何が君が代≠ゥ、天皇制を謳歌するような歌は真っ平だと、こうおっしゃるでしょう。古い教育を受けたものは、もう一度天皇様の御世に戻せ、天皇様を主権者にせよ、そうしたら高らかに君が代≠歌おう。それで無い限りは、歌えないじゃないかと主張されましょう。こう考えてまいりますと、現代の世相、現代の日本には、何か一つはっきりしない大きな欠陥があるように思うのであります。
――次回に続く