仏教における法(その三)
山田無文老師
昭和32年5月15日
神戸地方裁判所第10期司法修習生講演会にて菩薩と言われるかたは、観世音菩薩でも文殊菩薩でも普賢菩薩でも、みな髪を伸ばしておられます。 中には宝冠をいただき、ネックレスをし、あるいはイヤリングをしておられます。これはインドの貴族の姿で、在家ということを象徴しておるのであります。つまり大乗仏教は、在家のままで社会生活をしながら、仏道を行じてゆく宗教でありまして、カシミールからヒマラヤ山脈の北側を通って、中国、朝鮮を経て、やがて日本へ伝わったのであります。
日域大乗相応の地なり≠ニいう聖徳太子の有名なお言葉がありますが、かくて大乗仏教は日本に根をおろし、みごとに生長し、りっぱな花を咲かせました。それは日本古来の思想である神ながらの道≠ニ揆を同じゅうするもので、このままで神になり、このままで仏になる道であります。聖徳太子はあれほど仏法を信仰されながら、みずからは髪を剃って出家になられず、家庭を持ち政治をとりながら、しかも俗服の上に袈裟をつけて説法されたのであります。そこで大乗仏教は、小乗仏教のような消極的なものの考えではなく、現実の社会と欲望を肯定し、大衆とともに生活し、ともに救われ、幸福と繁栄の社会を建設して行こうという考え方であります。
多くの大乗経典は、釈尊が亡くなられた5、600年後に出来たといわれるのでありますが、それらはみな、釈尊の真実の精神はここにあるという、確信をもって書かれたものばかりであります。それらの大乗経典が発表している、釈尊の発見された法とは「阿耨多羅三藐三菩提」と名づけられるものであります。
これは大変むずかしい言葉でありますが、比叡山のご開山伝教大師のお若い頃の有名なお歌に阿耨多羅三藐三菩提の仏たち わが立つ杣に冥加あらせたまへ≠ニありますから、昔の人はこういう難しい言葉を、日常生活で使ったとみえます。中国語に翻訳して、古来「無上、正等、正覚」という言葉で通用していますが、これでもむずかしくて、なかなか判らんのであります。
いま仮に、これを判りやすい現代語になおしてみますと、無上は尊厳なる、正等は普遍的あるいは一元的、正覚は人格または自覚といたしまして、尊厳なる普遍的人格=Aあるいは尊厳なる一元的自覚≠ニ申したら判りやすいかと思います。すなわち大乗仏教というものは、万人が尊厳なる普遍的人格を自覚する宗教であり、そして世界と自己が、全く一元であるという直感と自覚によって生きて行く宗教であります。
釈尊は暁(あ)けの明星(金星でしょう)を見てお悟りを開かれたと申します。初めに申しましたように、釈尊は大きな疑問を抱かれながらも、先輩の苦行者たちのしたごとく、非想非非想処という瞑想を六年間も続けられました。その心境は秋晴れの空の如く冴え、深潭(しんたん)の水のごとく澄み、燃え落ちた灰のように静かであったと思います。
その澄み切った邪念のない、鏡のように透徹した、静寂そのもののような意識が、はからずも暁けの明星を見ることによって、たちまち動き出したのであります。そして何も思うことのない、非想非非想処が、忽然として破られたのであります。絶対無が爆発したのであります。そのとき釈尊は、あった、無じゃなかった。光っておる、わたしが光っておる≠ニ直感されたのだと思うのであります。つまり明星を発見されたと同時に、自分を発見されたのであります。星と直結した意識を発見すると同時に、認識の主体としての自己をも発見されたのであります。
六年間の虚無にして空虚な世界が破れて、森羅万象が光明に輝きながら、厳然と羅列する世界が開けました。しかもその森羅万象が、ことごとく自分だと受け取れるのであります。世界と自分のへだたり、主観と客観とのへだたりが全くなくなってしまって、大宇宙と自己とが一体であり、全人類と自己とが一元であるという、偉大なる自覚にはいられたのであります。こういう直感が、釈尊のつかまれた法であり、これを尊厳なる一元的自覚≠ニも申すのであります。
世界と自分は一つだという自覚から、そこに自己と他者とのへだたりのない、すべてを自分だと受け取り、全てを自分として愛して行ける、大きな愛情がこんこんとして流れ出ます。この愛情こそ永遠なる実在であり、世界と我を動かして行く力でなければならんと思います。世界と我とは一元だという智慧と、全てを愛さずにはおれぬ慈悲とが、釈尊の自覚の内容であって、これを阿耨多羅三藐三菩提=A尊厳なる一元的自覚と申すのであります。
――続く