仏教における法(その二)

山田無文老師

昭和32年5月15日
神戸地方裁判所第10期司法修習生講演会にて

『涅槃経』というお経の中に、釈尊の到達されたお悟りがきわめて戯曲的に描いてあります。それは昔ヒマラヤの山中に、雪山童子(せっせんどうじ)と名づけられる一人の修行者がありました。雪山はヒマラヤ山のことであり、童子は少年ではなくして、純真に道を求めていく修行者は、壮年でも老年でも童子と名づけられるのです。山の奥でひとり難行苦行しておりますと、そこへ羅刹(らせつ)といって、人間の血を吸うて生きておるような怖ろしい鬼があらわれました。そして大きな声で「諸行は無常なり、これ生滅の法なり」と歌いました。

すると修行者がそれを聞きとがめて「ちょっと待ってくれ、すべてのものは動いて行く、そういう風に出来ておる世の中だと、実は俺もいまそこまで考えておる。そしてその結論が出なくて困っているところだ。いまお前が歌ったのは、昔の聖人の歌に違いないが、まだその後の二句があるはずだ。それを一つ教えてくれ」。こういって頼みますと、羅刹は「教えてやりたいが、自分はいま腹がへっていてものがいえない。人間の肉を食わすか血を呑ましてくれたら教えてやろう」と申します。

そこで修行者が「よろしい、儂(わし)は真理さえ判れば生命はいらんのだ。もしお前が後の二句を教えてくれるなら、儂の全身をやろう。腹がへってものがいいにくかろうが、暫く辛抱して、後の二句をいってくれ」と頼みますと、羅刹が後の二句をとなえて「生滅滅し已(おわ)って、寂滅を楽と為す」と歌いました。生きると死ぬとの対立に意識が分裂するから、そこに悩みが生ずるのだ、生きると死ぬとの対立が無くなれば、そこが永遠なる涅槃寂静という境地であって、そこにのみ清らかにして静かなる幸福の泉はたたえられておる≠ニ歌ったのであります。

この歌を聞くや雪山童子は、「ははぁ、そうであったか、判った」とたちまち悟りをひらき、自分は約束によって、その体を羅刹にあたえなければなりませんから、せめて後からくる修行者が早く悟ってくれるようにと、指を噛み切って血を出し、いま聞いた偈を、あたりにあった木片に書きつけ、口をあけて待っておる羅刹にその体を投げ与えますと、羅刹はたちまち消えて帝釈天のお姿となり、雲に乗って空に上られたというのであります。

この物語は、昔の小学校の読本に羅刹と修行者≠ニいう題で出ておりまして、釈尊の前生の物語ということになっておりますが、きわめて戯曲的に釈尊のご修行と、その悟りの内容を表現されたものだと思います。

人間の生まれたままの本性というものは、本来生死をはなれ、苦楽をこえ、善悪にとらわれない、永遠なるものだと自覚出来ますならば、そここそ涅槃の世界であり、絶対平和な楽土でありましょう。

『法句経』というお経の中に、「勝つものは怨みを受く、負くるものは夜も寝られず、勝つと負くるとを離るるものは、寝ても醒めても安らかなり」というお言葉がありますが、そういう勝負、善悪、損得など一切の対立を超えた、心の深さ、純粋さを自覚することが、仏教の悟りでありましょう。このような心理的な永遠性、絶対性、あるいは平和な心境が、釈尊の発見された第三の法でありますと、いちおう申し上げておきます。

この諸行無常の偈が、通説弘法大師によってやまと言葉≠ノ翻訳されたものが、「いろはにほへどちりぬるを わがよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみじ ゑひもせず」といういろは歌≠ナあります。

そしてその涅槃寂静の境地が、茶道で申す侘び≠ナあり、弓道でいわれる会に入る≠ニいう心境でもありましょう。茶禅一味、剣禅一味などといわれて、日本の芸道は、それが道であるかぎり、生死を忘れ、苦楽をはなれ、すべての対立をこえたところに、その極意があるようであります。

宮本武蔵は晩年熊本の細川家に仕官しましたが、あるとき殿様の忠利公と申される方が「そのほうは剣法の上で巌(いわお)の身ということを申すが、あれはなんのことか」と訊ねられました。すると武蔵が「殿、それは言葉で申してもお判りになりますまい、実物をお目にかけましょう」といって、日ごろ仕込んでおる若侍の一人を呼び出しまして、その若侍が敷居の外に平伏しますと、「某殿、殿のご命令じゃ、切腹をしなされ」といいわたしました。その若侍が、「ははあ」といって胸をひろげ、短刀を出して、まさにつきさそうとしますと、武蔵がまた横から、「しばらく、お赦しが出た、さがってよろしい」といいわたしました。若侍は胸をおさめてまた、「ははあ」といってさがって行きました。「殿、あれが巌の身と申すものでございます、お判りですか」と申したということであります。死ねといわれてもははあ=Aゆるすといわれてもははあ=B生死という大問題に少しも心を動かさない、微動だにしない、ここに剣道の極意があるといえましょう。 これは武蔵の『五輪書』という本の中に出ておるお話でありますが、日本の芸道文化は、すべてそういう対立をこえたところに、心のよりどころを発見するものであります。

今日社会で行われているローマ法を源流とするヨーロッパ的な法はそうではなくして、対立の中における法であろうと思います。もし切腹せよといわれたら、まず「なぜわたくしが切腹しなければならんのですか、理由をはっきりおっしゃっていただきたい。わたくしが死だ後、家族にはいくらの慰謝料と扶助料をいただけますか」と、あくまで権利を主張して行くところに現代社会の法がありましょう。

ところが仏法という法は、その世間の法をはなれて、一切の対立をこえて行くところにありますから、はなはだ消極的であり退嬰(たいえい)的であり、あるいは孤高的であり、非現実的であるという非難も受けかねないのであります。しかし、ひとりびとりがそうした対立をこえた法を自覚し、大所高所から社会を眺められてこそ、対立の世界の法が、正しく行われるのではないでしょうか。対立思想の行き詰まりが、今日世界の危機をはらんでおることを思いますとき、人間性の根源に、もう一つ別の法を発見して行くところに、現代人の救いがあると思います。

そこで小乗仏教では、釈尊の発見された法として、第一、すべてのものは動いて行く――諸行無常、第二、すべての存在に自我はない――諸法無我、第三、すべての対立をはなれたところに平和がある――涅槃寂静、この三つを三法印と申し、他の宗教と検別する特異性として尊重したいのであります。しかしなんとしても、これらの観察が真理ではあるけれど、消極的であり退嬰的であるそしりは免れんでありましょう。元来小乗仏教というのは、家庭を捨て社会を捨て、自分だけが救われていく孤高的宗教だから、こういうことになると思います。しからば大乗仏教はどのような法をたてておるのでしょうか。

釈尊が亡くなられますと、お弟子たちの間に釈尊の遺された尊い法を、いつまでも間違わぬように伝えなければならぬという運動が起こりました。まず王舎城の畢鉢羅窟(ひっぱらくつ)という洞窟の中に、500人の悟りの開けた、いわゆる羅漢(らかん)と称せられる大弟子たちが集まりまして、教律の結集(けつじゅう)ということを致しました。

釈尊の侍者として25年間、一日もおそばをはなれたことのないといわれる阿難というお弟子が、たいへん記憶のよい人で、このようにわたくしは聞いた。あるとき世尊は、どこにおられてこういう法をお説きになった、そのときの聴衆は、これこれのひとたちであった≠ニ、釈尊一代のご説法を、さながら復元して唱えあげて行きますと、他の500人の弟子たちがそこのところは自分はこう聞いた=Aそこは正しい=Aそこは間違っておる≠ニ、いちいち検討して、釈尊のご説法の決定版を編集したのであります。

次に持戒第一優波利(うぱり)尊者と申すお弟子が立たれて、五戒十戒四十八戒、比丘の二百五十戒、比丘尼の5百戒などと、仏教徒の守らなければならぬ細かい戒法を読み上げ、同じく一同の協議によって、正しい生活の基準が決定されました。これを第一結集といって、経と律が編纂されたのであります。

その時集まられた五百人の大弟子たちは、きわめて保守的で、釈尊の言行を一言半句も誤りなく伝えて行こうと努力したのであります。釈尊の最後のご説法である『遺教経(ゆいきょうきょう)』の中に、儂の肉体は滅んでも、如来の法身は不滅である≠ニいう言葉がありまして、つまり肉体は死滅するけれども、自分の自覚した法は不滅であると申されたのでありますが、その法の体すなわち法身とは、釈尊の行われたとおりの戒法を守っていくところにあるのだという、解釈をしたいのであります。その流れを今日もなお伝えておりますのが、セイロン、ビルマ、タイ、カンボジャなどの仏教で、これをいわゆる南方仏教、或いはテラワラ仏教といわれるものであります。

ところが五百人の選にもれた他の一部の弟子たちが、また別のところに集まって、釈尊のお言葉をそのまま伝える必要はないじゃないか、肝腎なのはその精神である。何も形式にとらわれることはないという意見で、ついに一つの別派をつくってしまいました。この別派を大衆部と申します。そこで洞窟の中の聖衆を、上座部と名づけられることになりましたが、今日南方仏教のひとたちは、自分たちの仏教が、その釈尊の直系であり正統派である上座部、すなわちテラワラ仏教であると申しております。そして小乗仏教と呼ばれることを、非常に嫌っております。

この大衆部に属するひとたちが、次第に進歩的になりまして、われわれは釈尊の真精神を伝えて行くので、形式は時代とともに変わるべきだ≠ニいう立場から、大いに飛躍してまいりましたものが大乗仏教であります。釈尊の真実の意志は、そんな山の中にはいって難行苦行をすることではない。家庭を持ちながら、社会生活を営みながら、商売をしながら、そこで救われ、仏法が行われねばならないというのであります。つまり大乗仏教は、言葉を変えて申しますと、在家仏教であり、また菩薩道といわれるものであります。

――続く




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