仏教における法(その一)
山田無文老師
昭和32年5月15日
神戸地方裁判所第10期司法修習生講演会にて今日(こんにち)イギリスの仏教会長をしておられる人に、クリスマス・ハンフレーズという方があります。東京裁判のときに、英国側の検事として日本に来ておられた人であります。多年仏教を研究され、ザ・ミドル・ウェイ≠ニいう仏教雑誌をひろく発行しておられる方であります。この人に、ヨーロッパ人に判り易く仏教を理解させるために書かれた『仏教とは何ぞや』という本があります。これは問答体の書物で、いろいろな角度から仏教に対する質問をもうけ、いちいちそれに解答しておられるわけであります。
その第一問答に「仏教とは何ぞや」という問いをうけて、その答えとして「仏教とは釈尊の教義に対して、ヨーロッパ人がよんだ名前であって、東洋では古来仏法という」と、こういうことが一番初めに書いてあります。仏教とは、キリスト教や回教などに対してヨーロッパ人がよびだしたもので、東洋では昔から仏法とよんでおるというのであります。これは何でもないことのようでありますけれども、さすがにうがった観察だと思います。仏教と仏法では同じことのようでありますけれども、やっぱりそこにニュアンスが違うのであります。もう一つ仏道という言葉もありますが、仏教・仏法・仏道とこう三つ並べますと、それぞれの持ち味が違い、したがって内容も違ってくるようであります。
仏教と申すときは、キリスト教、天理教などと並べて考えられる場合でありまして、仏の教えでありますが、非常に倫理的な味わいが強いと思います。東洋にも仏教という言葉が、全然なかったわけではありません。有名な『七仏通誡偈』と申すものに、「諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)、自浄其意(じじょうごい)、是諸仏教(ぜしょぶつきょう)」とありまして、これはたしかに仏教であります。そこで仏教と申すときは、多分に悪いことをするな、善いことをせよ≠ニいう道徳的な匂いが深いのであります。
仏法と申すときは、およそ個人の意思で枉げることの出来んものが、法というものでありますから、仏法とは釈尊によって発見された法ということであって、そこには科学的な香りが濃厚だと思います。
仏道と申しますと、これは中国の道教、日本の神道に通ずる言葉でありまして、神道が言挙げせざる道といわれまように、それはもはや理論ではなく、倫理ではなく、ただ実践があるばかりであります。
そこで仏教・仏法・仏道とこう並べてみますと、中心になるものはやはり仏法のようであります。釈尊のお説きになったものは、民衆を教化するための倫理ではなくして、宇宙の真理としての法だったのであります。昔、中国のある禅僧に雲水が「達磨西来以前如何」と訊ねますと、「六六三十六」と答えました。さらに「達磨西来して後如何」と訊ねますと、「九九八十一」と答えたという有名な問答がありますが、ちょうどそのごとく、釈尊が出られても出られなくても、変わらないものが宇宙の真理であります。法であります。たまたま釈尊によって発見されたから仏法と名づけるのであって、それは数学の公理のごとく、いつどこで、だれでもみとめなければならんものだと思います。
ところが、教えというものは民族によって違い、時代によって違い、宗教によって違うものであります。教えが違うから中近東問題のように、イスラエルとアラブ民族とが、同じように神を信じ、同じように人類愛をうたいながら、争わねばならんのであります。パキスタンとインドが同じ民族でありながら、どうしても一つになれんのは、教えが違うからであります。そのように、教えというものは、環境と条件によって違ってくるのでありますが、法はいつでも、どこでも、だれにでも、信じなければならん不変なものだと思います。
さて、いわゆる仏教と申す中にも、小乗仏教と大乗仏教との二つの流れがありまして、いろいろ見解を異にしておりますが、まず釈尊の発見された法とはどんな法であったか、そういうことを一つ考えてみたいと思います。
まず仏教というものは、非常に科学的なものだとわたくしは思うのであります。なぜかなら、科学というものは疑いから出発して、そこに結論を発見して行くものだと思いますが、仏教もまた疑いから出発しておるのであります。釈尊は昔から伝わっておる民族的宗教、あるいは神話的宗教を、そのまま伝承して発展させた予言者ではなかったのであります。また不合理なるが故にわれこれを信ず≠ニいう信仰から出発されたのでもありません。全く人生ならびに世界に対する、深刻な懐疑から出発されました。
当時96派の外道だの六派哲学だのと申して、今日の哲学にも見劣りせんような、体系的にもすぐれた学問がすでにあったのでありますが、釈尊はそれらのすべての哲学、あらゆる宗教を学びつくしてみて、なお解決できない深刻な疑問を抱かれたがために、いっさいを捨てて山の中へ入られて、6年の苦行をなされたのであります。だから仏教というものは、疑いから出発したものであり、その疑いを解明された結論が、仏法というものであるといたしますならば、仏教は、はなはだ科学的だと思うのであります。
そこで釈尊が、先ず第一に発見された法は何であったかと申しますと、この世の中のものはすべて動いて行くということでありました。古い言葉で申しますと、諸行無常ということであります。谷川の水がこんこんと流れるように、草木が日々新しく変化して行くように、われわれの血液が刻々と動いておるように、すべては動いて行く、この世の中に動かないものは何一つないということでありました。
そこで先ず、一つの疑問が出て参ります。一体この流れは、どこから始まってどこへ行くのか。またこの流れはたんなる自然、或いは偶然であろうか、それとも何かの法則、または摂理によるものか。この流れは盲目的であるのか、何かの意志目的を持っておるのか≠ニいうことであります。
全てのものは動いて行くという原則から眺めますと、永遠に動かない、しかも世界を支配して行く神というようなものが、あるはずがない。もし神というものがあるならば、神も動かなければならない。しかし動くようなものは神ではない。そこで釈尊は神の否定論者であったと思います。つまり、無神論者であったと思います。
すべては動いて行くものであり、諸行は無常でありますから、お互いの命というものも、今日とも知らず明日とも知らず、みな滅んで行くのであります。まことに朝(あした)には紅顔ありて夕(ゆうべ)に白骨となる≠ヘかない身であります。死んだらどうなるのか、そのまま消えてしまうのであろうか。一体自分は何のために生まれてきたのか、人生はあたかも流れに浮かぶ泡のようなものだが、この流れに意味があるのかどうか、目的があるのかどうか。このはかない世の中に暮らしておりながら、人々はどうして平気でおられるのであろうか。釈尊の疑問はますます大きく広がったと思います。
すべては動いて行く、動かないものはなにもない、これは今日の科学の考え方と全く同じだと思います。いわゆる、すべてのものは弁証法的に伸展して行くのであります。釈尊の到達された結論によれば、因縁果の法則によって動いて行くのであります。ここに一つの原因があり、それに横から縁という力が加わり、そして第三の結果が出て来る。つまり、一切のものは弁証法的に伸展し、無限に流れて行くということが、釈尊の発見された第一の法であります。
そこで第二の法が出てくるのでありますが、すべては動いて行くという原則からしまして、われわれの体もたえず動いております。今日の医学から申しますと、1秒間に300万でありますか、おびただしい細胞が新陳代謝しておるのであります。血液は素晴らしい速さで流れております。そうしますと、この目まぐるしく変化して行く肉体組織の中に、動かない自我というものがあるかどうか。細胞が全部入れ替わってしまっても、前の自分と今の自分とは、はたして同じであるかどうか。すべては動いて行くのに、そこに動かない自我を認め、利己的な感情にのみとらわれて生活するということは、人間の愚かな迷妄ではないであろうか。もしもわれわれの肉体の中に、自我というようなものがあるとするならば、それは動いて行くという形においてあるものであり、流れて行く姿においてあるものであって、実在ではないであろう。そこで、結論として、自我は実在ではない≠ニいうことが釈尊の発見された第二の法であります。
そこで、この世界を支配する神はない、われわれの肉体の中に自我はない、としますと、この世界を動かしておる力は何ものであるか。げんに見たり聞いたりしゃべったりしておる、このものは何ものであるか、こういうことが次の疑問になってまいりましょう。
西洋の近代哲学は、デカルトの我思う故に我あり≠ニいう有名な言葉に始まるといわれますが、インドの釈尊時代の哲学は、我思わざるが故に我あり≠ニいう方向に向かっておったようであります。釈尊の先輩は、非想非非想処♂スも思わない、思わないということもない、というすべてを否定しきった静寂な瞑想、その中にのみ、最大の真理と幸福がある、と示しました。そこで釈尊は質問されました。その非想非非想処には、自我があるかないか、もしも自我があるならば、その静寂なる瞑想も一時の位であって、完全に悩みと苦しみを脱することはできない。もし自我がないならば、瞑想しておるそのことも無意味ではないか≠ニお訊ねになったのですが、その質疑に対して何ら解答を得られなかったということであります。
しかし現実の世界はけっして空虚ではありません。すべては動いて行くという姿において、とにかくあります。この世界を動かしておる真実在は何ものであるか。げんに見たり聞いたりしゃべったりしておるこのものは、一体何であるか。こういう深刻な悩みと疑いを抱いて、釈尊は6年の苦行を積まれ、思索をこらされたと思うのであります。
――続く