宗教の幼稚園から大学へ
山田無文老師
大分、古いことであるが、NHKのラジオの朝の訪問ということで、アナンサーが来られて『新興宗教をどう思うか』と尋ねられたことがある。わたしはその時、お答えしたことである。
わたしは新興宗教を、良いとも悪いとも申さない。しかし宗教にも幼稚園から大学まであると思うが、いかがであろう。幼稚園の子供達は、親や先生に甘えることしか知らない。与えられることしか考えない。宗教も、神さまや仏さまに、あれが欲しい、こうして欲しい、と甘えて、何かを与えられることしか知らない宗教があったら、それは、宗教の幼稚園だと思う。
小学校の子供になると、半ばは親や先生に甘えるが、半ばは親や先生を畏敬することを覚える。宗教も、神さまや仏さまに半ば甘えるが、半ばはその徳光を感じ、その霊能に畏敬の念を持つようになれば、宗教の小学校である。
中学校になると、大分聞き分けが良くなって、親や先生のいうことをよく聞き、その命令に従うようになる。宗教も神さまや仏さまの教えを素直に聞いて、道徳的になるならば、宗教の中学校である。
高等学校の生徒になると、頭脳が発達し非常に理屈っぽくなって、親や先生のいうことも、まともに聞かなくなる。宗教も、高等学校になると懐疑的になり、神はほんとにあるかなどと理屈をこねるようになって、そこで信じられればやまるが、信じられなければ、宗教を離れてしまう。
大学になると、どこの親も先生も、自分より偉いものにしよう、少なくとも対等のものにしようと思って教育される。宗教も人間の中に神、仏を発見させていくものが宗教の大学である。仏教はその大学だと思う。
幼稚園がいかに繁盛しても、決してうらやましいとは思わない。一日も早く進学して、大学へ入って来るのを待っておるだけだと答えたことである。神々を祀って、朝に夕に自分の幸福だけを祈るのは、宗教の幼稚園ではあるまいか。