肉親との別れを通して
白井成允先生
11歳の時に生母に別れ、60歳のときに長男を喪い、今年また弟を送った。その間に10余人の肉親と別れてきたが、それら一人一人の追憶は、各々濃く淡く限りを知らず浮かんでくる。悲歎と愛惜と悔恨と慙愧と、こもごも起り来るものを、結局は、南無阿弥陀仏の御名に摂(おさ)められて浄土に安んぜせしめられ、由りてこの現実の日々を生きさせていただくばかりである。
母があまりに早く世を去ったことは、私を導いて浄土の真宗を聞かざるを得ざるに至らしめた深い深い縁となった。青年の頃、人生の意義に思い悩んだ私を転じて、「浄土の慈悲」の言葉を感ぜしめてくだされたものは、確かに亡き母のなつかしい想い出であった。(母は仏教に遇わずして世を去ったけれども)
老年に入って長男を喪ったとき、私を支えてくれたものは、また、浄土の往生の信であった。長男は東京大学の大学院に学び、心理学研究の大志を懐いて励んでいた際、戦に召されて、やがてシベリアに囚われ、帰らぬ人となった。その報をえて、病に臥した私は、牀中(しょうちゅう、牀は床)に 『大般涅槃経』をいただいて、如来一子地の大悲を告げられた。今日でも、この児を憶うと愚痴限りない。ただ私の倫理学の恩師深作安文先生が、これを「国難に殉じた」者と云ってくだされた温かい言葉によって慰めていただいているのであるが、私の煩悩はなお消えない。
このしつこい煩悩の私をかねてしろしめして、亡き児と倶に相会い得べき浄土を建立し、南無阿弥陀仏とおよびくださる大悲の御誓いを聞かせていただく時、私の限りない愚痴がそのまま転ぜしめられ、私はすでに如来の大覚の境から私を呼んでくださる亡き児の声を聞かしめられる。
故足利浄圓和上から賜わった消息の中に
今ははや語らんとして言葉なし
御名を称へて問ひつ答へつとある。実に南無阿弥陀仏の尊号こそは不思議の安慰の源である。これに値いまつり得たことによって、今生のもろもろの罪悪患難、すべて転じて浄土の大覚を証する縁として輝いてくる。ありがたいことである。
私は長男と同じ歳頃の、かがやく将来を望ましめる秀れた学徒の数人が、戦場の露と消えたのを親しく知っている。それらの学徒を憶うと、愁然として胸ふさがると共に、等しく国難に殉じた士として感謝と敬服せざるを得ない。国難ということは、究竟して、国家の宿業の暴露である。日本国が世界歴史の渦巻の中に巻き込まれ陥った必然の苦難である。それを己れに荷い、それに殉じた同胞の業報を私共はまた等しく各々己れに荷わねばならない。すなわち、これら同胞の遺した深き志を遂げしめなければならない。これを更に云えば、日本国の世界歴史的使命を実現することに努力せねばならない。すなわち日本文化の真髄に醒めて、人類の理想の実現に貢献しなければならない。
今日の人類は、己れを正なり善なりとなし、他を邪なり悪なりとなして、互いに相対立し抗争する立場しか知らないもののようである。これ世間虚仮なる相である。しかるに深く如来の真実心に融かされたる祖聖は、
「善悪の二つ総じてもて存知せざるなり」と言いたまうた。これ如来一子地の廻向を蒙りて、すべてそらごとたわごとにして真実あることなき、我執の分別を空じ得たる真実信心の消息である。人類の一切文化の中にこの一子地の消息を明らかに証せられてあるもの、吾等の日本文化の他には存在しない。
ここには凡聖善悪の人々を倶に会して一味ならしめる浄土が示されてあり、逆悪謗法の者を先ず呼び召したまう大悲の尊号がひびいている。そして私共の恩愛の契り深かりし肉親の人々は、すでにかの浄土から、この尊号の響きとなって朝に夕に私共を訪づれ来たり、かつ慰め、かつ励ましてくれている。
一子地は一切衆生の真実本地である。無明の故に、曠劫よりこのかたこの本地から迷い離れて漂い悩んでいる者にとりて、まさしく理想の浄土である。南無阿弥陀仏の尊号は、私共を摂めてこの浄土に還らしめてくださる。世を去りし肉親たちは朝に夕にこれを伝えて、私共に今生日々の生活の希望と勇気を与えてくださる。一切衆生の究竟して和らぎ得る無碍道を伝え来れる日本文化は、人類の理想実現の上に無限の意義を有する。この消息を、私は殊に肉親たちとの別れを通して強く思わしめられるのである。
(昭和37年9月)