一佛乗の流れ

白井成允先生

南無阿弥陀仏をとなうれば       この世の利益きはもなし
流転輪廻のつみきえて           定業中夭のぞこりぬ

親鸞聖人はその多難なる生涯の晩年において朗らかにこう歌いたもうた。それは南無阿弥陀仏に魅せられたる魂の歌である。そしてこの歌の意は今日も私共の生命を摂め導き、護り励ましてくださる。

今日、私共日本国民は、人類世界の荒れ狂う大洋の中に、自らの罪業を負うて流転している。国際的にも国内的にも重畳(ちょうじょう)せる諸々の艱難に直面して、如何に歩むべきかをも知り得ない如くである。今にして真実に己れの生命の深みを顧みるのでなければ、日本国民の運命は、世界歴史の歩みの中に如何なる相を呈するであろうか、寒心に堪えないものがある。

もし世界歴史の中に日本国が独立の意義を有せず、アメリカまたはソヴエートの隷属国として存在を保つだけでよいならば、何もいうことはない。しかし私共は、日本国をその如き無意義な存在として見ることはできない。否、かえって日本国の存在の中に極めて重き厳しい世界歴史的意義を認め、全人類の理想の実現にとりて欠くべからざる貢献をなすべき使命を感ずる。この使命を充たすことこそ、日本国民が全人類に負える義務であると思う。

今日、世界を通じ、人類全体にわたりて著しき悩みは、二元対立抗争の勢である。その勢は、現に私共日本国民の日々の生活の中にひしひし迫ってきている。それは人間そのものの構造において本質的必然的であって、人類の如何なる努力を以てしても、遂にこれに打克つ能わざるものの如くに見える。

そして一層悲しむべきことには、現に世界に勢を得ている思想、あるいは教えそのものが、概ねこの二元対立抗争を誘い出し力づける性質のものであって、かつてこれを根本から解脱せしめる性質に欠けているようである。階級闘争を激化し、闘争によりて平和を勝ち取ると叫んでいる唯物史観の教えがさようであるばかりでなく、その教えが力を極めて斥けようとした西洋の宗教も、その神観において、人間観において、救済観において、始終二元的対抗の性質を免れず、当の唯物史観自身が、元よりかくの如き宗教の築き出した文化を地盤として産まれたといい得る類のものである。現実生活における種々の苦悩を真実に救い得んがためには、かくの如き二元抗争から解脱して、自在を得しむるの教えに依らなければならない。

かくの如き教えを求めて、私は仏教を見出す。いうまでもなく、仏教は釈迦牟尼仏の正覚の智恵から流れ出た。その智恵は、一切の衆生すなわち生きとし生ける者みなが、本来一如なるを照らし見、各の衆生に随(したが)い順(したが)いて、皆本来一如の大生命の自覚の中に入り安らわしめる大慈悲である。

この教えに浴する時、いわゆる「同じこと一味の雨の降りぬれば草木も人も仏とぞなる」の勝境を見、

「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり、いづれもいずれも順次生に仏となりてたすけ候うべきなり」
の博き念いを懐かしめられる。即ち是れ一子地と称せられる境地、一切の衆生をまさしく己れのひとり児と感じて慈しみ愍れむ境地、随って愚痴逆悪にして善根を断ちし類の者をも棄てず、否、かかる者こそ最も深く愍れみ育くみ護りたもう徳の境地であって、かの永遠に善悪正邪を分別し賞罰し、己れを信ぜせしめる異教の徒をば永遠に地獄の焔に焚くという如き、造物支配審判の神の境地とは本質的に異にする涅槃の境地である。一切の罪業を転じて善悪を成るの資たらしめる、空無碍の境地である。

私共日本民族はかくの如き仏陀一子地の教えを聖徳太子により伝えられ、これによりて育くまれて千三百年、これによりて日本文化の精粋を産み出して今に至った。太子の教えが最も簡明にいい表わせてある十七条憲法だけを窺っても、その条々がいかにも深く今日の私共の現実生活の病幣に的中していることが感ぜられる。

例えば第十条に、私共の忿怒の煩悩を誡めたまい、

「人には皆心あり、心には各執(とらわ)れることあり、彼の是(よし)みするをば我れは非(あし)みし、我れの是みするをば彼れは非みす」
るところに、怒り生じ争い起る所以の存するを省みしめ、然るに実は
「我れ必ずしも聖なるに非ず、彼れ必ず愚なるに非ずして、共に是れ凡夫なるのみ、是みし非みするの理なんぞ能く定む可き、相共に賢く愚かなること鐶(みみがね)の端なきが如し」
と云わねばならぬ現実なることを明かし、この深き認識を根拠として
「是を以て彼人は瞋ると雖も還りて我が失(あやまち)を恐れ、我れ独り得たりと雖も衆に従い同じうして挙(おこな)う」
べきを告げたもう。

「従衆同挙」はまさしく菩薩行というべきであるから、この第10条は、ややもすればたちまち二元対立抗争に陥る私共に向って、己れの凡夫なるを自覚せしめるとともに、転じて菩薩の行を行なわしめたもうたのである。今日の私共は、徒らに民主主義とか人格の尊厳とかを叫んで、却って対立抗争を甚だしくし、国運の前途を昧(くら)からしめている。一刻も速く「共に是れ凡夫のみ」の教えに耳を傾けて、衆と相和らぎ偕(かな)う菩薩の行に出(い)で立たねばならぬ。

これを能くせしむる道を、太子は憲法第二条に「篤く三宝を敬ふ」の語を以て示したもう。「三宝とは仏法僧なり」しかも篤く三宝を敬うは究竟して仏に帰依するを本とする。すなわち南無仏の一念において、誰人もすでに世間の現実生活の中にして菩薩の道を歩ましめられる。これを一仏乗という。すなわち一切の衆生をして平等に同じ仏の道を行き、仏の正覚に到らしめる絶対無碍道である。この聖徳太子の教えの源から、私共日本民族は南無仏の一仏乗を精紳生活の根底として恵まれてき、これによりて日本国存在の世界歴史的意義を証せしめられてきたのである。

太子の後、日本民族の精神をもっとも深く証し得た天才達の努力は、挙げて太子の遺された一仏乗を、如何にして己が身に証し日本国に証さしめようかという一点に集注されたといい得よう。そしてその終に到り得た究竟の処こそ、まさしく親鸞聖人の信そのもの、すなわち南無阿弥陀仏の誓願一仏乗であった。実に聖人は、太子の南無仏を南無阿弥陀仏において、太子の一仏乗を阿弥陀仏の誓願に因る一仏乗において、信じ受け証し顕わしたまい、これによりて日本国の世界歴史的使命の果遂の上に不滅の灯火を掲げたもうたのである。

親鸞聖人はおん自らの信心の相を、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらす」と言い表わされた。念仏は南無阿弥陀仏である。すなわち十方一切の衆生を必ず救おうとの願を発し、この誓願の成就しない限り我れは正覚を成らじと誓いたちたまい、久遠劫に亙る修行を経て、その誓願を成就したまえる全き徳そのものである。それは一切の衆生に、否、全宇宙に遍く充ち満てる根源的霊性が、これを忘れこれに盲いて、煩悩に燃え、罪業に漂える有情の苦悩に触るる時、これを照らし見、これを愍れまざるを得ず、その霊性の自然の活動として、それに内含せる全徳能を挙げて、一切の有情をその本来正覚安楽の地に摂め入れしめんが為に、各々の有情に恵み施したもう所のものである。

私どもは各この今生一期の身に執着して、唯だこれのみ自己の全体であると妄想している。この無明渇愛から千億無数の煩悩を生じ、無量の業苦の境を造り出して、流転輪廻の窮み無き果を結び悩むのである。

あらゆる二元対立抗争の勢はこれから生ずる。仏教は究極してこの己我の執着を離れしめ、各の有情の体を虚仮の現象から空じて、宇宙法界に普遍せる永劫の本体、即ち根源的霊性或いは法性真如法身の仏そのものに還らしめる。これ聖徳太子が南無仏に因る一仏乗に乗りて、万民等しく成仏し以て大和の国を現成すべきを教えたもうた所以であった。

今、親鸞聖人が阿弥陀仏の誓願一仏乗を説きたもうたのは、この如き法性法身がその本具の霊徳を顕わにして、一切苦悩の有情をして各自己の永遠の霊性・万法と一如なる法身の徳を証さしめんがために、労苦し活動したまえる報身弥陀仏の大慈悲心に感激したまえるに由るのである。

聖徳太子は、「世間虚仮唯仏是真」と教えたもうた。親鸞聖人は
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界はよろづのこと、みなもて、そらごとたわごと、まことあるなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」
と述懐せられた。この世間を二元対立抗争の巷たらしめるのは、私共が煩悩具足の凡夫たるが故である。私共の恣意にまかせる時、人間界は忽ち修羅の巷となり、三悪道と化する。かくの如く虚仮なる境界を救い摂めて、一如大和清浄の境ならしめるところに、仏の真実の徳力が存する。この徳力がその全き力能を挙げて私共凡夫の煩悩の胸の中に作用したもうもの、これ即ち念仏であらせられる。念仏即ち南無阿弥陀仏の到り徹るところ、凡夫の一切煩悩の氷を融かし即ち菩提の水とならしめたもう。

名号不思議の海水は
逆謗の屍骸もとどまらず
衆悪の万川帰しぬれば
功徳のうしおに一味なり
これ南無阿弥陀仏の徳である。念仏申すとき、即ち弥陀仏の誓願を憶念せしめられる。すなわち自身の煩悩具足の凡夫たり、罪悪深重の衆生たるを覚えしめられると共に、この逆悪謗法の者を救わんと誓いたたせたまいたる本願の大慈大悲に感泣せしめられる。すなわち三世流転の業報を転じて涅槃常楽の境を証し、永遠に覚道に乗じて一切を利益し得るの徳を顕わすの身たらしめられる。これただ南無阿弥陀仏の回向を蒙るに因る。

南無阿弥陀仏の徳号の中には、一切二元対抗を融じ、永遠の大和を証せしめられる。人類世界、否、一切衆生の究竟の依処すなわちここに存する。日本国は、この大法を普く世界人類に伝え、一切と共に常楽を証するの使命を負う。

(昭和33年3月)




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