No.880  2009.02.19

信とは何か

前回の木曜コラムで『大きな手のなかで』と云うご本を紹介させて頂きましたが、引き続き読ませて頂いた米沢英雄師の『信とは何か』(柏樹社出版)をご紹介させて頂きます。

私が持っている米沢師のご本は、母から譲り受けた『歎異抄ざっくばらん』、『自然法爾』と云う二冊の本ですが、米沢師は、市井にある実話をまじえながら、鋭く私たちの罪悪深重振りを示唆され、他力本願の教えに依って救われる道を説かれており、以前のコラムでも何回か『歎異抄ざっくばらん』から引用させて頂きました。

米沢師と同じ福井市ご在住の方とインターネットでご縁を頂きまして、お貸し出し頂いたご本を今集中的に読ませて頂いておりますが、今日ご紹介させて頂きます『信とは何か』は、私のような、頭で他力本願の教えを理解しようとする者には非常に納得出来る内容であり、このご本をキッカケとして信仰の道に進むことになるのではないかと思い、ご紹介させて頂く次第でございます。

ただ、残念なことは、この本は現在のところ絶版になっていますので、入手するには中古本市場で見付けるしかございません。私は、数日インターネットで探していましたところ、運良く昨日ゲットできましたので、粘り強く求めれば入手出来るのではないかと思います(もし、どうしても見付からない場合、ご連絡頂ければ貸し出しさせて頂きます)。
さて、ご本の中から一部をご紹介させて頂きます。自我と自己に関する件(くだり)です。

引用:

人間の心の中に、自我と自己があります。
自我というのは、自分の思うようにしたい、自分さえよければいい、自分一人しかおらん、こういうことを思う心。これに対し、自己という心は、相手の身になって考えることができる心、あるいは人の悲しみが自分の悲しみである、人の喜びが自分の喜びであるという心。つまり自我と自己は全然反対の心。自我というのは狭い心。自分さえよければいいっていうのは、非常に狭い心。エゴの心でございます。

それに対し、自己というのは広い心。相手の身になるというのは、それだけ自分が拡大することでして、本当いうと宇宙大まで、自分が拡大されねばならん。で、今日の公害は、人間の持っている自我の心、エゴイズムが生み出したものと思われます。宇宙大に自分を拡大してみますと、自分が生きとるのは、宇宙と密接な関係があればこそで、自分を大切にすることは、宇宙を大切にすることであるし、宇宙を大切にすることが、結局自分を大切にすることになる。
こう考えますと、現代は自分というものを宇宙大に拡大しなければならん時代ではないか、つまり自己に目ざめねばならぬ時代であると思います。(中略)

私たちに悩みが起ってきますと、自分の思うようにしたいという心が、その悩みをなんとか解決して自分の思いを通そうとしますけれども、これは結局、最後には大きな壁にぶちあたらねばならないようになっております。自我を先に立てて生きている限り、人間の苦悩は止むことがありません。それで、苦悩を超えるには、自我の底にあるところの真実の自己。それを目覚めさせる以外にないわけであります。

その真実の自己のことを、仏法では仏性と申します。 この仏性は、仏になる可能性と申したらよいでしょうか。仏になる可能性をみんなが持っている。仏になる可能性を持っていましても、仏になるのには教育をうけて自己に目ざめねばならん、その自己に目ざめたのを仏になった。成仏したというわけであります。

人間は自己も自我も持っているわけですが、現代は自己を忘れて、自我を拡張進展させる教育ばかりやっていると思われます。

真実の宗教教育というのは、みんなが持っているところの自己、自我とは全然質を異にしている真実の自己を目ざましめるものをいうのであります。真実の宗教教育は、一宗一派に偏するとかいうような、そんなものじゃない。一宗一派というのは存外自我かもしれません。人間は自我を持っております。これが幅をきかせております。そのために自己が圧迫されているとも言えます。
自己は、自我とは質を異にし、これをまた次元が違うとも申しますが、これがあってはじめて人間と言うことのできるもの、その真実の自己が目ざめたのを、禅では悟りを開いたというのでありましょうし、真宗の方では信心をいただいたというのであろうと思います。

自己というのは、相手の身になって考える心と申しましたが、でしたら、自己は自分というものをなくして、人のために働くことのできる。そういう働きこそ、残ってゆくものであろうと思われます。

釈尊、キリスト、孔子、そういう方々は自分のことを考えず、自我より自己を生かしていかれた。その働きが今も生きつづけておりますし、私たちもその恩恵をこうむり、こうむることによって、人間らしくならしめられているのであります。

同じ人間に生まれたものならば、自我一杯で狭い世界、地獄に生きるよりは、広い明るい世界に生きた方がいいんじゃないかということでございます。広い世界に生きてはじめて、あらゆる人々と手を取り合ってゆくことが出来ます。自我だけで生きておりますと、他との戦いをいつもくり返していなければなりません。戦いが止むには、真実の自己に目ざめる以外に手段はないのではないか。しかし外との戦いが止む代わりに、内なる戦い、自我と自己との戦いがあるようです。この戦いを禅では修行と申しますし、真宗では懺悔と申すのではないでしょうか。

自分の心の中で、自我と自己とが戦うことによって、まわりに平和を生んでいくのであろうと存じます。私はうまく言い表すことが出来ませんが、皆さんの懸命な頭でお考えになっていただきたい。

―引用終わり

ご紹介させて頂きましたのはホンの一部でございます。286頁全て心に響く内容でございます。是非、お読み頂きたいと思います。

それから、米沢師のご本をお貸し出し下さったお方が、大変素晴らしいホームページを開いておられます。大変豊富な内容でございます。浄土真宗の言葉の宝庫、そして情報の宝庫と申してもよいと私は思っております。是非、『自分探しの仏教入門』をお訪ね下さい。 ()


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No.879  2009.02.16

親鸞聖人の和讃を詠む-45

● まえがき
親鸞聖人は私たちが仏法を求めて至り得る世界とはどう云うものと考えられているのでしょうか?
親鸞聖人が遺されているあらゆる著述を確認しなければなりませんが、これまで勉強して来た和讃から知れるのは、『等正覚に至る(正定聚の位でもある)』、『常に仏の本願を思う心が絶えず、仏恩報謝の称名となる』『涅槃をさとる』等が手掛かりになります。

しかし、私たちの現実生活に於ける利益(りやく)を直接的に示すものではないと思います。つまり、仏法のことに全く関心の無い一般の人びとが『等正覚に至る』と聞かれてましても、何が有り難いことなのか分らないと思います。

一般の方々が親鸞聖人の他力本願の教えに心惹かれる表現を探すとしたら、私は、歎異抄第7章の『念仏者は無碍の一道なり』と云う表現ではないかと思います。つまり、「他力本願の教えに従って行けば、人生を渡って行く上で障害となることは何一つ無くなる。即ち自由自在の人生が実現する」と申してもよいのではないかと思います。

誤解があったらいけませんので、敢えて申し添えますと、煩悩が無くなって一切の苦しみから開放されると云う訳ではありません。煩悩はそのままにして、苦悩を苦悩と思えなくなると云うことだと申してよいと思います。悪夢を吉夢とする『夢違い観音様』と常にご一緒の人生になると申してもよいのではないかと私は思います。

そう云う人生に転換されるには、親鸞聖人は「念仏の道しかない。」と仰っています。しかし、私の独断的な表現ではありますが、「ただ念仏を称えれば、誰でもがそう云う人生に転換出来ると云う簡単なものではないのだよ」、と今日の和讃で、念仏者を誡められているのだと思います。

●親鸞和讃原文

真実信心うることは          しんじつしんじんうることは
末法濁世にまれなりと        まっぽうじょくせにまれなりと
恒沙の諸仏の證誠に        こうじゃのしょぶつのしょうじょうに
ゑがたきほどをあらはせり     えがたきほどをあらわせり

●和讃の大意(早島鏡正師訳)
(『阿弥陀経』の六方談で)「無量無数の仏がたは『末法五濁の世のなかにおいて、人びとが他力の真実信心を得ることはまれなことであり、得がたいものである』ということを証明しておられる。

●あとがき
歎異抄第2章に語られている「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往生をばとぐるなり、と信じて・・・」、と云う事と「難中の難、これに過ぎたることは無い」と云う正信偈のお言葉を繋ぎ合わせてますと、親鸞聖人は「弥陀の誓願不思議を信ずることはそう簡単な事ではないのだよ」と、色々な著述で誡められていたのだと思います。

ただ、親鸞聖人は私たちを脅されている訳ではないと思います。他力の信心を得る道は易行(いぎょう)と言われていますので、私たち他力本願の信心に道を求めている者が、安易な考えで信心が得られたと勘違いすることの無い様に警告を発しられていたものと解釈したいと思います。

浄土真宗の信者の中には、「私は凡夫でございますから・・・」と偽悪者に陥られる方も居られるとお聞きしますし、『ありがた屋』と称される、まるで信心を得たかのようなフリをする人々も居られるともお聞きします。

親鸞聖人は、自らの体験も踏まえられまして、私たちが『偽悪者』や『ありがた屋』に陥らないように繰り返し繰り返し言い遺されているのではないかと存じます。

親鸞聖人は、常に自己の心と向き合われたお方です。フリをすることを最も避けられた方であり、生涯、自己の偽善と偽悪と闘かわれました。最晩年の84、5歳の時に、『悪性さらにやめ難し、心は蛇蠍(だかつ、ヘビやサソリのこと)の如くなり』とご自分の心の奥底の僅かな煩悩をさえ見逃さずに見つめられたお方です。

私も、自分を偽ることの無いように、親鸞聖人が歩まれた跡を辿りながら、真剣に真摯に他力本願の道を求めて参りたいと思います。

ただ、誤解のないように申し上げますが、私は親鸞聖人の跡を辿るしかない人間でありますが、生来、高徳な方、煩悩の激しくない方も居られることは間違いございませんので、その様なお方は、道元禅師や白隠禅師の跡を辿られても同じ、無碍の一道が開けて来るものだと信じております。夫々の人格と受け継いでいるDNAに依りまして、それぞれの道があると思っております。

合掌


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No.878  2009.02.12

大きな手のなかで

昭和45年4月23日、吉村かほるさん(当時30歳、一児のママ)は、福井市の町医者で信心を極められた念仏者の米沢英雄師に、思いあぐねて、一通の手紙を書かれました。吉村さんには、『小頭症』と診断された1歳4ヶ月になる女の赤ちゃんがいました。生後3ヶ月程度の知恵と運動能力しか無く、首も据わらず、お座りも出来ない病状だと云うことです。 吉村さんは、中日新聞の『心の詩』に寄稿連載されていた米沢英雄師にすがる想いで手紙を書かれました。

『米沢秀雄先生、未知の者からの便り、おゆるし下さい。先生は医者であり、宗教家でいらっしゃいますので、私は先生にどうしても、便りがしたくなりました。
私には1歳4ヶ月になります子供がございますが、実はこの子が、先日の検査で〝小頭症〟と診断されたのです。我が子だけはそんなはずはない。私たちにそんな不幸があろうはずがない、夫婦とも健康だし、妊娠中は悪い薬をのむこともなく順調そのものだったのですから。私たちは何度も何度も医師の言葉を拒絶したことでした。(中略)

医師は、こんな子が生まれたことはだれの罪でもない。妊娠して2、3ヶ月の頃に頭脳が出来てくる。そのとき運悪く、染色体の劣性がこの子の脳細胞を作ったのですと言います。(中略)
その原因も治療法もわかっていない病気を宣告され、医者から見放されると、わらをもつかみたい気持ちになってしまいます。

医者で治らなければ、宗教で治る、と多くの宗派の人たちが入れ替わり立ち代わりやって来られます。姓名、家相、先祖が悪いと言われふらふら信じそうになってしまう私なのです。今の私には何かにすがりたい気持ちが確かにあります。いや、何かにすがらなければたまらない気がいたします。(中略)
先生、私はこれからどのように生きていったらよいのでしょうか、教えて下さいませ』

それに対して、米沢英雄師は、直ぐに返事を出されました。

『吉村かほる様、真剣なお訊ねをいただき、私の力で及ぶかどうかわかりませんけれども、私の信じていることをおつたえ申します。
先ず、お子さんのことでお悩みのこと、これには私参りました。私も5人の子供がありますが、曲がりなりにも、一人前になっており、あなたのような苦悩をしたことがありません故、私の申すことが生ぬるくなるのではないかと思われます。(中略)

私自身は、親鸞の見出された道が真実ではないかと思いますので、親鸞の跡を歩もうとしているものです。(中略)
私たちは、私たちを生死せしめている大きな力の前にはまことに無力でありますので、私たちにできることは、その宿業を身に引き受けて力いっぱい生き抜かせていただくという謙虚な態度だけであります。真実の信心というのはこれ以外にはありますまい。この生きぬく力も不思議に私たちに与えられております。にもかかわらず、私たちはそれを見くびっている。そして何か他の力、他人に頼り、すがるとどうかなるように思っている。
そして右往左往する。これを迷うと申します。(中略)

あなたが、いろいろな知識を得られることは大いに結構です。しかし知識と信心は違います。信心というのは、自分の宿業を受け取って、迷わずに、他人と比較せずに生きぬく力を信心と申します。
あなたが言われるように神とか仏とかは自分の心の外にあるのではなく、心の底にあるのでしょう。それに目がひらかれるのを信心というのでしょう。』

この手紙の1年半後、吉村さんは二人目の男のお子さんも同じ『小頭症』だと診断されます。普通の人ならば、もう神も仏もあるものかと、世の中とは一切遮断したい位に大変なことですが、それからも手紙での交流が続きます。

昭和46年11月13日の吉村さんの悲痛な日記がある。
『重い気持ちの朝が来る。寝ている間のみが天国である。昭(あきら、二人目の子供)の姿を見るごとに、志保(しほ、一人目の子供)の姿を見るごとに、重い心を少しでも少しでも変化させようと思うのであるが・・・・。
常に見守らねばならない二児、常に声がして来る二児、少しも離れることの出来ない二児と自分。自分はいったいどのように心を切り替えて行けばよいのか。母にすがって泣きたい心境のくせに母に言うことも出来ない。姉達は母には黙っているようにと言う。』

大変な状況が続くのでありますが、米沢先生のお導きで、5年後の手紙で、「私はやっぱり、二児との生活が一番やすらかに思えました。」と言う言葉があります。

そして、交流が始ってから10年後の昭和55年10月10日の手紙には、
「米沢英雄先生、真っ青な秋空の下でコスモスが揺れています。そして、ゴミのような私が歩いていました。私が泣いたり、笑ったり、腹立てたり、よろこんだりしている姿は、仏様から見られたら、草木が揺れているようなものでしょうか。生きとし生きるものが、せい一杯生きている荘厳な世界、すばらしい世界に、命をいただき、自覚できる自分にしていただき、しみじみ涙がこぼれてまいります。ありがとうございました。ありがとうございました。お大切に。お大切に。」と書かれてあります。

『大きな手のなかで』とは、吉村かほるさんと米沢英雄師との往復書簡集の名前であります。
本の中には、吉村さんの赤裸々な訴えと質問、米沢先生の心優しくも、吉村さんに何とか自立してこの世を生き抜いて貰いたいと云う真実を伝えたいと云う慈悲の言葉が満載されています。

米沢師はあとがきの中で、「苦悩したかほるさんが如何にして今日のように明るく力強く生きて行くことが出来るようになったか、そこに親鸞仏法の今日的はたらきを確めることができるであろうし、この本の企画者の言うには仏教入門書の役割を果たすであろうとのことだったので私も出版を同意したのである。私は吉村かほるさんを本願の念仏が嘘でないという生き証人だと思っている。」と述べられておられますが、私は、入門書であり、且つ上級応用編でもあると思いました。

親鸞聖人の教えが今一つ分らないと思っておられる方には是非お読み頂きたい本であります。
私は、インターネットでお知り合いになって頂いた方からたまたま一昨日にお貸し頂いたのでありますが、手に障害を抱える女児(2歳2ヶ月)を持つ長女にプレゼントする積りで早速注文しました(出版社『樹心社』のサイトで注文出来ます)。

米沢英雄師の略歴:
明治42年5月31日、福井市に生まれる。旧制第四高等学校文科を経て、日本医科大学卒業。開業医。平成3年3月、逝去。

吉村かほるさんの略歴:
昭和15年3月20日、岐阜県加茂軍郡七宗町に生まれる。岐阜県加茂高等学校卒業。昭和40年吉村英夫と結婚。昭和44年、長女志保、昭和46年、長男昭が生まれる。愛知県在住。


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No.877  2009.02.9

親鸞聖人の和讃を詠む-44

● まえがき
今日の和讃で、親鸞聖人は「自力聖道門では涅槃(覚り)を得ることは出来ない」とおっしゃっておられるのではないかと思います。

私には少し衝撃的に感じましたが、この和讃で親鸞聖人が申されている自力聖道門とは、主として比叡山の天台宗のご修行や、高野山の密教の修行を念頭におかれているのではないかと思われます(ほぼ同じ時代に出られた道元禅師や栄西禅師のことを何処までご存知であったかは分りません)。おそらくご自分の比叡山での20年に亘るご修行・勉学を思い起こされ、またご師匠の法然上人も同じく自力聖道門の修行では覚りには至らないことを言われていたことが、この和讃の背景にあるのではないかと推察しております。

更に、現代を生きる私たちは、親鸞聖人のご在世以降の禅門に、多くの禅師様が出られておりますことを知っておりますし、また私自身は直接曹洞宗と臨済宗の印可を受けられた老師方に直接お目にかかっておりますので、自力聖道門では絶対駄目だとは思えないと言うのが正直なところであります(勿論、禅門の方も我が宗派を自力聖道門とは思っておられません)。

前回の和讃で、阿弥陀仏のお招きとお釈迦様のお勧めに従って他力の信心を得たならば、正定聚の位に至り、涅槃の覚りを得るのだと詠われているのでありますが、今日の和讃で「自力聖道門では涅槃の覚りは得られない」と詠われ、次回の和讃では、「他力の信心を得ることはそう簡単ではない」と詠われるのであります。

●親鸞和讃原文

十方無量の諸仏の        じっぽうむりょうのしょぶつの
證誠護念のみことにて      しょうじょうごねんのみことにて
自力の大菩提心の        じりきのだいぼだいしんの
かなはぬほどはしりぬべし    かなわぬほどはしりぬべし

 

●和讃の大意(早島鏡正師訳)
十方世界にまします無量の仏達は、他力の念仏による成仏の道を証明し、念仏を信ずる者を護念しようと仰せられている。だから、自力の菩提心で成仏しようなどと考えても、それは不可能であることが知られるのである。

●あとがき
歎異抄第15章に、「煩悩具足の身をもてさとりをひらくといふこと、この条、もてのほかのことにさふらふ。即身成仏は真言密教の本意・・(中略)・・これみな難行上根のつとめ、来生の開覚は他力浄土の宗旨、信心決定の道なるがゆへなり。これまた易行下根のつとめ・・・」とありますことから、自力聖道門を否定されていたのではなく、私たち煩悩具足の下根が救われる道は、他力の信心より他には無いと言うことをおっしゃっておられるのだと受け取りたいと思います。

実際のところ、「私とは人物・人格、人間の出来が生まれ付き全く違うなぁー」と思える人が居られる事も事実であります。親鸞聖人が、全ての人に関して自力聖道門では救われないと仰るはずが無いと、私は推察しております。

そして、易行と云われる他力信心の道も、踏破する人は稀であるとも仰って、安易な考えで他力本願の門を叩く私たちを誡められているのが、次回の和讃でありましょう。

合掌


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No.876  2009.02.5

ナムアブダブツ

私は毎日ウォーキングしていますが、歩くだけでは長続きしません。ウォーキングを、技術開発の智慧を絞ったり、このコラムの次回テーマを考えたりする時間に当てています。そして、もう一つの楽しみを持っています。その楽しみとは、ゴルフのスウィングフォームの研究です。

私の専門はテニスですが、ゴルフも昔はゴルフコースに出たこともあり、ベストスコアも80まで上達していました。でも決して納得していませんでした。しかし経済危機に陥っているこの5年間、コースに出る余裕はありませんでしたので、打ちっ放しの練習場にも1回しか行ってません。ただ、私はスポーツに関しては根が凝り性ですので、理想のスウィングを求めてウォーキング中に練習を続けて来ました。ウォーキング途中にある広い公園で、外径10cm程度の軟らかいプラスチックボール(殆ど飛ばない)をゴルフボールに見立てて、5分程度練習をします。もう5年続けて来ましたが、なかなか理想(プロのスウィング)に近づけませんでした。しかし、思い切ってこれまでと全く違うスウィング軌道を試して見たところ、プロに近い球質で飛びました。それで、私は長年に亘って練習の方向を完全に間違っていたことに気が付きました。

そして、更に気が付きました。これはスポーツだけのことではない。技術開発も、仏法の求め方も、自分の狭い知識に凝り固まって出口を見つけられないままで居る可能性があるな、否、そうに違いないと思いました。そう思った時、技術開発も仏道の先行きも少し先に灯りが点ったような気がしました。

そして、青山俊董尼先生の『ナムアブダブツ』のお話を思い出しました。それで、今日は、そのお話をご紹介させて頂こうと思いました。 以下のお話、壁にぶつかっている方の参考になれば幸いであります。

青山俊董尼のお話から:

『私が苦しみから救われるのではなく、苦しみが私を救うのです』と云う、ローマ法王の側近に居られた尻枝正行神父のお言葉は、悲しみや苦しみに導かれて、苦によって救われていくと云う教えですが、もう一つ大事なことを考えておきたいです。

苦しみに出会うということで、もう一人の私が誕生するということです。

江戸時代に、風外本高禅師という方がおりました。
この方が、大阪の破れ寺に住んでおられまして、そこへ金持ちの川勝太兵衛という方が人生相談にゆかれました。川勝太兵衛が一生懸命、自分の悩みを風外禅師に訴えます。そのとき、夏だったのでしょうか、たまたま虻(あぶ)が飛び込んで来ました。

虻はご存知のように、外に出ようと窓に向って、あるいは障子に向って、元気よくぶつかっていきます。そして失神したように落ちて、しばらくするともぞもぞと起き上がって、また同じところへ体をぶつけていくというような愚かさを繰り返すものです。

風外禅師と川勝太兵衛の間へ飛び込んできた虻が、それを繰り返しはじめたんです。禅師さまは川勝太兵衛の話を聞いているのかいないのか、虻ばっかり見ておられる。川勝太兵衛が我慢ができなくなって「禅師さまは、よっぽど虻がお好きとみえますな」といってしまうんですね。

禅師さまが「ああ、すまんかったな、あなたは一生懸命、話をしていてくれたのに。でもこの虻はかわいそうなもので、この寺は有名な破れ寺だ、障子も硝子(ガラス)も破れている、建て付けもがたがた、どこからでも出ていくところはあるのに、自分がここからしか出られないと思うそこに、頭をぶつけてはひっくり返る。こんなことをしていたら死んでしまうわいな」とおっしゃいました。そして、たった一言「人間も、よう似たことをしておりますなあ」と付け加えられました。

この一言で、川勝太兵衛は、ハッと気がつくんですね。虻にこと寄せてお諭しくださったと気づいて、「ありがとうございました」と感謝し、それから熱心な参禅者になったという話が伝えられているんです。

この風外本高禅師の虻のお話には、後日譚(ごじつたん)があります。

沢木興道老師に熱心に参禅されたお方で、田中忠雄という方がある会社へお話に行かれまして、この虻の話をされたそうです。そうしましたら、その会社の女性事務員からお手紙が来ました。

「先生は私の命の恩人です。私は、一人の男性を愛して、結婚したいと思ったけれども、どうしても事情が許さずに結婚できない。生きてゆく勇気もなくなり、死のうと思った。それとなく会社の仕事の整理をして、心の中で皆さんにさよならをして帰ろうと思ったら、課長さんが、『今日は田中という先生のお話があるから、受付をしろ』といわれた。帰って死のうと思うことで、別に急ぐこともないので、ぼんやりと受付に座っていた」というんです。

手紙は続きます。
「そうしたら、中かこの虻の話が聞こえてきた。聞こえてきたとたんに、『ああ、私が虻だった』と気づかせてもらいました。『私が虻だった』と気づかせていただいたら、生きてゆく勇気が湧いてまいりました。先生は私の命の恩人です」。そういうお手紙だったといいます。

そこで田中先生は、「あなたのいのちの恩人は私ではない、虻だ。これからの人生にも、行き詰る日があろう、そのときは、『ナムアミダブツ』といわず、『ナムアブダブツ』と唱えなされ」と返事を書いたとおっしゃるんですね。 「私は、虻だった」と気付く、もう一人の私の眼、これが大事なんです。

もし、この方が思うように、好きなお方と結婚して幸せでいたら、生涯、虻だけで終わってしまうんですね。「虻だった」と気づく私が生まれないままに、虻で終わってしまう。思うようにゆかないからこそ、人は嫌でも、立ち止まらなきゃならん。立ち止り振り返る。思うようにいかないお陰で、苦しみという陣痛を経て、もう一人の私がそこに生まれます。

―お話終わり
皆さまにおかれましても、『ナムアブダブツ』が頭に刻み込まれたものと存じます。


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No.875  2009.02.2

親鸞聖人の和讃を詠む-43

● まえがき
親鸞聖人は、高僧ではありません。私は敢えてだと思いますが、私どもと同じ在家の生活を為されながら、ご自分自身も救われ、私たち在家が救われる道を求められたのではないかと想像しております。
法然上人のお導きに依り、自力聖道門の道から他力本願の道に移入されましたが、法然上人の様に、眼を上げて女人(にょにん)の顔を見なかったと云う清僧には成られなかったことが、私たちに親近感を感じさせてくれるのかも知れません。

そして、念仏を称えて浄土往生すると言う説き方から、「他力の信心を得て、この世に生きているうちに正定聚と言う往生が確定した身にさせて頂く」と云う、現実を踏まえられた道筋を私たちに遺して下さったのではないかと推察しております。

法然上人と親鸞聖人のお二人の揃い踏みがあってはじめて日本に浄土門の教えが根付き、後代の私たちまでもが教えに出遇うことが出来たのだと思います。 今日の和讃には、善導大師の『二河白道(にがびゃくどう)』の教えが背景にあると考えられています。二尊と云うのは、歴史上実在した釈迦如来と智慧と慈悲の象徴である阿弥陀如来を意味します。お釈迦様が、他力の信心の白道を勧められ、阿弥陀様が迷わずにこの白道を歩んで来いと招かれていると云うことを『二尊のみことにたまはりて』と詠われていらっしゃいます。

●親鸞和讃原文

真実報土の正因を        しんじつほうどのしょういん
二尊のみことにたまはりて    にそんのみことにたまわりて
正定聚に住すれば        しょうじょうじゅにじゅうすれば
かならず滅土をさとるなり    かならずめつどをさとるなり

 

●和讃の大意(早島鏡正師訳)
真実の世界である阿弥陀仏の浄土にまさしく生まれる因であるところの、他力の信心を釈迦・弥陀二尊の仰せによっていただき、その信心を得た利益(りやく)として、この世において、仏になる身に決定した位(正定聚)に住するから、未来は必ず涅槃のさとりを得るのである。

●あとがき
私たちは、釈迦如来のお勧めと阿弥陀仏の召喚に従って、迷わず他力本願の白道を進めばよいのです。ましてや、あらゆる経典を読破された挙句にこの白道に気付かれた法然上人と親鸞聖人が渡られ、後に続けと申されているのです。

しかし、私自身、まだ白道に足を踏み入れずに居ます。一歩の踏み出しを逡巡している自分が居ます。多分、この道しかないだろうと思いつつも、一歩を踏み出せていません。何故でしょう。

その答えは、歎異抄の中に親鸞聖人のお言葉として見付けられます。 「煩悩の所為(しょい)なり」と。 つまり、それは私たちの煩悩、特に『驕慢』と言う煩悩の所為(せい)だと云うことではないかと、私は思います。思ってはおりますが、この煩悩からなかなか脱け出せないのであります。

その難しさを親鸞聖人は既にご承知で、次回の和讃に詠われているのであります。

合掌


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No.874  2009.01.29

修証一如(しゅしょういちにょ)

この3月、WBC(ワールドベースボールクラッシク、野球の国別世界選手権)があります。3年前、王監督率いる王ジャパンが奇跡的に復活して世界一に輝き、イチロー選手のリーダーシップと勝利への執念を見せた言動が注目されたことは記憶に新しいところです。今回も、イチロー選手が大リーグの試合では見せないパフォーマンスを見せてくれることは間違いなく、日本の代表選手としてのイチロー選手の活躍を楽しみにしている野球ファンは多いと思います。

今年のイチロー選手は、9年連続200本安打と云う大リーグ記録にも挑みますが、私は彼の打撃技術を磨く姿勢に、武道者の匂いがしてなりません。そして、それは禅僧の仏道修行の様な趣を感じております。

今日の表題『修証一如』は『只管打座(しかんたざ)』と共に道元禅師が仏道を歩む者に対しての導きと心得を端的に表わしたお言葉です。『修』は『修行』のこと、『証』は『証(さと)り』即ち『悟り』のことです。『一如(いちにょ)』は、「一つのこと」「別ものではない」と云うことです。つまり「修行と悟りとはべつものではない」と云うことです。こう申し上げても一般の方にはなかなか理解し難い考え方だと思います。そこで私は、冒頭のイチロー選手の打撃道で説明すれば分り易いと思いますので、後述させて頂きます。

さて、この前の日曜日のNHK教育番組の『こころの時代』は、「道元のことば・正法眼蔵随聞記(玉磨かざれば)」と言う表題で、駒澤大学の角田泰隆師が解説されていましたが、要約すると「修証一如」と云う道元禅師の教えと云うことになります。

すなわち、仏道は、これで終わりと言うことはないし、遠くに証(さと)りを求めて歩むものでもないと云うことです。私も以前『悟り』と言う最終ゴール地点(境地)があると思って求めていたこともありましたが、現在進行形で仏法を求められている方も、往々にして、お寺の法話会に通い詰めたり、禅寺に行って坐禅を組んでいるうちに、素晴らしい境地になるのではないか、いわゆる悟りが開ける時が来るのではないかと考えておられことでありましょうが、そうではないと道元禅師は仰います。
法話を聞き続けること、坐禅を組み続けること、その仏道を修していることそれ自体が既に証(さと)りそのものなのだと道元禅師は仰っているのだと思います。

言い換えますと、証りに限りは無いと云うことでもありましょう。禅門で『後悟の修行』(悟った後にも修行が続く)とも申しますし、臨済禅師の言われた『衣変(いへん)』を重ねてゆくということでもありましょう。

さて、イチロー選手の打撃道も、仏道と同じだと思います。イチロー選手の打率(安打を打つ確率)は3割強です。10回バッターボックスに立てば、3、4回は安打を放って出塁します。それはそれで大変なことで、日本のプロ野球史上で、現役時代を通して3割をキープした選手(4000回以上の打席数)は23人しか居ません。しかも、最高打率は、3割2分です。イチロー選手は、日本の通算打率は3割5分3厘、大リーグでは3割3部1厘です。

しかし、多分イチロー選手の目標は打率10割だと思います。10割を目指して、毎年打撃スタイルを改良し続けているのです。多分、何回か「これだっ!」と云う心境になった事もあると思います。2007年のシーズンを終了した時、珍しく「何かを掴んだ、来年が楽しみだ」と云うような発言がありました。しかし、その2008年は、200本安打の達成にも苦しみました。
しかし、また何かを掴んだに違いありません。

彼はバットを置くまで、何かを掴み、次なる何かの壁に遭遇しながら打率10割を目指して修行を続けることでしょう。そして、掴む何かは確実に進化して行っているのだと思いますが、イチロー選手は進化するしないは関係なく、只(ただ)ひたすら理想の打撃を追い続けることでしょう。苦しく辛いこともあるけれど充実感のある瞬間瞬間ではないかと思います。それは、生身の身を生きている限り、究極の証りには至らないけれど、衣変を繰り返しながら、只ひたすら証りに向って仏道を歩む姿とダブって見えます。

「未だ未だ私なんかはとてもとても悟りの世界とは程遠い」と思われている方もいらっしゃると思いますが(私自身そう思っています)、自分自身「もう仏法無くして私のこれからの人生は無い」と思われている方は、仏さまに掴まえられた方でありますし、限りなく続く仏道を歩み続ける人でもありしょうから、修証一如の仏道を歩んでいると云うことではないかと思います。有り難いことです、励みになります。

合掌


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No.873  2009.01.26

親鸞聖人の和讃を詠むー42

● まえがき
私が人としての命を頂き、しかも仏法にあうことは、どんなにか難しいということをお釈迦様が喩えを以てお弟子に示されたと言う下記の伝記が残っております(インターネット記事から引用させて頂きます)。

 お釈迦様がガンジス河のほとりを、お弟子の阿難尊者と共にお歩きになっておられた時のことです。お釈迦様が、阿難尊者にこうお尋ねになりました。
 「阿難よ、この世に人として生まれて来れるのはどれ程か解るかな?」
「いいえ、私の力では、はかることが出来ません。」
 と、阿難尊者が答えますと、お釈迦様は、果てしなく続く砂浜から、砂を右手にすくい採られ、阿難尊者に示され
「たったこれだけである。」
 と、お答えになりました。
「それでは、仏法にあえるものはどれ程か解るかな?」
 と、続けてお尋ねになりました。
「それも私には、見当がつきません。」
 と、阿難尊者が答えますと、お釈迦様は手のひらの砂を左手の親指ですくわれ、爪の上に残ったわずかな砂粒をお示しになり、
「たったこれだけである。」
と、お答えになったそうです。

―引用終わり

ガンジス河のほとりには無数の砂があります、それに比べれば手の平に乗った砂の量は、無限大分の一、爪の上に乗った砂は、手の平に乗った砂のまた何千分の一でしょうから、法(真理)に出遇えたのは有り得ない確率、つまり奇跡だとおっしゃったのでありました。

そう致しますと、お釈迦様が亡くなられて2500年後に、お釈迦様の居られたインドから遠く離れた日本で仏法に出遇い、且つその中でも親鸞聖人の他力本願の教えに出遇えたことは奇跡中の奇跡だと思わざるを得ません。

その念仏の教えを誹(そし)る者は、無間地獄へ堕ちるとお釈迦様も仰られたと親鸞聖人は『蓮華面経』と言うお経を読まれて、いよいよ意を強くされたと言うことでありましょう。

●親鸞和讃原文

念仏誹謗の有情は        ねんぶつひぼうのうじょうは
阿鼻地獄に堕在して       あびじごくにださいして
八万劫中大苦悩          はちまんごうちゅうだいくのう
ひまなくうくとぞときたまふ     ひまなくうくとぞときたもう

 

●和讃の大意(早島鏡正師訳)
念仏の教えを誹謗する衆生は、アビーチ・ニラヤ(無間地獄)に堕ちて、八万劫という長い間、ひまなく大苦悩をうける、と諸経典に説かれている。

●あとがき
前回の『親鸞聖人の和讃を詠むー41』でお願いしました『蓮華面経』に付いての情報として、ある方が、二つの辞典(『佛書 解説大辞典』11巻P298と、『大蔵経全解説大辞典』第12巻P109)に掲載されている由をご連絡下さいました。内容に付きましては、『仏が入滅数ヶ月前に、仏滅後の未来世界を描写し、次第に仏法が生滅していく様を述べられる。』と付記下さいました。 MH様、有難うございました。

経典の内容は何れ機会がありましたら、知りたいと思いますが、それにしましても、隋(西暦581年~618年)の時代に漢訳されたあまり有名ではない経典の内容を、情報の少なかったはずの鎌倉時代の親鸞聖人がご存知であったこと、その向学心・探究心・知識の底知れなさにあらためて驚く次第であります。

「愚者になりて念仏する」と言う愚者とは、いわゆる愚か者ではなくして、勉強し尽しても尽くしきれなくて知らされる大いなる世界に足を踏み入れた時の気持ちを表わしたものではないかと思ったことでした。

合掌


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No.872  2009.01.22

衣変

仏法を学んでいますと、「あっ、そうか」と、ある時分ったような気がする時があります。私も何回かございましたし、最近もありました。

「あっ、そうか」で思い出しましたが、スポーツで腕を磨いている時にも、よく経験することだと思います。私は今もゴルフの腕前を上げようとして、色々と試しているのですが、何回も「あっ、そうか。分った!」と思ったことがあります。しかし、翌日には「あれはたまたまだったんだぁー」と愕然としたり、成果を試そうとコースに出ると散々な結果に終わることばかりです。 ゴルフをされる方は、多分「そうそう」と思われることでしょう。

仏法で思う「あっ、そうか」に付いて、私が敬愛してやまない故井上善右衛門先生が、次のように語っておられます。

引用:
有名な『臨済録』という極めて鋭い書物がございますが、その中で臨済禅師は「衣変」ということを言っておられます。衣変と申しますのは、綺麗な彩りの着物に着替えて、自分を飾って立派そうに思っておるけれども、それは、ただ衣が変わっただけである、裸になってみたら、そこに何があるかということです。我執にとらわれた私どもの心の中で、ああの、こうのと頭の中で思案いたします。そして「あっ、そうか」と、あるときわかったような気もする。それは、ことごとく衣変だ。着物を着替えて喜んでいるに等しい。確かにそういう趣きが人間にはございます。しかし、私どもは、着物を着て喜んでいても着物をぬがねばならぬ時が来る。裸の己れに立ち返ってみるということは私どもにとって大切なことだと思います。
―引用終わり

ただ、「衣変」を悲観的に捉える必要はないと思います。衣変が繰り返し起りますのは、真剣に道を求めているからこそだと存じます。ゴルフも衣変を繰り返しながら必ず上達をしてゆきますが、仏法においても歩みは遅くとも仏法を求める気持ちは深まっていると考えたいものです。ただ、井上善右衛門先生が引き続き語っておられる以下のお話を決して忘れてはならないと思います。

引用:
さて、裸の己れに返ったときに、そこに一体、なにが残されておるのでしょうか。ただ闇黒の己れに突き当たるのではありますまいか。けれどもその闇黒の全くたよりにならぬ己れの無に返ったその時に、はじめて、まことの如来の大いなる光と寿(いのち)とが手を差し伸べて、しかと、この私を受け止めていてくださるのに出遇う時なのではないでしょうか。そこのところを道元禅師は、「自己を忘るるというは万法に証せらるるなり」と云う言葉を私どもに示して下さったのだと思います。私どもに先立って、私どもが、やがて裸にならずにはおれない存在なのだと云うことを見抜いて、私どもの底に如来が手を差し伸べて、真実の寿(いのち)を用意していて下さる。 それが仏の自他一如の慈悲というものでございます。
―引用終わり

衣変も、本願の中の出来事だと存じます。

合掌

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No.871  2009.01.19

親鸞聖人の和讃を詠むー41

● まえがき
今日の和讃に『蓮華面経』と言う名のお経が出て参りましたが、私は初めて出会ったお経の名前です。インターネットで調べようとしましたが、分りませんでした。『妙法蓮華経』はあまりにも有名ですが、このお経と関連があるのかどうかも分りません。それだけに、親鸞聖人の勉強振りが偲ばれます。 平家が壇の浦で滅亡すると言う遠い昔の時代に、どのようにして漢文で書かれたお経の意味を知ることが出来たのだろうかとその向学心と菩提心に驚かされます。 親鸞聖人は、平安時代から鎌倉時代に移る世にお生まれになりましたが、既に末法の時代に突入していることを知っておられて、世の中の状況を見るにつけ、また周りの僧侶達の振る舞いを見るにつけ、お釈迦様のご予言通りになっていると思われていたのだと思います。そして、次回の和讃で詠われているのですが、その末法の世で念仏の教えを謗(そし)る者は無間地獄に堕ちて苦を受け続けることになる、つまり念仏でしか救われないのだとお釈迦様も説かれていると、意を強くされたのではないかと推察致します。

●親鸞和讃原文

造悪このむわが弟子の      ぞうあくこのむわがでしの
邪見放逸さかりにて          じゃけんほういつさかりにて
末世にわが法破すべしと     まつせにわがほうはすべしと
蓮華面経にときたまふ       れんげめんきょうにときたもう

 

●和讃の大意(早島鏡正師訳)
釈尊は『蓮華面経』の中で、末法の世に悪を好んで為し、欲しいままに邪見を抱いて、淫らな振る舞いをなすものが仏弟子たちの中にあらわれ、わが仏法を破るであろうと予言された

●あとがき
歎異抄第三章にある「弥陀の本願まことにおはしまさば釈尊の説教虚言なるべからず、仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず・・・」と云う釈尊の説教と言うのが、この蓮華面経で説かれていることなのでしょうか、それとも全く関係がないのでしょうか・・・。どなたか、ご存知でしたら、お教え頂ければ幸いです。

合掌


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