No.800  2008.4.28

親鸞聖人の和讃を詠む-10

● まえがき
前回の和讃の解釈におきましても申し上げましたが、親鸞聖人は末法五濁悪世を第三者的に眺められてこれら和讃を詠まれたのではありません。『末法に生まれた私』、『末法そのものの私、親鸞』を詠まれたに違いありませんが、最晩年とも言うべき86歳頃に詠まれた和讃であるところに大きな意味合いを感じる次第であります。

親鸞聖人は29歳の時に法然上人とお出遇いになり他力の念仏者になられました。あまり好きな言い方ではありませんが、つまり他力本願の信心を固められた(自力を転じて他力に廻心された)のだと思います。

でも、それから約55年経たれても、「私は信心を獲て、心安らかな生活をしています」と言う和讃を詠われている訳ではありません。それでは、煩悩まみれの苦しい日常生活を送られていたかと言いますと、そうではありません。このような和讃を詠まれる心には既に仏様の光が差し込んでおり、その光に浴していると云う慶びが和讃の背景に感じ取れるのではないでしょうか。

● 親鸞和讃原文

       命濁中夭刹那にて         みょうじょくちゅうようせつなにて
       依正二報滅亡し           えしょうにほうめつもうし
       背正帰邪まさるゆへ        はいしょうきじゃまさるゆえ
       横にあだをぞおこしける      おうにあだをぞおこしける

● 和讃の大意
五濁悪世の世の中になると、人間の命は短くなり、早死にするようになって、無常迅速のはかなさそのものになってしまう。過去の業の報いとして得たこの身この心もまた私が生活しているこの環境までもすっかり失われてしまうのであろう。
そんな境遇の身でありながら、私は好んで道理に背(そむ)き、間違った道に従ってしまうので、我が身我が心を破滅に向わしめてしまうのであろう。実に悲しいことである。

● あとがき
他力本願の信心は、禅宗のお悟りとは若干ニュアンスが異なるのではないかと思います。禅宗のお悟りは師匠の印可を以て公に認められるように聞いております。師匠から弟子へ「教外別伝(きょうげべつでん)・不立文字(ふりゅうもんじ)・以心伝心(いしんでんしん)」(「教えのほかに別に伝え、文字を立てず、心をもって心に伝う」)と伝えて行くものでありますが、そこに師匠の印可を必要としているようであります。しかし法然上人や親鸞聖人の教えは、やはり同じく「不立文字・以心伝心」ではあり、人から人へと引き継がれて来たものであり、今後も引き継がれて行くものだと思いますが、禅宗における印可と言うような約束も考え方も無いと思います。

極論的な言い方になりますが、師匠に認めて貰うとか、善知識に認めて貰うとか言うものではなくして、個人の心の中で起きる廻心(えしん、自力から他力へと心が転換する)が法然上人や親鸞聖人の教えにおけるお悟りではないかと思います。そして、決して崇高な心境になったり、煩悩が無くなったり、世の中の為になる善い事ばかりする人格になるわけでもないと思います。しかし、もう仏法を離れた生活は考えられない、念仏を離れた生活は有り得ないと云う確かな『人生の羅針盤』を心の中に抱き得たと言う安心があるのだと思っております。


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No.799  2008.4.24

人生とは偶然から必然への過程である

表題は2006年6月20日に或るテレビ番組で、山口県光市母子殺害事件の遺族である本村洋さんが下記のコメントの中で語られていた言葉であります。

『私の好きな言葉で、ある本に「人生とは偶然を必然にする過程である。」という言葉がありました。
ですから、私や私の家族に起きた事件は偶然かも知れない、でもその偶然をきっかけに一生懸命考えて、色んなことをすることで、いつか振り返ったときにですね、あの事件は必然だったんだと、あそこで、あの事件があったからこういうことが分かった、こういう新しい社会の問題が解決出来た、っていう風になればですね、けっして私は、私の身に起こった事件、そして私の妻と娘を奪った事件を無駄にしなかったんじゃないかと、思えるんですね。』

この言葉が書かれている本の題名も著者も分かりませんが、私には宗教性を感じさせる言葉ですので、著者は多分キリスト教徒か仏教徒であろうと思います。科学を信奉し、統計的思考、確率的思考をする人には受け容れがたい発言であろうと思われますが、これこそ宗教的真理だと私は思います。

考えて見ますと、人は我が身に生じたことを偶然に起った事と思うから運命を怨み悲しみもし、また逆に幸運を「ラッキー」と喜び小躍りもするのだと思います。偶然と云う言葉は発生した原因や条件(仏教では縁と云います)が審(つまび)らかではない時に使う言葉でありましょう。そして人間の知恵・知識では分からない故に〝偶然〟と云う言葉で納得しようとするのだと思います。その証拠に、悪いことが起ったときも、良いことが起ったときも、原因や条件(縁)が陰に隠れていて分からないとして、「お陰で、こんなひどい目に遇った」とか、「お陰様で、こんな幸せなことになりました」と言う言葉を古代の人々が考え出したのだと思います。

それでは偶然が必然になると言うことはどういうことでしょうか。ここでは事件や災難などのいわゆる不幸に出遭った場合に付いて考えてみたいと思います。
偶然が必然と思えるようになったと云うことは決して陰に隠れていた原因や条件(縁)が全て明らかになったのではないと思います。自分の外(そと)に原因や条件を見付けようとしている間は、偶然と云う世界から解き放たれはしないと思います。外に向いていた眼が自分に、眼が自分の心に向き、自分の心や自分の人生を洞察し始めたときに、必然と云う世界の扉を開いたと言えるのではないでしょうか。そして、人生を振り返ったとき、自分が歩ん出来た様々な場面で遭遇した全ての出来事や経過と全ての人々との出遇いが一繋がりであった事に気付かされた時、「我が人生は必然と必然の連続であった、無駄なことは一つとして無かった、これからもまた必然の人生が待っているのだ」と思わしめられるのだと思います。
本村さんのご家族はある大企業の社宅で事件に遭遇されました。「社宅に住んでいなかったなら・・・」と本村さんは思ったこともあると思います。そして、その社宅に入ったのは、その大企業へ就職したからであります。「もし、この会社に就職しなかったら・・・」、「妻も私と出遭わなかったら・・・」とも考えられたことでしょう。そして、「あの大学に進学しなかったら・・・」「あの工専に進学しなかったら・・・」とも・・・。そう辿って行きますと際限なく、「もし・・・でなかったら・・・」と不運を歎かれたことだと思います。しかし、それが、「あの時・・・だったから今が有る」と必然へと転換したとき初めて人は救われるのではないかと思います。

今回広島高裁が死刑判決を下した後に開いた記者会見で本村さんは、自分と自分の家族が事件に遭遇した意味も、自分の人生の意味も把握したのだと受け取れる一節があります。
それは、「死刑は重過ぎるという人も適罰という人もいると思います。ただ、それを論じても意味のないことで、どうすればこういった犯行や少年の非行を防げるかということを考える契機になると思う。死刑というものがなくて、懲役刑や、短いものだったりした時、だれがこの結末を注目し、裁判経過を見守ってくれるのか。死刑というものがあって、人の命をどうこの国が、法律が判断するかを国民のみなさんが一生懸命考えてくれたからこそ、これだけの世論の反響を呼んだ。当然いろんな議論があります。いずれにしても目的は安全な社会を作ること。どうすれば犯罪を減らせるか、死刑を下すほどの犯罪をなくすことができるかということに人々の労力を傾注すべきだと思う。」と言うものです。
このようなコメントは偶然の世界から必然の世界の扉を押し開いた者にしか言えないものだと私は思いますし、事件発生後の9年間に亘って、本村さんがあらゆることに関して自問自答された結果だと思います。

私も、私の経営する会社が今から6年前に従業員全員を解雇しなければならないと言う瀕死の重傷を負いました。勿論私個人の生活も惨憺たる状況になりました。落ちぶれた者が経験する殆どのことを経験したと思っています。そして、確かに当初は我が不運を歎いたことも、他人や社会の仕組みを恨んだこともあります。そして私も私なりに自問自答致しましたが、私は仏法の教えを学び続けることに依りまして、人生は偶然の積み重ねではなく、必然の積み重ねだと思わしめられるようになったのだと、本村さんのお話を思い起こしながら述懐しているところであります。


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No.798  2008.4.21

親鸞聖人の和讃を詠む-9

● まえがき
前回の木曜コラムにて、念仏の教えも、鎌倉時代の日本においては新興宗教(或いは新宗教)と見なされていたのではないかと申し述べましたが、今日の和讃の『念仏の信者を疑謗して』と云う一句にその匂いを感じることが出来ます。疑謗していたのは、奈良の東大寺(華厳宗)、興福寺(法相宗)、唐招提寺(律宗)などの旧仏教だけではなく、同じく新興宗教と考えられていた日蓮宗もその一つだったかも知れません。

実際、親鸞聖人が法然上人の下に居られた32歳の時には延暦寺の衆徒達が念仏停止を座主に訴え、法然上人は結果として七箇条起請文を作らされ門弟達に行動を慎むよう指導せざるを得なくなったこともありましたし、更には興福寺からは念仏禁断の奏状が朝廷に出されもし、最終的には親鸞聖人35歳の時に越後の国への流罪となったのであります(法然上人は土佐の国への流罪)。このような若い頃に受けた念仏への弾圧への怒りを親鸞聖人は一生持ち続けられたようでありますので、これらがこの和讃を詠まれた背景にあるのではないかと思われます。

● 親鸞和讃原文

       有情の邪見熾盛にて         うじょうのじゃけんしじょうにて
       叢林棘刺のごとくなり          そうりんこくしのごとくなり
       念仏の信者を疑謗して        ねんぶつのしんじゃをぎほうして
       破壊瞋毒さかりなり           はえしんどくさかりなり

● 和讃の大意
五濁悪世になると、生きとし生けるものの抱く仏教の道理にそわない考え方が火の様に燃え盛り、またそれは叢(草むら)や林の棘(とげ)のついた茨(いばら)のように人々を痛め傷つける。そして、それら仏教の道理にそわない考え方をする人々は念仏を信ずる人を見ると、疑い謗(そし)り、怒り腹立ち、打ち倒そうとするのである。

● あとがき
親鸞聖人は極めて内省深い方でありますが、それはご自分の心の煩悩を見詰めるにおいてのものであり、何に対しても謙(へりくだ)ると言う自己主張を一切しないと言う弱気で消極的な方ではなかったのだと思います。しかし、ご自分が信認している念仏の教えを謗(そし)られるから怒りを持たれたのではなく、法に背く行為に対する歎きを怒りで表されたのではないかと私は思っています。

私は親鸞聖人のこう云うところが非常に人間的であり親しみを感じております。仏法者は全てに対して寛容でなければならないと言う考え方がありますが、法(この世の真理・道理)に照らして間違っていることに対しては毅然として対処する姿勢を失ってはならないと思います。それは、私の尊敬する井上善右衛門先生にしても、白井成允先生にしても、世の中の動きや日本国のあり方に関して、憂いを抱かれ歎き、提言をなさっていらっしゃっていたことと合い通じるところがあり、それが仏法者の本当の姿であると教えられている次第であります。


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No.797  2008.4.17

日本の10大新宗教

いま、私は『日本の10大新宗教』(幻冬舎版、幻冬舎新書シリーズ)と言う島田裕巳(しまだひろみ)と言う宗教学者が書いた本を読んでいるところである。10の新宗教とは、天理教、大本、生長の家、天照大神宮教、立正佼成会と霊友会、創価学会、真光系教団、PL教団、真如苑、GLA(ジー・エル・エー総合本部)である。

島田氏は、「本書では、新宗教をめぐるさまざまな問題を踏まえた上で、主な十の教団を取上げ、それぞれの教団の成り立ちや歴史、教団としての特徴などを紹介することで、日本の社会における新宗教のあり方を概観していくことにする。新宗教の教団の数は多く、その中からわずか十の教団を選び出すことは、ある意味乱暴な試みである。しかし、多数の信者を抱え、特異な活動によって一般社会に大きな影響を与えた教団の数はそれほど多いわけではない。ここでは、教団の規模、現在あるいは過去における教団の社会的影響力、さらには、時代性を考慮して、十の教団を選ぶことにした。この十の教団をおさえることで、日本の新宗教がいかなる特徴を持ち、一般社会とどのような関係をもっているかを明らかにできるはずである。
ただ、一つ断っておかなければならないのは、十教団を選んだからといって、評価を意図してはいないという点である。ここに選んだ十の教団が、優れた新宗教というわけではないし、正しい新宗教というわけでもない。十の典型であるとは言えるかも知れないが、教団のあいだに優劣をつけようとしているわけではない。」と断っている。

そして、新宗教については、こうも言っている。
「あらゆる宗教は、最初、新宗教として社会に登場するとも言える。
仏教は、インドの伝統宗教、バラモン教のなかに出現した新宗教であった。キリスト教も、ユダヤ教のなかに生まれた新宗教で、だからこそ、『聖書』のうち『旧約聖書』にかんしては、どちらの宗教においても聖典として教えの中心に位置付けられている。
イスラム教の場合には、『アッラー』という独自な神を信仰し、その点では、同じ一神教でもユダヤ教やキリスト教とは異なる宗教であるように見える。しかし、アッラーは、アラビア語で神を意味する普通名詞で、固有名詞ではない。イスラム教の聖典である『コーラン』には、ユダヤ教の預言者モーゼも、キリスト教の救世主イエスも共に登場する。その点でイスラム教は、ユダヤ教やキリスト教を生んだ宗教的伝統のなかから生まれた新宗教なのである。」と。

私は未だ読書途中であって新宗教について未だ知らない部分が殆どであるが、読み終えたとしても教義については本書の目的からして把握出来ないと思うがそれでよいと思っている。では何故私が新宗教に興味を持ったかと言えば、既存仏教の教えに共感を覚えている者として、無宗教国と云われる現在の日本において、数百万、或いは一千万人を越える信者を抱える新宗教について、宗教とは何かを考察する上での知識として必要だと思ったからである。

考えてみれば、鎌倉時代における法然上人も親鸞聖人も日蓮上人も、島田氏の定義を借りれば、新宗教のリーダーだったと云えよう。私は島田氏が挙げた十教団に多少の偏見を持っていると言わざるを得ない立場にあると思うし、おそらく入信することは有り得ないと思っているように、鎌倉時代の奈良の仏教界の高僧方も、法然上人、親鸞聖人の念仏の教えをお釈迦様の説かれた教えではなく、低劣な教えだと批判していたであろうと思うのである。

宗教、或いは信仰というものは、極めて排他的な心情を持ち合わせていることは間違いないと思う。私自身、積極的に他の宗教を批判はしない、むしろ他宗教を批判する宗教や信者は正しい信仰ではないとまで考えているのではあるが、私自身が積極的に他の宗教の教義を勉強したり、取り入れる気も無いことも事実なのである。

私は私が信認している仏教、親鸞聖人の教えも、禅の教えも正しい宗教だと思っているが、では正しい宗教とは一体何かと言う問いに私は今も即答出来ない。否、おそらく誰にも出来ないのではないかとも思うのであるが、理論的ではないけれども、数百年、或いは1000年以上の歴史があって、且つ世界的規模で信者が存在する宗教を正しい宗教というべきではないかと思う。

島田氏が挙げた10教団も、或いはその選に洩れた教団でも、今後数百年数千年と積み重ねられていく人類史の中でその真偽が実証されて行くと考えればよいのではないかと思う。そして、自分の宗教は正しいとして他の宗教や教団を排するのはお互いにすべきではないと思うし、他者の信仰を云々することはあってはならないと思う。反社会的な言動が無い限り、個々人の信仰は自由であるべきだと思うのである。


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No.796  2008.4.14

親鸞聖人の和讃を詠む-8

● まえがき
今日の和讃は、末法五濁の世にある親鸞聖人ご自身の煩悩濁を歌い上げられたものであります。親鸞聖人の凄いところは、他人の煩悩を云々していないことは勿論ではありましょうが、人間とはこう云うものだと言う評論家的立場からおっしゃっているのでもなく、全くご自身の煩悩に照準を当てて深く内省しておられるところにあると思います。

私なぞも勿論事ある毎に自分の煩悩を反省することはございますが、親鸞聖人とはその深さにおいて大きな違いがあります。私が自分の煩悩を反省するときは、煩悩を反省している自分の姿を客観的に見ているところがあるように思われます。親鸞聖人の場合はただただ自分の煩悩に愕然として頭を下げておられます。

この違いは、仏様の強い光(他力と言ってよいでしょう)に照らし出されているかどうかにあるのだと思います。私に向っても仏様の光は差しているに違いありませんが、自己愛・我執と言う厚い厚い雲に遮られているからだとお聞きしています。残念なことであります・・・。

● 親鸞和讃原文

       無明煩悩しげくして         むみょうぼんのうしげくして
       塵数の如く遍満す          じんじゅうのごとくへんまんす
       愛憎異順することは         あいぞういじゅんすることは
       高峯岳山にことならず        こうぶがくざんにことならず

● 和讃の大意
私の心には無知と煩悩が溢れかえっている、それはこの地上に満ち溢れている塵のように無限無数である。そして愛欲や憎しみ、貪欲と瞋恚は高い山の高まりにも似て極めて激しいものである。

● あとがき
厚い厚い我執の雲に覆われてはいましょうが、辛抱強く法話に接し、仏法に接している中に、徐々にその雲の厚さも小さくなって行き、丁度、曇り空でも太陽の光のお陰で私達が暮らす地上は明るいように、仏様の光もボンヤリと差し込んで来る時が来るのだと他力本願の教えは説いています。

自分の力ではどうすることも出来ませんが、永く仏法に接し続けていますと、他力に依って、親鸞聖人と同様に頭が下がる時節が到来するのではないでしょうか。


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No.795  2008.4.10

『おふくろさん』の想いが届くかどうか

4月6日、『月光仮面』の原作・脚本家、作詞者で、『おふくろさん』を代表に数多くの歌謡曲の作詞者である川内康範氏が亡くなった。享年89歳である。その最晩年となったこの2年は、森進一氏がその代表曲『おふくろさん』を歌わせて貰えなかったことで大変な話題になっていた。そしてこの問題を未解決のままにして川内康範氏はこの世を去ったのである。

川内康範氏は日蓮宗の寺の子として生まれ、母親からは『無償の愛』を教え込まれながら育ったそうである。仏法者である川内康範氏は『憎むな、殺すな、赦しましょう』を自らの人生訓として生抜かれたそうである。政治との関わりも持ち、故竹下元首相と同年で合同誕生会を開いていたそうであるし、此処最近は国民新党の顧問にもなっていたそうである。

森進一氏とは1968年にヒットした『花と蝶』を作詞したことから始り個人的な付き合いも深め、1973年に自死した森進一氏の〝おふくろさん〟の葬儀を取り仕切り、読経もしたと言う位の付き合いであった。

そのような付き合いをしていた川内康範氏を激怒させた『おふくろさん』問題は著作権が絡んだものでもあるが、根本は人情問題だと私は思う。そして、森進一氏が未だ川内康範氏の真意を理解出来ていない故に未解決のままだと思うのは、訃報に接して森進一氏がマスコミに寄せたコメントからも明らかだと思う。

そのコメントは、『訃報に驚いています。「おふくろさん」のことについても、私の思いの至らなかった部分もあり、直接お目にかかって気持ちをお伝えしたいと先生にお願いしてまいりましたが、かなわないことになってしまいました。寂しく、残念でなりません。心からご冥福をお祈りいたします。』である。

『部分も』とか『残念』と云うのは私達が普通謝るときによく使う言葉であるが、〝自分に少し非はあるけれどもむしろ相手方に問題があるが、相手がそれを理解して居なくて残念だ〟と言う考えが心の底にある場合が多いのではないかと思う。

川内康範氏が森進一氏の謝罪を拒否し続けたのは、本当に謝るとはどう云う事かを森進一氏に教えたかったからだと私は思う。『おふくろさん』の詩は、母の無償の愛を、そして〝まことの心〟を謳い上げたものである。『まこと』とは、『真』であり、『誠』でもある。

川内康範氏のモットーである『憎むな、殺すな、赦しましょう』を持ち出して、「いい加減に赦してやるべきではないか」と言う意見もあったそうであるが、それは言葉を表面的にしか受け取れない人々の意見である。歎異抄に「阿弥陀仏は老少善悪を選ばずに救う」と書かれてあるが、救う対象は老少善悪を問わないが「信心を要とす」と言う前提があるように、川内氏のモットーにも、「まことの心がある人を」と云う前提があるはずである。そして、その前提が顕れる事を川内氏はずっと待ち続けていたはずである。

森進一氏は青森にある川内氏の自宅までマスコミを引き連れて謝罪しに行き、門前払いを受けたのであるが、本当に謝る気持ちがあったなら、せめて三日三晩位は雪の中、玄関先で川内氏を待つと言う行動に出るか、川内氏の赦しが出るまで歌手活動を中止すべきだったと思う。

私はこれからでも遅くは無いと思う。森進一氏はこの際初心に還って『おふくろさん』の詩を心で読み直し、川内康範氏の作品を読み返し、『まことの心』を知り、自己を見詰め直すことが出来れば、本当に謝罪出来る人となり、それはきっと人々に感動を与える行動となって顕れ、多くのファンは森氏が『おふくろさん』を歌うことを心の底から受け容れる結果となろうし、川内康範氏も赦すことは間違い無いと思う。

謝ると云う事は、自分の非を100%認めることだと私は思っている。1%でも相手に非があると思っている限り、謝意は相手に伝わらないと思っている次第である。


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No.794  2008.4.7

青山俊董尼と再会するご縁を頂いて

今日は、親鸞聖人の和讃の勉強をお休みします。

前回のコラムで青山俊董尼が明石にご出講されることをお伝え致しました。私達夫婦と法友Aさん、そしてS夫妻の5名で明石市民会館にご法話をお聞きしに参りました。花まつりの行事の後、『今ここをどう生きる』と言うお題で1時間45分と言う少し予定をオーバーされたご法話でしたが、私にはあっと言う間に終わったと言う感じでした。約450名の聴衆もおそらく同じ想いであった事は、青山俊董尼のユーモアに対する反応から明らかだと思います。

ご法話は、お釈迦様のご誕生を祝う行事である花まつりに因んで、お釈迦様がお生まれになって7日目にお母さまであるマーヤー夫人が亡くなられ、その境遇こそが仏教を説かれるお釈迦様を誕生させたと言うご考察からお始めになられました。一国の皇太子としてお生まれになったお釈迦様は富と名誉と言う点では最高の幸せなご境遇でいらっしゃった訳でありますから、もしお母さまが亡くなられずに、お母様の愛情一杯と言う中でお育ちになられていたら、今日私達は仏法に出遇えなかったであろうとまで話されました。

このお話は私達が仏法に出遇えたのもまた苦しみと言う縁に依るものだと言うお話に繋がってまいります。青山俊董尼がよく引用される『苦しみから私が救われるのではなく、苦しみが私を救う』と言うキリスト教の神父さんの言葉がございますが、今回のご法話も結論と致しましては、苦しみに出遇うことに依って自分を見直すアンテナが立ち、仏法の教えに出遇うことに依って、闇から光の世界へと歩みを転じることが出来るのだと言うことではなかったかと思います。

私達5名は共に約25年前(昭和57年と58年)に垂水見真会で青山俊董尼のご法話をお聞きしておりましたが、最近はご法話CD集でお声だけをお聞きするだけでありました。久し振りにお会い出来ると言うことで、遠方の明石まで来られた先生にお土産をお渡ししたいと考えまして、私が手造りしたイカナゴの釘煮と、多分25年前にもお出しした彦根の銘菓『埋れ木』を用意致しました。そして、前々日に青山先生が堂長をされている愛知専門尼僧堂に先生宛FAX(内容は末尾に掲載)を差し上げ、今回の法話会のお世話役を通して先生にお渡しさせて頂く由をお知らせし、昨日その通りお世話役のお坊様にご依頼致しました。

しかし、ご法話が終わった直後に場内放送で私の名前を告げられて入り口に来るようにとの事でした。突然のことでびっくりしましたが、青山俊董先生が私に会いたいと言われていると言うことでございましたので、5名全員で講師控え室にお伺いし、ひと時直接お話をさせて頂くと言う貴重なご縁を頂きました。そして、サイン入りの最近のご著書を2冊ご用意されておられた先生のお心配りに心温まる深い感動を覚えながらお別れした次第でありました。

FAX文: 大変ご無沙汰しております。
私は、垂水見真会と言う仏法を聞く会の元主宰者である大谷政子の息子です。かなり前にも、ご著書をお送り頂いたりしております。 垂水見真会には昭和57年と58年にご出講頂きまして、私もご法話をお聞きかせ頂きました。最近は、ご法話集CD(ユーキャン、12巻)を購入させて頂き、夫婦共にもう何回と無くお聞きしております。
さて、新聞で今週の土曜日(4月5日)、明石市にご講演に来られることを存知上げました。当方の事情で、なかなか直接ご法話をお聞きしに出向くことが出来ない状況でございますので、今回は何としても出向く積りでございます。
付きましては、ほんの心ばかしの品(手作りの当地方のイカナゴ釘煮と彦根の銘菓、埋れ木)を主宰者の方にお預けしてお渡しして頂くよう依頼致しますので、是非ともお受け取り下さいますようにお願い申し上げます。
私は、先生より一回り下のニワトリ歳です。25年前に、垂水見真会で同じくご法話をお聞きした、私の妻、友人2名と参る予定でございます。4月5日を本当に楽しみにしております。


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No.793  2008.4.3

他力を感じ他力に任せると言うこと

私は今年の3月で満63歳になりました。大学を卒業してサラリーマン(2年半)になり、また職員として大学に戻り、再び(1年半後)サラリーマンに戻って19年、そして脱サラして自ら会社を興して丸16年、会社を大きくする夢を抱いていたにも関わらず、10年後には主事業を失い、工場を閉めまして、それから一人で社長兼技術者兼現場作業者兼経理担当として6年間を過ごして参りました。

その間、二人の子供を結婚させ今では孫も5人います。この6年間は経済的困窮状態が続きましたので、しなくともよい経験を色々として参りました。そして今こうして未だ無相庵コラムを書き続けられていますのは、友人知人のお励ましと支援のお陰でありますし、社会の仕組みのお陰でもありますが、その中のホンの一つでも欠けていましたら、現在の私は無いことを痛切に実感しています。そこに、自分の能力や努力ではない、親鸞聖人の言われる他力を感じています。「全ては他力なんだ、私が感じる良い事も悪い事も、全ては他力の働き掛けによるものだ」と実感しております。

他力を感じますと色々なことが生じましても、「なんで、私がこう言う目に遇わなければならないのか」と言う後悔や愚痴はかなり静まります。

しかし、他力を感じるだけでは心の平安を保ち続けることは出来ないと実感することが最近ありました。実感出来ただけでは不十分で、他力に任せられるように、委ねられるようにならなければ本当の他力本願の信心とは言えないと思いました。

実は昨年末から腸の具合が思わしくなく、掛かりつけの医者から薬を貰って飲んで参りましたが、一向に改善されませんでした。原因を掴みたくて、お医者さんに何とかして欲しいと頼みましたら、腹部のレントゲンを撮ってくれまして、腸の動きが悪いと言われ、近くの大きな病院に紹介されました。昨日、その大病院に参りましたら、「貴方の掛かり付けのお医者さんは大腸癌を疑って居られて当病院に腸の内視鏡検査を依頼されたものです。最近は大腸癌の内視鏡検査を受ける人が増えています、貴方もそう言う年齢です。混んでいますから、検査は一ヶ月先になります。」と言われました。誰しも癌にはなりたくありません。むしろ癌は一番なりたくない病気です。昨年末に便検査に依る大腸癌検診を受け、疑いは認められないと言う結果で安心していましたので、その由を医者に言いますと医者は、「あれは、便に血が混ざっているかどうかだけの検査で大腸癌では無いと言えるものではないんです」と簡単に仰いました。結論として来月の7日に内視鏡検査を受けることになったのでありますが、さて。

大腸癌かどうかは一ヶ月先にならないと分かりませんから、今から思い悩む必要はありません。「癌と診断されたら診断されたときの事。その時に考えれば良いのだ。」と割り切れましたら何も問題もありませんが、しかし、なかなかそうあっさりと行かない自分が居りました。つまり、他力に任せきれない私が居たのです。日頃偉そうなことを言っていましても、癌を、死を目前にした時にうろたえるのは本当の他力本願に身を委ねる身となっていない証拠ではないかと自らの心を眺め直した次第であります。

死は一番無常を感じる出来事だと申します。そして死が目前に迫りませんと、命の尊さも生命の輝かしさも本当のところ分からないと申します。そういうお話は、過去に何回と無く聞いて参りましたが、他人事として聞いていたのだなと思います。これから一ヶ月、癌の恐怖とも闘いながら、仏法を深めて参ろうと思っています。

さて、話は変わりますが、この無相庵ホームページで何回もご紹介し、法話コーナーにもそのお話を転載させて頂いています青山俊董尼が今週の土曜日(4月5日)に明石にご講演に来られます。明石市民会館、午後13時から(12:30開場)です。お近くの方がいらっしゃいましたら、お出掛けになられたら如何かと存じます。勿論、私達夫婦は友人と共に参る予定でございます。


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No.792  2008.3.31

親鸞聖人の和讃を詠む-7

● まえがき
最近日本国内で起っている事件を見ていますと、親が子を殺し、子が親を殺す。また見ず知らずの人を理由も無く手当たり次第に切りつけ殺すという犯罪が急に目立つようになっております。 いよいよ世も末だと感じているのは私だけではないと思います。正に現代こそ末世(まつせ)になったと思うのでありますが、親鸞聖人の和讃からその背景にある世を想像しますとき、これはどうやら何時の世でも感じられていた状況ではないかと言う気が致します。

お釈迦様が亡くなられてから次第に時代が汚れて来ているように説く向きもありますが、お釈迦様が説かれている四聖諦の教えの中に苦聖諦がありますように、元々苦の解決を求められて出家されたお釈迦様の菩提心を思います時、お釈迦様以前のもっともっと昔から、私たち人類の心は煩悩で汚されており、世の中もそれなりに汚れていたのだと考えるべきではないかと思います。よく「昔はこんなことはなかった」と言いますが、それは時代と共に情報伝達方法が進化し、スピードアップし、情報網の密度もアップしたことによって、私たちの情報量が時代と共に増えて来ただけのことではないかと考察しているところであります。

● 親鸞和讃原文

       劫濁のときうつるには        こうじょくのときうつるには
       有情やうやく身小なり        うじょうようやくしんしょうなり
       五濁悪邪まさるゆへ         ごじょくあくじゃまさるゆえ
       毒蛇悪龍のごとくなり        どくじゃあくりゅうのごとくなり

● 和讃の大意
前の和讃が劫濁を詠ったのに引き続き、この和讃では衆生濁、つまり私たち人間の心身そのものが正常ではなくなっている事を詠ったものであります。
五濁悪世といわれる時代に入って、人間の身体は次第に小さくなり、また人間の心も悪しく邪(よこしま)なものとなって、あたかも毒蛇や悪龍のような恐ろしい姿を呈するようになったのである。

身小と言うのは、外観的な寸法が小さくなると言うよりも、心が狭くなるに伴って、外見的に伸びやかさ、晴れやかさを失うと言うことだと思われます。

● あとがき
世の中は何時の世にも苦が満ちていることは間違いありません。それは人間の心は例外なく煩悩に支配されているからであります。煩悩、つまり「何よりも自分の都合を優先させたい心」、「自分を一番可愛いと思う心」が人間の心身を汚し、世の中を汚しているからであります。

その煩悩を統御するには知性や理性では徹底出来ないと思います。私の仏法の師である井上善右衛門先生のお言葉をお借りするならば、生命感情によってしか統御出来ないと思われます。生命感情とは宇宙的真実に目覚めた感情のことであり、言い換えれば、人間として生まれて真に値打ちのある命を生きたいと思う心、仏教ではこれを菩提心、或いは宗教心と申しますが、この菩提心の芽生えが無ければ、煩悩まみれの無反省な日常生活から脱皮出来ないのだと思います。

現代はその菩提心を芽生えさせる機会を与えない社会になってしまっているのではないかと思います。これをこそ末法の世と云うべき状況ではないかと思います。お金儲けが出来ること、社会的地位や名誉が得られるなど煩悩を満足させる事を謳い文句とした新宗教が持て囃(はや)され、本当に値打ちあるものを求めない、また説かない時代になったと言うべきではないかと思います。そしてそれを親鸞聖人のように歎く人も居ない時代になってしまったことは実に困ったことであります。


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No.791  2008.3.27

何でも何故と考えよう

唐突な今日の表題『何でも何故と考えよう』、実はこれ私の母校、神戸市立歌敷山中学校の生活信条である。これは『進んで仕事に汗を流そう』と共に今も覚えているものである。(ホームページで調べると現在は五つあるようだが、当時は確か三つだったと思う)。約50年前に暗記させられた言葉を今なお暗記していることに自分自身驚いているところであるが、何故この50年も昔の生活信条を思い出したかと言うと、連想ゲーム的なのであるが、極最近立て続けに発生した若者に依る無差別殺人事件の背景を考察していたからである。

昨日テレビ報道でJR岡山駅での事件を知った時に先ず頭に浮かんだのは、この種の事件後マスコミのコメンテーター達が必ず繰り返す「命の尊さを教えねばならない」と言う言葉である。しかし、「昔も改まって親や先生から『命の尊さ』を教えられた記憶は無いなぁ」と。そして、「命が尊いと言っても、現実的には我々は牛を殺し、魚を殺し、鶏を殺し、その他多くの動植物の命を殺しつつ生活している限り、説得力のある説明を子供達に出来るはずが無いなぁ」と。だから、「命が尊いと言うにしても、それはやはり『人間の命が尊い』と言う事を教えねばならないのではないか。そして他の動植物に比べて何故人間の命が尊いかと言うと、5W1H(五ダブリュ一エイチ)の中のWhy(何故)が考えられるのは人間にしか与えられていない能力であるからだと考えるべきではないか」と考察するに至り、「そう言えば、中学校の時、『何でも何故と考えよう』と教えられたなぁー」と思い出した次第なのである。

因みに、5W1Hは、物事の報告や企画を文章化する時に、非常に整理されたものになるのでビジネスの中で指導されるもので、Who(誰が)、What(何を)、When(いつ)、Where(どこで)、Why(なぜ、どんな目的で)How(どうやって)の頭文字を合わせたものであるが、感知能力・考察力レベルを別にすると、Why以外は他の動植物でも持ち合わせていると考えてよいと思うのである。

人間にのみ与えられた『何故?』と考える能力は、当然として「何故人間として生まれて来たのか?」とか「何故人間は死ななければならないのか?」と言う自己を見詰めるものに振り向けられるのが自然であるし、それだからこそ人間と言えるのではないかと思う。『命の不思議』を考えられるのは人間だけだからである。そして、それは必ず宗教心の芽栄えに至るはずである。そうすれば、人間として生まれた自分を大切にするであろうし、ひいては他の人の命を殺めたりは出来なくなるはずである。

『何故?』と考える能力を磨いてこの1世紀の短い間に人間は、科学文明を飛躍的に進歩させ生活を便利にはしたけれども、その一方で人間は、自分の命の不思議や人生の不可解さを何故?と考えることを忘れてしまっているのではないかと思う。何故、何故、何故と考える姿勢が身に付いていれば、短絡的に他人を無差別に殺めてしまうことにはならないと思う。

この無相庵の月曜コラムで勉強している仏法は、元来(がんらい)、何故・何故・何故を繰り返すことに依って、本当の自己に出遇う道を説くものだと思う。そうすれば、金儲けや病気を治ることを謳い文句にするいかがわしい擬似宗教には迷い込まないであろうし、また昨今特に目立っている苛(いじ)めや自殺、無差別殺人等がここまで増え続けなかったのではないかと思う。そう思う時、私が中学で学んだ表題の生活信条を、全国の小学校・中学校・高校の生活信条として欲しいものだと思った次第である。

付け加えて、仏法は人間の命だけが尊く、他の動植物の命は尊くないとは考えない。他の命を奪ってしか生きられない人間の命であることを自覚し、多くの命を犠牲にして生きている人間の命であるからこそ余計に大切にしなければならないと仏法は考えるのである。


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