No.720  2007.7.23

歎異抄に還って―第十八章―@

● まえがき
さて、いよいよ歎異抄本論である「異なるを歎く」の最終章まで参りました(後は、後述と言う少し長いあとがき≠ェあります)。この第十八章もやはり第八章(念仏は行者のために非行非善なり)に対応しております。白井成允先生は、「私たちの我執自力の心は、どうしても何かの行を修め善を為すということがなければ落ち着き得ない、生死を出(い)で離れ仏の覚りを開くについてもこのことがしつこく着きまつわっている。それでこちらで為す己れの行業の因に応じて、かの土において得られる覚りの果にも差別がなければならないという考え方になりがちである。それは私たちが慣れ親しんでいる功利主義的常識から当然現れることだといわねばならない。しかしそれは仏の願に違(たが)う。仏の願は十方一切の有情を憐れんで必ず浄土に生まれしめ、すべて同一の仏の覚りを得しめようと誓われたものである。」と述べられ、信心を得る上でも迷いが付き纏う悲しさを表現されて、「それは阿弥陀仏の誓願とは全く異なるものである」と説かれておられます。

このような仏道を求める上での迷いに付け込んで、寄付が少ないと救われない、幸せが得られないと、善良な庶民から財産を集めている偽宗教団体が勢力を伸ばしているというのが現代社会でも現実として起っているのではないでしょうか。否、偽宗教団体だけではなく古い仏教教団もその仲間入りをしているようにも見受けられますが、少なくとも本来の法然上人と親鸞聖人の教えでは、この第十八章に示されている様に、寄付の多少とか、念仏の声の大小で、覚りの段階が変わるとか、浄土への往生が叶わない等と言う事は説かれていないと言うことを確認しておきたいと思います。

●第十八章原文
仏法のかたに施入物(せにゅうもの)の多少にしたがひて大小仏になるべしといふこと。この条、不可説なり、不可説なり、比興(ひきょう)のことなり。まづ、仏に大小の分量をさだめんこと、あるべからずさふらふか。かの安養浄土の教主の御身量をとかれてさふらふも、それは方便報身のかたちなり、法性のさとりをひらひて、長短方円のかたちにもあらず、青黄赤白黒(しょうおうしゃくびゃくこく)のいろをもはなれなば、なにをもてか大小をさだむべきや。念仏まふすに化仏(けぶつ)をみたてまつるといふことのさふらふなるこそ、大念には大仏をみ、小念には小仏をみるといへるか。もしこのことはりなんどにばし、ひきかけられさふらふやらん。

かつはまた檀波羅密の行ともいひつべし。いかにたからものを仏前にもなげ師匠にもほどこすとも、信心かけなばその詮なし。一紙半銭(いっしはんせん)も仏法のかたにいれずとも、他力のこころをなげて信心ふかくば、それこそ願の本意にてさふらはめ。すべて仏法にことをよせて、世間の欲心もあるゆへに、同朋をいひをどさるるにや。

●白井成允師の現代訳
仏法のことについて献(ささ)げる施物の多いのと少ないのとにしたがって、浄土に生まれて覚りを開くとき、或いは大きい仏になり、或いは小さい仏になるのだ、という者がある。これは言語道断とんでもないことである。まず仏の御身におおきいとか小さいとかいう分量を定めることはあるべきことではない。かの安養浄土の教主であらせられる阿弥陀仏の御身の分量を経に説かれてあるが、それは法性の御身から私共をお救いくださらんがために現れてくだされた方便法身の御姿について申されるのである。それは私共現身(うつせみ)を離れ得ない思慮分別に応じて示してくだされた御姿であって、本の法性法身を申しておられるのではない。私共が浄土に往生して法性の覚りを開くときには、長いとか短いとか四角だとか円いとかいう形を離れ、青・黄・赤・白・黒などという色を離れてしまうのであるから、そういう覚りの境界を何によりて大きいとか小さいとか定めることができよう。念仏申すと化仏をみたてまつるということがあるので、大声で念仏すれば大きい仏を見、小声で念仏すれば小さい仏を見ると言われるのであろうかと思われるが、かの浄土に往生して仏の覚りを開くとき或いは大きい仏になり或いは小さい仏になるなどと云うのは、或いはこの道理にでもひき掛けて云っておられるのであろうか、甚だしいまちがいと云わねばならない。
そのうえ施物の功徳をかれこれ云うのは聖道門でいう布施波羅密の行ともいうべきものである。いくら財物を仏前にも献げ師匠にも差し上げても、もし信心がないならば、その布施は何の益にもたたないことである。一紙半銭も仏法の方に献げなくても、もし他力のめぐみにまかせきって信心が深いならば、それこそ仏の誓願の本意によくかなっているのであるのであろう。すべてこんな誤ったことを云われるのは、仏法にこじつけて己れの世間的の欲心を満たそうとするために、同じく念仏申す朋友等を云いおどろかされるのであろうか。

●高史明師の現代語意訳
仏事に関係する方面に、どれだけ寄付するかということ、その施入物の多い少ないに従って、大きな仏、また小さな仏になるだろうと言われていることについて。この説、まことにもって言語道断のことであります。卑しい(比興)と言うほかない説であります。まず、仏に大きい小さいという分量を定めるということが、あってよいことでありましょうか。かの極楽浄土の教主、阿弥陀仏の御身の大きさについて、(『観無量寿経』には、たしかに「仏身の高さ、六十万億那由他(千億)恒河沙由旬(ガンジス河の砂の数に掛ける牛車一日の行程)なり」という途方もない表現で説かれていますが、)それは私たちにもわかるようにという配慮のもとに言われた、方便のお姿であります。絶対の真理である真実智慧の覚りに帰するなら、長い短い四角い円いの形もなく、青・黄・赤・白・黒の色をも離れているのであれば、いったい何をもって大小を定めることができましょう。思いを凝らして念仏すれば、それぞれの思いに応じて、仮のお姿を現して下さる化仏を、見たてまつることがあると言われていることで言いますならば、「大念には大仏を見、少念には小仏を見る」(『大集経』の文意)とも言えましょうが、この経の言葉にでも、引き掛けて言われているものなのでありましょうか。

あるいはまた、それは、迷いの此岸から彼岸に至る菩薩行である『波羅密』のうちの、布施行ということもできるものであります。とはいえ、どんなに、財宝を、仏前にも寄進し、師匠に差し出したとしても、信心が欠けているのであれば、その効果はありません。一方、紙一枚、銭一文も、仏事に関係する方面に寄進しなくとも、本願他力にこころを投げつくして、深い信心を授かっている人は、それこそ阿弥陀仏が願をお建てになられた、本当のおこころに、かなうことになります。施入物の多少などと言うのは、すべて、仏法にかこつけての言い分であります。俗世間の欲望に振り回されて、念仏のお仲間を、言い脅やかそうとするのでありましょうか。

● あとがき
妙好人浅原才市翁が、「他力には自力も他力も無し、ただ一面の他力なり」と言われたそうでありますが、なかなか才市翁のようには思えないものであります。それほど私たちは自力を頼りとしています。習い性となっている気が致します。私自身、他力の教えを常々耳にし眼にしながら、実際の生活においては自力至上主義を貫き通していると振り返っています。

この私の姿を見られて阿弥陀仏は、「煩悩具足の凡夫よ」と大悲の心を注がれているのだと永年に亘ってお聞きしていますが、それでもなかなか止められないのが私の現実であります。そして、そう言う自力に頼る性癖・根性を持つ者がこの第十八章で歎かれている対象であります。


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.719  2007.7.19

心の中にこそ手鏡を

『手鏡(てかがみ)』はあまり善いイメージのものではなくなりました。野村證券元社員のエコノミスト、早稲田大学大学院前教授の植草一秀氏の猥褻行為に関わる小道具であったが故なのでありますが、しかし、『手鏡』は依然として若き女性の携帯品目の第一位にランクされる品物であり続けているようであります。 

そんな手鏡をコラムに取り上げましたのは、昨日の朝、ウォーキングコースの途中にある保育園の前を通りました時、保育園の前の歩道で手鏡を見ながら髪の毛に手櫛を入れている、恐らくは30歳前後のママであろう姿を遠目に見まして、心の身だしなみを失った現代世相を見る想いがしたからであります。

昔の女性は人前で手鏡を出して化粧を直したりはしていなかったと思いますが、最近は、電車の中で堂々と手鏡を出している女子高生の姿によく遭遇致します。考えて見れば、女性に限らず人間というものは誰でも外見を大切にしますが、最近はそれが激しくなっているように思います。そう言う時代だからこそ、自己を見詰め直すことを説く仏教が必要だと私は思っています。そして、「心の中にこそ手鏡を持って、常に自己の心を見詰め直さなければならない」と思うのであります。

ただ、心の中に手鏡を持つというのは、飽くまでも倫理・道徳の世界であり、信仰の世界ではありません。自力・他力と言う表現を致しますと、手鏡を持つと言うのは自力の世界だと思います。自力の世界では、時として手鏡の存在を忘れてしまうことが起ります。本当は、手鏡の方から入り込んで来て居座っている状態が好ましいと思います。実はそれが他力の世界ではないかと思います。「手鏡を手離そうにも手離せない」と言うのが他力の世界でありましょうが、それはやはり仏法を聞き続けて行くことでしか実現しないのではないかと思います。


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.718  2007.7.16

歎異抄に還って―第十七章―完

● まえがき
浄土真宗の教えに馴染みの無い方には、浄土への往生すらも俄かに信じ難いことでありましょうから、この第十七章の冒頭の『辺地(へんち)の往生』と云う言葉は、むしろ異様に響くのではないかと思われます。辺地(へんち)、化土(けど)は、本当の浄土ではなく、浄土の傍に設けられた仮の浄土であります。不謹慎な喩えではありますが、大学受験の予備校的な位置付けの概念だと云ってよいかも知れません。

お念仏を称える浄土門の信者でも、阿弥陀仏の誓願を心底信じられない者、即ち、全面的に他力に任せるに至っていない、所謂、自力作善の者はこの世から直接にお浄土に往生は出来ない代わりに、何れはお浄土に往生出来ると約束されている『化土』とか『辺地』と云われる仮の浄土に往生出来るとされているのであります。

しかし、歎異抄が書かれた当時の信者の一部には聖道門的発想の自力作善の人々が少なからず存在し、「仮のお浄土へ往生する者には、実は、浄土への往生は約束されておらず、結局は地獄に墜ちるのだ。だから、生きている間に廻心して、何としても浄土往生が約束されている『正定聚の位』に付かねばならないのだ」と云う間違った考え方を説いていたのでありましょう。

それは間違った考え方ではありましょうが、そう言う考え方に陥り易い事も確かではないでしょうか。「この世で覚りを開けないと仏法を求める意味が無い」と言う一般的な考え方から致しますと、化土や辺地への往生は何の意味も無いことになるからであります。今の私がちょうどそう言うところで立ち往生しているように思います。「お浄土への往生は叶いそうに無い、それならお浄土の傍の辺地・化土でもよいから往生したい」、とまでは思えないのであります。

そう言う意味から、この第十七章は私には重たい異なるを歎かれた%燉eであります。

●第十七章原文
辺地の往生をとぐるひと、つゐには地獄におつべし、といふこと。この条、なにの証文にみへさふらふぞや。学生(がくしょう)だつるひとのなかにいひいださるることにてさふらふなるこそ、あさましくさふらへ。経論聖教をばいかやうにみなされてさふらふらん。信心かけたる行者は本願をうたがふによりて、辺地に生じてうたがひのつみをつくのひてのち、報土のさとりをひらく、とこそうけたまはりさふらへ。信心の行者すくなきゆへに、化土におほくすすめいれられそふらふを、つゐにむなしくなるべしとさふらふなること、如来に虚妄をまふしつけまひらせられさふらふなれ。

●白井成允師の現代訳
極楽の辺地に生まれる者はおしまいには地獄におちるであろう、と云う者がある。れは何の証文に見えているのであろうか。しかもこれが学者だといわれている人々の中から云い出されていることであるのは、いかにもあさましいことである。 いったい経論聖教をどのように読んでおられるのであろう。他力の信心がひらけずに自力の善根功徳を為すつもりで念仏している者は、如来の本願を疑っているいるのであるから、すぐに本願に応(したが)いたる報土に生まれないで、先ず化土に生まれて、そこで自力の善根のはかなさをさとり、本願を疑った罪の深きをおぼえてこれを償い、そうした後に真実の報土のさとりをひらくのである、と承っている。 はじめから純粋に本願を信ず人が少ないから、多くの人々を勧めて先ず化土に生まれさせてくださるのであり、化土に生まれさせてくださるのは、そで真実に本願を信じて報土に至るように方便(てだて)してくださるのであるのに、その重々の大悲の御心尽しをいただかないで、化土に生まれた者はついには念仏もうしたかいもなく地獄におちるのだなどと云うのは、釈迦牟尼が虚妄を語られたとおしつけまいらせるものである。

●高史明師の現代語意訳
本願を疑い、辺地に生まれることになった者は、結局は、地獄に墜ちるに違いないと言うこと。この説は、どの文献を根拠にして、言われているのでありましょうか。学者と言われているほどの人の中において、言い出されていることであれば、いっそう浅ましいことであります。
経や論などの聖教を、どのように見ておいでなのでありましょう。信心の欠けた行者は、本願を疑うが故に、辺地に生まれ、そこで疑いの罪をつぐなっての後、真実の報土の覚りがいただけるというのが、教えられてきたところであります。
真実の信心を得る行者が、少ないが故に、仏は方便力をもって、辺地をもうけられているのであります。(そのお心は、やがては、一人残らず浄土にお迎え下さろうというところにあると、申せましょう)そうでありますのに、それが結局は虚しいものになって、地獄に墜ちるに違いないなどと言うのは、如来をして、あたかも虚しい空言を言われたとしたてまつることになりましょう。

● あとがき
辺地や化土が設けられた意図は、煩悩具足・罪悪深重の悪人をこそ必ず救うと阿弥陀仏は誓願を立てられた一方で、この誓願を素直に信じる真実信心を得る者は極めて少ないだろうと言う阿弥陀仏のみそなわし≠ノ依るものだと思われます。実際のところ、この世間を生きる煩悩具足の者が、浄土を願う程に自分の心の中に穢土を感じることは極めて有り得ないことだと古くから言われておりますから、私を含めて殆どの人は、この辺地・化土への往生を果たすのだと思います。

その辺地や化土に往生する者は地獄に墜ちると言うのは、辺地や化土の存在を説いた釈尊の教えを愚弄するものであり、阿弥陀仏の大悲を信じない者の考え方であります。それは親鸞聖人の他力本願の教えから大きく逸脱し、本当はその様なことを主張する人々は辺地・化土にも往生出来ないのだと言いたいのではなかったかとすら思う次第であります。

私はこの世自体は穢土ではないと思います。少し考え方・見方を変えれば、この地球・自然こそお浄土そのものではないかとさえ思える時もあることはどなた様にもあると思います。四季のある日本に生まれた日本人は特にその感覚を否定出来ないのではないでしょうか。

しかし、浄土門の考え方に、「この世は穢土だ」と言う言い方がある事も確かであります。ただそれは、私達の周りの環境、すなわち自然環境を含めた地球と地球上で起る様々な現象を穢土だとは言っていないと思います。穢土と言うのは、飽くまでも、私達衆生の心の動きを指して、仏様が感じる評価であります。私達は「苦楽はあざなえる縄の如し」と申しまして、この世には苦労や辛いこともある一方、楽しいことや嬉しいことも沢山あると思っていますが、仏様の眼からすれば、煩悩具足の私達衆生が感じる苦も楽も全ては苦だ≠ニ思われていると云うことであります。

私達が本当にこの世は「一切皆苦(いっさいかいく)」だと覚ったならば、その対極にある「お浄土」を願うのは必然、否、自然なことではないかと思いますが、私はとてもそこまでは至らないと思われます。


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.717  2007.7.12

お陰様で満7年

無相庵ホームページは2000年7月6日に開設致しましたが、この無相庵コラムは、一週間後の7月13日に第一回目のコラム(雪印乳業事件に想う)を書きました。それ以来、月曜と木曜にコラムを書き続けて今日で満7年となり、コラムも717編になりました。

その第一回のコラムを書いた翌日の7月14日に私が経営する会社の運命を変える電話を受けました。会社の売上高の90%を占める仕事が中国企業に移される可能性が高いと言う連絡でした。それは2年後の2002年に現実のものとなったのでありますが、7年後の今日、この7年に亘る険しい道のりを何とか歩んで来れましたのは、このコラムと共に歩んで来たお陰であり、そしてこのコラムを読み続けて下さっている二百余名の読者様のお陰であります。厚く御礼を申し上げます。
そしてまた、このコラムを一日も欠かさずに来れましたのは、私達夫婦共に病に倒れることが無かった幸運もございますし、また何よりも、誠を尽くして私達を見守り、物心共に支え続けて下さった方々のお陰様であります。

ここに、全てのお陰に感謝をしつつ、そして心を新たにしまして、更に歩み続けて参いりますので、これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.716  2007.7.9

歎異抄に還って―第十六章―完

● まえがき
浄土真宗の信心は禅門の悟りと殆ど同じ心の転換だと思いますが、煩悩を滅し切った心の状態ではありませんから、折に触れて煩悩が湧き上がるものと思われます。従いまして、廻心して信心を獲たと申しましても、何かの拍子で煩悩が表に現れてしまい、他人を傷付けたり、後味の悪い状況にも成りかねないものと思われます。それを評して、信心が足りない、廻心したと云われているけれども、思い違いではないかと言う批判があったのだと思います。そう云う批判は他力本願の教えに反することであるとこの十六章で断じているのだと思います。

出家ではない在家の人間の日常生活は色々な人間関係の中にあり、出家の厳しさとは異なる厳しい修行の場ではないかと思われます。それは親鸞聖人ご自身が晩年に経験された長男の善鸞勘当事件が物語っていると私は思っています。息子を勘当しなければならなかった親鸞聖人を父親としては勿論、宗教家としても有ってはならない事だと批判する人達もきっと居たものと思われます。 その事実を以って、親鸞聖人も信心が定まっていなかったのではないかと言う他宗、それも親鸞聖人の兄弟弟子とも言うべき法然上人の直弟子達からの批判も有ったのではないかと思われます。

●第十六章原文
信心の行者、自然(じねん)に、はらをもたて、あしざまなることをもおかし、同朋同侶にもあひて口論をもしては、かならず廻心(えしん)すべし、といふこと。この条、断悪修善のここちか。 一向専修のひとにおいては廻心といふことただひとたびあるべし。その廻心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまはりて、日ごろのこころにては往生かなふべからずとおもひて、もとのこころをひきかへて、本願をたのみまひらするをこそ廻心とはまふしさふらへ。

一切の事にあしたゆふべに廻心して往生をとげさふらふべくば、ひとのいのちはいづるいきいるほどをまたずしてをはることなれば、廻心もせず柔和忍辱のおもひにも住せざらんさきにいのちつきば、摂取不捨の誓願はむなしくならせおはしますべきにや。くちには、願力をたのみたてまつるといひて、こころには、さこそ悪人をたすけんといふ願不思議にましますといふともさすがよからんものをこそたすけたまはんずれ、とおもふほどに、願力をうたがひ、他力をたのみまひらするこころかけて辺地の生をうけんこと、もともなげきおもひたまふべきことなり。

信心定まりなば、往生は弥陀にはからはれてまひらせてすることなればわがはからひなるべからず、わろからんにつけても、いよいよ願力をあをぎまひらせば、自然(じねん)のことはりにて柔和忍辱のこころもいでくべし。すべてよろずのことにつけて、往生には、かしこきおもひを具せずして、ただほれぼれと弥陀の御恩の深重(じんじゅう)なることつねにおもひいだしまひらすべし。しかれば念仏もまふされさふらふ。これ自然なり。わがはからはざるを自然とまふすなり。これすなはち他力にてまします。しかるを、自然といふことの別にあるやうにわれものしりがほにいふひとのさふらふよしうけたまはる、あさましくさふらふなり。

●白井成允師の現代訳
弥陀の本願を信じて念仏する者である以上は、腹を立てたり、悪いことを犯したり、または友達に会っては口論をしたり、ともかく身・口・意の三業において罪を造ったときには、そのたびごとに必ず廻心しなければならない、罪を懺悔して心から改めねばならない、こう改めることが念仏する者の自然のふるまいである、と主張する者がある。これは念仏すると言いながら、自ら悪を断ち善を修めるつもりででもいるのであろうか。ひたすらに弥陀仏の本願を信じて念仏申す人においては、廻心というとは生涯にただ一度あるだけのことてある。その廻心というのは、これまで、真実の道を、即ち自分の力によりてではなく、弥陀仏の本願の御力によりて浄土に往生させていただく道を知らずにいた人が、はじめて仏の智慧をたまわりて、これまでの自力修善の心でいては往生することはできないのだと思うて、これまで抱いていた心を捨ててしまって、仏の本願をたのみまいらせるのをこそ廻心とは云うのである。

身に為し口に言い意に思うあらゆる業について、そのたびごとに廻心してはじめて往生が遂げられるものだというならば、人の生命は出る息が入る間もなくはかなく終わるものであるから、あさましい業を為して廻心もせず、やわらいだおだやかな心にもならない間に、命が終わってしまうこともあろうが、さような場合には、弥陀仏の十方の衆生を摂め取りて捨てないという御誓願は、何の益にもたたないことになってしまうのであろうか。口先では、「弥陀の本願の御力をたのみたてまつる」と云いながら、心の中では、「悪人を救おうという御願がいかにも不思議であられるというけれども、しかしやはり善人の方をこそお救いになられるに違いない」と思っているので、本願の御力を疑い、仏の力にたよりまいらせる心がなく、そのために、真実の報土に参らずして、辺地化土に生まれるようになるのであるが、これは何よりも歎かるべく考えらるべきことである。

ひとたび他力の信心がはっきり定まった上は、往生は弥陀仏の御はからいでさせていただくことであるから、われら自分のはからいですることではない。自分の悪いことが知られるにつけても、いよいよ本願の御力を仰ぎたてまつるならば、自然(じねん)のことわりにて、その御力のおのずからなる御はたらきとしてやわらいだおだやかな心もあらわれてくるであろう。 すべて何事についても、往生のためには己れのこざかしい思いを加えないで、ただほれぼれと弥陀の御恩の深く重いことをいつもいつも想い出しまいらせるがよろしい。そうするとおのずから念仏も申されるようになる。これが自然である。自分がはからわないのを自然と云うのである。これが即ち他力なのである。そうであるのに、自然ということがこれより他にあるように知ったふりをして云う人があると聞いたが、いかにもあさましいことである。

●高史明師の現代語意訳
他力の信心をいただいている人が、ふとしたことから、腹を立て、悪としかいい様のないことをしでかし、また、念仏のお仲間との間で、口喧嘩などしたときには、必ず廻心するがよいということ。このような説は、悪を断ち、善を修して往生しようと願う、自力の行者の考え方では、ありますまいか。ただひたすらに、念仏をいただいてゆく、一向専修の人においては、廻心ということは、生涯にただ一度のことであります。その廻心とは、日頃、本願他力の真の教えを知らなかった人が、阿弥陀仏が差し向けられた真実の智慧をいただき、すなわち、日頃の自分中心の心では、往生出来るはずがないと思い知らされ、もとのこころをひるがえして、阿弥陀仏の願いの根本をたのみとさせていただくこと、これこそ、廻心であります。

一切の事において、朝・夕に廻心して、往生をとげようと言うのであれば、人の命は、いずる息、いる息を待たずして、ふと、終わることでありますれば、廻心もせず、侮辱や迫害に対しても耐え忍び、怒りの念も起こさない柔和忍辱の境地になりきる前に、いのちつきることになるなら、往生出来ないことになります。それでは摂取不捨の誓願をして、虚しく、たのみとすることの出来ないものである、と言うことと同じになりましょう。そんなことが、あってよいことでありましょうか。口には、願力をたのみたてまつると言いながら、心の中では、悪人を助けんと言う願力が、どんなに不思議な力を備えておられようとも、やはり善人をこそお助けになられるであろうと、思っているが故に、願力への疑いが生じ、他力をたのみとするこころが欠けてきて、辺地の往生を授かることになるのであって、このこと、もっとも歎かわしく思われてよいのであります。

信心が定まるなら、往生は、阿弥陀仏がとりはからって下さることでありますれば、自力の入る余地のないことであります。自分の心がけが、悪いと気付けば、よりいっそう願力を仰ぎいただくことです。そうすれば、他力自然(じねん)の道理そのままに、柔和忍辱のこころも出てくるものであります。すべて、万(よろず)の事につけて、往生ということでは、こざかしい思いを持とうとはせずして、ただほれぼれと阿弥陀仏の御恩の深さ重さを、いつもいつも思念されるとよいのであります。そうすれば、ひとりでに念仏が称えられましょう。(念仏するというより念仏が出て下さるのであります)これが自然(じねん)であります。自分の計らいを入り混えないことを、自然と言うのであります。これが、すなわち、他力であります。そうであるのに、自然ということが、何か別にあるかのように、われこそ物知り、と言わんばかりの顔をして言う人がいると、聞いております。まったく情けないことであります。

● あとがき
廻心したことを「安心(あんじん)を獲た」と申しますが、浄土真宗には『異安心(いあんじん)』と言う他人の信心を中傷する言葉がございます。この第十六章から致しますと、『異安心』と言う言葉はこの歎異抄が書かれた時代に既に有ったのではないかと思われます。『異安心』と言う中傷は、廻心をしたと公表する人に対して投げ掛けられる言葉だと思いますが、自分自身が廻心したとか安心(あんじん)を獲たとか言うべきものではないことは言うまでもございません。しかし、また一方、他人の信心を批評することも有ってはならない事であります。

廻心は柔和忍辱の心を自然と生じさせると云うことでありますから、自分自身の信心の有り様は、自分の胸に手を当てて見れば、容易に分かるものだと思います。私の場合は、「まだまだ道遠し」と言う事であります。


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.715  2007.7.5

厭離穢土・欣求浄土

『厭離穢土・欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)』は、源信僧都の往生要集に見える言葉でありますが、徳川家康公の出世開運の守り言葉として、戦のたびに用いるようになったものとして有名であります。

家康公は、桶狭間の合戦後、大樹寺(愛知県岡崎市、松平徳川家の菩提寺)に入り、岡崎城に入城するまでの3日間、敵に囲まれた状態で『生きるか死ぬか』という命の選択を迫られ、自害も考えたようでありますが、その大樹寺の登誉上人から『人間とはいかに生きるべきか』といった仏教の根本に関する話を聞き、家康公は宗教的な信仰や人生観が打ち立てられていったようであります。上人から心を落ちつかせるために『南無阿弥陀仏』を唱え書くように指導され、そのとき同時に教えの一つとして『厭離穢土・欣求浄土』を聞かされたそうです。そして家康公はそれを出世開運の守り言葉として、戦のたびに用いるようになったという訳であります。

『厭離穢土・欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)』は浄土教の根本的な考え方であり、浄土に往生する事を希求すると言うことが浄土教を信奉する者の大前提条件であると云うべきものでありますが、私は浄土が実在するかしないかを論じるところに何も意味は無いと思います一方、浄土への往生を求める気持ちも湧き上がっている訳でもありませんでしたので、自分は浄土教信者とは云えないと考えて参りました。しかし、私が尊敬するお二人(白井成允先生、井上善右衛門先生)は間違いなく浄土を信じ、浄土への往生を願われ、お念仏を大切にされていましたので、私もそうなりたいとは思って参りました。

そして極最近、私が浄土を求めないのは自分自身の心の正体に未だ目覚めていないからだと思うようになりました。そして、お釈迦様の仏法の出発点である『人生は苦なり』と言う認識が我がものになっていないからであると考えるようになりました。仏法は、「過去の因があるからこその結果としての現在があり、現在があるからその現在を因とした未来がある」と言う『因縁果の道理』を説きます。私達がこの世に生を受け、且つ苦悩の産み出す煩悩を背負っているのは過去に因を求めねばなりません。しかし、それが現実として不可能である限り、未来にその業を引き継ぐことだけは無いように現在の生を転換する必要があると言う事になりましょう。

私達の浮世には辛いこと、苦しい事もありますが、楽しい事もあります。決して苦しい事ばかりではないと感じるのでありますが、しかし、そう云う浮世の幸不幸を基準として人生を総決算致しますと、結局は四苦八苦と云われる苦しみでしか無いと言うことになるのだと思います。浮世の幸不幸が自己愛を源とする煩悩の満足不満足によるものである限り、苦は必然の結果だと言うことだと思います。そして、この苦しみの世界から解放されるには、煩悩の燃え盛るこの肉体を脱ぎ捨てた時に、浄土と云われる次の世へ参る(往生する)ことでしか為し得ないと目覚め、それは阿弥陀仏の願いでもあったと思い至らしめられることが、浄土門の廻心と言うものではないかと考察している次第であります。

それには、『人生は苦なり』、『我が心の中は煩悩のみ』と我が心そのものが穢土であることに目覚めなければ廻心は起り得ないのだと思っております。


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.714  2007.7.2

歎異抄に還って―第十六章―A

● まえがき
廻心と云うものがどんなものであるのかを、経験しない者が言葉で説明することは出来ませんが、それは多分、ガリレオ・ガリレイのあの「それでも地球は廻っている」で有名な、天動説から地動説への転回的なものではないでしょうか。『太陽が地球の周りを廻っている』と思っていたが、全く反対に『地球が太陽を廻っている』と言う真実が明らかになったことと同等の、或いはそれ以上の驚きの瞬間ではないかと思われます。

この第十六章を読みながら、そう云う廻心を体験しなければ本願他力の教えは絵に描いた餅にしか過ぎないのだと難しさを実感しつつ、それは廻心を自分の力で勝ち取ろうとする方向違いの道を歩んでいるからこそであろうとも思い、自分ではどうすることも出来ない自縄自縛の中に居る事だけははっきりしているところであります。

●第十六章原文
信心の行者、自然(じねん)に、はらをもたて、あしざまなることをもおかし、同朋同侶にもあひて口論をもしては、かならず廻心(えしん)すべし、といふこと。この条、断悪修善のここちか。一向専修のひとにおいては廻心といふことただひとたびあるべし。その廻心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまはりて、日ごろのこころにては往生かなふべからずとおもひて、もとのこころをひきかへて、本願をたのみまひらするをこそ廻心とはまふしさふらへ。一切の事にあしたゆふべに廻心して往生をとげさふらふべくば、ひとのいのちはいづるいきいるほどをまたずしてをはることなれば、廻心もせず柔和忍辱のおもひにも住せざらんさきにいのちつきば、摂取不捨の誓願はむなしくならせおはしますべきにや。くちには、願力をたのみたてまつるといひて、こころには、さこそ悪人をたすけんといふ願不思議にましますといふともさすがよからんものをこそたすけたまはんずれ、とおもふほどに、願力をうたがひ、他力をたのみまひらするこころかけて辺地の生をうけんこと、もともなげきおもひたまふべきことなり。信心定まりなば、往生は弥陀にはからはれてまひらせてすることなればわがはからひなるべからず、わろからんにつけても、いよいよ願力をあをぎまひらせば、自然(じねん)のことはりにて柔和忍辱のこころもいでくべし。すべてよろずのことにつけて、往生には、かしこきおもひを具せずして、ただほれぼれと弥陀の御恩の深重(じんじゅう)なることつねにおもひいだしまひらすべし。しかれば念仏もまふされさふらふ。これ自然なり。わがはからはざるを自然とまふすなり。これすなはち他力にてまします。しかるを、自然といふことの別にあるやうにわれものしりがほにいふひとのさふらふよしうけたまはる、あさましくさふらふなり。

●白井成允師の現代訳
弥陀の本願を信じて念仏する者である以上は、腹を立てたり、悪いことを犯したり、または友達に会っては口論をしたり、ともかく身・口・意の三業において罪を造ったときには、そのたびごとに必ず廻心しなければならない、罪を懺悔して心から改めねばならない、こう改めることが念仏する者の自然のふるまいである、と主張する者がある。これは念仏すると言いながら、自ら悪を断ち善を修めるつもりででもいるのであろうか。ひたすらに弥陀仏の本願を信じて念仏申す人においては、廻心というとは生涯にただ一度あるだけのことてある。その廻心というのは、これまで、真実の道を、即ち自分の力によりてではなく、弥陀仏の本願の御力によりて浄土に往生させていただく道を知らずにいた人が、はじめて仏の智慧をたまわりて、これまでの自力修善の心でいては往生することはできないのだと思うて、これまで抱いていた心を捨ててしまって、仏の本願をたのみまいらせるのをこそ廻心とは云うのである。身に為し口に言い意に思うあらゆる業について、そのたびごとに廻心してはじめて往生が遂げられるものだというならば、人の生命は出る息が入る間もなくはかなく終わるものであるから、あさましい業を為して廻心もせず、やわらいだおだやかな心にもならない間に、命が終わってしまうこともあろうが、さような場合には、弥陀仏の十方の衆生を摂め取りて捨てないという御誓願は、何の益にもたたないことになってしまうのであろうか。口先では、「弥陀の本願の御力をたのみたてまつる」と云いながら、心の中では、「悪人を救おうという御願がいかにも不思議であられるというけれども、しかしやはり善人の方をこそお救いになられるに違いない」と思っているので、本願の御力を疑い、仏の力にたよりまいらせる心がなく、そのために、真実の報土に参らずして、辺地化土に生まれるようになるのであるが、これは何よりも歎かるべく考えらるべきことである。

●高史明師の現代語意訳
他力の信心をいただいている人が、ふとしたことから、腹を立て、悪としかいい様のないことをしでかし、また、念仏のお仲間との間で、口喧嘩などしたときには、必ず廻心するがよいということ。のような説は、悪を断ち、善を修して往生しようと願う、自力の行者の考え方では、ありますまいか。ただひたすらに、念仏をいただいてゆく、一向専修の人においては、廻心というとは、生涯にただ一度のことであります。その廻心とは、日頃、本願他力の真の教えを知らなかった人が、阿弥陀仏が差し向けられた真実の智慧をいただき、すなわち、日頃の自分中心の心では、往生出来るはずがないと思い知らされ、もとのこころをひるがえして、阿弥陀仏の願いの根本をたのみとさせていただくと、これこそ、廻心であります。一切の事において、朝・夕に廻心して、往生をとげようと言うのであれば、人の命は、いずる息、いる息を待たずして、ふと、終わることでありますれば、廻心もせず、侮辱や迫害に対しても耐え忍び、怒りの念も起こさない柔和忍辱の境地になりきる前に、いのちつきることになるなら、往生出来ないことになります。それでは摂取不捨の誓願をして、虚しく、たのみとするとの出来ないものである、と言うとと同じになりましょう。そんなことが、あってよいことでありましょうか。口には、願力をたのみたてまつると言いながら、心の中では、悪人を助けんと言う願力が、どんなに不思議な力を備えておられようとも、やはり善人をこそお助けになられるだあろうと、思っているが故に、願力への疑いが生じ、他力をたのみとするこころが欠けてきて、辺地の往生を授かることになるのであって、このこと、もっとも歎かわしく思われてよいのであります。

● あとがき
この第十六章のポイントの一つは、後に出て来て居ります「自然(じねん)のことはりにて柔和忍辱のこころもいでくべし」と言う言葉だと思います。言い換えますと、「ひとたび廻心した人には、自然の理(ことわり)として、和らいだ心、全てを受け容れて行く心が芽生えるものだ」と言う事になりましょうか。煩悩が心に湧き上がることは避けられないけれども、その煩悩の炎は瞬時の中に、仏の智慧によって吹き消されると言うことであります。それは凡夫の努力ではなくして、阿弥陀仏の誓願が為せる自然の理(ことわり)だと言うことでありましょう。

そう云うことから判定致しますと、『柔和忍辱の心』から程遠い自分の位置がよくよく知られます。


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.713  2007.6.28

驕慢と言う煩悩

私の仏法上の先生である井上善右衛門先生は、私達が生まれ持っている煩悩の中の一つであります『驕慢(きょうまん)』に付きまして、特に法を説く立場の人間は気を付けなければならないと仰っておられました。また、ご自身のご法話の言動に、よくそのお心が現れておりました。お話は聴衆に言って聞かせるものではなく、ご自身が喋りながらご自身がお聞きになっているように感じられるご法話であったと懐かしく思い出しております。

多分、それは井上善右衛門先生のご師匠であられた白井成允先生を見習われたと言いますか、自然と受け継がれた仏法に対する姿勢ではなかったかと述懐しております。

白井成允先生のお歌に、そのお心がよく表わされております。

    貪欲よ瞋恚よ愚痴よ驕慢よああわが命何ぞ悲しき

貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)は、三毒として煩悩を代表するものとされていますが、それに『驕慢(きょうまん)』を加えられたお歌であります。

私達の眼は外に向いており、自分を見詰める仕組みには成っておりませんが、それと同じく、私達の意識も、外の世界に向きがちでありまして、なかなか自分の心の中で起こっている『自己愛に根ざした煩悩』を見詰めるに至り得ません。その事実をしっかりと押えられた両先生の「自分の驕慢心に常に心痛められていらっしゃったお姿」にこそ浄土の真宗を真摯に歩まれた親鸞聖人のお姿を見る想いを致している次第であります。

明日は母大谷政子の21回目の命日です。井上善右衛門先生は垂水見真会の講座に年に2、3回は出講して頂いておりましたが、ご講演のお礼金を年末には垂水見真会にご寄付頂いていたようであります。母は毎年、感嘆と感謝の気持を私に漏らしていたことを思い出しております。


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.712  2007.6.25

歎異抄に還って―第十六章―@

● まえがき
廻心(えしん)は回心≠ニも書きます。私は、廻心とは禅門の悟りと同じだと言う認識をして参りました。そしてその廻心には二種類あると池山栄吉先生がおっしゃっていたそうであります。一つは、廻心の瞬間が何年何月の何時何分だったとはっきりしている廻心と、何時とは無しに何時の間にか為されていた廻心の二種類だそうでありますが、この第十六章で、『廻心と言うことはただ一回切りのことだ』とありますから、この場合の廻心は前者のものを指したものでありましょう。

廻心は自分の努力で起る心の中の現象ではなく、縁と機が熟して自然に起る心の中の大革命ではないかと思われます。自分の力で生きている積りだったのが、大自然・大宇宙の力によって(即ち、他力によって)生かされている、生かして頂いている我が身に気付かされた時に起る心の大転換であろうと思います。

そうである筈なのに、煩悩具足の身に起る日常生活における過ちに対して、いちいち廻心が必要だとする人々が居たのでありましょう。それは、自力の考えであって、他力本願に身を委ねる親鸞聖人の教えに反した間違った考え方であると説く、第十六章であります。

●第十六章原文
信心の行者、自然(じねん)に、はらをもたて、あしざまなることをもおかし、同朋同侶にもあひて口論をもしては、かならず廻心(えしん)すべし、といふこと。この条、断悪修善のここちか。
一向専修のひとにおいては廻心といふことただひとたびあるべし。その廻心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまはりて、日ごろのこころにては往生かなふべからずとおもひて、もとのこころをひきかへて、本願をたのみまひらするをこそ廻心とはまふしさふらへ。
一切の事にあしたゆふべに廻心して往生をとげさふらふべくば、ひとのいのちはいづるいきいるほどをまたずしてをはることなれば、廻心もせず柔和忍辱のおもひにも住せざらんさきにいのちつきば、摂取不捨の誓願はむなしくならせおはしますべきにや。くちには、願力をたのみたてまつるといひて、こころには、さこそ悪人をたすけんといふ願不思議にましますといふともさすがよからんものをこそたすけたまはんずれ、とおもふほどに、願力をうたがひ、他力をたのみまひらするこころかけて辺地の生をうけんこと、もともなげきおもひたまふべきことなり。信心定まりなば、往生は弥陀にはからはれてまひらせてすることなればわがはからひなるべからず、わろからんにつけても、いよいよ願力をあをぎまひらせば、自然(じねん)のことはりにて柔和忍辱のこころもいでくべし。すべてよろずのことにつけて、往生には、かしこきおもひを具せずして、ただほれぼれと弥陀の御恩の深重(じんじゅう)なることつねにおもひいだしまひらすべし。しかれば念仏もまふされさふらふ。これ自然なり。わがはからはざるを自然とまふすなり。これすなはち他力にてまします。しかるを、自然といふことの別にあるやうにわれものしりがほにいふひとのさふらふよしうけたまはる、あさましくさふらふなり。

●白井成允師の現代訳
弥陀の本願を信じて念仏する者である以上は、腹を立てたり、悪いことを犯したり、または友達に会っては口論をしたり、ともかく身・口・意の三業において罪を造ったときには、そのたびごとに必ず廻心しなければならない、罪を懺悔して心から改めねばならない、こう改めることが念仏する者の自然のふるまいである、と主張する者がある。これは念仏すると言いながら、自ら悪を断ち善を修めるつもりででもいるのであろうか。ひたすらに弥陀仏の本願を信じて念仏申す人においては、廻心というとは生涯にただ一度あるだけのことてある。その廻心というのは、これまで、真実の道を、即ち自分の力によりてではなく、弥陀仏の本願の御力によりて浄土に往生させていただく道を知らずにいた人が、はじめて仏の智慧をたまわりて、これまでの自力修善の心でいては往生することはできないのだと思うて、これまで抱いていた心を捨ててしまって、仏の本願をたのみまいらせるのをこそ廻心とは云うのである。

●高史明師の現代語意訳
他力の信心をいただいている人が、ふとしたことから、腹を立て、悪としかいい様のないことをしでかし、また、念仏のお仲間との間で、口喧嘩などしたときには、必ず廻心するがよいということ。のような説は、悪を断ち、善を修して往生しようと願う、自力の行者の考え方では、ありますまいか。ただひたすらに、念仏をいただいてゆく、一向専修の人においては、廻心というとは、生涯にただ一度のことであります。その廻心とは、日頃、本願他力の真の教えを知らなかった人が、阿弥陀仏が差し向けられた真実の智慧をいただき、すなわち、日頃の自分中心の心では、往生出来るはずがないと思い知らされ、もとのこころをひるがえして、阿弥陀仏の願いの根本をたのみとさせていただくと、これこそ、廻心であります。

● あとがき
私は頭の中では自分が生かされて生きている存在であるとは認識している積りでありますが、それは飽くまでも知識の一つとしてであります。この私の状況は廻心とは程遠いものでありまして、むしろ廻心を求めれば求めるほど、廻心から遠くなると言うジレンマの中にあると言ってもよいかも知れません。

禅門の悟りも、悟りを求めれば求めるほど悟りとは程遠い心の状況だとお聞きしたことがあります。それを道元禅師は、「自己を運びて万法を証するを迷いと為し、万法に証せらるるを悟りと為す」と仰ったのではないかと思いますが、このお教えは親鸞聖人の他力の教えと重なるように思っております。


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.711  2007.6.21

仏の働き

小学生に勉強を教え始めてから丸2年になります。最初の半年間は塾生がお隣のお子さん一人だけと言う開店休業状態に等しかったのですが、今ではお陰さまで、平日は午後4時から午後8時半まで指導時間がほぼ埋まっている状況になりました。同時期に小学校の校庭開放のテニススクールのコーチもし始めましたので、今では小学生と共に在る老後となっています。

算数を教えると言うことはかなり有効なボケ防止になっているのではないかと思っておりますが、それ以上に私自身の勉強になっている事が二つございます。一つは、親が子に掛ける愛と願いの有り難さを実感していること、もう一つは、仏の(一般向け表現としては、宇宙の、自然界の、となりましょう)不可思議な働きを理科の勉強で知ったことです。

小学生の間から自ら勉強にやる気を見せる子は極めて少ないものです。殆どの子は、やる気の無さ故に母親をヤキモキ、イライラさせているものであります。小学生も高学年(4年生以上)にもなりますと、少し親に反抗的になり始めますし、親のストレスは相当なものになります。可愛さ余って瞬間的には憎さも感じることもあり、それでも、見捨てられない親の業(ごう)と言うものでしょうか、私の近隣は住宅街でありますから、住宅ローンに苦しみながらも一方で教育費捻出のために働きにまで出て頑張って居られるお母さまが殆どであります。

そう言うお母さまを見ながら私は、私も母に同じ想いをさせたに違いありませんし、そしてその母の愛と願いと辛抱があればこそ私は大学に進学出来ましたし、今、小学生に勉強を教えられる立場になっているのだと有り難くも申し訳なくも思い直しているところであります(母は恐らく死ぬまで私の行く末を気に掛けていたに違いありませんし、今もヤキモキしながら、見守っているような気が致します)。

二つ目の『仏の働き』と申しますのは、最近、算数・国語以外に理科も教えるようになっているのでありますが、6年生で習う『体のはたらき』を勉強している中で、自分の体の中で起こっている事を詳しく知らないでいたことに気付かされています(おそらく殆どの方も、小学生か中学生で習ったことではありましょうが、とっくに忘れ果てて居られることと思います)。

たとえば、血液の循環と呼吸の関係におきましては、大静脈を通って心臓に戻って来た血液は、一旦肺に送られまして、肺で血液中の炭酸ガスと呼気中の酸素とを交換する訳でありますが、肺は『肺ほう』と言うブドウのような形の小さな袋3億個から出来ていまして、その表面積は70u〜100uだそうであります。でありますから、一呼吸と言う瞬間に新鮮な血液(酸素を多く含んで)になって、心臓に戻り、心臓から体中に送り出されているそうであります(1分間に5リットルもの量の血液を循環させています)。この仕組みは誰が仕組んだものでしょうか?幾ら頭脳が勝れていると言えども人間がなしえた業(わざ)では有り得ません。そして、血液の循環と消化吸収の関係におきましても、小腸には『じゅう毛』と言う突起があり、小腸の表面積はテニスコートの広さにもなるそうであります。だからこそ、短時間の中にあらゆる栄養素を小腸で血液に吸収されるのです。説明し始めれば限がございませんが、20数億年と言う年月を掛けまして、生命は複雑な人間の体の仕組みを作り上げた訳でありますが、まさに「何と言う不可思議なことか!」と感嘆せずには居られません。

仏教ではこの「何と言う不可思議なことか!」を『仏の働き』と捉え、インドでは土地の言葉で「アミター(人間には計り知れないことだ!)」と感嘆し、後に浄土門の念仏の「南無阿弥陀仏」となったのでありましょうが、本当に不思議なことであります。仏法を勉強している身の私は、子供達に理科を教えながら、自分の体の中に既にそして常に起こっている『仏の働き』を思い知らされた次第であります。

そして更に、60歳を過ぎてから小学生達に勉強を教える立場にして頂いて、仏の働きに近い親の愛と願いの有り難さを知らされ、具体的な仏の働きを理科の勉強を通して教えて頂いていることこそが、私への仏の働きのような気が致して居る次第であります。


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>



[HOME]