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No.610  2006.7.3

歎異抄に還って―第二章―B

●まえがき
前回コラムでは冒頭部分の解釈として、関東から訪ねて来たお弟子方を目の前にして親鸞聖人は、「あなた方が、遥々と私を訪ねて来られた目的は、極楽へ往生する道を聞きに来られたのであろう」と念を押されたものだと申し上げました。 そして、次の文節になる訳ですが、多分関東では、「ただ念仏するだけで極楽往生出来るというのは、学問の無い一般庶民を誘い込むために説いているのであって、本当は、学問を積まねばならないのだ。親鸞聖人も、そのお師匠の法然上人も、比叡山で全ての経典を勉強されたというではないか。念仏だけでは救われることは無いのだ。」と言うお弟子方も居たでありましょうし、また、念仏だけで救われるはずがないと、念仏に信者を奪い取られたと考えている加持祈祷教団の逆襲もあり、それを伝え聞いていた親鸞聖人は、念仏のみで救われる根拠と確信を示されようとされたのだと思います。

この文節を読みまして思います事は、親鸞聖人が如何に奈良・京都の旧仏教界を快く思っていなかったかと云うことであります。親鸞聖人には相応しくない言い方を致しますならば、興福寺、延暦寺等の奈良・平安仏教を皮肉られたのではないかと感じる一節であります。それは、無理からぬ事でもあります。その旧仏教団体から朝廷への働きかけにより、念仏を弾圧され、死刑に処せられた仲間もあり、法然上人も親鸞聖人も流罪せられたからであります。念仏を弾圧した事に対する親鸞聖人の怒りは、一生涯抱き続けられたようであるからです。

余談になりますが、親鸞聖人が『唯識』と言う事に触れていらっしゃらないのは、唯識を宗旨とする法相宗の興福寺で学んだ解脱上人貞慶が朝廷への『興福寺奏状』を作成した事が一つの原因ではないかと私は思っております。その怒りが、この歎異抄にも現れていると言うのは、考え過ぎでしょうか・・・。

歎異抄は、唯円坊が書かれたもので、親鸞聖人がおしゃべりになったお言葉そのものではないのですが、この第二章に「・・・なり」と言うきつい言葉が6回出て参ります。多分その場に居合わせた唯円坊は、親鸞聖人のなみなみならぬ決意を感じ取り、このような言葉を選んだのだと思います。それほど、関東の信者達の教義における混乱に頭を悩まされ、且つ物足りなささえ感じられていたのではないでしょうか。

●第二章原文
おのおの十余ヶ国のさかひをこえて身命(しんみょう)をかへりみずしてたづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり。しかるに、念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺(なんとほくれい)にもゆゝしき学生たちおほく座せられてさふらふなれば、かのひとびとにもあひたてまつりて往生の要をよくよくきかるべきなり。 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかふりて、信ずるよりほかに別の子細なきなり。念仏はまことに浄土にむまるゝたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、惣じてもて存知せざるなり。たとひ法然上人にすかされまいらせて念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。そのゆへは、自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまふして地獄にもおちてさふらはばこそすかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いずれの行もおよびがたき身なればとても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおはしまさば釈尊の説教虚言なるべからず、仏説まことにおはしまさば善導の御釈虚言したまふべからず、善導の御釈まことならば法然のおほせそらごとならんや、法然のおほせまことならば親鸞がまふすむねまたもてむなしかるべからずさふらふ歟(か)。詮ずるところ、愚身の信心におきては、かくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんともまたすてんとも、面々の御はからひなり、と。云々。

●白井成允師の第一章現代訳
あなたがたがはるばる関東からこの地まで、十余ヶ国の境を越えて生命がけになって尋ねておいでになられた御志は、ただただ往生極楽の道を問い聞かれんためである。ところが、もしも私が念仏を申す以外に往生の道を知っており、また往生の法文などをも知っておるのだろう、その深い消息をはっきり知りたい、などと思っておられるのならば、それは大きな誤りである。もしそう思っておられるのならば、奈良や叡山にも優れた学者たちが多くおられるのであるから、その方々にもお会いなされて往生の大切な点をよくよくお聞きになるがよい。この私親鸞は、ただ念仏申して阿弥陀仏にたすけていただきなされよ、とありがたい師匠のお言葉をいただいて、そのままに信じているばかりであって、その外になんの格別の訳もないのである。念仏はまことに浄土に生まれる因なのであろうか、また地獄におつべき業なのであろうか、すべて知っていないのだ。たとえ法然上人にだまされて、念仏して地獄におちたとしても決して後悔はしえないだろう。何故かといえば、念仏以外の行をはげみ修めれば仏になれたはずの者が、念仏したために地獄におちたのだということであるのならば、それこそだまされたという後悔もおこることであろうが、この親鸞はどんな行をはげんだからとてたすかるみこみのない身なので、どうしても地獄より他にゆきどころがないのだから。阿弥陀仏の本願が真実であらせられるならば、釈尊のお説きくだされた教えが虚言であるはずはない。釈尊の御教えが真実であらせられるならば。善導大師の御釈に虚言をもうされるはずがない。善導の御釈が真実であるならば、法然上人の仰せがどうしてそらごとであり得よう。法然上人の仰せが真実であるならば、この親鸞のもうす所もまた虚しいことではないであろうかと思われる。要するところ、愚かな私の信心はこのとおりである。このうえは、念仏をもうして本願をお信じなさろうとも、また念仏をおすてになさろうとも、どちらでもあなた方ごめいめいがお考えどおりになさるがよろしい、と、云々。

●高史明師の現代語意訳
あなた方が十余か国の境を越えて、(この京都まで)命がけで訪ねてこられたところの御こころざしは、ひとえに往生極楽の道を、問い聞かんがためであると、思います。そこで言うわけでありますが(この私、親鸞が)、念仏とは別にある往生のみちを知っており、また、往生のための呪文や、仏法を説く文章などを知っているのではないかと、こころ密かに考えておられるのでしたら、それは大きな誤りです。もしそのように考えておられるのでしたら、奈良の都や叡山には、優れた学者の方々が、多くおいでになることですから、その方々にこそお会いになられて、往生にかかわってあるもっとも大切な点を、よくよくお聞きになるとよいと思われます。
(この私)親鸞においては、ただ念仏して、阿弥陀仏にお助けいただくがよいと言われた、よき人(法然上人)のお言葉をいただき、それを信じるのみであって、他にこれと言う理由があるわけではありません。念仏は、まことに阿弥陀仏のみ国に生まれさせていただける種なのでありましょうか、それとも、地獄に堕ちる業(行為)なのでありましょうか、全くもって(私の)知るところではないのであります。(私は)たとえ、法然上人にだまされ、誘われて念仏を称えたことから、地獄に堕ちることになったとしても、決して後悔することはありません。そのわけは(念仏ではない)その他の修行に励めば仏になったであろうはずの身が、念仏を称えたばかりに地獄に堕ちてしまったというのでありますれば、だまされた誘われたと言う後悔もありまょうが、(この私は)どのような行も修め難い身でありますから、いずれにしても、地獄は(私の)しかと定まった住みかなのであります。 阿弥陀仏の、(一切の生きとし生けるものすべてを、平等にお助けくださるという)根本願が、真実であらせられるならば、釈尊の説教が、空言であろうはずがありません。釈尊の教えが真実であらせられるものならば、善導大師の御釈(『観無量寿経』についての解釈)に偽りがあろうはずがありません。善導大師のご註釈が真実を明かしているのでありますれば、法然上人のお言葉にどうして偽りがありましょうか。法然上人のお言葉が真実ならば、親鸞の申していることも、またもって空言であろうはずはないのであります。つまるところ、これが愚かな私における信心であります。 このうえは、南無阿弥陀仏の真実をいただいて、これを信じあげることにいたしましようとも、また、捨てましょうとも、それはあなた方のお考え次第です。ということでありました。

●あとがき
何れにしましても、親鸞聖人は、浄土往生するのに学問は不必要だと、関東から来たお弟子方に宣言されたのであります。 浄土真宗では、むしろ学問は不必要と言うよりも、邪魔になる、障害になると云う言い方をされる場合があります。蓮如上人がその筆頭と言えるかも知れませんが、学問と信仰に付きましては、賛否両論があると思われます。

私も、浄土往生するのに学問は不要だと云う言い方に全面的に賛成する立場ではありません。確かに、最後の最後の救われる瞬間には学問は不必要だと思います、むしろ邪魔かも知れません。しかし、その最後の最後に至るまでに学問といいますか、仏法の知識を良く知り尽くす努力は必要ではないかと思っております。

始めから他力に任せ切ることは普通は出来ないのではないかと思うからです。自力を尽くした上での他力本願だと・・・・。これも私の頭の中で描いた絵空事かも知れませんが、自力あっての他力である事は、先師方のお話をお聞きする限り、間違いないと思うのであります。仏法を求めた最初から他力本願の教えに出遇われた方々が、本当の他力本願に目覚めるには、一度自力の道を積極的に歩いて見る必要があるように思います。


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No.609  2006.6.29

母の20回目の命日に

今日は6月29日、私の母が亡くなって、20回目の命日です。先日、生誕百年のお墓参りをした事をコラムでご紹介させて頂きましたが、母は、1906年(明治39年)6月19日に生まれ、1986年(昭和61)6月29日に亡くなりました。満80歳に成って10日目、突然亡くなりました。糖尿病を患っていましたので、恐らくは、その関係で体調異常を来たしたのではないかと思っております。

母の一生に関しましては末っ子の私は物心がついて後の事しか知りませんので、母と父の結婚、そして終戦までの事を詳細に把握しておりません。従いまして、以下に記載する年表はあくまでも推定であります。

母は島根県生まれで、松江の女学校から東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)に進み、1928年(昭和3年)に滋賀県彦根の女学校に教師として赴任したようであります。そして、1930年(昭和5年)に、神戸の製粉会社に勤務する島根県大社町の同郷人である大谷四郎と見合い結婚して神戸に移り住み、翌年には長女の公子(きみこ)が誕生したようであります。公子が何歳の時からかは定かではありませんが、神戸の山手女子学園に教師として勤務し始めましたが、公子は小学校入学間もない、1938年4月25日に突然の病で亡くなってしまいました(私が生まれる8年前の事であります)。

郷里の大社町からお手伝いさんを雇い入れて、当時は未だ珍しかった働く主婦であった母は、公子の病死に大変なショックを受け、自分が長女を死に追いやってしまったと大いに後悔・懺悔したようでありますが、なかなか精神的には立ち直れなかったらしく、胸苦しさから脱け出したいと、心の安定を求めて、昔父親(私にとっては祖父)が熱心に聴聞していた浄土真宗の法話を求めて、お寺参りを重ねたとの事でありました。

その母から度々聞かされ、印象に残っている法話の例え話を、母の命日の供養として、その二つを紹介したいと思います。 一つの譬え話は、『夜の雪道を独り下駄で歩いた時、もし後ろを振り返ったとしたら、自分は真っ直ぐ歩いて来た積りであったとしても、必ず、下駄の歯跡はジグザクしているに違いない』と云うものであります。一面夜の銀世界の中、月明かりを頼りに歩き進む時、先に人家の灯りさえもなければ、恐らく、誰が歩いたとしても、そのような結果になるのではないでしょうか。母は、長女を亡くすまでに自分が歩んで来た人生という道を振り返った時、「自分は正しい道を歩いていると考えていたけれど、長女公子を亡くしたと云うことは、誰の所為でもない、自分の考えに根本的な誤りがあったからだ」と深く認識出来たのだと思われます。

もう一つの譬え話は、『訓練した猿を使った演劇の場面の出来事で、熊谷直実(くまがいなおざね)と云う源平・鎌倉時代の有名な武将役を神妙に演じていた猿が、舞台最前列の観客の誤って落としたミカンがコロコロと目の前に来るのを見た、その瞬間、役柄をすっかり忘れてしまい、そのミカンを拾い上げてかぶり付き、劇を台無しにしてしまった』と言う話であります。譬えは猿でありますが、人間も猿と所詮変わらず、如何に立派な積りでいても、いかに立派な姿形をしていても、いかに殊勝気にしていても、欲に駆られて、ついつい本性を出してしまうと云う例え話であります。

分かりやすい二つの譬え話でありますが、歎異抄の中にある言葉を借りまして、少し格調高い表現に変えますと、前者は、『自見の覚悟の戒め』であり、後者は、『煩悩熾盛の凡夫の自覚を求める』ものだと思います。私達凡夫は、「自分は正しく、他人が間違っている」と根拠もなく自分の考えを肯定します。唯識が説く4大根本煩悩(我癡、我慢、我見、我愛)の中の『我見』を誡めるのが前者の譬え話であり、遠い遠い昔からの業として心に内在する欲望を貪る≠ニ言う貪欲(とんよく)と名の心の毒を自覚しなければならないと云うのが後者の譬え話だと思います。

話として聞けば、「なるほど、なるほど」と聞き流してしまうのでありますが、母は、長女を亡くすという体験がありますから、自分の心の中を抉(えぐ)り出されるような想いで聞き取ったのではないかと思います。そして、更に数年法話を聞き続けて、いつしか、親鸞聖人のおっしゃっている『煩悩具足の凡夫』を他人事ではなく、「はい、私のことです」と慙愧する一方、逆に広やかな世界に包まれている自分に気付かされたのではないかと思います。それからは、戦争・終戦を経て、昭和30年には若くして未亡人になりますが、月一回開催する仏教講演会(垂水見真会)を主宰しつつ、5人の子育てを終え、丁度20年前の今日、念仏一筋に生きた80年の生涯を閉じたのでありました。

母は、死ぬまで煩悩具足の人でした。一番親しい私に煩悩具足の自分を隠すことはありませんでした。若かった私は、そんな母の煩悩話を軽く受け流せずに、意見したこともありました。「仏法を聞けば煩悩がなくなるはずだ」と云う『自見の覚悟』に陥っていた私でした。今は恥ずかしく思っておりますが、母は、恐らくこんな私を何処かで微笑んで見ているに違いありません。


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No.608  2006.6.26

歎異抄に還って―第二章―A

●まえがき
この第二章は、関東から遥々訪ねて来たお弟子さん達を出迎えた親鸞聖人の出迎えの口上≠ゥら始まります。 既に、手紙で来訪の連絡を受けられていた親鸞聖人は、温かく迎えたい気持ちをお持ちであったとは思いますが、一方では、異端の教えによって信心の揺らぎを見せているお弟子達に失望されても居られたようであり、胸中は複雑なものがお有りだったのではないかと推察出来ます。

我が子善鸞を、信者達の動揺を抑えるべく関東に派遣したものの、その善鸞が旧来の加持祈祷教団に抱き込まれ、「父親鸞が説く教えの本当のところは長男の私に秘伝されている」と吹聴し、信者達の動揺がますます激しくなり、多くの信者が加持祈祷教団に宗旨替えして行くと云う状況にあったようであります。この第二章の場面は、その様な中で、数人のお弟子が関東から問い詰めるために上京したところを描いたものと思われ、親鸞聖人の他力本願の教えの最大のピンチを迎えていたと言って良いでしょう。

善鸞の事に関して、言い訳もしたかったでありましょうし、お弟子方に、真実の教えを懇切丁寧に教示する事も考えられたでありましょうが、それら一切の想いを振り払われて、ご自身の信心と他力本願の教えの正統性をきっぱりと申し伝えられ、お弟子方を何とか引き止めようと言う姿勢は取られませんでした。伝えるべき事を伝えて、あとは、お弟子方がどの道を選ぼうと、それこそ、それは阿弥陀仏にお任せすると言う自然法爾に生きる親鸞聖人の面目躍如たるお姿ではなかったかと思います。

第二章冒頭のお出迎えの口上は、実に重たいお言葉であると感じます。「仏法を求める根本目的は何か、他でもない、あなた方は浄土への往生を遂げるために仏法を求めて来られたのであろう?その根本目的、或いは仏法をお求めになったスタート時点に帰られれば、一切の疑問は融けるのではないか?」。恐らくは、その様なお気持ちを胸に抱かれながら、はっきりと申し渡されたものと想われます。

●第二章原文
おのおの十余ヶ国のさかひをこえて身命(しんみょう)をかへりみずしてたづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり
。しかるに、念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺(なんとほくれい)にもゆゝしき学生たちおほく座せられてさふらふなれば、かのひとびとにもあひたてまつりて往生の要をよくよくきかるべきなり。 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかふりて、信ずるよりほかに別の子細なきなり。念仏はまことに浄土にむまるゝたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、惣じてもて存知せざるなり。たとひ法然上人にすかされまいらせて念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。そのゆへは、自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまふして地獄にもおちてさふらはばこそすかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いずれの行もおよびがたき身なればとても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおはしまさば釈尊の説教虚言なるべからず、仏説まことにおはしまさば善導の御釈虚言したまふべからず、善導の御釈まことならば法然のおほせそらごとならんや、法然のおほせまことならば親鸞がまふすむねまたもてむなしかるべからずさふらふ歟(か)。詮ずるところ、愚身の信心におきては、かくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんともまたすてんとも、面々の御はからひなり、と。云々。

●白井成允師の第一章現代訳
あなたがたがはるばる関東からこの地まで、十余ヶ国の境を越えて生命がけになって尋ねておいでになられた御志は、ただただ往生極楽の道を問い聞かれんためである。
ところが、もしも私が念仏を申す以外に往生の道を知っており、また往生の法文などをも知っておるのだろう、その深い消息をはっきり知りたい、などと思っておられるのならば、それは大きな誤りである。もしそう思っておられるのならば、奈良や叡山にも優れた学者たちが多くおられるのであるから、その方々にもお会いなされて往生の大切な点をよくよくお聞きになるがよい。この私親鸞は、ただ念仏申して阿弥陀仏にたすけていただきなされよ、とありがたい師匠のお言葉をいただいて、そのままに信じているばかりであって、その外になんの格別の訳もないのである。念仏はまことに浄土に生まれる因なのであろうか、また地獄におつべき業なのであろうか、すべて知っていないのだ。たとえ法然上人にだまされて、念仏して地獄におちたとしても決して後悔はしえないだろう。何故かといえば、念仏以外の行をはげみ修めれば仏になれたはずの者が、念仏したために地獄におちたのだということであるのならば、それこそだまされたという後悔もおこることであろうが、この親鸞はどんな行をはげんだからとてたすかるみこみのない身なので、どうしても地獄より他にゆきどころがないのだから。阿弥陀仏の本願が真実であらせられるならば、釈尊のお説きくだされた教えが虚言であるはずはない。釈尊の御教えが真実であらせられるならば。善導大師の御釈に虚言をもうされるはずがない。善導の御釈が真実であるならば、法然上人の仰せがどうしてそらごとであり得よう。法然上人の仰せが真実であるならば、この親鸞のもうす所もまた虚しいことではないであろうかと思われる。要するところ、愚かな私の信心はこのとおりである。このうえは、念仏をもうして本願をお信じなさろうとも、また念仏をおすてになさろうとも、どちらでもあなた方ごめいめいがお考えどおりになさるがよろしい、と、云々。

●高史明師の現代語意訳
あなた方が十余か国の境を越えて、(この京都まで)命がけで訪ねてこられたところの御こころざしは、ひとえに往生極楽の道を、問い聞かんがためであると、思います。
そこで言うわけでありますが(この私、親鸞が)、念仏とは別にある往生のみちを知っており、また、往生のための呪文や、仏法を説く文章などを知っているのではないかと、こころ密かに考えておられるのでしたら、それは大きな誤りです。もしそのように考えておられるのでしたら、奈良の都や叡山には、優れた学者の方々が、多くおいでになることですから、その方々にこそお会いになられて、往生にかかわってあるもっとも大切な点を、よくよくお聞きになるとよいと思われます。
(この私)親鸞においては、ただ念仏して、阿弥陀仏にお助けいただくがよいと言われた、よき人(法然上人)のお言葉をいただき、それを信じるのみであって、他にこれと言う理由があるわけではありません。念仏は、まことに阿弥陀仏のみ国に生まれさせていただける種なのでありましょうか、それとも、地獄に堕ちる業(行為)なのでありましょうか、全くもって(私の)知るところではないのであります。(私は)たとえ、法然上人にだまされ、誘われて念仏を称えたことから、地獄に堕ちることになったとしても、決して後悔することはありません。そのわけは(念仏ではない)その他の修行に励めば仏になったであろうはずの身が、念仏を称えたばかりに地獄に堕ちてしまったというのでありますれば、だまされた誘われたと言う後悔もありまょうが、(この私は)どのような行も修め難い身でありますから、いずれにしても、地獄は(私の)しかと定まった住みかなのであります。 阿弥陀仏の、(一切の生きとし生けるものすべてを、平等にお助けくださるという)根本願が、真実であらせられるならば、釈尊の説教が、空言であろうはずがありません。釈尊の教えが真実であらせられるものならば、善導大師の御釈(『観無量寿経』についての解釈)に偽りがあろうはずがありません。善導大師のご註釈が真実を明かしているのでありますれば、法然上人のお言葉にどうして偽りがありましょうか。法然上人のお言葉が真実ならば、親鸞の申していることも、またもって空言であろうはずはないのであります。つまるところ、これが愚かな私における信心であります。 このうえは、南無阿弥陀仏の真実をいただいて、これを信じあげることにいたしましようとも、また、捨てましょうとも、それはあなた方のお考え次第です。ということでありました。

●あとがき
私達は、仏法だけに限らず、初心を忘れたり、初期の目的を見失ってしまう事が多々ございます。親鸞聖人におかれましても、他力本願の道を歩まれながらも、40歳を過ぎてから、飢饉に苦しむ庶民の救いを祈念されて、二度程、他力本願の教えの正業ではなく、助業と言われる阿弥陀経読誦を為されたそうであります。直ぐにその間違いに気付かれてストップされたそうでありますが、その様なご自身のご経験から、人間は迷うものだと言う認識の下、冒頭のお言葉で、お弟子方に対して、優しく、しかし厳しく自己を見直す事を求められたものと思われます。

また、その言葉は、ご自身に向かって言われた言葉ではなかったかとも思います。ご長男に裏切られ、指導的立場にあるご自身の信用は失墜したとも感じられたでありましょう。「我が子一人すら教化出来ずに、どうして他人を教化出来るであろうか・・・」などと、自問自答された事でありましょう。

親鸞聖人がお作りになられた下記の和讃は、善鸞事件の最中に詠われたものかも知れません。

弥陀の本願しんずべし
本願信ずる人はみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をば証るなり
「・・・べし」は、他人への命令・指示ではなく、自分への言い聞かせ、或いは納得の言い回しと言われていますが、おそらく、揺れ動くご自身に対する阿弥陀仏のお言葉として聞かれたものと受け取りたいと思います。

そうして、冒頭のお言葉を読み返しますと、親鸞聖人のお心が胸に迫って参るような想いが致します。


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No.607  2006.6.22

万有引力と本願力

今週の月曜日は、コラムでも申し上げましたが、母の生誕百年の日で、お祝いのお墓参りを致しました。遅咲きのツツジ(多分ツツジ)が満開を少し過ぎていたのですが、お友達が供えて下さったお花と合わせて賑やかになり、お祝いに相応しいお墓となりました。

さて、今日のコラムの表題は、『万有引力(ばんゆういんりょく)と本願力(ほんがんりき)』と言う一見無関係な熟語の組み合わせになっていますが、ご承知の通り、ニュートンがリンゴが木から落ちる現象を見て、地球に働いている引力に気付き、太陽と地球の間、また別の星と星の間のみならず、宇宙に存在する全てのもの同士の間に働いている万有引力を発見したのであります。そして、この力そのものは、人間の眼には見えません。人間は、現象を見て始めて、その力を認識出来るのであります。

この万有引力を考えます時、私は、浄土門で説かれる阿弥陀仏の本願力も同様ではないかと思いました。そして、阿弥陀仏を信じられない、ましてや、本願力(単に本願でも良いでしょう)なぞ架空の話、作り話だと言う知識階級の人々には、万有引力と比較して本願力を説明すれば理解され易いと思い、今日のコラムとなったのであります。

本願力とは、私達を目覚めさせようとする力、働きであります。何に目覚めさせたいかと申しますと、本当の幸せ、永遠の幸せ、真の自由、親鸞聖人のお言葉をお借りするならば、無碍の一道と云う広々とした世界に目覚めさせようとする働きであります。しかも、全ての衆生に働いている力であります。阿弥陀仏=本願力と申しても良いと思いますが、お釈迦様がこの世に出現されたのも、本願力の為せる業(わざ)であります。また、私が無相庵ホームページを開設して、このコラムを書いているのも、本願力のなせる業(わざ)であります。そう考えざるを得ないのであります。奇しくも、母の生誕百年の日に、思ったことでありますが、母の父、即ち私の祖父が浄土真宗の熱心な信者であり、そして、母は長女を8歳で亡くしたことが縁となり、教職を投げ打って仏法の興隆に捧げる一生を過ごすことになりました。母は常々、長女の事を、「私を仏法に向けさせる阿弥陀様の御使いだった」と言っておりましたが、正に、その又縁によって、今の私があるのだと思わずには居られません。

親鸞聖人は、仏法に出遇ったことに関して、「遠き宿縁を喜ぼうではないか」と申されていますが、私の及びも付かない昔々からの様々な縁の積み重ねによって、今こうして私が仏法に出遇っていると言う事実は、本願力によってしか説明が付かないと思います。

ニュートンが万有引力を発見するまでに、リンゴが木から落ちる場面に遭遇した人は実に無数だったはずであります。しかし、誰も万有引力には気が付きませんでした。現代の今も、物が落下しているのを見ても、万有引力を感じ無い人は多い事でありましょう。本願力も、万有引力と同様に、感じる人には感じられるものでありますが、感じない人には全く意味の無い力であります。そして、万有引力を感じなくとも、生きられますし、感じないまま死んでいく人が殆どでありましょう。本願力も、感じなくても生きて行けますし、むしろ感じないまま亡くなる人が圧倒的であります。人間は、眼に見えたり、肌で感じたり、感覚で捉えられないと認識出来ないのが普通でありますから、これは致し方ないのではありますが、人間は、感覚で捉えた現象の背景にある力を感じる能力を与えられている唯一の生物でもあります。

この現象の背景にある力を感じる能力が宗教であり、信仰であると考えてよいのではないでしょうか。そして、現象の背景にある力を浄土真宗では、『本願』と申したり、『本願力』と申したりしているのだと、私は思います。人間にだけ与えられた能力を開発せずにこの世と別れるのは余りにも残念であります。是非とも、『遠き宿縁を喜べる』人間になりたいものであります。


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No.606  2006.6.19

歎異抄に還って―第二章―@

●まえがき
昨夜は、サッカーのW杯があり、少々寝不足であります。ボクシングのように判定で勝敗が決まるとしたら、日本は判定負けであったでしょう。チャンスを得たときに、いわゆる怒涛の如く攻め挙げるという、キレのあるサッカーではないと思いました。これが未完成ブラジルサッカー(ジーコ監督は、ブラジルのスタープレーヤーでしたから)の実力だと思いますので、本家のブラジルにはとても太刀打ち出来ないだろうと・・・・・・。

さて、今日は、私の母(大谷政子)の生誕百年に当たる日であります。母は、1906年(明治39年)6月19日に生まれ、そして、1986年6月29日に亡くなりましたので、没後20年にも当たります。著名人ではありませんので、生誕百年を祝うと言うことは世間一般から考えますと、少々僭越なことですので、私達夫婦と、母が生前に特に愛情を注いでいた友人との三人でお墓参りをする事にしています。

母は、昭和25年に、神戸市垂水区に仏法を聞く会(垂水見真会)を始め、56年経った現在も、月1回の仏法を聞く会は続いております。母は8歳の長女を亡くした時、子供をお手伝いさんに任せて教職に出ていた自分を大いに責め苦しみ、仏法に精神の助けを求めました。そしてその自分が救われた仏法を世間の人にも広めたいと云う志で始めたと聞いております。

母も、最初は、苦しさから救われたいと仏法を求めたのでありますが、その仏法を聞く目的は一つ、この歎異抄の第二章にしめされている、「ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり」であったと思います。往生極楽の道とは、死んでから極楽浄土へ参る道ではなく、生きている間に、空極は、死んでよし、生きてよしという大安心の気持ちにさせていただく道であります。

決して、お金儲けがうまく行く為でもありませんし、社会的に出世出来るためのものでもありません。また、病気にならないためでもありませんし、人間関係がうまく運ぶためのものでもありません。ましてや、仏法の知識を増やして、仏法の論争に勝つためのものでもありません。

第二章の親鸞聖人のお言葉は、決して、関東からはるばると京都の親鸞聖人を訪ねて来た人々にのみに向かっておっしゃったお言葉ではなく、現代に生きる私に言われていることであるとして、聞かねばならないと思います。今日は、原文と、お二人の現代訳の全体を読み通して、親鸞聖人のお心を感じたいと思います。

●第二章原文
おのおの十余ヶ国のさかひをこえて身命(しんみょう)をかへりみずしてたづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり。しかるに、念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺(なんとほくれい)にもゆゝしき学生たちおほく座せられてさふらふなれば、かのひとびとにもあひたてまつりて往生の要をよくよくきかるべきなり。 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかふりて、信ずるよりほかに別の子細なきなり。念仏はまことに浄土にむまるゝたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、惣じてもて存知せざるなり。たとひ法然上人にすかされまいらせて念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。そのゆへは、自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまふして地獄にもおちてさふらはばこそすかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いずれの行もおよびがたき身なればとても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおはしまさば釈尊の説教虚言なるべからず、仏説まことにおはしまさば善導の御釈虚言したまふべからず、善導の御釈まことならば法然のおほせそらごとならんや、法然のおほせまことならば親鸞がまふすむねまたもてむなしかるべからずさふらふ歟(か)。詮ずるところ、愚身の信心におきては、かくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんともまたすてんとも、面々の御はからひなり、と。云々。

●白井成允師の第一章現代訳
あなたがたがはるばる関東からこの地まで、十余ヶ国の境を越えて生命がけになって尋ねておいでになられた御志は、ただただ往生極楽の道を問い聞かれんためである。ところが、もしも私が念仏を申す以外に往生の道を知っており、また往生の法文などをも知っておるのだろう、その深い消息をはっきり知りたい、などと思っておられるのならば、それは大きな誤りである。もしそう思っておられるのならば、奈良や叡山にも優れた学者たちが多くおられるのであるから、その方々にもお会いなされて往生の大切な点をよくよくお聞きになるがよい。この私親鸞は、ただ念仏申して阿弥陀仏にたすけていただきなされよ、とありがたい師匠のお言葉をいただいて、そのままに信じているばかりであって、その外になんの格別の訳もないのである。念仏はまことに浄土に生まれる因なのであろうか、また地獄におつべき業なのであろうか、すべて知っていないのだ。たとえ法然上人にだまされて、念仏して地獄におちたとしても決して後悔はしえないだろう。何故かといえば、念仏以外の行をはげみ修めれば仏になれたはずの者が、念仏したために地獄におちたのだということであるのならば、それこそだまされたという後悔もおこることであろうが、この親鸞はどんな行をはげんだからとてたすかるみこみのない身なので、どうしても地獄より他にゆきどころがないのだから。阿弥陀仏の本願が真実であらせられるならば、釈尊のお説きくだされた教えが虚言であるはずはない。釈尊の御教えが真実であらせられるならば。善導大師の御釈に虚言をもうされるはずがない。善導の御釈が真実であるならば、法然上人の仰せがどうしてそらごとであり得よう。法然上人の仰せが真実であるならば、この親鸞のもうす所もまた虚しいことではないであろうかと思われる。要するところ、愚かな私の信心はこのとおりである。このうえは、念仏をもうして本願をお信じなさろうとも、また念仏をおすてになさろうとも、どちらでもあなた方ごめいめいがお考えどおりになさるがよろしい、と、云々。

●高史明師の現代語意訳
あなた方が十余か国の境を越えて、(この京都まで)命がけで訪ねてこられたところの御こころざしは、ひとえに往生極楽の道を、問い聞かんがためであると、思います。そこで言うわけでありますが(この私、親鸞が)、念仏とは別にある往生のみちを知っており、また、往生のための呪文や、仏法を説く文章などを知っているのではないかと、こころ密かに考えておられるのでしたら、それは大きな誤りです。もしそのように考えておられるのでしたら、奈良の都や叡山には、優れた学者の方々が、多くおいでになることですから、その方々にこそお会いになられて、往生にかかわってあるもっとも大切な点を、よくよくお聞きになるとよいと思われます。
(この私)親鸞においては、ただ念仏して、阿弥陀仏にお助けいただくがよいと言われた、よき人(法然上人)のお言葉をいただき、それを信じるのみであって、他にこれと言う理由があるわけではありません。念仏は、まことに阿弥陀仏のみ国に生まれさせていただける種なのでありましょうか、それとも、地獄に堕ちる業(行為)なのでありましょうか、全くもって(私の)知るところではないのであります。(私は)たとえ、法然上人にだまされ、誘われて念仏を称えたことから、地獄に堕ちることになったとしても、決して後悔することはありません。そのわけは(念仏ではない)その他の修行に励めば仏になったであろうはずの身が、念仏を称えたばかりに地獄に堕ちてしまったというのでありますれば、だまされた誘われたと言う後悔もありまょうが、(この私は)どのような行も修め難い身でありますから、いずれにしても、地獄は(私の)しかと定まった住みかなのであります。 阿弥陀仏の、(一切の生きとし生けるものすべてを、平等にお助けくださるという)根本願が、真実であらせられるならば、釈尊の説教が、空言であろうはずがありません。釈尊の教えが真実であらせられるものならば、善導大師の御釈(『観無量寿経』についての解釈)に偽りがあろうはずがありません。善導大師のご註釈が真実を明かしているのでありますれば、法然上人のお言葉にどうして偽りがありましょうか。法然上人のお言葉が真実ならば、親鸞の申していることも、またもって空言であろうはずはないのであります。つまるところ、これが愚かな私における信心であります。
このうえは、南無阿弥陀仏の真実をいただいて、これを信じあげることにいたしましようとも、また、捨てましょうとも、それはあなた方のお考え次第です。ということでありました。

●あとがき
第二章は、非常にドラマチックな内容であり、情景が目に浮かんで参ります。そして、親鸞聖人のご性格、仏法への真摯なご姿勢を間近に感じさせられ、非常に興味深いものがあります。また、いつも、正信偈の、弥陀、釈迦、七高僧を次々と讃嘆されているところが思い浮かびます。

この第二章の場面は、親鸞聖人が62歳の時に関東から京都に帰られてから、恐らくは、20年は経過した頃のものだと推定されています。親鸞聖人が去った後の関東のお弟子さん方の間で、親鸞聖人の説かれた教えの解釈を巡って論争が生じ、親鸞聖人はずっと心を痛め、有力なお弟子さんに手紙と云う形で、教えを伝えて居られました。しかし、一向に騒ぎが収まらずに、ある時、長男の善鸞様を名代として差し向けられましたが、その善鸞様が、ミイラ取りがミイラになったとでも言うような事態になり、親鸞聖人は窮地に陥り、遂には善鸞さまを勘当されるまでになりました。

歳をとってから我が子を勘当しなければならないと言う悲劇に遇われた親鸞聖人は、悲しみの中にも、その悲しみの中であるからこそ、いよいよ阿弥陀仏の本願を頼りに生きられていました。 そこに、関東から、恐らく数人のお弟子さん方が、どれが本当の親鸞聖人の教えなのか、直接確認するために、京都の親鸞聖人を訪ねたものと思われます。

親鸞聖人としては、息子善鸞の不始末と言う引け目がお有りだったとしても不思議ではありませんが、そんな言い訳や、引け目をお持ちではなく、毅然として、自らの信心を語られたのが、この第二章の場面であろうと云うのが、大方の見方のようであります。

私は、この場面でどういうお立場で参加されていたのかに興味があります。唯円坊は関東のお方ですから、関東から親鸞聖人を訪ねた仲間の中のお一人だったのか、或いは、その前に既に京都の親鸞聖人の下で教えを学ばれていたのか、この歎異抄の全体を見渡しますと、後者のような気がしてなりませんが、この事に言及されている書物には未だ出遭ったことがございません。

そんなことも考えながら、次回から第二章を勉強したいと思います。


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No.605  2006.6.15

欲望と煩悩

6月13日(火曜日)の朝日新聞の夕刊に、『般若心経 その世界』と言う題で、瀬戸内寂聴さんと作家の新井満氏(話題作、『千の風になって』の著者)の対談記事が掲載されていました。そのやり取りの中の新井師と瀬戸内師のお話の一部に、私の理解している仏教の考え方とかなり異なるお言葉があり、大変気になりました。文学を職業とされている作家であり、且つ瀬戸内師は僧籍をお持ち方ですので、何かのお考えがあっての事だとは存じますし、瀬戸内師はたしか天台宗を学ばれたと記憶しており、親鸞聖人の教えとは、仏教上は対極に居られる故ではあろうと思いますが、お釈迦様の説かれたところとも異なるように私は感じますし、仏教の基本的なところでもあると思いますので、本コラムに書き記したいと思いました。

気になりました点は、以下のやり取りの、「欲望」と「煩悩」と云う熟語の使い方にあります。 (新井氏) 「ものを書く煩悩まで捨てる必要がありますかね。最後までこだわらなければいけない役割があるんじゃないですか。」 (瀬戸内さん) 「好きだから私は書くの。だから煩悩なんです。我々凡夫は死ぬまで煩悩から脱却できません。お釈迦様はわかった上で、欲望を捨てなさいとおっしゃる。戒律で、あれもこれもいけないといっぱいあるけれど、できないことはわかってる。だけど、ほっといたら人間はもっと悪くなるから、よいことをしなさいとお釈迦さまはかんで含めて教えて下さる。煩悩を全部なくしたら人類は滅びますよ。子供も生まれなくなる。お釈迦様も、不倫はいけないけど正しい結婚はしてもよろしいとおっしゃってます。」

仏法、特に浄土門系の教えを長く聴聞していらっしゃる方々は、煩悩と欲望と言う熟語の使い方に、違和感を持たれるものと思います。私が学んで来た限りにおきましては、お釈迦様は、欲望を捨てよとはおっしゃってはいないと伺っております、そして一方、煩悩は人を苦しめるから離れよというお考えではなかったかと思います。

新井氏はものを書く≠ニ云う行為が煩悩であるとされていますが、ものを書く≠ニ云う行為そのものは煩悩では無いと私は教わって参りました。また、瀬戸内さんのお言葉の中の「煩悩を全部捨てたら人類は滅びる」と云うのは、かなり違和感を感じます。欲望を全部なくせば、もちろん性欲も無いことになりますから、生殖行動がなく、したがって子孫は残りませんから、人類は存続し得ないことにはなりましょう。

そして、もし、煩悩を一切捨てることが出来れば、人類は滅びるどころか、無益な戦争がなくなり、平和な世界が現出し、人類は永遠の生命を得るのではないか・・・私はその様に思ったことであります。瀬戸内さんの「煩悩を全部なくしたら人類は滅びます」は、言い間違いではなく、厳しい言い方かも知れませんが、お釈迦様の真の教えを良く理解されていないからか、或いは浄土門系の勉強を全くされていないからなのかなぁと、私は少々戸惑っております。

仏教は、煩悩の代表として、貪欲、瞋恚、愚痴 が挙げられています。貪欲は「とんよく」と読みますが、欲望を限りなく拡大することで、欲を貪り、募らせると言う煩悩であります。そこそこのところで満足すればよいものを、人は、目標とする欲望が満たされれば、それで満足できなくて更にその上を欲望します。これが犯罪をも引き起こしています。犯罪に至らずとも、不満足は心のストレスになり、平穏な心では居られません。この欲望を無制限に拡大してしまう人間の業≠煩悩と名付け、この煩悩から離れることを仏法は教えます。

欲望と煩悩は、仏法の最も基本命題でありますから、もし言い間違いであったとしたら、人を指導されるお立場のお方ですので、慎重に言葉を選んで頂きたかったと思います。

そして、善い機会ですので、親鸞聖人の教えについて言及しておきたいと思います。親鸞聖人は、欲望も捨てられないと考えていらっしゃいましたが、煩悩も生きている限りは決して滅し切れないのが生身の人間であると自覚されました。そう言う意味では、瀬戸内さんが「我々凡夫は死ぬまで煩悩から脱却できません」とおっしゃっているところは、親鸞聖人のお考えを代弁されていることになります。

勿論、煩悩は欲望があるから生じるものであり、欲望がなければ煩悩は起こりません。従いまして、仏道を歩み始めますと、心のざわつきの源である欲望を何とか滅しよう、減退させようと励むものだと思います。座禅をしたり、多くの念仏を称えたり、仏前でお経を読み上げたり、はたまた滝に打たれたりと修行に励みます。法話を聞いたり、仏教書を読んで、心を転換させて、欲望を抑制出来ないかと励むのが大方の取り組み方だと思います。

これを浄土門の教えでは、自力聖道門と申しますが、これは何も禅宗などに学ぶ人々だけに限らず、浄土門の教えを聞きながら、ついつい自力に頼るのが私達の偽らざる姿であります。親鸞聖人も、29歳まで修行された比叡山では自力の道を精一杯歩まれたと聞いております。

しかし、「欲望を滅することは出来ない、欲望ある限り煩悩も滅し切れない」と、自分が久遠の昔より背負って来た業を如何ともし難い自己をどうする事も出来ずに立ちすくんでしまわれた親鸞聖人に、だからこそ、「そんな煩悩具足の凡夫をこそ救いたい」と言う『阿弥陀仏の誓願』を説かれる法然上人に出遇われまして、他力本願の教えに目覚められ、『煩悩を断ぜずして涅槃を得る』と言う心境に至られたのであります。

そして、目覚められた時には、永らく厭われていた煩悩こそ、仏様に出遇う種であったと、『煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)』と云う、逆転の発想をされたのであります。欲望とも煩悩とも壮絶な闘いをされた結果の、安心の世界を親鸞聖人は体得され、そして私達に教え遺されて下さったのであります。

このように煩悩と闘われた親鸞聖人のお立場を考え合わせますと、「煩悩を全部なくしたら人類は滅びます」と言う、いとも簡単なご表現には、失望すら覚える次第であります。

「他人の非を論(あげつら)うお前こそ、驕慢至極の煩悩具足の凡夫ではないのか?」と言うお叱りを気にしつつ、申し述べさせて頂きました。


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No.604  2006.6.12

歎異抄に還って―第一章―最終回

●まえがき
第一章は、今回で最終となります。「歎異抄は第一章に始まり、第一章に終わる」と言う、山崎龍明師のお言葉もありますが、第一章に奥深く取り組みますと際限が無いと申しても過言ではございません。語り尽くせないと云うべきだろうと思います。

その語り尽くせないところは、第一章を具体的な話題で以って補足し、詳細に親鸞聖人の教えを伝えんとしているのが、第2章以下第10章までの内容であると思われますので、後は、それぞれの章の解説に譲ることに致したいと思います。

しかし、この最終文節にあります善と悪≠ニ言う語に関しましては、通り一片の簡単な説明に終わらしてはいけないと思い直しました。善と悪≠ノ付きましては、先週の木曜コラムの中で、私の受け取っているところを少しばかり申し述べておりますが、この第一章の善と悪の解釈には、白井成允先生は先生なりにご苦心され、かなり深く考察され洞察されたように感じられます。そして、見事に読み解かれておられることに、私はあらためまして、深い感銘を受けた次第であります。その部分の白井成允先生の解説は、かなり長文ではありますが、唯円坊が歎異抄を通して説き伝えたかった「善と悪」、ひいては、親鸞聖人が抱いておられたであろう「善と悪」を余すところ無く説明し尽くされておられると思いますし、他力本願と言う一般の方々には理解し難い信心の世界をも説明し尽くされていると思いますので、あえて、転載させて頂きました。 文体は大正・昭和初期の頃のものでもあり、分かり難い部分もあるかとは存じますが、熟読される事をお勧め致します。

●第一章原文
弥陀の誓願不思議に助けられまひらせて、往生をばとぐるなり、と信じて、念仏申さんとおもいたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆへは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば、本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぎるほどの悪なきがゆへに、と。云々。

●白井成允師の第一章現代訳
阿弥陀仏の誓願の御不思議にたすけられまいらせて往生をばとげるのだと信じて念仏申そうと思い立つ心が起こる、その時早く、仏のおさめとりて決して捨てたまわぬおん恵みの中に入らせて頂くのである。 阿弥陀仏の本願には老人とか若い者とか善人とか悪人とか云う差別をば設けられず、一切の衆生を洩らさず救いたもうので、ただ信心が肝要だと知らねばならぬ。 その故は、罪深く悪重く煩悩の盛んに燃え立つ迷いの凡夫を助けんがために起こされた願であらせられるからである。 それであるから、阿弥陀仏の本願を信じ、身に頂いた上は、それより他のどんな善ももう要らない、弥陀の本願を妨げるほどの悪など無いのであるから、と云々。

●高史明師の現代語意訳
阿弥陀仏は、光明であります。光明は、真実の智慧であります。この阿弥陀仏の誓い願われた不思議な力にお助け頂き、阿弥陀仏のみ国に、往って、生かされんと欲(ねが)い、阿弥陀仏の誓願を信じて、念仏申さんと思い立ち、念仏せしめられる時、その一念のその時、既にして、阿弥陀仏は、念仏する者すべてを、摂(おさ)め取って、捨てられることはない、という誓願の利益(りやく)に、包みとって下さっているのであります。
阿弥陀仏の願いの根本は、相手が、老人であるのか、また、若者であるのか、さらには善人であるのか、悪人であるのかで以っては、差別なさらず、万人を平等にお救い下さろうというところにあります。従って、この慈悲を頂く時には、どのような条件も必要ではありません。ただ、深信一つ、なくてはならないのは、それ一つのみであります。何故かといえば、阿弥陀仏の願いの根本とは、自らの智慧に惑い、光の命を見失うという本源的な罪悪に沈み、同じ惑いの智慧によって、全身に身の煩いと心の悩みの炎を燃え盛らせながら、どうする事も出来ない生きとし生きるものすべてを救い取らんとする真実智慧の光であって、人間の無明の知恵でもって理解しようとしても、理解出来るものではないからです。
そうであれば、この根本願との出遇いに至る道を、信心として頂くに当たって、大切なのは、念仏のみであって、無明の知恵によって為される他のどんな善も必要ではありません。阿弥陀仏の真実智慧の光を頂くに当たっては、念仏にまさるどのような善もないからであります。悪をも恐れることはありません。阿弥陀仏の全てを救わんという願いの、根本に輝く真実智慧の光明を曇らせ遮り、妨げることが出来るような悪は、どこにもないからであります。

●白井成允先生の解説より抜粋
「他の善も要にあらず」とか「悪をもおそるべからず」とか云う語は、何となくわれらの常識に背いて道徳を無視するかのような響きをおぼえる。これを浄土往生のためにという根本義に照らしてこの疑惑は除かれる如くであるけれども、しかしそうすると、本願の信心が現実の生活の上にいかなる関係があるかがさらに問われねばならなくなる。

即ちここに善といい悪という、共にこれ現実の道徳において直ちに心に係わることでなければならないからである。もし浄土往生のことは自力ではどうにもならないことであるからただ本願にまかせ念仏申すのみである、そのためには念仏以外にいかなる善も要しない、またいかなる悪を犯したとしても恐れるべきではない、けれども日常生活のことについては自ら力(つと)めて善を修め悪を恐れ避けねばならない、と云う意義を示す語としてこれを領解するならば余り問題を起こさずに過ぎ得るでもあろうが、しかしそれではこの文の真実義にも背き、信心の本質を曖昧にしてしまうであろう。それで今これらの疑惑を徹底し解決しなければならない。

およそわれらの道徳的義務の遂行にあたっては欠くべからざる要求は、これを為すわれらの心根のまこと≠ネるべきことである。もっと手近くこれを云えば、まじめに事を為すべきことである。しかるにこの要求を掲げてこれを我ら自身に省みれば、われらは果たしてまこと≠以て貫き得るであろうか。まじめに終始し得るであろうか。この問をひとたび自覚するとき、われらは終に自ら誠の境に遠く、不真面目を離れることのできない者であることを見出さざるを得ないのではないか。現実に誠を欲すれば欲するほど虚偽を免れざる己れを見出し、真面目ならんとすればするほど自己の不真面目の相にぶつからざるを得ない。

道徳的要求は常に斯くの如き理想と現実との二律背反に直面して、自ら崩れ壊れざるを得ない本質のものである。この本質に直面して倫理の教えは或はどこまでも誠でなければならぬ、まさに努めて誠なるべきだといい、或は人間の自然としてそんなに真面目になっていることはできない、その位の不真面目はさしつかえない、否、そんなことを問題にするのが人間の自然性に背いて間違っているなどと云う、即ち理想主義か自然主義かいずれかの傾向に立つ。しかもわれらの苦悩は理想主義に立ちても自然主義に立ちても立ち得ず安んじ得ないところに存する。けだし真面目になろうと欲してもなり得ず不真面目に陥り、不真面目に安んじて宣(よ)いといわれても安んじ得ず、真面目を欲せざるを得ないからである。おおむねの宗教といっても神の威力を以てこのいずれかの立場を執るものに他ならない、したがって同様にいずれの困難に面するを免れない。

今、このようにいずれの立場も崩れ去る現実の苦悩に直面してナムアミダブツの御喚び声が聞こえてくる。その御声はこのわれらの姿、真面目になろうと欲してもなり得ず、不真面目にはもとより落ち着き得ざる苦悩の姿をよくみそなわして、これを久遠劫来の宿業の故と悲しみ憐れみたまい、真面目になり得ざるを悪しと審(さば)き捨てるのではなく、不真面目でも宣しとごまかし甘えさせるのでなくこの苦悩の姿に絶対に同情したまいて、汝を必ず真面目な身に成らせしまわなければ、われも仏とは成らじと誓いまします大悲真実心の現われ響きたもうのである。この御声を聞きまつりて、かくまであさましき身をかくまでに憐れみたもうことよとその真実心に融かされゆく、これ「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往生をばとぐるなりと信じて念仏申す心の起こる」のである。

而(し)かしてここにのみわれらの道はひらかれる。道がひらかれると云うのは、もはや自分の計らいで真面目になろうなどと努め焦るのではない、そんな焦りは自己を知らぬ傲慢至極の心であることを知り、念仏申すのである。それは真面目にならずとも宣(よ)い、不真面目でも宣いと落ち着くのではない。不真面目より他にあり得ぬ自己のあさましさを懺悔して如来の御計らいにまかせまつるのである。即ち「よきこともあしきことも業報にさしまかせてひとへに本願をたのみまいらする」のである。ここに本願の念仏に心満ち足りていかなる「他の善も要にあらず」「悪をもおそるべからず」という態度がおのずから生まれてくる。

しかもこの態度に於いて、即ち如来のご恩の深きことを感ずる念から、おのずから如来の善しと思し召す所を為し、如来の悪しと思し召す所を為さざる傾向が熟する。けだし他の善も要にあらざるは、如来から賜った念仏の至善一つを淵源としてあらゆる善が行われるからであり、悪をも恐れざるはいかなる悪も念仏の絶対善におさめとられて善と転じ成らしめられるからである。これを「念仏者は無碍の一道なり」と云う。尚、ここに「恐るべからず」と云えるは、われらは悪を為しては恐れるからである。これ善き心の作用のように見えるけれども、実は己れの利害得失を計らう煩悩であり、したがって後悔をこそ伴え、懺悔に至っていないので、そんな有漏雑毒(うろぞうどく)の念を捨てしめるのである。

●あとがき
白井先生は、信心の世界における「善悪」と、世間の日常生活における「善悪」に矛盾があってはいけないと云う命題に、かなり長い月日を割かれて、取り組まれたものと思います。これは、仏教を学ぶ者が何れはぶち当たる命題ではないかと考えます。この命題を大袈裟に言い換えますならば、「宗教と道徳における善悪の比較考察」とでもなりましょうか。

白井先生は、その命題を見事に解明され、二つの世界の善悪を一致統合され、その上で、且つ超えられたものと思われます。私のような者には、それを私の言葉に言い換える能力はございません。皆様方が、白井先生のお言葉から直接に感じ取って頂くより他にはございません。

ただ、言えますことは、「信心の世界には、世間と仏法に分け隔ては無いと言うことは間違いないところである」と言うことを明確に心に留めたいと思います。丁度、昨日のNHK教育テレビの『こころの時代』と言う番組で、「白隠禅師の禅画の世界」が紹介されていまして、富士山の麓を大名行列が西に向かって歩く風景が描かれた画がございました。そして、画の中に殆ど見付けることが不可能な位の小さな姿で描かれた二人のお坊さんが、全く別々の場所から、富士山を遠く見上げていると言う隠し絵≠ニでも云うような禅画でありました。

私は初めて見た画でありますが、富士山は、聖なる世界(信心の世界、真理の世界、法の世界)を表わし、大名行列は、世俗の世界(政治、経済の世界)を代表させたものだと云う説明がありました。そして、富士山と大名行列を一緒に描くことで、凡聖不二(ぼんしょうふに)を描いているとも説明がございました。即ち、世間も大切、信仰の世界も大切、どちらか一方だけが真実ではない、どちらも真理の世界だと言うことを描いていると云うことであります。そして、点にしか見えない(しかし、墨染めの衣をまとい、網代笠をアミダに冠り、杖を持った人物)二人のお坊さんは、凡俗の世界にありながら、聖なる世界(富士山)を見上げていると言うもので、世俗の世界の大切さも描きながらも、聖なる世界を忘れてはいけない、いや、聖なる世界を忘れての世俗の世界であってはいけないと云う教えが描かれているように説明されていたのではないかと思います。

このコラムの白井成允先生の解説を書きながら、その白隠禅師の禅画との縁を思ったことであります。


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No.603  2006.6.8

善とは?悪とは?

歎異抄第三条の「善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」は有名な一節であります。善悪に関して、世間の認識と大いに異なるからだと思われますが、歎異抄には、この『善』『悪』と言う言葉がよく出て参ります。 善・悪は、私達の日常生活におきましても、「あの人は、善い人だ」とか「彼ほど悪い奴は居ない 」と言う具合に、よく使用する言葉でありますが、私達が使用する善・悪と、歎異抄の善・悪、更には広く仏教において使用する善・悪とは異なるのでありましょうか。私は、今以って、明確な結論を持っていないと言うのが正直なところですが、この際、色々と考察して、善・悪を断じたいと思います。

ただ、当ホームページの『唯識の世界』と言うコーナーで馴染みである、太田久紀師が、「善・悪について、多少でも突っ込んで考えるとすると、世界の思想史とか倫理学史のような分野に足を入れなければならないことになる」と言われている通りであり、このコラムの一篇で語り尽くすことは無謀・横暴の極みであります。それを承知した上で、「こう考えたい」と言うところを申し述べたいと思います。

結論から申しますと、上述の太田久紀師が端的に説明されている、「仏教でいう場合の善・悪というのは、どうやら我執・利己性・自己中心的思惟などがその中心にあり、それに添ったものを悪、それを超えたものを善とする」と言うことだと思います。この解説は、『岩波国語辞典』で「@正しい、道徳にかなった。徳行。A立派な。すぐれた。Bじょうず。うまい。十分。C仲良くする。」と説明されている「善」の「@道徳にかなった。徳行」とニュアンス的には似通っております。そして、これが、世間一般の「善の認識」では無いかとも思います。

太田師のお言葉を、私なりに言い換えますと、「煩悩が源(みなもと)になっている言動のみならず、心の動きも含めて、それら全てを悪と云い、煩悩からではない利他の心、公に資する言動と心を善と云う」事になりましょう。従いまして、世間で頻発している犯罪は、すべて源は、我執・自己愛に根ざす煩悩にありますから、世間の悪は仏教的にも悪であると考えます。 しかし、善とは何かと、世間に例を探そうとしますと、かなり難しい事になることに気付かされます。特に、私自身の身口意(しんくい、言動と心の動き)の中から善を探そうと致しましても、どうしても見付かりません。一見善いことをしているかのように思われることも、源を辿れば、煩悩が、そして自己愛が心の奥底にトグロを巻いていると言うことになってしまうのであります。

お釈迦様であるとか、キリスト様であるとか、マザーテレサ、野口英世博士などは、もう限りなく善に近い方々であると言うことだろうと思いますが、煩悩具足の凡夫と言われる者は、ボランティア活動でさえ、厳しく分析するならば、人に賞賛されたいと言う煩悩が源にあるのではなかろうかと・・・・。

仏教には、『七仏通戒の偈』と言う古くからの教えがございます。「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教」と言うものでありますが、要するに、「悪いことはせずに、善いことをしよう」と言う当たり前の事柄を教えたものであります。ただ、当たり前のことが出来ないのが人間でもある事を知り尽くした故に、これを教えとしたものと思われますが、何が善くて、何が悪いかに付きましては、案外と、委しくしかも簡潔に説き聞かせた言葉は少ないのであります。

歎異抄にも、何が善、何が悪であると世間一般にも通用する説明箇所は見当たりません。それどころか、「念仏に優る善は無い」と言う、一般の方々には理解に苦しむ文言が親鸞聖人のお言葉として紹介されています。そして、親鸞聖人は、「善悪そうじてもて存知せざるなり(何が善で何が悪かは、私親鸞は分かりません)」とまで仰っておられます。

これは一体どういうことでありましょうか。私は、仏教の勉強をし尽くされた親鸞聖人でありますから、唯識も勉強され、唯識の説く善も悪もご承知の上でありましょうし、仏道を歩むこと、真理に従って生きること、六波羅蜜の行に励む事などが善であると言う考え方もご存知の上で、しかし、結局は、「人間は煩悩を完全に滅することは出来ない、人間の行う善と言われる行為も、煩悩を離れては有り得ない無い」、とご自身を慙愧されて、「念仏のみぞ真にておわします」「善悪のこと、そうじてもて存知せず」「念仏に優る善は無い」と結論されたのではないかと思っています。

では、親鸞聖人は山奥に籠もって念仏を称えておれば良いとされたかと申しますと、そうではありません。ご自身が救われた、「他力本願」の教えを関東、京都の民衆の中に入られて、説かれ続けるという一生を過ごされたのであります。何が善で、何が悪かは結論出来ないかも知れませんが、社会生活を営むにおきましては、『善きこと』とは、自他を活かし、共に喜べることであり、『悪いこと』とは、自他を殺し、悲しませることだと言う、仏教の『自利利他(しりりた)』の精神を忘れずに日常生活を送りたいと思う次第であります。


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No.602  2006.6.5

歎異抄に還って―第一章―B

●まえがき
昨日、NHK教育番組『こころの時代』で、山崎龍明師の歎異抄解説第二回の再放送がありました。「誓願不思議」というテーマ名が表されていましたが、仏教徒以外の人々にもとても分かりやすい内容だったと思いますし、また、山崎師は解説すると言うよりも、ご自身の身に受け取られた上でのお話であり、聞く者に感銘を与えてくれるものでありました。

この歎異抄を読む姿勢としては、私達も、山崎龍明師と同様に文献を読み取るというのではなく、やはり、自分自身に問題意識を持って聞き取って行くことによって始めて、唯円坊の言い伝えたかったことが分かるのではないかと思います。

今日の文節部分は、阿弥陀仏が救いたいと誓われた対象は、外観上に顕れた人間の言動・姿とは全く関係が無いと言うことでありましょう。老人とか若いとか、男であるとか女であるとか、学歴も、職業も一切関係が無いと言うことでありましょう。また、熱心にお寺参りするとか、法話の席に顔を出すとか、お寺に寄付するとか、毎日念仏を称えるとか、極端に表現してしまうならば、法を人に説く立場であるからと言うことさえ関係ないと言うことだと思います。

「阿弥陀仏の本願が、唯、罪悪深重・煩悩熾盛の悪人の私を救いたいと言う慈悲心から起こされたものであったのだ」と気付き、目覚めしめられることが浄土真宗の信心なのだと、そう唯円坊は伝えたかったのではないかと思います。

信心が肝要だと言うと、阿弥陀仏の救いの条件が信心の有無であるように受け取りがちであります。そしてそれは、念仏を称える行が大切か、信が大切かと言う論議になりかねませんが、そうではなくて、阿弥陀仏の御心を知ることが大切だと言うことだと思います。そして、「御心を知る」と言うことも、単に頭で『知る』と言う事ではないのは言うまでもないことであります。

●第一章原文
弥陀の誓願不思議に助けられまひらせて、往生をばとぐるなり、と信じて、念仏申さんとおもいたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆへは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば、本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぎるほどの悪なきがゆへに、と。云々。

●白井成允師の第一章現代訳
阿弥陀仏の誓願の御不思議にたすけられまいらせて往生をばとげるのだと信じて念仏申そうと思い立つ心が起こる、その時早く、仏のおさめとりて決して捨てたまわぬおん恵みの中に入らせて頂くのである。 阿弥陀仏の本願には老人とか若い者とか善人とか悪人とか云う差別をば設けられず、一切の衆生を洩らさず救いたもうので、ただ信心が肝要だと知らねばならぬ。 その故は、罪深く悪重く煩悩の盛んに燃え立つ迷いの凡夫を助けんがために起こされた願であらせられるからである。 それであるから、阿弥陀仏の本願を信じ、身に頂いた上は、それより他のどんな善ももう要らない、弥陀の本願を妨げるほどの悪など無いのであるから、と云々。

●高史明師の現代語意訳
阿弥陀仏は、光明であります。光明は、真実の智慧であります。この阿弥陀仏の誓い願われた不思議な力にお助け頂き、阿弥陀仏のみ国に、往って、生かされんと欲(ねが)い、阿弥陀仏の誓願を信じて、念仏申さんと思い立ち、念仏せしめられる時、その一念のその時、既にして、阿弥陀仏は、念仏する者すべてを、摂(おさ)め取って、捨てられることはない、という誓願の利益(りやく)に、包みとって下さっているのであります。 阿弥陀仏の願いの根本は、相手が、老人であるのか、また、若者であるのか、さらには善人であるのか、悪人であるのかで以っては、差別なさらず、万人を平等にお救い下さろうというところにあります。従って、この慈悲を頂く時には、どのような条件も必要ではありません。ただ、深信一つ、なくてはならないのは、それ一つのみであります。何故かといえば、阿弥陀仏の願いの根本とは、自らの智慧に惑い、光の命を見失うという本源的な罪悪に沈み、同じ惑いの智慧によって、全身に身の煩いと心の悩みの炎を燃え盛らせながら、どうする事も出来ない生きとし生きるものすべてを救い取らんとする真実智慧の光であって、人間の無明の知恵でもって理解しようとしても、理解出来るものではないからです、 そうであれば、この根本願との出遇いに至る道を、信心として頂くに当たって、大切なのは、念仏のみであって、無明の知恵によって為される他のどんな善も必要ではありません。阿弥陀仏の真実智慧の光を頂くに当たっては、念仏にまさるどのような善もないからであります。悪をも恐れることはありません。阿弥陀仏の全てを救わんという願いの、根本に輝く真実智慧の光明を曇らせ遮り、妨げることが出来るような悪は、どこにもないからであります。

●白井成允先生の解説より抜粋
「阿弥陀仏の本願には老人とか若い者とか善人とか悪人とかいう差別をば設けられず、一切の衆生をもらさず救いたもうたので、ただ信心が肝要だと知らねばならぬ」 阿弥陀仏の本願は十方一切の衆生をおさめすくいたもう。善人だから極楽に迎え、悪人だから地獄に落とすというのではない。悪人こそ苦悩の甚だしき者であるからいよいよ憐れみ助けたもう。この大悲の本願を己れの身に頂いたところが信心である。「信心を要とす」とは本願を身にいただくのが大切だと告げられるのである。即ち信じる者をば救い、信ぜざる者をば救わない、信心を条件として往生を許可すると云うのではない。仏は、かの己れを正義なりと固執し、己れに従がう者をば正義の使徒として賞し、従がわざる者をば不義の魔類として審(さば)き罰する如き神とは異なる。仏は、衆生を己に伏せしめ従がわしめたもうのでなく、かえって自ら己れを捨てて衆生に随い伴いたまい、衆生もし地獄に堕つるならば御身も地獄に入りて地獄の苦を受けたまいつつ末遂に衆生を永久に安んぜしめたもう。この仏の大慈大悲を聞くことが大切なのである。

「その故は、罪深く悪重く煩悩の盛んに燃え立つ迷いの凡夫をたすけんがために起こされた願であらせられる。」 弥陀仏の本願は「罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」この一語まことに己れの身にいただき証すべきである。善き者、義(ただ)しき者、愛する者、和らぐ者を救うけれども悪しき者、邪なる者、憎む者、争う者をば審きて地獄に落とす神とは本質を異にする如来の願心を己れの身に直ちに聞かねばならない。この如来のやるせなき御願を聞きまつるとき、己れの罪悪深重・煩悩熾盛の性が知られ、己れの地獄より外に行き処のなき身なることが知られ、かかるあさましき身を浄土に往き生ましめんと誓わせたまいし如来の本願のかたじけなさに任せまつるばかりである。即ち、自然に往生の徳が証せられる。

●あとがき
この文節にも、これからの文節にも、そして他章、特に有名な第三章にも度々出て来るところの、『善悪』に付きましては、かなり難しい議論がありますし、唯円坊自身も、どうやら一貫させた意味で、善とか悪と言う言葉を使用していないように、私には思えます。

人間社会は、当然大半の人が、良しと認めるルールによって成り立っていますから、共通に認識し得る、善と悪は厳然として存在致します。弱者をいたわるのは善であり、強盗殺人・幼児虐待は悪であります。これに異を称える人は居ないでしょう。宗教においても、まともな宗教ならば、どんな理屈を付けようともこの善悪に異を称えるものではないでしょう。

しかし一方、人間社会における善悪は、飽くまでも人間が判断し決めたものであると云う立場も認めざるを得ない面もございます。親鸞聖人も、「善悪のことそうじてもて存知せざるなり」とおっしゃっておられます。

この第一章でも、阿弥陀仏の救う対象は、罪悪深重の凡夫であると言うのであります。悪人こそ救うであると言うことを、どう解釈すべきかを、木曜コラムで考察したいと思います。


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No.601  2006.6.1

不思議と言う事

『歎異抄』の第一章の冒頭に、「誓願不思議(せいがんふしぎ)」と言う言葉があります。この「不思議」は、「不可思議(ふかしぎ)」のことであり、我々が通常使う、「不思議な事もあるもんだ・・・・」と言う場合の「ふしぎ」ではないと、先週の木曜コラムの中で申し上げました。

しかし、私達は何気なく、「不思議」と言う言葉を使っていますが、よくよく考えますと、この世の中は不思議な事、不可思議な事ばかりではないかと思います。「殆ど全ての現象も存在も、不思議な事ばかりであるのに、私達は不思議とは思っていない」と言うべきではないでしょうか。

企業で何か問題が発生し、原因・真因を追究する際には、「何故?を繰り返してみよう」と言われます。しかし、何故を5回も繰り返し得る事は先ずありません。最後は、「何故人間が存在するのか、何故宇宙があるのか」と言うところまで行き着いてしまい、全ては「何故だか分からない、人間の知識では説明出来ない」事になってしまいます。

私達人間は、何でも知っているように思っていますし、これからも、どんどん知識が増え、知らない事は無いようになるとさえ考えていますが、根本的なことは何も知らないと言うべきですし、今後も宇宙で起こる事、地球上で起こる様々な現象の原因は分からないと言ってよいと思います。人類の知能の優秀さを誇る学者達が居ますが、本当に学問を究められた学者は、人類の知り得る知識のチッポケさを知ると言います。人類の知能が優れていると言いましても、例えば、たとえ小さな小さな命でさえ、現代の科学技術の総力を挙げても、生命を創り出す事は出来ません。生命は、生命からしか生まれないというのが厳然たる事実であります。

歎異抄が言うところの『誓願不思議』とは、「この地球上で苦悩する私達を救おうとする阿弥陀仏(宇宙の働きと言ってもよいでしょう)の願いと言うものは、私達の思慮を超えたものである」と言うことですが、むしろ、誓願のみならず、私達が唯識の世界で言う6識で認識する全ては、人間の思慮分別が届かないものであると考えるべきだと思います。こうして、私が色々と考察している事自体が、仏様の眼から見れば、全く無駄な抵抗なのだと思われます。

もし、この世の全てが不可思議な事であると、認識出来たと致しましたら、今こうして生かされている事自体が不可思議な事となります。得難いこと、有り難い事になります。そして、それは感謝と言う感情になるに違いありませんが、しかし、親鸞聖人が感得された人間と言うものは、そう簡単なものではないと思われます。「全てが不可思議な事とは、なかなか思えない」煩悩を持ち合わせており、これは死ぬまで消えないと自覚されていたと思われます。むしろ、そのような煩悩を持って苦しむ凡夫をこそ救いとろうと言う誓いを立てられて、今もお浄土で見守って下さっているのが阿弥陀仏なのだと言う確信を持たれたのが親鸞聖人だと思います。

不可思議なことばかりなのに、不可思議とは思えない凡夫に、それでも、色々な手立てで不可思議さを伝えようと言う働きを私は感じます。自見の覚悟(自分勝手な見解)で歎異抄を読み取ろうとする私に、「おいおい、それが、自見の覚悟と言うものだよ」と、耳元で囁(ささや)く声が聞こえて参ります。私は、これが仏様の声、阿弥陀仏の声であり、これが誓願不思議ではないかと・・・密かに考えているところであります。


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