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No.510  2005.07.18

正信偈の心を読む―第十三講【釈迦章(出世本懐)―A】

●まえがき
仏教では、正法・像法・末法と言う考え方があります。お釈迦様が亡くなられて500年位は、お釈迦様の教えがそのまま伝わっている時代、その後の1000年は像法の時代で、お釈迦様のお徳が薄くなって仏像によって仏法が伝えられるという時代、その後の万年は末法の時代で、お釈迦様の感化から遠く離れた時代、世も末という時代のことであります。

日本では、1052年から末法の時代に突入したと言われており、親鸞聖人が生まれられたのが1173年ですから、親鸞聖人は、自分は末法に生きる凡夫だと言う意識を強くお持ちだったようであります。それで、五濁悪時の群生海と言うご表現を取られたようであります。

親鸞聖人が亡くなられて750年近く経つ現代も勿論その末法の時代が続いているのでありますが、濁りと言う意味では、空気も海も汚れ、宗教・政治の乱れ、犯罪の凶悪化・低年齢化、無差別テロの頻発等など、この地球は濁りの度を増し続けているようであります。

日本の社会も、恥じを知る精神文化はどこかへ行ってしまい、他人への迷惑などに一切思いが及ばない親が増え続けており、今後ますます日本は濁った時代へと突き進むに違いありません。そんな中、物への欲望もますます増大し、私達はその渦に巻き込まれがちであります。

こう言う時代をどう生きればよいか、それは、仏様の仰せ、即ち、お釈迦様が遺された教えを素直に唯聞く事によって、正しい進むべき道が分かるのだと、親鸞聖人は仰っています。

●釈迦章(出世本懐)原文
如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅっせ)
唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)
五濁悪時群上海(ごじょくあくじぐんじょうかい)
応信如来如実言(おうしんにょらいにょじつごん)

●釈迦章(出世本懐)和訳
如来世に興出したまう所以(ゆえん)は
唯弥陀の本願海を説かんがためなり
五濁悪時の群上海は
応(まさ)に如来如実の言(みこと)を信ずべし

●暁烏敏師の講話からの抜粋
この前のところは、「如来世に興出したまう所以は唯弥陀の本願海を説かんとなり」でした。釈尊がこの世にお出ましになったその中心は、ただ、阿弥陀如来の本願を説くためであった、と。ここに親鸞聖人の仏教統一の御信心の相が窺われるのであります。

仏の教えがそうであったとしたときに、今度は親鸞聖人が、一切衆生の方に向こうておっしゃらにゃならん言葉がある。その言葉の記されたのが今日頂く御文であります。
釈尊がこの世に出られたのは、弥陀の本願を説く為であったといい、さて、仏に対して我々衆生はどうすればよいか。まず親鸞聖人御自身、その仏のお心に対する態度を明らかにせられた。「五濁悪時の群上海は、応(まさ)に如来如実の言(みこと)を信ずべし」とおっしゃったのであります。この聖人御自身の態度は一切衆生の態度であるのであります。

五濁というのは、五つの濁りということです。五つの濁りというのは、お経の中に、劫濁(こうじょく)、見濁(けんじょく)、煩悩濁(ぼんのうじょく)、衆生濁(しゅじょうじょく)、命濁(みょうじょく)とある五つのことである。

『劫濁』というのは、未来永劫という劫であって、時代が濁っていると言うことである。
『見濁』の見とは見るという字で、考え、了見、見当をつけるということである。これが濁って来る。人間の考えが濁って来る。邪見、曲解、悪智慧等である。自分の心に何か理屈を持っている考えは恐ろしい。それも濁りである。
『煩悩濁』の煩悩とは、いろいろと心の煩い、煩悶である。家庭の煩悶、恋の煩悶、身体の煩悶、これらは皆心が暗いから起こるのである。貪欲・瞋恚・愚痴、みな煩悩の濁りである。
『衆生濁』とは、衆生が沢山おって生存競争がある。その生存競争が濁りだという。
『命濁』とは、命の濁り、思う仕事を成し遂げもせずに若死するのは命が完全でないからだ。それは命の濁りである。

我々は、この濁りの中にいると言うのである。この濁った世に生存している群生―たくさんの生物―は助かる縁、手掛かりが無いと言うのである。そして唯、如来の如実の言を信ずるより外は無いのである。如実とは、如もまこと、実もまことである。仏様のおっしゃることは、法そのまま、世の中の真実をそのままおっしゃるのである。そのお言葉を信ずるのです。

親鸞聖人は、衆生が仏を信ずるとは、子供が母を思うように初心な心になるのだ、とおっしゃった。如来の如実の言葉を信ずるということは、世の中の悪いこと、濁ったことに頓着せぬ、流されぬということであります。自分の濁りにも気を掛けず、そうしたものはそのままに打ち捨てて、如来の真実のお言葉を信ずるのです。そこに今から行くべき道が開ける、濁ったものをあぜ返しとどうかするのじゃないのです。澄み切った如来のお言葉を聞くのです。これがただ一つの道であります。

●あとがき
この世に生きている間にお釈迦様のように悟りを開くことは、正法の時代には可能だったかも知れないが、正法も過ぎて、既に末法の時代に入ってこの世に在る我々凡夫では、即身成仏と言う事はかなわないことだと親鸞聖人はお考えになられたのかも知れません。そして、浄土門の先師が救いの頼りとされた大乗経典の中の大無量寿経に説かれている阿弥陀如来の本願を信じる事がそのまま我々凡夫が救われる唯一の道であると確信されたのだと思います。

そう言う心境に至られたのも、祖師方のお蔭であると讃嘆・感謝されて作成されたのが、この正信偈であると言ってもよいと思います。


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No.509  2005.07.14

他の人の苦しみに対して

極最近の掲示板に次のような問い掛けとも言える内容のご投稿がありました。 『少林寺拳法の或る道院長の法話は「命が借りもので、限りのあるものなら、正しく直く尊く生きよ。」と結ばれました。2時間のお話を、うまくまとめられませんが、私は、そのお話で、心を清らかに、安らかにしていただいたように思います。でも、その後、自分はよいけれど、自分の近くで苦しんでいる人にはどう接していけばよいのだろう…?と、考えるようになりました』

人間は誰しも苦悩を持っているものであり、自分が苦悩から脱け出す事にのみ一生懸命になりがちであります。そんな中で、他の人の苦悩に眼を注がれておられる投稿者の存在に感銘を覚えた次第であります。『抜苦与楽(ばっくよらく)』は仏様や菩薩様の為される慈悲行(じひぎょう)でありますが、仏教では、仏道を歩む私達に布施行と言う努力を求めております。布施とは、世間一般では、法事の時にお坊さんに差し上げる読経代金ということになっていますが、本来は、他の人が喜ばれる行為をして差し上げることであります。

布施行には、財施、法施、無財の七施がありますが、これらはこれまでのコラムで度々触れて来たように思いますので、今回はご説明を割愛させて頂きまして、この5年間、経済的な不安と闘っている私達夫婦が慰められ、励まされて参りました実例を申し述べさせて頂きたいと思います。

丁度5年前の7月14日、取引先から一本の電話が掛かって参りました。その内容は、私が経営する会社の売上高の90%を占める仕事が、賃金の安い中国に移管される可能性があると言うものでした。会社と個人を合わせれば1億円を超える借金を抱えた状況の中での突然の電話は、当時の私には、まさに寝耳に水でありました。結局は、1年半後には現実のものとなり、リストラに継ぐリストラで、現在は、工場機能も全て手放し、自宅を事務所として、私一人で再興を期しているところであります。

現在も大きな負債を抱えたままであり、常に倒産と自己破産と隣合わせであります。それでも、現在もこうしてコラムまで書かせて頂けているのは、私達夫婦の苦境を案じ、常に物心(ぶっしん)両面で支え、励まして下さる方がおられるからであります。

金銭的に苦しんでいる場合、金銭の援助しか有効ではないと考えてしまいます。たとえば、1億円の借金に苦しんでいる人を助けるのには、1億円の借金をゼロ払いにしてあげる位のことをしないと助けにならない様に考えがちであります。しかし、実際に借金ゼロ払いがその人を本当の意味で助けることになるかどうかは分かりません。簡単に借金地獄から脱け出たことにより考え方が安易になり、また借金を重ねるかも知れません。また、人間関係に苦しんでいる人に対する場合、その人間関係を断ち切る方向の協力を差し上げることが、苦悩から本当に脱け出る事にはならない場合もあると思われます。

私はこの度、「人を助けると言う事は、具体的、直接的な抜苦行為ではなく、人を励まし、心を支えてあげる“真心(まごころ)”を差し向ける事である」と言う事を学ばせて頂きました。

私の場合、本当に苦しい時に、こちらは何も頼んだわけではありませんのに「あげるわけじゃ無いから、負担に感じないでね」と言って数十万円を妻に渡して行った友人がいます。また、私は或るテニスクラブの会員ですが、脱会しようとした時に、「このお金はどう使ってくれても良い、しかしテニスだけは続けて欲しい」と半年分の会費に相当する差し入れを持って来てくれたお二人のテニス友達がいます。この方達は、その後も、毎週、手造りの食材や、野菜・果物の差し入れを続けてくれています。また、折りに触れて、果物や、お茶、その他私達が平素は手が届かない高価な食品を差し入れて下さる方や、2、3ヶ月に1回、お酒とおつまみ、高級弁当を携えて、慰問に来てくれるサラリーマン時代の同僚が居ます。そして、大きな事は出来ないけれども何時でも困った時には声を掛けて下さいと言ってくれている親族の存在も、まことに大きな支えであります。

この様な方々のお蔭で、今日まで、また今日も頑張れるのだと思います。借金地獄はまことに辛いものがありますが、そのお蔭で、真剣に自己を見詰めなおさねばなりませんでしたし、そして何より、真心の有り難さに気付かしめられたとも思っております。そして、私も、私と同じように苦悩に曝されておられる方々の励ましのメッセージともなれかしと、この無相庵ホームページの更新を継続させて頂いています。今後も、私が無し得る事を為して、お役に立ちたいと考えています。また、私達夫婦を励まし支えて下さる方々にも、何時かは何らかの恩返しをさせて頂けたらな、と事業の再興を期しているところであります。

ご投稿頂いた“香様”勝手に内容を引用させて頂きましたこと、お詫び致しますと共に、コラムテーマを頂いたことを感謝申し上げます。


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No.508  2005.07.11

正信偈の心を読む―第十二講【釈迦章(出世本懐)―@】

●まえがき
今回から、お釈迦様を讃嘆された20句を読み解きたいと思います。この釈迦章の最初の2句は、井上善右衛門先生のご法話が瞬間的に思い出されますし、また、私達が何の為にこの世に生まれて来たのかと言う自問自答に、明確な回答を与えて頂いた法話の内容でありますので、私には、最も印象深く、また大切な2句であります。

原文は、「お釈迦様がこの世にお生まれになられた所以は、唯、阿弥陀如来の本願のお云われを私達に説き知らせる為であった」と言う意味でありますが、それを受けて井上善右衛門先生は、この2句は、私達衆生側では、次の様に読み替える事が出来ると。

衆生所以興出世
唯聴弥陀本願海

この意味は、「私達がこの世に生まれた所以は、唯、阿弥陀如来の説き知らせられる本願のお云われをお聞きするためである」とお話になられました。この解釈は、井上善右衛門先生が、恩師白井成允先生からお聞きになったものでありまして、また、白井成允先生も、“菅瀬先生”と云う島地大等師のご親友から指導を受けたお言葉だそうであります。

親鸞聖人も、間違い無くそう言うお心を内にお持ちになりながら、詠われたものと思われます。

●釈迦章(出世本懐)原文
如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅっせ)
唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)

五濁悪時群上海(ごじょくあくじぐんじょうかい)
応信如来如実言(おうしんにょらいにょじつごん)

●釈迦章(出世本懐)和訳
如来世に興出したまう所以(ゆえん)は
唯弥陀の本願海を説かんがためなり

五濁悪時の群上海は
応(まさ)に如来如実の言(みこと)を信ずべし

●暁烏敏師の講話からの抜粋
弥陀の本願海を説くということは、人間が人間の奥底のままに生きると言うことである。南無阿弥陀仏は我々の願いの掛け声だ。阿弥陀様の願いではないか。そうだ。ただ建てたのではない。我々の願いを建てて下さったのだ。だからそのままが皆の願いだ。だからお釈迦様がこの世に出られたのも、私がこの世に生まれ出たのも、弥陀の本願を実行するより外になにもない。

だから皆が生まれたのは、物を食うこと、着物を着ること、いろんなことを習うとか、それも悪いことではないが、本当に私がこの世に来たのは、この願いを聞くためである。このために、南無阿弥陀仏が世に生まれたのである。この願いを成就することが、私の務めである。私の生まれた意義は、これより他にない。

ということがはっきりすると何をやっていても、そこに偉大な無限な大きな力と楽しみを味わうて、五十年七十年の命に、或いは明日があるかわからんような命に、無限の命を味わうのです。この小さな身体に、大きな喜びを味わうのです。

親鸞聖人はお釈迦様のことを御讃嘆遊ばして、お釈迦様がこの世に出興せられたのは、唯、弥陀の本願海を説くためだ、とおっしゃった。その「唯」は、親鸞聖人御自身をおっしゃってあるのである。私のこの世に出たのは、弥陀の本願を説くためだ、と。身体全体に弥陀の本願を説き現してゆく、それを思うと、私の生活に非常な張り合いと力とを思うのであります。

●あとがき
この世に起きる様々な現象に何かの意味を感じる人は、宗教を求めたり、哲学を学んだりするのだと思います。全ては偶然に起こっていることだと考える人は、宗教とか哲学には興味を持たないでしょう。

親鸞聖人は、2500年あまり前にお釈迦様がこの世に生まれ出られたのは、阿弥陀仏の本願をして、お釈迦様をこの世に生まれ出さしめた。即ち、お釈迦様がこの世に出られた唯一つの意味は、私達衆生に阿弥陀仏の本願を説き聞かせるためであったと感得されたのであります。

お釈迦様が亡くなられて、2500年余経った今、インドから中国、そして日本へと伝わり来た仏教の歴史を学ぶ時、阿弥陀仏の本願の働きがあったからこそとしか思えないのではないでしょうか。

正信偈の中では、「本願海(ほんがんかい)」とされていますが、本願の広大で、且つ深い事を表わす意味で、「海」と言う字を添えられたものと思われます。

では、「本願」とはどう言う根本的な願いでありましょうか。私がこれまで諸先生方からお聞きしたところを平易に申しますと、「迷いから目覚めて、明るくて幸せな人生を送って欲しいと言う願い」だと思います。迷いとは、私達が幸せと思って財産や名誉等を追い求めている、その考え方と行為です。

では、何を求めれば幸せになれるか・・・。それは、繰り返し繰り返し仏法を聴けば、必ず分かるものとしか表現しようがないものと思います。


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No.507  2005.07.07

燃料電池社会の到来

『京都議定書』という言葉を皆さんご存知だと思います。これは、1997年に気候変動枠組条約第3回締約国会議と言う国際会議が京都で開かれ、先進国は炭酸ガス等の温暖化ガスの排出量を減らす義務を負うと言う約束が採択され、開催地が京都であることから、『京都議定書』と言われています。

炭酸ガスは、宇宙に逃げて行くはずの赤外線を吸収し、熱エネルギーを閉じ込める作用があることから、大気中の炭酸ガス濃度の増大が地球温暖化の大きな原因だとされています。そして、その炭酸ガスは、先進国ほど工業も盛んですし、自動車も多く、どうしても炭酸ガスの排出量は多くなりますから、先進国が槍玉に上がった訳であります。

エネルギーを石油や天然ガスに頼っている限りは、どうしても炭酸ガスが排出されるのは致し方ございません。有機物(炭素と水素を含む物質)が燃えますと、炭酸ガスと水が必ず発生致しますから、炭酸ガスの発生を避けるには、エネルギーを根本的に変更する必要があります。エネルギーを変更する必要は、炭酸ガスの排出だけが問題ではなく、そもそも石油、天然ガス等の化石エネルギー資源も、無尽蔵ではなく、石油はあと40年、天然ガスは61年、石炭は227年で無くなる事も、背景にあります。

そこで、俄然注目され始めたのが、水素と空気(酸素)の反応によって電気エネルギーを得ることが出来る『燃料電池』であります。燃料電池の原理は、約200年前に考え出されたものであり、実際に電池として形になりましたのも160年前です。そして、人類が月に着陸する宇宙船に燃料電池が活躍した40年前位から、実用化に向けて開発研究が始まったのでありますが、急速な進歩は、この15年だと言われています。

そして、燃料電池で走る自動車も実際に試作され街を走っていますが、恐らく未だ世界で数台乃至数十台というところでありましょう。なにせ、一台の燃料電池自動車の製作費用が1億円とも2億円とも言われていますから、当然と言えば当然であります。

この燃料電池自動車を街で見掛けるようになるには、製作コストを100分の1にする必要があります。その為に、世界の技術者が凌ぎを削っていますが、街を走っている自動車の10台に1台が燃料電池車になるのは、2020,年以降ではないかと言われています。

自動車に使用する燃料電池は、軽くてコンパクトである事が要求されるだけに、改良研究開発に時間が掛かるのは致し方ございません。しかし、家庭の電気を燃料電池で発電する場合は、冷蔵庫位の大きさになっても、あまり問題はありませんから、自動車よりも家庭の発電機としての方が早く普及するかも知れないそうです。

そうなりますと、10年先には、燃料電池社会が到来している可能性もありそうです。また、そうでなければ、あと40年程度で枯渇する石油に頼っている人類の明日は無い訳でありますから、間違い無く到来すると言えるでしょう。

私が開発した技術が或いは役に立つかも知れません。先日の東京出張は、弊社の技術に注目して企業との話し合いの為のものでありました。しかし、今、私の会社は明日の飯にも困っていると言う状況であり、10年後、或いは20年後かも知れない燃料電池の普及に一役買うことは不可能に近いこともまた現実であります。

取りあえず試作品を納入し、弊社の技術が可能性を持っているかどうかを見極めたいと考えていますが、さて、どうなりますでしょうか・・・・・・。ホワイトナイトが登場してくれれば、と思いつつ技術者として、最大限の努力だけはしようと思っているところです。


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No.506  2005.07.03

正信偈の心を読む―第十一講【弥陀章(往生因果)―B】

●まえがき
今、中国の反日教育やら、小泉首相の靖国神社参拝が問題になっています。昨日の朝日テレビのサンデープロジェクトと言う報道番組に、A級戦犯、東郷英機元首相のお孫さんが出演されていまして、「神道では死ねば誰でもが神様になると考える。従って、戦争を主導した者も、戦争に召集された一兵卒も、皆等しく神様になっているのだから、靖国神社が戦犯を合祀するのは、日本の古来からの精神文化であり、外国からとやかく言われることではない」と言う主旨の発言をされていました。

神道が、亡くなれば誰でも神様になると考えているかどうかは、存じませんが、仏教はどう考えているのでしょうか。色々な見解、教義があると言うのが現実だと思いますが、少なくとも私の知っている親鸞聖人のお考えでは、世間で言う「死=成仏=往生」ではなさそうであります。

親鸞聖人は、この世で肉体を持っている限り、所謂『正しい覚り=涅槃寂静の境地』は開かれないと考えておられたものと思われます。しかし、阿弥陀仏の本願に目覚めた(=信心を獲得した)瞬間には、正定聚不退転(しょうじょうじゅ ふたいてん)の位に住し(身になり)、死ねば、即往生し、仏に成る(お浄土へ往生する)とお考えになられたようであります。

そして、信心を獲得(ぎゃくとく)したならば、お念仏が自然と口に出るものだとも言われております。信心だけで良い、お念仏は称えなくともよいとは言っておられません。念仏の伴なわない信心も無いし、信心の無い念仏は念仏ではないとまで言われているようであります。

このあたりの見解は、議論を呼ぶところでありますが、議論は学者さんにお任せすればよいと思います。

今日の二句を含めた、往生因果の4句に、親鸞聖人の往生観がはっきりと示されていることは間違い有りません。

●弥陀章(往生因果)原文
本願名号正定業(ほんがんみょうごうしょうじょうごう)
至心信楽願為因(ししんしんぎょうがんにいん)
成等覚証大涅槃(じょうとうがくしょうだいねはん)
必至滅度願成就(ひっしめつどがんじょうじゅ)

● 弥陀章(往生因果)和訳
本願の名号は正定の業なり
至心信楽の願を因と為す
等覚を成り大涅槃を証することは
必至滅度の願成就したまえばなり

●梅原眞隆師の解説
この往生因果の4句は、行・信・証を示されたものであります。「本願の名号は正定の業なり」という一句は真実行をあらわす行巻の精要であり、「至心信楽の願を因と為す」という一句は真実信をあらわす信巻の精要である。そして、「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就したまえばなり」という二句は真実証をあらわす証巻の精要であります。

かくて、真実の行信を獲得したときたちどころに正定聚の位に定まる。これを「成等覚」と仰せられた。しかして、命終われば浄土に往生して無上の仏果を証る、これを「証大涅槃」と仰せられたのである。かかる真実の証果を獲得することも願力の自然であることをあかして、「必至滅度願成就」と仰せられた。銘文にのたまわく、「成等覚証大涅槃というは、成等覚というは正定聚の位なり、この位を竜樹菩薩は即時入必定とのたまえり、曇鸞和尚は入正定聚之数と教えたまえり。これはすなわち弥勒の位と等しと也。証大涅槃と申すは、必至滅度の願成就したもう故に、必ず大涅槃をさとるべし」と、親鸞聖人の体験は極めて明白である。

地上に天国を建立しようとするごときは現実の大地をふみしめざる聖者の幻影である。これに比べて、彼岸の浄土において理想を実現せんとする往生浄土の法門すなわち浄土教は、人間の現実に立脚した宗教であると称せねばならない。

そして浄土教の真実をはっきりとみがき出された御己証が、この「等覚を成り大涅槃を証す」という一句にあらわれているのです。 この御己証について注意すべきことが二つあるように窺われます。即ち、第一には平生業成の現実徹底であり、第二には往生即成仏の究竟的徹底であります。しかして、「等覚を成り」は平生業成をあらわし、「大涅槃を証す」は往生即成仏をしめされたものであり、僅か一句なれども、万斤の重みをもっております。

こうして大涅槃をさとるのも、全く願力の自然であることをあらわして「必至滅度の願成就したまえばなり」と鑽仰せられたのである。必至滅度の願とは第十一願で、「たといわれ仏を得んに国中の人天、定聚にも住し、必ず滅度に至らずば正覚をとらじ」というのである。かくてわれらの往生の因も果もすべてのものは願力の廻向である。この願力の廻施に目覚めて、わが親鸞聖人は「難行を捨てて本願に帰す」という転回をとげられたのであった。

●暁烏敏師の講話からの抜粋
親鸞聖人はかの土で証るという浄土門の中で、この土で証るという道を発見せられた。そこで、第十一願の必至滅度の願を、この世の御利益というように味わい、死んで行く行き先でない、この世の証り、御利益であると味わわれた。だから浄土門の真実の正意の証りはこの世だ。この世で正定聚不退転の位に住するのである。それがこの世の信心の当益である。 御和讃では、

超世の悲願ききしより
われらは生死の凡夫かは
有漏の穢身はかはらねど
こころは浄土にあそぶなり
この世から心が開けるのだ。明らかな信心とは、疑いの闇の晴れた相である。疑いが晴れれば心が明るくなる。心が明るくなれば、冷たい根性が温かくなる。疑うたこの世に明るく光がさしてくる。それが信心のご利益である。

●あとがき
この正信偈を含めまして、親鸞聖人のお教えはなかなか難しいところがございます。しかし、私は、本当の幸せ(世間の欲望の満足が幸せではなく、)になる事を(仏様から)願われていると言うことを、この5年間の経済的困窮生活の中で感じるようになりました。私にこの人生で何が大切であるか、また仏様から願われている事は何であるかを知らせてくれる為の色々な出来事であったし、現在もそうだと感じています。

丁度5年前に始まった会社の崩壊に伴なう公私にわたる経済的苦境が無ければ、私は本当の意味で仏法を求めなかったと思います。そして、この無相庵ホームページも、続かなかったと思います。現在あるのは、全て仏様(他力)の願いによるものである事を実感しております。

今日は、おおよそ3年振りに東京へ参ります。会社の再興に関係する開発研究を開始するかどうかを見極めに参ります。6年前に開発した特許技術が生かされる可能性がある、かなり有用な工業分野の開発テーマであり、可能性が見極められましたら、これまでの技術経験、人脈を総動員しまして、やり遂げたいと思っての上京であります。これまで、東京往復の旅費もケチって参りましたが、今回は、大勝負だと思っている訳でありますが、さて、どうなりますか・・・・・。


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No.505  2005.06.30

母の19回忌の日に

このコラムを書いている今日、6月29日は母の命日であります。母は1906年6月19日に生まれ、1986年6月29日に亡くなりましたから、来年は生誕百年と言うことになります。

私が小学校4年生の時に父が亡くなりました(当時では珍しい交通事故死)。私は母の手で育てられましたから、母への想いは他の兄姉よりも深くて強いと思います。母も幼くして父を失った私を不憫にも思い、心配もし、また幼い時からスポーツに才能を発揮していた私には何らかの期待も抱きながら育ててくれたのではないかと思います。勉強面では心配させどうしでしたが、一応大阪大学に現役合格し、ソフトテニスのプレーヤーとしても大阪、熊本、兵庫の各県でトップを争うレベルでしたので、母の期待に応えた少年、青年時代ではなかったかと思います。しかし、母の晩年には、人間関係的に決して恵まれなかったサラリーマン生活となり、そう言う私を気に掛けながら亡くなったものと思います。

父が亡くなった時、母は48歳。長女が大学2年、次女が高校3年生、三女は中学2年生、長男が小学6年生、そして末っ子の私が小学4年生。これからどうやって生活して行くか、葬儀に参列した人々も私達家族の将来を思いやったに違い有りません。小学4年の私は、死というものの意味、さらに父の死がどう言う意味合いを持つかも分からず、葬儀に参列してくれた同級生達に、スター気取りで手を振って応えていたと言いますから、余計に参列者の涙を誘っていたとは、後に聞かされた話であります。

生活の方は、父が勤務していた製粉会社から、見舞い金と功労金の意味を含めた退職金と、子育てが終わるまでの年金が支払われ、結局、母は働きに出ることもなく、5人の子どもを育て上げました。 今思いますに、父は滅私奉公の姿勢で頑張ったのだとは思いますが、それにしましても、父の勤務していた製粉会社(今も存続しています)には感謝してもし足りないものがあるのだなぁーと思っております。

父も母も大正時代の末期の頃だと思いますが、島根県の大社町から、父は横浜の工業高校(現横浜国立大学)、母は東京の女子高等師範学校(現お茶ノ水大学)へと進学した頑張り屋でありました。そして結婚(多分、昭和4、5年)し、戦争を乗り越え、神戸に根を張って私達を育て上げてくれたのであります。

その父と母の頑張りのお蔭で、私は金銭面での苦労知らずの中に何時の間にか大人となってしまいました。そして父母が遺してくれた財産の殆どを脱サラして設立した会社につぎ込み、そして今、譲り受けた財産以上の負債を抱えて四苦八苦の老年を迎えておりますが、私が歩んだ人生の中で経験した良いと思った数多くの事、反対に不幸・不運と思った数多くの事の一つ一つの積み重ねが現在の私を形成しており、これまでの人生、そしてこれからの人生を良くも悪くもするのも、今日からの一日一日の過ごし方だと思っております。

来年の母の生誕百年の日(6月29日)には、墓前で良い報告が出来るように、一日一日を頑張りたいと決意を新たにしているところであります。


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No.504  2005.06.27

正信偈の心を読む―第十講【弥陀章(往生因果)―A】

●まえがき
前回の第十講で、本願名号正定業とは、南無阿弥陀仏が往生を成就するための行であると言う説明を致しましたが、それは、お念仏が阿弥陀仏の至心信楽の願いが本となっているからであると言うのが、今日の至心信楽願為因の意味であります。

言葉そのものは難しいと思いますが、お念仏は、私の智慧・学問知識で納得してから称えるものではなく、この苦悩に満ちた人生を明るくしたいならば、どうか仏の教えを聞き、仏の世界を目指して欲しいと言う願いが私に届いた何よりの証拠がお念仏となるのであるということだと思います。

しかし、盲目的に信ずるのではなく、仏の智慧が胸に至り届くと言うことが『信』或いは『信心』であります。

●弥陀章(往生因果)原文
本願名号正定業(ほんがんみょうごうしょうじょうごう)
至心信楽願為因(ししんしんぎょうがんにいん)
成等覚証大涅槃(じょうとうがくしょうだいねはん)
必至滅度願成就(ひっしめつどがんじょうじゅ)

●弥陀章(往生因果)和訳
本願の名号は正定の業なり
至心信楽の願を因と為す
等覚を成り大涅槃を証することは
必至滅度の願成就したまえばなり

●暁烏敏師の講話からの抜粋
至心信楽とは、至心は誠、信楽も誠です。わき目ふらず我が国に生まれたいと思うならば、きっと生まれられる。だから、この至心信楽の願を適切に言ったらば、我に心を向けて来い、一筋にわしに向うて来い、わしの胸に抱きついて来い、至心信楽わしに寄り添うて来い、外の者のしていることを見て心配したり、嘆いたりしておるでない、わしに融けて来い、というのだ。至心信楽して一筋にわしに向うて来い、わしに向うてわしの国に生まれたいと思うものは、きっと生まれさす。さぁ皆来い、と手を拡げて立ち上がられる姿である。信心はそれだ。その仏の仰せに順(したご)うて仏にすがって行く心が至心信楽だ。

その至心信楽、それが我々の涅槃の証(さと)りを開く本である。その信心が開けるまで人生の悩みはどこへ行っても無くならぬ。田舎へ行っても、都へ行っても、金持ちになっても、仏の家に行っても、自分の胸が暗ければ心が明るくならぬ。『華厳経』の中に「疑えば華開かず、信心清浄なれば華開いて仏を見たてまつる」とあるのはそこだ。蓮如上人は、「これを知らざるを他門とし、これを知れるをもって真宗のしるしとす」と仰(おっしゃ)った。

これで見ると大抵は他門である。これが本当に開かれてはじめて当流(浄土真宗)の門徒である。そのわしの信心はどこから発って来るかというと、信ぜさせにゃおかんという仏の願いが本だ。信心が仏種じゃったが、それはどこから来た種か。それは第十八願である。親鸞聖人は、わしの頂いた信心はわしが賢くてこしらえた信心ではない、智慧学問でもない、これは仏の第十八願の御心がわしの胸に現れ出て下さったことより外にはないのだと仰った。ご自分の胸の中に一心に弥陀を頼む心を見られて、これはわしを念じて下さる仏の現れだ、と味わわれた。

だから、私はこれだけ仏を思うておるから仏はどう思うて下さるやらと、そういう二の足がない。わしが仏を信ずるのは、仏が念じて下さる心が現れて下さったのだ、と、仏の心にどっしり尻が落ち着いておる。だから喜びがある。光がある。自分が喜ぶについても仏様の願いの広大なことが喜ばれる。他力廻向(たりきえこう)とはそれだ。「我が賢くて信ずるに非ず」全く仏の御廻向にあずかったのだ。それを他力信心というのです。

●あとがき
信心ということは、そんなに難しく考える必要ないと思われます。自分の心の中の煩悩がはっきり見えたら、生き方を転換せざるを得ません。生き方を転換すると言うことは、お金や名誉が目的ではなくなると言うことであり、いわゆる価値観が一変すると言う事実だと思います。

それは、仏様と共に人生を渡ると言うことになります。仏様と言うことが抽象的ならば、たとえば、親鸞聖人とか法然上人と会話しながら日暮しすると言う事ではないかと思います。自分勝手な判断では無しに、仏様の教えに従って生きて行くことになります。そして、一旦その生活が始まりますと、もう後戻りはないはずであります。その感動と感謝が念仏と言う行に現れるのは極自然な成り行きでありましょう。それを信心と言ってよいと思います。

ただ、いわゆる新興宗教、オカルトと異なるところは、特定の個人を狂信的に崇拝したり、絶対視しないところです。親鸞聖人や法然上人を通して、この世の真実・真理に触れ得た喜びが、他力本願の信心だと言えると思います。

この往生因果の4句は、親鸞聖人の他力本願の信心を自信を持って表白されたものと言えるようです。正信偈のみならず、教行信証の要点とも言うべき4句であるとまで、言われております。


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No.503  2005.06.23

イチローと松井秀喜の共通点

この5月初旬から、お隣の小学校4年生の家庭教師をしています。塾を始めようとチラシも2回配布しましたが、現在のところ1名なので、塾というより家庭教師というべき立場であります。地域との繋がりを持ちたい、そして地域に何か役に立ちたいと言う想いから思い立ったのであります。塾の教育方針に仏教色を出す積もりはありませんが、仏教マインドで小学生の教育に当たりたいと思っております。塾の名前は、『共育塾(きょういくじゅく)』。子供だけではなく、塾の講師も、そしてお子さんのご両親も共に育たねば、子供を教育は出来ないと言う想いから、名付けたものであります。

どのような結末になるか分かりません。ただ、未だ2ヶ月も経ってはいませんが、共に育たねばならないという考え方は正しかったと実感しております。

さて、今日のテーマですが、これは、今教えているお子さんが、少年野球チームに所属しており、野球に情熱を持っているところから、この野球を手掛かりにして、勉強への『やる気』を持って貰いたいと考えまして、小学生向けの『イチロー物語』『松井秀喜物語』の本を読んで貰っています。

私は、既に読み終えておりますが、いずれは、彼と共にイチロー選手と松井秀喜選手の共通点を探し出したいと計画しております。野球スタイル上で共に右投げ左打ちと言う事は、一流選手になるためにはかなり有利に働いたこと等を含めまして、詳細は、後日に報告したいと思いますが、皆さんにも意外だと思われる一つの共通点を申し上げたいと思います。

それは、両方のお父さん共に、宗教に縁が深い方だと言う事であります。イチロー選手のお父さんは、浄土宗系の学校である愛知の東海中学、東海高校に学ばれたそうです。東海中学は、私が敬愛し、法話集にも掲載させて頂いている『西川玄苔老師(曹洞宗)』が、一時期に教鞭をとっておられた学校でありますが、イチローのお父さんは、人生を歩む上でかなりの影響を受けられたと言う事であり、本の中に、次のような一節があります。

イチローの父、宣之さんは浄土宗の教えで教育する名古屋の東海中学から高校へ進んでいるのだった。「当時の校長は林霊法という先生でした。先生は『人間は自分一人だけで生きているのではなく、多くの人々に生かされているのだ』ということを徹底的に教えてくれました。」という。 林霊法師は東大の印度哲学を出て、東海高校の校長などを務めたあと、浄土宗の大本山、京都の知恩院の法主(ほっす、禅宗では管長という)になった人である。宣之さんは、今でもその言葉を繰り返す。「先生は法然上人の教えをわたしたちにやさしく語ってくれましたが、その本意は、私達が天地広大なる仏の無量寿無量光によって生かされているということです。わたしたちの命というものは天体、地球生態系、両親をはじめ、多くの自然の恵みによって生かされている。自分一人で生きているのではない、ということです。」「わたしはことあるごとに二人の息子に対して林先生のことを話してきました。むずかしいことではありません。人は自分一人で生きているものではない。多くの人々に支えられて生きているという一言だけです。息子達も、それだけはわかってくれていると思います」
素晴らしいお父さんではないですか・・・。

松井秀喜選手のお父さんの場合は、多分キリスト教系だと思いますが、神父さんを勤められた宗教家だと言うことであります。本の一節に、

「松井選手のお父さんの昌雄さんは27歳のとき、子どもがいなかった松井家の養子となり、その母の跡を継いで、宗教法人(瑠璃教会)の司教をしていた。宗教とは、神様や仏様を信じて、幸せに導くことである。お父さんはその教えを人々に説いていたのだった。しかし、昌雄さんは宗教的なことについては、いっさい子どもには教えなかったという。『宗教は人から強制されて信仰するものではない』という考えがあったからだ」
と紹介されています。強制はされなかったけれども、松井選手は、幼い時から、一日に3度は礼拝していたと聞いております。

イチロー選手も松井選手も、宗教との関わりを現在持っているかどうか分かりませんが、家庭教育においては、宗教マインドに根ざした教育が為されたのではないかと思っております。だからこそ、与えられた自分の仕事を精一杯努めることで、人々に感動を与えたいと言う使命感を、この二人の日本人大リーガーに感じるのではないかと、私はそう思っております。

我田引水かも知れませんが、野球に取り組む姿勢、ファンを大事にする姿勢等から、今を一生懸命生きると言う宗教的な信念を感じます。二人は共に既にチームリーダーと言う立場でありますが、更に頑張って頂き、少年達に夢と希望を与え、そして人生を生きる上での大切な事をも語って貰いたいと思っております。


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No.502  2005.06.20

正信偈の心を読む―第九講【弥陀章(往生因果)―@】

●まえがき
今日は、本願名号正定業(ほんがんみょうごうしょうじょうごう)のお言葉を尋ねたいと思います。 南無阿弥陀仏を称えることが、往生を成就する正しい行だと言うわけですが、念仏を称えるだけでよいかと言いますと、そうではありません。信心の伴なわない念仏もあると言うのです。しかし、逆に、信心が定まれば、南無阿弥陀仏は嫌でも口に現れると親鸞聖人は考えられていたようであります。「真実信心には必ず名号を具す、念仏には必ずしも信心を具せざるなり」と言われたとのことであります。

私は、このお言葉は実に重たいと思います。お坊さんの格好をしているから信心があるとは限りませんし、法話を説くご講師だから信心があるとも言えません。信心の有無を問わず、念仏を称えること自体に意味があると強調する人々もいるのですが、私は、無理にお念仏を称える必要もなく、また殊更お念仏を避けることもなく、自然に任せれば良いと思っております。

時節が到来すれば、信と行が一致したお念仏が口に出るのだと思います。

●弥陀章(往生因果)原文
本願名号正定業(ほんがんみょうごうしょうじょうごう)

至心信楽願為因(ししんしんぎょうがんにいん)
成等覚証大涅槃(じょうとうがくしょうだいねはん)
必至滅度願成就(ひっしめつどがんじょうじゅ)

●弥陀章(往生因果)和訳
本願の名号は正定の業なり

至心信楽の願の因と為す
等覚を成り大涅槃を証することは
必至滅度の願成就したまえばなり

●暁烏敏師の講話からの抜粋
本願と言えば根本の願であります。阿弥陀仏の本願であります。四十八の願いが皆本願であります。四十八の願いが皆本願でありますが、支那の善導大師は、四十八願とあるけれども、自分の正しくお受けするところでは、一願だ。それは第十八願だ。阿弥陀仏の四十八願が自分の胸に戴かれるところは、この第十八願一願だ、とお味わいになられました。

善導大師の教えによってご信心を得られた法然上人は、大師の思召しを受け継がれて、第十八願のことを常に本願といい、くわしくは選択本願(せんじゃくほんがん)といわれたのである。法然上人の御教えによって信心に入られた親鸞聖人は、またそれを御相承なさって、常に本願といわれたのは十八願のことであります。

法然上人は第十八願の、

至心に信楽して我が国に生まれんと欲し、乃至十念せん。
若し生れずば正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんとをば除かん。
のこの信心を、南無阿弥陀仏の一つに摂められて、この一行に励まれた。

我々には顛倒の妄見がある。丁度蜂や虻が障子の紙に突き当たって外に出ようとする、それと同じ事だ。先度も夕方雀が家の中に飛び込んできた。障子戸を開けてやっても出られぬ。そして怪我をした。雀に障子戸の向こうに世界が見えるように、我々も極楽が向こうに見えるように思うて、それを手取りしようと思うて却って自分を害う。

その妄見がひっくりかえれば自分の行く道が明らかになる。向かうところが出来る。慕うところが出来てくる。始めて宗が出来る。宗(むね)とするところが出来る。それは南無阿弥陀仏だ。南無阿弥陀仏が口から出た時は、我々の中心が、限りない命、限りない光の仏に向かうのである。

その仏に向かう時、我々の願いははっきりして、限りない寿命、限りない光明を具えた仏になりたいと思う。南無阿弥陀仏を称える、これがお浄土行く業だ、と言う事は、南無阿弥陀仏が中心になって、身口意の三業が変わって行くのである。人を殺そう、打倒そうということがなくなって、明るい仏の世界を望んで行く。それが願作仏だ。それが出来るようになれば仏に向こうておるのだ。それが自分に現れて来るときは身口意に現れるのだ。仏の心が我々に乗り移って下さると、思うこと、すること、考えること、皆仏の現れだ。

だから信心の無い者は、風呂に入るのも、飯を食うのも、着るのもみな凡夫の業だ。信心のある者のすることは、みな仏の現れだ。中心は南無阿弥陀仏を称えることである。ただ南無阿弥陀仏を称えよというから称える。というのじゃなしに、至心信楽だ。その心から称えるのである。極楽へ行く業は南無阿弥陀仏を称えることだ。外のことではない。心が仏に向こうて来れば、口で南無阿弥陀仏と言わんでもよい。が、言うなというても出て来る。口に出ようが出まいが、そんなことではない。仏が慕われるのである。仏に向うてゆく、これが正定の業である。正しく助かる業である。「本願の名号は正定の業なり」である。

●あとがき
私の母は、事あるごとに、お念仏が口から出ていたことを思い出します。そしてそれは、自分の心に煩悩が渦巻いた事に気が付いた時や、或いは、感謝の気持ちが湧き上がった時ではなかったかと思い起こしております。それは、もう母の心に仏様が常住していたからではないかと思われます。

母は80歳で亡くなったのですが、亡くなるまでの10年間は独り暮らしでした。二人の嫁との同居も経験し、その上で、独り暮らしを選択した訳です。一見、寂しい老後のように思われますが、私は、母は常に仏様と対話しながらの暮らしであったので、思う程に寂しくはなかったのではないかと想像しています。

夜は、法話テープを聞きながら、眠りに就いていたに違いありませんし、朝夕は、独り仏前でこの正信偈を読み上げていたはずです。垂水見真会のご講師の手配や、法話会に向けての準備もありましたから、仏法漬けの日暮しであったと思いますから、最後は独り暮しながらも幸せな日々であったと私は確信しております。

私も今は人生の荒波に翻弄されていますが、やがては母のような老後を迎えることを希望しています。


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No.501  2005.06.16

コラム500回

今週の月曜日のコラムで丁度500回でした。そろそろ500回と言う意識はありましたが、この月曜日には、そう言う意識は飛んでおりました。現在コラムを更新してくれている娘から「更新したよ。コラム、記念すべき500回目やね。すごいなぁ!」と言うメールを貰いまして、そうだったかと思った次第です。

この無相庵ホームページを5年前に立ち上げて、ずっと管理・編集してくれていた息子からも、下記の感慨を含めたコメントメールがありました。

500回かぁ、もう5年やもんね。お疲れさまでした^^もとは無相庵のカレンダーをプリンス技研のホームページに載せたいと言うお父さんの希望から始まって、僕としては会社のHPに宗教的な内容を載せるのに若干抵抗があったので別サイトとして「無相庵」を作り日めくりカレンダーを掲載し、そしてアクセスアップの為にも定期的な更新をしたいのでコラムをお願いしてHP開設の2000年7月6日から1週間後7/13に1回目のコラム「雪印乳業事件に想う」からスタートしたと記憶している。

HPメニューの「無相庵について」は以下の内容だが5年も経つしカレンダーよりコラム・法話・唯識の世界・経典解説などが中心になっているし、今の無相庵の紹介文としては「どうかな?」ってな感じなので内容の変更を検討してはどう?

いずれにしましても、こんな経済的困窮に喘ぐ父を理解し、協力してくれる息子と娘、そして、毎回、校正に励んでくれている妻に、心から感謝したいと思います。この3名と、そして、無相庵ホームページに毎回アクセスして下さっている読者の皆さんのお励ましによりまして、このコラムを続けることが出来たのだと思っております。

考えてみますと、5年前の7月13日から、毎週の月曜日と木曜日にコラムを書かせて頂き、一回も欠かさずに、この500回を迎え得たことを思いますと、私の力ではない、何か大きな力(仏様の本願力と言えましょう)によって、書かしめられて来たのではないかと言う思いが強うございます。

当初、週に20件位でしかなかったアクセス数が、今は、平均で400アクセスにもなっています。アクセス数が多いのは、勿論嬉しく、励みになりますが、当初から、たとえお一人でも真剣に読んでいただく方がいらっしゃる限り、私の勉強にもなりますので、縁ある限り続けさせて頂こうと言う気持ちでありましたが、今も、其の気持ちに変わりはございません。

浄土真宗中興の祖と言われる蓮如上人が、「一宗(一つの宗教)が繁盛すると言う事は、人が多く集まることでは無い、たった一人でもよいから、信心を得るのが一宗の繁盛なのである」と申されておりますが、私も本当にそうだと思いますし、そう言う気持ちで、これからも、このコラム、そして法話コーナー、唯識の世界を更新して参りたいと思っております。

かっこよく申し上げるならば、500回は通過点、これからも、事情が許す限り、続けさせて頂く所存でございます。今後とも、宜しくお願い申し上げます。


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