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No.410  2004.08.02

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第106条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

ISDN回線でパソコン通信をしていたのですが、先々週の金曜日の朝から突然接続不能になり 一時的にはアナログ回線で接続出来ていたのですが、それも先週の木曜日に接続不能になってしまい、修復作業(息子の手による)に時間がかかり、コラムを更新できませんでした。すべてのソフトのインストールをやり直したり、マザーボードも新しいものに入れ替えたり、息子のパソコンと入れ替えたり、その他出来ること全てしても、回復しませんでした。今はプロバイダーのアドバイスにより、ダイヤル番号をつなぎっぱなしのもの(フレッツ)から、ダイヤルアップの番号に変更することにより何とか接続出来ているところです。コラム読者の皆様には、ご迷惑をおかけいたしました。

表題―播(ま)きたて悪きなり

まえがき

私の日常生活を振り返りますと、事業にせよ私的な生活に致しましても99%は煩悩に支配されたものであることを否定出来ません。そして最後の心の落ち着きどころが仏法であることも間違いないと思います。もし仏法に出遇ってなければ、どのような考え方で人生をわたってゆくことになっていたのだろうかとさえ思っています。

そして、私の仏法は私の母の影響を多分に受けているのですが、私の母は親鸞聖人のお教えの信奉者でありましたが、同時に禅門にも心が開かれており、いわゆるガチガチの浄土真宗の門徒ではなかったことが本当に有難いと思っております。母は親鸞聖人を敬愛していたことは間違いありませんが、むしろ親鸞聖人を通してお釈迦様の説かれた真理を信奉していたということが最近よく分かるようになりました。

新興宗教といわれる宗教団体はどちらかと申しますと、その教団の教祖を信奉するという傾向が強いように思います。人間である教祖が絶対的な存在であると言う考え方は危なかっしい面があると思います。宗教は『信じる事』ですが、その対象は真理でなければならないと思います。

そう言うところから、今日の聞書も読んでみたいと思います。

●聞書本文
前々住上人、法敬に対して仰せられ候。「播きたてというもの知りたるか」と。法敬御返事に「播きたてと申すは、一度種を播きて手をささぬものに候ふ」と申され候。仰せに曰く「それぞ播きたて悪きなり、人に直されまじきと思ふ心なり、心中をば申し出して人に直され候はでは、心中の直ることあるべからず」と仰せられ候。

●現代意訳
蓮如上人が法敬坊にお聞きになりました。「播きたてということを知っているか」と。法敬坊はお答えとして、「播きたてと申しますのは、一度種を播いた後に一切手を加えないことを申します」と申し上げました。それに対して蓮如上人は、「その通り、その播いた後に手を加えないところが問題なのだ。仏法にひきかえてみると、人に考え方の間違いを指摘されたくないと思う心が、その播きたての心なのだ。自分の考え方(信するところ)を素直に披露して、間違いを正して行こうと言うことでなければ、正しい信心に向かうことにはならないのだ」とおっしゃいました。

●井上善右衛門先生の讃解
「播きたて」に終わるわれわれの傾向は先ず懈怠(けたい)の煩悩におかされるが故でありましょう。懈怠の本質は自愛の事柄には心が進んで働くが、真実の法へは心が遅鈍になって動こうとはしない傾向を言います。懈怠心がいろいろと口実を設けて法から己れを遠ざけようとするのです。懈怠を克服して法に接近するのには、先ず法の真実性を理解するところから始まりましょう。

しかし理解は次に自覚にまで成育されてゆかねばなりません。それは「播きたて」では決して達しられないのです。理解とわが胸の中との距離を慎重に意識し問題とすべきです。教えの言葉がそのままわが言葉となりうるか否かを徹底してみる必要があります。それと同時に、わが理解するところが果たして正しく真実を受け取っているのかどうか、我流の解釈が混在していることはないか、この点をまた末徹って確かめる必要があります。

懈怠に障(さわら)えられず、執我を超えて法の真実を聞くということになると、聞法には結局努力精進という自力的要素が必要ではないかという問いが生じましょう。努力精進が不必要だなどという論があるとすれば、それは他力論ではなくして怠惰論です。他力道とは絶対力に目ざめる事であり、その自他を超えた絶対力に魂の眼が開かれるとき、すべての努力や精進がこの絶対力の催しであることに気づかれてくるでありましょう。聞法への道は自力他力を云々する以前の止むに止まれぬ生命の要求というべきものですが、その生命もまたこの絶対力即ち如来の本願力に由来することを知らしめられるのであります。

●あとがき
仏法を聞く聞かないに関わらず、「人生の幸せは必ずしもお金だけではない、いくら豪邸に住んで、物質的に何不自由ない生活をしているようでも、必ずしも幸せであるとは言えない」ことは誰にも分かっているところです。しかし、分かっているようですが実際の行動はお金を追い求め、お金に追いかけられている生活をしてしまっていると言うのが、これまたこの世間で生活している者の実情ではないかと思います。

私も多額の借金を抱えまして、金融機関や公的機関に頭を下げる生活が続いておりますので、人一倍にお金のことが頭から離れ得ません。結局は事業を好転させるしか道が無いわけですが、好転することが確実ではありませんから、常に最悪の事態も頭をよぎり、「お金に追いかけられているな」と思う毎日を過ごしております。

一方、この不安な毎日があるからこそ、安心を求めて真実の法を求める自分があるのだとも思い直し、何となく他力の本願を感じている今日この頃です。

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No.409  2004.07.29

良寛と親鸞

良寛様に『盗人(ぬすっと)に、取り残されし、窓の月』と言う句があります。赤貧の良寛様の庵にも拘わらず泥棒が忍び込み、食物や身の回りの品物などを盗んで行ったのでしょう。良寛様は寝た振りをして、盗ってゆくままにまかせていたものと思われます。冒頭の句はその直後に詠まれた句だと思われますが、「盗人は盗れるものは全部盗って行ったけれど、私が唯一大切にしている窓から見えるお月さんだけは盗る事が出来ずに残して行ったなぁー」と言う、私には到底考えられない執着の無さ、心の落ち着き、広やかな心を表している句だと思います。

同じお坊さんでも親鸞聖人には『愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑す・・・・・』と言う自己の煩悩を厳しく見詰めた和讃があります。「愛と欲が渦巻く人生と言う海に翻弄され、名誉や財産・金品の獲得に心奪われて、真実を求める生活からは程遠い自分である・・・・」と言う慙愧の心を表したものです。

お二人とも念仏をお喜びになったお坊さんですが、良寛様は禅門(曹洞宗)、親鸞聖人は浄土門。良寛様は生涯独身、親鸞聖人は妻帯者。生きられた時代も、良寛様は江戸時代、親鸞聖人は鎌倉時代と、お立場には大きな違いがあるお二人であります。

世間一般で思われている仏教の悟りの心境は、多分良寛様に見られるものだと思います。何が起こってもジタバタしない、成り行きに任せる、何にも執着はしないと言う心境は、苦から解放された実に自由で広やかな世界だと思います。私に限らず、悩みを抱えて仏法に救いを求める人ならば、良寛様は理想のお姿です。多分、親鸞聖人も、29歳で比叡山を下りられるまでは、良寛様のような心境を目指して頑張られたものと思います。

良寛様と親鸞聖人の最も大きな立場の違いは、未婚か妻帯者かと言う点だと思います。一生独身を通して仏道修行に励むと言う事も凡人の私には到底出来ないことでありますが、妻帯して尚且つ良寛様のような心境になる事は更に更に難しい事ではないかと、いや殆ど不可能と言っても良いのではないかと考えます。

苦というものは、所有するところから生じて来るものです。配偶者を得て、子を持ち、住居を持つと言う在俗の生活に踏み込んだ者は欲と執着から離れる事は出来ないでしょうから、苦から解放された良寛様のような心境には至り得ないのではないかと考察しています。

その様な在俗生活を送る者の救いを求めて親鸞聖人は一生涯を仏法に捧げられたのではないかと思います。親鸞聖人が何時、どの時点で妻帯されたかを知る資料は残っていないようでありますが、多分、29歳から越後に流罪となられた34歳までの間であろうとされているようです。29歳で法然上人に出遇われて自分が救われるのは念仏しかないと言う確信を得られたのですが、法然上人は、一生涯独身を通され、顔を上げて女人を見なかったと言う清僧だったと言われていますが、そのお師匠の下にありながら妻帯を決意されたのはどうしてなのか知りたいところでありますが、私は、完璧主義、理想主義(私は親鸞聖人をそう思っています)の親鸞聖人は一般民衆が救われる道が仏道でなければならないと、敢えて茨の道を選ばれたのではないかと思っております。

そして、90歳で亡くなられる6年前、長男の善鸞を義絶(勘当)されると言う痛ましい経験をされております。在俗生活なるが故の、家族の悲劇を味合われました。恐らく亡くなられるまで、私達在俗生活する者なら誰でも味合う苦難・災難・トラブルを同じ様に経験され続けたものと思います。 とても、良寛様のような軽やかな心境で人生を渡られ、終えられたのではないであろうと推察しています。

しかし、軽やかな人生ではなかったとは思われますが、在俗生活だからこその煩悩と対峙され、自己を問い直し、慙愧の念を深められて、遂には他力の本願に依って既に救われ護られている自己に目覚められ、軽やかならずとも、慙愧と歓喜の念仏を心深く味わいながら人生を終わられたものと思います。

良寛様の存在も尊いものですが、私達在俗生活を送る者には、親鸞聖人が高く掲げられた灯火に付き従ってゆくことでしか心の落ち着きどころを得られないのではなかろうかと思っている次第であります。


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No.408  2004.07.26

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第105条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―時節到来(じせつとうらい)ということ

まえがき
先週の木曜日まで何の問題もなくパソコン通信が出来ていましたのに、金曜日の朝から突然通信が出来なくなりました。プロバイダーともNTTともやり取りを致しましたが、今も原因不明の通信不能状態が続いており、大変不便をしていますし、知人・友人・取引先にもご迷惑とご不審をお掛けしていると思い、心穏やかでは有りません。このコラムも、フロッピーに保存して長男に届けてコラム更新をして貰うしかありません。

人間が構築したシステムの故障は、必ず特定の原因があり、その原因は必ず突き止められ修復出来るものだと思います。言い換えますと人間の努力によって必ず結果が得られます。しかし、人生で経験する多くは、なかなか思う通りには結果を出せません。こんなに努力しているのに何故結果が出ないのかと焦ったり愚痴をこぼすこともあります。しかし一方、時を経て何とはなしに解決したり結果が出る事もあります。今日の聞書のキーワードである『時節到来』は、仏法における信心(心の落ち着きどころを得た確信と言ってよいでしょう)に関してのことでありますが、人生を生き抜く上での心構えとしても大切な言葉であります。

『時節到来』というのは、人間にはどうする事も出来ない、また思いも及ばない諸条件(縁)が全て整って成就された結果について使う言葉であります。そして仏教の根本的な考え方である『縁起』の時間的な側面を表現した言葉だとも言えます。

時節到来につきまして、卑近な喩えで恐縮ですが、今年の広島カープの中心打者として活躍している嶋と言う選手が思い浮かびます。嶋選手は広島カープに入団して10年になるそうですが、殆ど2軍生活を送って来たようです。私も今年はじめて嶋選手の存在を知りました。普通は10年間も2軍に置いて貰え続ける事はあり得ません、1軍に上がれそうに無い選手は数年で解雇されるのが普通です。嶋選手の場合は何処かに見どころはあった事は間違いないと思いますが、昨年まで2軍選手だった嶋選手は、今年、何時の間にか広島カープの3番打者の定位置を確保し、オールスター戦にも初出場し、現在も打率部門でリーグ3位と昨年からは考えられない大変身を遂げています。これを称して『時節到来』と言ってよいと思います。恐らく本人も打撃技術の何がよくなってこうなったかを説明することは出来ないと思います。生来の打撃センスに加えて10年間のたゆまぬ努力、そして主力選手の故障によって代役出場と言うチャンスにも恵まれた事もあると思いますが、それだけで説明出来るものではないと思います。嶋選手が『赤ゴジラ』(赤ヘルメットを被ったゴジラ松井と言う意味)と言う花を咲かせるのには、10年と言う時節が必要だったのだと言ってもよいでしょう。

『桃栗3年、柿8年』と言う時節到来を意味する格言もあります。花を咲かせたり、実が成るまでには、それぞれの植物に固有の必要年月がありますように、私達人間の人生に成る実も大きい小さいは別と致しまして、時節と言うものがあると自らに言い聞かせたいと思います。

しかし一方、『果報は寝て待て』と言う事では時節は到来しないのではないかと言う誡めが、今日の聞書の主旨だと思います。

●聞書本文
時節到来といふ事、用心をもしてその上にて事の出来候ふを時節到来とはいふべし。無用心にて出来候ふを時節到来とはいはぬことなり。聴聞を心がけての上の宿善無宿善ともいふ事なり。ただ信心は聞くにきはまることなる由仰せの由に候。

●現代意訳
『時節到来』と言う事は、事が成就するように心を砕いた上で得る結果についてのみ『時節到来』と言うべきだと考える。何も努力もせずにたまたま生じた結果について『時節到来』したとは言わないのである。仏法の信心についても、命がけの聴聞をした上で始めて宿善があったとか無かったと言うべきものである。信心は聴聞を重ねることによるしかないと言われる所以である。

●井上善右衛門先生の讃解
人生の経験をふめばふむほど、自己を超えた大きな縁の動きというものを感知せしめられてきます。その縁の動きの中に組み込まれて自己の用心ということも意味をもってくるのです。その縁の働きが"時"という形をとり事の成否となって現れてきます。従ってその縁の時が到らねば如何に焦っても事の成るものではありません。

さる人の「時、ことを解決するや春を待つ」と言う句を聞いたことがありますが、出来るだけの事をしながら、しかも時というものに目覚めなければ、人生は正しく生きてゆけるものではありません。縁に育てられ縁に促されて事の成就をよろこぶ心を忘れぬ人は決して己惚れ(うぬぼれ)にさ迷い出ることはありますまい。真実を知らしめられるということは有難くも忝い(かたじけない)事であります。

聴聞(仏法のお話を聞くこと)においても時節到来の真実は全く同じであります。如来の御心を「そうでありましたか」と有難くあざやかにみづみづしく頂ける時の到るのを「こころ開明(かいめい)を得る」という『大経』(大無量寿経)の言葉が実によく顕していると感じられますが、それはいわば「命懸けの聴聞」が信心の春を迎えた開明のよろこびでありましょう。ところがその春の訪れがその人その人によって異なるのであります。同じ柿の実でも早く熟するのと遅く熟するのと別があるようなものです。では一体何によってその相違が生ずるのでありましょうか。それは到底人間の知力の及ぶところではありません。

しかしおおよそ事の生起の異なるのは、その生起の因縁の違いによるということだけは確かです。後天的な因縁はこれを辿り調べてみることが出来ますが、先天的な因縁はそれが出来ません。しかし、たとえば人がそれぞれ生まれながらに具有する個性というものは、何等かの先天的因縁によるものと言わざるを得ないでありましょう。仏教でいう縁起ということは限りなく多くの縁が相寄って、ある一つの結果を生起することを語るのであり、ただ一つの因(縁の最も強力な中心となるものを因という)で一つの果が生じるとする「一因生」の考えを斥けるのであります。

そうすると信楽開発(しんぎょうかいほつ、真の信心を得ると言う事)ということは、もとより如来の徳号と光明とが根本的な因となり縁となってわれわれの上に働いて下さるからでありますが、さらにそれに関わる限りない縁が人それぞれの"いのち"の底に過去より連綿と流れつづけていることが思われるのです。

そうした諸縁には力を与えるものと妨げるものがあることは勿論ですが、名号と光明が我等を調塾したもうのに力を添える縁はもとより善き縁に違いありません。それが「宿善」という言葉で語られてきました。宿というのは「とどまる」とか「もと」とか「ふるし」という意に用いられる字でありますから、遠き過去より宿る善き縁を宿善といったのであります。心の開明をうる信の人も如何なる善き縁に催されたか知る由もないだけ、いよいよその宿縁の有難さが慶び仰がれ謝されるのです。その宿善をわが功にとりなすような感情は生じる隙がありません。「遇(たまたま)行信を獲(え)ば遠く宿縁を慶べ」と宗祖が感激の情をもらされているところにその御心が深く偲ばれます。かく遠き善き縁がひたすら恵みとして感じられるのも、開発の信心に無我の法徳をたまわるが故であるといわねばなりません。

●あとがき
お釈迦様は、暁の明星を見られてお悟り開かれたと言われております。白隠禅師は、お寺の鐘が「ゴーン」と鳴る音を聞いた時に忽然と悟ったとされています。親鸞聖人は、20年間の比叡山での修行の後100日間の六角堂での参籠、そしてその後100日間法然上人の法座に通われたところで信心を得られたと言われています。

私達が単に暁の明星を見るだけで悟りが開ける訳がありません。お寺の鐘の音を聞いても同じことです。100日間法話を聞き続けても誰もが安心(あんじん、真宗におけるお悟り)を得られると言うものではありません。その人その人に時節と言うものがあるのだと思います。その時節が何時かは私達に分かるはずもありません。全ての縁が整う時が時節到来する時であるとして、仏法を求め続けてゆくことだと思います。

また、誰の身にも訪れる人生の苦境、逆境も、時節到来すれば、それこそ霧が晴れるように瞬間的に場面が変るのだと思います。無常であり無我だからこそ時節が到来するのだと言うことだと思います。


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No.407  2004.07.22

他力について

長女が出産して今日で丁度2週間になります。この頃の赤ちゃんを見ていますと、つくづく人間は他力によって生かされているのだと言う事に改めて気付かされます。未だ寝返りも打てません、お乳が欲しい時に泣いたり手足を頻繁に動かして(乳くれダンスと称しています)希望を伝え、お乳を吸う事が唯一自分が出来る能動的な仕事です。しかし、考えて見れば、この唯一能動的な仕事も天から与えられた本能によるものであり、他から全てを与えられて生かされて生きている事は間違いない事が分かります。赤ちゃんは周りの人間が一切の世話をしなければ、生きることは出来ないでしょう。

赤ちゃんは確かに他力によって生かされている事が分かりますが、大人の私はどうでしょうか。食べたい時は、自分で食物を準備出来ます、そしてその食物を買い求めるために必要なお金も自分の働きで準備出来ます。排尿・排便も人の手を煩わさずに自分でトイレに行って処理出来ます。トイレも、自分の稼ぎで獲得した住居に自分が用意しています。こう考えますと、全ては自分の力で生きているように思えます。

しかし、もう少し考えを深めますと、食物一つをとりましても、食物は自分で生産しておりません。食物を作る人がいるからお金を出せば食物が得られます。私は自給自足しているから自分の力で食物を準備していると言う人がいるかも知れませんが、食物が育つのは、太陽、水、土、肥料等など・・自然の恵みがあるからこそであり、人間はホンの少し手助けしているだけであることに思い至ります。

それよりも何よりも、空気がなければ私達人間は生きられません。空気があっても、私達が酸素を吸って排気する炭酸ガスを酸素に戻してくれる植物群がなければ、そもそもこの地球に人間と言う生命は誕生出来ませんでした。

突き詰めて考えますと、私も産まれたての赤ん坊も全く同じ立場であり、全て他の存在のお陰、他の働きの恵みによって生かされて生きている事は動かしようがありません。この考え方が他力信仰の基本にあると言っても良いと思います。

他力信仰と言いますよりも、これが真実・真理だと言ってよいと私は思います。この世に生まれ出たのも、この世を去るのも、自分の意思や計らいによるものではありません。他力の働きを含めた縁によって生まれ、死んでゆくのでありますから、すべては他力だと言う外はありません。この事を歎異抄を現代に甦らせた清沢満之(きよさわまんし)師が『絶対他力』と言われたのではないかと私は思います。

他力が誤解され易いと致しましたら、「全ては他力だから、自分の努力は要らないのだ、全ては他力任せだ」と言う考え方になる事だと思われます。勿論これは、「自分の努力は要らないのだ」と言う自分の計らいが既に入っているのですから、擬似他力と言わねばなりません。全てが他力と言う正しい自覚が生まれましたら、他力への感謝の念と、少しでも社会の役に立ちたいと言う報恩の念しか生まれ出無いのではないでしょうか。他力信仰におけるお念仏が、ご恩報謝の念仏と言われる所以だと思います。

理論的に他力を考察致しますと、上述の様になりますが、本当にすべてが他力だと正しく自覚出来る"回心(えしん)"の瞬間は、これも他力によるものです。仏法の話しを聞き抜いて"回心"を得たいと努力するのは自力に頼る姿勢でありますから永遠に"回心"には至り得ません。易行と言われる親鸞聖人が辿られた仏道は、そう容易(たやす)い道ではありませんが、無相庵カレンダーの9日のお言葉『ともしびを、たかくかかげて、わが前を、ゆく人のあり、さ夜なかの道』と甲斐和里子師が示されておりますように、私についていらっしゃいと言う尊い先師・先輩の背中に付き従ってゆけばよいのだと思います。

今年も玄関先の塀に琉球朝顔が茂りつつあります。今年の花びらの大きさには目を見張るものがありますが、私は、夏のこの期間だけ水遣りをするだけです。他力自然の不思議な働きです。


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No.406  2004.07.19

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第102条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―万(よろず)について油断あるまじ

まえがき
私は今回初めて産まれたての孫を目の当たりにしています。長男に3人の孫がありますが、その孫達の産まれたては、世間の通常通り、長男のお嫁さんのご両親の下にありましたから、産まれたて1週間の孫と起居を共にするのは、私にとりましては初めての経験であります。

未だ約1週間ですが、親として子育てする時には気が付かなかった事に気付かされています。自分が親として子育てする時には余裕がなかったからかも知れませんが、子育ての大変さを肉体的には実感出来ていたのかも知れませんが、一つの命が護られ育てられて行く上でのあらゆる配慮、あらゆる恵みがあるのだと言う事までにはなかなか思い至っていませんでした。自分自身がどれ程の配慮と恵みと運に恵まれて今日まで生きて来たかを初めて実感出来た思いを感じております。

私や妻は、私達の両親が孫をもった年齢になって初めて子育ての重さを知った訳ですが、この様に、その立場に実際に立ちませんと気が付かない事は沢山あると思われます。子育てに関するだけではなく、今の自分が知らない事、気付けない事が沢山あると言う事を自誡しなければならないと思います。

歌人の窪田空穂さんが70歳を越えて『今にして、知りて悲しむ、父母が、我にしましし、その片思い』と詠まれたようですが、70歳なら70歳にならないと分からない、孫を持って初めて分かる心境があるのではないでしょうか。しかしだからと言って、若いうちから親に恩返しに心掛けるべきだとは思いません。この片思いをそのままにして、親から子に片思いの愛情を順繰りに申し送りして行けば良いのではないかと思っております。

さて、"油断大敵(ゆだんたいてき)" と言う言葉があります。対峙する敵よりも油断と言う精神状態の方がもっともっと怖い敵だと言う意味ですが、仏法で言う油断とは、今ある命が明日も有ると言う油断であり、現在と言う時が未来に繋がる時だと言う油断を言います。

この競争社会で油断していますと、思わぬ損失を被ったり、怪我も致します。会社は倒産しかねませんし、自己破産にまで追い詰められる事がありますが、もっと根本的で、且つ悲惨な結果を招きかねない油断とは「明日も自分は生きているはずだ、自分の最愛の家族も生きているはずだ」と言う無意識の油断であると言うのが今回のテーマではないかと思います。

最近でも、次から次へと人の死を伴う悲惨な事件・事故が報道されますが、幾ら聞いても他人事であって、我が身には起こらないだろうと言う根拠のない安心、即ち油断をしている自分に気付かされます。

何が起こっても不思議ではないこの人生におきまして、幸せと言う青い鳥を求めるならば、人生で経験するあらゆる苦難から眼を背けずに真正面から取組み、この世に生命を受けた自己の意味を問い直すことに勤めるのが仏法だと思います。

●聞書本文
前々住上人仰せられ候。仏法の上には毎事について空恐ろしき事と存じ候ふべく候。ただ万について油断あるまじき事と存じ候へ、の由折々に仰せられ候ふと云々。仏法には明日と申す事あるまじく候、仏法の事は急げ急げ、と仰せられ候ふなり。

●現代意訳
蓮如上人がおっしゃっていたと言うことです。「仏法を学ぶと全ての事が空恐ろしい事であると自覚されてくる、また何につけても油断できない事だと思われて来るものだ」と言う意味のことを折りに触れて、おっしゃられたと言うことです。「仏法には明日と言う事があってはならない。仏法の教えは、何につけても直ちに直ちにしなければならない」ともおっしゃっておられました。

●井上善右衛門先生の讃解
さて「仏法の上には毎事について空恐ろしき事」と述べられたこころでありますが「仏法の上には」という言葉が示しているように、それは仏法の真実を聞くことによって開眼されてくる自覚というべきでありましょう。日々夜々この自分のなす事、する事、煩悩と迷いにまつわられておらぬ事とてはない。悪道への業を知らず思わず気付かず積み重ねつつあるこの身であります。

正しい事を主張したのだ、義憤の行動だと言いながら、その実は瞋恚と憎悪に燃えていたのではないか。たとえ意識の表面には正義感があっても、その底には何が動いていたか分からない。「人間の心は底知れぬ闇を蔵したもので、自分の気付かぬところに、利己心が動いていなかったと断言できる人は誰もない」と哲人カントも深い述懐をもらしています。それは人間というものの避けがたい自性でありましょう。

そうした各自の正体に気付く時、如何なる生命感情が生まれてくるでありましょうか。

親鸞聖人が「地獄は一定すみかぞかし」といわれたのは、現在の自己みつめるものの厳粛な生命のさけびであります。その内なる声を聞けばこそ「救い」ということが我が命の避けられない願いとなるのです。その救いに対して真実の浄土の光りがさしそうてこられる。そのとき最早や浄土なくして生きることの出来ない生命が誕生するのです。浄土の実在は理論や思考が証明する問題ではなく、生命の底を貫いてさす光がその証を立てる真実界なのであります。

浄土の真実に光被される身となれば、迷妄の暗黒は最早や悩みとはならず、南無阿弥陀仏の奇しきみ名に新しい寿(いのち)をたまわるよろこびを知るでありましょう。しかしそれは罪濁の身を忘れ去ることではなく、否、いよいよこの身の空恐ろしき現実相を自誡せずにはおれぬ心情をたまわります。常識では当然と放置していたわが心中が「申し訳ない身でありました」と独り自ら慚謝せずにはおられない思いにかられます。これは何かいままでなかった光りに照らされて起こる情感といわねばなりますまい。いま本条に「毎事について空恐ろしき事」と述べられているのはこの実感より生じる自粛自戒の心でありましょう。それ故にこの言葉を受けて「ただ万について油断あるまじき事と存じ候へ」とおのずからなる反省がつづいているのであります。「・・・・候へ」とは自己への反省がそのまま同行へのやみがたい訴えとなっているのです。

油断は生死の油断に由来するとともに、さらに同時に「時」に対する錯覚に深く関係しているものです。それはどのような錯覚かというに、現在を乗せた時がそのまま現在を未来に運ぶと思う誤りであります。言い換えると、現在がそのまま延びて未来になると思うのです。だから今日の事を明日に延ばしてもよいと考える。明日の後にはさらに明後日もあると思うのです。しかし時というものは現在は現在で成立し、未来は未来の因縁で成立するものです。それを離れて別に時というものがあるのではありません。決して一つのものが延びてつづくのではないのであります。だから現在は現在として最後であり、未来もまた同様であります。だから現在を失えば再びこれを得ることは出来ません。

われわれの「明日がある、まだ明日がある」という思いが、如何に生活を弛緩させ、また機会を逸し、事を失う結果を招いていることでしょう。そうした悔いを反省すると、それが誤った時の意識に起因していることを知らしめられるのです。仏教に「一期一会」といわれるのは決して誇張の言葉ではなく、当然の自覚なのであります。

●あとがき
「人間には一番大事な事は見えないのだよ」とはキリスト教のあるシスターの講話の中で聞いたような記憶がありますが、ものが見えないまま歩く事は恐ろしい事であります。しかも一番大切なものが見えないと言う事になりますと、空恐ろしい事であります。

一般で言う恐ろしい事とは、死ぬ目に遭うとか、財産を丸ごと失う事とか、名誉を失う事でありますが、仏法で言う空恐ろしい事とは、自己の正体を知らないままに日常生活を繰り返して人生を渡っている事を言います。

自己の正体を見詰め続けて、地獄に堕ちるしかない程の自己の悪性に目覚められ、そしてそう言う自分をこそ救いたいとする願いが宇宙一杯に働いている事(他力本願と言う)を実感されたのが親鸞聖人だと思います。

科学は人間の外の世界を明らかにして行く体系であります。天気予報はまさに科学の進歩によって的中確率は飛躍的に向上しております。火星探査機すら打ち上げられる今日になっています。 しかし、人間の心の中の探査への興味は増大すると言うよりも、科学の進歩と相反するように置き忘れられつつあります。

鎌倉時代に親鸞聖人と道元禅師によって芽生えた自己の探査を思い返す必要を感じているのは、蓮如上人だけではないと思います。


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No.405  2004.07.15

悪と往生−完

前回のコラムにて長女の出産を報告致しましたが、今週の火曜日に母子共に元気に退院致しまして、我が家に帰って参りました(写真は生後1週間目のものです)。私達夫婦にとりましては4人目の孫ですが、娘の嫁ぎ先のご両親にとりましては初孫でありますので、思い入れは格別のものがあるとお察しし、遠慮気兼ねなく会いに来て頂けるような環境作りに心掛けているところです。世間では内孫と外孫では可愛さに軽重があるように申しますが、私達夫婦は今のところ全くそう言う意識はありません。どちらも深い宿縁によって私達の孫として生まれて来ていると言う仏教的な考えから来ているのだと思います。

さて、『悪と往生』を読み終わりました。私は、結構興味深く読みましたが、皆様に是非読んで下さいと言う気持ちにはなりません。それは、読み終えて何か物悲しさと腹立たしさが混じり合った不愉快さが胸の底のほうに漂っているのを感じるからだと思います。

山折氏は、学者さんですから、確かに幅広く勉強されていますから、多くの本からの引用を披露されながら論じられています。しかし、私は、山折氏の唯円の心情のみならず、親鸞聖人の御心に関する洞察に物足りなさを感じながら読み進まざるを得ませんでした。恐らくその原因は、山折氏が正当な浄土真宗の門徒の家庭で育っておられないところにあるのではないかと思います。

山折氏にも勿論言論の自由がありますから、どのような主張をされてもよいのでありますが、自由と表裏一体に責任もあると思います。“親鸞を裏切る『歎異抄』”と言う副題の付いた著書『悪と往生』は宗教哲学的には余りにも稚拙な論文である事を断じて、私は山折氏の責任を問いたいと思います。

私には、成る程と思えた箇所はこの『悪と往生』の中には殆どありませんでしたが、特に、歎異抄の中に、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人(いちにん)がためなりけり」と言う親鸞聖人の有名なお言葉が紹介されていますが、この『一人(いちにん)』の解釈として、近年の二人の詩人の句にある『ひとり』に通じると言う洞察をされています。それは下記に示す2句です。

せきをしてもひとり         尾崎放哉
鴉啼いてわたしもひとり     種田山頭火
そして、山折氏は『尾崎放哉も種田山頭火もともに親鸞の徒(ともがら)であったと私は思う。親鸞の「ひとり」を介して、その心の運動が放哉や山頭火の俳諧の道に通じていたのだと思う』と述べられています。

私には句を読みとる力がありませんから、二つの句の“ひとり”に込められている作者の気持ちを正しく理解出来ませんが、「親鸞一人がためなりけり」の“一人”は、お釈迦様がこの世に生まれでられて仏法を説かれたのも、善導大師が中国に出られ、法然上人が日本に出られたのも、この親鸞一人を救う為だったと言う、深い慙愧(ざんき)と、それと同時に湧き上がる歓喜の気持ちを表すための強調の“一人”であって、一人、二人と言う人数とは全く意を異にする“一人”だと思います。私はそう聞かされて来ましたし、その通りだと思っていますので、これらの2句を引用された山折氏の見当外れな解釈に唖然と致しました。

歎異抄は、自分を問題として読み開いていかねばなりません。自分のために唯円が書き残してくれた著書として読まねばなりません。高史明師も白井成允師も、その様に読まれています。山折氏は、「歎異抄と言う聞き書きは、親鸞に一番読んで貰いたいとして唯円が書き残したのだ」と主張されていますが、親鸞聖人のお教えに異なって解釈しているのはこの私であると言う自覚を持って読まねばならないと言う一般の考え方とはあまりにも異なっており、唯円坊は草葉の陰で山折氏の異なっている解釈を歎いておられるのではないかと思います。

私は、歎異抄に親鸞聖人の教えの全てが盛り込まれているとも思っていません。また、親鸞聖人のお言葉がそのまま書き記されているとも思っていません。人が人の考え方を伝える場合、どうしても多少のニュアンスの違いがある事を否定出来ないからです。山折氏は、親鸞聖人の著作であり、浄土真宗宗派の所依の経典である『教行信証』の教の巻の冒頭にある「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の廻向あり。一に往相、二に還相なり」の廻向に関する考え方が歎異抄には欠落している事も、歎異抄が裏切りの書であると言う根拠にされています。その是非にも私は異論があるのですが、ある人が「もし、歎異抄が親鸞聖人の考え方や教えではないとしたら、私は浄土真宗から歎異抄宗に宗旨替えをする」と言ったと言うことを読んだことがありますが、多くの浄土真宗の信者の歎異抄に対する思い入れを代弁した言葉ではないかと思います。

私は、山折氏とは全く異なる歎異抄の世界を教えて貰って今日に至った環境と縁を喜ばねばならないと思っております。「正しい仏法に遇えた遠き宿縁に感謝したい」と言う親鸞聖人のお言葉を噛み締めたいと思います。

この無相庵コラムは、4年前の7月13日が第1回でしたから、丸4年、405回目になります。『悪と往生』のような、親鸞聖人のお教えと異なる主張によって一般の方々に混乱が起こらないように、更に精進して書き続けたいと思った次第です。


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No.404  2004.07.12

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第100条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―南無阿弥陀仏に身をまるめる

まえがき
先週の木曜日の午後5時に長女が男児を出産いたしました。私は初めて陣痛に立ち会うことになりましたが(私の子供二人の時には仕事中のため病院にもいませんでした)、娘の陣痛の辛さを見るに忍びなく陣痛室から離れてしまいました。おそらく男性には耐えられない、しかも長時間続く痛みだと思いましたので、女性の偉大さを目の当たりにした気が致しました。明後日からいよいよ我が家に赤ん坊の泣き声が響き渡るものと思います。

さて、自分自身の意思で生まれ出たわけではないこの世を、やはり自分の意思とは関係なく、いずれは去らねばならないこの人生を、自分の思い通りにしたいと言う我執と共に歩まねばならないところに、様々な苦しみと悩みが生じて来ているのだと思います。

人間以外の動植物には私達のような我執があるはずもなく、淡々と生まれ、淡々と生き、淡々と去ってゆくのだと思われます。ある意味では、他の動植物はいいなぁーと思うこともあります。しかし、地球史上、或いは宇宙史上でも稀有な人間という生命を得たが故に与えられた"我執"である事に思い至る時、この我執を出発点として、人間に生まれた自己と言うものを問い直さざるを得ないのでないか・・・・・・・。恐らくは、親鸞聖人の他力本願の原点は、此処にあるのだと思います。

そして、親鸞聖人が得られた結論とも言うべき境涯は、今日の聞書の南無阿弥陀仏に身を丸められる事だったに違いありません。

●聞書本文
前々住上人仰せられ候。弥陀をたのめる人は南無阿弥陀仏に身をばまるめたる事なりと仰せられ候ふと云々。いよいよ冥加を存ずべきの由に候。

●現代意訳
蓮如上人がおっしゃいました。「阿弥陀仏に帰依した人は身も心も南無阿弥陀仏にくるめられたと言う事だ」とおっしゃったと言うことです。そうなれば仏の見護りの中の日常生活となるのではなかろうかと言うことだと思われる。

●井上善右衛門先生の讃解
人間にとって最も尊いことは、その生命が生命自体の闇と矛盾に気付くということであります。それがどうして可能かの解明は容易ではありませんが、闇が闇に気付き矛盾が迷いと気付かれるということは、それを照らす光りの働きが人間の心の中に現れるからでありましょう。その働きに促されて自らが省察されるようになると、必ず自己を問題とする自覚が生じ「いたらぬ己れである。あさましい自分である」という意識と感情とが自然と湧くようになります。

しかしただそれだけで済ますわけにはゆきません。何故ならそれは未だ反省と否定の立場に過ぎぬのであって、己が生命の解決ではないからであります。反省して洗い去られるものなら問題はありませんが、人間生命の闇は底知れぬ深さを持つものです。自分に対する自負心や他人に対する軽蔑心に纏わられることなしに反省できる人はないのです。

この限界を超えるためには、どうしても先にいう光の働きが、己;れの反省力としてではなく、己れを超えて己れを照らし出す光とならねばなりません。しかもその時は、その光はただ照らし出す光ではなく、同時に照らし取る光であることに目ざまされるのです。これが仏の大悲にお会いするものの心に外なりません。この消息を最も的確な一句で詠うているのが才市翁です。いわく、

ありがたいなあ 照らしぬかれて 照らしとられて ナムアミダブツ
まことに「照らしぬかれる」そのままに「照らしとられて」いるのです。それが「摂取光中」という言葉の内実であります。「ナムアミダブツがこの身に宿っていて下さる」といわれた人の体験もここにあります。それを今まさしく蓮如上人は「南無阿弥陀仏に身をまるめたる事なり」といわれました。"まるめる"とは丸める、即ちつつみくるんで一つにする意であります。心身ともに南無阿弥陀仏にくるまれて、そこにいささかの間隙もない。間隙があれば"まるめる"という言葉は当をえぬのでありましょう。信体験には最早思念や論理をさしはさむ間隙はないのです。

しかしそれは「称うれば仏も我もなかりけり・・・・・」というような生仏不二の状態をいうのではありません。そうした状態は尊い事でありましょうが、それは最早人間超越の境であります。私どもにそのような境界が果たして続きうるでありましょうか。機法二種の深信ということは機法が融合することでなく、機法二種のままに表裏をなして一時も相離れぬのです。あくまで「念々称名常懺悔」の信であり、才市翁の「慙愧・歓喜のナムアミダブツ」であります。

さて本条の最後には、一条を結ぶにあたって「いよいよ冥加を存ずべき由に候」とあります。もし生仏一体の心境ならば、そうした思いの生ずる余地はないでしょう。摂取光中に照らしぬかれ、照らし取られた信心であればこそ、常に冥加を偲び冥見にはじまる自誡の心が湧き起こるのであります。慙愧の中に歓喜あり、歓喜の中に慙愧あればこそ、あの心底に浸みわたる親鸞聖人の『悲歎述懐』の和讃がほとばしったといわねばなりません。
無慚無愧のこの身にて まことの心はなけれども 弥陀の廻向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ
ここに念仏者の倫理生活の原点があることを深く心に銘じたく思います。

●あとがき
仏法を外から眺めている人々は、仏法を信仰することによって煩悩がなくなり、苦悩から解放されて安らかな心境になると思われるのだと思いますが、それは特別に選ばれた人にのみ起こるものであって、煩悩生活を離れる事の出来ない一般在家の者は、そう言うような心境にはなかなか至らないと思います。そう言う者の為に、一生を賭けて答えを出そうと努力し、道を開き、道を指し示めして下さったのが、親鸞聖人に外なりません。

井上先生の讃解文の中に、妙好人浅原才市翁の「慙愧・歓喜のナムアミダブツ」という言葉が紹介されていますが、深いところから来る懺悔・慙愧の心は仏様の照らす光りに照らし出されたものであるとされ、凡夫の反省と言うような表面的な軽いものではないとおっしゃっておられます。このことは、宗教体験が伴わないと本当にはわからないのだと思います。


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No.403  2004.07.08

続―悪と往生

意外と早く山折哲雄氏の著書『悪と往生』が届きました。しかし、丁度この1週間は、私の会社にとっての大きな転機と重なっており、なかなか読書の時間が作れず、未だ280ページのうちの88ページを読み終えたに止まっております。しかし読み始めて直ぐに思い浮かんだ言葉は『冤罪(えんざい)』と言う事であり、読後感想ならぬ読中感想をしたためておきたくなりました。

『冤罪』とは、本当は他に真犯人が存在するにも関わらず、検察と裁判官が状況証拠から来る先入観で殺人犯と裁かれてしまう法曹界における大問題ですが、『悪と往生』に示されている山折氏の唯円に関する断罪は、私から見ますと学者特有の功名心から来る『冤罪』そのもののように感じざるを得ません。

ただ、歎異抄と唯円に関して極めて好意的な話を聞かされ信奉者となってしまっている私は、或いは『冤罪』の逆の立場で、誤った先入観で歎異抄と唯円を見ているのかも知れません。しかし、下記の山折氏の文章は、学問の世界ではよく見受けられるところの独断先行の傾向を感じるのは私だけではないと思います。

蓮如は『歎異抄』の危うさとあいまいさに、すでに気が付いていた。『歎異抄』に盛られている毒の妖気を洞察していた。そこに説かれている「悪人正機」論が、実は歯止めの効かない悪人肯定論へと逸脱していく可能性を秘めていることにたじろぐ思いだっただろう。そこには、無条件の悪人往生論を主張する種がすでにまかれていたからだ。『歎異抄』がかかえる思想的な毒である。

唯円が親鸞を裏切っていると言う山折氏の発想は、自身が見聞され経験されている学問の師弟関係からのものである事が示されている文章があります。それは、学問の世界では弟子が師を結果的に裏切る事が散見されるからだと思います。学問の世界は、他人の主張と異なる主張を、何らかの根拠を示して発表致しませんと、博士にもなれませんし、世に認められません。師匠の説を素直に肯定するだけでは学問の世界で地位を占める事は出来ません。師匠を超える研究をしないと世に出られない訳ですから、これを換言すれば師匠を裏切ると言う事になるのでしょう。

宗教哲学の学者と言う立場としては、新しい歎異抄の読み方をしなければ、存在感を打ち出せないと思いますので、山折氏の立場も分からない訳ではありませんが、親鸞聖人の教えは、学問で捉えるには余りにも次元の異なるものだろうと思いますので、山折氏のこの挑戦は少々無謀ではなかったかと思わざるを得ません。親鸞聖人の教えは、功名心とは対極にあり、学問があればあるほど、正しい領解が得られないものだと思います。宗教は自己を問い直すことから始まると申します。自己を問い直す人によってしか親鸞聖人の世界の扉は開かないものなんだろう・・・・・そんな事を考えさせられながら読み進んで参りたいと思っております。


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No.402  2004.07.05

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第95条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―自信教人信(じしんきょうにんしん)の道理

まえがき
今日は、工場を引き払うために生産設備の撤去を行う日で、重量運搬の専門業者が来て、午前中をかけて漸く作業が完了したところです。13年間使用して来た設備との別れはそれなりに感慨がありましたが、そのためにコラムの更新が遅れてしまい申し訳ございませんでした。

さて、今日の聞書の表題にあります自信教人信の「自信」と言うのは、「私は自信がある」と言う時に使う自信ではなく、「自分自身が仏を信じる」と言う事で、その後の教人信と言うのは、「他の人に仏法の信心を伝え教える」と言う事です。

「自分が信じなくて他の人に信じさせる事は出来ない」とも読んでよいでしょうし、「自分の信仰心が確かならば、自ずと他の人に信仰心が伝わってゆくものだ」とも読んでもよいと思います。「信心と言うものは、多くを語らずとも人格から人格に伝わるものだ」と解釈しても間違いではないでしょう。

禅門でも、不立文字(ふりゅうもじ)教外別伝(きょうげべつでん)と申しまして、禅は言葉で伝えてゆくものではない、以心伝心(いしんでんしん)とも言い、心から心へ伝わって行くものだと言われていますから、仏法は禅宗にせよ浄土真宗にしても、人格から人格へと伝わるものだと言うことだと思います。

●聞書本文
自信教人信の道理也と仰せられ候ふ事。
聖教よみの仏法を申したてたる事はなく候。尼入道のたぐひの、たふとやありがたやと申され候を聞きては人が信をとる、と前々住上人仰せられ候由に候。何も知らねども仏の加備力の故に、尼入道などの喜ばるるを聞きては人も信をとるなり。聖教をよめども名聞が先にたちて心には法なき故に人の信用なきなり。

●現代意訳
自信教人信と言う事は次のような道理だと仰せられたと言うことです。
知識としての仏法を学んでいる人々が仏法を広めることは出来ない。むしろ経典を読むことも出来ない人々が親鸞聖人の教えを尊いとか有難いと話し合う言葉を聞くことによってはじめて人々も信に至ると言うものだと蓮如上人も仰せになったと言うことです。難しい事を何も知らなくとも、それらの人々に宿る阿弥陀仏のお働きによって、人々は信心を得ることが出来る。教典を学問の対象として勉強する学者と言われる人々は、たとえどれ程経典を読んだとしても、名誉を得んがためのものであり、自らの心に仏法が至り届いていないので、人々に信を与えることは出来ないと言う事ではないか。

●井上善右衛門先生の讃解
さて「自信教人信」ということですが、言葉通りの意は自信とは自ら信を.得ること、教人信とは人をして教えて信をえしめることでありますが、この二つの事柄が相離れぬ故、自信教人信と一つに語られるのです。言い換えると、自信なくして教人信はありえず、教人信を伴わぬ自信もありえぬということになります。

然るに自信なくして教人信に走る傾向を誡めて、

信もなくて人に信をとられよとられよと申すは、我は物を持たずして人に物をとらうべきといふ心なり。人承引あるべからず(聞書第93条)
と言われてあるのは、真に見事な喩えであります。一目瞭然、自信なくして教人信のあり得ぬ事が確かと頷かれます。母を慕う子心は親心の徹到であります。母親代わりの世話は出来ても、母親になりすますことは出来ません。そこにまことに厳しいものがあります。真実と真似とは如何に装うても工夫しても一つにはならぬのです。

真実の信がそのまま他をして信ぜしめる妙用を果たすことは争うことの出来ない宗教的事実であります。しかしこの事は自然現象にみる必然性とは異なります。人間には各自の内面的な因縁があり、その因縁を通して自信教人信の奇しき相互関係が現ずるからであります。従って如何に真実信の人に接していても、その人の因縁がこれをはばむことがあります。第217条に次のような対話が掲げられています。
法敬坊にある人不審申され候。これ程仏法に御心をも入れられ候ふ法敬坊の尼公の不信なるいかがの義に候由申され候へば、法敬坊申され候。不審さる事なれども、これほど朝夕御文を読み候ふに驚き申さぬ心中が、何か法敬が申分にて聞き入れ候ふべきと申され候。
このような現実にはわれわれもまた出会うことでありますが、それは人間の心が物理現象とは異なった多次元的な質的因縁の複合の上に成り立つものだからでありまして、決して画一的な一元的法則で割り切れるものではないからであります。しかし、それにもかかわらず自信教人信という真実は厳然として揺るぎません。

宗教的真理の伝わるのは人為の業によるのではなく、信の内実に宿る大悲と仏智の働きによるものだからです。「大悲伝普化」は人を媒介としながらその底には大悲の独り働きという趣きが宿る、だからその働きに乗ずる教人信は本質的には無我行であり、止みがたい勧化の心がそのまま法の尊さ有難さに融けており、教化の思いが意図の跡をとどめぬのです。「親鸞は弟子一人ももたず候」といわれた胸奥にもこの教人信のこころが深く偲ばれます。

●あとがき
井上先生の讃解文の中で聞書第217条の引用以降のテーマは、多くの方も抱かれ経験されることだと思います。信心深い人の配偶者が同様に信心深い人であるケースは意外と稀な事であるようです。全く無関心と言う事は無いに致しましても、ご夫婦揃って法話の席に参加される方もいらっしゃいますが、私の知る限りは百組に一組も無い稀なことではないでしょうか。

更に法話を説かれるご講師の配偶者の方々にしても、また同様な事情にある事は不思議ではありますが、これも昔からの事柄である事が法敬坊の件に示されているところであります。井上先生は、自信教人信は厳然として揺るがないけれども、仏法に出遭う因縁というものは、こうだからこうなると言うような単純なものではなく、夫婦でも仏法との因縁が異なるのを否定出来ないと言う事をおっしゃっているように思います。

仏法との因縁も不思議ですが、夫婦になると言う因縁もまた不思議です、仏法に出遇うことになった遠く宿縁を慶び、また夫婦となった意味も同様に宿縁として噛み締める事も信心ではないか・・・・そのように受け取りたいと思う次第です。


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No.401  2004.07.01

悪と往生

6月27日(日曜日)の朝日新聞の『自作再訪』と言う欄で、宗教学者の山折哲雄氏が自著『悪と往生』について語っておられました。私は山折氏をよくは存じ上げていませんが、この『悪と往生』の中で、あの有名な『歎異抄』は著者"唯円(ゆいえん)"が親鸞を裏切った内容のものであると主張されている事を知り、歎異抄が後代の私達の為に親鸞聖人の教えを分かり易く書き綴られたものとして深く信奉している私は少なからぬショックを受けました。そしてこのまま捨て置けない気持ちになり、コラムのテーマとさせて頂くことに致しました。

悪と往生』(中公新書)が近くの書店に無く、現在取り寄せている最中ですので、ご本を読み改めました後、あらためて読後の感想をコラムにしたいと考えておりますが、今日のコラムでは新聞記事に示されている山折氏の言葉を転載し、その内容についての私の考えを申し述べたいと思います。

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新聞記事の全文を引用:
私には、長いあいだ解けずにいた疑問があった。唯円の問題の書『歎異抄』は、かれの師・親鸞を裏切っているのではないか。親鸞の思想から逸脱しているのではないか、という疑問である。それは、親鸞をひそかに人生の師と思い定めていた青春の頃にさかのぼる。『歎異抄』は、周知の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」が出てくる。

その逆説のようにもアイロニーのようにも響く一条がつまづきの石だった。本当にそうか、何故にそうなのか。その問いに正面から根源的に答えたものがどこにも見当たらない、――そういう焦燥感のなかで生きていたのである。

転機が訪れた。1995年3月、オウム真理教によるサリン・テロ事件が東京で発生したときだ。私はすでに還暦を迎えていたが、右の年来の疑団が火の玉になって脳中を直撃したのである。この新教団の指導者である麻原彰晃こそ、まさに現代における極重の「悪人」ではないか。とすればこの悪人は『歎異抄』のいうところに従って宗教的に救われるのであろうか。「いわんや悪人をや」の論理にもとづいて浄土往生できるのか。私はその自問自答の中で立ち往生したが、右の悪人救済の議論では無条件で救われるといっている。「いわんや悪人をや」について、唯円は何一つ条件をつけてはいないからである。

問いそのものが間違っていたのだろうか。非は『歎異抄』にあるのか、それとも私自身の側にあるのか。迷路にふみこみ主題が拡散しそうになったが、やがて気を取り直し、親鸞のまぎれもない主著『教行信証』にむけてその問いを改めてぶつけてみることにした。

意外なことが明らかになった。かすかに予感されていたことではあったのだが、極重悪人が宗教的に救済されるためには二つの条件が必要だと、親鸞はそこで主張していたのである。善き師につくことと深く懺悔すること、の二つの条件である。

『教行信証』と唯円の聞き書き『歎異抄』のあいだには、思想的に大きな隔たりがあったのである。親鸞と唯円における悪人救済観の落差、といってもいいだろう。執筆の時が熟した、と私は思った。その落差の問題を原点にすえて、当初の問いに答えようとして書き継いだのが『悪と往生』であった。それが今から4年前、ちょうど世紀の変わり目にあたっていた。

それから1年を経て、9.11の同時多発テロが起こった。そういう意味では、私のこの『自作再訪』の旅はオウムのテロと9.11のテロの谷間に向かって歩き出すような、気の重い記憶の再現につながるのである。

それにしても、改めて思わない訳にはいかない。「悪」の被害者ははたして親鸞の思考の糸をたどって、当の「悪」の加害者の存在を心から許すことが出来るのだろうか。その新しい問いが今、眼の前に立ちはだかっている。 終わり

私の感想:
歎異抄は危険な書物と言う事で、江戸時代においては永く本願寺の奥にしまわれていたと聞いております。確かに、善とは何か、悪とは何かと、世間一般に分かるような懇切丁寧な説明はありませんから、歎異抄にある「善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや」とか、「悪をも恐るべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに」と言う言葉は悪を奨励しているように読み取られてしまう無防備さを感じます。

しかし、唯円が歎異抄を書き残したのは、世間一般の人々のためではありません。それは題名からして、異なるを歎く書でありますから、自らの救いを求めて親鸞聖人の教えの扉を叩いている人々を対象としている事は明らかだと思います。そう致しますと、歎異抄を読む人は、程度の差こそあれ、自己の悪性に気付きつつあるか、或いは自己の悪性を如何ともし難く立ち往生している人ではないでしょうか。そういう人が歎異抄を読むとき、他人の悪を云々する精神的ユトリはないだろうと思いますし、ましてや悪を奨励しているとは読めないと思います。

従いまして、山折氏の『麻原彰晃こそ、まさに現代における極重の「悪人」ではないか』と言うご発言は、山折氏には未だ自己の悪性が問題になっていない事から来るものだと言わざるを得ません。親鸞聖人も歎異抄の著者である唯円も、自分以外の人の事を評して、極重の悪人と言われてはいません。飽くまでも自分を見詰め直し、自分を裁く時に、自分こそは極重の悪人だ、罪悪深重の凡夫だと言う言葉でしか表現できないと言う立場であり、極重悪人と言う言葉は、他の人、特に世間で罪を犯した人々に対して評価を下す言葉では無いと言う事です。

また、歎異抄の著書唯円が言われている悪人と言うのは、勿論、世間で言うところの犯罪人も含むものと思いますし、罪を犯さなくとも、生活のために殺生せざるを得ない職業の人も含むと思います。そして自らは殺生と言う行為をしなくとも、他の生命の犠牲無くして生きていけない私達一般人をも含んだところの悪人であろうと思います。

しかし、救われる悪人と言うのは、どんな悪人でも救われると言うのではなく、他力を頼む悪人、すなわち阿弥陀仏の本願を信じる悪人が救われるのであって、自分の罪深さに全く思い至らない悪魔とも言うべき悪人をも救うとは一言もおっしゃってはいないと思います。

おなじ歎異抄の第1条に、「弥陀の本願には、老少善悪の人を選ばれず、ただ信心を要とすとしるべし」とあります。善人だから救われる、悪人だから救われないと言う事ではないと明言されています。 救われる条件に、善人とか悪人は関係ないと言う事です。誰でも救われると言うものでない、しかし阿弥陀仏の本願を信じて念仏を申そうと思い立った人ならば誰でも、たとえ極重悪人でも必ず救われるとおっしゃっていると思います。

従いまして、法廷で事件の真相を語らず謝罪の言葉も無い麻原彰晃被告も今は悪魔だと言ってよいと思いますが、この麻原彰晃被告も、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏を申さんと思い立ったならば救われると言うのが親鸞聖人の立場だと私は考えます。

ただ、救われると言う事即ち死刑を免れると言う事ではありません。罪犯したならば人間同士が決めたルールの中で裁かれるしかないと思いますが、死刑囚も自分自身が極重の悪人と懺悔し得たならば、死刑に至るまでの日々の心境はそれこそ天と地、極楽と地獄の差があるのではないかと想像致します、そう言う意味で救われると言うことだと思います。

山折氏が文末で、『「悪」の被害者ははたして親鸞の思考の糸をたどって、当の「悪」の加害者の存在を心から許すことが出来るのだろうか。その新しい問いが今、眼の前に立ちはだかっている』と言われている事に関しましては、信仰が深まったとしても、被害者が加害者を心の底から許せることはないと思われます。そうではなくて、心から許せない自己が照らし出された私を許して下さる阿弥陀仏の本願に目覚めることが出来れば、被害者自身が救われる事になるのではないか・・・・・これが私が指導を受けた先生方のお立場ではないかと考えています。

『教行信証』と『歎異抄』の矛盾に付きましては、米澤英雄先生も著書『歎異抄ざっくばらん』で言及されており、山折氏が歎異抄が親鸞聖人の教えそのものではないと言われる事はあながち根拠の無い ものではないと思われます。2週間後には、『悪と往生』が入手出来ます。私は未だ『教行信証』を十分読み込んでいませんので、山折氏の『教行信証』と『歎異抄』の比較分析論を勉強した後に、親鸞聖人の心の遍歴でもあり思想の集大成でもある『教行信証』の精読に挑戦しようと思っております。

山折氏の見解に関するコラム読者諸氏の忌憚の無いご感想もお聞かせ頂ければ、有難いと思います。是非とも掲示板にご感想をお寄せ下さい。


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