No.1913 2021.12.28都合に依り、来年も無相庵コラム更新を中断させて頂きます。
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No.1910 2021.11.11仏道ー(Ⅳ)仏道―迷いと救いの(2)法執―③
●無相庵のはしがき
今回の法話であらためて感じ入った事は、この世の中の総ての物も出来事も、独立して生じている物も現象無いと云う事です。総てが関わり合っていると云う事です。そう言われれば、 思い当たるのではないでしょうか?しかし、生活に追われて忙しくしている上に、自己愛に凝り固まっている私たちは、そのような冷静な考え方に立てませんから、 物事の処理・対応を誤ってしまう事も多々有るのでは無いでしょうか。
●仏道ー(Ⅳ)仏道―迷いと救いの(2)法執―③
ところがその箸自体がやはりこれは、かかわりあいの上に姿を現じておるものでありまして、変わらない独立した実体というようなものはどこにも無い。そういうことになりますと、 実に無限な関わりあいが一つのものを成り立たせる。そして世界中のものが果てしなく関わり合っている。海辺の一つの波が大海の波全体にかかわっているようなものです。 重々無尽にかかわり合っている。到底、「条件」というような限定された思考で言い尽くせるものではない。そういう無限の深さをもって成り立っていることを、 縁によって生起するという意味で「縁起」という言葉が使われるのでございます。
従ってその縁起ということの裏をかえせば空ということになります。決して独立した実体というものはない。すべてのものがかかわりあう。そのかかわりあいが、 また因縁という言葉でも示されてまいりますのですが、その場合の因と申しますのはやはり縁の一つなのです。そこにあるものを成り立たせていくる非常に中心的な働きを演じておるもの、 それを因と申します。けれどもその因というもののも、なにも独立したものではない。それはやはり、かかわりあいの中から成立しておるものにほかならないのです。
●無相庵のあとがき
私は、特にセッカチですので、話し相手の言い分を正しく聞き取る力がございませんので、必要以上に心を落ち着かせてお話を聞かねばならないと思っています。 年老いて耳も遠くなっている私は、本当は、もうビジネスから引退すべきところですが、そう出来ない経済的事情がございますので、今も製品開発に必死に取組まざるを得ませんが、 関わり合いの中の私でもありますので、先程も、初めて名前を聞く企業の方から、ある製品の開発話を電話で受けました。喜ぶべき事、感謝すべき事でございます。
なむあみだぶつ