No.1680  2017.07.27『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(2)(龍樹菩薩の念仏)―前編

●無相庵のはしがき
   『龍樹菩薩の念仏』の主要な部分は後編ですが、龍樹が「自力聖道門というのは根気のよいしんぼう強い修行をしなければならないので、修行に耐えられん者のために念仏がある」と、 言われているそうです。一般在家の私たちは、とても、禅の修行には耐えられませんし、真言宗の求める即身成仏は、なおさら無理です。かと申しましても、浄土宗の口称の念仏にも、私は抵抗を感じます。  

●『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(2)(龍樹菩薩の念仏)―前編
   初めに申したように、唯円に怒られるかもしらんけど、私は『歎異抄』に異議を持っておるので、その異議を申し上げるつもりでやっておるんですけれども、 第六章には異議のとなえようがないですね。

   「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」というのは、ひじょうに有名な言葉ですね。ただし、親鸞は弟子を持たんけども、法然上人を生涯の師匠として仰いでおりましたから、 師と弟子との関係を身をもって示しておったと思うですね。法然上人を生涯の師匠として仰いでおったにもかかわらず、親鸞は法然と同じことをいうとったかというと、法然と考え方に相違がある。 こういうことは大事なことだと思うんです。

   『歎異抄』にも、「念仏申す」、という言葉がたくさん出てきますが、親鸞が越後から関東へ行った時には、法然上人に教わったそのままをいうておったんでないか。ご承知のように、 法然は口称の念仏、親鸞は信心ということを強調しております。『歎異抄』に信心という言葉がいくつ出ているか知らんけれども、第一章には、 「信心を要とすとしるべし」というふうに信心ということが強調してあります。 法然は口称の念仏ですね。これもご承知だろうと思いますけれども、法然は善導一師による、「偏依善導」というて、善導のいわれたことを、生涯、遵守した人です。

   実は八月の終わりに、富山、石川、福井三県の坊守の研修会があって、その時私は、「浄土真宗とは何か」という題で話をした。つまり、 真宗のお寺の坊守さんはこれだけは知っておいてもらいたい。浄土真宗はどういう教えか、そういうことだけは、どうでも知っておいてもらいたいと思うて申したんです。その中でもこのことをいうたはずや。 法然と親鸞の違いということをいうたはずです。自力聖道門ではさとりをひらく自覚教、他力浄土門では弥陀にたのんでたすけられる救済教、こういうふうになってる。

   法然が書いた『選択本願念仏集』というのは大変非難を浴びた。非難を浴びたひとつの理由は、菩提心を否定したことです。菩提心というものが仏教の根本であるにもかかわらず、 その菩提心なんか必要がないと、法然が否定したので、非難を浴びた。これは私の想像ですけれど、もうひとつ法然が非難を浴びた理由は、偏依善導一師、善導一師によったということにあると思うんです。 善導というのは、支那人や。仏教というのは、印度からおこったんや。それが支那人の善導一師によるなどというと、「お前のいうとるのは印度仏教ではないじゃないか、支那の仏教でないか」と、 非難を受けたんではないかと思うんですよ。そうするとこれもご承知だと思うが、だいたい、奈良、天台の仏教というのは、印度で龍樹、この人はどの教えにも顔を出してくる。にもかかわらず、 龍樹によらず善導によったら、印度の仏教でなしに支那の仏教でないかといわれてもしかたない。

   それで、親鸞はその濡衣をすすぐために、『教行信証』を書いたのではないかと思われる。つまり龍樹もちゃんと念仏のことをいうてるじゃないかと、 南都北嶺の非難に対して答えたというところに、『教行信証』の意味があるんではないかと思うんですね。ただし、龍樹はこういうことをいってる。 念仏は寧弱法劣(にょうにゃくこうれつ;素質能力の劣った弱々しい者)の者の教えであると。 自力聖道門というのは根気のよいしんぼう強い修行をしなければならないので、修行に耐えられん者のために念仏があると龍樹が書いておるのですね。

●無相庵のあとがき
   親鸞聖人の念仏の教えは、私たち一般在家の者にとって、唯一、救われる教えだと私は思いますが、米沢英雄先生が能く言われますように、凡夫の日常生活が 難行苦行であることもまた、確かでございます。難行苦行となっている原因が、自分の心の中にある自己愛から来ていることは間違いございませんので、肉体がなくなるまでは、 このエゴとの闘いが続きます。しかし、このエゴとの闘いに連戦連敗し、結果としても無碍一道を歩めない自分自身に失望し、逆に苦悩が深まるというのが、常々の私ですが、 最近、「天命に安んじて、人事を尽くす」という言葉を思い出し、結果として、人事を尽くしているか、出来ることを精一杯しているかを日常生活の規範とするようにしております。 凡夫の虚しい抵抗かも知れませんが・・・・。

なむあみだぶつ 

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No.1679  2017.07.24『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(1)原文

●無相庵のはしがき
   米沢英雄先生の『歎異抄ざっくばらん』の詳細解説は、第一章から第十章まであるのですが、過去のコラムを調べますと、第六章だけが抜けていることが分かりました。 で、今回から、7回にわたって、ご紹介致します。(2)『龍樹菩薩の念仏』ー前編、(2)『龍樹菩薩の念仏』ー後編、(3)『比丘から菩薩へ』、(4)『宇宙中が念仏』ー前編、(4)『宇宙中が念仏』ー後編、 (5)『私の縁側仏法』となります。お付き合い下さい。
   先ずは、第六章の原文と、白井成允先生の現代訳をご紹介致します。  

●『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(1)原文
   専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ争論のさふらふらんこと、もてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたずさふらふ。そのゆへは、 わがはからひにてひとに念仏をまふさせさふらはばこそ弟子にてもさふらはめ、ひとへに弥陀の御もよほしにあづかりて念仏まふしさふらふひとを、わが弟子とまふすこと、 きはめたる荒涼のことなり。つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも、師をそむきてひとにつれて念仏すれば往生すべからざるものなり、 といふこと、不可説なり。如来よりたまはりたる信心をわがものがほにとりかへさんとまふすにや。かへすがへすもあるべからざることなり。自然のことはりにあひかなはば、 仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなり、と。云々。

●白井成允師の現代訳
   ひとすじに念仏を申している人々の間に、あれはわしの弟子だ、いやひとの弟子だ、などというあげつらいがあるということ、これはもってのほかのことである。 そもそも親鸞は弟子一人も持っていない。その故は、自分のはからいでひとに念仏を申させるのならば弟子でもあろうが、ひとえに弥陀の御手回しを頂いて念仏申している人を、 わが弟子だなどと云うのは極めてあさましいことである。つくべき縁があれば一緒になり、離れるべき縁が来れば離れるようになるのであるのに、 師匠に背いて他のひとに従って念仏すれば往生することが出来ないのだなどと言うのは、いささかも筋の立たないことだ。如来からいただいておられる信心を、 自分が与えたものであるかのようにして取り返そうとでも云うつもりなのか、さようのことはかえすがえすもあってはならぬことである。弥陀仏の御誓いのままに、 わがはからいをまじえずしておのずから往生させていただくことわりにかないて念仏申すならば、仏の恩をも知り、師の恩をも知るようになるはずである、と、云々。

●無相庵のあとがき
   師匠と弟子の関係は、仏法だけに言えることではなく、教育現場や、スポーツの世界にもあることだと思います。人間関係に執着してしまう人間の煩悩に起因するもので、 避け難い問題だと思いますが、一方で、その執着心があるからこそ、仏法も受け継がれ、学問も、スポーツの技も、進化して来たのだとも思います。

   ただ、分野分野で、本当に何を引き継いでいくべきなのか、また受け継いで行くべきなのか、師匠の立場の人、弟子という立場の人が、心すべきことなのでしょう。

なむあみだぶつ 

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No.1678  2017.07.20『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(10)真実の人間教育

●無相庵のはしがき
   米沢先生は、谷口タカ子物語は、子どもには宗教心がある、仏智がある証拠であると言われてます。確かに、幼児(おさなご)の様子を見ていますと、大人と違って、 虚心で微笑ましいです。 辞書で「虚心」とは、心に先入観やわだかまりがなく、ありのままを素直に受け入れる心だと説明されていますが、「幼児(おさなご)が次第次第に知恵付きて、仏に遠くなるぞ悲しき」、 という古歌がありますように、大人になるに従って、世間で生活していくための教育を、家庭でも学校でも受けますから、自己中心の心が育ってしまい、虚心ではなくなります。

   これは致し方ないことかも知れませんが、でも、だから、虚心でない分、苦しみが付いてまわります。その虚心に戻るためには、米沢先生は、 「仏智が目覚めて、自覚になるためには、聞法というものをつづけなければならない」と申されています。  

●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(10)真実の人間教育
   そしたら、ふつうならやぞ、「あぶないところをたすけてもらって、ありがとう」と、こういうのがふつうやろ。そこが知恵おくれやで、タカ子がエヘヘと笑ったちゅうや。 そしたらそこの回りに集まっとった二十七人の子どもたちが、全員泣いたちゅうんかな。それを水上勉がいうとるんやけど、こんな美しい涙を自分は初めて見たという。こういうことを書いておる。 ひじょうに大事なことやと思うんや。
   つまり、谷口タカ子が生きとったということが、皆うれしかったんやろね。だからいのちといのちの共感というんか、そういうことでまあ、皆泣いたんだろうと思う。そういうところが、 宗教心というものだと思うんです。

   これ、宗教心だけれども、自覚にならない。偶然にそういうことがおこっただけであって、信心というものは自覚ですから、これが自覚にならなければ、 こういうものが人間にとって一番大事なものだという、自覚が生まれなければならんのです。偶然、谷口タカ子のために、二十七人の子供たちにも、宗教心があるということが証明されたんや。 証明されたけれども、一人一人にそれが自覚にならなければいかん、と。

   で、なぜ聞法をつづけるかというと、信心という自覚が生まれるためであると、こう思うのですね。だから宗教心というものは、 谷口タカ子がたすかったということで皆が泣いたということが、仏智なんや。ふつうのエゴなら、自我なら、自分さえ生きとればそれでいいやね。知恵おくれの、 大小便の始末をさせられたような子どもが、生きていようといまいと、そういうことは関係ないと思うのが、エゴのはたらきであって、それが生きていてくれた、 足手まといのものでも生きていてくれたということに、喜んで泣くというところに、宗教心、仏智があるということですね。

   だから私はこの話を好きでやるのは、仏智が皆にあるという証拠にいうので、しかもその仏智が目覚めて、自覚になるためには、聞法というものをつづけなければならないと、 こういう意味で、私がこれを申すわけです。
   ところが、ひじょうにおもしろいことには、三十三年たってかな、水上勉が昔の分教場へ帰ってきた、と。そしたらその時分に時分の教えた子どもが、皆一人前になっとるわけや。 舞鶴でスナックをやっているものもあるし、大阪で土建屋をやっている者もあると。それが水上勉が山の分教場へ上ってくる道に、皆、並んでるんや。で、皆、幼な顔が残っているから、 その一人一人の名前を呼んでいくんや。

   と、また一人足らんのやと。それが谷口タカ子や。で、「谷口、死んだか」と聞くと、「山の上で待っとる」と、こういう。で、山の上に行くと、道がずっと舗装されている。 山の上の分教場は、建てかわって立派になっとると。給食室までできとると。文化というものは発達したけれども、本当の教育が行われているのかどうか。 というのは、谷口タカ子はいい着物と羽織と、対のを着て待っとった。水上勉は先生をやめて、作家になるため東京へ出たんでしょ。そこで、村の長と書いてあった、村のボスでしょう。 村の長が「水上先生が東京へ行ったのは、タカ子の世話をするのがいやで、東京へ行った」と、こういうとるんや。 だから、水上勉が東京へ行った明くる日から、谷口タカ子は学校へ来られんようになってしもたんよ。

   で、この人間の平等、そういうことが戦後いわれた日から、タカ子から教育が失われてしまった。これはどういうことやということを、水上勉が疑問にして、 教育というものは何だろうと、こういう疑問を投げかけておるわけなんやね。
   だから私は、学校教育というのは、飯食うための教育で、ことに成績のいい者はいい、ダメな者はあかん、ちゅうのが今の教育で、谷口タカ子みたいな者は、特殊な学校へ入れて、 別に教育するというのが、ひじょうに温かいようだけれども、人間を差別しとるというか、そういう差別意識があるということを、水上勉が訴えているんだろうと思いますね。

   谷口タカ子は知恵おくれの子どもや。知恵おくれの子どもやけど、学校の教師でもできんことをやっとるでないか。つまり皆に仏智があるということを、証明したという。 これはもう、蕗とるよりも大きな功績であると思うんだけれども、それを認める者がないと、それっきりになってしまうのやね。
   そういう点で私は、この話は皆に仏智があるという、宗教心があるという証明になって、いい話であると、こう思うのです。皆にあるのや。有るけれども、 それを目覚ましめるということをやっていない。それを目覚ましめる真実の宗教教育を、今までお寺さんがやっておらなかった。そういうところに大きな間違いがあるんでないかと、こう思うんですね。

   『女性仏教』という雑誌が出とるんや。そこから前に、私がほかの雑誌に出したのを転載したことがあるんですけれど、そこからアンケートがきた。この頃、非行少年といって、 親を殺すような子どもが出ているが、その根本的な原因は何か。どうしたらそれをなおすことができるか。そして、間違いのもとはどういうところにあるかと、こういうことをアンケートしてきたんや。

   で、私は、仏教をおろそかにしてきたことが、非行少年を生むもとになっておると、こう書いた。
   それから、それを直すにはどうしたらいいかというのには、真実の宗教教育をやるほかにないと、こういうことを書いた。評論家はいろいろいうけれども、評論家のいうことは、 場当りでね、あかんのですわ。真実の宗教教育をやるということが一番大事なことで、今日こういうふうになったということについて、今まで仏教教化に当る人が、全部自分の今日までやってきたことが、 間違いやったということが、分かるということが一番大事なことであろう、と。分からずにずるずると、今日までやってきたようなことを、やっていたんでは困るのや。

●無相庵のあとがき
   今日の小学校で、谷口タカ子物語のようなことが起こることは先ず無いといってもよい位に、教育は歪んでいるように思います。落ちこぼれた生徒はほったらかしで、 苛め問題も一向に無くなりません。
   米沢先生は、今日の日本で、非行少年や、残虐な犯罪が多発するようになったのは、「仏教をおろそかにしてきたからで、それを直すには、 真実の宗教教育をやるということが一番大事だ、で、先ずは、今まで仏教教化に当る人が、全部自分の今日までやってきたことが、間違いやったということが、 分かるということが一番大事なことであろう」とも仰ってますが、教育現場の先生の再教育も、自分の生活が一番大事になっているお寺さんの再教育は、もっと難しいと思われます。

   更に、この日本を変える役割を担う政治家を選び直すことは、もっと難しいように思います。独裁的な政治手法を執る、安倍首相、 自国が一番大事だと公言して憚らないトランプアメリカ大統領等が世界をリードする現在、悲観的にしかならざるを得ません。世界中の市民が一人一人が、自分の周りの友人・知人と、困った時には、 お互いに助け合いながら生きていく事で、他人に無関心な世界が良い方向に向かわないものかと思っているのですが・・・。

なむあみだぶつ 

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No.1677  2017.07.017『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(9)蕗(ふき)取り名人ー後編

●無相庵のはしがき
   『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説は、『真の人間教育』で最終章になりますが、内容的には、『蕗取り名人』と明確な区分がなく、一続きになっておりますので、 原本と少し変えて転載致しました。

   『蕗取り名人』の谷口タカ子物語は、とても感動的です。目に見えるような美しいシーンが最後にあって、「さもありなん。そうだったろうな。」と思わせる物語となっております。 先ずは、お読み下さい。  

●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(9)蕗(ふき)取り名人ー後編
   私がひじょうに感動したのは、若狭から出た作家で、水上勉という方がいる。水上勉の講演の記録を時々読んで、ひじょうに感動しておるんですが、水上勉が母親の集まりでいうた話。これは『ものの聲ひとの聲』という本に載っとるらしい。 その講演は、水上勉が口減らしのために、京都の禅寺へ小僧に入ったんです。ところが彼はなさけないかな、その禅寺の和尚さんの裏ばっかり見たんやな。それで絶望して、寺を逃げ出してきて、 郷里へ帰ってきて、代用教員をやっとったちゅうか。

   その山の上にある分教場では、複々式教育というのをやっとる。つまりひとつの教室に一年生から四年生までおるんやちゅう。だから一年生を教え、二年生を教え、三年生を教え、 四年生を教えなければならん。ところが四年生を出ると本校に帰るので、本校に帰った場合に、成績が悪いといかんというんで、四年生には力を入れて教えた。ところが一年生や二年生は、 えらい粗末に扱われるのや。
   水上勉が書いてたところをみると、なかなかおもしろいんや。一年生の子どもらに、「木の葉を十枚拾ってこい」これで算数おしまいやという。うまい。 一枚二枚という木の葉を数えられればいいんやで。算数なんてのは、銭勘定ができれば、大人になれるんやから、心配ないんや。

   そこに谷口タカ子というたんか、知恵おくれの女の子を預けられたんやね。で、前の教師が「この子は、他の子のじゃまになる」と、学校へ受け入れんようにしてしもたんや。 母親が水上勉のところへ頼みに来たのやね。「この子を学校へ出させてくれ」というて。で、知恵おくれの谷口タカ子が、明くる日から学校へ来たんや。喜んで来たんや。喜んで来たけど、 勉強は全然だめなんや。おまけに大小便もらすんや。それで四年生が当番作って、タカ子の大小便の世話をしたちゅうんや。

   ところが人間ちゅうのは、捨てたもんじゃないですよ。戦時中になって、授業どころやないんや。蕗取りを上から命じられた。子どもを連れて、水上勉が裏の山へ蕗取りに行くのやな。 蕗を取らせたら、谷口タカ子は一等賞やと。蕗のあるところを見つけるのがうまくて、蕗をよけいとってくるんやな。

   ところが戦争がひじょうにはげしくなって、毎日のように蕗を取ってくるもんやから、蕗がだんだん少なくなってきたんやね。それでもう戦争の末期かな、 山へ上って蕗を探しに行ったんやね。したら、夕方になって、子どもが皆、帰ってくるんや。ところがその時分は疎開してるこどもらもおって、一クラスに二十八人おったちゅぅんかな。 数えてみたら二十七人しか子どもがおらんちゅうんや。谷口タカ子だけがおらんという。それで「谷口、どうしたんか」というて、皆で谷口タカ子を探しに行ったというんや。

   そしたら谷口タカ子は、山の中腹のホラ穴を入ったところに、蕗がたくさんあるのを見つけたんやと。それで蕗をたくさん取って、それを背負うて穴を出ようとするんやけど、 出られんのや。そこがやっぱり知恵おくれでね。ふつうならその蕗を少しずつ持っては穴から出るんやけど、そこがまじめなというか、知恵おくれといおうか、蕗がひっかかって穴から出られんのや。 それをクラスの子どもが見つけたんやね。
   「タカ子がいたぞ!」と呼ばったちゅう。それで水上勉を始めクラスの者が皆、寄って行ったんや。それでどうやらこうやらして、穴からタカ子をたすけ出したちゅうんやな。 そしたら、ふつうならやぞ、「あぶないところをたすけてもらって、ありがとう」と、こういうのがふつうやろ。そこが知恵おくれやで、タカ子がエヘヘと笑ったちゅうや。
   そしたらそこの回りに集まっとった二十七人の子どもたちが、全員泣いたちゅうんかな。それを水上勉がいうとるんやけど、こんな美しい涙を自分は初めて見たという。 こういうことを書いておる。ひじょうに大事なことやと思うんや。
   つまり、谷口タカ子が生きとったということが、皆うれしかったんやろね。だからいのちといのちの共感というんか、そういうことでまあ、皆泣いたんだろうと思う。 そういうところが、宗教心というものだと思うんです。

●無相庵のあとがき
   『そしたら、ふつうならやぞ、「あぶないところをたすけてもらって、ありがとう」と、こういうのがふつうやろ。そこが知恵おくれやで、タカ子がエヘヘと笑ったちゅうや。』からが、 次章の『真の人間教育』の冒頭部分なので、次回も、ここから始まります。

   この谷口タカ子物語は、今の日本の小学校教育の場では生まれないでしょう。心身に障害のある子たちは、特別支援学級とか、 特別支援学校に分けて教育をする事が一般化されているからです。その是非に付いては、色んな意見があるでしょうが、私は、日本の教育力の劣化、人間性の劣化の現れではないかと思います。

なむあみだぶつ 

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No.1676  2017.07.013『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(9)蕗(ふき)取り名人ー前編

●無相庵のはしがき
   かなり以前に、この〝蕗(ふき)取り名人〟とは、知恵おくれの女の子(谷口タカ子ちゃん)のことであることを、作家、水上勉氏の逸話としてご紹介しましたので、 覚えておられる方もいらっしゃると思いますが、その話題は、次回の、蕗(ふき)取り名人ー後編に出て参ります。この前編では、米沢先生の持論である、 宗教教育を取り入れない現代教育の間違いを語っておられます。

   語っておられますが、では具体的にどのような教育をすれば良いかに言及されていません。先生自身を教育し直さねば、始まりませんが、その方法も、私にも思い付きません。 実に悩ましいところですが、一つのヒントがあります。極最近のNHK教育テレビの『こころの時代』で紹介されていた、ベトナムの禅僧、〝ティク・ナット・ハン〟師が実践されている、 社会教育の試みがそれです。仏教用語を全く使わずに、縁を説き、米沢先生が言われる、宇宙中に満ちている〝はたらきそのもの〟を、一人一人が身を以て実感出来る宗教教育の試みがそれです。  

●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(9)蕗(ふき)取り名人ー前編
   宇宙中のはたらきによって、生かされて生きている私やと分かるのが、仏智というもの。人間知でないんです。人間知というのは、我々が職業を持って生活していかねばならんから、 だからそのために必要な知恵を人間知、あるいは世間知というんや。仏智は出世間智(しゅっせけんち)ちゅうんかな。我々と世間との問題でない。自分自身というものがどういうものか、 はっきり分かるのを、仏智というんですね。だから今の日本の教育は、人間知、世間知を増長させる教育ばかりやっておって、仏智、出世間智、それをおろそかにしている。 そういうところに現代日本の教育の大きな間違いがあると、私は思うておりますね。仏智とかそういうものは皆にあるのや。皆にあるけれども、人間知、世間知の方を重要視して、 仏智、出世間智がはたらかんように、皆がよってたかってしているんでないかとさえ、私は思うんですね。

   仏智が目覚めると、自分が生きとるちゅうのは、全宇宙のはたらきによって、生かされて生きておることが分かるのや。そんなばかなことなかろうと、皆、考えるのやね。 ところが寝てる間も空気があるし、寝ていても空気吸ったり吐いたりしているし、寝てる間も血液が循環しとるというのは、自分の力でない。宇宙に満ち満ちている「はたらきそのもの」によって、 生かされておる、こういうことが分かって、初めて人間になれるのじゃないかと、こう思うんですね。

   まあ学校教育を人間教育だと思うているけど、あれは一人前に飯食っていかれる教育を、学校でやっとるだけであって、小学校、中学校はその基礎教育をやっているだけであって、 本当の人間教育というたら、真実の宗教教育が、本当の人間教育やと私は思うのですね。というのは、これが分かって初めて人間になれるのやから。 犬や猫も「はたらきそのもの」によって生かされているのや。植物でも「はたらきそのもの」によって生かされている。しかし植物や犬や猫は、それを知ることができない。人間だけが知ることができる。 つまり人間には仏智がある。生まれながらにしてあるのや、仏智が。しかし仏智がありながら、仏智を目覚ましめるような教育がないと、仏智が目覚めないと、こういうもんですね。

   だから聞法というのは、仏智を目覚ましめるための人間教育であるという、これが本当の人間になるための教育である、と。これがなかったら、これを知らなんだら、 仏智が目覚めなんだら、犬や猫といっしょやないかと、こういう事が私のいいたいところなんです。だから真実の宗教教育、聞法というものが、真の人間になる教育である、と。形だけの人間でなく、 本当の人間になる教育である。そういうふうに私は考えておりますね。私はこの考えは間違っていないと思う。

●無相庵のあとがき
   ティク・ナット・ハン師は、決して上から目線でもなく、難しい言葉も使わず、子どもにも分かる言葉と、瞑想という、お釈迦様が実践されていた方法を使って、仏法を広めています。 もう年齢は90歳を越えられて、以前のように、世界を回っての活動はされなくなっていますが、多くの後継者が日本を含めて世界中にいると思われますので、やがて花開くものと期待致すと共に、 私自身も、ティク・ナット・ハン師の教えを実践しなければならないと思ったことでした。

なむあみだぶつ 

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No.1675  2017.07.10『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(8)法輪を礼拝

●無相庵のはしがき
   『法輪を礼拝』とありますが、米沢先生としては、『法を礼拝』とされたいということだと思います。礼拝(らいはい)という言葉から直ぐ思い浮かぶのは、キリスト教の教会とか、 神社とか鳥居、或いは、聖母マリア像とか、仏像、絵像という形有る物ですが、本当に礼拝しなければならないのは、『法』であって、道元禅師の言われた『万法(ばんぽう;あらゆる法則)』、 そしてお釈迦様の『仏法』だということだと思いますが、日本の仏教が、今日の嘆かわしい状態になったのは、沢山のお寺が出来てしまったからだと米沢先生は思っておられたでしょうし、私も、そう思います。 お寺を維持経営するには、お金が要ります。お金は簡単には入ってきませんから、葬儀・法事をして、お経をあげてお布施を貰ったり、幼稚園を経営したり、駐車場を併設して、お金を稼ぐことに、 一所懸命に成らざるを得なかったのだと思います。お寺さん自身を一方的に責められません。米沢先生は医師という免許をお持ちでしたから、要らぬことをしなくても、自由に 『仏法』を説くことが出来たと思うのです。

●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(8)法輪を礼拝
   自分自身を見る目。私がよくいうのは、自分自身を見るのに、二つあると。これは私が発明したんやない。善導がいうとるのや。自分を見る目に二つある。ひとつは機の深信と、 それと法の深信。機の深信というのは、自分というのは煮ても焼いても食えんやつやと、そういう自分自身を納得する、と。まあ、自分の心でさえ思うようにならんのに、 チョッカイ出して人の心を自分の思うように動かそうとする、そういうヤツであると、こういうのが機の深信。これが一つ。現実形態としての自分が見えるということ。 そういう愚かな自分をも、見捨てずに、宇宙中のはたらきが生かしつづけておられる、と。そういうところに法の深信がある、と。

   法の深信というのを、今まで阿弥陀さんのおたすけのようにいうてきたところに、間違いがあるんじゃないかと思うんですね。そしておまけに、阿弥陀さんというのは、 ここから十万億土の先に、極楽という世界があって、そこに阿弥陀さんがおられる、というふうに説いてきた。そういうところに何か、地球の果てに、西の方へ行くと、 実体的な阿弥陀さんがおられるような錯覚を持たせるようにしてきたところに、それまでの説教の間違いがあるんでないか。

   南無阿弥陀仏のほかに、阿弥陀仏なんかあるはずがない。南無阿弥陀仏という名号のほかにあるはずがないですね。ですから私は、難波別院へ去年(昭和五十五年)の十月に行った時に、 難波別院では法輪――法輪ちゅうのは、こういう丸い輪があって、後光がさしている。それに「南無阿弥陀仏」と、親鸞の字を模した文字をくっつけたのが掛けてあるのです。それを見て、 「これはいい」と。

   親鸞は「帰命尽十方無碍光如来」というて、そういう名号を拝んでおられた。名号を拝んでおられたということは、「法」を拝んでおられたということですね。ところがたいていは、 阿弥陀仏の立像があったり、阿弥陀仏の絵像が掛けてあったりする。

   私はこれは奈良・平安の仏教に、逆戻りしたもんやと、こういうふうに思う。それはどういうことかというと、奈良・平安の時代には、お寺さんは教学の勉強に一所懸命や。 例えば薬師寺では唯識か、ひじょうにめんどうな学問を勉強しておる。東大寺でも華厳宗というて、まあめんどうな学問を、お寺さんはやっておる。そういうものは一般の庶民には分からんですね。 今のように皆が学問があるわけでない。字も読まれん、字も書けん者が、ひじょうに多かったんやから、一般庶民にはそういうものが分かるはずがない。それで一般の庶民は、お寺の本尊を拝んで、 本尊を拝むことによって、そのご利益をいただこうというのが、一般の庶民の信仰といわれるものであった。

   例えば薬師如来というのは、どういう功徳をさずけるか、そういうことはお寺さんに聞かんとわからん。それだから観音菩薩とか、そういう仏を拝んで、皆で利益をいただこうという、 ご利益信仰であったんですね。それを否定したというところに親鸞があるわけやけど、もうずっと時代が下がってきたら、奈良・平安の仏教に逆戻りしたんでないかと、私は思うんですね。

   それで、難波別院で法輪に南無阿弥陀仏とだけ掲げてあるのを見て、ひじょうにいいなあと思ったんですわ。
   親鸞という人はそういう人で、「帰命尽十方無碍光如来」という名号を拝んでおったんや。
   で、南無阿弥陀仏ちゅうのは、これは誰も持ち主はないのや。本山のものでもないし、全人類のものであると、こういうことがいえるんや。 別に本山から南無阿弥陀仏を下付(かふ)してもらうちゅうことないんや。
   それで往生浄土の生活というのは、どういうのかと申しますと、ここでも機法二種の深信というものが大切なので、自分のようなろくでもないものが、 宇宙中のはたらきによって生かされてきた。
   宇宙中のはたらきというと、法螺を吹くように思われるかもしらんけれども、そういうことですね。
   例えば、日本の小さなところでもですね。福井の豪雪が愛知県で機(はた)織っている奥さんのところまでひびいてくるようなもので、それは目に見えんだけで、つながっておるのや。 そのように私と太陽ともつながっておるんや。そりゃ太陽とつながっておる、太陽の光を受けんと、お米や野菜ができんのやから。それから、月ともつながっている。無数の宇宙中に散らばっている星とも、 何らかの関係があるわけですね。そういうことが目に見えんから、ないのでない。目に見えんけれどもあると、こういうことを感ずる能力を人間に与える、それを仏智という。

●無相庵のあとがき
   私たちが『法』を礼拝するということは、『縁』に礼拝することだと思います。『縁』を心の底から礼拝出来るのは、米沢英雄先生の仰る、『機法二種の深信』に納得出来て初めて 出来るのだと思います。「自分というのは煮ても焼いても食えんやつやと、そういう自分自身を納得出来て、そういう愚かな自分をも、見捨てずに私を生かしつづけてくれている、 宇宙中のはたらきを有り難いと礼拝出来る」、という事ですし、米沢先生ご自身、ご自分を「煮ても焼いても食えんやつ」という自覚を持っておられたからこそ、本願寺という本山に媚びることなく、 むしろ、批判的な立場とも言える、自由で建設的発言が出来たのではないかと推察しております。

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No.1674  2017.07.06『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(7)神秘感の誘惑―後編

●無相庵のはしがき
   前回と今回の詳細解説文に米沢英雄先生がつけられた『神秘感の誘惑』という表題は、「宗教、信仰に神秘性があってはならない」というお考えが背景にあると思います。
   インターネット検索で調べますと、『神秘』は「人知では推し測れないような(神や天地の)秘密」と説明され、『神秘性』とは「不思議で測り知れないさま」と説明されています。 米沢先生がどの様なご考察をされたか、最早、確かめる術は有りませんが、仏法は、否、特に親鸞聖人は、「弥陀の救いは、ただ心も言葉も絶えた、不可称・不可説・不可思議というよりほかにない」、 と『教行信証』に述べられているそうですので、親鸞聖人が使われた『不可称・不可説・不可思議』は、『神秘』或いは『神秘性』と同義語ではないかと、私は思うのです。つまり、 神秘的であっても良いのではないかと思いました。

   ただ、米沢先生は、『神秘感の誘惑』と、『誘惑』という表現をされています。これは、神秘性を持たせるために、仏教を教化する側が、〝はたらきそのもの〟を仏様とか、 神様、そして、それを形に表わした『仏像』とか『絵像』、或いは建物類としての『伽藍』にして一般の人々が望む神秘性で信者に取り込もうとし、信者もその神秘性に簡単に誘惑されてしまう状況に、 警鐘を鳴らされたのではないかと、私は推察致しました。  

●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(7)神秘感の誘惑―後編
   で、さとりの内容を、私はこう解しとるのや。はたらきそのものによって、生かされて生きとる私やということが分かるほかに無上覚はないと私は考えております。 ところが神秘的なものを残しておかんと、宗教というものは成り立たんのですかね。私は浄土真宗の〝種明かし〟や、と。私のいうことは、手品の種明かしみたいなもんで、種を全部明かしてしまうと、 おもしろないんやね。人間というのはおもしろいもんで、神秘的なところがあると、「へぇぇ」と神秘性にあこがれるちゅうものがあるんや。私のように、裏も表もないような種明かししてしまうと、 もうあかんのや。ところが私はそれでもいいと、それでこそ本当やと。真実というものは、そういうもんや、と。

   ただいくら種明かししてみせても、「あんなことではなかろう」と。これがやっぱり人間のもっている神秘性に対するあこがれですか、そういうものがある。
   私が以前に、能登のお寺へ松扉哲雄(しょうひてつお)さんに引っ張られて、話をさせられた。人間を学ぶ会というのやったかな。 第一回が東昇(あずまのぼる;世界的ウイルス学者で、京都大学名誉教授)先生――この方も福井へ来られたことがある。ウイルスの世界的権威ですけれども、その東昇さんが来られた。 二回目に私が行った。そしたら後で座談会があって、年寄りのグループで本派のお寺さんが司会しておって、私にいわれました。

   「ここで問題になっておるのは、東さんの話も分かる。今日の米沢の話も分かるが、ありがとうない、と。ご坊さんの話は、分からんがありがたい」と、こういうんやね。 私はガッカリしてしまった。私がほめられなんだからガッカリしたんでなくて、さっぱり分からんことにあこがれる。神秘性――「何ごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」。 こういう感情的なことに日本人は弱いんじゃないかと思うんですね。そういう点で親鸞というのは、実にふとどきなんで、そういう感情的な甘さというものに、酔わなかった。 徹底して真実というものを求めた。そういうところに親鸞があると私は思うんですね。

   それで神秘性の排除、そういうことが親鸞の使命であったと思うんです。昔どころか今もですよ、神秘的なものにあこがれる性癖があるんです。その神秘性にあこがれる性癖が、 罪福信というか、迷信を生んでいるわけです。今、仏教といわれておるけれども、皆、罪福信ですわね。
   私はそれの代表的なのが、節分やというておりますけど、「福は内、鬼は外」。これは人間の願いですわ。人間の願いを端的に表現すると「福は内、鬼は外」になるんやね。 だからそういう逆境が来ても、逆境を引き受けて耐え抜く力。そういう力こそ、人間に最も望ましいもので、そういうものが本願の念仏によって与えられるということが、本当の功徳であろうと、 私は思いますね。

   本願の念仏によって与えられるというと、「ナンマンダブ、ナンマンダブととなえていれば、どうにかなるんか」と、こう思うんやね。そういうもんでない。 自分自身が明らかになるところに、逆境を引き受けていく力が生まれると、そういうことであります。

●無相庵のあとがき
   親鸞聖人は、神秘性への誘惑に負けることなく、冷静、理知的な信仰に徹せられていた、或いは、徹しようと努力されていたものと思われます。

   親鸞聖人は、仏像とか絵像、伽藍を拝まれることはなく、『帰命尽十方無碍光如来』と書かれた名号を拝まれていたようです。書にすれば形はありますが、名号そのものには形がありません。 『南無阿弥陀仏』も名号ですが、この名号は、『人知で計り知れない法に帰依する』という意味の短い名号です。『ナンマンダブ』を称えれば、 「福は内、鬼は外」が叶うという呪(まじな)い言葉ではありません。そういう意味で、千数百年の歴史がある「南無阿弥陀仏」こそ、現代人が大切にする値打ちがあるということを、 後代に引き継がねばならないと思いました。

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No.1673  2017.06.03『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(7)神秘感の誘惑―前編

●無相庵のはしがき
   この『神秘感の誘惑』の前編には、〝神秘感〟に言及した箇所は見当たりませんが、後編で、「はたらきそのものによって、生かされて生きとる私や、 ということが分かるほかに無上覚はないと私は考えております。ところが神秘的なものを残しておかんと、宗教というものは成り立たんのですかね。」、 と米沢英雄先生は仰っておられます。皆さんが、年の始めに、或いは七五三を祝って神社に参られるのも、神秘感と無関係ではないと思います。

   この前編では、「体失往生」か「不体失往生」か、という浄土真宗の重要なテーマや、「往生」と「成仏」の違いにも言及されていますし、同じ本願寺でも、 西本願寺と東本願寺で、見解を異にするようですが、ここは、私たちは、親鸞聖人が仰っているからとか、米沢英雄先生が仰っておられるから、自分もそう思うでは無くて、 自分が心の底から納得出来た見解を持つことが大事ではないかと思います。  

●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(7)神秘感の誘惑―前編
   さっき申し上げましたように、この死というのは自我の死であると、こういうふうに私は解釈して、『歎異抄』の第九章の話をしたわけなんです。 自我というのは我執ともいわれますが、我執というのは、平たい言葉でいいますと、我が身が一番かわいいという心ですけれども、我執というのは絶対に死なんもんですね。 だから「ちからなくしておわるとき」、もう我執が行き詰まって行き詰まってニッチもサッチもいかんようになって、「ちからなくしておわるとき、かの土へはまいるべきなり」と、 こういわれておって、死んでからの浄土でないというのが、親鸞の考え方であろうと思いますし、私もそう思います。

   で、ご承知であろうと思いますけれども、「体失往生、不体失往生」ということがありまして、浄土に往生するのに、体が失くなって往生するのと、それから不体失往生、 体がありながら浄土に往生するのと、こういう二つの考え方が浄土教にあるわけですね。で、親鸞はどちらかというと、不体失往生。体を持ったまま、煩悩を持ったまま、 我執を持ったまま浄土に往生する――こういう立場が親鸞の立場であろうと思うですね。

   ところが法然の門下に「体失往生か、不体失往生か」という問題がおこった。それで師匠の法然にたずねる。「体失往生が本当ですか。不体失往生が本当ですか」と。 そうすると、法然ちゅうのは、こういう場合は、別に法然上人がずるいわけではなかろうけれど、「体失往生、まことにもっともである。不体失往生、まことにもっともである」というて、 どちらにも軍配をあげるのやね。それで私は、法然がどういう考えでそういうたか知りませんけれども、本願寺派では体失往生なんですね。浄土というのは、 死んでからの世界ちゅうことに、本願寺派の人はいうとる。私自身は、親鸞と同様不体失往生という立場をとりたいと思うですね。体を持ちながら、煩悩を持ちながら、浄土に生まれる、と。

   体失往生は、これは成仏ではないかと、私は思う。成仏と往生とは違うと思うですね。体失――体を失ったら成仏でないかと思う。というのは肉体を持っている限り、 我々の我執は絶対に死にませんから。それで肉体がなくなって成仏するのは、皆成仏することやというのが私の考えです。
   だから昔は、信心を得るのが容易でないというふうにいわれておったので、信心を得た人をひじょうにうらやましがって、どうしたら信心が得られるか、皆、苦労したようです。

   信心なんて、私、大したもんでないと思う。自分を超えたはたらきによって、生かされて生きておる私やと、それが分かるほかに信心なんてありゃせんし、 それがさとりをひらくということやと思うんですね。
   私はいろいろ『歎異抄』について疑問に思う点がありますけれど、一つは先程の、凡夫の身をもってさとりをひらくということはもってのほかやと、 『歎異抄』の終りの方で唯円がいうとる。ところが親鸞は晩年の『和讃』で、

    弥陀の本願信ズベシ
      本願信ズル人ハミナ
      摂取不捨ノ利益ニテ
      無上覚ヲバサトルナリ

    この上ないさとりをさとるのであると、こういうふうに親鸞はいうておるのであります。ところがさとりの内容については、親鸞はいうとらん。 そういうところに問題があるんだろうと思うんです。

●無相庵のあとがき
   米沢英雄先生が、「親鸞は、覚りの内容をいうておらん」と仰ってますが、覚りとは何かに付いて、試験問題の正解のようなものはないのだと思います。 私は、過去に出られた祖師や、私自身が直接教えて頂いた先生方の存在と、その祖師や先師の大本の先生としての釈尊をこの世に送り出した、〝はたらきそのもの〟が有り難いと思います。 強いて言えば、その確信を覚りと言ってもよいのではないかとも思ったりしています。

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No.1672  2017.06.29『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(7)永劫来の無償配布

●無相庵のはしがき
   「あなたが今日まで、自分と思っておられたのは、あなたが育てた自分であります。真実のあなたは、一切に支えられ生かされて生きている自身があなたです。」という米沢先生のご指摘は、 仏法に無縁の人々には、何のことか、手掛かりがないと思われます。「私は自分の力で、自分の努力によって、今がある」と、考えている人が大半だと思います。斯く言う私も、冷静な時には、 無償のはたらきの中に包まれている自分だと思うこともありますが、先々を案じて、色々と策を練ってしまいます。永い間、そういう自分を育て上げて来たからでしょう。

   でも、結果的には、これまで、自分にとって都合の良い結果の時にも、悪い結果の時にも、『縁』という考え方、つまりは、南無阿弥陀仏という教えのお陰で、乗り越えて来たのも、 間違いないですし、これからも、受け入れられそうに思っております。南無阿弥陀仏の功徳だと考えています。  

●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(6)永劫来の無償配布
   福井で○○会というけれど、その道徳の会の人が無償配布やというて、雑誌をうんと持ってきて、その奥さんに読んでくれというた、ちゅうんや。その奥さん、読まんのや。で、 この無償配布といわれた時に、この道徳の会は三十五年かの歴史を持っておって、雑誌を無償配布している。その幹部が自腹切ってるのや。自腹切って金出して、その雑誌を買うて、 ただで配って会員獲得をはかるんやね。 そしたら、その奥さんが「三十五年の歴史ですか。我々は永劫(えいごう)の昔から、無償配布をいただいとるんや」と。この、息をさせてもらっているとか、血液の循環とかね。これ、無償配布や。 永劫の昔から無償配布をいただいておる、と。三十五年の歴史が何ですか、てなもんでやったんやね。そしたら幹部の人がまいってしまったという。それから、 正月だけは仕事が休みやということを聞いて、奥さんとこへ念仏を聞きにきたちゅうや。 それがなかなかおもしろい。

   (手紙を朗読)「○○会の方の訪問を受け、先生を背に、本願を前に、多弁な正月になりました。その方の申されるのには、あなたさまにこれで三回もお念仏のお話を聞かせてもらったが、 あなたがいわれているように、私は頭が下がらん。とうといことは分かっても、心からもったいないという思いがおきてこんといわれました。私は、真実をみる目、耳がないから、と。そしたら、 おきまりのどうしたら耳や目がつくか、とたずねられました。かねてお育てをこうむった、米沢ご一流で――ここは耳をふさいでおくことや――それはあなたが、自分に遇うたことがないから、 一度静かに今日までの自分はどうしてきたか、振り返ってみてください。

   一切のはたらきを当たり前にして何とも思わず、自分の外のことにのみ心をかけて、損や得、幸不幸、季節の変りや泣き笑いに力を入れ、世間のことに支配されたり、意識したりして、 今日今まで自分を忘れずくめで、生かしめている自然のはたらきには、無意識です。今あなたとこうしている一瞬も、支えられている力に気づかず、当然としている。 しかし念仏は、この背く私を包み、なお何のとがめもせず、生かして、生かしつづけてくださる。この無償のはたらき、いのちのとうとさに、申しわけない、かたじけないと感動する時、 耳や目が与えられます」――そうすると、相手が〈ウーン〉とうなったんやな。つづけて、

   「自分を見たことがありますかと聞いたら、いっぺんもありませんと。仏法は外を見ていた目、耳を自分の内面に向けるはたらき、それが仏法です。あなたが今日まで、 自分と思っておられたのは、あなたが育てた自分であります。真実のあなたは、一切に支えられ生かされて生きている自身があなたです。今、念仏の呼びかけによって、真実のご自分に遇われて、 ああ私はこれであったのか、とうなづかれた時が、初めて人間になれるのです。あなたが無償のはたらきをするのでなく、無償のはたらきの中に包まれている自分に立つことができて、 真の倫理の人になれます。南無阿弥陀仏は人間に生まれてよかった、私が私に生まれてとの、満足の声です。自分の存在がかたじけないと、拝まれる心です。本願が形をとった大きなよびかけに、 目覚めてください。――〈ウーン〉とうなる。四度目のうなり声とともに、ハラハラと人間を超えた水滴がたたみに・・・」

   こういうことが書いてある。この人はそうしたら、もう道徳の会をやめてしもうて、無償配布をやめて、愛知県も雪が降ったんでしょうか、道の雪かきをやったちゅうや。 けっこうなことやと思う。
   で、この奥さんというのは、生活がひじょうなどん底まで落ちても、本願の念仏、そういうものを心の支えとして生き抜いているということが、ひじょうにりっぱやと思うんですわ。

   この人は困っても愚痴をこぼさん。愚痴をこぼさずに逆境を生き抜いている。この逆境を引き受けて、生き抜かしめる力が本願の念仏の力であるということやね。 本願の念仏をいくら讃嘆しても、自分自身が本願の念仏を確かめておらんことには、何にもならんと思う。この人のいうことに、なぜ説得力があるかというと、 本願の念仏とこの人が一体になって生き抜いているからや、と。本を読んで覚えたとか、大学で講義を聞いたとか、そんなものは何にもならん。自分の身体とはなれてるんや。この人は、 本願の念仏と一体になっておるから、この人のいうことに説得力があるんだろうと思います。

●無相庵のあとがき
   前回のコラムで小林麻央さんのことを取り上げさせて頂きました。昨日が初七日なのですが、ご遺族の方々は、未だ現実には受け取れない日々を過ごされているのかも知れません。 あれだけの素晴らしい言葉を残された方ですから、きっと、「人間に生まれてよかった、私が私に生まれて良かった」との満足な気持ちを持たれて旅立たれたのではないかと想像しております。

なむあみだぶつ

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No.1671  2017.06.26『陰に隠れているそんな自分とお別れし、なりたい自分になる。』ー故小林麻央さんのブログより

●無相庵のはしがき

   市川海老蔵さんの妻小林麻央さんが亡くなられたニュースは23日(金)、テレビで大々的に流され、皆さんもご存知だと思います。 小林麻央さんは、乳癌にかかられ、昨年、ブログを開設され、約260万人の同じく乳がんと闘う読者が、大いに励まされていたそうです。私は、亡くなられてから、 そのブログの存在を知りましたが、ブログの中にあった、「陰に隠れているそんな自分とお別れ」と、「なりたい自分になる」という言葉に感銘を受けました。 それは、親鸞仏法が理想とする人生を生きる姿だと思ったからです。

●『陰に隠れているそんな自分とお別れし、なりたい自分になる。』とは?
   陰に隠れている、或いは隠しているものは、多分、自己中心の心であり、周りの人々、他人の評価を気にして生きる心だと、私は思います。その自分に別れを告げれば、 自分が本当にありたい自分になれるのだと思います。親鸞仏法でいうところの、無碍の一道を歩めるのだと思います。

   小林麻央さんは、それを一般の人々に、分かり易い言葉で、言い遺してくれたのだと、私は思いました。

●無相庵のあとがき
   本当の自分に遇うと云うのが、仏教の大事にしたい教えだと私は思います。小林麻央さんは、34年という短い人生を終わられましたが、 本当のご自分に遇われた〝いのち〟は、輝かしいものだと思います。

   小林麻央が遺された、次の手記の言葉を転載させて頂き、ご冥福をお祈りしたいと思います。

    人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。
例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。
    「まだ34歳の若さで、可哀想に」
    「小さな子供を残して、可哀想に」
     でしょうか??
     私は、そんなふうには思われたくありません。
     なぜなら、病気になったことが
     私の人生を代表する出来事ではないからです。
     私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、
     2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。
     だから、与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。
     なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。
     だって、人生は一度きりだから。」

なむあみだぶつ


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