No.1670  2017.06.22『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(6)豪雪の影響

●無相庵のはしがき
   米沢英雄先生は、今回の詳細解説のなかで、はっきりと、「宇宙のはたらきによって、生かされて生きているということが分かったら、我々は、 どんな逆境にも耐えて生き抜く力というものが与えられるんだろうと思うですね」と言われています。また、こうも言われています、「念仏の行者とは、念仏を心の支えとして生活している人を、 念仏の行者というんですけど、念仏の行者だけでないんや」と。

   宇宙のはたらきによって、生かされて生きているということは、現実ですから、私も実感しています。しかし、念仏を心の支えにして生活しているのかどうかを自問自答しますと、 仏法を大切な生きる上での指針とはしていますが、やっぱり、お金を心の支えにしている自分でもあることを決して否定出来ません、これが、生きている人間の実態だとも思います。

   私は、この残念な現実を知ることが、親鸞仏法の道への第一歩ではないかと思います。新興宗教、倫理団体が決して説かないところだとも思います。 その新興宗教、倫理団体が教えとしているものと、親鸞仏法の決定的な違いは、「機の深信という言葉があるが、これは精神的な腹をへらす方法であろうと思いますね。この精神的な腹がへりますと、 精神的な腹がへるということは、自分というものはろくなものでないということが分かる」と、米沢英雄先生が言われているところにあると私は思うのです。  

●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(6)豪雪の影響
   機の深信という言葉があるが、これは精神的な腹をへらす方法であろうと思いますね。この精神的な腹がへりますと、精神的な腹がへるということは、 自分というものはろくなものでないということが分かる。私はそれを「煮ても焼いても食えんやつや」と、こういうんやけど、皆、涼しい顔してるけど、腹の中には煮ても焼いても食えんやつがおるんやぞ、 いっぴきずつ。何びきもはおらんやろけど、いっぴきずつ、煮ても焼いても食えんやつがいるんや。

   で、その煮ても焼いても食えんやつやということが分かって、宇宙のはたらきによって、生かされて生きているということが分かったら、我々は、 どんな逆境にも耐えて生き抜く力というものが与えられるんだろうと思うですね。

   こういう話をすると、皆さん自分は幸せやなと思う。というのは、他と比較して幸せやなと、人間というものは思うんや。
   昨日きた手紙やな、岡山県からです。私は会ったことないですよ。岡山県で、三十いくつかになっておるんや。それがね、耳が聞こえんのや、子どもの時から。 難聴も高度なんでしょう。普通は耳の聞こえん子どもは、聾学校へ行くはずなんや。ところがその子は、偉いなあと思うのは、ふつうの学校へ行って、それから高校を出とるんや。だから自分は、 教科書と先生が黒板に書く字と、先生の口もとを見て勉強したゅうんや。偉いもんですね。それが縁あって、嫁にいったんやね。そうすると、そのお姑さんがきついんや。 お姑さんは、わざわざ、よりによってこの耳の聞こえん子をもらわんでも、という頭があるんやろね。

   ところがそれが妊娠二ヶ月で出血して、病院へ入院したというんか、そういうことが書いてあった。流産かなと思うんや、前に一度流産しとるんやね。入院しとったら、 そのお姑さん一回だけ見舞いに来てくれただけや。で、実家の母が毎日来てくれるという。それで、初めて実家の母親を見直したわけや。子どもの時には、母親に、「耳の聞こえん私を、 なんで生んだんや」というたちゅうんや。「耳をなおしてくれ」というて、母親に迫ったと。まことにもっともやと思う。

   もっともやと思うが、結婚してそこのお姑さんにいじめられて、初めて実家の母親が、自分のような耳の不自由な子どもを、よく育ててくれたというて、 実家の母親をひじょうにありがたく思えるようになったということが書いてありました。人間というものはなさけないものや。そういう、お姑さんにいじめられんと、 実家の母親のありがたさがわからんと、こういうもんですね。
   人間というものはこういうもんですよ。この人だけでない。奪われてみんと、与えられているもののありがたさというものがわからんのです、人間というものは。 与えられているものが当たり前になっているのや。例えば皆さんも、以前にいうた卵円孔がうまくピシャッと、生まれた時にふさがったために、生きておられるんやけど、 そんなことはありがたいと思ったことないでしょう。まあ、よくぞうまく生きておられるものや、と思う。

   親鸞の時代には生理学とかそういうことを親鸞は知らんけれども、「功徳は行者(ぎょうじゃ)の身にみてり」と、こういうているでないか。「功徳は行者の身にみてり」――行者というのは、 念仏の行者という。念仏の行者とは、念仏を心の支えとして生活している人を、念仏の行者というんですけど、念仏の行者だけでないんや。人間に生まれた者は皆、 こういう「はたらきそのもの」のおかげをこうむっているのや。それがありがたいなあと思えるのは、念仏が分かって初めてなるというので、念仏の行者に「功徳は行者の身にみてり」。 念仏の分かった人だけが、ありがたいなあと、こう思うちゅうもんやね。まあ、この身体が実にうまくできておるということに、驚かざるを得ないです。

   そういうことをいって、いろんな例をあげていると長くなるけれども、私がここでも前に申したことがある。四十歳で、ガンが手遅れで亡くなる奥さんに、 二十八日間で本願の念仏を伝えた愛知県の奥さんがいる。その人が、その次には裏の家の七十歳で念仏が大きらいやというおばあさんに、本願の念仏を伝えたという。この方は、 在家の奥さんです。その奥さんのご主人が、繊維業をやっておって、繊維が不況になった時に、まっさきに倒産して、その奥さんが自分で機械を動かして、機(はた)を織っておるんや。

   そこでおもしろいことがあるんや。これは福井を見直すということになるんやけど、この冬、豪雪になったでしょう。そしたらこの愛知県の奥さんが電話かけてきて、 「福井の豪雪をテレビで見とるが、大変ですね」といって慰めてくれたんや。ところがその奥さんが織っている糸が、来んようになったのや。タテ糸が。タテ糸とヨコ糸で紳士服を織ってるんやね。 そのタテ糸が来んようになった。このタテ糸が福井でできるんやて。福井の豪雪が大変やというとったうちはまだいいけど、今度は自分の商売、自分の生活に関わってきたんや。
   それで福井の工場へ電話かけて、「糸を送ってくれ」というたら、「それどころやない」と。「工場がつぶれるということで、雪降ろしに一所懸命で、 糸なんか作ってられん」というんやて。まあ、そういうことがあって、福井の豪雪も、その愛知県の奥さんの生活と、間接につながっておるちゅうことが、豪雪のおかげで初めて分かったと。

●無相庵のあとがき
   「豪雪の影響」という題名の意味するところは、私たちの生活は、思いも依らない縁によって成り立っているということを説いているのだろうと思いますし、難聴の奥さんが、 お姑さんにいじめられて実家の母親の有り難さが分かったというお話も、そして卵円孔のお話も、私たちが気付けない縁に恵まれて生きていることを気付いて欲しいという米沢英雄先生のお心のあらわれです。 と、同時に「功徳は行者の身にみてり」、という感動を覚えない念仏者は、未だ未だ本当の念仏者ではないという、厳しいご指摘として承った次第でございます。

   つばめさん夫婦のその後ですが、夫婦が交代で巣の中で、卵を温めている様子が続いています。念のために、巣の中を鏡を使って、確認しましたところ、5個の卵がある事が分かりました。 雛が顔を出すまで、2週間程度と言われていますので、順調にいきますと、今月末には、5羽の雛の顔を見ることが出来ると思っております。

なむあみだぶつ      

[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1669  2017.06.19『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(5)極楽世界―後編

●無相庵のはしがき    昨年は、6月10日に、ツバメの雛5羽の巣立ちが有りましたが、今年は、4月末にツバメ夫婦が我が家の玄関ポーチにある、古い巣に、 夫婦で身を寄せましたが、妊娠しなかったのか、5月18日を最後に、姿を見ることが出来なくなりました。今年は、ツバメさんに縁がなかつたかと、諦めていましたが、 6月14日に、多分、新しいツバメ夫婦が、我が家の巣に、姿を見せるようになり、4日後の今日は一日中巣の中で、どうやら、夫婦交代で卵を温めているように見えます。 多分、今年も雛の巣立ちを経験出来るのだと思い、嬉しく思っておりますが、ツバメの場合、卵を温める期間は、13~17日だといわれています。夫婦交代で、 卵を温めているツバメ夫婦の行動を見ていますと、米沢英雄先生の、ツバメさんだけでなく、我々も、『はたらきそのもの』のお陰で今生かされて生きていることが実感されます。

   我々は幸い、『はたらきそのもの』のお陰を知ることが出来ますが、ツバメは、そんなことは、知りもしないでしょう。ツバメに限らず、犬も猫も、 生きている辛さも、喜びも感じないまま、死んでいくことでしょう。    米沢英雄先生は、今回の詳細解説の中で、「信心というのも、難しいもんでない。私はその「はたらきそのもの」によって、生かされて生きている私やな、 ということに深く感動するのが信心というものであろうと、こう思うんですね。」と仰っておられます。感動出来る人間の〝いのち〟を頂いたことに感動したいものです。

●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(5)極楽世界―後編
   だからえらそうなこといっても、皆「法身仏」「法性法身」「はたらきそのもの」のおかげをこうむっているんやて。それを忘れているんや、皆。 それで自分の力で生きてきたように思うとるんやね。それは思うているだけの話であって、私はそれを昔から借金で人におごっていると、こういうんや。借金というのは、 「はたらきそのもの」の力によって生かされながら、それを自分のはたらきだと鼻にかけておる。それを借金で人におごっていると、私は称しておるんやけど、これは間違いないと思いますね。

   こういう微妙なはたらきを、我々も身に受けておるということですね。で、それに深く感動するかどうかということが問題でしょうね。信心というのも、難しいもんでない。 私はその「はたらきそのもの」によって、生かされて生きている私やな、ということに深く感動するのが信心というものであろうと、こう思うんですね。

   確かに『阿弥陀経』には、極楽というのは、迦陵頻迦(かりょうびんが;極楽に住む架空の鳥の名)の鳥が鳴いているとか、百味(ひゃくみ)の飲食(おんじき)が食べられるとか、 八功徳水(はっくどくすい;八種のすぐれた特質のある水)と言うんか、まあいい湯かげんのお風呂に入れるとか、そういういろんないいことが書いてあるんや。それにだまされて、 難波の海へ身投げしたんでしょうね。しかしそれなら『阿弥陀経』は嘘が書いてあるかというと、嘘は書いてないんや。本当のことが書いてあるんや。

   例えば我々が朝、目がさめて、雀が鳴いとる。雀が鳴いとるということで、どれくらい我々が慰められるかもしらん。あれ、迦陵頻迦や。 迦陵頻迦という特別な鳥が極楽におるように書いてあるけれども、雀も蝉もみんな迦陵頻迦やて、蝉はちょっとうるさいけど、ああいうものがないと、 我々の生活はまことに索漠(さくばく)たるものになってしまうね。だからそういう、この世が極楽であるという眼(まなこ)をもつということが、大事なことであろうと思うんですね。

   私は、親鸞のいうていることは間違いない、お経に書いてあることは間違いないと思う。それを誤解して伝えてきたところに、罪があるんでないかと思うんですね。 昔はこの世は苦の娑婆や。苦の娑婆ちゅうのは、幕府から、あるいは明治になっても、「税金を納めよ」と政府からも責められるし、地主からも責められる。この世は苦の娑婆や。 だからこの世でせっかくはたらいて、政府や幕府のお役に立って、そして死んだら極楽という、〝ありがたい〟ところへ生まれて、蓮のうてなに乗って、百味の飲食をいただくのや、と。 こういう昔の説教者がいうて、だましてきたんやね。

   で、私はお寺の坊守会に引っ張られた時に、「あんたらのような尻のでかい者が乗ったら、蓮の茎が折れてしまうわ」と、こういうて笑った。 そういうことを語っているのではないのです。百味の飲食というのは、我々が腹へっている時には、何食べてもうまいんや。で、お腹がいっぱいの時に、すき焼きだされたって、食べられんわ。 だから我々のお腹が空いている時には、何食べても美味しいものです。百味の飲食なんや。だから仏法というのは、精神的に腹をへらすもんや、と。

●無相庵のあとがき
   私たちは愚痴をグチグチ心の中で抱いたり、場合に依っては、他の人にさえ愚痴りますが、それは、考え方に依っては極楽世界であるこの世を見誤っているからかも知れません。

なむあみだぶつ

[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1668  2017.06.15『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(4)極楽世界―前編

●無相庵のはしがき
   『歎異抄』第九章で、急いで浄土へ参りたくないという表現がありますが、浄土すなわち、極楽世界は、あの世にある架空のものではなく、この世が極楽世界だから、急ぐ必要もない、 というのが、今回の米沢英雄先生のご主張なのでしょうか。それはどうなのかは、最早確かめることは出来ませんが、『はたらきそのもの』で生かされて生きていることを喜びと思えず、「悲しい」「苦しい」、 「悔しい」と、愚痴ばっかりの私たちへのアドバイスと受け取りたいと思います。  

●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(4)極楽世界―前編
   私はこれはいつもいうけれども、五劫思惟と兆載永劫の修行は違うと。今までは五劫思惟と兆載永劫の修行と、こういうようにくっつけて、法蔵菩薩が兆載永劫の修行をされて、 南無阿弥陀仏を成就して下さった、こういうふうにいうてきたのや。私は、五劫思惟と兆載永劫とは違うという考えや。 兆載永劫というのは、無限です。五劫というのは*長い。長いけれども、五劫というきりがあるのではないかと、こう思うのや。

   法蔵菩薩が、自分がたすかると同時に、全人類が救われる道、そういう国を成就したいというて、あの世自在王仏に申し出る。すると世自在王仏は、 「汝自当知」――汝みずからまさに知るべしと、こういわれる。ところが、おもしろいことには、『大無量寿経』に、法蔵というのは、もと王さまやったけど、法蔵というのは高才有哲というて、 ひじょうに頭のいい、勇気のある人間やと、こういうことになっとるんや。それで私は法蔵菩薩とは、我々と同様、自惚れがあったんであろうと思うんや。 自分の高才有哲をたのむ心があったんではないか。自分のような頭のいい者が考えて、考えられんはずがなかろうと考え出して、五劫もかかったわけや。 法蔵菩薩の自惚れがくずれるのに、五劫かかったということに、我々の自惚れが、容易にくずれるものでないということを物語っておるのや。

   それが五劫のはてに、「非我境界」――私ではかなわんと、悲鳴をあげた。それが南無阿弥陀仏や。そういう悲鳴をあげたら、別に自分で苦労せんでも、 ちゃんと浄土ができておったということを見つけた、浄土ができておったということ、生かされて生きている自分を見つけたと、こういうことです。自分の力で生きているんでない。 宇宙を成り立たしめる大きなはたらき。それを私はいつも、「はたらきそのもの」というとるが、難しくいえば、「法性法身」とか「法身仏」というものやけど、そういうはたらきによって、 生かされて生きとるのや。その生かされて生きとるということを、私がいうとね、それが気に入らん人がいるんや。生かされて生きているというのが、何か消極的に思えるんでしょう。

   しかし、みんな生かされて生きているんで、自分で生きているものなんて、ひとりもありゃせんのや。血液の循環から、心臓の動きから、皆、絶対他力なんや。 「法身仏」のたらきなんや。自分で心臓動かしている者あるかっていうんや、あったらこれは珍獣、珍しいけものや。心臓は自分の力で動いているんでないで、 はたらきそのものによってまかなわれておって、それを借りて、少し自分ではらいているのや。我々は、あまりロクなことやらんのやけど、我々は、少しばかりはたらいているのを鼻にかけているのが、 人間というものですね。

●無相庵のあとがき
   米沢英雄先生のお話から、民主主義国家アメリカの、トランプ大統領の『自己中心主義』に依る異常さを思わずには居られませんでした。 どの個人も、どの国家も、突き詰めれば、自己中心主義が根底にはあります。しかしそれでは、この世の中、この世界が収らないという人類の経験から得た人間の知恵で、 人類は、戦争、紛争を減らして来たと思うのです。
   自分だけで生きてはいくことは出来ない。世界で最も軍事力と経済規模が大きいアメリカが、自国第一主義では、世界は混沌とするだけだと思います。 私たちも、自分第一主義に落ち入りがちですが、他人、他国の自分第一主義は、不愉快で、不安なものです。

なむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1667  2017.06.12『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(3)日常の難行苦行

●無相庵のはしがき
   「難行苦行」という言葉から私が思い浮かぶのは、比叡山での千日回峰行です。「7年間にわたって行う。1〜3年目は年に100日、4〜5年目は年に200日行う。 無動寺で勤行のあと、深夜2時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と260箇所で礼拝しながら、約30 km を平均6時間で巡拝する。 途中で行を続けられなくなったときは自害する。」普通の人間は、挑もうともしないでしょう。戦後の達成者は13人、戦前戦後会わせて歴史上50人しかいません。

   この千日回峰行よりも、私たちの日常生活の方が難行苦行だと、米沢英雄先生は仰るのです。まあ普通は、日常生活を難行苦行だとは思えていないというのが実情で、 楽しいこともあれば、苦しいこと、悲しいこともあり、この娑婆に生まれたからには仕方がないというところでしょうか。

   難行苦行というのは、自分の思い通りにならない状態をいうのだと思います。米沢英雄先生は、「自分の思うようにしたい、自分さえよければいい、自分ひとりしかおらん」、 という自分中心に考える心を満足させられない状態を仰っておられるのではないかと思います。そういわれると、そうだと思い当たり、確かに難行苦行しているな、と、私も思います。
   私の場合は、会社同士の取引上で、私の会社は、家族役員しか居ない、超零細企業で、取引相手は、数百名から数千人の規模の中小企業とか大企業であり、 ある技術分野では我が社が圧倒的に優位であるのに、取引交渉に於いては、相手は上から目線の言動が目立ち、いつも、腹立たしい不愉快な気持ちになります。支払いを受ける側なので、 何とか辛抱しているというのが実情であります。場面は違っても、きっと読者の皆さんも、経験されていることでしょう。  

●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(3)日常の難行苦行
   それで、第九章の話になるけど――第九章が、『歎異抄』は唯円が書いたという証拠になるんやね。「唯円房同じ心にてありけり」と、こう書いてあるので、 ここで『歎異抄』は唯円房が書いたんであろうと、こうなるんや。で、私は「親鸞聖人のことば」に載ったのにも書いてるけど、親鸞という人は、信仰上みんなが落ち入りやすい落とし穴に、 自分が落ちて、自分で這い上がって、そして後から来る者――唯円も落とし穴に落ちて、そして先生のところへ相談に行った。そしたら親鸞が、自分の落ちた落とし穴に、 唯円も落ちとるということが分かって、そこからどうして出るかということ、そのことを懇切に教えているのや。

   煩悩がなくなるといいというのは、あの小乗仏教というんか、煩悩滅尽したのを阿羅漢というんか。生きながら煩悩を滅尽したのを阿羅漢と称するんやね。釈尊の当時は、 やっぱり煩悩を滅尽するのがいいように考えられておったかもしらん。ところが人間というのは、煩悩を滅尽することができないもんやということを見きわめたところに、親鸞があるということですね。 煩悩滅尽でけんのや。そういう滅尽できん、そういうものなればこそ、弥陀の誓願があると、こういうふうに親鸞はうまいこともっていくんやね。うまいこともってくって、これ本当なんや。

   実は、さっきここ(福井市・恵徳寺)の住職(三上正広師)にいうとったんやけど、こないだ岐阜県から五十二、三の女の人から手紙が来て、その手紙読みましたら、 中日新聞に私の「こころの詩」というのが毎週出てるんやが、それを読んどるんやと。で、私の本も読んだ、と書いてあったが、その人が、まあいずれ主婦やと思うんやけど、その人がね、 「自分はいいことも思うけれども、思うてならんことも思う」と。それで「どうしたら思うてはならんことを思わんようになれるのか、そういう方法を教えてくれ」というんや。まじめな人やね。

   それで九章の「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば」。これがひじょうにものをいうんや。人間というのは死ぬまで、 我――思うてはならんことというのは、自我の心。自我というのは、いつもいうように、自分の思うようにしたい、自分さえよければいい、自分ひとりしかおらん、自分中心に考える心。 そういう思うてならんことというのは、そういう事を実行すれは家庭を破壊するような心なんでしょう。それは自我の心なんや。 そういう煩悩がおこると、こういうことを五十二歳の奥さんが「どうしたらこれがおこらんようになるのか」と。

   おこってもさしつかえないんですのや。私もそれと同じや。私も七十過ぎたけれども、今でも思うてならんことを思うんや、というて、人前にいわれんようなことを思うんやというて、 書いてやったら、安心したらしいね。だから、私でも間に合うことがあるんや。これ、冗談やなく、大事なことなんやね。
    「煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば」、いそぎ浄土へ行きたいと思わん、と。娑婆がいい、と。これでいいんや、と。そういうことを親鸞がいうとるんやね。で、いそぎ浄土へ行きたい、 煩悩もおこらん、こういうことになったら、弥陀の誓願は必要ないんやないかと、こういうことまで親鸞はいうとるんですね。

   ついでもっていうとくと、――これ大事なことやと思うんやけど、外国の仏教学者がね。「浄土真宗は仏教でない」というとるんやと。皆さん、どう思われるかな。というのは、 これは仏教というのは、さとりを求めて難行苦行するもの、それが仏教であるということになっとるんや。そういう目から見ますと、浄土真宗というのは仏教でないといわれても仕方がない。
   例えば、これあとの方にあるんやけど、凡夫の身をもってさとりをひらくというのは、もってのほかやという。これは唯円の言葉やけど、そういう言葉が書いてある。 この、さとりを求めて難行苦行するのが仏教ならば、浄土真宗はナンマンダブをとなえるだけで浄土へ行かれるのやで、楽なもんや、と。

   親鸞は、仏法といえば浄土真宗であると、こういうふうにいうとるんですね。私もそう思う。なぜそう思うかというと、親鸞という人は、人間の裏の裏まで見きわめた人で、 それがどうしたらたすかるか、そういうことをはっきりさせたんやと思うから、親鸞こそ真の仏法者であると、こう私は考えております。
   私はよくいうのや、さとりを求めて難行苦行するので代表的なものをあげると、禅宗です。禅宗は座禅して、座禅してさとりをひらくということになると、 あの道元から反対が出てくるんやけど、 あの座禅もひとつの難行苦行であると思う。

   私は公の席でも、禅宗のお寺さんがおっても、はっきりいうんやけど、禅宗のお寺さんでも今は皆、奥さんがあって、子どもさんがあるんですよ。だから私はいうんや。 座禅しとると、その最中に赤ん坊が泣き出す、と。奥さんがおらん、と。そういうことになったら、放っておかれんやろ、と。座禅どころでなかろう、と思うんや。
   在家仏教がほんとうやと思うのは、我々の日常生活が難行苦行である。日常生活が難行苦行であると、こう思うんや。奥さんのご気げんはとらんならんし、 だんなさんのご気げんもとらんならんし、子どもの気げんもとらんならんし、日常生活が難行苦行でないの。それからみたら、座禅なんか何じゃい、ちゅうんや。 で、寒修行たらやっとる。滝に打たれるちゅうなことやっとる、法華宗で。ああいうこと、何んや、ただしばらくでないか。ところが日常生活の難行苦行ちゅうのは、ずっと連続しとるんや。 ちっとも休まんのやで。その日常生活の難行苦行を法蔵菩薩のご修行というんだろうと、私は思うんですね。

   昔の説教では、あの法蔵菩薩が五劫思惟、兆載永劫の修行をされて、南無阿弥陀仏を成就して下さった。我々はそれをいただくだけや。それ易行や、と。何いうとるんや。勝手な、 自分の都合のいいことばっかりいうて、それでいうとる本人はたすかっとるかというと、何もたすかっとらんのやぞ。愚痴ばっかりこぼしとるんや。

●無相庵のあとがき
   「自分はいいことも思うけれども、思うてならんことも思う。どうしたら思うてはならんことを思わんようになれるのか、そういう方法を教えて欲しい」という悩みを、 米沢英雄先生に相談された奥さんが紹介されていますが、米沢英雄先生は、「おこってもさしつかえないんですのや。私もそれと同じや。私も七十過ぎたけれども、今でも思うてならんことを思うんや、 人前にいわれんようなことを思うんや」と、お答になった。それで、奥さんは先生でもそうかと、安心されたという。

   その奥さんにせよ、米澤秀雄先生にしても、そして、私たちにしても、「人前に白状出来ない思うてはならんこと」を思うのではないでしょうか。頭で考えていることを、 他人に知られたら、否、他人ではなくて、夫婦間でも、親子間でも知られたくないことを無意識に思ってしまうもので、『ジョハリの窓』の〝隠された自己〟を人前に映し出されたようなもので、とても、 顔を上げて生きてゆくことは出来ません。

   米沢英雄先生が、「おこってもさしつかえないんですのや」という事は、「心の中でおきることは、仕方ないことやけれど、人に分かる言動は慎みなさい」ということではないと思います。 言動に出せば、ごく最近の警官家庭で起きた殺人事件や、度々報道される不倫騒動や、強制わいせつ等で罪を犯すと厳しく罰せられることになりますが、私がそういうこともなく、 平凡に日常生活を送れているのは、幸いにも、罪を犯す縁が調わなかっただけの事だと考えたいです。「無数の縁が調えば、1000人を殺してしまうことだってあるのだ」と、 親鸞聖人は申されています(『歎異抄』第十三章)。

なむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1666  2017.06.08『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(2)自我の死

●無相庵のはしがき
   今回の詳細解説で、私はあらためて仏法の教えの根本に立ち返ることが出来ました。米澤秀雄先生は、「何のために人間に生まれてきたかというと、自分自身に遇うために、 人間に生まれてきたのである」と、そして更に「私は医者をやっておりますが、医者になるために生まれてきたんでない。医者をやっとるのは、メシ食うためや。 何のために人間に生まれてきたか、と、こういうことが人間の根本問題であろう。」と明快に仰っておられます。前にも、このお話から、「メシを食うために生まれてきたのか、 生きるために、メシを食うているのか」を自問自答すれば、生きるためにメシを食うているなら、何のために生きているのかが問題になるはずだということを申し上げたことがございます。

   今回の米澤秀雄先生の詳細解説で私は、仏法を求める原点に立ち返らされた気が致しました。

  ●『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(2)自我の死
   『歎異抄』の第九章には、私としては思い出があります。
   前に東本願寺本山から『親鸞聖人のことば』という題になって「歎異抄入門」というのが出てますが、あれはもとはラジオで放送されたもので、 一章ずつをいろんな講師が担当して放送した。それを集めて一冊の本にしたわけで、たまたまその時、私に第九章が当ったわけです。それでひじょうに私は困った。なぜ困ったかというと、 『歎異抄』をお読みの方はご承知のように、これは死後の浄土になっとる。「力なくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」と、こういう。 「いささか所労(しょろう;病気、疲れのこと)のこともあれば・・・」という言葉があるし、これは死後の浄土になっておるんですわ。
   ところが、親鸞の考え方は「現生不退(げんしょうふたい)」「現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)」であって、それと第九章とは矛盾するのでないかと、私が思いましてね。 それで第九章を扱うのに、まあ読んでみただけではわかりませんけれど、私はちょっと苦労したわけです。

   今度もその第九章、『親鸞聖人のことば』を読み返してみましたけれども、今の考えと変わっておりません。それでまあ、第九章を扱うのに大変都合がよかったのは、 私が禅の書物をのぞいておったためだと、こう思いますね。禅の書物をのぞいておった時に、禅では「大死一番、絶後によみがえる(たいしいちばんぜつごによみがえる)」という言葉があるのや。 「大死一番、絶後によみがえる」。昔からいっぺん死んだら二度と死なんと、こういうのに、大死一番して息が絶えた後に、よみがえってくるなんていうことは、おそろしい矛盾です。 で、これが禅ではまかり通っている。

   ここで、一番注意せねばならんのは、「大死」というて、大きな死という。大きいという字が使ってあることですね。これは私、第九章を扱う場合に、この死は自我の死である、と。
   いつも私が申し上げるのは、人間は自我と自己とでできておると、こういうことをいうております。自己というものがあるのや。その自己が皆にわからん。で、私は最近、 人間は何のために生まれてきたか、そういうことを自分でも考えておるし、そういうことを方々で話もしとる。何のために人間に生まれてきたか。

   私は医者をやっておりますが、医者になるために生まれてきたんでない。医者をやっとるのは、メシ食うためや。何のために人間に生まれてきたか、と、 こういうことが人間の根本問題であろう。で、この「自己とは何ぞや。これ人生の根本問題なり」ということを清沢満之がいわれたが、何のために人間に生まれてきたか、 そういうことを一般の人は何も考えておらんやね。

   で、何のために人間に生まれてきたかというと、自分自身に遇うために、人間に生まれてきたのである、と。こう私は思うし、そういうことを教えるのが仏法だと、 こう思うとるんや。
   それが長い間、仏法をみんな勘違いしてきたと思うんやね。例えば浄土真宗なら、ナンマンダブをとなえて、死んで極楽へ行くように、そういうふうにいうてきた歴史があるのや。

●無相庵のあとがき
   「何のために生まれてきたか?」、私たちは、毎日、そんなことを考えて生きて行くのは現実的ではないとも思います。米澤秀雄先生は、医者をやっているのは、 メシを食うためにやってるたげだと仰ってますが、患者さんは、不安を抱えてお医者のところに行きます。医者というのは、その不安を解消出来て、人の命を大切にする素晴らしい仕事だと思います。 勿論、お医者さんはボランティアでは有りませんから、診察料を受け取られていたでしょうが、メシを食うためだけでは無かったと私は思います。

   私は、72歳になった今も、仕事をしています。こうして、仏法を学びつつ、無相庵コラムを更新続けさせて頂いておますが、自我は決して死にそうにありません。でも、今一度、 原点に立ち返って、何のために生まれてきたのか、そして、何のために生きているのかを問い直し、何故、私の自我は死にそうにないのか、こんな私の本当の自分とは何かを突止めたいと思います。

なむあみだぶつ

1人

[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1665  2017.06.05『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説―(1)第九章原文

●無相庵のはしがき
   今週からしばらくは、米沢英雄先生の、『歎異抄ざっくばらん』第九章詳細解説に取り組むことに致しました。これには、少し事情がございます。
   先月の5月25日のコラム(1662番)をお読みになられた無相庵読者様から、「教えに頷けても、救われた安らかな気持ちになれないことを、どう考えればよいのか、 私も、同じです。これは、『歎異抄第9章』の問題だと、私は、思います。この課題を背負っておまかせして生きていくしかないのかなと、思ったりしています。」
   このお方は、長年聴聞もして来られ、無相庵コラムも長年に亘って愛読して頂き、度々ご感想を下さってご交信をさせて頂いている経緯がございます。
   実は私自身、コラム(1662番)を書き上げた時には、『歎異抄第9章』の問題だとピンとは思えておりませんでしたので、逆に教えられた思いが致しまして、 『歎異抄第9章』を読み返しましたところ、「成る程、その通りだ!」と思いましたので、冒頭の言葉となった次第であります。

●第九章原文
   念仏申し候へども、踊躍歓喜(ゆやくかんき)のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふやらんと、 申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことをよろこばぬにて、 いよいよ往生は一定(いちじょう)とおもひたまふなり。よろこぶべきこころをおさへてよろこばざるは、煩悩の所為(しよい)なり。しかるに仏(ぶつ)かねてしろしめして、 煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。 また浄土へいそぎまゐりたきこころのなくて、いささか所労(しょろう)のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、 煩悩の所為なり。久遠劫(くおんごう)よりいままで流転せる苦悩の旧里(くり)はすてがたく、いまだ生まれざる安養(あんにょう)浄土はこひしからず候ふこと、 まことによくよく煩悩の興盛(こうじょう)に候ふにこそ。なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。 いそぎまゐりたきこころのなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定(けつじょう)と存じ候へ。 踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひしなましと云々。

●白井成允師の第九章現代訳
   「私は念仏を申しておりますが、躍り上がるほどの歓びが心の奥から湧いてまいりませんし、また速く浄土へ参りたいと言う心もありませんが、 これはどうしたことでありましょうか、とお尋ね申し上げたところが、聖人の御答えには、親鸞もかねてからそのような不審を持っていたのに、唯円房よ、 そなたもやはり同じ心であったのだな。」「よくよく考えてみると、天に踊り地に踊るほどに喜ばねばならぬはずの心を抑えて喜ばせないのは煩悩の仕業である。 ところが仏はかねてからこれをしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたのだから、他力の悲願はこのような私共のためにであられたのだと知られて、 いよいよたのもしく思われるのである。」「また速く浄土へ参りたいという心もなく、少し病気にでもかかるとすぐに死にはしないかと心細く感ぜられることであるが、 これもやはり煩悩の仕業である。遠い遠い古から今日まで迷いさすろうてきた苦悩の故里はすてさりがたく、また生まれたことのない安養の浄土は恋しくない。 これまことに煩悩がよくよく盛んにおこるためなのである。ほんとうになごりおしいことであるけれども、どうすることもできず、 力が尽きてしまって命の終わる時にかの浄土へは参るようになっているのだ。仏の大悲の御心には、私共のような、 速く浄土へまいりたいという心のない者をとりわけ憐れみくださるのである。これにつけてこそいよいよ仏の大悲大願はたのもしく、 往生は決定していると思うばかりである。」「もしも私共に念仏申すとともに、天に踊り地に踊り身も心も歓び喜ぶというような状(じょう;姿・形・状態)があったり、 また速く浄土へ参りたいという念いもあったりするならば、煩悩具足の凡夫と仰せられた仏の語に違い、私共には煩悩が無いのだろうかと却って怪しく思われることであろう、 と云々。」

●無相庵のあとがき
   「しかるに仏(ぶつ)かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、 いよいよたのもしくおぼゆるなり。」と、「いささか所労(しょろう)のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。 久遠劫(くおんごう)よりいままで流転せる苦悩の旧里(くり)はすてがたく」と云う原文の言葉は、私たちの勘違い(聞法すれば、『煩悩』が無くなるとでも思っている、おめでたさ)を 懇切丁寧に、指摘して下さっていると思います。

   米澤秀雄先生先生の詳細解説が楽しみです。

なむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1664  2017.06.01『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(11)もののあり方

●無相庵のはしがき
   『歎異抄』の第二章は、京都で晩年を過ごされていた親鸞聖人をはるばる訪ねた関東のお弟子さんたちに親鸞聖人がご自分の信仰を、教え語っている場面であります。 関東に派遣した長男の善鸞が、父親鸞と異なる教えを説いていたことで、信仰心が揺らいでしまった故の、行動だったかも知れません。
   その親鸞聖人は、『教行信証』も執筆し終わっていたと思われますが、自分は師匠法然上人のお弟子だという意識をお持ちだったと思われます。「法然上人に騙されて、 念仏して地獄におちても後悔はない」、「弥陀の本願がまことならば、釈尊の教えもまことであり、法然上人が影響を受けた善導大師が嘘を言うはずがない、法然上人の教えがまことならば、 この親鸞の語ることが間違っているはずがない」と、書かれております。『歎異抄』は浄土宗でもなく、浄土真宗でもなく、釈尊の教えだということなのでしょう。

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(11)もののあり方

   浄土宗でも『歎異抄』は大事に考えておるのですよ。浄土宗こそ『歎異抄』を大事に考えるのは、まことにもっともやと思う。つまり浄土宗的ですから。浄土真宗的でない。 つまり、往相廻向とか還相廻向。そういう言葉が『歎異抄』には出てこない。で、この往相廻向・還相廻向というのは、ひじょうに親鸞の思想、信仰の上には、重要な意味を持っておりますし、 天親菩薩の『浄土論』――『願生偈(がんしょうげ)』といわれるのですけれども、『願生偈』というものも、親鸞の信仰・思想の上には大きな意味をもっておる。 ところが浄土宗にはそういうものがないようですね。ないから口称の念仏に終わるんだろうと思います。

   こういうことが、ひじょうに誤解を招くもとになっておるのでないかと思う。で、私が去年、愛知県の豊川というところのお寺へ行ったんですけれども、 その豊川の寺の檀家総代というのが、いつも帳場を受け持っておって、お寺に対してひじょうに協力しておるわけや。帳場をやっておって、いろんな先生を呼んで、法話会をやっとるけれども、 法話をいっぺんも聞いたことがないちゅうや。
   まあ寺の協力者というのは、そういう檀家総代で帳場をやるような人が、寺の協力者と従来はいわれてきたんでないかと思うんやね。で、 檀家総代がその坊守さん(浄土真宗では、ご住職の奥様)にいうたちゅうや、「いったい、何べんナンマンダブをとなえたら、極楽へ行かれるんや」て。こういうのが、やっぱり浄土宗的な質問であろうと、 こう思うのですね。それがたまたま去年、私が行った時に、帳場を人に替わってもらって、私のまずい話を聞いたんやと。そしたら、一番終りに坊守に、「おれはだいぶ見当違いをしていたらしい」と、 こういうたちゅうやね。

   で、そういうことが分かったということを坊守がひじょうに喜んでおりましたが、つまり皆、見当違いをしとるのや。「何べんナンマンダブをとなえたら、 極楽へ行かれるんや」というのが見当違いなら、南無阿弥陀仏は極楽へ行く切符のように考えておるのも、見当違いしとる。つまり、念仏を極楽へ行く手段に考えておるのやから。だから、 そういう手段に考えている、そういう考え方を、ぶっつぶすために、「念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。 総じてもって存知せざるなり」――無責任な発言のように思われるけれども、親鸞の心は、念仏は極楽に生まれる手段ではないのやと。念仏できるところに、私自身が立つことが出来るのや。

   で、仏法というのは、私自身を明らかにする問題や、と。そういう言葉は親鸞にないけれども、親鸞の教えられた究極のところは、私自身を明らかにすることや。 私自身が明らかになったことが、浄土真宗の救いやと、こういうことですね。

   自覚教というのは、私自身が明らかになることですよ。しかし自覚教は、修行しなければならんということになっておる。「南無阿弥陀仏のいわれを知る」と、 蓮如がいうたけれども、南無阿弥陀仏がどういうことをいうておるのか。つまり、私はさっき「もののあり方を、いいあてた言葉」やと、こういうふうに申しましたが、私自身を明らかにしたのが、 南無阿弥陀仏やということになりますと、南無阿弥陀仏の教えを聞くということは、私自身を明らかにすることで、私自身が明らかになったということが、浄土真宗における救いであると、 こういうふうに考えられるのでないかと思うわけです。

●無相庵のあとがき
   この詳細解説で、胸に刻みたいのは、「南無阿弥陀仏の教えを聞くということは、私自身を明らかにすることで、私自身が明らかになったということが、 浄土真宗における救いである」ということだと思います。私自身が明らかになれば、胸を張って、善人面は出来ませんし、何でも自分の手柄には出来ません。 生かされている存在ということに、気付かざるを得ません。しかし、そう思えるのも、ほんの瞬間でしかない自分でもあります。

   前回のコラムの更新時に、更新に不手際があり、迷惑をお掛け致しました。

なむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1663  2017.05.29『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(10)無上仏たらしめん

●無相庵のはしがき
   今回のコラム、難しい仏法用語が並べられている前半は、『歎異抄』が浄土宗的であるという米沢英雄先生独特のご主張で、救われたい一心の私たちには、 それ程重要ではないと思われますので、読み飛ばされてもよいと思います。

   今回のコラムで最も注目したいのは、後半に述べられている『真宗の救いというのは、我々が本当の姿に会うことやと、これが真宗の救いである、と。本当の姿というのは、 法身仏から生まれてきて、法身仏に支えられて、今も生きている。つまり空気を吸うとか、太陽のお陰を被るとか、一切のお陰を被っておるということは、法身仏のはたらきによって支えられて、 今も生きておる。娑婆の縁つきれば法身仏の世界へ帰ると、こういうのが我々の本当の姿であろうと思う』というところだと思います。そして、それと同時に、「法身仏=無上仏=はたらきそのもの、 であり、更に、はたらきそのもの=他力=縁、」という米沢英雄先生のご説明は、仏法の『仏さま』とは何かを理解する上で、非常に大切な教えだと思います。  

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(10)無上仏たらしめん

   それでこの、私が一番初めに申し上げましたように、第二章で引っかかったのは、善導大師だけがあげてあると、こういうことですね。 それから、曇鸞大師とか天親菩薩とかがあげてないと云うこと。これは親鸞の思想に影響を与えた人として、天親菩薩とか曇鸞大師とかは抜かすことのできない人ですね。 たとえば『教行信証』にはまず往相回向、還相回向という言葉が出てくる。この言葉は曇鸞から来ておるのですね。曇鸞大師が、天親菩薩の『浄土論』に対して解釈を加えられたのを、 『浄土論註』という。それに、往相回向、還相回向という言葉が出てくる。だから、曇鸞の影響がひじょうに強いにもかかわらず、善導大師しかあげてないところに、この『歎異抄』が、 浄土宗的であるところがあるんでないかと思うんですね。

   それから、他力ということも、本願他力とか、こういう言葉を親鸞が使われておるが、他力ということを初めて言われたのが、曇鸞なんです。だから、 曇鸞の影響をひじょうに受けておられるにもかかわらず、それが『歎異抄』の中には曇鸞大師の名が見えない。それと、往相回向、還相回向という言葉もない。 『廻向』という言葉が、第一ない。そういうところが、まあこの『歎異抄』が浄土宗的であると、こう私は言わざるを得ない所以があるわけです。

   今申した『他力』という考え方。親鸞の浄土真宗を語る場合に、『他力』という言葉は抜かすことのできないものです。ご承知のように、 明治時代に出られた清沢満之(きよざわまんし)は、絶対他力という言葉を使っておられるが、その絶対他力というのは、他力に絶対という言葉を付け加えられただけであって、 他力と言おうが絶対他力と言おうが内容は同じであるということですね。
   もう一つ、ついでに申すと、先程、この救いということはどういうことか、ということを問題にしたのですが、救いというのはどういうことかというと、 親鸞の思想をずっと見ていってたとえば晩年に書かれた「自然法爾章」を見てみますと、「誓いのやうは、無上仏に成らしめんと誓いたまへるなり」――こういう言葉がある。 「無上仏」、「誓いのやうは、無上仏に成らしめんと誓いたまへるなり」――つまり、われわれ一人一人を無上仏にするのが、本願のねらいである。ところがその無上仏に対して、 ――無上仏というのは、いろもなく形もなくまします、こういうように書いてある。それで私は、無上仏というのを法身仏と同じものであろうと、こう思うですね。

   法身仏というのはどういうものかというと、法身仏というのは、これはいつも私が申し上げておりますからご存知であろうと思うが、 私は法身仏のことを「はたらきそのもの」と称しておる。
   宇宙に存在する一切のものは、はたらきそのものから生まれてきておる。縁あって松の木となり、縁あって虫けらとなり、縁あって人間となる。こういうもので、 一切のものははたらきそのものから生まれてきておる、と、そのはたらきそのものを法身仏という、それを親鸞は無上仏と言われた。 つまり一つ一つを、無上仏にならしめんと誓いたまえるなりというのは、本願の念仏というのは、私を法身仏と一体にさせるための本願であると、こういうことがいえる。

   法身仏と一体になるということは、我々の本当の姿に会うということです。真宗の救いというのは、我々が本当の姿に会うことやと、これが真宗の救いである、と。本当の姿というのは、 法身仏から生まれてきて、法身仏に支えられて、今も生きている。つまり空気を吸うとか、太陽のお陰を被るとか、一切のお陰を被っておるということは、法身仏のはたらきによって支えられて、 今も生きておる。娑婆の縁つきれば法身仏の世界へ帰ると、こういうのが我々の本当の姿であろうと思う。

   だから、浄土真宗を信じておろうがおるまいが、天理教を信じておっても、創価学会を信じておっても、法身仏から生まれてきて、法身仏に支えられて今も生きており、 娑婆の縁つきれば法身仏の世界へ帰る。これはもう絶対に間違いのないことや。

   みんなこの世でこそ、それぞれ職業も違うし、信仰しているものも違うけれども、それを本当のところをつきつめていくと、皆法身仏から生まれてきて、法身仏に支えられて生きており、 法身仏の世界へ帰る、これは無神論者でも絶対に間違いない。そういう絶対間違いないことを押さえたところに、仏法があると思います。

   それを皆に、ひじょうに分かり易く手渡されたというところに、浄土真宗の本願の念仏があると、私は思うのです。分かり易くとは言うたけれども、なかなか分からんのや。 なかなか分からんけれども、分かろうと思えば、分かる。

   で、この「分かる」というのは、私、いつも申しておるように、頭で分かる話でない。身体(からだ)で分かる話や。身体で分かるということが大事なんや。 身体というものはひじょうに正直なもので、身体でわかる。その身体で分かる話を、先月は、私が名鉄電車の中でオシッコしたくなった話をした。身体というのは、ひじょうに正直なもので、 身体の中を血液が循環する、心臓が動いとる、だから生きとられるのやけど、その心臓でも呼吸でも血液の循環でも、私がそうさせておるのでない。はたらきそのものがはたらきかけて、 そうせしめておるのであると、こういうことですね。

   だから誰でも身体を持っとったら、法身仏のはたらきによって、生かされて生きておること間違いない。そういうことを明らかに言い切ったところに、仏法がある。それを本願の念仏、 南無阿弥陀仏という形で、我々に伝えられたところに、浄土真宗があると思う。浄土宗ではまだそこまで、自覚というところまて行っておらん、というところに問題があるのでないかと、こう思うのですね。

●無相庵のあとがき
   私は最近、朝、目覚れば、まずトイレに行きますが、「こんなにオシッコが溜まっていたのに、よくもまあ、オネショせずに済んでいるものだなぁ」と思い、これは、 私自身がそうしたのでなく、『はたらきそのもの』のお陰なのだと実感しています。と同時に、全ては、『はたらきそのもの』に護られ、日々生きていられるのだ、生きていけるのだと思うのであります。 そして、そのことに感謝する言葉が、『南無阿弥陀仏』だったんだと、気付かされます。考えてみれば、『はたらきそのもの』=『阿弥陀仏』だったんだと、だから、『南無阿弥陀仏』で決着がつくのだと、 納得出来ました。これが、米沢英雄先生の仰る、「身体で分かる」と云うことなのだと・・・。

   それから縁ということにつきまして、考え直しました。ある結果が縁に依って生じることは、分かっておりましたが、その結果で終わる事はなく、その結果に至るまでの多数の縁と、 そして、得た結果も縁として、次の結果が生じるのであり、縁は人間に全て見えるものではないのを縁というのであるから、いわゆる、一喜一憂しながらも、その時その時の結果を現実として受け入れて、 南無阿弥陀仏と、乗り越えて行こうと思った次第です。

   法然上人も親鸞聖人も共に、最終的には、禅でもなく、即身成仏でもなく、他力本願の念仏を選ばれた方です。

なむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1662  2017.05.25『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(9)私の中の謗法

●無相庵のはしがき
   浄土真宗の教えの要を取り上げられている今回の詳細解説ですが、なかなかスッと納得出来ないと思います。斯く言う私自身が納得出来ていません。

   日常生活の中で私は自分の自己中心性を感じています。そしてまた、人生はお金が一番大切なものではないという考え方に惹かれていますが、私の実態は、朝、目が覚めた瞬間から、 仕事の事、お金儲けの事が頭に浮かび、あれこれと思いを巡らします。また、自分の思う通りにはゆかない、他人を批判出来る自分ではないので、他人の行動に腹を立ててはいけないことは承知していますが、 ウォーキング中に出会う歩行者や自転車、自動車の交通違反振りには、思わず「むっ」としてしまいます。今日こそは、腹を立てないでおこうと決心しても、思わず腹が立ってしまいます。
   そういう自分の罪悪深重煩悩熾盛の凡夫であることは分かっている積もりです。そして、こんな罪作りな自分でも、太陽が護ってくれ、雨のお陰で生かされているし、色々な人々のお陰と、 色々な動植物たちの犠牲で食べ物にも恵まれていることも理解しています。また、米沢英雄先生が、「我執は絶対になくならない。自分に対する執着を絶対捨てられん。」と仰っていることにも、 確かにその通りだと思いますし、仏法を誹謗している自分だと言われれば、その通りだと思います。

   また、米沢英雄先生が「こういう自分の姿があるということですね。それが自分であるということがはっきり自分自身にうなづけることが、自覚に到達する唯一の道であり、 そういうことを親鸞が見付けられて、〝唯除の文〟というのを、ひじょうに重要視された。」と仰ってますが、その教えに頷けても、救われた安らか気持ちになれないことをどう考えればいいか、 思案せずにはいられません。思案しても、なかなか結論に辿りつけませんでした。
   でも、「こう考えるしかないのではないか」という、取り敢えずの答えを、〝無相庵のあとがき〟にお示し致しますが、ご批判を仰ぎたいと思います。

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(9)私の中の謗法

   で、真宗が、必ず善知識を問題にするのには、その、独覚でなしに、天啓思想でなしに、何か伝統の上に立ってさとりをひらく、そういう事を強調するために、 善知識を問題にするんだろうと思うんですね。 しかし、善知識というのは、どこにいるか分からん。自分に縁のあるもので、時期が到来せぬと自分が善知識に会っていても分からんということがありますから、善知識は一人一人皆違うもので あろうと、こう思うですね。 そこで、この何というか、「法蔵菩薩の誕生」では、法蔵というのが世自在王仏に会うて、自分がたすかると同時に世界中の人類が救われる、そういう道をひらいた、というふうに書いたんかな。 そうすると世自在王仏は、そういう道がある、と。それには浄土という世界に生まれれば、そういう、自分が救われると同時に、全人類が救われる、そういう世界がある、と。

   で、浄土に生まれるには、南無阿弥陀仏すると全部救われるのだ、と。しかし浄土というのは、仏ばかりのきれいな世界やで、少しでも汚れておったら、浄土へ入られんから、 お前は浄土へ入られるかどうか、入国の資格審査をする、というふうに私が書いたんかな。資格審査するということが、この「唯除五逆・誹謗正法」のことを言おうと思うて、そういうことを書いたんや。 で、浄土とはきれいな世界やから、人を殺(あや)めたり、ものの生命をとったものは、この浄土へ入られんと。そこで法蔵菩薩が引っかかってしまう。ものの生命をとった覚えがあるで、 つまり毎日いろんなものを食べておるで。そういうことで、自分は浄土へ入られんことが分かる。自分は救われんやつだということが分かる。その救われんやつを、太陽が照らして下さるし、 微風が吹いて下さるし、皆温かく付き合って下さるし、まことにありがたいと。そのまことにありがたい、――皆から、諸仏から守られておって、まことにありがたいというのを、法の深信と、 こういうわけです。

   機の深信なしに法の深信ということは有り得ない。自分が、実に浄土へ入られん、救われんやつやということが分かって、初めてこの世で、 すでにもう救われておる自分というものを発見する。 そういうようにまあ、「唯除五逆・・・」という言葉を使わずに、浄土に入る資格審査という形で、私が書いたわけですけれども。その心は、唯除五逆と同じことやと思うんですね。

   それから誹謗正法というのは、これは仏法をそしるということですけれども、何というかな、仏法をそしった覚えは、皆ないわけです。仏法をそしった覚えはないけれども、 仏法というのは、蓮如も言うてるように、無我の法である。無我の法というと、我執がないということで、我執が絶滅したということは、我々が肉体を持っている限り、有り得ないことで、 私が生きとるということは、我執が生きとると云うこととイコールなこと。我執というのは絶対になくならない。 その我執を、親鸞は「虚仮不実の心」とか、「心は蛇蠍(じゃかつ;へびとさそり)のようだ」と言うた。つまり、「自分さえよければいい」という考えを、我執と、こういうわけです。 我に対する執着と、こういう。我執というのは、人間が生きている限りは絶対になくなるものでない。だから親鸞が「救われんやつや」というのは、我執から手を切ることの出来ない自分やと、 こういう告白と同じわけです。

   この無我の法の中におりながら、我執をもってそれに背いておる。それを誹謗正法というわけです。仏法をそしるということは、無我の法をそしる、無我の法に背いているということが、 仏法をそしっているということになるわけで、だから我々が生きているということは、無我の法に背いておると、無我の法に背いておるということが、救われておらんということで、これが誹謗正法、 仏法をそしっている。そうすると、仏法をそしっておらん者は一人もないと、こういうわけですね。

   それから、我々が生きとるということは、無我の理、無我の法に背いておる、と。蓮如も「仏法は無我にて候」と、こう言うとる。仏法は無我やけど、我々は有我や、と。 自分に対する執着を絶対捨てられん。そういうところに、仏法を誹謗しておると、こういう姿があるということですね。それが自分であるということがはっきり自分自身にうなづけることが、 自覚に到達する唯一の道である、そういうことを親鸞が見付けられて、「唯除の文」というのを、ひじように重要視された。

   ところが法然上人は、それを重要視しなかった。で、善導大師のいわれた通り、南無阿弥陀仏をとなえるということを強調されたということが言えるですね。それで、 京都に浄土宗の寺で、百万遍という寺がありますが、百万遍念仏をとなえる、つまり、念仏して浄土へ生まれることが出来るなら、なるべく数多くとなえる方がよかろうということでしょう。 百万遍という数が、どうして分かるんだろうと思っていたところが、何か大きな数珠をまわすんやそうですね、皆で。で、その中に一つの親玉があって、その親玉が自分のところへ来ると、 一回まわったということで、数が分かるんやそうです。いろんなことを考えるもんですね、人間は。こんな、百万遍なんてことは、人間の考えやね。だから人間の考えなんか何にもならんと。 人間の考え、人間の努力、それを自力と、こういうんですが、自力以前に、如来から廻向されておる、こういうことを親鸞が見いだされたということは、これは大したことです。

   この前にも言うたかもしらんけど、法然は不廻向ということを言うた。これは次の章か、父母孝養のためにいっぺんも念仏せん、と。これは不廻向ということ。 まあ念仏もこちらから廻向するという考えが、これは本願の中で言うと、二十願にあたるわけですけれど、人間が念仏をとなえてそれを廻向する。父母が成仏するように念仏するというのは、 自分の努力を廻向する、向こうに廻向するということになるのでないか。 法然は不廻向と言うて、人間の努力は必要ないと、こう言われた。不廻向はいいんですけれども、もっと積極的に、如来廻向があるから、人間の努力を必要としないんだ、と、 こういうことを親鸞が言われて、まあ法然の言われたことを、積極的に表現された。こういうところまで言われたところに、親鸞さまの面目があるだろうと、こう思うんですね。

●無相庵のあとがき
   仏法は、『縁起の道理』を説きます。従って、私を含めて仏法を聴聞した人は、「これも縁やからね」と言いますが、自分に都合の良い出来事は、 「良い縁に恵まれた」と素直に受け取りますが、自分の望まぬ出来事、自分に都合の悪い縁は、素直に受け入れることが出来ないのではないでしようか。そして、最後は、 時が解決してくれて、諦め、そして忘れて行くと云う繰り返しなのかも知れません。

   こんな私は、何を拠り所にすれば良いのでしょうか。それは、親鸞聖人に聞かねばなりません。私は親鸞聖人の全てを知っている訳では有りませんが、親鸞聖人は、 「私は、こうして救われました」と云うことをはっきりと仰ってはいないと思います。

   最も晩年に書かれた、『自然法爾章』の結びに、「小慈小悲もなけれども、名利に人師をこのむなり」と、「自分はほんの少しの慈悲の心さえ持っていない。そして、 人の上に立って、先生先生と言われるのが好きな人間だ」と自分自身を嘆かれた言葉を遺されています。これは謙遜だと思われがちですが、謙遜ではなく正直な告白だと私は思います。
   そして、一方で、「念仏のみぞまことにておわします」と仰ってます。多分、「この自己中心の人間が作っている娑婆世界は、自分の思うようにはならない、苦悩に満ちた世界だ。 こんな世界に生まれたのだから、成り行きに任せて生きて行くしかない。」ということではないでしょうか。
   その上で、「この娑婆世界を生きて行くには、南無阿弥陀仏と共に生きていくしかない。」、と。

   そして、親鸞聖人は、念仏の教えと、その教えを伝えてくれた先師達(善知識)の存在に出遇った幸運を思い、「南無阿弥陀仏」を口称し続けて、亡くなられたのではないかと、 想像しています。そして、そこに心が定まれば、安らかではなくても、無碍の一道ではなくても、時々は人間に生まれ得た喜びを感じたりしながら、人間に生まれたからこそ背負った業を果たされた先師と共に 「南無阿弥陀仏」と共に生きていくことなのかと考えましたが、しばらくは、自問自答して参ります。

なむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1661  2017.05.22『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(8)五十三仏を経て

●無相庵のはしがき
   「五十三仏」と云う言葉は馴染みが薄いのではないでしょうか。私も言葉は聞いたことがありますが、正確には知りませんでしたので、インターネット検索し、 分かり易い説明を見付けましたので、下記します。
   「五十三仏」とは、無量寿経に過去五十三仏として登場する諸仏です。すなわち、錠光如来が世に現れ、次に光遠如来が現れ、次に...と合計五十三の仏の名が列挙されます。 五十四番目は世自在王如来であり、この如来を師としたのが法蔵菩薩、すなわち後の阿弥陀如来である、このように釈迦牟尼如来が弟子の阿難に語った、と無量寿経に書かれているのです。

   本文中に、「五十三仏」の一番目が錠光如来ですが、錠光如来のことを燃灯仏と称し、米沢英雄先生は、燃灯仏の方が、イメージし易く、常用されておられたようです。。  

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(8)五十三仏を経て

   で、あとでやっぱり考えたんや。そしたら私の小さい時に、死ぬことがおそろしかったんや。死ぬことがおそろしくて、夜寝る時に「どうか明日も生命がありますように」といって、 祈りながら寝た記憶があるんや。それが私の燃灯仏やと思うんやな。燃灯仏というのは、ちょっと灯がともった、ということや。あの燃灯仏というのは、錠光如来。この錠光如来は、 「鍵の穴から光が漏れる」というようなことや。つまり死ぬことがおそろしいということで、実は生が問われている。生きるとはどういうことか、こういうことが、問われているということなんですよ。 これが私を親鸞の教えにまで引っ張ってきた所以で、私の遠因やろうと思う。それ以来いろんな縁によって、ここまで引っ張ってこられたということです。そういう疑問がなければね、 まあ私は真宗にご縁をいただくということはなかったと思う。

   で、こういういのちというものに対する、子どもながらの目ざめというんかな、そういうものがあったと思うんですよ。これは『私の五十三仏』という題で、 桑名別院の暁天講座で話したのが、桑名別院から冊子になって出ておりますけれども、そこには江原通子さんのことがいうてある。

   江原通子さんからもらった本の中に、江原通子さんが自分の少女時代のことを書いて、「あなたは誰か」と、自分で自問していなさる。「あなたは誰か」というと、 「江原通子」と。「江原通子というているあなたは誰か」というんや。と、「親があって、兄弟があって、・・・・」というと、「そういうことをいうているあなたは誰か」と、こういうとる。 ちょうどラッキョウの皮をむくようなものでね。追求していくと「あなたは誰か」というと、何か、あと何も出てこんようになってしまうやね。それが江原通子さんの燃灯仏であった。 「私は誰か」ということが問題になって、江原さんが禅に精進するようになったと、こう私は思うんですね。 で、何か我々の心の中に、一つの問題意識を持つ。それが燃灯仏、それが錠光如来である。それがずっと縁を作っていくもとになると、こう思うですね。いくら縁がありましても、 こちらに問題がないと、縁が縁にならんということがあるんでないですか。

   それで、私は子どもの時から色んな本を読みました。中学時代は夏目漱石の小説とか、そういうものを読んで、人間の生き方を教えられたと思う。私が一番愛読したのは、 中勘助という人の作品ですけれども、そういうことで人間の生き方というものを学んだと思う。

   ところが『大無量寿経』を読むと、おもしろいことは、燃灯仏、それから五十三仏があらわれて、衆生を教化して浄土へ帰ってしまったと、こういうことが書いてある。 これがおもしろいと思う。浄土へ帰ってしまったということは、もう私に必要がなくなったということ。阿弥陀仏法だけが、「今現在説法」。 で、阿弥陀仏と縁が出来ると、阿弥陀仏から絶対はなれられん、ということを「阿弥陀仏今現在説法」と、今説法しておると、こういうこと。他の五十三仏は皆衆生教化して、 浄土へ帰ってしまった。 私も若い時には、夏目漱石やいろんな人のを読んだ。そういう人が皆浄土へ帰った、ということは、そういう人たちの作品は、もう私に用事がなくなったということやね。で、阿弥陀仏の教えだけ、 本願の念仏だけは、これだけが縁が切れずに今もつづいているということを、「今現在説法」と、こういわれるんだと、こう私は自分勝手に解釈しとるんや。

   で、曽我先生は、燃灯仏というのは一番新しい仏で、一番古い仏が世自在王仏。それが世自在王仏に教えを聞いて、法蔵菩薩が阿弥陀仏になられたと、こういうてあるんや。 この世自在王仏というのは、やっぱり善知識のことなんでしょう。やっぱり信心を得るのには、善知識というものが必要になるわけや。真宗では、しばしば「あなたの善知識は誰か」ということを、 非常に重要な問題にして、たずねられることが多いですね。「善知識の名前がいわれんのなら、それは天啓思想や」といわれる。天啓思想というのは仏教でいうと、縁覚かな、独覚。ひとりで覚る、独覚。 天啓思想というのは、インスピレーションで分かるちゅうのや。 例をあげますと、大本教の開祖の〝出口なお〟という、これはお百姓のおばあさんでね。ご主人が道楽者で、子どもが沢山あって、非常な貧乏して、貧乏のどん底で、ある日ひらめいたんや。 これが天啓です。それで出口なおという人は、字が書けんので、王仁三郎という人が集大成して、出口なおの『お筆先』ということでね、まあ大本教を作りあげたわけです。 もう一人あげると、天理教の開祖の中山ミキ。あれも農家の奥さんやったのが、あるきっかけでひらめいた。ひらめきですわ、天啓思想というのは。そしてさとった。独覚です。 天理教を始めたわけです。

●無相庵のあとがき
   「真宗では、しばしば「あなたの善知識は誰か」ということを、非常に重要な問題にして、たずねられることが多いですね。」と米沢英雄先生は仰っておられます。『善知識』とは、 自分が親鸞仏法に深く帰依するようになるのに最も影響を受けた先生、或いは物事のことを申しますが、私の場合は、勿論、米沢英雄先生もそのお一人ですが、お一人だけではなく、井上善右衛門先生、 西川玄苔先生、青山俊董(あおやま しゅんどう)尼等々、どのお一人が欠けても、今の私は無いと思います。それは、私だけで無く、親鸞仏法に強く惹かれた方なら、どなたも同感されると思います。
   井上善右衛門先生が昔、『恩師の思い出』と云う法話をして下さった時、「次から次へと、素晴らしい恩師に出遇わせて頂き、お一人に絞るのは難しいけれども、 どうしてもお一人ということになりますと、白井成允先生ということになりましょうか。」と申されていたことを思い出します。善知識を一人に絞る必要は無いと思います。

なむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>