No.1650  2017.04.10『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(4)自覚教と救済教―前編

●無相庵のはしがき
   4月6日にコラム更新してから、日本の平和、世界の平和がこのまま続かないこともありそうな状況になりました。勿論、これまでも、『イスラム国』とかの出現で、 特にヨーロッパでは、テロが頻発していて、平和とは言えなかったのでありますが、どうも、トランプ氏がアメリカの大統領になってから、世界は急速に不安定化し出したような気が致します。 ただ、残念ながらこれを変える力は私にはございません。これまで通り、毎日やらねばならない事を精一杯こなして行く、そして、お釈迦様が覚られた、〝因縁の法〟、 〝存在の理法〟を現実の世界に当てはめて、体験として学んで行き、南無阿弥陀仏と受け取っていくことだと、今日のコラムの内容を思いながら、思ったことでありました。

   さて、【(4)自覚教と救済教】は、【(3)真宗は片手間仏法】と【(5)私の中の五逆】との間に語られている米沢英雄先生の詳細解説で有りますが、これら三つの詳細解説は、必ずしも、 表題通りに分割出来るものでは無いと思いましたので、私の考えで、構成し直しさせて頂いております。今回の【(4)自覚教と救済教―前編】は、「南無阿弥陀仏というのは、釈尊以前の仏法であり、 〝もののあり方〟をいい当てた言葉である。」と云う米沢英雄先生のご主張を主題にさせて頂いております。お釈迦様は、〝因縁の法〟、〝存在の理法〟を覚られたのでありますが、それを短い言葉で、 〝南無阿弥陀仏〟ということは、私も納得致します。お葬式で称える〝南無阿弥陀仏〟とは、全く異なることを一般の方々にも是非、知って貰いたいものです。

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(4)自覚教と救済教―前編

   それから、これも確かかどうかしりませんけれども、『観無量寿経』の原本というと梵本ですか、――サンスクリット語で書いてあるのが、印度にないそうでして、 それで『観無量寿経』というのは、支那でできたんじゃないかという説もある。もしそれが本当だとすると、志那でできたお経を根拠にした善導大師のいうことに、真向から信順するんやったら、 これは仏法ではないんやないか、という非難も成り立つんやないかと、こう思うんですね。

   現に、渡辺照宏という学者が、「南無阿弥陀仏」というのが、印度にはそういう言葉がないと。それで「南無阿弥陀仏」は印度で生まれた教えでないという説を立てておるのを、 何かで読んだことがあります。
   そういうことになると、浄土教というのは、まあ成立せんことになってしまうやね。で、そういうことで、その点、曽我量深先生が出られたということは、大きな意味を持っておる。 つまり、南無阿弥陀仏というのは、釈尊以前の仏法であると、こういうことをいわれた。大胆なことをいわれたものですけれども、これは私は、やっぱり本当だろうと思うですね。

   曽我量深先生が、南無阿弥陀仏は釈尊以前の仏法であるといわれた。そういうことがなぜ本当かと申しますと、これは私の考えやけど、私はよく、近頃ちょっと有名になったもんで、 方々へ行くと字を書かされるんやね。それで色紙を書かされたりするんや。そうすると私は、私の考えた言葉で、「南無阿弥陀仏というのは、〝もののあり方〟をいい当てた言葉である」と、 こういう言葉を書くことにしている。

   というのは、松の木は松の木に生まれていて、松の宿業を引き受けて生き抜いている。どんな場所へ植えられても、松は松の生命を生き抜いておる。それが松の南無阿弥陀仏である。 ミミズは地面の中に入りこんで、朝から晩まで地面をほじくり返して、ミミズの宿業を引き受けて生き抜いとる。これがミミズの南無阿弥陀仏である。だから釈尊というのはご承知のように、 すべては因縁の法によるということをさとられた。それを短い言葉で表現すると、南無阿弥陀仏になるであろうと。まあ「存在の理法」と申しますか、ものがあるということは、 南無阿弥陀仏があるということに、イコールになるわけで、それでまあ、南無阿弥陀仏ということは〝もののあり方〟をいい当てた言葉や、と。

   で、私は男に生まれたいと思うて生まれたんでないけれども、生まれてみたら男であった。だからこれは、私の南無阿弥陀仏であると思う。皆さんも――皆さんはそんなことはないかな。 時に腹立てられることがあると思う。で、何でもない時に「腹立てよっ」たって腹立てられんけど、しかし何かことが起こると、ムラムラッと腹が立ってくる。で、腹が立つということも、 自分の力で押さえようたって、押さえられん。「しもたな。腹立てんとおけばよかった」というのは、あとで気がつくことで、腹が立つ時にはムラムラッと立ってくるんやね。だから、腹が立つということも、 南無阿弥陀仏や、と。自分の力でないんや。存在の理法によって腹が立ってくるんやから。

   だから宇宙に存在するものは一切、我々の経験も一切ふくめて、南無阿弥陀仏やと、こういうことがいえるんでないかと思うんですね。だから、そういう観点から見まして、 南無阿弥陀仏というのは釈尊以前の仏法であるといわれるのは、まことにもっともやと思うていた。

●無相庵のあとがき
   米沢英雄先生は、(5)私の中の五逆の中で、「親鸞の浄土真宗が、自覚教か救済教のどちらかと言えば、単なる救済教ではなくて、真の自覚教であると申されています。 単なる「念仏すればたすかる」という救済教ではなしに、救済教であると同時に自覚教であると、そういう二つを結びつけられたところに、親鸞の浄土真宗の面目があるんじゃないか。」、と、 仰っておられます。とても、大事な考え方ではないかと思います。

なむあみだぶつ


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No.1649  2017.04.06他喜力

●無相庵のはしがき
   皆さん、他喜力(たきりょく)と云う言葉をご存じでしょうか。私は娘から聞いて初めて知りましたが、 インターネットで『他喜力』で検索すると出てきました。 先日(3月31日)、下町ロケットのモデルとして有名な、北海道の株式会社植松電機の社長、植松努氏が神戸市に来られて、 『思うは招く』という演題で講演をされました(インターーネットから引用したのは神戸で講演されたものではございません)。

●他喜力
   実は、この神戸での講演を主催したグループの一人に、私の長女がおりまして、聴衆の参加費は無料でしたので、場所代とご講演料は、その主催グループが、 講演会の目的に賛同してくれる神戸の企業から協賛金を集めて、催したものでした。娘も高校や大学の人脈などを伝って、走り回ったようです。 この長女の頑張りを称して、グループの皆から、『他喜力』だと言われたとかで、それを私は聞いて、『他喜力』という言葉を知った次第です。

   講演会が終わってから、娘のFBには、かなり多くの方々から、講演に感激したという感想が寄せられたそうです。そして、それが、娘の喜びとなったことは間違いありません。 多くの人に喜んで貰って、それが自分の喜びとなる、これが『他喜力』だと思います。人それぞれに、人を喜ばせられる得意な才能をDNAとして受け継いでいると思われます。 その『他喜力』を発揮出来るのは動物の中でも人間にしか出来ないと思います。人間に生まれた喜びをお互いに感じたいものです。

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No.1648  2017.04.03『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(3)真宗は片手間仏法ー後編

●無相庵のはしがき
   〝片手間〟という言葉は、広辞苑では「本業の余暇、用事のひま、余業」と説明されていますから、米沢英雄先生のいわれる『片手間仏法』は、 仏法を重要視しない立場のご発言ということになりますが、それは米沢英雄先生一流の〝キャッチコピー〟であって、私が、最近流行の〝忖度〟するならば、 私たち在家の人間は、食べて生きて行かなければならないから、お金を稼ぐ生活が中心になるのは致し方ない。お坊さんではないから一日中念仏を称えたり、坐禅する訳にはいかない。 しかし、生活も大事だけれども、「日常生活と仏法の二足の草鞋(わらじ)は履きたいものだ」というお考えではないかと思います。

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(3)真宗は片手間ー後編
   私は浄土真宗というのは片手間仏法で、生活しながら片手間に仏法を聞くものやと、こういうふうに申しております。ところが法然上人という方は、自分の一生を、 極端にいうと生命を仏にささげられた、こういうことがいえる。そうすると法然上人という方は、自分の一生を、極端にいうと生命を仏にささげられた、こういうことがいえる。 そうすると法然が仏という言葉を聞いて感じられるのと、我々が仏という言葉を聞いて感じるのと、感じ方に大きな相違があるんでないかと、こう私は思うんですね。

   それで善導大師が書かれた「彼(か)の仏願に順ずるが故に」――仏の願いに順(したが)うからであると、こういうことを我々が読むのと、法然が読まれたのとは違うんです。 法然は四十三年かかって分からずに、この言葉に出会って、まあ戦慄を感じて、回心されたのだから私らが経典読むのとでは、全然質が違うと思うですね。
   ところが法然上人は、善導大師の観経の解釈の、ここで回心されたので、それで「偏依(へんえ)善導」、偏(ひとえ)に善導一師に依ると、善導に絶対的な信頼を持っておられた、 ということがいえるですね。

   私はひじょうにふとどきな男で、法然の主著である『選択(せんじゃく)本願念仏集』、それも読んでおらんので、こんなこといえた義理でないんやけど、 まあ『選択本願念仏集』を出されて、法然はひじょうな批判をこうむったんですね。そこでは、菩提心が否定されているというので。菩提心を否定したら、もう仏法が成り立たんわけです。 菩提心が、成仏を目ざして仏道修行しようという心を起こすのを、発菩提心(ほつぼだいしん)というので、自力聖道門で、出家の方は皆菩提心を起こされて、皆仏に成ろうと成仏を目ざして、 仏道修行をされるわけですが、その菩提心を起こす必要がないということを、法然上人がいわれたために、これは仏道が成り立たないでないかというので、非難を受けられたのですね。

   これは、法然の考えられたことは、各自自分で菩提心を起こさんでも、大菩提心の中に――大菩提心というのが、本願の念仏の〝いのち〟ですけれども、大菩提心の中におるんやから、 今から自分で努力して菩提心を起こす必要がないというのが、法然の考え方であったんでしょう。

   ところが偏依善導――善導一師に依るということになると、これはまあその当時『選択本願念仏集』に対する非難、その菩提心を否定したというところで、 非難されたということは有りますけれども、私はつまり、善導大師というのは中国の人です。昔の志那の人や。その志那の人がいいだしたことを、真正直に受けとってやると、 仏法というのはだいたい印度から起こったもので、印度から中国に伝わったものだ。その中国人のいうたことを真向から信頼しているということになると、 これは本家本元の印度をないがしろにしておるんでないかというような、私ならそういう非難をするであろうと思うんですよ。

   それから、これも確かかどうかしりませんけれども、『観無量寿経』の原本というと梵本ですか、――サンスクリット語で書いてあるのが、印度にないそうでして、 それで『観無量寿経』というのは、支那でできたんじゃないかという説もある。もしそれが本当だとすると、志那でできたお経を根拠にした善導大師のいうことに、真向から信順するんやったら、 これは仏法ではないんやないか、という非難も成り立つんやないかと、こう思うんですね。

   現に、渡辺照宏という学者が、「南無阿弥陀仏」というのが、印度にはそういう言葉がないと。それで「南無阿弥陀仏」は印度で生まれた教えでないという説を立てておるのを、 何かで読んだことがあります。
   そういうことになると、浄土教というのは、まあ成立せんことになってしまうやね。で、そういうことで、その点、曽我量深先生が出られたということは、大きな意味を持っておる。 つまり、南無阿弥陀仏というのは、釈尊以前の仏法であると、こういうことをいわれた。大胆なことをいわれたものですけれども、これは私は、やっぱり本当だろうと思うですね。

●無相庵のあとがき
   「南無阿弥陀仏というのは、釈尊以前の仏法である」ということは、私もそれはそう考えられると思います。突然、お釈迦様が仏教を説かれたはずはなく、 お釈迦様が生まれる以前の人類の歴史の流れの中で、縁起の道理的な思想が芽生え始めていたであろうし、南無阿弥陀仏も、誰が称え出したか分からないと思いますが、歴史の必然で生まれたもの、 と考えたいですね。米沢英雄先生は、法然上人を尊敬しつつも崇められないのは、僧と俗の二足草鞋を履かれて一生ご苦労された親鸞聖人こそ、私たちの先輩・先師なのだというお考えからだと思っています。

   なお、『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説は、昨年の冬にも、一度、ご紹介しておりますが、その際、 『唯除の文』のカラクリという表題で、真宗の覚りへの確かな道筋として、親鸞聖人が、真実の教えとされ『大無量寿経』(このお経には、 サンスクリット語の原典があります)の第十八願の唯除の文をご紹介させて頂いておりますので、是非、ご参考に為さって下さい。

なむあみだぶつ


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No.1647  2017.03.30『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(3)真宗は片手間仏法ー前編

●無相庵のはしがき
   【『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(3)真宗は片手間仏法】はかなり長文ですので、前編と後編に分けて、ご紹介させて頂きます。 『真宗は片手間仏法』という米沢英雄先生のご主張は後編で出て参ります。前編では、歎異抄の内容が親鸞のお師匠の法然の影響が色濃く出ていて、浄土宗的だというご推察です。根拠は、親鸞の名前が、 関東に居られる頃までは善信(ぜんしん)で、『教行信証』を著述され始めた頃から、親鸞に改められたことから推測出来ると云うことのようです。「善信」の〝善〟は、 法然が回心するキッカケになった善導大師の〝善〟であるから、口称の念仏(口を開いで念仏を称えること)を大事にする浄土宗的なのだということです。米沢英雄先生は、信の無い念仏は空念仏だとして、 浄土宗を評価されていなかったようです。

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(3)真宗は片手間仏法ー前編
   私が第二章で引っかかるのは、弥陀と釈尊と、それから善導大師だけがあげてあると、こういうところに引っかかるわけですね。これもご承知のように、親鸞という名前は、 天親菩薩の「親」と曇鸞大師の「鸞」とをとって、自分の名前にされた。にもかかわらず、天親菩薩も出てこなければ、曇鸞大師も出てこない。善導大師だけが出ているところに、 これはまあ浄土宗ではないかと、こう私は引っかかるわけなんやね。

   これ、長い文章でないですから、短い文章ですから、天親菩薩や曇鸞大師を省略されたということも、あるかもしらん。まあ善導大師だけを代表としてあげられたのかもしれませんけれども、 ご承知の『正信偈』にも「善導独明仏正意」というて、善導大師をひじょうに称讃されております。称讃されておりますけれども、これはこないだ聞いたんやけど、これは仲野良俊師の考えで、親鸞は、 初め善信というておった。善信というと、善導大師の「善」の字をとってあるわけやね。それから「信」は源信和尚から。それが『教行信証』を著述するようになってから、親鸞ということになっとると、 こういうわけやね。だから『教行信証』を著述する前には善信というて、善導からとった名前を用いておられたと、仲野良俊師が最近いうとられたということです。

   それでまあ、名前のことなどどうでもいいようですけれども、自分が真に傾倒した人から、名前を一字ずつもらったというところに、親鸞という名前の意味があるんでないか。 そうすると親鸞においては、天親菩薩と曇鸞大師が、親鸞の信心というものを明確にする上で、大きな役割を演じておるのであろうと、こう思うのですね。
   で、これからそろそろ善導大師の悪口をいわんならんのやけど、これはご承知のように法然は一願建立というて、第十八願をひじょうに重んじておられた。それも、 『大無量寿経』の上巻の中にある四十八願の中の第十八願。親鸞は、下巻の一番初めに出てくる本願成就の文に、ひじょうに重きをおかれて、本願成就の文から出発しておられるというところに、 すでに法然と親鸞との相違があるわけですね。
   もう一ついうと、法然は一願建立というて、第十八願ばかりでしたけれども、親鸞は四十八願の内、八願を採用しておられる。十一、十二、十三、十七、十八、十九、二十、 二十二願をとられている。そういう点が法然よりもひじょうに厳密であると、こういうことがいえるわけですね。

   で、法然上人は四十三歳で、浄土宗というんか、初めて本願の念仏を自分のものにされた。四十三歳ですから、あれは若くして、子どもの時から叡山に上って修行されたので、 四十三歳で回心されたということは、ひじょうに何というか、遅いと、こういうこともいえるわけですね。
   しかし、それは、自力の道が、いかに自分に合うておらんか、と。叡山は自力聖道門ですから自力の修行が、いかに自分にふさわしくないかということを確かめるために、 四十三年間かかったんであろうと、こう思うんですね。そのかわり得られた本願の念仏というのは、ひじょうに確固たるものであったということがいえるわけなんで、この四十三年かかられたということも、 法然においては無駄でないし、本願の念仏の歴史の上においても、これは大きな意味を持つものであろうと思うのです。
   ところが、法然上人がどこで回心されたかというと、これは善導大師が書かれた『観無量寿経』の解釈、それを読んでいて、ひとつの言葉によって開眼、目を開かされた。 こういうことになっております。「一心専念弥陀名号・・・・」という、あれですか、法然が善導の『観経疏(かんぎょうしょ)』で目を開かれたのは。

   (注)『観経疏』は、浄土宗の根本経典の一つである「観無量寿経」の解釈について述べた善導大師の著書。法然上人と、 この「観経疏」の出会いがなければ今日の浄土宗は存在しえなかったとまでいわれる書物です。 一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥時節を問わず、念々に捨てざる者は是を正定の業と名づく。彼の仏願に順ずるが故に。(『観経疏散善義』)

   「彼の仏願に順ずるが故に」。「順彼仏願故に」――この言葉で回心されたというふうにいわれていると思うんです。これは私、ひじょうに大事なことやと思うのは、 法然という方は出家されて、仏の道に一身を捧げられた人や。それが我々と違うところやと思う。

●無相庵のあとがき
   仏法の浄土宗を宗派として評価されていなかったわけではなく、末尾にある「法然という方は出家されて、仏の道に一身を捧げられた人や。 それが我々と違うところやと思う」から分かりますように、私たち在家の者には不向きだというお考えだったと思われます。そこで、私たちのためにある、 片手間仏法の浄土真宗の値打ちがあるということではないかと思います。煩悩の日常生活をしながら、聞法する事を片手間と仰ったと思うのです。

なむあみだぶつ


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No.1646  2017.03.27忖度(そんたく)に付いて

●無相庵のはしがき
   先週、例の森友学園の理事長の籠池理事長を招いて、衆参予算委員会の場で、証人喚問がありました。 そのやり取りの中で、「安部総理ご夫妻への、各省庁の公務員達の忖度があったことは、安部総理の関与があったことだ」として、どうやら、民進党などの野党は、 安部総理を退陣に追い込もうとしているように思いました。
   私は忖度(そんたく)と云う言葉に付いて、おぼろげには、知っていましたが、そんな言葉をサラリーマンの時も、私的な日常生活でも、聞いたことがなく、 自分が使うことも有りませんでしたので、この際と思い、広辞苑と漢語辞典をめくって調べました。

●忖度に付いて
   忖度の「忖」の、〝忄〟は、立心偏(りっしんべん)で、〝心〟に関する事を表わします。そして、〝寸〟は、量(はか)るということですから、「心を推し量る」という意味を表わす漢字だということです。 「度」は、心という意味もありますし、計ると云う意味もありますから、『忖度』とは、広辞苑には「他人の心中を推し量(はか)る」と説明されていることは、尤もだと思います。 私は別に安部総理夫妻を忖度して、擁護する積もりは有りません。「若し、私が今回の森友学園の件に、関与していたら、総理の座も,国会議員の職も辞する」と言われたことは、 一国のリーダーとして少し軽率な面もあったといわれても仕方が無いと思いますが、『忖度』に付いて思うことは、人間誰しも、他人からの忖度無しには生きていけないと思いますし、また誰しも、 日常生活は、常に自分以外の人の忖度をして生活をしているのでは無いかということに思い致す必要があるのではないかと考えました。

   ですから、「忖度することは別に罪なことではない」と思います。「忖度して、その忖度が直接的に、法律を犯して利益を得たとか、他人に損害を与えた場合は、罪になるのだ」、 と考えるべきではないかと思いました。忖度を問題にし過ぎますと、テレビCMも、認められなくなったりして、生き難い社会になってしまいます。

●無相庵のあとがき
   森友学園に関して、民進党が、本当に安部総理が関与していたと考えるなら、訴訟を起こすべきだと思います。それが出来ないのなら、直ぐに幕を下ろし、日米韓、 北朝鮮問題等の安全保障に関する日本のとるべき対策を議論すべきだと思っております。

なむあみだぶつ


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No.1645  2017.03.23親鸞仏法の救いと禅の悟り

●無相庵のはしがき
   今週の日曜日(3月19日)の『こころの時代』で、民衆に寄り添って生きられた仏法者として、空也上人、盤珪禅師、慈雲尊者、鈴木大拙師の4師を紹介されていました。 紹介されていた方は、日本の仏教学者であり、筑波大学名誉教授、東洋大学学長である竹村 牧男(たけむら まきお、1948年2月25日)師です。
   その中でも、特に印象深かったのは、盤珪禅師に関する件(くだり)です。何故かと申しますと、垂水見真会に19回出講頂いた(昭和28年~昭和49年の21年間で) 山田無文老師が師家であられた神戸市の祥福寺僧堂の開山が、盤珪禅師だからです。山田無文老師の法話の中での「盤珪禅師は言わしゃった・・・」と云うお言葉を印象深く覚えているからです。

   山田無文老師は臨済宗のお方で、昭和の名僧と称せられるお方でありますが、法話の中には、『歎異抄』も能く引用されていました。『こころの時代』で紹介されていた盤珪禅師の語録を、 下記の本文中に引用致しますが、親鸞聖人が晩年に行き着かれた境地、『自然法爾(じねんほうに)』と共通する内容ではないかと思い、本日の表題、『親鸞仏法の救いと禅の悟り』とさせて頂いた次第であります。

●親鸞仏法の救いと禅の悟り
   先ず、盤珪禅師の語録を引用させて頂きます。
   『さて、皆の衆へいひまするは、親の産み付けてたもったは、仏心一つでござる。余の物は、一つも産み付けはさしゃりませぬ。その親の産み付けてたもった仏心は、 不生にして霊明なものでござって、不生で一切の事が調ひまする。その不生で調ひまする証拠は、皆の衆がこちら向いて、身共が云ふことを聞いてござるうちに、後ろにて烏の声、雀の声、 それぞれの声が、聞かふとも思ふ念を生ぜずに居るに、烏の声、雀の声が通じ別れて、聞き違はず聞かるるは、不生で聞くといふものでござる。』

   「不生で一切の事が調ひまする」という意味は、人間の〝はからい〟が無い、つまり、「自然法爾」ということでは無いかと、私は考えます。盤珪禅師は、「その不生で調ひまする証拠は、 皆の衆がこちら向いて、身共が云ふことを聞いてござるうちに、後ろにて烏の声、雀の声、それぞれの声が、聞かふとも思ふ念を生ぜずに居るに、烏の声、雀の声が通じ別れて、聞き違はず聞かるるは、 不生で聞くといふものでござる。」と。つまり、法話の聞いている時、自分が聞こうとしないのに、法座が開かれている部屋の外で鳴く、烏や雀の声が聞こえるではないかと・・・。これは、米沢英雄先生が、 能く例としてあげられる、「心臓は、私たちが動かそうとしているから動いているのではない。息も、自分が意識していなくても、寝ていても、息が出来ているではないか」という事と同じことだと思います。

●無相庵のあとがき
   『自然法爾』ということは、「人間の〝はからい〟に非ず」ということであり、それを「南無阿弥陀仏」と言うのだと、米沢英雄先生が、 これからの『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説の中で、「南無阿弥陀仏というのは、もののあり方をいい当てた言葉である」と、仰っておられますので、合わせてお読み頂きたいと思います。

なむあみだぶつ


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No.1644  2017.03.20親鸞仏法の救い

●無相庵のはしがき
   前々回のコラム『親鸞仏法の特筆すべき要点に付いて』にて、親鸞仏法が他の仏教の宗派と異なる点を列挙致しました。また、 その一つ前のコラム『他力浄土門の教えで救われた人々が遺された言葉』で、浄土門の教えで救われたであろう先輩・先師のお言葉を紹介させて頂き、親鸞仏法で救われるということはどういうことかを、 申し述べた積もりでありましたが、少し言葉足らずがあったように考えておりました。
   そこで、無相庵カレンダーの9日目のお言葉、甲斐和里子師の『ともしびを、たかくかかげて、わがまえを、ゆく人のあり、さ夜なかの道 』を引用し、 ご説明させて頂こうと考えました。 

●親鸞仏法の救い
   親鸞仏法で救われるということは、親鸞仏法の教えに出遇って救われると云うよりも、むしろ親鸞聖人に出遇ったこと、そのことに依って救われるということだと思います。 甲斐和里子師のお歌の中の〝ともしびを高くかかげた人〟とは、親鸞聖人のことだと考えたいです。そして、親鸞聖人の後に、ともしびをかかげて私の前にゆく人が何人もいらっしゃる、 ということではないかと思います。私の場合は、直ぐ前には米沢英雄先生、その前に、井上善右衛門先生、白井成允先生、そして、その前には、清沢満之師・・・蓮如上人、唯円妨と多くの人が居られる、 という考え方です。〝さ夜なかの道〟とは、私たちが住む無明、闇の娑婆世界のことだと思います。

   〝さ夜なかの道〟を生きた親鸞聖人ご自身の前には、七高僧、そして、お釈迦様が、高く高くともしびをかかげておられるのであります。親鸞聖人は、「弥陀の五劫思惟の願は、 親鸞一人がためなりけり」と語られた意味は、「多くの先師・先輩のご苦労とご努力は、私親鸞一人を救うためのものであった」という申し訳無さと感謝と慶びを表明されたものであり、 そのこと自体が、救われるということではないかと思うのです。

●無相庵のあとがき
   上記の事をしたためつつ、白井成允先生の真摯な求道の歩みを思い起こしました。以下は、私が井上善右衛門先生からお聞きしたことであります。

   白井成允先生が40歳の頃、京城(今の韓国のソウル)に家族をお連れになって行かれ、京城の大学で教鞭を取っておられましたが、奥様が重い病に伏せられた時、 それまで慶んで称えられていた念仏が称えられなくなったそうで、ご自分の信心の不確かさを自覚され、「これは、どうしたものか?」と、京城から、 大分県臼杵(うすき)市にいらっしゃった臼杵祖山先生を訪ねられ、「私の念仏は、砂を噛むような念仏しか称えられません。どうしたことでしょうか?」と、ご相談されたそうです。 それに対して、臼杵祖山先生は、白井成允先生のお話をお聞きになった後、「白井さんの念仏が砂を噛むような念仏ならば、私の念仏は、蝋(ロウ)を噛むような念仏です。」と(砂を噛むより、 ロウを噛むほうが辛いとの事のようです)。そして、ややあって、「しかし、白井さん、念仏は有り難いですねぇ。」と。その臼杵先生の言葉を聞かれた白井成允先生は、その言葉だけで、 全てを覚らて、臼杵先生にお礼を申されて、そのまま、京城に戻られるべく、最寄りの駅で臼杵先生のお見送りを受けられて、臼杵市を後にされたそうです。 ホームでお見送りの臼杵先生の長い顎髭が風にたなびく情景が忘れられないとのことでした。

   念仏の味わいは、信心が深まれば深まる程、単にその信心を得た慶びに包まれるのではなく、自分自身を深く深く知リ得た慶びではないかと思います。
   そして、念仏が有り難いのではなくて、念仏として伝えられて来た歴史とそれに関わって来られた多くの先師・先輩の存在そのものが有り難い、 ということではないかと思います。そして、その感謝の心の証としての「なむあみだぶつ」ではないかと思うのです。

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No.1642  2017.03.16『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(2)生活の中の仏法

●無相庵のはしがき
   「仏法は、生きている人のためにある」ということが米沢英雄先生の持論です。これだけ思い切ったことを仰れるのは、特定の宗派に属されてなかった米沢英雄先生ならではと思いますし、 これに異を唱えられる方は居ないのではないかと思います。仏教が亡くなった人の供養のためにある教えだということになったのは、多分、四百年位前、檀家制度が確立し始めた江戸時代だと思います。 その頃から、お寺さんは自身の家族の生活のために葬式や法要を務めることが僧侶の仕事となり、「亡くなった人のためだけにある」宗教になってしまったと言えましょう。今はもう、お経は上げるけれども、 法話を説けないお坊さんが殆どという状況になってしまったのではないかと思います。米沢英雄先生は、それを嘆き、全国を回って、「仏教は今生きている人のためにある」ことを力説されました。

   ただ、「仏教は今生きている人のためにある」ということですが、今生きている人は、何で苦しみ悩んでいるかと言えば、死んでから浄土へ行けるかどうかでは有りません。 今日の例え話に出て来る、ご主人から幼稚だと言われる奥さんがその典型かも知れません。 人間は現実・事実を知らず、他人を羨(うらや)んだり、蔑(さげす)んだりして、自分の生き方に迷い、人生を台無しにしてしまいがちであります。つまり、妄念に依って、苦悩するわけであります。 他人事では有りません。私も朝から晩まで妄念を働かせて、疲れる生活に終始しております。こうして、無相庵コラムを更新する瞬間に、少し、冷静になれるだけのことという有様です。

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(2)生活の中の仏法
    初めにちょっと申し上げておきますけれど、先月の時に、確か茨城県の奥さんが手紙よこして、「自分は人見知りをするたちで、近所の奥さん方のように、 誘い合わせてお茶を飲むというようなことができんのや」と、こういうてきた人があるということを申しましたが、それから長いこと音沙汰がなかったんや。それでこれは、私が鉄砲打ったけれど、 当らなんだんかいなと思ったら、やっぱり当ったんやね。この六月に入ってから手紙がきて、「主人から、お前は子どもっぽいというより、幼稚なんやといわれている」んやと。 「自分は幼稚なんでなかなか礼状が書かれなんだ」というてきている。で、やっぱり私のいうたことが、分かったらしい。

   で、この自分は人をうらやんでいた、と。そんなことをしていると、自分の大事な一生が台なしになってしまうということが分かったんで、そんなことばっかり気にして、 うちのことが放ったらかしになっとったと、こういうことを書いてきましたから、まあ私が打った鉄砲は、やっぱり当ったんや。何でこんなことをいうかというと、仏法というものが、日常生活と、 今まで別になっておったんでないかと思う。 だからその日常生活の中に、仏法がどう結びついて、どう生きてくるか。そういうことが私の関心事なんです。仏法と日常生活が別々になっているのを、昔は〝死後の浄土〟にしたんでないか。 浄土と現実の生活とは違うというので、それを時間的にズッとずらして、死後の浄土にしておったんではないかと、こう思うですね。

   そうすると、親鸞が生涯かけられた「現生不退」というか、「現生正定聚」という、そういうことが忘れられてしまっているということになると、 親鸞の九十年のご苦労が何にもならんことになるんでないかと、私は思うんですね。この現生不退とか現生正定聚ということになると、これは昔流に使うと、「不体失往生」というんか。往生に二つあって、 「体失往生」と「不体失往生」と。「体失往生」というのは、死んでから極楽へ生まれる。「不体失往生」というのは、生きながら浄土へ生まれる、と。親鸞は「不体失往生」派であると、こう思うんやね。

   ところが法然の弟子たちの間にも、そういう論争があって、師匠の法然に聞いたちゅうんや。法然というのは寛大なのかもしらんけれども、ずるいと思うんやな。「体失往生、 まことにもっともである。不体失往生、これもまことにもっともである」と、両方に軍配をあげたんやな。 それでまあ、そういう裁きを聞くと、親鸞は失望されたと思うですね。しかし、これは余談になってしまうけれど、丸岡高校(福井県立丸岡高等学校は、 福井県坂井市丸岡町に所在する公立の高等学校)に引っ張られたことがあって、そこの図書館の主任をしている先生が本派のお寺さんで、高校の先生をしとられるんやな。で、その人と私が、 講演の前に話しをしておって、その人から「親鸞は、生きながら浄土に生まれるということをいうておられるのに、死後の浄土にしてしまっている」と。というのは、これはもうなくなられたけれども、 本派の勧学(浄土真宗本願寺派の学階の最高位)で龍谷大学の名誉教授で、その方と四国の高松でいっしょになった時に、その先生の話というのは、やはり死後の浄土ですね。

   私はまあ、日常生活の中でのことをいうとったんや。そうするとね、それを軽蔑するんですわ。日常生活のことをいうのは、新興宗教や、と。こういうことなんです。 死後の浄土ということをいうのが、真宗の建前であるということを、牢固(ろうこ;しっかり)としてその先生は持っとられたですね。で、丸岡高校で話し合うた図書館の主任の先生もそうや。 しかし、死後の浄土ということも、私は法然のまねするわけでないけれど、まことにもっともなんや。けど、そんなことならば、別に親鸞の出現を待つ必要もないと、私は思うんですね。それで、 法然の教えと親鸞の教えとでは、だいぶ開きがあるちゅうんかな。そういうことが大事なことでないかと思うんですね。

   それで前回にも申し上げましたように、『歎異抄』とうのは、親鸞が越後から関東に来て、この時分はまだ思想の円熟期ではなかったために、 法然から教えられた通りのことをいうておられたんでないか。それでも私は、法然の存在というのは、日本の仏教史の中で、画期的な存在だと思います。 「念仏ひとつで救われる」ということは画期的なことですから、法然のいわれることは間違いない。けれども、それをさらに厳密にされたというところに、親鸞の存在があると思うんです。

   例えは、前回は第一章の「弥陀の誓願不思議」、そういうことを申し上げたんです。別に順を追うていくつもりではないけれども、今日は第二章の問題点を申してみようと思います。

●無相庵のあとがき
   日常生活に仏法が生きなければならないというのは尤もなことでありますが、勘違いしてはいけないと思いますのは、仏法は道徳・倫理を説くものではないということです。 仏法は自己中心的な言動を慎むことを説きは致しますが、全て、他人に譲れ、他人を優先せよということではないと思います。また、腹を立てるな、 常に穏やかに生活せよと諭すものでもないとも思います。極普通に、自然に、真実を大切に生きなさいということではないかと思います。

   娑婆世界は有る意味、自己中心的な相手に囲まれて、決して、常に穏やかに暮らせるものでもないと思います。特にビジネスの世界は、少しでも得をしよう、 損は決してすまいという相手との交渉事の連続でありますから、仏法でいう〝利他行〟をやっていては、それこそ商売になりません。私が心掛けねばならないと考えていますのは、 自分も相手も納得出来る決着にしないと取引は長続き出来ないということですが、色々な企業体質があり、相手担当者も色々ですから、簡単なことではありません。

   サービスや商品を買う側がお金を支払いますから、ビジネスでは、どうしてもお金を支払う側が強い立場ではありますが、常に強い立場という訳には参りません。 最終的には消費者が一番強い立場になりますので、大企業でも、強い立場にもなり、弱い立場にもなります。私の会社は小さく、大企業に商品を納めることが多くて、 弱い立場の場合が多いのですが、原材料を購入したり、工程の一部を他企業の協力を必要とする場合には、お金を支払う立場にもなります。信頼される企業であることが、 生き残れる企業の最重要条件と考えておりますが、これも相手が必ずしも信頼出来る相手ばかりではなく、悩みは尽きません。

   ただ極最近、ビジネスにせよ、仕事にせよ、お金を貰うのが目的ですから、お金を得るためには、相手が好ましくなくても、環境が好ましくなくても、 我慢出来る限りは、現実に妥協して行こうと考え直したところであります。

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No.1641  2017.03.13『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(1)第二章原文

●無相庵のはしがき
   この『歎異抄』第二章の場面は、関東の弟子達数名が、京都に住む親鸞を訪ねた時のものです。同行していた『歎異抄』の作者唯円房が34歳頃の事を、 唯円が67歳で亡くなる少し前に、当時を思い起こしながら書き記したものと思われます。親鸞は、62、3歳の時に関東から京都へ戻ったのですが、戻って20年位経ったときに、 関東の弟子達の間で、親鸞の教えを巡っての争いが起こり、それを静めるために、親鸞は長男の善鸞を派遣したのですが、36歳だった善鸞は収めるどころか、却って親鸞を裏切るようなこととなり、 何が本当の親鸞の教えなのかを確認に来たという事情があったようです。

   親鸞は、息子善鸞を義絶(ぎぜつ;勘当)した直後のことでもあり、善鸞に惑わされた弟子達を情けなく思う反面、申し訳無さもあって、かなり強い口調で、 自分の信心を確信的に説き教えたものと思われます。

●第二章原文
おのおの十余ヶ国のさかひをこえて身命(しんみょう)をかへりみずしてたづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり。しかるに、念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺(なんとほくれい)にもゆゝしき学生たちおほく座せられてさふらふなれば、かのひとびとにもあひたてまつりて往生の要をよくよくきかるべきなり。 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかふりて、信ずるよりほかに別の子細なきなり。念仏はまことに浄土にむまるゝたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、惣じてもて存知せざるなり。たとひ法然上人にすかされまいらせて念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。そのゆへは、自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまふして地獄にもおちてさふらはばこそすかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いずれの行もおよびがたき身なればとても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおはしまさば釈尊の説教虚言なるべからず、仏説まことにおはしまさば善導の御釈虚言したまふべからず、善導の御釈まことならば法然のおほせそらごとならんや、法然のおほせまことならば親鸞がまふすむねまたもてむなしかるべからずさふらふ歟(か)。詮ずるところ、愚身の信心におきては、かくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんともまたすてんとも、面々の御はからひなり、と。云々。

●白井成允師の第二章現代訳
あなたがたがはるばる関東からこの地まで、十余ヶ国の境を越えて生命がけになって尋ねておいでになられた御志は、ただただ往生極楽の道を問い聞かれんためである。ところが、もしも私が念仏を申す以外に往生の道を知っており、また往生の法文などをも知っておるのだろう、その深い消息をはっきり知りたい、などと思っておられるのならば、それは大きな誤りである。もしそう思っておられるのならば、奈良や叡山にも優れた学者たちが多くおられるのであるから、その方々にもお会いなされて往生の大切な点をよくよくお聞きになるがよい。この私親鸞は、ただ念仏申して阿弥陀仏にたすけていただきなされよ、とありがたい師匠のお言葉をいただいて、そのままに信じているばかりであって、その外になんの格別の訳もないのである。念仏はまことに浄土に生まれる因なのであろうか、また地獄におつべき業なのであろうか、すべて知っていないのだ。たとえ法然上人にだまされて、念仏して地獄におちたとしても決して後悔はしえないだろう。何故かといえば、念仏以外の行をはげみ修めれば仏になれたはずの者が、念仏したために地獄におちたのだということであるのならば、それこそだまされたという後悔もおこることであろうが、この親鸞はどんな行をはげんだからとてたすかるみこみのない身なので、どうしても地獄より他にゆきどころがないのだから。阿弥陀仏の本願が真実であらせられるならば、釈尊のお説きくだされた教えが虚言であるはずはない。釈尊の御教えが真実であらせられるならば。善導大師の御釈に虚言をもうされるはずがない。善導の御釈が真実であるならば、法然上人の仰せがどうしてそらごとであり得よう。法然上人の仰せが真実であるならば、この親鸞のもうす所もまた虚しいことではないであろうかと思われる。要するところ、愚かな私の信心はこのとおりである。このうえは、念仏をもうして本願をお信じなさろうとも、また念仏をおすてになさろうとも、どちらでもあなた方ごめいめいがお考えどおりになさるがよろしい、と、云々。

●無相庵のあとがき
   仏法は教えを信じるのだとは思いますが、それは人から人へと継承されるものであることを強調されたのだと思います。親鸞は師匠の法然を信じ、法然は善導を信じ、 善導は大乗仏教を起こした先師達を信じ、大乗仏教を信じ、結果的にはお釈迦様を信じ、お釈迦様の教えを信じたと考えるべきものだと私は思っています。長い歴史を刻んで自分まで伝わった事実から、 自分の信心に確信を持っていたと思うのです。

   それは私自身が、井上善右衛門先生、西川玄苔師、米澤秀雄先生等、尊敬する先輩に直接接することで感じていることでもあります。仏教書を読んだり、 DVDやCDで法話を聴くだけでは得られない、仏法の現実の力と姿が証明されていたからだと思います。

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No.1641  2017.03.09親鸞仏法の特筆すべき要点に付いて

●無相庵のはしがき
   前回のコラムで他力浄土門の教えで救われた人々が遺された言葉をご紹介致しましたが、今回は、親鸞仏法が他の禅宗とか、 真言宗と区別出来る要点を私なりに纏めてみました。前回のコラムと読み合わせて頂き、親鸞仏法の理解の参考にして頂ければ、幸いです。

●親鸞仏法の特筆すべき要点に付いて
   親鸞仏法は、下記の①~⑨が他の仏法と異なる点ではないかと考えております。

①即身成仏を表明する真言宗とは異なって、私たちが生きたままで成仏することは無く、体失往生を説きます。つまり、肉体が滅してから、浄土へ還るという立場をとります。
②それは同時に、生きている限り、『欲望』は無くならないし、ましてや『煩悩』も滅することは無いという立場です。
③しかし、『不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)』と、浄土真宗門徒が毎朝唱える親鸞聖人が遺されたお経『正信偈(しょうしんげ)』に示されており、煩悩を抱えたまま成仏が確定すると説きます。
④他の仏法は、煩悩は消すべきものとして捉えますが、親鸞仏法は、私たち人間に煩悩があるからこそ、救われるという立場です。
⑤何故救われるかと言えば、それは私たちの努力や修行に依るのではなくて、煩悩を抱えて、苦悩する私たち衆生をこそ救わねばならないという願い(本願)を立てて下さった、 阿弥陀仏の摂取不捨の利益に依るという立場です。
⑥従いまして、阿弥陀仏の本願を信じることが、唯一、親鸞仏法で救われる道だということになります。
⑦でも、「阿弥陀仏の本願を私は信じました!」と言っても、救われたことにはなりません。
⑧それほど簡単なものではないと思われます。やはり、仏法を聴きながら、日常生活の中で、自分の正体を見きわめていく中で、人間とは何か、自分とは何か、この世はどういうところか、そして、 仏法とは何かを問い続けるうちに、こんな邪見驕慢悪衆生の自分のような者が今、生かされて生きている、命を頂いていることに、昔、親鸞聖人が「仏法を伝え遺してくれたのも、 この人類の歴史が続いてきたのも、親鸞一人の為だったのだなぁー」と、自然と頭を下げさせられた瞬間が、親鸞が救われた時ではなかったかと、思います。
⑨親鸞聖人は、亡くなられるまで、頭(頭脳)を一杯働かされて、真実・真理を求め続けられました。安易に本願を信じて、念仏を称えられて救われた訳ではないと聞いております。人間には、 他の動物には無い頭脳を与えられましたから、煩悩も湧き上がって苦悩する代わりに、煩悩を縁として、人間に生まれた喜びを得られるというのが、親鸞仏法だと考えます。

●無相庵のあとがき
   白井成允先生、井上善右衛門先生、西川玄苔師、米澤秀雄先生にお教え頂いた事を総合して、現時点では、本文のように親鸞仏法を理解致しておりますが、皆さんご自身でも、 ご考察して頂く事が何よりも大切ではないかと、米沢英雄先生に習って申し上げます。

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