No.1630  2017.01.30『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(5)念を法海に流す

●無相庵のはしがき
   今回のテーマは、親鸞聖人の『教行信証』の中に書かれているお言葉『慶哉、樹心弘誓仏地 流念難思法海』なのですが、訓読みしますと、「慶(よろこ)ばしき哉(かな)、 心を弘誓の仏地に樹(た)て、念を難思の法海に流す」と読むのだと思います。『弘誓(ぐぜい)の仏地(ぶっち)』とは、「阿弥陀仏の誓願でたてられたお浄土」だと考えてよいと思いますし、 『難思(なんし)の法海(ほっかい)』とは、「一寸先がどうなるか分からない娑婆世界のこと」だと思われます。この親鸞聖人のお言葉を米沢英雄先生流の解釈をされているのですが、私は、 米沢英雄先生にお出会いする前から、白井成允先生が『慶哉、樹心弘誓仏地 流念難思法海』をご自身の日常生活と聞法生活の中で深められたご信心の心で歌い代えられ謳い継がれて作られた、 下記の詩を、白井成允先生を師と仰ぐ井上善右衛門先生から師への敬愛を込めて教えて頂いておりましたので、何も抵抗無く受けとめました。

      ―招喚の声―
      業風吹いて止まざれども
      唯聞く弥陀招喚の声
      声は西方より来りて
      身をめぐり髄に徹る
      慶ばしきかな
      身は娑婆にありつつも
      既に浄土の光耀を蒙る
      あはれあはれ十方の同胞
      同じく声を聞いて
      皆倶に一処に会せん
         南無阿弥陀佛

●『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(5)念を法海に流す

   『歎異抄』についてお話するのが、まあどこへでも飛んでいってしまうんですけれども、自分自身が納得できるということが、私にとって一番大事なことやと思うとるので、 自分の納得したことを申し上げておるわけですけれども、皆さんがそれで納得なさるかどうかということは、これは問題外でございますので、私の申すことを参考にして、 皆さんのお考えをはっきりさせてもらえばいいんでないかと、私は思うんです。

   私は,仏教はシロウトで、シロウトということを、以前には恥ずかしいことのように思うておったですけれども、存外そうでもないなあと、近頃思うんです。というのは、 画家で中川一政という人がおるんです。おるっていうのはえらい失礼ですけど、私は若い時から注目しとった画家なんです。その随筆がおもしろいから読んどったということもあるんですけれども、 その中川一政というのは、家が貧乏で、中学出ただけで、美術学校へも行かなんだんです。何になっていいか、なるものがなかったというんですね。で、絵が好きやで絵をかいとった。 まあ洋画で一家をなしましたけれども、その中川一政は自分は貧乏で美術学校へ行かなんだけれども、美術学校というところは、大事なことを教えるかもしらんけれども、いらんことも教えると、 こういうとるんですね。

   そういう点は独学の強みというとおかしいけれども、独学やっていると、自分の気に入ったところしか読まんということもあるけれども、そのかわり、オーソドックスな、 正当派では気がつかんようなことも気がつく、ということもあるんじゃないかと思う。その一つの例をあげますと、これは私の考えが当ってるかどうか分かりませんけれども、これは、

   慶哉、樹心弘誓仏地 流念難思法海

    「心を弘誓の仏地に樹(た)て、念を難思の法海に流す」という。これは『教行信証』の終わりの方にある言葉ですけれども、これも私のは在来の解釈とは違うと思う。 「心を弘誓の仏地に樹(た)て、念を難思の法海に流す」と、これは同じことのいいかえやというふうに、従来のオーソドックスな考え方ではなっていました。私はこれは違うと思う。 同じことのいいかえでなくて、「心を弘誓の仏地に樹てておればこそ、念を難思の法海に流すことができる」と、こういうふうに私は読むことができると、こういう読み方は私だけかもしらんけれども、 そうでないと「慶(よろこ)ばしき哉」という、親鸞の言葉が生きんのでないかと思う。 親鸞もそうとう自我の強い人であったのであろうと私は思うんです。で、心を弘誓の仏地に樹(た)て、念を難思の法海に流すというのは、心も念も同じことやと考えとる。念も憶念の念ということもあり、 念仏の念もありますけれども、これは私は執念だとおもう、執念。

   我々は日常生活をしておりますと、いろいろなことに引っかかるんでないかと思うんですね。まあ他の人がつまらんと思うようなことに、自分が引っかかる。 心を弘誓の仏地に樹てておればこそ、つまり自己が目ざめておればこそ――この念というのは、自我の心です。難思の法海いうのは、一寸先はどうなるか分からん、この娑婆の世界のことであろうと、 こう思うんです。

   法というのは仏法だけが法でなくて、いろんな現象、いろんなもの皆が、それが法であると、こういう考え方も仏法にはありますので、難思の法海というのは、 一寸先は何が起こるか分からん、そういう世界に我々は生きておる。けれども、心を弘誓の仏地に樹てておればこそ、一々のことにこだわらずに、それを流していくことができる。樹てると流すとでは、 大きな違いがあるのでないかと私は思う。心を弘誓の仏地に樹てておればこそ、念を難思の法海に流すことができるというのが、私の解釈ですね。

   で、この念というのは、これは私が子どもの時分に、友だちと遊んでいて、よく夏になると、トンボを殺したものです。そうすると、「後に来たものに、念がうつる」というて、 逃げたものです。トンボの執念がうつるというのですね。そういうもんであろうと、私は解釈します。
   私の子ども時分に経験したことで、『教行信証』を解釈するなどとは、ふとどきだといわれるならそれまでですけれど、心を弘誓の仏地に樹てておればこそ、 念を難思の法海に流すことができる。引っかからずに流していくことができると、こういうのが私の考え方で、こういうことを岐阜で申したら、お寺さんが、「そういうことなら分かる」といわれました。 わからねばならんと思う。
   何か『教行信証』に書いてあることは、全部尊いことやというので、頭を下げるだけでなしに、自分自身が納得できて、自分の生活の上にそれが役立たねば、何にもならないのでないかと、 私は、ふとどきなと思われるかもしらんけれども、そういうふうに考えておるのです。

   心を弘誓の仏地に樹てるということは、皆やかましくいわれるけれども、念を難思の法海に流すという方は、あまり強調されずに過ぎてきたのでないか。何故強調されないかというと、 同じことのくり返しだと、こういうふうに考えておられたからだと、こう思うんですね。私は、それまでは「慶(よろこ)ばしき哉」という言葉が生きんのでないか。 「慶(よろこ)ばしき哉」と親鸞がいわれたのは、親鸞も自我の強い男で、しょっちゅう引っかかってばかりおった。ところが、心を弘誓の仏地に樹てておればこそ、 引っかからずにすべてを流していくことができると、こういうんでないかと思うんですよ。こういう解釈は従来にないですから、私の解釈が正しいというわけでない。正しいということを主張するのでなくて、 こういうふうにいうと、私は納得できるということを申しておるわけなんです。

   で、先程の「弥陀の誓願不思議」でも、こういうふうにいうと、私が納得できると、こう思うんですね。

●無相庵のあとがき
   米沢英雄先生は、「心を弘誓の仏地に樹てておればこそ、念を難思の法海に流すことができる」と申されていますが、どうすれば、心を弘誓の仏地に樹てることが出来るかに付いては、 言及されておりません。聞法を続ければ、心を弘誓の仏地に樹てることが出来るのでしようか。現実問題として私は、念を難思の法海に流すことができていません。つまり、 念というのは、愚痴とか、恨みごと、執念だと思うのですが、私の場合、心に生じた愚痴や恨みことを簡単にさらさらと流して消せてはいません。「それは、心を弘誓の仏地に樹てることが出来ていないからだ。」、 と米沢英雄先生に指摘されるかも知れません。ただ、親鸞聖人のお言葉の中にも、白井成允先生のお歌の中にも、「慶(よろこ)ばしきかな」という文言がありますが、 どちらの詩も、「自分は救われたので、慶ばしい」と云う響きを、私は感じ取れません。私は、米沢英雄先生とは少し受け取り方が違い、心を弘誓の仏地に樹(た)て、 念を難思の法海に流すことを慶ばしいということでなく、自我の心を難思の法海に流せず、引っかかってばかりの、この私のような者が、弥陀の誓願に出会えたことが慶ばしく、有り難い。 何れは弥陀の誓願不思議に助けられて、弘誓の仏地に往生させて貰えるのだろうな、という気持ちを吐露されていると思えば、私は納得出来ます。

なむあみだぶつ

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No.1629  2017.01.26親鸞聖人と私たちとの違いは何処にある?

●無相庵のはしがき
   前回のコラムで、『親鸞聖人ご自身から救われたとは仰ってはおられませんが、救われたお方であることは間違いないと私たちが思うのは、どうしてでしょうか?親鸞聖人と私たちの間に、 何か大きな、決定的な違いがあるのでしょうか?』と申し上げ、その答えとなる文言がなかなかまとまりませんでした。ただ、「親鸞聖人ご自身から救われたとは仰ってはおられません」と申しましたが、 親鸞聖人がご長男の善鸞を義絶(勘当)されて後の和讃に、下記の歌が残っております。

   弥陀の本願信ずべし
    本願信ずるひとはみな
    摂取不捨の利益にて、
    無上覚をばさとるなり
            

   この歌は、親鸞聖人が最高の覚りに到達したという内容では無いと,私は考えています。むしろ、善鸞を勘当しなければならなかったご自身の心の内実を見詰められて、言い訳をする自分、 善鸞を責める自分、この期に及んでもどうすれば自分の地位を守れるかという自己中心性が消えていないご自分に言い聞かされている歌ではないでしょうか。そして、阿弥陀仏の本願は、 こんな不実な自分のような者をこそ救う為にあったのだ、と、それが摂取不捨の利益という文言となり、自分の力ではなしに、阿弥陀仏の力でこの上ない覚りに至るのだと確信されたのではないかと思われます。

   以下に、親鸞聖人と私たちとの違いは何処にあるかを考察致しました。

●親鸞聖人と私たちとの違いは何処にある?

   私たちは、善鸞を勘当された親鸞聖人と同様に、人生で極めて悩ましい状況に追い込まれます。そんな状況に追い込まれなくても、日常生活の対人関係で、 自分の思い通りにならないことが多々ありますが、その際、心の中で(人には見えない心の奥底で)、人には格好良く思われたい故に色々と策を練ったりします。あさましい考えや、不真面目な考え、 人には知られたくない自己中心的な考えを巡らせます。親鸞聖人は、そういう不実なご自身の心の中を隠すこと無く、現実のご自身を厳しく見詰められ、自己の悪人性に目覚められたのだと思います。

   第十八願に唯除の但し書きがあります。『ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。』とありますが、私たちは、「自分は、五逆の罪を犯したり、 仏の教えを謗ったりしていないから、除かれないから救われるはずだ。」、との善人意識で以て、第十八願を通り過ぎてしまい、逆に救われないのですが、親鸞聖人は、 自分こそ救いから除かれる悪人だと目覚めて、この第十八願で、「阿弥陀仏が本当に救いたいのは、この救い難い私、親鸞だったのだ」ということで、阿弥陀仏の本願を受け取られたのだと思います。 私たちは(私だけかも知れませんが)、自分にも他の人にも嘘をつきますが、親鸞は、自分にも他の人にも嘘がつけなかったのだと、私は思います。

●無相庵のあとがき
   親鸞聖人は、生きている間に往生が確定する、不体失往生【正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)の位】を考えられました。往生は、亡くなってからということになりますが、これも、 真実を求められた親鸞聖人のお考えだと思います。

なむあみだぶつ

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No.1628  2017.01.23『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(4)はたらきそのものー後編

●無相庵のはしがき
   今日はごく最近私が考えてきたこと、この内容はお受け取りになられる方によりましては、米沢英雄先生のご解説に異を唱えているような内容に思われるかも知れませんが、 結論的には、そうではございませんので、〝無相庵のあとがき〟までお読み頂きたいと存じます。

   下記詳細解説の中で米沢英雄先生仰せの、「真宗で救いというのは何かというと、はたらきそのものによって、生かされて生きている私やったということが分かることが救いだと、 こういうことです。」に付いて考えてみたのですが、この私たちが「生かされて生きている」と云う事は、皆さまも何回か耳にされ、眼にされた事だと思いますので、百もご承知のことだと思います。 そして、これに異論を唱える方はいらっしゃらないとも思いますし、小中学生たちだってやさしく説明すれば理解できることではないかと、私は思っております。
   でも、少なくとも私は、「生かされて生きている私やった」と分かったとしましても、救われたと思えません。皆さまは如何でしょうか。そこで、私は、 「何故救われたと思えないのだろうか?」と考えてみました。
   結論としましては、生かされて生きていると云うのは仏法そのものではなく、学問とか知識だからではないか、と考えました。と申しますのは、 学問や知識は理解して覚え込んだと致しましても、それがそのまま、人生観を変えることとはならないのと同じではないかと考えた次第であります。

   しかし、親鸞聖人の和讃とか遺されているお言葉を思い返した時、親鸞聖人が、例えば「生かされて生きている私」に目覚めた喜びを表現されているものを私は存じませんし、 自分は救われたという表現も無いように思います。また、この『歎異抄第一章』に親鸞聖人が仰られたとされる内容は、「弥陀の誓願不思議に自分が救われた」ということは仰っておられないと思うのです。 しかし、親鸞聖人ご自身から救われたとは仰ってはおられませんが、救われたお方であることは間違いないと私たちが思うのは、どうしてでしょうか?親鸞聖人と私たちの間に、 何か大きな、決定的な違いがあるのでしょうか?
   その大きな違いとは何かに付いて、〝無相庵のあとがき〟にて考察したいと思いますが、まずは以下の、米沢英雄先生の詳細解説をお読み頂きたいと存じます。

●『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(4)はたらきそのものー後編

   だから生かされて生きておる。つまり法身のはたらきを知るということが、人間を人間たらしめる最大の条件である。最大唯一の条件といってもいいかな。皆、 娑婆のことばっかり考えておりますけれども、仏法はどういうことを教えているかというと、我々は自分の力で生きているのでない、生かされて生きとるのやと。そのことが分かるということが、 一番大事なことや。

   ところが、禅宗では法身と応身しかないわけ。報身がない。阿弥陀仏がないんや。だから座禅してさとるとか、自分の力で、自力でもってさとるとか、 それを自力聖道門というわけですけれども、この人間にとって一番大切なものを、座禅してさとるということで、人間の努力にまかせておってはいかん。誰でも、人間に生まれたものなら誰でも、 これが自分のものになるようにしなければならん。そこに報身仏、阿弥陀仏が出なければならん理由があると、こう私は思うんですね。
   阿弥陀仏というのは、阿弥陀仏という仏さんがあるのでなくて、我々を法身仏、形のない世界を分からせるのに、媒介と申しますか、そのなかだちをするはたらきをするものが、 阿弥陀仏である。これが報身仏と、こういわれるものである。

   そうすると、弥陀の誓願というものは、我々を法身仏の世界へ送りとどける、そういうはたらきをするものが、弥陀の誓願ということになると、初めて弥陀の誓願が大切だ、 という理由が分かるんだろうと思います。
   また真宗で救いというのは何かというと、はたらきそのものによって、生かされて生きている私やったということが分かることが救いだと、こういうことです。ですから、 それが救いだということになると、病気がなおるとか、あるいは家庭が円満にいくとか、そういう問題が真宗の救いでないということも、了解されるのでないかと、こう思うですね。
   それで私は、「弥陀の誓願不思議にたすけられ・・・・」、こういうことがいきなり出てきて、私は分からなんだんですけれど、分からなんだために、これに食いついて分かろうとして、 いささか苦労したわけです。私が分かったことで、皆さまがご了解になれるかどうか分かりませんけれども、私はこういうふうにして、弥陀の誓願というものが分かったのです。

   「誓願不思議」と書いてありますけれども、これは不思議でしょうがない。不思議というのは、はたらきそのものが不思議なのです。で、 ここに集まられた方々はいろいろの方がありますけれども、皆それぞれ違った者がここにおるということが、ひじょうに不思議だと思われます。不思議というのは、当たり前のことが実に不思議なのです。

   私など戦争の頃、招集になって台湾へ終戦までしばらく行っておったのですが、台湾に、クロトンという植物がある。クロトンというのは、紫がかった茶色かな、 地面から生えている海藻みたいな植物ですが、それが陸の上にあるんや。そんなことは内地で想像も及ばんけれども、台湾に行ってみると、実際にそういう植物があるんや。 そういうことが不思議というものだと思う。我々は何でもなく考えているけれども、実にいろんな植物を皆我々は当たり前に思うとるけれども、そういう植物が生きて存在しておるということが、 実に不思議だと思います。で、その私という人間が存在しているのも不思議だし、一切のものが存在しておるということが、実に不思議であると。

   親鸞のいう不思議というのは、当たり前のことが不思議なんだ、と。そういう当たり前のことを当たり前とせずして、そこに驚きを立てるというのが、 親鸞の生き方でないかと思うんです。

●無相庵のあとがき
   〝無相庵まえがき〟にて、『その大きな違いとは何かに付いて、〝無相庵のあとがき〟にて考察したいと思います』と申し上げましたが、現時点で、お伝え出来る適切な文言が確定出来ず、 正直なところ、悶々としています。もうしばらくお時間を頂きたく存じます。

なむあみだぶつ


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No.1627  2017.01.19『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(4)はたらきそのものー前編

●無相庵のはしがき
   米沢英雄先生は、仏様のことを〝はたらきそのもの〟と仰っているのだと思います。そして、〝はたらきそのもの〟の仏様は、私たちの眼には見えないけれども、それは、丁度、 風のようなものだと仰っています。風は私たちの眼には見えませんが、木の葉が揺れ動いたり、大空の雲が動くのを見て、風を感じます。 仏様はそんな風の様なものだと分かり易い例え話しをして下さっています。私たちの住む娑婆世界で、様々な現象(事件、事故、災害等の大きな変化が最たるもの)が生じます。週末には、 アメリカにこれまでのタイプに無い経歴と人格を持つトランプ大統領が誕生しますが、これも、長い人類の歴史の結果として生じた変化の一つであり、これも〝はたらきそのもの〟が起こした現象だ、 と考えるべきではないかと、私は思っています。

   それから末尾で、「犬や猫も生かされておる。生かされて生きておる。草や木も生かされて生きておる。しかし彼らはそれを知ることができない。人間だけがそれを知ることができる。 それで、これが分かって初めて人間になれるんやというのが、私の近頃の考え方です。」とも仰っていますが、動物の中で、ずば抜けた頭脳を与えられた人間だからこそ、深い苦悩を抱きますが、 一方でこの上ない喜びにも出会うことが出来ます。〝はたらきそのもの〟を感じることが出来る人間に生まれた所以を自覚することが、一番喜ばしいこと、大切だということだと仰っておられます。。

●『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(4)はたらきそのものー前編

   そういうことを考えさせられたのは,何年前になりますかね。名古屋の珉光院というお寺へ毎年十一月三日に引っ張られるんですが、その時に話の後で質問を受けました。 その質問というのは、第一章に「老少善悪のひとをえらばれず」と書いてあるが、この老少善悪のひとをえらばぬとはどういうことかと、こういうことを聞かれました。
   その時に私は、初めて考えた。それは、その時もいうたんですけれども、赤ん坊も生かされて生きておるのだ、年とった我々も生きとるんです。赤ん坊も空気を吸って生きておるし、 心臓が動いて生きとるんやけど、その赤ん坊も、心臓は自分で動かすもんでない。空気も自分で吸ったり吐いたりするものでない。これは無意識に吸ったり吐いたりしとる。こういうのは、 赤ん坊も生かされて生きとるんや。我々も生かされて生きとるんや。そういう点では、赤ん坊も我々も同じや、と。

   その時に珉光院で申したのは、人殺しをしようとしても、これも空気を吸っておらなきゃできんし、心臓が動いておらなきゃできんのや。だから、もし人殺しが悪いということであれば、 「善悪をえらばれず」――もう、仏というのは、そこが慈悲心ということになるのでしようけれども、人殺しをする者でも、生かしておるでないか。そういう点で老少善悪のひとをえらばれずというのは、 生かされて生きておる事実を述べたのであると、こういうことをいいましたが、それ以来、そういう考えが今日まで私に残っておって、救われるということは、生かされて生きておることが分かることや、と。 つまり、我々を生かす。我々の方からいうと、生かされて生きとるということが、我々を生かしておる方からいうと、我々を生かせる。我々を生かしているのを、法身仏と、こういうのや。

   これは安田理深先生から聞いたのですが、「難信の法性」と、こういわれる、と。難信というのは、言葉でいいあらわすことができん、ということですね。言葉でいいあらわせない。 「こころもことばもおよばず」と親鸞はいうておりますけれども、あれは難信の法性のことをいうておるんであろうと思うんです。言葉を超えておる。人間の言葉で表現できん。だから私は、 これを分かりやすく、こういうふうにいったら分かるかなあと思うて「はたらきそのもの」と、こう称しております。
   「はたらきそのもの」というてもわからんので、これは風のようなもんや、と。風というのは、風そのものを見ることはできんけれども、風が起こす現象を通じて、 風の存在を我々が知ることができるように、具体的なものを通じて、「はたらきそのもの」を我々は察するのやと、こういうふうにいうておるんや。

   この法身仏、法性法身というものが、仏の大本(おおもと)であって、これが分かるということが、人間にとって一番大切なことやというのが、私の近頃の考えだ、と。 犬や猫も生かされておる。生かされて生きておる。草や木も生かされて生きておる。しかし彼らはそれを知ることができない。人間だけがそれを知ることができる。それでこれが分かって、 初めて人間になれるんやというのが、私の近頃の考え方です。

●無相庵のあとがき
   『他力』という言葉は、『他力本願』という垢にまみれた他力浄土門を象徴する言葉であり、使うことに抵抗感を覚えます。抵抗感を覚える方が、 『絶対他力』と云う表現をとられる場合もございますが、何一つ自分の力で出来ることは無いということを『他力』、或いは『絶対他力』ということではないかと思います。 それを米沢英雄先生は、『他力』というよりも「はたらきそのもの」と云う表現を為さったのだと思われます。

   米沢英雄先生は、「〝はたらきそのもの〟を我々は察するのや」とか、「救われるということは、生かされて生きておることが分かることや」と、申されていますが、 〝はたらきそのもの〟に任せるのが大切とか、それが救いだとも申されていないと思います。他力に任せ切り、全てを受け入れられるようになるのが、 〝救われること〟〝タスカッタコト〟だとは仰っていないと思います。ここがキーポイントではないかと、次回の(5)はたらきそのものー後編までを勉強しまして、私が思ったことであります。

なむあみだぶつ


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No.1626  2017.01.16『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(3)弥陀の誓願不思議

●無相庵のはしがき
   私には4人の姉がありました。長女は昭和12年に6歳で幼い命を失いました。次女は今から9年前に74歳で亡くなり、三女は認知症と癌で終末医療病棟にいます。 四女は認知症初期の旦那さんとの老々介護状態に苦しんでいます。私の兄は74歳、私は72歳。認知症には罹っていませんし、今なお技術開発に取り組んでいる現役技術者であり、 株式会社の経営の要職にありますが、やはり、記憶力の衰え、体力の衰えを実感しているところですので、人生の終活に日々直面させられています。

   無相庵コラム更新に取り組む日々が続いてますが、米沢英雄先生の著書からの転載の際の誤字脱字、うっかりミスも頻繁に起こるようになっておりまして、校正の労を妻に 頼んでいますが、転載ミスまでは防ぐ手立てが取れず、皆さまにご迷惑をお掛けしていることを申し訳なく思っておりますが、お許し頂きたいと存じます。

   さて今回のコラムも、『歎異抄』が本当の親鸞仏法を伝えているものでなく、師匠法然上人の教えが色濃く反映されているとのご見解になっていると思われます。それはそうとしても、 私たちが心しなければならないのは、「救いとは何か」、「助かるとはどういうことか、助かればどうなるのか」、「私は仏法に依って助かっているのか、助かっていないのか」を自問自答し、 自分に対して偽りのない答えを持てているのかどうかだと私は思います。私は、竹部勝之進さんの「タスカッテミレバ. タスカルコトモイラナカッタ」と云うご心境が何となく分かりそうになる事はありますが、 日常生活が常に無事平穏とは言えず、闘っている状況ですので、「イマダ、タスカッテイナイ」と・・・。

●『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(3)弥陀の誓願不思議

   ところで私はこの春に、三重県のあるところへ引っ張られまして、そこの仏教会で話しさせられた。その時にやっぱり話の中で、「弥陀の誓願不思議」ということを話したんです。 そしたら、仏教会の会長という方が、真宗のお寺さんで、五十すぎの人ですけれども、話が終わって控え室に行った時に、その人が、「今晩初めて弥陀の誓願不思議が分かった」と、こういわれたんです。 だから、お寺さんというのは、分かったつもりでずっと通ってきていなはるんでないかと思うんです。私は分からんもんやから食いついたんや。で、皆分かったつもりで通ってきているのが、 ひじょうに多いのでないかと、そういう事を感じましたね。

   そこで私は、この「弥陀の誓願不思議」が分からんので苦労したということを申し上げましたけれども、これが分かったのは、仏の三身とかいう、面倒な問題があるんです。 私はそんな面倒な問題までは知りませんけれども、二身というと、法性法身と方便法身ですね。三身としいうと、法身と報身と応身です。そういうものに分けるのですが、これを申し上げる前に、 もうひとつ申し上げておかねばならんのは、浄土というもの。親鸞さまは、自然の浄土ということを、晩年になってしきりに『和讃』の中にもいわれておりますように、強調しておられるにもかかわらず、 『歎異抄』でははっきりせんのでないかと、私は思うのですよ。

   まあ、それは後先になりますけれど、私は、唯円が親鸞のいくつくらいの時に、聞いたやろと、こう思うんですわ。つまり親鸞が越後から関東へ出た、その時には親鸞の思想の、 まだ円熟時代でないでしょうから、師匠の法然から聞いて教えられたままのことを、いうておられたんでないかと思う。それでも法然というのは、専修念仏で、画期的な存在でありましたから、 師匠の法然上人のそのままをいわれただけでも、関東の弟子たちはびっくりしたと思う。今まで聞いたこともないことなので、びっくりしたと思いますよ。しかし、私は自然の浄土とか、例えば往相廻向、 還相廻向ということを、親鸞がいうておられるが、そういうことが『歎異抄』の中にでてこん。
   それから不廻向ということ、これは出てくる。これは「父母孝養のために、いっぺんも念仏せん」というのは、不廻向ということ。自分の努力も加えるというのが、従来の考え方ですが、 不廻向ということを師法然がいいましたから「父母孝養のために、いっぺんも念仏せん」という、念仏を廻向しないと、こういうことになると不廻向にはなるけれども、 積極的に如来廻向にはならんのではないか。如来廻向ということは『歎異抄』の中に書かれておらんのでないかと、こう思いますので、唯円という人は、親鸞のまだ若い時、若いったって、もう四十すぎか、 その時分にお話を聞いたんでしょうけれども、親鸞の円熟時代ではなかったんではないかと思う。

   ところがそういうことをいうと、第二章が引っかかってくるんですわ。第二章は親鸞が京都へ帰った後、関東から京都まで訪ねていって、 往生極楽の道を聞いたということになっておりますから、『歎異抄』も親鸞の晩年が関係している。こういうふうにいわれると思うんですね。
   ところが、人間というものは、第一印象というものが、深く心に刻みこまれるもので、唯円が若い時に聞いたということが、一生支配していて、親鸞が京都へ帰ってから訪ねて行った、 その時のことも印象に残るでしょうけれども、若い時はまだ頭が固まっておらん、その時分に聞いたことが、ひじょうに深く印象に残っているところから、この『歎異抄』というものを書いたんでないかと、 こう私は思うんですね。私の考えていることが当っているかどうかは分かりませんよ。

   それで、自然の浄土という問題が、これに出てこない。それは、法身というものが語られておらんからや、と私は思う。「弥陀の誓願不思議」が分からんのも、 「弥陀の誓願不思議」ということが書いてあるだけで、法身ということが書かれておらんからやと、私は思うんですね。
   で、法身とか、――三つに分けると法身と報身と応身になりますが、ニ身ですと、法性法身と方便法身になるわけですが、この『歎異抄』では、法性法身、あるいは法身、 そういうことが書かれておらんと、こう思うんです。例えば、

   弥陀の誓願不思議に助けられまひらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。

   と書いてありますけれども、「摂取不捨の利益」にあずかるとどうなるのか、そういうことが分からんと思うんですね。
   で、例えば、浄土門というのは、救済教ということになっております。自力聖道門は自覚教であるし、浄土門は救済教ということになっておりますけれども、 じゃたすかるとどうなるのか、そういうことがこれではあいまいやと思うですね。「摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」では、それだけでは、たすかったとはどういうことか、 はっきりせんのでないかと、こう私は思うんです。

●無相庵のあとがき
   「摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」は、他力浄土門の結論であり、自分で「タスカッタ」と思った時には、自力聖道門の自覚教になってしまうのではないかとも思います。 全面的に他力にお任せ出来るのも、出来ないのも含めて他力任せ、否、他力任せとも思わない自然法爾の世界を自覚出来た時が、「タスカッタ」時なのかも・・・。そういう意味では、生きている限り、 自覚の世界から逃れられないと思われますので、亡くなる瞬間まで、「タスカルコトハナイ」とも思われます。

   私が無相庵コラムを仕上げるのは、だいたいは更新の前々日です。遅くとも、前日の夕刻です。今回のコラムを上記まで書き終わってから、 日曜日の朝の『こころの時代』の録画を見ていましたら、鎌倉時代に現れた、法然上人(1133年~1212年)と親鸞聖人(1173年~1261年)と一遍上人(1239年~1239年)の話が出ていました。 そして、その到られた心境の違いを、法然が『念仏為本』、親鸞が『信心為本』、一遍が『名号為本』だと、解説者(東洋大学の竹村牧男学長)が言っておられたのを聞き、生まれた時代は40~50年異なるだけで、 他力浄土門であることには変わりが無く、後代の私たちが、到られた心境に代わりがあると考えることが正しいのかどうか、疑問を抱きました。ご本人に直接問いかけて、お答えを頂けない今、例え米沢英雄先生でも、 法然の教えと親鸞の教えとを独断で区別してしまうのは如何なものかと考えてしまいました。区別して,果たして、何の意味があるのだろうかと・・・。法然上人も親鸞聖人も、一遍上人も、 表現はそれぞれに異なるかも知れませんが、共に絶対他力に目ざめられた先駆者であることには変わりが無いと考えたいと思ったことであります。

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No.1625  2017.01.12『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(2)吉野秀雄と歎異抄

●無相庵のはしがき
   吉野秀雄と云う方を存じ上げませんでしたが、この方が仰ったと言われている、「もし『歎異抄』の内容が親鸞の信仰と違うというのであれば、自分はいさぎよく親鸞を捨てて、歎異抄宗に、 唯円宗になる」と云うお言葉は、垂水見真会の法話で、何回かお聞きしたことがあります。親鸞聖人のお人柄が偲ばれる歎異鈔の第九章に書かれてある唯円房とのやり取りからして、歎異抄宗を立てる気持ちは、 よく理解出来ます。米沢英雄先生は、歎異抄は浄土宗的だと言われて、少し批判的な立場をとられているように思います。この『歎異抄ざっくばらん』の本の基になっているご法話を為さったのは、 今の私と同じ年齢72歳の頃だと思いますが、批判を恐れず、思い切ったご発言をされた先生の勇気と言いますか、本当の親鸞仏法を伝える熱意を感じ、大いに刺激を受けました。

   今回の詳細解説の私が思うポイントは、米沢英雄先生が仰っている、「法然上人では明らかに死後の浄土なんですね。だから親鸞が、死後の浄土というはずがない。」は、どういうことなのか、 そして、「自我というのは、なかなか死なんのや。自我が容易に死なんから、大死(だいし)。自我の死を大死というた。絶後によみがえるというのは、自我が死ぬと自己が目覚める、 そういう仕掛けになっておる」、と言われている事と、死後の浄土との関係は一体どういうことなのかを、私たち自身が考えてみる必要があると思いました。

●『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(2)吉野秀雄と歎異抄

   もうひとつ、私は『歎異抄』に疑問をもったのは、これは本山(出版部)から『親鸞聖人のことば』という題で、『歎異抄』の解説が出ております。それは曽我量深先生が第一章、 各講師の方々が一章ずつ分担されて、話をしておられる。これはもとはラジオ放送やったんですが、その時にたまたま私に第九章が当ったんですね。第九章が当って、それを話すのにひじょうに困ったんです。
   困ったのは、第九章をそのまま読みますと、死後の浄土のように思われる。「ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」――こういう言葉がある。それからその前に、 「いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんと、こころぼそく」――心配になると、こういうような言葉もあるし、「ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」ということになると、 これは死後の浄土という感じがする。

   で、ご承知であろうと思いますが、法然上人では明らかに死後の浄土なんですね。だから親鸞が、死後の浄土というはずがない。それで第九章を扱う場合に、私は、 ひじょうにということもないけれど、いささか苦労した。その時にたすかったのは、私は若い時に禅の本を読んどったということです。禅で、「大死一番 絶後によみがえる」という言葉があるんです。 「大死一番 絶後によみがえる」。ご承知のように昔から「一度死ねば二度と死なん」という言葉があるのに、大死一番(だいしいちばん)絶後(ぜつご)に――息が絶えた後によみがえるということは、 これはちょっとおかしいのではないかと、私は思いましたが、この大死というのは、これはその放送の時にもいいましたし、『親鸞聖人のことば』の中にも載っておりますけれども、自我の死である、と。 自我というのは、なかなか死なんのや。自我が容易に死なんから、大死。自我の死を大死というた。絶後によみがえるというのは、自我が死ぬと自己が目覚める、そういう仕掛けになっておる、と。 こういう見地から、『歎異抄』の第九章を解釈して、ラジオ放送の時に申したわけですね。それから、その考えが私にずっと残存しておりまして、例えばこれもご承知であろうと思いますが、 善導大師の言葉で、

      前念命終(ぜんねんみょうじゅう)
      後念即生(ごねんそくしょう)

   ということをいうとられる。その前念命終というのは、「本願を受けとる」ことである、と。後念即生というのは「即得往生」であると、 こういうふうにいわれております(親鸞聖人「愚禿鈔」)。私はその前念と後念と、同じ「念」の字が使ってあるけれども、念の内容が違うというのが私の考え方で、前念というのは自我であると、 後念というのは自己であると。自己というのは、本来生まれながら自身持っているものであって、それが前念――自我がのさばっておって、自己が目ざめようとしても、出られない。それが、 自我のいのちが終わった時に、初めて自己が目ざめる。即得往生といわれるはずです。本来持っているものが出てくるんやから。そのように「念」と、同じ字が使ってあるけれども、 念の内容が違うというのが、私の考えでありまして、そういうことを今まで申し述べてきました。
   それでまあ,私のような者が申しましても、『歎異抄』の信仰の書としての価値はなくなるものではありません。なくなるものではないけれども、 私が『歎異抄』について疑問を持っているということも、そういう点で事実です。だから、これから事実のことを申し述べたいと思うんですね。

   もうひとつ、これも最近私が見たんですけれども、山崎竜明という人。この人はどういう人か知りませんけれども、武蔵女子大学の附属高校の先生やということです。この人が、 『歎異抄』によって親鸞が理解されているけれども、親鸞の信仰の内実――こういう言葉が使ってありましたが、親鸞の信仰の内実と、『歎異抄』とは違うと。こういうふうに,矛盾している、 その矛盾をどういうふうに解決するのであろうか、そういうことをその山崎竜明という人がいうておりました。ただ、そういうことをちょっというてるだけで、どこが違うかということは述べてなかったので、 私もわかりませんけれども・・・。

   それはこの山崎竜明という人が、「吉野秀雄と歎異抄」という講演で――。吉野秀雄という人は歌の方では会津八一の弟子で、若い頃結核をやった時に、 初めて『歎異抄』を手にしたんですが、一生『歎異抄』にひじょうに傾倒しまして、「もし『歎異抄』の内容が親鸞の信仰と違うというのであれば、自分はいさぎよく親鸞を捨てて、歎異抄宗に、 唯円宗になる」と、こうまで『歎異抄』にひじょうに打ち込んだんです。だから、そういう点でも、『歎異抄』というものが、信仰の書としてひじょうにすぐれたものであるということは、 間違いないわけですけれども、私は先程申しましたように、疑問に思うことがありますし、まあ私のように疑問に思う人が、私一人でなくて他にもあることを、山崎さんのいうていることを読んで、 私は思うたわけです。

   で、私は、若い時に『歎異抄』を手にしまして分からなんだ、『歎異抄』が。いきなり分かるはずがないですけど。ですから私は、ふつうの、たいていの人が、 どこに引っかかるということが、自分が引っかかったために、だいたい分かるんですね。
   私がどこに引っかかったかというと、「弥陀の誓願不思議」というものに引っかかった。ここが分からん。「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなり」。 この「弥陀の誓願不思議」というものが、この『歎異抄』をずうっと通読しても、分かりませんよ。また『歎異抄』の解説書がたくさん出ておりますけれども、「弥陀の誓願不思議」を、 分かるように書いた解説書というのは、一冊もないはずです。私はそう思う。

●無相庵のあとがき
   「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなり」の、「弥陀の誓願不思議」とは何か、「私たちの考えが及ばない阿弥陀仏の本願」とは何かに付いて、 一般の方々に説明出来るかどうか、私も考えますし、無相庵読者の方々にも考えて見て頂ければ幸いであります。

なむあみだぶつ


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No.1624  2017.01.09『歎異抄ざっくばらん』第一章詳細解説―(1)禁書の真意

●無相庵のはしがき
   これまで『歎異抄ざっくばらん』の文章を転載する際、私は読み易くするために平仮名を漢字に書き換えて来ましたが、今回からは、ほぼ忠実に書き写すことに致しました。 それは、テープを聞かれた亀井 鑛先生が文章に書き換えられたものであり、それを尊重すべきだと思い直したからでございます。

   さて、いよいよ『歎異抄ざっくばらん』の詳細解説に取り組むのでありますが、親鸞仏法を聞く上で、私が最近考え直した大前提を申し上げたいと思います。それは、親鸞仏法は、 大乗仏教であると云うことでございます。小乗仏教は、先ずは自分が苦から解脱出来るよう、悟りを開く事を目的として、お釈迦様が為されたと同じ修行を続けますが、大乗仏教は、 大きな乗り物に乗って皆が救われることを目的とするものです。むしろ、自分よりも先ずは他の人々が救われることを願いとするものですから、 大乗仏教の親鸞仏法も自分が救われる事を第一と云う姿勢であっては、違う道を歩むことになりはしないかと、私は考えた次第でございます。

   親鸞聖人が遺された有名なお言葉を、大谷大学のサイトに見付けました。
   それは、「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と云うものですが、親鸞聖人も、自分が救われることよりも、飢饉に苦しむ庶民の平穏を願って、 ある時三部経を1000回読誦することを思い立たれたと云うことを奥方の恵信尼が書き残されています(結局は、これは自力の行であると気付かれて止められたそうであります)。 でも、世の中の人々の平穏を祈られていたことは間違いございません。

   1月5日でしたか、瀬戸内寂聴尼と池上彰氏の対談の中で、自分が幸せと云うのは本当の幸せではない、他の人々が幸せであって、 初めて自分も幸せなのだと云うことを寂聴さんが仰ってましたが、正に、これが大乗仏教の考え方だと思います。
   私は、一昨年の末頃に、何がキッカケになったのかは分かりませんが、せめて私の親族や親しく付き合っている友人・知人の中で、何かに大いに困窮している人が居れば、 声掛けをするとか、気持ちを贈り物に乗せるとか,自分に出来ることをして、慰め励ますことをしたいと思うようになりました。私も経済的に見通しの立たない困窮の身ではありますが、 自分が何かをして解決出来るものではなく、これから起きる一切のことを他力、つまり縁に任せるのが親鸞仏法者の有り方だと考えたからでございます。信心が確立出来ていない私には、 大変努力の要ることではありますが・・・。

●『歎異抄ざっくばらん』第一章原文

 弥陀の誓願不思議に助けられまひらせて、往生をば
とぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもいたつこころの
おこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたま
うなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。
ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重・煩
悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しか
れば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にま
さるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の
本願をさまたぐるほどの悪なきがゆへにと云々。

●『歎異抄ざっくばらん』第一章詳細解説―(1)禁書の真意

   『歎異抄』について話をするということになっておりますけれども、『歎異抄』については、今まで解説書が汗牛充棟もただならぬほど、たくさん出ておりますし、 今さら『歎異抄』の成立とか、作者が誰やとか、そんな話をする必要はないと思う。私自身、『歎異抄』について、かねがね疑問に思うてるところがあるので、そういうところを皆さまに申し上げて, 皆さまから教えていただきたいと、こう思うているわけなんです。だから、この本が出ましても、これは皆さまとの共著になるわけでございます。  と申しますのは、皆さまご承知の方もあると思いますが、増谷文雄という、これは浄土宗の方ですけれど、この方が以前に筑摩書房から『歎異抄』という本を出されて、その中に――今日お話するのに、 やっぱりそれを読み直してくるべきだったと思うんですけれども、まあ私はじだらくな人間で、読み直さずにきましたが、私の読んだ記憶では、『歎異抄』というのは、師匠の法然上人そのままである、と。 例えば「悪人正機」ということも法然がいうとるし、「義なきを義とす」ということも法然がいうとるし、何も親鸞の新しいものはないと。しかるに親鸞はなぜ浄土真宗というものを立てたかと、 こういうことを増谷さんがかいとるんです。

   で、親鸞自身は「自分は浄土真宗の開山や」とはいうておりません。浄土真宗というのは法然上人が開山であるというふうにいうておられますから、「親鸞はめずらしき法をひろめず」、 そういうことをいうておられるくらいですから、増谷さんのいうことは、当らんとは思いますけれども、浄土宗そのままや、と、こういうことになれば、かんがえならんと私は思うんです。

   浄土宗のままで悪いというわけではないですよ。私は『歎異抄』にケチをつけるつもりはない。『歎異抄』が信仰の書として、ひじょうにすぐれたものであるということに、 間違いはありませんけれども、私が引っかかるのは、今の増谷さんがいったことと、もうひとつは、蓮如上人が『歎異抄』の奥書として、「これは、無宿善のものには見せてはあかん」と書いていられる。 一番後に書いてあるはずですね。

   当流大事の聖教なり。無宿善の機においては、左右なくこれを許すべからざるものなり。

   と。無宿善の機には見せてはいかんと、こういうことが書いてある。それで私は、 どうして蓮如上人はこれを人には見せてはいかんというたか、それに疑問を持つのですね。

   ご承知のように、明治になって清沢満之先生が『歎異抄』を掘り出して、清沢先生のお弟子がた、浩々洞の佐々木月樵先生とか暁烏敏先生とか、あるいは曽我量深先生、金子大栄先生、 こういう方々が『歎異抄』について講話をされて、『歎異抄』は有名になりましたが、どうして蓮如さんがこれを見せてはあかんというたんか、そういう疑問を持つですね。

   私はだいたい邪推深い人間で、この『歎異抄』が読まれると、蓮如上人が困ったんでないかと思うんであります。「後序」というんですか、終わりの方に、 念仏停止のために法然上人は流される。四人が斬られて、自分(親鸞)は越後へ流された――こういうことが載っておりますが、だから親鸞という方は、権力者あるいは財閥、 そういうものには無縁の人であった。

   この後序に載っておる文章というのは、親鸞が39歳の時に書いた文章やそうですね。それがここ(『歎異抄』)にも載っておるし、あの『教行信証』の後にも載っておるので、 だからそれで、『教行信証』が何時書かれたということで、『教行信証』の制作年代が問題になった。

   39歳の時に書いた文章を、そのまま載せてある。だから、天皇の代が替っているにもかかわらず、 自分が流罪になった時の天皇のことが書いてあるのでまあ問題になったらしいですけれども、親鸞は39歳の時に自分がこういう目に遭ったということをもうしつこく揚げて、考えつづけておった。 だからあらためて文章を直さずに、その時の文章をそのまま出したと、こういうことがいえるんですね。

   ところが、ご承知の方もあるかもしれませんけど、蓮如上人には28人か、子どもがあって、その中の一人を時の将軍(足利将軍)の側女(そばめ)に出しておるので、 まあ権力者に近づいた。今の本願寺とひじょうに似ておるわけで、だからこういう後序に、天皇を非難した、そういうものが皆に読まれると、自分が不利だと思うて、これを人に見せてはいかんと、 こういうたのかもしらんと、私は思うたんです。
   ところが最近読みましたのは、何か大谷家の代々の法主に、三家五家と書いてあったけれども、三つの家と五つの家が指定されていて、そこに『御相伝』という書物があって、 これを法主に対して進講する。それは蓮如さんの書いたものですね。蓮如さんが書いた「代々法主になるものは、これをマスターしなければならぬ」というものらしい。

   それを読みますと,何か『教行信証』の解釈に、存覚という人――これは覚如上人の子ですかね――存覚が『六要鈔』という『教行信証』の解説書を書いている。 ところがその『六要鈔』を徹底批判しておる。こういうので蓮如という人は『教行信証』を、まあそれこそ読み破った人ですが、『教行信証』を読み破った考えから、その見地から『歎異抄』を見ると、 これはやっぱり親鸞の真意を伝えていないと、こう思って、無宿善のものには見せてはいかんというたんでないかと、近頃は善意に解釈しなおしておるわけなんです。

●無相庵のあとがき
   今日の表題『禁書の真意』とは、『歎異抄』を無宿善の者(18願を信じられない、18願を願う気のない念仏者)に読ませることを禁じた蓮如上人の真意は何処にあるかを米沢英雄先生が、 考察されたところを書き綴ったので、そう云う表題にされたものだと思います。要するに米沢英雄先生は『歎異抄』は、親鸞聖人の若き頃、 法然上人の教えが色濃く残っている頃に唯円房が親鸞聖人から聞かれた話を纏め上げたもので、浄土宗的であり、晩年の親鸞聖人のお考えとはかなり異なると云う立場ではないかと思います。

   私は米沢英雄先生を尊敬しておりますが、私たちは、米沢英雄先生の言われたことを何が何でも信じると云うのではなく、自らが思考し、自らの信仰を確立しなければならないと思います。 実はその姿勢を、米沢英雄先生が最も望んで居られると私は思います。

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No.1623  2017.01.06『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(1)まえがき

●無相庵のはしがき
   皆様、明けまして、おめでとうございます。本年も、どうか、宜しくお願い申し上げます。

   今年の第一回目から、早速、『歎異抄ざっくばらん』の詳細解説をスタートさせます。スタートするに際しまして、お謝りする事がございます。何時からか分かりませんが、 これまで、米沢英雄先生のお名前を「米澤秀雄先生」と記載して居ました。今回のまえがきに記されている「米沢英雄」を見て、気付いた次第でございます。 こう云うどうしょうもない〝うかつ〟なところが私にはございまして、大いに反省し、お詫び申し上げます。
   今回は、「まえがき」から始めまして、著書『歎異抄ざっくばらん』の最初から最後まで順番に進めさせて頂きます。本年中に終わるかどうか分かりませんが、 貫き通そうと考えておりますので、お付き合いの程をお願い致します。

●『歎異抄ざっくばらん』詳細解説―(1)まえがき

   柏樹社から『歎異抄』について書いてくれと言われた。書くことはかなわんと断ったところ福井の寺で話してくれ、そのテープをおこして本にすると言われた。 こうして昭和55年(1980年)の5月から月一回恵徳寺を会場にして、15~20名程の方を前にして、昭和56年(1981年)の4月まで語らせて頂いたのが本書のもとである。

   私はかねがね『歎異抄』について抱いていた疑問がある。その疑問をぶっつけた積もりである。というのは『歎異抄』の解説書はそれこそ汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう; 蔵書が非常に多いことの形容)もただならぬ程であるが、肝腎のところ(例えば弥陀の誓願不思議、摂取不捨の利益)を分かり易く説いた書は一冊も無い。 これが20歳代に初めて『歎異抄』を手にして以来の私の疑問であったし、これが直接表面化したのは、昭和34年(1959年)東本願寺が各講師に一章ずつ担当を依頼して行われたラジオ放送に、 たまたま私が第九章を担当させられた折の戸惑いであった。
   『歎異抄』と云うと真宗の聖典と云うことになっているので、その題名を聞いただけで、へへっと皆平伏してしまうのではないか。私は不遜な現代人なので、そう簡単には頭を下げん。 分からんところは分かるまで食いついて行く。そう云う不遜な立場から出来上がったのが本書であって、題名も『歎異抄ざっくばらん』とした。ある人は失礼千万と怒られるであろうし、 ある人はその愚挙にあきれかえられるであろうが、愚かな私の拙ない了解をあからさまに吐露した故、こう云う題名にさせてもらった。

   会場に参集されて拙い了解を辛抱してお聴き下さった方々にお礼を申し上げると共に、家業のかたわら、又方々に招かれて説法の間をぬって、11回にわたるテープをおこして、 重複を削り、編集校正の労をとって下さった亀井 鑛(亀井 鉱、かめい ひろし、1929年 - )さんにはそのご苦労に対してお礼の言葉に苦しむほどであります。

   昭和56年(1981年)12月8日

                                                    米 沢 英 雄

●無相庵のあとがき
   米沢英雄先生は、有名な仏教学者やお坊さんだからと言って、無条件に尊敬したり、拝んだりはされなかったようですし、人々が崇める有名な経典や寺院をも、自分が納得されないと、 認めることは無かったように思われます。仏法は頭で聞くものではないと言われますが、米沢英雄先生は自分の頭が納得出来るまで、追求された方だと思います。批判される方も居られるかも知れませんが、 真実、真理を求められた方である事は間違いないと私は思います。これは、親鸞聖人の仏法に対するご姿勢に通じるものがあるとも思います。私は、理屈好きの米沢英雄先生だから、 色々と納得出来たことが多く、米沢英雄先生のお陰で親鸞仏法こそが仏法であり、真実の宗教だと確信出来たと思っています。

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No.1622  2016.12.29年末を迎えてー来年の無相庵に付いて

   2016年も残すところ三日となりました。お正月を迎える為に、皆様も色々とお忙しい事と存じます。
   さて前回コラムで、これまで続けて来ました米澤秀雄先生の著書『歎異抄ざっくばらん』詳細解説をどうするかを今日のコラムで申し上げる事としていましたが、考えるところがありまして、 もう一度最初に戻りまして、『歎異抄』第一章の詳細解説から順を追って、第十章まで勉強し直す事と致しました。私も昨年から今年にかけて、『歎異抄』を勉強させて頂き、そして様々な体験・経験をし、 多少とも歎異抄の読み方/受け取り方も変わって来ているのではないかとも思ってのことでございます。お付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。

   先週の月曜日でしたでしょうか、NHKテレビの『プロフェッショナル』と云う番組で、證大寺 と云う浄土真宗のお寺さんの取り組みが紹介されていました。檀家も少なくなり、 少子化社会の中で、400年間続いて来たお寺を守る為の取り組みとして、 グラフィックデザイナー廣村正彰氏のプロフェッショナルなデザイン力の助けを借りて、寺にお参りに来る人を少しでも多くし、 そして親鸞仏法を広めたいと云う取り組みだとお見受け致しましたが、その中で感銘を受けましたのは、自分にとって親しい亡き人宛てに手紙を書いてお寺に納めて貰う事に依って、證大寺と縁を結んで貰い、また、 仏法との縁を深めて貰いたいと云う願いからの手紙処と云うスペースの設置です。その意図するところは、親しい亡き人に手紙を書くことに依って、 「自分を見詰め直し、自分に出遇う」、つまり、それこそが聞法なのだと云う考え方だと思うのです。

   これまでを振り返ります今、私が無相庵コラムを書いて来ましたのは、亡き母、亡き祖師方、そしてお出会いした多くの先生方へ手紙を書き送る、 すなわち聞法させて頂いていたのではないかと思う次第でございます。何故かと申しますと、書くと云う作業は、考えをまとめる頭の中での作業が必要でございます。まさに、それこそが聞法だと云うことを、 上記の『プロフェッショナル』と云う番組が教えてくれたと思うからでございます。私はこれからもその聞法を続けさせて頂きたいと思いました。皆様も親しい、今は亡き人に、 今思う事を手紙に書き記されては如何でしょうか。

   皆様、良いお年をお迎え下さる事をお祈り致します。

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No.1621  2016.12.22『歎異抄ざっくばらん』詳細解説を一休み

   今年も年末を迎えました。何となく、気忙しい気持ちになり、新しい年を迎えるからなのか、何か心が浮き立つような気分にもなります。 米澤秀雄先生の著書で『歎異抄ざっくばらん』詳細解説の第十章に続いては、『総括』となっていますが、 これまでの詳細解説の内容の繰り返し内容も多いように思いますので、一旦、一休みさせて頂き、これまで、取り上げていない章を取り上げて再開するかどうか、この年末までに考えさせて頂きます。

   まことに勝手ながら、次回の無相庵コラムは12月29日までお休みを頂きます。

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