No.1560  2016.04.28
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第四章』詳細解説―(3)聖人最晩年の苦衷(くちゅう)

●無相庵のはしがき
     今回の内容は、親鸞聖人の悲痛な晩年を知ることになりますから、米沢秀雄先生ご自身も、ショックな事と仰っていますが、 私も、そして無相庵コラム読者様方にもショックな事が書かれています。
     しかし、この娑婆世界、現代の私たち誰に取りましても、安楽な世界では無いと、私は思います。 でも、奥山に引き籠った修行者にしても、生きていくためには、必ず様々な障害があるでしょう。それよりも更に厳しい娑婆世界に身を投じながら、私たち一般衆生が、 心安らかに人生を渡り、生れ甲斐を持ちながら生きて死んで行ける道を、自ら求め続けられた親鸞聖人を偲ばずにはいられません。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第四章』詳細解説―(3)聖人最晩年の苦衷(くちゅう)
     (前回コラムにあった親鸞の書いた一通の手紙の)一番後に「銭二拾貫文たしかにたまわり候」と書いてある。二拾貫と云うのは、今で言うと、60万円か100万円になるらしい。 そう云う金を真仏房が親鸞のところへ送ってくるんやね。当時、一千文(一貫)で米一石(1石=150kg=180リットル=米俵2.5俵)買えると云う時に、 二十貫と云うのは大した金なんです。それを関東から送って来てる。

これは唐木順三氏が書いておられるんやけど、その前に善鸞が父親の親鸞のところへ、銭を五貫文か送ってきた。五貫文と云うと、当時、 一貫文で米が一石買えると云うのやで、五貫文と云うと大した金額です。それを善鸞が父親のところへ、関東から送って来てるんで、それでこれは、 この人は書いておらんけど、私の邪推ですよ、善鸞は関東へ行って、「自分は父親からある晩、誰にも教えておらんことを聴いた」と。 そして関東の元の親鸞の弟子たちを惑わしたわけやね。それで真仏房も善鸞の言うた事を聞いて、善鸞が金五貫文送ったなら、自分はもっと奮発してその四倍、 二十貫文送ったら、親鸞は本当のことを、つまり、息子に教えたような、当時は口伝と言うんやけど、人に教えんことを自分にも教えてくれるかと思うて、 銭二十貫文送ったんでないかと思うんやね。善鸞が五貫文送ったなら、自分はその四倍送ろう、そしたら内緒で他の弟子に教えん事を教えてくれるかと思うて、送ったんでしょうが、親鸞は非常に憤慨した。 で、その時分は、善鸞がどう云うことを言うて惑わしてるかちゅうことが分からなんだ。だんだん関東から手紙が来ると、善鸞がどうもおかしいと云うので、 ついに善鸞を勘当することに踏み切ったわけでしょう。こう云うところで、親鸞は晩年非常に悲痛であったろうと思う。自分の息子さえ教育出来んと云うことで、 親鸞の「自信教人信(じしんきょうにんしん;自らが信じることで、人にも信じせしめることが出来ると云うこと)」のことも疑われる、と云うことです。 私がショックを受けたのは、銭二十貫文、今で言う60万円から100万円ほどの金を送る位な弟子を、関東で持っておったと云うことです。この真仏房と云うのは、 平国香(たいらのくにか;平安時代の武将)と云う、中学の時に歴史にも出てきた人物ですけど、それの子孫らしいので、その地方の豪族であったと云うことを、 唐木順三氏が書いています。豪族やったからそれ位の金の調達は出来たんでしょう。

     ところが、親鸞が晩年90歳で、11月28日亡くなるんですけれども、その16日前、11月12日に、 関東の弟子たちへ手紙を出しておる。その手紙は、もう自分は体が弱ってきたから自分は死ぬ、自分が生きてる間は関東から金を送ってきて、 関東の仕送りで親鸞は生きていくことが出来た。家族も養うことが出来た。しかし、自分が死ぬと関東からの送金が途絶える心配がある。それはそうや。 親鸞が生きていればこそ、あの親鸞が丁寧な返事をくれるもんやから、親鸞を尊敬して金を送ってくるでしょうけれど、亡くなってしまうと、 その娘や子供のところへ金を送ってくるか、疑問です。親鸞は心配で、自分は土地や財産は何もないんやと、こう云うことを手紙の中に書いておる。 それで娘たちの事を頼むと関東の弟子たちに依頼しておる。

     そう云うことは現代のお寺では考えられんことやと思う。現代のお寺さんでも死ぬことはあるけれども、 門徒がついておるで大丈夫やと云うもので、子どもが困るんでないかと云う心配はせんと私は思う。ところが親鸞はそう云うものが無く、 関東からの仕送りで生活しておったんでしょう。子供たちに仕送りが来ないようになるとどうなるやろと思って、死を前にして悲痛な心配をしたと云うことは、 大したことやと思うんです。ところが、今読みましたように、「慈悲に聖道・浄土のかわり目あり」と、聖道の慈悲はどんなに可哀そうと思ってもあかん、と。 念仏して仏になって、思うが如く助けるべきやと、こう『歎異抄』に言うとる。 本当なら、関東の弟子たちに息子や娘のことを頼むと云うのは、大きな矛盾でないかと。そうすると親鸞は仏の位になっておらん、と云うことになるんじゃないかと思うんですね。そうすると、親鸞の『歎異抄』に語られてることは、建前表向きであって、裏は違うと云うように推察されても仕方がないじゃないかと、私は思うんですね。

     『歎異抄』に付いて語るなら、こんな事を言う必要はないんやけども、親鸞は晩年気が弱くなって、 関東の弟子たちに息子や娘の事を頼まねばならん。しかし娘や息子のことを、関東の弟子たちで心配してくれるかどうかと云うことは、確信がない。 どうか宜しく頼むと繰り返し述べているところに、親鸞の悲痛な晩年があると思うんですね。こう云うことは『御伝鈔』なんかには書いてない。 『御伝鈔』に書いてないことを序に言うと、私はかねがね、親鸞は「本尊」に付いてどう考えておったんやろと思うて、4、5年前と思いますが、 京都の大谷専修学院に引っ張られた時に、そこの主事をしている人に親鸞の書かれたものに「本尊」と云う語があるかなと聞いた。そしたら、 親鸞の言葉の辞典が出来てるんやね。その辞典を持って来て、「ほ」のところを見たら、本尊と云うのは出て来んのや。 本尊と云うことを言い出したのは三代目の覚如からです。本願寺の組織造りを始めた覚如から本尊を言い出して、本尊を下付(かふ)すると、 今でもそれは続いとる。本山から本尊を下付する、受け取ると云うことが続いとる。それは覚如から始まったと云うことで、 親鸞は本尊と云う言葉も使っておらんと云う事が大事なことやと思う。後になるほど親鸞の言うた事と違う事を、本山ならびに末寺がやってると云うことですね。

     私は、現在門徒があることが悪いと言う訳ではない。これは徳川時代に出来たので、その名残りが今日まで続いてる訳です。 お寺さんも霞を食って生きてるんでないから、門徒のお布施に依って生きるのは、止むを得んと思う。それが悪いとなると、親鸞のように本願の念仏を伝えるだけで、 生きなければならん。つまり、布教だけで生きねばならん。布施だけで生きられる人が、どれだけあるかちゅう問題です。 ですから、門徒の家へ行って、月忌(がっき;月命日)参りと云うのがあります。これは次の章「父母孝養のためいっぺんも念仏せん」と云うのに引っかかってくるやろ。 先祖供養です。先祖供養と云うことは日本の民間信仰と云うのか先祖を大切にする。悪いことではない。ただこれは釈尊の教えでもないし、親鸞の教えでもない。 親鸞の教えでもないと云う証拠には、父母孝養のためいっぺんも念仏せん。父母孝養のためいっぺんも念仏せんのやったら、 先祖供養のために念仏せんのも当然ではないかと思う。しかし、そう云うことを現代のお寺でやって、生活してる。これは矛盾です。 矛盾であることを知っておらねばいかん。

●無相庵のあとがき
     仏法を信仰する者の生活は、仏法の応用問題だと米沢秀雄先生は常々仰っています。
     しかし一方で、宗教と生活は違うと云う考えさえあります。否、特に親鸞仏法に我が人生を問う人々の中には、私を含めて、 信仰と日常生活の不一致に悩まれる方も数多くいらっしゃるのではないかと思われます。 信心を得たら、深い信仰に至ったなら、日常生活は応用問題として楽々と過ごして行ける等と考えている方も多いのではないでしょうか? 私は、それは錯誤だと思うようになりました。算数・数学でも、公式、定理を覚えましても、すべての応用問題を解ける訳ではありません。 様々な応用問題に取り組んで、公式と定理を統合して、問題を解決する経験が必要です。 仏法も同じだと思います。否、算数・数学よりも、難解です。その応用問題を解く教師が、現在の仏法の世界には居ないと、米沢秀雄先生が嘆いて居られるのが、 今回ご紹介した詳細解説のもっとも大事な点だと思います。

なむあみだぶつ


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No.1559  2016.04.25
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第四章』詳細解説―(2)真仏房への手紙

●無相庵のはしがき
     歎異鈔第四章の『浄土の慈悲といふは、念佛して、いそぎ佛になりて、大慈大悲心をもて、おもふがごとく、 衆生を利益するをいふべきなり。』と云う部分の意味を、念仏がなかなか口に出なかった私には永らく分かりませんでしたが、 今回の米沢秀雄先生のご解説の中でその考え方が明確に書かれてありましたので、漸く納得出来ました。
     もちろん、今の私が納得致したのは、「やはり、親鸞聖人が求められ、私共に説き勧められた本願他力の道でしか、 救われないのだなぁ・・・」と云う納得でありますが、読者の皆様もお読み頂ければお分かりになられると思います。敢えて、その答えをここでは申し上げませんので、 その回答をお探し頂きたいと思います。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第四章』詳細解説―(2)真仏房への手紙
     「自信教人信」これが真宗の面目と云うことを教えられながら、お経を読むと云うことは旧仏教の自力のやり方や。 話はヨコの方に行ってしまうけど、日本民族に言霊(ことだま)信仰と云うのがあって、言葉と云うのは人への霊力を持っていると云う信仰があるんですね。 私は若い時に謡(うたい)を習ったので少し知ってるのやけど、謡の中に亡霊が出てきて、それに対して坊さんがお経を上げると、 亡霊が成仏すると云う筋がよく出てくるんや。その亡霊が、「あらありがたの御経やなあ」とこういう。お経を読んでもろうて幽霊が成仏すると、 こういう筋書きが謡にたくさんあるんです。そう云うことがあると云うことは、一般の民衆が、お経をあげると成仏出来ると云うことを、信じておった訳や。 それに親鸞も叡山に長いことおったから、そう云うお経のあげ方も、若い時にやっておったに違いない。法然の門下になって、 本願の念仏以外に人間の助かる道は無いんだと確信しておったにもかかわらず、あまり一般庶民が困っているのを見ると、昔の癖が出てきて、 お経をあげてその功徳によって衆生利益を考えたわけや。

     お経あげた功徳で、成仏出来るんですかね。私ははなはだ疑問に思うのや。一昨年、新潟市に引っ張られた時に、 お茶の接待に出た人が、大谷大学の仏教学科におると言うたんで、そんならあんたに言うとくけど、お経と云うのは釈尊が生きてる人に話をしたんや。 その生きとる人に話をしたのが、記録に残ってお経になってる。そのお経を死んだ人に上げて、どうして功徳になるんや、と。 生きてる者が聞かねばならんのやと言うたんや。と、お寺さんこう言うんや、参ってる人に聞かすと。参ってる人に分かるかな。漢文で読んだって分かりはせんがね。

     だから、お経を上げる功徳によって成仏すると云うのは、日本の民間信仰、言霊信仰、言葉に霊力がある、お経に霊力がある。 もっと甚だしいのに至っては、これはどうやろ、大般若経の転読と云うのがあるんや。大般若経と云うのは大部なものらしい、知らんけど。 そのお経の風に当たるだけでも功徳があると言われる。どんな功徳があるのか知らんけど、そう云うことは旧仏教の考え方であって、 昔の民衆はそれでも有難いと思ったんでしょう。それでも有難いと思う癖が、今でも我々の中に生き続けていると思うんです。

     そう云うことを否定したと云うところに、親鸞があるんですけども、親鸞の浄土真宗と云うものも、 昔の旧仏教に立ち帰ってしまっておる現状であると言えるんです。
     私は、地獄大菩薩と云うのは自分の足で自分の今おかれた境遇を引き受けて、工夫してそれを生き抜いていく。 そうするとその力と云うものは、自分の体験の中に残っておりますので、次に逆境に会うても、その逆境を切り開いて行く自信が生まれる。そう云うことこそ、 本当の救いと云うものであろう。だから、実業家が、地獄大菩薩と云う言葉を読んで感得したと云うことは、素晴らしいことであると、私は思うんてすね。
     聖道の慈悲と云うのは、金に困ってる人には金を貸してやる。ところが浄土の慈悲と云うのは、金貸さんのや。非常に不人情なようだけど、 金貸すと云うと、癖になると云うことがあって、また困ったら助けて貰えばいいわと云うことになっていかん。そう云うところでは助けぬと云うのが、 本当の慈悲であると云うこと。

     「いそぎ仏になる」と云うのは、「いそぎ仏になりて、――おもうがごとく――存知のごとくたすけがたければ――しかれば、 念仏申すのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべき」。何故、念仏申すことが大慈悲か。自分にそう云う人を助ける能力があるかどうか、 そう云うことがはっきり分かると云うことは、はっきり他力の信心に徹することである。自分が金貸して人を助けることが出来ると思うのは、これこそ自力で、 自分に自信があるわけで、そう云う自信が喪失せしめられると云うところに、他力の信心と云うものがあるんだろう。不人情のように思われるかも知らんけど、 それが結局は本人のためにもなると、こう云うことであろうと思うんですね。

     これはもう亡くなりましたけど、唐木順三と云う、京都大学の哲学科を出た方だと思う。西田幾多郎の教えを受けた人やと思う。 これが文芸評論家と言うのか、中世の文学を研究しておったんやけど、だんだんさかのぼってきたようです。その人が出した本の中に、非常に面白い説が載っておった。
     「親鸞の一通の手紙」と云う題で書いてある。これを読んで私は、少なからずショックを受けたわけであります。それは、 私は親鸞と云う人は、越後から関東へ来て、一般庶民――私がいつも申すように石瓦(かわら)つぶてのごとくなる我ら、そう云う農民とか猟師・漁師とか、 そう云うその当時の下層階級と言われた人を友だちとして、その人に本願の念仏を伝えておられたと、こう思っておったんです。
     それが、これ読むと私のアテが外れたと云うことがある。ここに一通の手紙があげてあるのは、 『末灯鈔(まっとうしょう;(親鸞の書簡集)』の中にも出て来るんです。読んでみますと、

      他力の中には自力と申すことは候と聞き候いき。他力の中にまた他力を申すことは聞き候わず。他力の中には自力と申すことは、
    雑行・雑修・定心念仏をこころに懸けられて候人々は、他力の中の自力の人々なり。他力の中にまた他力を申すことは承り候わず。
    何事も専信房のしばらくも居たらんと候えば、そのとき申し候べし。あなかしこあなかしこ。
    銭二拾貫文たしかにたまわり候、あなかしこあなかしこ。十一月二十五日。親鸞。

と、日付だけで年は書いてないんで、年を詮索してるわけで、これは善鸞(ぜんらん;親鸞の長男)の問題が起こった時分、親鸞が84歳の頃に書いた手紙で、 宛先は真仏房と云う人。この人は、高田の専修寺の開山が親鸞聖人、二代目は真仏房、三代目が顕智と云うことになっておる。顕智と云うのが、 真仏房の娘婿だと云うことが、この中に書いてありました。この真仏房にあてた手紙なんや。

      服部之総と云う人が『親鸞ノート』と云う、親鸞について書いてるものに、この手紙は、親鸞が非常に不機嫌であると云う事が、その手紙でうかがわれるちゅうんや。 「他力の中には自力と申すことは候と聞き候いき。他力の中にまた他力を申すことは聞き候わず。他力の中には自力と申すことは、 雑行・雑修・定心念仏をこころに懸けられて候人々は、他力の中の自力の人々なり。他力の中にまた他力を申すことは承り候わず。 何事も専信房」――彼がうちにしばらく来るで、それによく言うとくから、それに聞いとくれと言って、関東の真仏房にあてた手紙です。

     これは何故かと言うと、善鸞が関東へ行って、他力の中の他力と言うたんや。それを親鸞から聞いたと。他力の中の他力。 他力の中の自力と云うことは法然から聞いたことがあるけど、他力の中の他力と云うことは聞いたことがない。それで親鸞は不機嫌になって、真仏房と云うのは、 関東で親鸞が教えた人の中では、高弟に類する人でしょう。そう云う人が、わしが一所懸命教えたことが何故分かってくれんか、と云う憤慨の心から、 こう云う手紙を書いたので、不機嫌に思われると。

●無相庵のあとがき
     今回の歎異抄第四章の詳細解説は、『真仏房への手紙』となっておりますが、『真仏房への手紙』に関しましては、 ご解説の後半に述べられております。そして、『真仏房への手紙』を取り上げられましたのは、次回引用の『聖人最晩年の苦衷(くちゅう;苦しい心の中)』で、 最晩年の親鸞聖人が生活面では決して平穏無事な生活ではなかった現実を私たちに知らせるためであり、そして、それに引き替え現代の浄土真宗のお寺さんは、 生活の為とは言え、仏法を説く本分からあまりにもかけ離れた現状を憂えられての米沢秀雄先生のご発言ではなかろうかと感じている次第であります。

翻って私自身の有り方はどうだろうかと、自分に眼を向けます時、親鸞聖人に恥じ入る現状ではないかと思います。でも、 やはり生き抜いていく為には生活も大切だとも思います。生活の為に悪戦苦闘する中で、自己の煩悩と向き合いながら、その都度、 仏法に導かれて行きたい、そう云う思いで、このコラムを続けている私であります。

なむあみだぶつ

追記:
今日、4月25日は、私の長女(大谷公子;昭和12年4月25日、小学1年生に上がりたてに病で急逝)の78回目の命日でございます(私は未だ生まれていませんでした)。 私の母が仏法に自分の有り方を聴く生活を始めた日でもあります。それは現在の私に繋がっているのですが、母は、 昭和56年の4月25日付けで、真宗聖典を私に残してくれました(裏表紙に、認められています)。 娘を亡くして44年経っても、生活の為(3人の幼子を抱えながら、教師として勤めに出ていました)に長女を失った 自分を見つめ直していたのかも知れないと思うことでございます(一方で長女を善知識として拝んでいたものと存じます)。

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No.1558  2016.04.21
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第四章』詳細解説―(1)南無地獄大菩薩

●無相庵のはしがき
     歎異抄第四章、私はなかなか理解出来なかったですね。原文の『聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。 しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。浄土の慈悲といふは、念佛して、いそぎ佛になりて、大慈大悲心をもて、おもふがごとく、 衆生を利益するをいふべきなり。』の、特に、「浄土の慈悲といふは、念佛して、いそぎ佛になりて、大慈大悲心をもて、おもふがごとく、衆生を利益するをいふべきなり。」 と云うことが、念仏を称えられなかった私には、「念仏して、仏になって、思うが如く、迷える衆生を助けられる」なんて事、受け容れられなかったんです。 私たち一般普通人間(政治家も宗教家も含めて)の慈悲は、末(すえ)通らない事は事実です。震災現場でボランティア活動する方々には頭が下がりますが、 ボランティアも生身の人間です、限界は当然有りましょうし、また、末通った援助を求めるべきでもないでしょう。そこのところこそ、 国民の支払う税金で生活をしている政治家と自治体の公務員の仕事であり役割だと思いますが、どうも、末通った慈悲心からはほど遠いものを感じざるを得ません。 末通った慈悲心とは何かを教えて頂ける、下記、米沢秀雄先生の詳細解説でございます。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第四章』詳細解説―(1)南無地獄大菩薩
     今日は、『歎異抄』の第四章です。普通の解説はほかの『歎異抄』の解説に譲りまして、自分勝手なことを言わして頂こうと思う。
「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」と云うのを、今度、大谷大学の学長になられた広瀬杲さんが、普通は聖道の慈悲と浄土の慈悲と違いがあると、 こう云うふうに解釈するんですけれども、あの方は初めは聖道の慈悲をやってるうちに、行き詰って浄土の慈悲に変わると云う変わり目、理論的な変わりでなしに、 体験的に行き詰って変わると云うことを、広瀬さんが言うております。これは非常に面白いと思う。

     実は、岐阜へ行った時かな。第四章の聖道の慈悲と浄土の慈悲のことを聞かれた時に、自分の経験を話したんです。それは私、 医者をやってるでしょう。鍼灸医(しんきゅうい)と云うお医者があります。鍼(はり)や灸(きゅう)をしたり、マッサージ。 私は鍼灸医学についても漢方医学についても、若い時から関心をもっておったもんで、鍼灸医会の顧問ちゅうかいな、それにさせられたんですわ。 ところが健康保険法と云うのがありましてね。健康保険法では、鍼灸医の治療は対象外になってるんや。ただし、医者の同意があれば、 鍼灸医の治療を健康保険で受けることが出来ると、こう云うふうになってる。

     そこで注釈しておかねばならんのは、医者が西洋医学の治療をやって、これでもうあかん、鍼灸医の治療の方がいいと医者が認めた時に、 同意書と云うのを書くことになっとる。患者さんは鍼灸の治療が受けたくて、鍼灸医のところへ行くのや。極端なこと言うと、患者は医者を選ぶことが出来る。 ところが医者は患者を選ぶことが出来ん。これが医学の悩み。わしの嫌いな患者さんておるやろ。医者はお前は来てくれるなとは言われんのや。患者は医者を選ぶ。 あそこへ行くとか、ここの医者があかんとなったら、別の医者へ行くとか、患者は医者を選ぶことが出来るけれども、医者は患者を選ぶことが出来んことになってる。 こう云うのはちょっとおかしいのでないかと、私は思うんやけど、民主主義の医療と云うのは、そう云うふうになっとるんや。

     患者さんは鍼灸の治療やりたくてそこへ行くんやけど、健康保険では受けられん。自費でやると相当高くつくやろ。 それで健康保険を利用したいと云う考えを持つわけや。ところが医者の同意が無いと受けられんわけや。鍼灸医から頼まれて同意してやってくれんかと云うことで、 自分がこう云う治療を受けたいと言って受けられると云うのが、民主主義の医療やと私は思うとるのや。それで、同意してあげます。ところがさっき言ったように、 医者がずっと見ておって、現代医学でもうあかんと分かった時に、鍼灸医に渡すことになってる。患者さんが自分で鍼灸の治療を受けたいと言うのに。 受けさせんと云うのは間違いと云う考えをもって、さかんに私は同意したわけや、保険きくからと。

     私は明らかに健康保険法に違反している。健康保険法に違反しとると、健康保険医としての資格を抹殺されてしまうんです。 それで私は保険課に呼ばれて、やられるのやね。健康保険医の資格を取り上げられると、ちょっと困る。自由診療になると、たださえ治すことの出来ん医者のところへ、 自由診療で高い医療費払うて、治らんと云うことになると誰も来ん。で、これから同意をしませんと云う約束をして、鍼灸医の人たちに謝って、まあ、 わしは同意し過ぎたんで怒られた。

     つまり私は聖道の慈悲をやったわけや。患者さんの都合を考え、この方がいいと思うてやっておったんやけど、引っかかるんや、 法律に引っかかる。だから健康保険法を改正せん限りは、私の考えが間違うておらんでもあかんのや。悪法でも法に従わねばならんと云う決まりになっとるんやで、 私は同意を止めてしもうた。聖道の慈悲と云うのは続かんのや。自分でそう云う経験をしてるので、聖道の慈悲は行き詰ると、こう云うことを思うとる。

     で、聖道の慈悲と浄土の慈悲と云うのは、どう云うふうに違うか、違い目ですけど、その面白い例があるんや。それはね、柴山全慶、 禅宗のお寺さんで、もう亡くなりましたけど、京都の南禅寺の管長をやっておった人や。柴山全慶さんの本に書いてあったんやね。それは、大阪の実業家が、 商売がまずくなって、負債を負うたんかな。それでその、借金払いをせんならん。それで大阪の同じ実業家で、俳句の仲間であると云う、それだけの縁を頼って、 金借りに行くわけやね。電話して、ちょっとお会いしたいことあるんで、ご都合のいい時に会うてくれと頼むわけや。

     そうすると、先方の実業家が、何日何時に来なさいと言うたんやね。そうして訪ねて行ったわけや。すると茶室へ案内されたちゅうんや。 茶室へ案内されて待っているけど、なかなか主人が出てこんのやね。何気なく床の間を見ておったら、茶室やと、たいていは禅宗のお寺さんの書いた軸がかかってるんや。 それが白隠禅師の字でね。南無地獄大菩薩と書いてあった。面白い。我々は南無阿弥陀仏と云うのは聞いたことあるけど、南無地獄大菩薩と云うのは聞いたことないな。 それでその金借りに行った実業家が、それをずっと見て考えておったんやろね。

     それでだいぶ時間が経ってから俳句の仲間の実業家が姿をあらわした。そしてご相談は何ですかと聞いたところが、 実は金借りようと思って来たんやけど、この軸を見ておったら、金を借りる意思がなくなった、と。南無地獄大菩薩、自分はこの地獄の中で生き抜くべきやと、 こう言うたんや。そしたらその実業家が、それじゃこの軸をあなたに上げましょうと言うたんやと。その人は、この軸によって私が助かったように、 この軸を見て助かる人があるやろから、やっぱりお宅に置いた方がよかろうと言うたちゅう。

     これが『歎異抄』で言うと、浄土の慈悲なんや。つまり、金を貸す、そうすると一時は立ち直るかも知らんけれども、 南無地獄をくぐり抜けたのと、金を借りて助かったのとは違うんやね。だから、浄土の慈悲と云うのは、自分の足で立たしめる。聖道の慈悲と云うのは、 困ったら直ぐ助けてやる。それを聖道の慈悲と言うんです。

     親鸞も聖道の慈悲の行き詰まりを経験しています。ご承知のように、越後から関東へ行く途中で、鎌倉時代ですから戦乱が相次ぐし、 疫病やら災害があるし、そう云うところで困ってる庶民の人たちを親鸞が見たわけや。しかし、親鸞は無力で、何も助ける手がないんや。せめて、何というか、 その時親鸞が考えたのは、『大無量寿経』を千遍読んで、その功徳にょって、衆生を助けたいと、こう云うことを発願と言うらしいけど、そう云うことをやったんやけど、 三日目に止めたと言う。

●無相庵のあとがき
     私は、私自身のこれまでの人生を振り返った時、どんな場面でも、色々な仕事をしていた時も、 他の人の末(すえ)を思い遣っての役割(責任)を果たして来たことが無かったなあ、と、情けない思いに駆られているところでございます。 そう云うどうしようもない自己に出遇えての懺悔の念仏と、出遇えた感謝の念仏が自然に出て来ることが、浄土の慈悲を生ましめると云うことでしょうか?

なむあみだぶつ


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No.1557  2016.04.18
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第四章』詳細解説―原文紹介

●無相庵のはしがき
     『歎異抄第四章』は、以前なかなか私の心にすんなりと入って来ませんでした。今では、自力に頼る凡夫だからだとは思ってはいますが、 この第四章を仏教に馴染みのない方々から、疑問をぶつけられた時、納得して貰えるご説明は、今も致しかねる私であります。
     以前、このコラムにて、歎異抄の内容を先師方のご解釈をお借りしてご紹介しております。それは、コラム一覧からご覧頂けますが、 いずれも、私が未だ米沢秀雄先生のご著書『歎異抄ざっくばらん』にお出遇いする前のことであります。今回、米沢秀雄先生先生の指導をお受け出来ること、 有難く思っています。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第四章』詳細解説―原文紹介
     慈悲に聖道、浄土のかはりめあり。
聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。
しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。
浄土の慈悲といふは、念佛して、いそぎ佛になりて、大慈大悲心をもて、おもふがごとく、衆生を利益するをいふべきなり。
今生にいかに、いとをし不便(ふびん)とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
しかれば、念佛まふすのみぞ、すえとをりたる大慈悲心にてさふらうべき、と。云々。

●無相庵のあとがき
     米沢秀雄先生も、詳細解説の初め【(1)南無地獄大菩薩】に「普通の解説は他の『歎異抄』の解説に譲りまして、 自分勝手なことを言わして頂こうと思う」と述べておられます。〝ざっくばらんな〟ご説明を期待しております。

なむあみだぶつ


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No.1556  2016.04.14
(続)ホセ・ムヒカ前ウルグワイ大統領のスピーチ

     ホセ・ムヒカ前ウルグワイ大統領は、今月5日に来日され、一昨日日本を発たれたようです。
5月7日には東京外大で講演されました。
講演内容は、日本が自国のルーツを忘れている、日本の人々は幸せなのか、日本は今のままでよいのかどうか、といった内容です。 また、世界で最も工業化され、消費主義が蔓延している日本の姿が、世界の未来を映しているとも仰っていました。

     その模様が、関テレの〝Mr.サンデー〟と云う番組で紹介されていましたが、講堂は満席で、入れなかった人々は、小雨降る中、 外に設けられた大型テレビで視聴していました。日本人の耳には痛い講演でしたが、最後まで、立ち去る人が居なかったことに、私は、 未だ日本人も捨てたものではないと、少し安堵致しました。

     私は、ホセ・ムヒカ前ウルグワイ大統領が常に仰っていた『幸せ』とは、何を以って幸せと考えておられるのか、考えました。
消費することを幸せとは考えていらっしゃらないことは確かです、お金を沢山持つ事でもない事も分かりますが、具体的、 端的にどう云うことなのかを表現することは難しいです。
     多分、前大統領の幸せとは、「自分が幸せであることは本当の幸せではなく、自分の幸せが他の人々にとっても幸せであることが、 自分にとっての幸せである」、と云うことではないかと思われます。そう云う価値観を持たれて常に行動されますから、自分をどう評価されようとも気にならず、 常に堂々とされていて、恐いものは何もないと云う、親鸞仏法で言うところの『無碍の一道(むげのいちどう)』を歩まれているのだと思う次第です。


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No.1555  2016.04.11
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(9)ありがとうないのも悔まぬ

●無相庵のはしがき
     仏法を求めると、全てに感謝出来ないといけないとか、煩悩が外に表れてはいけないとか、他の人から見て、 善い人でないといけないと云う思いに囚われるものだと思います。それは如何なものであろうかと云うことが、今回のテーマだと思います。 有難く思われないのに、有難がることは無いと云うことを「ありがとうないのも悔まぬ」と米沢秀雄先生は表題にされたものと思われます。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(9)ありがとうないのも悔まぬ
     だから真宗と云うのは、ちゃんと伝承と云うのがあって、伝承と云うのを大切にするけど、それが逆に善知識と云うことを 絶対的なものとして振り回すくせも、真宗にはままありますね。善知識でないと信心が得られんと、善知識を振りまわす人があるようです。
自分を善知識やと名のったら、これはあやしいのや。邪見驕慢の悪衆生。親鸞の教えを遵奉してると言うけど、親鸞の教えが分かっておらんということが、 そこで暴露しておるのでないかと思うんですね。伝承と己証(こしょう;仏教の宗祖がその宗義について独自に悟った道)と言います。 親鸞さまは七高僧の伝承を受けておられるけれども、己証、自分の、独自なものを親鸞さまは持っておられる。ところが、毎回問題にしている増谷さんが、 この『歎異抄』の中で親鸞の己証と云うのは身証であると、こう言うている。身で証明している。法然は教証と言うて、問題が起こると、経典にはこうある、 善導大師はこう言われたちゅうて、教えによって証明する。これを教証と言う。文証とも言う。経文によって証明するのを、文証とも言います。 ところが親鸞さまは、身証、からだで証明しておる。

     増谷さんが、例に上げてるのは第九章です。唯円房が、念仏すると踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)の心が起こる、と経典に書いてある。 『大無量寿経』に書いてある。「踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと」どうしてやろ――自分はちっともうれしくもないし、急いで浄土に生まれたいとも思わんが、 どうしてやろと、こういうことを唯円が聞くと、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房同じこころにてありけり」。――自分もそう思うとる。あなたも同じ気持ちやな、 自分もうれしくもないし、急ぎ浄土に生まれたいとも思わん、で、あなたと同じや、と。 そのあとが違うわけね。煩悩具足の凡夫のための本願やから、うれしくもないし、浄土に生まれとうないのは煩悩の所為やで、そう云う者を目当ての本願やから、いよいよ、 自分が助かること間違いがないと、こう云うことを思うべきやと親鸞が言うとる。法然ならばここに経文を持ってくるけど、経文を持って来ずに、 自分の体験を述べておるから、己証と云うのは身証やと増谷さんは言うておるんですね。 これは己証の取扱いを増谷さんはそう云うふうに採ってるけども、己証と云うのは必ずしも身証でないわけです。親鸞には確かに身証があることに間違いはない。 と言うのは、信仰上、途中には落とし穴と云うのがいくつかあって、親鸞も自分で落とし穴に落ちてみて、そこから這い上がってきて、 自分はこう云うふうに這い上がってきた、と同じ疑問を持った者に言うことが出来る。そう云うことが親鸞のいいところ、優れたところやと思う。

     信仰上で落ちる落とし穴と云うのは、皆経験するんや。踊躍歓喜の心おろそかに候、と、これも皆落ちるんや。落ちる場所に自分も落ちて、 そこから這い上がってきて、自分はこう云うふうに這い上がってきた。そう云うことを親鸞が後に来る者に教えることが出来たと云うことが、大切なことやと思う。

     今、踊躍歓喜の心おろそかに候、と言うとって思い出したのは、浅原才市の歌ですね。 浅原才市と云うのはご承知のように、妙好人と言われた人で、宗教詩と言うか、色んな詩を残しておって、鈴木大拙さんをも感心させたんですけど、 浅原才市の残した歌の中で、私が一番いいと思うのは、

  ありがたいときゃありがたい
  ありがとないときゃありがとない
  ありがとうないのをくやむでない

     この詩が一番いいと思う。うれしくもない、ありがとうもない。踊躍歓喜の心おろそかなり。しかし、ありがとうないのを悔やむでない。 唯円はそれを悔やんだところから、どうしたらいいかと親鸞に聞いたんでしょうが、浅原才市は、うれしくもない、ありがとうもない、ありかとうないのを悔やむでもない。 そう云うところに金剛の信を得ておる証拠が出ておる。こう云うところが非常にいいと思うんです。

     私は、浅原才市でもう一ついいなぁと思うのは、昔、舟大工しておって、その時分に道楽三昧だったんでしょう。 それが発心して聞法し始めて、妙好人になったわけですけれども浅原才市は晩年は下駄職人で、下駄作りをやっておったんや。その時分の信仰上の友だちやろね。 お寺参りの友だちに自分の作った下駄を、新聞紙に包んで奥さんに内緒でやったと云うところが、非常にいいと思うんや。やっぱり奥さんに遠慮しているところがある。 そう云うところが浅原才市のいいところやと思うんやね。自分の信仰上の友だちに堂々としてやるのでなくて、奥さんに遠慮しながらやると云うところがいいところやと思う。 浅原才市の今申した歌や。こう云うこと言えると云うのは、大したことやと思うんですね。大抵は、ありがたい、ありがたいと言いたいところや。 ありがたいばかり言うてる人は、ありがた屋さんと、こう言うんや。あまりありがた屋さんと云うのはいいことでないのや。これは上べだけ、見せかけだけであって、 浅原才市はズバリ、ありがとうないのを悔やむでもない。ありがとうない時はあるんやで。ありがたくない時がある、その時これではならんとは思わんのや。 それを悔やまんと云うところが金剛の信と言うのかな。

     これはいつも私が申し上げるんですが、親鸞が、虚仮不実の我が身で、清浄の心もさらにないと、 こう云うことを晩年になって告白している。親鸞が阿弥陀仏を、本願を信じてるのでなくて、本願から、阿弥陀仏から捉(つか)まえられている自分である、 仏から信じられている自分であると云うことを、親鸞がはっきりと確信しておったればこそ、自分の虚仮不実を告白出来たんだと、 こう云うことが大したことやと思うんですね。皆そんなこと言われんですよ。格好よく見せようと云うのが人間の根性です。その根性を超えているところが、 親鸞の非常に素晴らしいところやと思う。

     胃ガンで余命いくらでもないと医師から宣告された姑(しゅうとめ)さんを看病していて、「もうしばらくの辛抱ですから、嬉しいです。 看病していて、思い起こすのは、このお姑さんから苛(いじ)められたことばかりです」と、寺の副住職に告白したお嫁さんの話をご紹介しましたが、このお嫁さんが、 「病院に来て初めて、親鸞聖人にお会いできました」と述懐したと言う。 これは大したことですよ。これは親鸞と全く同じ。そのお姑さんを看病しているお嫁さんが親鸞と同じやと言うと、親鸞に対して失礼やと思われるかも知らんけど、 遠慮することはない。信心の世界では皆平等ですから。虚仮不実の我が身にてと告白したように、その嫁さんが自分の思うた通りの事を言えると云うことは、 これは仏から信じられてると云うことを嫁さんが確信しているからこそであると、こう思う。 私はその話を聞いて、その嫁さんは真心からお姑さんの看病をしておったと思う。真心から看病しながらも、自分の心を内観すると、 こう云う心があると云うことを悲しんでおったと、こう思うんですね。そう云うところで、親鸞の教えと云うものが、如何に人間の現実、実際と言うか、 そういうものを見抜いているか。鋭い眼(まなこ)で人間を見た教えか、それは人間の眼(まなこ)でなくて、仏の智慧の眼(まなこ)から見られた人間、 自分と云うものを、親鸞が曝(さら)け出すことが出来たということです。親鸞が自分で仏を信ずると云うそんなもんでない。自分が仏を信じるのだったら、 信じない時もあるのやで、忙しい時には、それどころでない。そう云う目に我々は再々会うけれども、仏から信じられている身でそう云うことになると、 別にナンマンダブ称えねばならんとか、称えんでいいとか云うものが何もない。 行くところ可ならざるはない。これを自在身(じざいしん)という。仏法と云うのは我々を自在身にならしめる。格好よくとかそういうものでなくて、 自在身にならしめる。自在身と自由とは違うわけやね。自由とはわがまま、自在身とは行くところ可ならざるはなし。何を言うても何を行っても仏法に適ってる。 それを自在身と、こう言うんだろうと思う。

     仏法の目指すところは皆を自在身たらしめる、自在身を親鸞は無上仏と言われたんであろうと思うんですね。 「誓いのやうは、無上仏にならしめんと誓い給えるなり」、こう云う言葉が「自然法爾章」にありますけれども、一人一人を自在身にしたいと云うのが、 本願のねらいであると言えるのでないかと思うんです。第三章の悪人正機に付いてお話し申し上げる積りが、えらい枝葉のことばかりに渡ったことをお詫びします。

●無相庵のあとがき
     末尾に「仏法の目指すところは皆を自在身たらしめる」と言われております。自在身になるには、仏法を学んで、 善い人になろうと云う考えを持っている限りは果たされないと思います。そんな善き人になれる自分ではないことに目覚めて、初めて、自在身になるのだと思います。 第九章で、親鸞に、念仏を申しても踊躍歓喜の心が湧かないのは何故かと問う場面が描かれています。それには親鸞は自分も同じだと答えられていますが、 親鸞と唯円房の違いは、親鸞は、踊躍歓喜の心が湧く程の自分ではないと、自分自身に期待していないが、唯円房は、そうなれるはずの自分だと、まあ言葉は悪いですが、 思い上っているわけです。
     私たちは、苦悩から救われたいと思って仏法を求めるのだと思いますが、本当のところは、仏法を聞いて、自己の現実と実態に目覚めて、 初めて救われた身になるのだと、あの道元禅師も言われています(「仏道をならふというは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己を忘るるなり、 自己をわするるといふは、 万法 ( まんぽう ) に証せらるるなり」)。仏法の一番肝腎なところだと思います。

なむあみだぶつ


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No.1554  2016.04.07
ホセ・ムヒカ前ウルグワイ大統領のスピーチ

●無相庵のはしがき
     皆さん、ホセ・ムヒカ前ウルグワイ大統領のことはご存知でしたでしょうか。私は、関テレの〝Mr.サンデー〟と云う番組で、 その前大統領の世界的に有名と言われていたらしいスピーチの実録を観て、初めて知りました。私だけが知らなかったのかも知れませんが、 とても感動的なスピーチでしたので、これは是非多くの人に紹介しなければと思い、今回のコラムとなりました。

     ホセ・ムヒカ前ウルグワイ大統領【ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ(José Alberto Mujica Cordano, 1935年5月20日 - )】は、2010年3月1日より2015年2月末まで、 同国の第40代大統領を務めたバスク系ウルグアイ人だそうです。ご紹介するスピーチは、彼が 2012年の国連主催による環境や開発を議題とするリオ会議でのものですが、 仏教の〝少欲知足(しょうよくちそく)〟の考え方そのものを人類全体に訴えたものだと思い、 今の世界を動かす政治家の中にこの様な考え方を持っている人物が居ることに、本当に驚き、感動も致しました。 以下にご紹介出来ますのは、そのスピーチを翻訳して下さった打村明氏のお蔭でございます。

●ホセ・ムヒカ前ウルグワイ大統領のスピーチ
     ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
     私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、 人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

     しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。 午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。 私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

     質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。 息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。 同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか? 可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

     なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。 マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
     私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

     このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
     このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、 政治的な危機問題なのです。

     現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、 人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。 人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

     ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。 消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、 経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

     このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、 10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです! そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。 悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

     石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、 これは政治問題です。

     昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています。
     「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」 これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

     国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。 私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
     根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

     私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、 世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。 こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、 6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、 などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、 幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

     そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。 発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、 そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。

●無相庵のあとがき
     このホセ・ムヒカ前ウルグアイ大統領(80歳)が、昨日(4月5日)来日されたようです。ようですが、マスコミは殆ど報道致しません。 まあ、そう云う現在の日本なんだと残念に思いますが、でも、絵本『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)として2014年に刊行されるや16万部を超えるベストセラーになったそうですから、16万人の人が 彼に共感を覚えてくれたのですから、未だ未だ、望みなきにしも非ず、この灯を消してはいけないと思います。

     スピーチの中に、「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、 いくらあっても満足しない人のことだ」と云う言葉がありますが、これこそ、釈尊が遺された誡めの言葉そのものだと思います。 インド、中国、韓国、日本はその釈尊の開かれた仏教を伝えて来た仲間であります。
     同じく、スピーチの中にある言葉、「私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。 幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。」にある、 無常観と命を最も大切にする考え方を共有出来るのは、世界の中で、中国、韓国、日本のアジアの隣国同士しかありません。

最近、中国の若い人々の間で、『知日』と云う、日本をよく知ろうと云うコンセプトの月刊誌(?)が読まれ始めているそうです。法然上人、親鸞聖人が、 師と仰いでいた曇鸞大師、道綽大師、善導大師の言葉を、民間交流で中国に逆輸出して、共に、人類の幸せな世界実現に貢献出来たらなぁ、と思います。

なむあみだぶつ


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No.1553  2016.04.04
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(8)殺されても当然

●無相庵のはしがき
     今回は、仏法が嫌いで、ナンマンダブは死ぬ時の不吉な言葉で、ナンマンダブは大嫌いやと言うおばあさんが、南無阿弥陀仏を 「はたらきさま」と教えて貰って、仏法が分かったというお話しです。仏法が分かったということは、頭で理解したということではなく、 それまでの生活が、仏法に適った生活に変わったということだと言うのです。仏法が分かるということは、自分の実態が分かることだと、 米沢秀雄先生は私たちに仰りたいのだと思います。
     そのおばあさんが、社会生活、家庭生活をしている中での自分を吟味すると、他の人から恨まれて〝殺されても当然〟の自分だということに気付いて頭が上がらなくなり、 そんな自分が生きていられるのは、「はたらき様」のお蔭さまだと、頭が下がり、仏法が分かったのだと、米沢秀雄先生はお考えになられたのだと思います。
     「はたらき様」と申しますのは、宇宙が出来たのも、地球が生まれたのも、そして、地球上に生命が誕生したのも、そしてその生命が人類まで 進化(?)したのも、私たち人類には説明出来ない何らかの「はたらき」があるからだと親鸞仏法は考え、それを仏様、阿弥陀様と称しますので、尊い力と云ういみで、 〝様〟を付けて「はたらき様」と、どなたが仰ったのだと思います。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(8)殺されても当然
     だから、他力を頼む悪人と言われているのは、自分で努力しても努力しても、うだつが上がらん、そう云う者が、 初めて努力する必要のない世界、本来の世界に出くわすことが出来ることを言うているのでないかと思うですね。 それならば、努力する必要がないならば、これから何もせずブラブラ遊んでいるかと云うと、そうでないですね。これがよく間違えられるところですが、 自分の努力でなくて、蓮如は仏恩(ぶっとん)報謝の念仏と言うとる。仏恩報謝の念仏と云うのは、南無阿弥陀仏と称えているのが仏恩報謝の念仏かと言うに、 私はそんなもんでないと思う。つまり、空気が、太陽が、心臓が働いている、血流が循環しておって、それらが一切我々に恩を着せないじゃないか。空気があっても、 「空気を吸わしてやってるから、お前生きておられるぞ」と言うたことがない。この恩に着せないのを、如来大悲と言うんだろうと思うんです。如来大悲に感激出来ると、 自分のやった小さなことを恩に着せずに済むのでないか。恩に着せずに働くのを、仏恩報謝の念仏と言うのであろう。だからナンマンダブ、ナンマンダブ言うてるのが、 仏恩報謝の念仏ではないと、こう思うんやね。
     話が横道にばっかり行ってるけど、70歳の金持ちのおばあさんが念仏が分かった。 その念仏を分からしたのは実に新しい手法で分からしたと思う。従来の方式と云うのは『歎異抄』を読んで聞かせるとか、仏法の講釈をして聞かせるとか。そうでなしに、 南無阿弥陀仏に「はたらきさま」とかなをふって教えたと言う。それは、仏法が嫌いで、ナンマンダブは死ぬ時の不吉な言葉で、ナンマンダブは大嫌いやと言うおばあさん。 金はうんとあるけれども、1万円札をチリ紙と言うてるやで、チリ紙と言うほど、金はうんとあるんやけど、仏法が嫌いやて言う人に、仏法を伝えると云うのは、 非常に骨やと思う。

     それでナンマンダブが嫌いなもんやから、南無阿弥陀仏に「はたらきさま」とかなをふったちゅう。 〝さま〟と云うのは尊んだことになるわけね。はたらきさまなんてナンマンダブを言い換えたものは、聞いたことがなかろうと思う。そうしたらそのおばあさんが、 書かれたものを何回も読み返して分かったんやね。はたらきさまのお蔭で生きてることが分かると、頭が下がると言われて、初めて分かった、頭が下がった。

     それから面白いのは、そのおばあさんの言う事為す事が、皆仏法に適ってる、と。仏法が嫌いで、 仏法など聞いたことのないおばあさんの言うことが、仏法に適っていると云うことは、非常に面白い。仏法を聞いてる、仏法を語っている者のやることが、 仏法に適ってるかと言うと、これは問題やけど、そのおばあんのように、仏法が嫌いやと言うた者が、仏法が分かったら、大したもんや。ある日、 手つぎ(手次ぎ/手継ぎ;浄土真宗で、本山からの教化を取り次ぐ寺。手次ぎ寺。)のお寺さんがお経あげにやって来たんやて、そしたら、宇宙中が南無阿弥陀仏や、 宇宙中が南無阿弥陀仏の中に生かされて生きておるんやと云うことを教えられたので、そのおばあさんは宇宙中が南無阿弥陀仏やと云うことに非常に感動したんやて。 で、お寺さんに「南無阿弥陀仏でお経あげてくれ」と言うたんやと。お寺さんは何も知らんもんやで、「南無阿弥陀仏なら『和讃』のあとに付いてるで、 よう聞いていてくれ」と言うたという。南無阿弥陀仏は和讃の後に付いてるで、よう聞いてくれ。そのお寺さんがまた自慢したんやな。うちには経蔵があるで、 それは「法」や。それから本堂があって、阿弥陀さんがある。それから庫裡(くり;僧侶の居住する場所)もある。仏法僧三つ揃ってると、威張ったんやと。 そしたら70歳のおばあさんが、もう一つおさえんならんものがある、と。お寺さんが何やと聞くと、自分自身をおさえにゃあかん、と。 これにはお寺さんも参った。そんな事言えますかね、仏法知らんもんが。自分自身をおさえにゃならん、そう云うことが分かったちゅうことは、大したことやと思う。

     それが、巨万の富を積むからには、あこぎなことをやったこともあるに違いない。自分が無茶苦茶したい放題したのも、 南無阿弥陀仏の中と知らされると、手も足も出んと、そのおばあさんが言うとる。ナンマンダブツに対しては本当に頭が上がらん。皆ナンマンダブツ言うとるだけで、 何も分かっておらんのや。そのおばあさんは頭が上げようがないと、南無しとるのや。これは大したもんやと思う。

     その主人は亡くなったんやけど、後家さんで一代の身代を築き上げたんや。その主人の弟が破産して、ずっと以前でしょうけど、 そのおばあさんところへ助けを求めて来た。そしたらそのおばあさんが、私が破産した時、あなたは助けてくれるか、と言うたという。それで主人の弟は怒って、 こんな者に頼まんと言って帰ったという。それから、そのおばあさんの悪口ばっかり言うてるんやと。おばあさんに息子があって、嫁さんがおられる。お嫁さんにその弟が、 あいつはわしをこんな目に会わしたと、悪口を吹き込んでいく。 おばあさんは今は非常に喜んで、関節リューマチが悪くなって、病院に入院して、家政婦が付いているが、家政婦が、自分は今まで色んな病人を世話して来たけど、 こんな心の優しい、いい人見たことないと言うとるんやて。面白いのは、以前にも入院して帰ってきたことがある。それはまだ念仏が分からん時分で、 家政婦雇うて世話させとった。その以前の家政婦は、自分は色んな人を見てきたけど、こんな厭(いや)な人見たことない、と言うとる。病院で今付いている家政婦は、 こんな優しい人見たことないと言う。 仏法聞いて人が変わるか変わらないかと云う問題が、昔からあるけんやけど、そのおばあさんの例は、仏法聞いて人が変わったと云うことが言える例ですね。

     しょっちゅうその弟が来ては、お嫁さんに「ばばあ、わしをひどい目に会わした。」と云うことを言ってる。それが、 皆がいい人やと言うし、見舞いに行くとお嫁さんを拝むんやと。私を拝むような人に、ご主人の弟がこんな事を言うてると言うたら、 そのおばあさんがどんな顔するやろと言うので、テストの積りで言うたんやと。主人の弟さんが来て、あんなひどいばばあは無いと、こう言っていたと。 そしたらおばあさんの言うのには、「自分はひどいことをやったのやで、〝丑(うし)の刻(とき)まいり〟されても仕方のない人間やが、やっぱり身内の者は、 ただあんなひどい者はないと言うだけで止めといてくれる」と言うて喜んだという。〝丑の刻まいり〟と云うのは、ご承知でしょう。 人を呪い殺すのに、頭に三本ロウソク立てて、お宮さんの杉の木に藁人形をあてて、五寸釘を打ち込んで呪い殺す。この私は呪い殺されて死んでも仕方のない人間やが、 身内なればこそ、ひどいやつがと言う位で、止めておいてくれるか、とおばあさんが喜んだ。これにはお嫁さんも参ってしもうた。 テストをしようと思ったら手答えがなかったんや。仏法聞いたら皆こうならなければならないと云うことはないけれども、そのおばあさんの場合は、 余程堪えたんであろうと思うのや。

     私はその人に仏法を伝えた人から聞いたんやけど、47歳で、ガンで手遅れで、お姑さんから苛め抜かれて、毎日泣いておったお嫁さん。 仏法など一度も聞いたことないという。死期が迫ってるお嫁さんに、28日間で本願の念仏を伝えた人です。これは在家の一介の主婦や。 主婦やけどお寺さんの出来んようなことをやっておるんや。これは大したもんや。と思う。私でもそう云う事出来んと思うけど、ようやったと思う。 その人は私の受け売りをしただけやと言うてるんやけど、いかに受け売りでも、自分のものにならんと受け売りは出来んはずやと思うんや。私だって受け売りです。

●無相庵のあとがき
     世間で、何かの宗教を信仰すると申しますが、仏教の場合は信仰と言わずに、信心と申します。
     神様や、特定の建物や山を崇め奉るのを信仰と申すのだと思いますが、仏教の場合は、我執と云う自らが描いた〝幻の自己〟、 幻の狭い世界に閉じ込められている自分の頑なな心が解けて、大きな世界に解き放たれる事を信心と言うのだと思います。大きな世界と申しましても、 それは今の自分が描いている狭い、自己中心の世界ではなく、真実中心の世界と申しますか、真実に自分が所有されてしまう事であって、そうなりますと、 差別無く、全てを認め合う、自由自在の、無碍一道の世界が開かれる事ではないかと、私は最近の米沢秀雄先生と井上善右衛門先生先生のご法話から、教えて頂きました。

なむあみだぶつ


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No.1552  2016.03.31
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(7)十八願の考案者

●無相庵のはしがき
     第三章は、善人と悪人のどちらが本願の目当てかと云うのがテーマとなっている章でありますが、この章を悪人正機説と言われるように、 悪人が本願の目当てでありますが、その悪人に付きまして、米沢秀雄先生は、「悪人と云うのは、倫理的なそう云う意味でなくて、 逆境にあるものを悪人と言うのでないかな。」と仰って居られます。と云うことになりますと、逆に「順境にある者を善人と云う」ことになりましょう。 それは、順境になる為に自力を尽くした自力作善の人であるからでしょうか・・・。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(7)十八願の考案者
     6月の終わりかな、愛知県に木曽川と云うところがあって、そこの公民館で同朋大会があって、私、引っ張られて話をさせられたんです。 そしたら、そのあとに質疑応答と云うのがあって、これは自分の勉強になるので大変有難いと思うんですね。勉強させて貰いました。大変面白い質問があったな。 「十八願と云うのは誰が考えたんや」、と。
     話の中で、浄土宗と浄土真宗の違いと云うことで、十八願の事を言うたんです。そしたら、十八願は誰が考えたんやと、こう言うんや。 おもしろいこと言うね。シロウト云うのは。素晴らしいこと言うなあ。十八願と云うのは誰が考えたんや。 これはお寺さんなら、それは『大無量寿経』に書いてある法蔵菩薩である、こう答えることは間違いない。

     ところが、私は「我々が考えたんや」と言うた。「我々の代表になって、法蔵菩薩が見出してくれたんやで、我々の考えたのと一緒や」と。 我々の考えたことでなければ、我々に関係ないじゃないの。我々の代表になって、法蔵菩薩が考えられた。 と言うのは五劫思惟(ごこうしゆい)兆戴永劫(ちょうさいようごう)の修行と書いてある。五劫と云うのは、非常に長い時間ですよ。 神武天皇は6百歳生きたそうですけど、五劫の間生きられる人間て、あるかいね。法蔵菩薩が五劫の間思惟したと云うのは、私は人類の発祥以来、人間の本当の幸せは何か、 真の満足は何か、と人類が探し求めて来た歴史、そう云うものがあると思うんや。総理大臣になると幸せと思うた者もある。それがある時間が来ると、 総理大臣辞めさせられたり、心筋梗塞になって死んだり云うことで、これではないと云うことになる。

     金さえあればと云う考えの者もあるけど、金があるために子ども達が争ったり、金があることもあまり幸せでないなあ、 金持ったことのないから分からんのやろうけど、そう云うことでこれがあれば満足やと探し求めて来たけど、皆、失敗してきたのや。 その失敗して来た歴史が五劫の間あると思うんや。それで、人間の真の満足は何かちゅうことを探し求めて来て、それが求められずに途中で死んで行った多くの魂がある。 その墓場が、南無阿弥陀仏――これは前にも書いたことあるんやけど、また初めて南無阿弥陀仏に辿り着いた人の喜びの凱歌であると、南無阿弥陀仏とは。 その南無阿弥陀仏は歓喜の南無阿弥陀仏であると云うことは言うけども、それに到達出来ずに死んで行った人の墓場や、と云うことは、 私のような出来損ないしか言わんと思うのや。南無阿弥陀仏と云うのはたったの六字やけど、人類の悲願が込められておると云うことです。 だいたい、阿弥陀仏の悲願とかそう云うことは言うけれども、人類の悲願と云うことは誰も言わんのや。

     これは人類の悲願なんや。私がよく言うのは、小学校の卒業式。今は一人一人呼び出して卒業証書を手渡すけど、私らの子供の時には、 皆の名前呼んで、以上総代何の誰それ。と総代が皆の卒業証書を貰いに出たんやね、法蔵菩薩がその総代である、と私は思う。 以上総代が証書をもらって皆が卒業した云うことで、法蔵菩薩が南無阿弥陀仏を見出して成仏したと云うことは、皆が成仏出来ると云うことにならなければ、私は嘘やと思う。南無阿弥陀仏で成仏出来なければ嘘やと思う。 そう云う、『大無量寿経』を何気なく読んでおると、法蔵菩薩と云う人があったと云うことになっておるけれども、法蔵菩薩と云うのは我々の代表や。 それで十八願と云うのは我々が考えたんやと言えるであろう。我々が考えたものであればこそ、我々に役に立つので、どこかの知らぬ人が考えたものが何で役に立つかいね、 と私は思う。

     それで、悪人と云うのは、倫理的なそう云う意味でなくて、逆境にあるものを悪人と言うのでないかな。と言うのは、 逆境にあるものは何とかして浮かび上がろうとして、色んな努力をするけれども、結局は駄目で、お手上げになったのが、南無阿弥陀仏やと思う。 お手上げしたら助かっていたと云うことを見付けたのが、法蔵菩薩だと思う。

     と言うのは、ご承知の『大無量寿経』には、法蔵比丘が出て来る。今まで法蔵菩薩と阿弥陀仏を強調してきて、 法蔵比丘のことをあまり言うとらんと云うところに、私は間違いがあると思うのや。法蔵比丘と云うのは、沙門と云うことになっている。沙門と云うのは、お寺さんですね。 求道者と言うか、道を求めると言うけれども、何が人間として真の満足かと云うことを求める人を比丘と言うんだと私は思う。 だから金さえあれば満足出来るように思うたり、社会的地位が上がると満足できるように思うたり、そう云うのを皆「夢」と言うのやね。 夢でない、本当の満足は何かと云うことを求めだしたのを、法蔵比丘と云う名前で呼ばれている。これは法蔵比丘と云う人があったのでなく、 我々のことやと思う。これが世自在王仏に会うて聞いたら、世自在王仏は「汝自当知」、「汝、自らまさに知るべし」と言うたと。 世自在王仏と云うのは昔書いたことがあるが、非常に不人情な人や、と。「こうしたらよかろう、ああしたらよかろう」と、親切に教えてくれずに、 お前が自ら知りなさいと突っ放したのは不親切だ。不親切なように思われるけども、一番の親切や。と言うのは、教えてやると上手くいく。しかし、 世自在王仏の居るところと自分が離れておると、次に上手くいかんようになった時に、世自在王仏のところに電話かけんならん。 電話かけられるような近いところに居ればいいけど、世自在王仏が死んでしもうたら、電話もかけられんし、相談にも行かれんし、これは困る。 「汝、自らまさに知るべし」自分で分かった事は、自分の居るところどこにも付いてくるから、一番の親切だ。 自分で分かれ、自分で分かったことは何時までも忘れずについてくると云うので、「汝自当知」と云うのは素晴らしいことだと思う。 「汝自当知」と言われて、五劫の間考えたという。五劫の間考えたと云うことは、人間の考えでは及ばんことを考え抜いたと云うことでしょう。 自力の限りを尽くしたと云うことを、五劫思惟と云う言葉で表していると思うんですね。自力の限りを尽くして、結局はあかなんだんや。 と言うのは、法蔵比丘と云うのは高才勇哲(こうさいゆうてつ)と言うて、頭もいいし、勇気もある人に違いない。王様やったのに王様の位を捨てたと。 どうも釈尊と法蔵比丘はモンタージュ写真みたいなもんでないかと思うんやけど、高才勇哲、頭がよかったんや。 自分のような頭のいいものが考えて分からんはずはないと言うて、頭しぼって考えたんやと思う。五劫の間考えたけど、自分ではどうにも間に合わんと言うて手を上げた。 その手を上げたのが、南無阿弥陀仏やと思うんやね。自分でもかなわん。それが生かされて生きている、そう云う不思議な世界。不思議な世界と言うけど、当たり前の世界。 今までの自分の生かされてきた世界を再認識して、それが南無阿弥陀仏と云う言葉になったと、こう云うふうに思うんです。 ですから、「汝自当知」なので、ただ念仏しておっても何にもならんわけで、親鸞が、信心と云うことを強調されたのは、蓮如に言わせると、 南無阿弥陀仏のいわれを知ると言うのかな。南無阿弥陀仏がどんな意味を持っているのか、自分自身に納得出来ると云うことが、一番大事なことであると思いますね。

     順境にある者はそう云うことを考えようともせんのでないかな。逆境にある者は、逆境から抜け出したい。 何か道が無いかと方々探し求めて、この南無阿弥陀仏に行き当たるのでないかと思うんですね。

●無相庵のあとがき
     悪人だから、逆境に遭遇するのだと云う事ではなく、逆境に遭遇しなければ、私の現実の自己、真実の自己に目覚められれない、 と云う事だと思います。お金を唯一の価値観として生きる育ち方をしている者は、逆境に遭遇していても、それを逆境とは思えず、自力を頼り、 自己の姿を顧みる縁からは程遠く、人間に生まれた生まれ甲斐を感じないまま、流転を繰り返すのであろうと思います。
     仏縁に恵まれた、この度の〝いのち〟に感謝しつつ生きなければならないなと思う次第であります。

なむあみだぶつ


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No.1551  2016.03.28
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(6)死後の浄土まいり

●無相庵のはしがき
     今日の内容は、前回のコラムも振り返りながら、じっくりとお読み頂きたいと思います。
文中、米沢秀雄先生が、「自力作善の人は特別にあるのでなくて、我々が自力作善の人なんです。」と言われていますが、私たちは、『煩悩具足の凡夫』と聞きますと、 周りを見渡しがちです。しかし、「煩悩具足の凡夫とは、別に居るのではなくて、私がその煩悩具足の凡夫そのものなのです。」と云うことでもありましょう。 残念ながら、自分のことは忘れて周りの誰かさんを指さす私こそが、煩悩具足の凡夫なのだと仰っているのですね。でも、 それは頭で分かっていても「仏法聞いている私は、あの人よりもましな凡夫なんだ」と、自分をどこどこまでも〝えこひいき〟する立派な凡夫なのだと・・・。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(6)死後の浄土まいり
     第三章に、真実報土に往生すると云う言葉が出ておりますけれども、これは親鸞が非常に重要視された言葉であって、 ご承知のように親鸞と云う人は、真実と云うことを追及した人で、真実報土と云うのが、本当の浄土と、嘘の浄土とあるからして、 我々が考えている浄土ちゅうのを嘘の浄土、これを化土(けど)と言うのかな。我々が考えているのは化土、事実存在するものを真実報土と言うのは、 事実存在するものが自然(じねん)の世界、それが真実報土であって、この真実報土の中に我々が生きておるにもかかわらず、我々はそれを知らん。
     先ほど心臓の構造の話(卵円孔のこと)をしました。そう云う事を知らんでも生きておられる、と云うところに如来大悲があると云うこと。 仏法が分かると云うことは、今まであったことを再認識することだと思うんです。そこに今まで当たり前にしておったことが、 非常に有難いと云うことになるんだと私は思うんです。
     浄土と云うのは、これから行くのでなくて、浄土の中におるんだと。真実報土に往生すると云うことを、 何故わざわざ言わねばならんかと言うと、皆真実報土の中におりながら、それを知らないで、浄土が別にあるように考えておるから、真実報土に往生すると云うことを、 言わねばならんのだろうと思うんです。

     浄土は死後のことか。往々にして死後の浄土になっておるんですね。この死後の浄土と云うことも間違いではないと云うことは、 浄土の中におるんだけれども浄土の中におると云うことが分からん。何故分からんかと言うと、自力作善やから。自力作善の人は特別にあるのでなくて、 我々が自力作善の人なんです。と言うのは我々は飛び出しておる、と。浄土の中におりながら、浄土から飛び出しておる。何が飛び出さしめるかと言うと、我執。 我々の持っている我執。自分が一番可愛いと云う心の所為で、飛び出しておる。自分が一番可愛いと云う心が、末那識ですか、差別を生んでくるわけで、罪と言うたら、 我執そのものが罪である。こう云うことは西洋の思想には無いわけです。人間が肉体を持っている限り、我執と云うものは、無くなりませんので、 だから肉体を持っている限り、浄土の中に居って浄土から離れておると云うことは、これは間違いなかろうと思う。死にますというと、 我執のもとである肉体が無くなりますので、浄土と一つになることが出来るだろうと思う。 だから、死なねば浄土に行くことは出来んと云うことも、結局は間違いないけれども、我々にとって一番大事なことは、生きている今、 浄土の中に居るのやと云うことが分かると云うことが大事なんで、その為に聞法するのであると、こう思うんですね。

     函館の五十二歳の女の人が私のところへ手紙をよこして、私の本やテープを大変喜んで、読んだり聞いておったんやそうで、 『現代の病理と真宗』の第何ページを読んでガッカリした、と。自分の夢が覚めてしもうた、と。それには、死ぬと皆、仏になるなら、何を苦しんで、 一年十日も苦労するのでなかった、と云う意味やね。そう云う事を書いてきました。

     我々が信を得ると云うことは、自然(じねん)の浄土の中におる自分と云うことを確認する為に、信のまなこを開くのであって、 それと仏になると云うのは、ご承知のように、曽我量深(そが・りょうじん)先生は、「往生は心にあり、成仏は身にある」と言うておられるが、体が無くなって、 はじめて成仏すること、間違いないですね。仏になると云うのは、肉体を持っている限り仏にはなれんの。だから、自力聖道門では、仏を目指して修行していくのを、 菩薩と言うております。私は、浄土から出てきた生活者を菩薩と言うのや、と。それは、肉体を持っている限りは仏になれんので、仏の教えをしょっちゅう聞いていく、 と云うのが往生浄土の生活者だと私は思うんですね。死ぬと我執のもとが無くなるから、皆、仏になることは間違いないと私は思う。

     その函館の奥さんが、一年と十日も苦労するのでなかった、と云うことは、一年と十日苦労したと云うことを鼻にかけておるので、 これは邪見驕慢の悪衆生に引っかかるので、蓮如さんの言葉を借りると「得たと云うは得ぬなり」ちゅうのに引っかかるのや。それが分からんのやね。

     その函館の奥さんは、私がいいかげんなことを言うと思うとるのや。その奥さんに、「あなたのお孫さんが、小さくて亡くなったとして、 あなたは、そう云うものを浄土へ入れてやらんのか」と、えらい不人情な奴やな、差別の世界は人間の我執の世界でこそあるんで、 仏の世界には差別があるはずはないんですよ。念仏しようがせまいが、みんな浄土の中におることは間違いないのや。と云うことは、 みんな息していると云うことがその証拠やし、日の光に当っていると云うこともその証拠やし、心臓が動いてることもその証拠やし、 血液が循環してることも自然の浄土の中にあると云うことの間違いない証拠や。そう云うことをお寺さんが今まで知らずに経文のことばっかり考えて、 経文の解説ばかり主張しておったところに、間違いがあるんでないか。そういうのは浄土真宗に対して忠実のようやけど、 真宗を非常に狭くしておるのでないかと思うですね。浄土真宗はもっと広いものであると私は思うんです。

●無相庵のあとがき
     仏壇の前で南無阿弥陀仏を称えるのが、浄土真宗の本当の信者ではない、日常の全てが感謝出来るのが本当の信者だと、 米沢秀雄先生は仰っていますが、先生は一方で、「講演会に参加して法話を聴いている最中に生理現象が起きたら仏法どころではないでしょ。」とも仰っています。 末尾の「浄土真宗はもっと広いものであると私は思うんです。」は、東西本願寺に雇われていない米沢秀雄先生の真骨頂ではないかと私は思っております。 また、私たちが忘れてはならないメッセージだとも考えております。

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