No.1550  2016.03.24
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(5)面(つら)をはらいた嫁

●無相庵のはしがき
     表題の『面(つら)をはらいた』とは、小松(福井県)の言葉で、「ふくれている(不満そうな顔をしている)」 を「面(つら)をはらかしとる」と言うところからきているらしいですから、表題は、『ふくれ顔した嫁』と云うところでしょう。
     話の内容は、難しい唯識の話で始まりますので、取っ付き難く思われるかも知れませんが、「仏法が日常生活に生きるとはどう云うことか」が、 今日のテーマであります。「仏法を聴聞していても、嫁姑の関係が拗(こじ)れていては、聴聞している意味が無い」と云うことでありますが、嫁姑の関係に限らず、夫婦間に於いても、 職場の人間関係、近隣との人間関係に於いても、同様のことが言えるのだと思います。自分は果たして、どうなのか・・・、わが身を振り返りたいと思います。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(5)面をはらいた嫁
     『唯識』のことを、全然知らんような者の分際で、唯識のこと言うとおこがましいけど、唯識では転識得智と言いますね。 識が転じて智となる、と。眼耳鼻舌身、それを前五識と言う。目と耳と鼻と舌と、身体、触覚ですが、これを前五識と言う。前五識が転じて成所作智になると言う。 これは皆使うて。例えば、手や足は、皆、唯識を知らずに言うとったけれども、蚊が左の尻を刺してるのに、右の尻を叩く者はないやろ。 左を刺したら左を叩くようになっとる。これは成所作智(じょうしょさっち)。眼耳鼻舌身、それが皆一緒に働いて、成所作智と言うて皆が使うているんです。 上手く出来ているもんや。
     それから末那識(まなしき)と阿頼耶(アラヤ)識、これで八識揃うわけですけど、前五識。それから意識。 意識が転じて妙観察智(みょうかんさっち)になる。妙観察智と云うのは、科学と云うのが妙観察智を使ってやるんだろうと思う。こう云うのは意識が転じて妙観察智になる。

     おもしろいのは末那識。末那識と云うのは差別意識です。自分と他と差別(識別とも言う)する意識が末那識です。 それが転じて平等察智になると云うのが非常に面白い。この平等察智と云うのは、全部を同じに見る智慧ですけど、 その末那識と云う差別する意識が転じて平等察智になると云うのは、非常に微妙なもんやと思うんですね。我々は皆、差別意識を持ってます。持ってますけど、 それが転じて平等察智になると云うことが大事なんで、それは仏法を聞くことに於いて、なると云うことですね。

     末那識が転じて平等察智になると云う例があるんです。これは面白いと思うのは、皆がやっとるかも知らんが、それは、 松本梶丸君――ここの暁天講座にも呼ばれてお話されたこともありますが、その人から今日はからずも、その寺で出してる『一本道』と云う、 印刷した寺報を送ってきました。小松の七十六歳やらのおばあさんの記録が載っとるんやね。そのおばあさんと云うのは、四十二か三の時に仏法が分かったと言うのかな、 ずっと仏法聞いて来て分かったんでね。

     その人が息子に嫁もろうた。そうすると、自分は明治の生まれで、嫁は昭和の生まれやから、嫁に色んな事を教えてやらねばならんと、 こう思うのやね。こう云う意識は我々も持っておるんや。教えてやらねばあかん。それで嫁にこうせねばいかん。ああせないかんとか、嫁に色々教えたんやで。 そしたら、六年ほど経った時と書いてあったが、お盆の十四日の日に、昼のご飯の支度が出来たで、二階にいる息子と嫁に、降りて来いと言ったところが、 降りて来ないんやって。それで不思議に思うて、重ねてご飯食べんのかと聞いたら、息子だけ降りて来て嫁が降りて来んのや。「嫁どうしたんや。体でも悪いのか。 悪いのなら医者に見せにゃいかん」と言うたら、嫁がふくれてるんやって。小松の言葉で「つらをはらかしとる」と書いてあったんか、ふくれてるのや、と。 「なんでふくれとるのや」ったら、母親に、「あんたが出過ぎるで嫁がふくれてるんや」と言う。

     教えてやらにゃならん。教えてやらにゃならんと言うて、一所懸命やったんや。嫁が子供つれて小松に買物に行って、 おかずを買うてきたら、もう昼のおかず作ってあったんや。すると、せっかく買うて来たのがムダになってしもうた。そう云うふうに、先へ先へ先回りするもんやで、 嫁のおる場所がなくって、嫁がふくれてるんや。そこから非常に面白いんで、しゅうとめさんが嫁に謝るんや。「わしが出過ぎて悪かった」と言うて。 自分が嫁に教えねばならんと思うておったが、あにはからんや、嫁から教えてもらわねばならん自分であったちゅうことが分かった。 自分が一番正しいと思っておったのが大きな間違いや、と云うことが分かったと言う。これは非常に大事なことや。 日常生活に仏法がどういうふうに生きるかと言うと、私はこう云う形で生きるんやと。そうでなければ、死後の浄土参りと一緒や。仏法いくら語っても、 日常生活に生きなんだら、死後の浄土参りと一緒でないかと。 真実報土に往生すると親鸞が言われたのは、今の小松のおばあさんがやってるようなことが、真実報土に往生すると言うことやと私は思うね。浄土教が死後の浄土ではあかん。親鸞は現生不退(げんしょうふたい)とか現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)と言うておられる。口で言うておっても、日常生活の中で仏法が生きておらなんだら死後の浄土と同じことやて。気が付かずに、死後の浄土をやってるのや。言うことは現生不退とか現生正定聚とか言うけど、言うだけて、やってることは死後の浄土やて。

●無相庵のあとがき
     米沢秀雄先生は、「親鸞仏法が日常生活に生きていなければ、親鸞仏法を死後の浄土参りだと聞き間違えていることになるんや!」と、 誡(いまし)められているように思えますが、そう受け取ってしまうと、倫理・道徳、世渡り術の話になってしまいます。新興宗教、倫理団体ならそれでいいのでしょうが、 あらゆる人間関係を、自己の現実、自己の事実、ひいては自己の真実に出遇う場、仏法を真剣に聴く場にしようではないかと云う事ではないかと思います。

     私の母も生涯聴聞を続けましたが、私たち二人兄弟の嫁と決して良好な関係を持つことにはならず、独居老人としてあの世に旅立ちました。 元気なうちは自ら独居を希望していたからでしたが、それは現実の自己、事実の自己に気付き、真実の自己に出遇ったからでは無かったかと、今は思っています。 枕元にカセットテープレコーダーを置き、沢山の色々な先生方の法話テープを聴きながら、自己に出遇い、自分の父親とも出遇い、親鸞聖人とも出遇い、 念仏を称えつつ旅立って行ったに違いないと、今の私は思うことであります。 そのような話を母から聞いたことがありますが、その頃の私は40歳代前半、仏法を聴いていながら、聴き間違えて、自己の真実に出遇えていなかった私は、 自分自身が職場の人間関係に、世間的なレベルで苦悩していましたから、母の話し相手になれなかった事、大変申し訳ない気持ちで一杯であります。

さて今日は、我が母校、兵庫県立長田高校が甲子園の土を踏みます。春夏通じての初出場です。相手は長崎県の強豪、海星高校。悔いのない試合をして欲しいものです。 第3試合、テレビにかじりついて、応援致します。

なむあみだぶつ


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No.1549  2016.03.21
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(4)人間誕生の不思議

●無相庵のはしがき
     「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」で始まる歎異抄第三章でありまして、〝悪人正機(あくにんしょうき)〟 つまり、「悪人こそが救われねばならない」と親鸞聖人が仰せられたと云う有名な内容でありますが、それでは善人とはどんな人を言うのか、 悪人とはどんな悪い人を指しているのかが、原文冒頭の言葉の心を知る上で重要であります。
     普通に考えますと、悪人と云うのは、他人に迷惑をかける人であるとか、 犯罪者を思い浮かべてしまうと云うが世間一般の認識であろうと思います。また善人とは、ボランティアに熱心な人であるとか、他人に対して思いやりのある人とか、 公共心に溢れた人や、少しお人好しとも言われる人等を言うのではなかろうかと思います。
     しかし、原文は、そうではなさそうでございます。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(4)人間誕生の不思議
     それで、『歎異抄』の第三章は悪人正機のことが書いてあるわけですけれど、この章は、 増谷さんが法然上人説を主張される有力な手がかりになる一つなんです。ところが善人悪人というのは何か、と云う問題です。 これは倫理学的な善悪でないと云うふうに言われておりますけれども、それならば善悪と云うのは何か。

     これで私が思い合わせますのは、「十善の帝王」と云う、こう云う言葉があるんですね。「十善の帝王」と云うのは、 前世で十の良いことをした人が、帝王に生まれられる、こう云う言い伝えがある。現にこの時分にも昔から伝わっているわけで、前世でいい種播(たねま)きをすると、 この世でいい報いがある――これは善因善果と云う仏教の考え方のように言われておりますけれども、これは仏教の考え方ではなかろうと思う。 この世でいい目に会うてる者は、前世でいい種播きをしたと、こう云うことです。そうすると善人と云うのは、この世で恵まれておる人、順境の人。 悪人と云うのは逆境の人。本願が対象にするのは逆境の人。ご承知のように親鸞が関東で相手にされた方は、親鸞自身も言うておる、 石、瓦、礫(つぶて;投げる小石)の如くなる我ら――、下層階級、猟師とか農民とか、商売をする人とか、いわゆる生活者。その当時から見たら下層階級の人、 人間として扱われなかった人、そう云う人たちを親鸞は友だちにしていましたから。逆境にある者は前世種まきが悪かったと云うことになるんじゃないんですか。 善人が前世の種まきがよかったから、この世で順境にいられるんやったら、逆境にある者は前世の種まきが悪かった、こう云うことになるんだろうと思うんですね。 逆境にある人に、人間に生まれた誇りとよろこびを与えたいと云うのが、親鸞の願いであり、その本願の念仏と云うのは、そう云う逆境にある者にも、 人間に生まれたよろこびと誇りを与えるものであり、逆境にある者こそ救われねばならんと云うのが親鸞の考えであったであろうと、こう思うんですね。

     ここで注目したいと思うのは、親鸞が不幸な人に何とか幸せにと云う、ひとつの願いを持っておった。 それが逆境にある者にどうして人間に生まれた喜びを与えることが出来るか。こう云うことが結局、親鸞が追及して辿り着いた本願の念仏以外にないと、 こう云うことになったのであろうと思うんです。関東で苦しむ民衆のために、三部経千巻を読もうとされて、 『自信教人信(じしんきょうにんしん)』のほかにお経を読むことは無駄なことやと言うんで止めた、止めたことばかり取り上げておりますけれども、 そこに流れております親鸞の気持ち、そう云う親鸞の願い、そう云うものをあまり考えておらんのでないかと思いますので、親鸞の性格、 一貫した性格としてそう云うことを考えたいと私は思うんです。善人と云うのは順境にある人や。順境にある人はこの世だけで満足なので、 そう云う人にはこれ以上もう救われると云う必要はなかろうと思う。順境がいつまで続くかは問題がある。この逆境にあるものこそ、救われねばならん。 善人と云うのは、ここで自力作善の人と書いてありますが、自力作善と云うのは努力ですね。努力によって自分の運命を開拓した人、それを自力作善の人と言う。 自分の努力に対して誇りを持っておるもの。「努力したためや」、「努力の甲斐があった」と、こう思うてる人を自力作善の人と言うのであろう思うんですわ。

     ところがこれは一番最初に申し上げたように、いかに努力しても自分の身体がないと働くことが出来んのです。 身体は自分で作ったかと云うとそうでない。それから息が出てなければ働くことも出来んのや。息は自分の力で出てるのでない。何か知らんけれど息が出てる、 そう云うところに他力と云うものがある。そう云う他力と云うものが、縁遠いところにあると思うたら大きな間違いで、我々の身近に他力が働いておると云うことを、 今まで経典にとらわれておりますと、そう云うことが分からなかったんでないかと私は思うんですね。 私がよく言う「生かされて生きている」と云う言葉が非常に嫌いな人が居りまして、名古屋の法話会で、「生かされて生きている」ああ云う話はあかん、と言われたら、 それを聞いておった人の中で、我が意を得たりと言う人があって、非常に喜んでその説に賛成しておりましたけど、これは浄土真宗と云う狭い中に居るからやと、私は思う。 もっと浄土真宗と云うものは広いもんだと思う。浄土真宗を一つの宗派と考えておると、そう云う考えになるかも知れませんけれども、ご承知のように、 親鸞は仏法と言えば浄土真宗だと云う見識を持っておられましたし、そう云う見識だけでなく、浄土真宗と云うものはもっともっと広いものであるはずだと、私は思います。

     去年、福井別院の暁天講座で、体も手も足も如来からの賜りものやと言うたところが、手紙が来まして、 「それは聖教のどこに書いてあるか」と。私は聖教に書いてあるか書いてないかよりも、私の言うことが本当か嘘か、そう云う事を考えて貰いたいと、こう云うところが、 親鸞、覚如、蓮如の言うたこと以外のこと言うたら浄土真宗でないと言う。こんな厄介な話はない。これは昔言うたことがあるけど、 赤ん坊の時はお母さんのお腹の中におって、お母さんの血を貰って、心臓が動いているけど、血液はお母さんの血液を貰って大きくなる。 心臓は四つの部屋に分かれておるんですね。赤ん坊の時は、まん中の壁に穴があいておって、お母さんの血が通って行くんです。 それで、動脈血と静脈血と云う区別はあるんですけど、この穴を通って身体を回って、血液がまた胎盤を通って、母親の方に戻ることになっておる。 ところがその赤ん坊がお腹の中におる時には、肺は活動しておらんのですね。肺は縮んでるんです。 生まれて空気を吸い込んで、パッと肺が開いた時に卵円孔(らんえんこう)と云う穴が塞がることになってる。塞がらなかったなら、 先天性の心臓の異常となって手術を受けねばならんのやけど、此処に居られる方々は皆塞がった人やね。うまく出来てるのではないの。

     こう云うことでも絶対他力と云うことを我々感ぜずに居られんと思う。人間が塞ぐんでない。母親が塞ぐんでない。 もう人間を超えた働き、絶対他力によって塞がることになっておる。そう云うことを皆忘れてしもうとる。この生かされて生きてる話は嫌いやと云うのは、 自分が母親のお腹に居って、生まれる時にパッと息を吸って、オギャアと泣いた時に、肺が開いて卵円孔が塞がったと云うことを知らんのや。誰も知ってるはずがない。 知ってるはずはないけれども、そこに、絶対他力の働きの不思議さ、不思議と言うよりほかない、そう云う不可思議な働きを知らん人は情けない人やと思う。 そう云う人がいくら、他力だの何の言うたって、迫力がないと思うのや。人間の体ほど微妙に出来てるものは無いんで、そう云うことが分からんのや。

●無相庵のあとがき
     原文を見ますと、「自力作善の人は、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。」とありますから、 阿弥陀仏が救いたいお目当ては、自力作善の善人ではなくて、悪人だと云うことでありますから、悪人とは、自力作善でない、 他力を頼りにするしかない凡夫の私だと云うことであります。従いまして、『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』と親鸞聖人は仰ったのでありましょう。

     自力作善の人を善人とされていますが、この善人は、原文にありますように、 『自力作善の人は、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。』と、仰り、自力作善を否定されています、それは、この娑婆世界は、 順境があれば必ず逆境もゃってくる、自力作善だけで、本当の幸せを掴むことは出来ない、本当の幸せ、揺るがない永遠の幸せを願うならば、他力に依って生かされている 自分の現実、自分の真実を知ることが何よりも大切だとして、米沢秀雄先生はお医者さんの立場から『卵円孔』のことを人間誕生の不思議の例として上げられて、 自分の知り得ないところで他力に依って今の自分が在る事に気付いて貰いたいと思われて、上述の詳細解説をして下さったのだと思います。

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No.1548  2016.03.17
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(3)諸仏咨嗟(ししゃ)の願

●無相庵のはしがき
     今回の詳細解説でも、米沢秀雄先生は、浄土宗は、親鸞の浄土真宗よりも評価出来ない立場を鮮明にされていると思います。 仰る言い分は私も分かりますが、これまでにも申し上げています通り、どの仏法の教えが良いかと云う相対論が成り立つのではなく、私は何を信じるか、どの宗教、 どの宗派を信奉するかは、相性の問題だと云う考えは米沢秀雄先生には申し訳ないことですが、今のところ、ではありますが、私の考えは変わりません。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(3)諸仏咨嗟(ししゃ)の願の引用転載
     降寛のことを申しましたので、もう一つ序に申しておくと、川田と云う、関東の工業学校の先生が発表しておったんですけど、 ふつう我々もよく聞かされておりますが、親鸞が善導の書かれたものを読みかえた。「外に賢善精進の相を現ずることをえざれ、内に虚仮をいだけばなり」、――善導は、 「外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮をいだくことを得ざれ」――内外一致しなければならんと善導が書いておる。 善導は本当にそう云うふうに書いておるのかなあと思うて、『観経疏』【かんぎょうしょ.;浄土宗の根本経典の一つである 「観無量寿経」の解釈について述べた善導大師の著書】――これは日本で出たものですけど、『真宗聖教全書』を調べてみましたら、親鸞が読みかえたように、 読みかえてあるのですわ。だから善導がどういうふうに書いたかと云うことは『聖教全書』の『観経疏』を見ても分からない。親鸞の読みかえた通りになっておる。

     ところが、その川田と云う人が調べたのでは、親鸞は前に降寛と云う法然上人の弟子が読みかえておるそうです。 「外に賢善精進の相を現ずることをえざれ、内に虚仮をいだけばなり」と親鸞の先輩の降寛が、ちゃんと読みかえておるんですね。ただし――そこが面白い。 降寛の読みかえたのは、その当時の既成仏教教団の批判のために読み変えた。「外に賢善精進の相を現ずることをえざれ、内に虚仮をいだけばなり」 「お前たちはどうや」と、「賢善精進の相を現じているけれども、心の中はそうではないではないか」と言うて、既成教団を批判する為に読みかえておる。
     ところが親鸞自身は自分自身の告白として読みかえている。そう云う点が違う。降寛のやり方ですと、浄土宗と云うものと、 既成教団と同じレベルになってくる。そう云う点で、これは親鸞が読みかえたのと降寛の読みかえたのとは、立場が全然違いますので、立場が違うと云うことは、 降寛の立場ですと、浄土宗と云うのは相対的な、既成教団と相対的になりますけれど、親鸞の読み方になりますと、 これが浄土真宗の絶対的なものであると云う立場になりますので、同じ読みかえをやっても、立場の相違で、相対的な浄土宗になるか、絶対的な浄土真宗になるか、 そう云う大きな違いがあると思う。

     増谷さんはあくまでも、親鸞は浄土真宗と言うてるけれども、言うてることは浄土宗そのものや、悪人正機と云うことも、 法然が言うとるし、義なきを義とすと云うことも法然が言うとるし、現に師匠から直接聞いたと云うふうに親鸞も言うておるではないかと言うので、 浄土宗と浄土真宗と同じにすると云うのが増谷さんの狙いでありますが、これも増谷さんのお考えであって、実は違うんです。法然の一願建立、 これは第十八願だけに法然はたっておりますけれども、親鸞は『大無量寿経』四十八願のうち、八願、八つ採用しておる、こう云うところが非常に違う。 法然の考え方よりも親鸞の考え方が、一願建立の法然よりも八願を採用した親鸞の方が厳密になっておると云うこと。

     それから第十七願と云うのを親鸞は重要視しております。十七願と云うのは皆さまご承知だろうと思いますが、 私は近頃この十七願に非常に感動しております。「たとえわれ仏を得んに、十方世界の無量諸仏、悉く咨嗟(ししゃ)してわが名を称ぜずば、正覚をとらじ」。 これが十七願ですけれど、私が注目したいのは、「咨嗟して」と云う言葉です。この咨嗟が無ければ口称(くしょう)の念仏でいいはずだと思うんです。 皆から南無阿弥陀仏と称えられたい、と。 こう云うことやったら、口称の念仏で済みますので、浄土宗でいいけれども、十七願の中に咨嗟してと云う言葉が付いておる。 その咨嗟と云うのは心の底から感動してと云う意味ですから、ただ口先だけで南無阿弥陀仏を称えたってあかん、と。心の底から感動して南無阿弥陀仏あればこそと、 こう云うことが初めて咨嗟と云う言葉が成り立つので、親鸞も咨嗟の願と十七の願を言うてるところをみると、 咨嗟と云う言葉に親鸞も注目したのではないかと思うのですね。

     それで、心の底から感動して南無阿弥陀仏と称えられたいと、こう云うことで咨嗟と云うのが、信心をあらわすのでないかと思うんです。 口称の念仏だけでしたら、ご承知のように法然は、念仏の行を根本としましたが、親鸞は信心と云うものをもとにした。この「咨嗟して」と云うところに、 信心と云うものが出ておるのでないかと私は思うんです。それで近頃「咨嗟して」と云う言葉が非常に重い意味を持っておるのでないかと云うことを、 自分が感じているわけであります。

●無相庵のあとがき
     私は理屈っぽい人間ですから、法話をお聞きしても、頭で納得出来ないと、「はい、そうですね!」と素直に聞き入れられないのです。 これを自我の強い凡夫だと言うのでしょう。こんな私の様な方も居られるでしょうが、例えば有名な先生、お坊さんが仰せのことなら、無条件に受け取れる、 ある意味で素直な方々が居られることも確かだと思います。疑い深い人間は、名のある偉い先生のお話にも、本当なのかと疑問を持ちます。ですから、お坊さんが、 念仏を称えて共にお浄土へ参りましょうと言われましても、「念仏称えるだけで、浄土往生が出来るはずがない。いや、別に浄土往生したいとも思えない。 そもそも浄土って何なのか?」と、疑問ばかりが先に立ちます。多分、米沢秀雄先生も、ご同様で有りましょうから、「浄土宗の口称の念仏では何も意味が無い。 咨嗟(感動)して念仏が称えられないと、念仏の意味が分かってこそ、念仏の功徳が得られるのでないか」と、理屈を捏ね回します。こう云う私のような人間は、 唯除の文と云う仕掛けがなければ、本当の自己に出遇えないと、私は思うのです。

なむあみだぶつ


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No.1547  2016.03.14
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(2)古田武彦氏に学ぶ

●無相庵のはしがき
     『歎異抄ざっくばらん』を読みますと、米沢秀雄先生は、「浄土宗と浄土真宗は違う、 法然と親鸞は同じ信心ではない。」と仰っていると受け取られるかも知れません。しかしそれは、そうではなくて、 法然上人が亡くなられた後の浄土宗の僧侶方の伝え方を批判されているのであろうと私は考えています。また、親鸞聖人は、ずっと法然上人をお師匠とお考えでしたし、 むしろ、浄土の真宗を説かれたのが法然上人であると云うお立場だったと思うのです。 その根拠が、古田武彦氏の『親鸞』と云う著書に求められると云うことであります。
     でも私は、勿論、浄土宗と浄土真宗は、どちらが正しいと云うことではなく、仏法を求める私たち側との相性があると考えております。 禅宗でなければならないと人も居られますし、法華経を所依の経典とする日蓮宗が最高だとする方も居られるでしょうし、いやいや、浄土宗、浄土真宗でなければ、 しっくり来ないと云う人も居るのと同じように、それは相性だと私は考えたいのです。
     そう云う私の受け取り方もあるとお考えになられて、これから続く、 『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説をお読み頂きたく存じます。

          (注) 古田武彦【ふるた たけひこ、1926年(大正15年)8月8日 - 2015年(平成27年)10月14日;日本の思想史学者・古代史研究家(親鸞等の中世思想史が専門)】

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(2)古田武彦氏に学ぶから引用転載
     一番初めに申し上げましたように、『歎異抄』は浄土宗そのものでないか、と言うのは、それはまさに増谷【ますたに ふみお (1902年2月16日 - 1987年12月6日):日本の僧侶、仏教学者】さんの説なんですけれど、それで、どうも『歎異抄』は私自身も浄土宗そのままでないかと思われるのです。
     私は第三章にある本願他力を増谷さんがどんなふうに書いてあるかなと思うて、増谷さんの本を本棚から引っ張り出して見てみましたけれど、 そういうことは触れてないんです。私は勉強しておりませんから分かりませんけれども、法然に他力と云う言葉があるだろうか。そう云うことを思うんです。
     浄土宗と云うのはだいたいが、死後の浄土と云うことになっておりますので、非常に面白いのは、これは増谷さんが書いた『歎異抄』ですけれども、 増谷さんは親鸞と法然とは同じことを言うとる、と云う立場に立って申しておりますので、 序文のところーー「故上人がおおせそうらいき」と云うことが『歎異抄』にちょいちょい出てくるんですけれど、我々の解釈では、唯円から見て親鸞聖人はおっしゃったと、 こう云うふうに、我々の方ではというより浄土真宗では考えておるけれども、故上人とか先師とか云うのは法然であると云うのが増谷さんの考え方で、 そうすると今までの浄土真宗の宗学を全部書きかえねばならんであろうと云うのが、増谷さんの考え方なんです。

     ご承知のように、親鸞と云う名前は、天親菩薩と曇鸞大師とからとりましたので、天親、曇鸞に傾倒したかと言うと、 「我一心に」(天親菩薩著『願生偈』冒頭句)――その一心の問題、そう云うところから天親菩薩にふれる。それから本願他力の他力と云う言葉で曇鸞から学び、 親鸞と云う名前にしたと私は思うわけです。ところが増谷さんは、浄土宗ですから、法然と親鸞とは一つである。しかるに何故親鸞が浄土真宗と云う一宗派を始めたか、 と云うことを増谷さんが衝(つ)くわけです。
     これもご承知のように、浄土真宗の開山は法然上人であると親鸞さん自身が言うておられますから、増谷さんの言うこと当らぬわけですね。 話が行ったり来たりしますけれど、曇鸞のことで私が不思議に思ったのは、『正信偈』の曇鸞のことが出ているところに、 ご承知のように「常向鸞処菩薩礼(じょうこうらんしょぼさつらい)」と云うところがある。梁(りょう;西暦502年 ~557年の中国で、 南北朝時代に江南に存在した王朝)の天子が曇鸞大師を深く尊敬されたと云うことですね。七高僧はそれぞれが浄土教の教義上で独特なものを見出した。 いわゆる己証(仏教の宗祖がその宗義について独自に悟った道)が各高僧について書いてあるにもかかわらず、なぜ、曇鸞のところだけ、梁の天子が「常向鸞処菩薩礼」、 常に曇鸞のおる場所に向かって、菩薩として礼拝をされたと云うことが書いてあるんでしょう。不思議に思っておったですね。 ところが、親鸞を研究していられる人で筆蹟の墨から、著述に使われた紙から電子顕微鏡で調べられた古田武彦と云う人が『親鸞』と云う本を書かれていて、 それを読んで初めて分かった。

     それはご承知のように、念仏の弾圧のために、師匠の法然は土佐へ流されるし、自分は越後に流された。そういうことは、 『教行信証』後序にも書いてありますし、『歎異抄』にも終わりの方に載っております。これはこの前も申し上げたと思いますけれども、 三十五歳の時に書いた文書をそのまま『教行信証』の後序にも載せておる。天皇の代が代わっているにもかかわらず、「今の天皇」と、三十五歳の時の天皇を書いておる。 と云うことは、若い時に受けた恨みが、恨みと言うても、私憤ではない、自分が流罪に会うたことではない。間違った仏法が日本に広がっていると云うところへもってきて、 師匠の法然が真実の仏法を伝えたにもかかわらず、その真実の仏法を弾圧したと云う憤慨で天皇を批判しておるわけですけれども、それが若い時に感じたそのままを、 ずっと終生親鸞が持ち続けていた、ということです。

     それでまた、曇鸞の「常向鸞処菩薩礼」――「支那の天子は、曇鸞大師を菩薩としてはるか曇鸞大師のおられるところを礼拝されたでないか。 しかるに日本の天皇は何ぞや」と、こう云うことが言いたいために曇鸞大師のところにそう云うことを書き加えたんだろうと云うことを、古田さんが言っておりましてね。 なるほどなぁと云うことを感じましたね。
     もうひとつ、これは申したかもしらんけども、何故親鸞が京都に帰ったかと云うことが問題になっておるわけです。 関東でせっかく教団が出来て、六十過ぎになって何故京都へ帰ったか。歳とってくると生まれ故郷が恋しくなって帰ると云うこともありますけれども、ただそれだけではない。 ある人は、関東で親鸞の弟子が増えてきて、親鸞の名前がだんだん高くなってきた。有名になってきた。それで親鸞は有名になることが嫌で、京都へ帰ったと言うんですね。 こう云う説もまことにもっともです。それは親鸞が、自分でも「名利に人師を好むなり」と云うふうに、深く自分が先生・師匠になると云うことを「弟子一人も持たず」 と言うておる程に嫌がっておりましたから。しかし、それならば、関東で有名になってきたから関東を逃げ出すんやったら、 わざわざ京都に帰らんでもいいではないか、と。近くの、例えば鎌倉とか、それよりも西のところへ来て、 新しく本願の念仏を伝える土地を開拓したらいいじゃないかと考える。有名になってきたからそこを逃げ出したと云うのは、 京都へ帰ったと云うことの根拠としては薄弱でないかと思うんです。古田さんが言うのはまことにもっともやと思うんですけど、 法然が一月二十五日に亡くなって、弟子の隆寛が念仏弾圧のあおりをくらって、検束されて流し者になったので、師匠の法然の法要をする責任者がいなくなった、 それで親鸞がご承知のように、法然にだまされて地獄へ落ちても後悔せんと言うほど、法然に傾倒しておった親鸞のことでございますから、 師匠の法要をするためにその責任者となるために京都へ帰ったと、こういうことを古田さんが言うとる。これもまことにもっともであると私は思います。 結局京都ではあまり布教をしなかったようですね。京都で弟子が出来たと云うことは残っておりません。京都でやはり念仏の弾圧が続いているために、 自分の住所を秘匿(ひとく;こっそりかくすこと)しておる。ちょうど地下にもぐったように自分の住所をくらまして、転々として移動して、 そしてもっぱら著述によられたと云うことが、人を直接教化するよりも、書きものを残して後世のためにと云う意向があったのであろうと、こう思われますね。

●無相庵のあとがき
     〝無相庵まえがき〟で申し上げた〝相性〟と云う観点から付け加えさせて頂きます。
自分を自己分析致しますと、私は驕慢心の強い人間でした(過去形にしていますのは、年老いて心身の色々な力が衰えてからやっと驕慢心が失せたと思うからです)ので、 驕慢心の強い人格の者には、唯除の文を重要視する親鸞聖人の教えが向いていると思ようになりました。畏れ多いことですが、米沢秀雄先生も、井上善右衛門先生も、 驕慢心の強いお方ではなかったかと想像しております。
     親鸞聖人は「是非(ぜひ)しらず邪正(じゃしょう)もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども  名利(みょうり)に人師(にんし)をこのむなり」と、自分を悲嘆された心情を和讃に詠われています。また、主著『教行信証』には、 「悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利の大山(たいせん)に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証(さとり)に近づくことを 快(たの)しまざることを。恥づべし、傷むべし。」と、名利、つまり〝名聞(名誉)と利養(お金や財産)〟をついつい求めてしまうご自分を嘆かれておられます。 これは、謙遜でも格好付けの告白でもなく、悲嘆された想いをそのまま正直に言葉にされたに違い無いと思います。名聞・利養を求め、手に入れるには、 一つ間違えば驕慢心を持つ位の向上心がなければならないと、多くの著名人や成功者の成功物語で知られます。 恐らく、親鸞聖人も驕慢心が相当お強い人物だったと思うのです。

     驕慢心を持った方が良いとは申しません。しかし、名利を求める心は起こしても、努力をする気持ちを持ち得ず、驕慢心とは正反対の〝劣等感〟と〝自己弁護(言い訳)〟 に終始するようになる人達も居ないわけではありません。それは、驕慢心を持つ人と同じく、自己を正しく自覚出来ていない嘘偽りの人生を歩み続けることになるのだ と思います。
     道元禅師が「仏道をならふというは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己を忘るるなり、自己をわするるといふは、 万法に証せらるるなり」と正法眼蔵の中で仰っておられます。〝自己を忘れる〟と云うことは。自己中心に考える姿勢から離れると云うことであり、〝万法に証せらるる〟とは 真実の自己に目覚めることであり、嘘偽りのない自分の心の中を表に出せると云うことだと思うのです。他人に嘘をつかず、自分にも嘘をつかず、心のままに生きるのが、 無碍の一道の人生だと思うのです。

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No.1546  2016.03.10
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(1)原文紹介

●無相庵のはしがき
     今回のコラム更新から、米沢秀雄先生の『歎異抄ざっくばらん』の詳細解説を再開させて頂きます。 今回は一般の方々にも知られている『善人なおもて・・・』で始まる第三章に関する詳細解説を引用致します。それに先立ち、先ず、 第三章の原文と現代和訳(白井成允先生訳)を紹介させて頂きます。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第三章』詳細解説―(1)原文紹介
     善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、 一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。 しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり、煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、 生死をはなるることあるべからずをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。 よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。

●白井成允師の第三章現代訳
     善人でさえ往生を遂げるのだ。まして悪人はもとより往生するに決まっている。ところが世間の人々は、いつも、悪人でさえ往生する、 まして善人はもとより往生するに決まっている、と言っている。この言い分は、一応道理にかなっているように思われるけれども、 弥陀の本願他力を恵み賜った御思召しに違っている。その理由は、いわゆる善人、即ち自分の力で善を作(な)し、その功徳で浄土に往生しようと欲(おも)う人は、 ひとえに如来の御慈悲にまかせ御力にたよる心がないのであるから、それは弥陀の本願ではない。けれども、さようの人でも、 自分で善根を積もうなどという心がひっくりかえってしまって、如来の御力をたのみまいらせるときには、即ち真実報土の往生をとげるのである。 煩悩という煩悩を一つも欠けることなく具えている私たちは、いかなる行を励んでも、生死を離れることが出来ないのをお憐れみくださって、 必ず救うと願いたたせられた弥陀仏の御本意は、悪人を仏と成らせようというためなのであられるから、その御本意を素直に頂いて、仏の御力をたのみたてまつる悪人こそ、 何にもまさった往生の正しき因(たね)なのである。だから、善人でさえも往生するのだから、まして悪人は往生するに決まっている、と仰せられたのである。

●無相庵のあとがき
     この歎異抄第三章には、親鸞仏法を理解する上でのキーワードが並んでおります。私も、読み返しながら、 改めて、それぞれの言葉の意味するところを考え直さねばならないと考える機会となりました。そして、 教科書的にその答えを自信を持ってご提示出来ない自分にも気付かされました。それらは、 『善人とは?』、『悪人とは?』、『往生とは?』、『本願とは?』、『他力とは?』、『浄土とは?』、『真実報土とは?』など等でこざいます。
これらの説明が出来ましても、正に『往生』が確定する訳ではございませんが、他の人々に、親鸞仏法を説明出来ることも、 親鸞仏法の信心を求める者としての重要な責務でもあると思いますし、信心を得てからも、常に立ち還るべきキーワードでもあると思います。 それをこのシリーズを通しましての私の目標にしたいとも思っております。

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No.1545  2016.03.07
日本の男女卓球チーム共に王者中国に屈して銀メダル

昨日、マレーシアのクアラルンプールで卓球の世界一を争う世界選手権団体戦の決勝が行われ、男女揃って決勝に進んだ日本は、 共に世界ランキング一位の中国に敗れ、銀メダルに終わった。私は昨日の日曜日、午後3時から夜の10時過ぎまで、 テレビ観戦し、一喜一憂はしたものの、結果は完敗でした。私の専門はテニスですので、テニスコートの大きさと比べ、 卓球台の大きさは十分の一位ですから、スピード感が全く異なる卓球の勝敗を分けるポイントは分かりませんが、 結局は、セットの後半の大事なポイントで、取って置きの球種とコース、高さを持っているかどうかではないかと考えました。 日本の選手は、最初から、取って置きの技を使わねば対等の勝負になりませんから、余裕がなかったように思いました。 それは、競技人口、すそ野の大きさの違いから生じるトッププレーヤーの実力差なのだと思います。日本の球技では、野球、 サッカーに運動神経の良い少年少女が集まりますから、卓球の銀メダルはよくぞ頑張ったと称賛してあげるべきだと思いました。


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No.1544  2016.03.03
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』詳細解説―(完)もののあり方

●無相庵のはしがき
     本日の米沢秀雄先生のご著書『歎異抄ざっくばらん』から抜粋引用した文章の中で、一番、米沢秀雄先生が仰りたいことは、 末尾近くにある、「仏法と云うのは、私自身を明らかにする問題や、と。そう云う言葉は親鸞に無いけれども、親鸞の教えられた究極のところは、 私自身を明らかにすることや。私自身が明らかになったことが、浄土真宗の救いやと、こう云うことです。」に尽きると思います。 むしろこれは、『歎異抄ざっくばらん』のご著書全体の結論と言ってもよいかも知れないと私は思っております。

米沢先生は、浄土宗を厳しく批判されているように思われるかも知れませんが、法然上人が開かれた浄土宗を批判されているのではなく、法然上人が亡くなられて以降、 現在に至るまでの、浄土宗の教えを説き聞かして来た、お坊さん方の受け取り方、説き方を厳しく批判されているのだと思います。 それは、浄土宗だけに限らず、現在の浄土真宗教団(東西本願寺ゃ、それに反発している親鸞会)にも同じことが言えるのではないかと、私は思っております。

そう云う意味では、『歎異抄ざっくばらん』は、米沢秀雄先生に依る『現代版ー歎異抄』と申してよいかも知れません。

●米沢秀雄先生の詳細解説―『もののあり方』をそのまま引用
     浄土宗でも『歎異抄』は大事に考えておるのですよ。浄土宗こそ『歎異抄』を大事に考えるのは、まことにもっともと思う。 つまり浄土宗的ですから。浄土真宗的でない。

     つまり、往相廻向とか還相廻向。そう云う言葉が『歎異抄』には出て来ない。で、この往相廻向・還相廻向と云うのは、 非常に親鸞の思想、信仰の上には、重要な意味をもっておりますし、天親菩薩の『浄土論』――『願生偈(がんしょうげ)』と言われるのですけれども、 『願生偈』と云うものも、親鸞の信仰・思想の上に大きな意味をもっておる。ところが浄土宗にはそう云うものがないようですね。 無いから口称の念仏に終わるんだろうと思います。 こう云うことが、非常に誤解を招くもとになっておるのでないかと思う。で、私が去年愛知県の豊川の寺の檀家総代と云うのが、 いつも帳場を受け持っておってお寺に対しては非常に協力をしておるわけや。帳場をやっておって、色んな先生を呼んで、法話会をやっとるけれども、 法話をいっぺんも聞いたことがないちゅうんや。

     まあ寺の協力者と云うのは、そう云う檀家総代で帳場をやるような人が、寺の協力者と従来は云われて来たんでないかと思うんやね。 で、檀家総代がその坊守さんに言うたちゅうや。「いったい、何べんナンマンダフをとなえたら、極楽へ行かれるんや」て。こう云うのがね、 やっぱり浄土宗的な質問であろうと、こう思うですね。それがたまたま去年、私が行った時に、帳場を人に替わってもらって、私のまずい話を聞いたんやと。 そしたら、一番終わりに坊守に、「おれはだいぶ見当違いをしていたらしい」と、こう言うたちゅうんやね。 で、そう云うことが分かったと云うことを、坊守が非常に喜んでおりましたが、つまり皆、見当違いをしとるのや。 「何べんナンマンダブをとなえたら、極楽へ行かれるんや」と云うのも見当違いなら、南無阿弥陀仏は極楽へ行く切符のように考えておるのも見当違いをしとる。 つまり、念仏を極楽へ行く手段に考えておるのやから。だから、そう云う手段に考えている、そう云う考え方を、 ぶっつぶすために「念仏は、まことに浄土に生まるる種にてやはんべるらん、また地獄に落つべき業にてやはんべるらん。 総じてもって存知せざるなり」――無責任な発言のように思われるけれども、親鸞の心は、念仏は極楽に生まれる手段ではないのやと。念仏出来ると云うところに、 私自身が立つことが出来るのや。で、仏法と云うのは、私自身を明らかにする問題や、と。そう云う言葉は親鸞に無いけれども、親鸞の教えられた究極のところは、 私自身を明らかにすることや。私自身が明らかになったことが、浄土真宗の救いやと、こう云うことですね。

自覚教と云うのは、私自身が明らかになることですよ。しかし自覚教は、修行しなければならんと云うことになっておる。「南無阿弥陀仏のいわれを知る」と、 蓮如が言うたけれども、南無阿弥陀仏がどう云うことを言うておるのか。つまり、私はさっき「もののあり方を、言い当てた言葉」やと、こう云うふうにも申しましたが、 私自身を明らからにしたのが、南無阿弥陀仏やと云うことになりますと、南無阿弥陀仏の教えを聞くと云うことは、私自身を明らかにすることで、 私自身が明らかになったと云うことが、浄土真宗における救いであると、こう云う風に考えられるのではないかと思う訳です。

●無相庵のあとがき
     『願生偈(がんしょうげ)』とは、天親菩薩が大無量寿経を解釈された著書、『無量寿経優婆提舎願生偈(むりょうじゅきょう、 うばだいしゃがんしょうげ)』のことですが、これを一般に『浄土論』と申します。その内容は、天親菩薩が、まず「世尊」といって、釈尊に向かって呼びかけておられます。そして、 「私は心を一つにして、阿弥陀如来に帰命したてまつります。そして私は(釈尊のみ教えにしたがって)阿弥陀仏の極楽浄土に生まれたいと願っております」という、 帰依の気持ちを表しておられるのです。つまり、先ず〝念仏有き〟ではなく、帰依する心、極楽浄土に生まれたいと願う心が無ければならないとお示しになられていた、 ということでしょう。親鸞聖人も、その考え方が大事だとお考えになられていたから、天親菩薩の『親』をお名前に入れられたのだと思われます。

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No.1543  2016.02.29
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』詳細解説―(第九節)無上仏たらしめん

●無相庵のはしがき
     この(第九節)無上仏たらしめんは、歎異抄第2章の詳細解説なのですが、かなり、歎異抄から遠くなっています。歎異抄第2章は、 「おのおの十余か国のさかいをこえて・・・」で始まるものです。親鸞聖人が関東に居る時のお弟子方数名が、親鸞聖人の教えの本当のところを聞かせて貰おうと、 遠いところを徒歩で京都の親鸞聖人を訪ね、親鸞聖人に面会した場面での、親鸞聖人の第一声が書かれております。
     今日のコラム表題にある〝無上仏のこと〟とは無関係でありますが、米沢先生は、この第2章に、親鸞聖人の名前の元となった、 天親(しん)菩薩と曇鸞(らん)大師の名前が出ていなくて、法然上人が崇めていた善導大師の名前だけが出ていることを主たる根拠として、この歎異抄は法然の浄土宗的 だと云う持論を展開されています。そして、親鸞聖人が晩年に書かれた『自然法爾章』に記されている「弥陀の誓い(本願)は、無上仏にならしめんと誓い給えるなり、 無上仏とは、形も無くまします」と云うことが一番大事であると云うご主張です。「南無阿弥陀仏」と念仏を称えても、無上仏になれなかったら意味はないのだと、 法然上人の浄土宗の問題点を指摘されているように思えます。

●米沢秀雄先生の詳細解説―『無上仏たらしめん』をそのまま引用
     それでこの、私が一番初めに申し上げましたように、第二章で引っ掛かったのは、善導大師(ぜんどうだいし)だけがあげてある (名前が書かれている)と、こう云うことですね。それから、曇鸞大師(どんらんだいし)とか天親菩薩(てんじんぼさつ)とかがあげてないと云うこと。 これは親鸞の思想に影響を与えた人として、天親菩薩とか曇鸞大師とかは抜かすことの出来ない人ですね。 たとえば『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』にはまず往相廻向(おうそうえこう)、還相廻向(げんそうえこう)と云う言葉が出てくる。この言葉は、 曇鸞から来ておるのですね。曇鸞大師が、天親菩薩の『浄土論』に対して解釈を加えられたのを、『浄土論註(じょうどろんちゅう)』という。 それに、往相廻向、還相廻向という言葉が出てくる。だから、曇鸞大師の影響が非常に強いにも拘わらず、善導大師しかあげてないところに、 この『歎異抄』が、浄土宗的であるところがあるんでないかと思うんですね。

     それから、他力と云うことも、本願他力とか、こう云う言葉を親鸞が使われておるが、他力と云うことを初めて言われたのが、 曇鸞なんです。だから曇鸞の影響を非常に受けておられるにも拘わらず、それが『歎異抄』の中には曇鸞大師の名が見えない。それと、 往相廻向、還相廻向という言葉もない。「廻向」と云う言葉が、第一ない。そう云うところが、まあこの『歎異抄』が浄土宗的であると、 こう私は考えざるを得ない所以があるわけです。

     今申した、「他力」と云う考え方。親鸞の浄土真宗を語る場合に、「他力」と云う言葉は抜かすことの出来ないものです。 ご承知のように、明治時代に出られた清沢満之【きよざわ まんし、1863年8月10日(文久3年6月26日) - 1903年(明治36年)6月6日】は、 絶対他力と云う言葉を使っておられるが、その絶対他力と云うのは、他力に絶対と云う言葉を付け加えられただけであって、 他力と言おうが絶対他力と言おうが内容は同じであると云うことですね。

     もう一つ、ついでに申すと、先程、この救いと云うことはどう云うことか、と云うことを問題にしたのですが、 救いと云うのはどう云うことかと言うと、親鸞の思想をずっと見ていって、例えば晩年に書かれた「自然法爾(じねんほうに)章」を見てみますと、 「誓いのやうは、無上仏に成らしめんと誓いたまへるなり」――こう云う言葉がある。「無上仏」。「誓いのやうは、無上仏に成らしめんと誓いたまへるなり」 ――つまり、われわれ一人一人を無上仏にするのが、本願の狙いである。ところがその無上仏に対して、――無上仏と云うのは、色も無く形も無くまします、 こう云うように書いてある。それで私は、無上仏と云うのを法身仏(ほっしんぶつ)と同じものであろうと、こう思うですね。

     法身仏と云うのはどういうものかと言うと、法身仏と云うのは、これはいつも私が申し上げておりますからご存知であろうと思うが、 私は法身仏のことを「はたらきそのもの」と称しておる。宇宙に存在する一切のものは、はたらきそのものから生まれてきておる。縁あって松の木となり、 縁あって虫けらとなり、縁あって人間となる。こう云うもので、一切のものははたらきそのものから生まれて来ておる、とそのはたらきそのものを法身仏と言い、 それを親鸞は無上仏と言われた。つまり一人一人を、無上仏に成らしめんと誓いたまえるなりと云うのは、本願の念仏と云うのは、 私を法身仏と一体にさせるための本願であると、こう云うことが言える。

     法身仏と一体になると云うことは、我々の本当の姿に会うと云うことです。真宗の救いと云うのは、我々が本当の姿に会うことやと、 それが真宗の救いである、と。本当の姿と云うのは、法身仏から生まれて来て、法身仏に支えられて、今も生きている。つまり空気を吸うとか、 太陽のお蔭を蒙(こうむ)るとか、一切のお蔭を蒙っておると云うことは、法身仏のはたらきによって支えられて、今も生きておる。 娑婆の縁尽きれば法身仏の世界に帰ると、こう云う我々の本当の姿であろうと思う。だから、浄土真宗を信じておろうがおろまいが、天理教を信じておっても、 創価学会を信じておっても、法身仏から生まれてきて、法身仏に支えられて今も生きており、娑婆の縁尽きれば法身仏の世界へ帰る。 これはもう絶対に間違いのないことや。

     みんなこの世でこそ、それぞれ職業も違うし、信仰しているものも違うけれども、それを本当のところを突き詰めて行くと、 皆法身仏から生まれて来て、法身仏に支えられて生きており、法身仏の世界へ帰る、これは無神論者でも絶対に間違いない。 そう云う絶対間違いないことを押さえたところに、浄土真宗の本願念仏があると、私は思うのです。分かりやすくとは言うたけれども、なかなか分からんのや。 なかなか分からんけれども、分かろうと思えば分かる。

     で、この「分かる」と云うのは、私、いつも申しておるように、頭でわかる話でない。身体(からだ)でわかる話や。 身体で分かると云うことが大事なんや。身体と云うものは非常に正直なもので、身体で分かる。その身体で分かる話を、先月は、 私が名鉄電車の中でオシッコしたくなった話をした。身体と云うのは、非常に正直なもので、身体の中を血液が循環する。心臓が動いとる、 だから生きとられるのやけど、その心臓でも呼吸でも血液の循環でも、私がそうさせておるのでない。はたらきそのものがはたらきかけて、そうせしめておるのであると、 こう云うことですね。だから誰でも身体持っとったら、法身仏のはたらきによって、生かされておること間違いない。そう云うことを明らかに言い切ったところに、 仏法がある。それを本願の念仏、南無阿弥陀仏と云う形で、我々に伝えられたところに、浄土真宗があると思う。浄土宗ではまだそこまで、 自覚と云うところまで行っておらん、と云うところに問題があるのでないかと、こう思うのですね。

●無相庵のあとがき
     井上善右衛門先生のお話には〝真実の宗教〟と云う言葉が繰り返し出て参りました事を覚えております。恐らく、 井上先生は常に〝真実の宗教〟を求めておられたのだと思います。そして、それは今日の歎異抄第二章の解説をされている米沢秀雄先生も全くご同様だと思いますし、 それは、そもそも親鸞聖人が生涯をかけて求められたことなのだと深く感じ入る次第であります。

     親鸞聖人、井上善右衛門先生、米沢秀雄先生が考えておられた〝真実の宗教〟とは何であるかと申しますならば、それは、 「自己とは何か?」と、〝自己を問う宗教〟と言い換えても良いのではないかと考えます。反対に、〝自己〟を問題にせず、神様とか仏様を中心にして人生を生きる信仰が、 キリスト教であったり、イスラム教だと思います。また、米沢秀雄先生に言わせれば、著書『選択本願念仏集』(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)に、 「偏依善導一師」という、「ひとえにただ一人善導を私の師として打ちこんでいく」とした法然上人の浄土宗にも問題有りとされていたのではないかと思われます。 勿論、どの宗教が正しくて、それ以外は正しくない宗教だと云うことは決して言ってはならないことであります。 信教の自由は大切に守らねば、宗教が争いの種になってしまいますので心せねばならないことは言うまでもありません。

     しかし、自己は、自分の本当の心は自分が一番知っている真実だと思います。また「自己とは何か?」を問える生き物は、 人間だけに限られます。その特権を大事にしてこそ、真実を生きれるのだ、人間を生きられるのだと考察致します。
米沢秀雄先生は、仏様とか神様に替わるものとして、〝はたらきそのもの〟と申されたのだと思います。

なむあみだぶつ


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No.1542  2016.02.25
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』詳細解説―(第八節)私の中の謗法

                    (注)謗法(ほうぼう、ぼうほう)は、誹謗正法(ひぼうしょうぼう)の略。

●無相庵のはしがき
     唯除の文の存在は、親鸞仏法の要と言っても良いと思われます。その唯除の文の中に、今回の表題に含まれている、 『謗法』と云う言葉があります。私は、小学生の頃から、家族全員と共に仏壇の前に座り、正信偈をはじめとするお経をあげていましたし、母の主宰していた仏教講演会で 法話を聞いていましたので、自分では仏法を大事にして来ましたし、今もこの無相庵コラムを更新し続けておりますので、 仏法を謗(そし)って来たとは思っていませんでした。しかし、仏法を聞きながら、多くの人々を傷付けもし、迷惑を掛けて来たことは間違いありませんので、 私こそ、心の内に虚仮不実を抱いており、言葉を発して仏法を謗って来た訳ではありませんが、仏法を傷付けて来たのだと云うのが、米沢先生のご指摘であります。 まことに厳しいお言葉ではありますが、正に、これが唯除の文が親鸞仏法の要である所以なのだと、今では私にとりましては有難い、 私の為のこの『(第八節)私の中の謗法』となりました。

法然上人は、唯除の文を素通り為さったようであります。法然上人は生涯、顔を上げて女人の顔を見なかったと言われ、独身を通された聖者であります。唯除の五逆にも、 当てはまらず、仏法を謗る立場には成られなかったのです。そして、念仏三昧の一生を送られ、門下生にも、それを求められたのだと思います。
法然上人の門下生だった中で親鸞聖人だけは私たちと同じく妻帯もされ、煩悩生活の中で苦悩を乗り越えられて、無碍の一道の道標を遺して下さったのだと思います。

●唯除の原文・訓読・意訳
原文 - 設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法
訓読 - 設(も)し我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽(しんぎょう)し、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せんに、 若し生ぜずば、正覚を取らじ、唯五逆と誹謗正法は除く。 / たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。 もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。
意訳 - 私が仏となる以上、(誰であれ)あらゆる世界に住むすべての人々がまことの心をもって、深く私の誓いを信じ、 私の国土に往生しようと願って、少なくとも十遍、私の名を称えたにもかかわらず、(万が一にも)往生しないということがあるならば、 (その間、)私は仏になるわけにいかない。
ただし五逆罪を犯す者と、仏法を謗る者は除くこととする。

●米沢秀雄先生の詳細解説―『私の中の謗法』をそのまま引用
     真宗が、必ず善知識(ぜんちしき;仏教の正しい道理を教え、利益を与えて導いてくれる人のこと)を問題にするのは、その、 独覚でなしに、天啓思想でなしに、何か伝統の上に立って悟りを開く、そういうことを強調するために、善知識を問題にするんだろうと思うんですね。

     しかし、善知識と云うのは、何処に居るか分からん。自分に縁のあるもので、時機が到来せぬと、 自分が善知識に会っていても分からんと云うことがありますから、善知識と云うのは一人一人皆違うものであろうと、こう思うのですね。 「この人が善知識や」と言うと、この人に会うたら皆信心――信の眼が開けるかと言うと、そう云う訳のものでもなかろうと。 時機醇熟(じきじゅんじゅく;時期が熟すること)と云うことを、安田理深先生がやかましく言われますけれども、時機が来なければ、 いくら善知識に会うておっても、信の眼が開けんと、こう云うことがあるだろうと思うですね。

     そこで、この何というか、「法蔵菩薩の誕生」では、法蔵と云うのが世自在王仏に会うて、自分が助かると同時に、 世界中の人類が救われる、そういう道を開いた、という風に書いたんかな。そうすると世自在王仏(せじざいおうぶつ)は、そういう道がある、と。 それには浄土という世界に生まれれば、そういう、自分が救われると同時に、全人類が救われる、そう云う世界がある、と。

     で、浄土に生まれるには、南無阿弥陀仏すると全部救われるのだ、と。しかし浄土と云うのは、仏ばかりの綺麗な世界やで、 少しでも汚れておったら、浄土へ入られんから、お前は浄土へ入られるかどうか、入国の資格審査をする、と云うふうに私が書いたんかな。資格審査をすると云うことが、 この「唯除五逆・誹謗正法」のことを言おうと思うて、そう云うことを書いたんや。

で、浄土とは綺麗な世界やから、人を殺(あや)めたり、ものの生命(いのち)を取った者は、この浄土へ入られんと。そこで法蔵菩薩が引っ掛かってしまう。 ものの生命を取った覚えがあるで、つまり毎日色んなものを食べておるで。そういうことで、自分は浄土へ入られんことが分かる。自分は救われん奴だと云うことが分かる。 その救われん奴を、太陽が照らして下さるし、微風が吹いて下さるし、皆温かく付き合って下さるし、まことに有難いと。 そのまことに有難い――皆から、諸仏から守られておって、まことに有難いのを、『法の深信(ほうのじんしん)』と、こう云う訳です。

     『機の深信(きのじんしん)』無しに『法の深信』と云うことは有り得ない。自分が、実に浄土に入られん、 救われん奴やという事(機の自信)が分かって、初めてこの世で、既に救われておる自分と云うものを発見する。 そう云うようにまあ、「唯除五逆・・・」という言葉を使わずに、浄土へ入る資格審査と云う形で、私が書いた訳ですけれども、その心は、 唯除五逆と同じことやと思うんですね。

     それから誹謗正法と云うのは、これは仏法をそしると云うことですけれども、何と言うかな、仏法をそしった覚えはないけれども、 仏法というのは、蓮如も言うているように、無我の法である。無我の法と言うと、我執が無いと言うことで、我執が絶滅したと云う事は、我々が肉体を持っている限り、 有り得ないことで、私が生きとると云うことは、我執が生きていると云う事とイコールな事。我執というのは絶対に無くならない。 その我執を、親鸞は「虚仮不実の心」とか「心は蛇蠍(じゃかつ;ヘビやサソリ)のようだ」と言うた。つまり、「自分さえよければいい」と云う考えを、我執と、 こういう訳です。我に対する執着と、こういう。我執と云うのは、人間が生きている限りは、絶対になくなるものでない。だから親鸞が「救われん奴や」と言うのは、 我執から手を切ることの出来ない自分やと、こういう告白と同じな訳です。

     この無我の法の中に居りながら、我執をもってそれに背いておる。それを誹謗正法という訳です。仏法をそしっているということは、 無我の法をそしる、無我の法に背いておると云うことが、仏法をそしっていることになる訳で、だから我々が生きているいると云うことは、無我の法に背いておると、 無我の法に背いておると云うことが、救われておらんと云うことで、これが誹謗正法、仏法をそしっている。そうすると、仏法をそしっておらん者は一人もないと、 こう云う訳ですね。

     それから我々が生きとるということは、無我の理(ことわり)、無我の法に背(そむ)いておる、と。蓮如も「仏法は無我にて候」と、 こう言うとる。仏法は無我やけど、われわれは有我や、と。自分に対する執着を絶対に捨てられん。そう云うところに、仏法を誹謗しておると、 こう云う姿があると云うことですね。それが自分であると云うことがはっきり自分自身に頷けると云うことが、自覚に到達する唯一の道である、 そう云うことを親鸞が見付けられて、「唯除の文」と云うのを、非常に重要視された。

     ところが法然上人は、それを重要視しなかった。で、善導大師の言われた通り、南無阿弥陀仏を唱えると云うことを、 強調されたと云うことが言えるですね。それで、京都に浄土宗の寺で、百万遍と云う寺がありますが、百万遍念仏を唱える、つまり、 念仏して浄土に生まれることが出来るなら、なるべく数多く唱える方が良かろうとこう云うことでしょう。百万遍と云う数が、 どうして分かるんだろうと思っていたところが、何か大きな珠数(じゅず)を廻すんやそうですね、皆で。で、その中に一つの親玉があって、 その親玉が自分のところへ来ると、一回廻ったと云うことで、数が分かるんやそうです。色んなことを考えるもんですね、人間は。こんな、百万遍なんてことは、 人間の考えやね。だから人間の考えなんか何にもならんと。人間の考え、人間の努力、それを自力と、こう言うんですが、自力以前に、如来から廻向されておる、 こう云うことを親鸞が見出されたと云うことは、これは大したことです。

     この前にも言うたか知らんけれど、法然は不廻向(ふえこう)と云う事を言うた。これは次の章か、 父母孝養のために一遍(いっぺん)も念仏せん、と、これは不廻向と云うこと。まあ、念仏も、こちらから廻向すると云う考えが、これは本願の中で言うと、 第二十願にあたる訳ですけれど、人間が念仏を唱えてそれを廻向する。父母が成仏するように念仏すると云うのは、自分の努力を廻向する、 向こうに廻向すると云うことになるのでないか。 法然は不廻向と言うて、人間の努力は必要ないと、こう言われた。不廻向。不廻向はいいんですけれども、もっと積極的に、如来廻向があるから、 人間の努力を必要としないんだ、と、こう云うことを親鸞が言われて、まあ法然の言われたことを、積極的に表現された。こう云うところに、 親鸞様の面目があるんだろうと、こう思うんですね。

●無相庵のあとがき
     私は、未だ『大無量寿経』を勉強しておりません。何れは、勉強しなければならないかも知れませんが、今のところ、 そう言う時間が取れそうにありません。今は、最近入手出来た、かなり昔の井上先生の垂水見真会での法話テープと米沢先生のご著書を併行して勉強しながら、 親鸞仏法の真髄を掴み、間接的に『大無量寿経』を我がものにして、無相庵読者様方にその真髄をご紹介出来たら実に幸いだと云う大それたことを考えております。

なむあみだぶつ


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No.1541  2016.21
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』詳細解説―(第七節)五十三仏を経て

●無相庵のはしがき
     米沢先生は、幼い頃に「死ぬのが恐ろしかったので、結論としては、生きるとはどういうことか?」が人生の課題となったと。そして、やがてそれが仏法を求めることになり、それからの様々な縁に依って、 親鸞聖人の教えに行き着いと考えておられたようです。斯く言う私はどうかと振り返ってみますと、「毎日が楽しく、活き活きと生きれる何かを見付けたい」と云うことが課題だったように思います。従って、 幼い頃から名誉心が強かったのではないかと思います。
     小中学生の頃は、自分でも運動神経に自信を持っており、有名になりたい一心で、野球、テニス等のスポーツ三昧の生活でした。しかし、高校に進学してからは、 名誉とお金を得るには一流大学に進学するのが先決だと考えたのでしょう、テニスを諦め、受験勉強に打ち込みました。
     そして本当は東大か京大に進学したかったのですが、それ程の学力は無く、阪大に落ち着きました。そして、勉強は諦めて軟式テニスで有名プレーヤーを目指して頑張りましたが、 全国トップレベルの有名選手にはなれませんでした。 その後、社会人になりましてから、職場を変えたり仕事を変えたりしましたが、今考えますと、それは私が幼い頃の課題だった「毎日が楽しく、活き活きと生きれる何かを見付けたい」という想いが続いていたのだと思います。

     仏法も、母の影響で幼いころから親しんでいましたが、、社会人になりましてからも、やはり母の影響で続けていましたが、それも当初は、名利を求めてのものだったと振り返っております。しかし名利を失った今現在では、 親鸞聖人の教えに出遇わせて頂いたお蔭で、「活き活きと生きれる心の落ち着き処」を見付けられたように思っています。

     最近、井上善右衛門先生の歎異抄講話シリーズの法話テープが見付かり、米沢秀雄先生の法話と併行して、勉強させて頂いておりますが、心の落ち着き処を得るには、今日の米沢先生の『燃灯仏』、真剣な『燃灯仏』が必要ではないかと思っております。

●米沢秀雄先生の詳細解説―『五十三仏を経て』をそのまま引用
     で、あとでやっぱり考えたんや。そしたら私の小さい時に、死ぬことがおそろしかったんや。死ぬことがおそろしくて、夜寝る時に、「どうか明日も生命がありますように」と言って、祈りながら寝た記憶があるんや。 それが私の燃灯仏やと思うんやな。燃灯仏と云うのは、ちょっと火がともった、ということや。つまり死ぬことがおそろしいと云うことで、あの燃灯仏と云うのは、錠光如来は、「鍵の穴から光が漏れる」と云うようなことや。
     つまり死ぬことがおそろしいと云うことで、実は生が問われている。生きるとはどういうことか、こういうことが問われていると云うことなんですよ。これが私を親鸞の教えにまで引っ張ってきた所以で、私の遠因やろうと思う。 それ以来いろんな縁によって、ここまで引っ張ってこられたと云うことです。そういう疑問がなければね、まあ私は真宗にご縁を頂くと云うことはなかったと思う。

で、こう云う〝いのち〟と云うものに対する、子どもながらの目ざめと言うんかな、そう言うものがあったと思うんですよ。これは『私の五十三仏』と云う題で、桑名別院の暁天講座で話したのが、桑名別院から冊子となって出ておりますけれども、 そこには江原通子さんのことが言うてある。

     江原通子さんからもらった本の中に、江原通子さんが自分の少女時代の事を書いて、「あなたは誰か」と、自分で自問していなさる。「あなたは誰か」と言うと「江原通子」と、 「江原通子と今言うているあなたは誰か」と言うんや。と、「親があって、兄弟があって・・・」と言うと、「そういうことを言うているあなたは誰か」と、こう言うとね。ちょうどラッキョの皮をむくようなものでね。 追及していくと「あなたは誰か」というと、何か、あと何も出てこんようになってしまうやね。それが江原通子さんの燃灯仏であった。「あなたは誰か」ということが問題になって、江原さんが禅に精進するようになったと、こう私は思うんですね。 で、何か我々の心の中に、一つの問題意識を持つ。それが燃灯仏、それが錠光如来である。それがずっと縁を作っていくもとになると、こう思うですね。いくら縁がありましても、こちらに問題が無いと、縁が縁にならんと云うことがあるんでないですか。

     それで、私は子どもの時から色んな本を読みました。中学時代には夏目漱石の小説とか、そういうものを読んで、人間の生き方を教えられたと思う。私が一番愛読したのは、 中勘介【なか かんすけ;(1885年(明治18年)5月22日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は東京出身の作家・詩人、東大で夏目漱石の門下生】という人の作品ですけれども、そういう事で人間の生き方というのを学んだと思う。

     ところが『大無量寿経』を読むと、おもしろいことは、燃灯仏、それから五十三仏があらわれて、衆生を教化して浄土へ帰ってしまったと、こういうことが書いてある。これがおもしろいと思う。 浄土へ帰ってしまったと云うことは、もう私に必要がなくなったということ。阿弥陀仏だけが、「今現在説法」。
     で、阿弥陀仏と縁が出来ると、阿弥陀仏から絶対に離れられん、と云うことを「阿弥陀仏今現在説法」と、今説法しておられると、こういうこと。他の五十三仏は皆衆生教化して、浄土へ帰ってしまった。 私も若い時には、夏目漱石や色んな人のを読んだ。そういう人が皆浄土へ帰った、ということは、そういう人たちの作品は、もう私に用事がなくなったということやね。で、阿弥陀仏だけの教えだけ、本願の念仏だけは、 これだけが縁が切れずに今も続いているということを、「今現在説法」と、こう言われるんだと、こう私は自分勝手に解釈しとるんや。

     曽我量深先生は、燃灯仏と云うのは一番新しい仏で、一番古い仏が世自在王仏。それが世自在王仏に教えを聞いて、法蔵菩薩が阿弥陀仏になられたと、こう云う風に言うてあるんや。この世自在王仏と云うのは、 やっぱり善知識のことなんでしょう。やっぱり信心を得るのには、善知識と云うものが必要な訳や。真宗では、しばしば「あなたの善知識は誰か」と云うことを、非常に重要な問題にして、尋ねられることが多いですね。 「善知識の名前が言われんのなら、それは天啓思想や」と言われる。天啓思想と云うのは仏教で言うと、円覚かな、独覚。独りで悟る、独覚。天啓思想と云うのは、インスピレーションで分かるちゅうのや。

     例をあげますと、大本教の開祖の出口なおという、これはお百姓のおばあさんでね。ご主人が道楽者で、子どもが沢山あって、非常な貧乏して、貧乏のどん底で、ある日ひらめいたんや。これが天啓です。 それで出口なおと云う人は、字が書けんので、王仁三郎という人が集大成して、出口なおの『お筆先』と云うことね、まあ大本教を作りあげたわけです。

     もう一人あげると、天理教の開祖の中山ミキ。あれも農家の娘さんやったのが、あるキッカケでひらめいた。ひらめきですわ、天啓思想というのは、そして覚った独覚です。天理教を始めたわけです。

●無相庵のあとがき
     親鸞聖人の仏法の教えの要は、真実の自己、現実の自己、偽りのない自己と向き合うことです。他の人間を信じる立場を親鸞仏法はとりません。私は親鸞と云う人間を信じているのではありません。 親鸞が捉えた自己に対する向き合い方を私が実践して、その向き合い方が正しいと考えたという訳です。

なむあみだぶつ


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