No.1490  2015.08.20
『国破れてマッカーサー』(西鋭夫著、中央公論社版)序文(はじめに)を紹介-(1)

●無相庵のはしがき
     井上善右衛門先生のご法話紹介を中断しこれからしばらくの間、私たち日本の国民が、今後の日本の有り方に付いて考察する際の一助になると思われる、或る国際政治学者の考え方を紹介しておきたいと思う。 いま国論を二分する安保法制法案の是否は私にとってもかなり重要な関心事である。その私は、私の仏法上の先生方の或るお一人のご遺言である次のお言葉に共感を覚え、引き継ぎたいと考えてきた。
「法を護るためには、もしも他国から武力を以て侵された場合には、之を防ぐだけの意思と力を持たなければならない。その力の中には武力も含まれる」(昭和27年8月25日のご著書から)

     そう考えていたところの今年のお盆に、或る無相庵読者のお一人から紹介されたのが、表題に示した『国破れてマッカーサー』と云う名の本である。
私は『国破れてマッカーサー』の著者の考え方総てを〝是〟とする訳ではない。中でも、憲法9条に関する件(くだり)には疑念がある(私の受け取り方が著者の意図するところではないのかも知れないが・・・)
ただ、それはそれとして、西鋭夫氏の主張は歴史の真実を学ぶ際の一つの重要な視点であることは間違いないと思い、著書から抜粋引用し紹介したいと思った次第である。 興味を抱いた方には、是非とも序文(はじめに)に続く本文を直接読んで頂きたいと思う。

●著者紹介
西鋭夫(にし・としお)
1941年12月、真珠湾攻撃の5日後、大阪に生まれる。岡山県に疎開。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。在学中、アリューシャン列島のサケ缶詰工場(イクラ製造)で学費を稼ぐ。
同大学院博士号取得(国際政治・教育学博士)。J.Walter Thompson広告代理店に勤務。現在、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授、モラロジー研究所教授、日本大学大学院総合科学研究科教授、滋慶学園教育顧問。
日本語著書に、『富国弱兵ニッポン』『日米魂力戦』がある。

●マッカーサーとは
ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)は、アメリカの軍人、陸軍元帥(アメリカ軍人の最高位)。
1945年8月30日~1951年に、連合国軍最高司令官として、連合国軍が接収した皇居前の第一生命館内の執務室で、日本占領に当たった。

●『国破れてマッカーサー』の裏表紙の紹介文
アメリカによる「占領」は未だ終わらざる日本の惨敗物語だ。米政府の極秘資料をもとに、占領政策の欺瞞を暴き、日本人の変節を問う。平和と民主主義の代償として憲法第9条の中に埋葬された日本人の誇りを取り戻すために、いま明かされる「占領の真実」。

●『国破れてマッカーサー』の序文(はじめに)
アメリカ兵を見たのは五歳の夏。
蝉(せみ)、蜻蛉(とんぼ)、蛍、喋々、蛙、蝮(まむし)、青々とした田圃(たんぼ)焼けば美味しい蝗(いなご)、青大将に二回咬まれた夏、岡山県の美しい田舎に疎開していた時だ。

凸凹(でこぼこ)の田舎道を、カーキ色のジープが黄色い砂埃を上げ、走ってきた。半袖のカーキ色の軍服を着た4、5人の赤ら顔のアメリカ兵たちが大声で叫び、ジープから夢のような貴重品、 チューインガム、タバコ、チョコレートを両手で掴み、何度も何度も空高くばら撒いた。
裸足で、ボロの半ズボンで、鮒(ふな)捕りをしていた私たち5、6人、文字通りの「餓鬼」は、歓声を上げ、網を放り出し、穴の空いたブリキのバケツも放り出し、見た事も無いジープの後を全力で追い、薄紫色の排気ガス、 機械文明の匂いを胸一杯に吸い込み、必死になって宝物を拾い漁(あさ)った。

アメリカ兵たちは、ジープを停め、笑いながら私たちの写真を撮っていた。
チョコレートを口一杯に頬張り、チューインガム、タバコをポケットに溢れるほど詰め込み、さらに両手に余るほどの戦利品を家に持ち帰り、意気揚々と父親に見せた。

「乞食!」と怒鳴られた。
子供ながら、食糧不足で痩せ細った父の顔に走った「惨めさ」「寂しさ」を見逃さなかった。

あれから60年。
「経済復興」というスローガンを掲げ、銭(かね)のためにはアメリカに苛(いじ)められても、無視されても、公に侮辱され、利用されても、ひたすら「富」の蓄積に涙ぐましい努力をし、やっと世界一、二の金持ちになった。 日本はアメリカの「乞食」として生きてきたのか。 豊かな日本はアメリカに諂(へつら)う精神状態から抜けきれない。上目遣いで卑屈な生活を続けると、それが日本の「面(かお)」に出るのだ。

日本国民は、第二次世界大戦中、アジア・太平洋戦で、敵軍米兵が尊敬の念を持たずにはいられないほどの「国を愛する心」と「誇り」に支えらた勇敢さで死闘を繰り広げ、数百万人の犠牲者を出し、敗れた。

日本国歴史上、前代未聞の敵軍による「日本占領」が始まる。
国破れて、占領が始まった1945年の真夏から、「無敵の日本帝国がなぜ負けたのか」と国民は自責の病に冒され、惨敗の理由探しに苦しんだ。「精神力では勝っていた」と占領の屈辱を耐えた。 飢餓寸前の食糧危機の中で自分を慰めるかのように、この念仏を呟(つぶや)き、「富」の蓄財に奔走した。

「富」の魔力に惑わされ、「富」に真の幸せがあると錯覚し、日本国民は形相(ぎょうそう)物凄く「富」を追及した。戦勝国アメリカが「世界一素晴らしい」アメリカ国内市場を日本の企業に提供してくれた。「日本のために」「経済復興のために」と。
しかし、「富」という甘い麻薬への代償は、日本が最も大切にしていた『大和魂』を失う事だったとは国民誰一人として気付かなかった。
この危ない絡繰(からく)りに気付いて警告を発した人が居たとしても、「極右」とか「軍国主義者」と罵倒を浴び、無視されただろう。

アメリカにモノを売って日本は金儲けをした。
アメリカにとっての見返りは、日本人の服従。日本人の勇敢さ、戦闘心、「武士道」。脈々と絶えることなく流れ続けた日本国の歴史。歴史に育まれ、成長してきた愛国心と誇り。即ち、日本人の魂。
この無形の『見返り』をまんまと日本から取り上げたアメリカは、「また、勝った!」と思っている。銭(かね)では計れない、赤字・黒字決算簿に出てこない「誇り」を、アメリカは敗戦直後の虚脱状態にあった日本国民の心の中から、 永久平和と民主主義という甘い言葉で誘い出し、アジア・太平洋の「征夷大将軍」マッカーサー元帥の密室で扼殺された。

その死体が憲法第9条。
第9条は「愛国心」の墓。
富める国の真っ只中にありながら、忘れ去られた墓。誰も訪れない無縁墓地。

ブランド物の美しい服で着飾り、美味しいものを食べ、多額の金を使い世界へ物見遊山に行き、またハイ・テクの小道具で日常生活を楽しんでいる富国日本の人々の心の中にはペンペン草が生えているだろう。
己を顧みず、国の歴史となんの絆も持たず、国の栄光と失望、夢と後悔、誇りと反省などには目もくれず、ひたすら「物・富」を追いかける今の日本の姿は、飢えていた5歳の私と同じではないのか。
我々の「誇り」は第9条の中に埋葬されている。
日本国民は、第9条があるから日本が「平和」でおられたと信じている。そのように教育されてきた。今でも、そう教えこむ。

●無相庵のあとがき
     私は未だ本文を読み終わっていない。やはり、このお盆休みの前に、やはり無相庵読者の或る方から、一冊の本の存在を教えられた。
それは、70年前の戦争に纏わる単行本『十二月八日と八月十五日』(半藤一利著、文芸文庫版)と云うもので、先ず、その本を攻略しようとしていたからである。
この本にも、私が知り得ていない、宣戦布告となった真珠湾攻撃を知った当時の日本人の肯定的興奮状態が紹介されていて、私は何も知らなかったのだと、我が無知振りを思い知らされた次第である。 無知と云うよりも、西鋭夫氏に言わせれば、まさに敗戦の年に生まれた私だからこそ、戦後のアメリカGHQが断行した教育改革に依って無関心にさせられたからだったのかも知れない。

     かなり前のことであるが、1989年に出版されベストセラーになった「「NO(ノー)」と言える日本」を書いた石原慎太郎氏が、「アメリカは小麦粉を売りたい為に日本の小学校の給食にパンを喰わせた」と言っていた。 今日紹介した『国破れてマッカーサー』の序文を読んで、私はその石原氏のパンの話を思い出した。アメリカは自国の国益になる事を、日本政府に指令し、日本の義務教育現場に、教育方針のみならず、給食メニューにまで、手を入れていたのだ。 まだある。戦後の日本の総理大臣は、東久邇宮首相から数えて33人居るが、在任3年以上となるのはアメリカ政府の意を受けて政策を実行した、或は実行しようとした7人(吉田茂 、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三)しか居ない。 日本のリーダーとして独自色を出そうとしたしっかり者総理大臣は、田中角栄首相を始めとして、悉く、何らかの手を使って短命に終わらせているらしいことを聞いた事がある。
ただ、私はアメリカが総て悪い訳では無いと思う。日本は島国であり、他国と国境を接していない環境から、警戒心が乏しく、相手に策略を弄する必要も無かった為に、相手の策略とかには弱い。つまり生まれつき警戒心もなく、騙されやすい国家なのだ。 だから、日本の戦争責任に付いて隣国からしっかり謝れ、反省が足りない、誠意が無い等と苛められ放題になっているのだと思う。 そして、本来日本国を護るべき報道機関も、アメリカのマインドコントロールに依って、隣国と一緒になって、政府を責め立てている始末である。

     今年の教育改革に、近現代史の歴史を重要視して、世界史と日本史を統合した科目が制定されたようである。良いことだと思う。
私は、やはり、他国が悪い訳では無いと思う。仏法で、自分を知る、自己を知る事を救いの要と説くが、国に関しても、全く変わらない事だと思うのである。 そう云う意味で、国民自身が歴史の真実を知り、国民一人一人が、我が国(国の誇り)を護る意志を持たねばならないと思うのである。そして、領土・領海を護る為の自衛力の有り方に関心と知識を持つ事が欠かせないと考えているのである。。

     私の仏法上の先生は、仏法を護る為に自衛のための武力が必要だと説いているが、その上で且つ、日本のお釈迦様と謂われる聖徳太子の『和を以て貴しとなす』に象徴される仏法の考え方を応用して、 他国との良好な外交関係に腐心する事もまた大切だと説かれている事も付記しておきたい。
仏法は中道を説く。中道とは、何事も偏ってはならないと云う教えである。しかし、決してまん真ん中の道を歩けと云う事では無い。
これから、しばらくは、『国破れてマッカーサー』の序文の抜粋引用が続くのであるが、咀嚼(そしゃく)して、皆さん夫々の見解を持って頂ければ幸いである。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1489  2015.08.17
生甲斐と仏教―二つの告白

●無相庵のはしがき
     井上善右衛門先生の今日のご法話『二つの告白』で先生が私たちに語り届けたいと思われたことは何かをよく咀嚼しながら読みたいと思います。
二つの告白は、私たち人間が感じる気持の代表的なものだと思います。ただ、心の中で思っていてもなかなか表に出さない気持ですから、先生は告白と申されたのだと思います。読者の方々はどちらに当てはまるとお考えになりますでしょうか。

     今年のお盆休みも今日で終わります。故郷へ帰省されたり、国内外の観光地への家族旅行を楽しまれたりして、一時(いっとき)の楽しい日々を楽しまれた方々も居られますでしょう。或は、今年は戦後70年と云う節目の年、 特に昨日の8月15日が特別な終戦記念日であり、戦争に纏わる報道番組があり、テレビを観ながら自宅で過ごされた方々も居られるでしょう。そしてまた、いずれの方々も明日からは非日常から日常に戻ることになります。 そして、その繰り返しで人生は続いてゆき、そしてやがては誰の上にも人生の終末が参ります。

     そんな楽しいこともあったり、今のところ戦争と云う苦難は無いにしても、夫々に夫々の苦悩も抱えながらの人生を過ごしつつ、どこか空しさを感じてもどうすることも出来ずに人生を終わる人が大半であろうと思われます。 一方、これではいけない何か考え方を変たいと思いヒントを求めて、人生の先達の講演を聞きに行ったり、著名人が人生を語る本を読んだりする人も居られます。今日の一番目告白は前者の方々、二番目の告白が後者だと思いました。

     井上善右衛門先生は、前者と後者に向けて、何を仰りたいのかを〝あとがき〟で考察したい思います。

●井上善右衛門先生のご著書『生甲斐と仏教』からの抜粋引用
一番目の告白
     本年69歳になる一人の、富んでいるが全く法にご縁の無い、しかも極めて気さくで淡白な老婦人から次のような偽らぬ話を聞く。
「考えてみるともう70が近い。あとよく生きてもせいぜい10年、それで何とか残った命を思う存分楽しんで暮らそうと思うが、どうもそれが思うようにうまくゆかぬ。 毎日遊びに出掛けようと思うても、この頃では体が億劫(おっくう)になる。家でテレビを見ていても結局退屈、どうも歯痒(はがゆ)いことである。 それでせめてしたい放題にしてやろうと思い立って、夜中に目が覚めて眠れないとき、お腹が空いてくると、朝の3時頃でも構うことはない、起きてご飯を食べてみる。 すると主人がやかましうて寝られやせんと不平を言う。面倒なものである。それで少しおとなしく、この夏は面白い布地が目につくと買うて楽しみに洋服をつくった。 10着余りも出来たので一つ一つ着ていたが、それも一通り済むと面白うなくなった。誰かにあげようかと思うている・・・・」

     素直に語るその婦人の正直さに微笑みながらも、にじむ人間の哀愁をしみじみ感じる思いがした。我々はただ身体を自己の総てとして生きているかぎり、この婦人の告白は決して嘘ではない。しかしその元手のからだが齢と共に狭まってゆく。 からだに生きる人間は、やがてからだに追い詰められるのである。それが人間のゆくべきただ一つの道なら、人間というものは哀れな存在である。さらに身体の楽しみというものは、外側の何ものかを必要とする。 しかも感覚の楽しみは靴底のようにすり切れてゆくという性質を持つ。だから度を重ねるに従って興味は減じるのである。それは結局、次から次へと享楽を追っかけねばならぬということになる。一つを得るとやがてそれでは満たされず、次を追う。 そこにまた止まっておれなくなる。享楽を追う身が、いつしか享楽に追っかけられる身とかわる。そしてゆけどもゆけども満たされぬ歯痒さとなって感じられるのであろう。老婦人の告白がそれを語っているかに思われる。

     才市(さいち;浄土真宗の妙好人、浅原才市翁のこと)老人が下駄を削りながら、「わしのよろこび虚空のごとく虚空世界もなむあみだぶつ、ここにわたしを住まいをさせて下さる慈悲がなむあみだぶつ」と宇宙の隅々に響きわたるような歌声をあげているのとは何という違いであろう。 そこにはすり切れる享楽の世界とは、うって変わった人生のあけぼの(ほのぼのと夜が明けはじめるころ)が旭日昇天(きょくじつしょうてん;注参照)の光りを放っているではないか。
          (注)「勢いがきわめて盛んなたとえ。朝日が勢いよく天空に昇る意から。「旭日」は朝日。「昇天」は天に昇ること。」

     「人間に生れること大きなるよろこびなり」と源信僧都の語られた世界に、わが心の道を開くのでなければ、真に生甲斐のよろこびを見出すことは出来ないであろう。

二番目の告白
     ある農村の青年座談会で、一青年から次のような告白を親しく聞く。
「自分はいろいろな方から立派な話を聞いても、心の底から満たされた思いになったことがない。言葉そのものには感心することもあるが、それは言語的な表現の妙に感心するだけで、結局心のうつろはそのまま残る。 人間はどのようにでも言い得るし、感じ得るだけのものではないか。真に確かなものが何処にあろう。総ては影のようなものである。この物足りなさに、さすろうて、自分は酒を飲む。酒を飲んだときだけ何事も忘れて世界は明るい・・・」

     私は問うた。醒めたとき淋しくないかと。すると青年は相槌をうつように応えた。
「淋しく、実にわびしい。そしてそのとき果敢(はか)なさというものを実感する。しかしそのわびしさと果敢なさを感じるとき、自分は他の何処にも見出し得ない生甲斐を感じる。ここに自分が生きているという証を見る思いがする。 だから、このわびしさと果敢なさとを求めて、酒を飲んでいる・・・」

     青年の心、虚無の影、それは極めて重大な意味をもつものと思う。虚無はあるべからざるものの虚構(実際にはない、作り上げたこと)を衝く感情である。人間のつくった空しい権威や価値をくつがえす感覚が、虚無の感となって忍び寄る。 もしこれがなかったら、人間はいつまでも描かれたものの中に住む存在とならざるを得ないであろう。しかしその虚無感が真にそれを越える力と転じゆく道を忘れ、虚無が虚無自体に膠着(こうちゃく;粘りつくこと。 しっかりくっついて離れないこと)すると、そこには早(はや;最早と云う代わりだと・・・)あるべからざる固定が生まれ、虚無という一種の虚構が起こる。酒を飲んで晴らすような〝うさ〟というものが、こんなところにあるのであろう。 その酒の醒めるとき淋しさとわびしさを感じるということにも、その〝うさ〟晴らしの不実性が潜むといわねばならぬ。しかしそのわびしさと果敢なさにおいて生甲斐を感じるというのは如何なることであろうか。

     木葉(このは)がただ水に流されているとき、水の流れを感じることは出来ないであろう。流れとは異なる力が作用するとき、水の流れを感覚することが出来る。 淋しさと果敢なさを感じるということは、既にそのとき淋しさと果敢なさを越えるものに牽引されている証拠である。如何に我々が一切を否定し虚無の闇に身を委ねようとしても、それを越えた大いなるものとの関係を断ち切ることは出来ない。 いまの青年がわびしさと果敢なさを感じるその時に、生甲斐を覚えるというのは詭弁ではない。そのときまさに、魂の〝ふるさと〟から心に呼びかけているものがある。 しかしそれがただ哀感の片鱗(へんりん)に終わるならば悲しいことといわねばならぬ。わが心に先だって摂め取られている真実の天地に帰りゆく聞思より他にゆくべき道はない。

●無相庵のあとがき
          以下に私の感想と考察を申し述べたいと思います。
     この二つの告白を読んで感じましたのは、お二人の気持ちの中に〝感謝〟の気持ちが微塵も無いのではないかと云うことです。
恐らく井上善右衛門先生ご自身もお感じになられなかったので文中に感謝と云う言葉が入らなかったのだと思いますが、私自身、お二人に直接お会いして感じたことでは無いことをお断りしておきたいと思います。

     私は感謝の気持ちが無い人生は暗くて苦しい人生だと考えています。勿論、それは成人になって以降の人に言えることだとも思っています。
私の推察ですが、通常、子供には感謝の気持ちは無いでしょう。まぁ、ペットとして飼う動物達にも言えることだと思います。 ペットも子供も喜びを表に現わしますが、感謝の気持ちがあらわれたものではないでしょう・・・甘えはするが、感謝の気持ちは無いと云うことではないでしょうか。

     そもそも、感謝と云う感情は、自分の今在る状況が、目に見えない支えも含めて、他の人々の支えが有ってのことに気付けないと湧かないものだと思います。
他の人の支えが本当に分かるようになるのは、自分とは何か、何者なのかを考えるようになってのことだと思います。仏法で云うところの『自己とは何か』を考えるようになってからだと思います。
井上先生が、「木葉がただ水に流されているとき、水の流れを感じることは出来ないであろう。流れとは異なる力が作用するとき、水の流れを感覚することが出来る。」と、 人生を流れゆく私たちを、上流から海へと色々と変化する川を流れゆく木葉に擬(なぞら)えて仰っているのは、その事だと思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

追記
      これまでの8月を振返って、何を為したかを書き残しておきたいと思います。これまでも、昔を振り返る時、コラムに書きとめたことが、記憶を呼び戻すのに随分役立ったからです。
     8月は、3回のお泊り客がありました。
第一陣は、8月4日~6日の、川崎市の母娘(11歳と8歳)と名古屋市の母息子(10歳)、そして私の娘とその子供の兄妹(11歳、8歳)。
第二陣は、8月11日、12日の、チェコからの友達(日本人男性、来られなかった奥様はチェコの方)とその子供の兄妹(14歳、11歳)と、私の息子とその子供の姉妹(17歳、14歳)、そして私の娘とその子供の兄妹(11歳、8歳)。
第三陣は、8月12日~14日の、私の息子とその子供の姉妹(17歳、14歳)、そして私の娘とその子供の兄妹(11歳、8歳)(私の息子と娘は仕事で我が家を一時離れましたが、子供達はずっと滞在)。
予定通りにお持て成し出来なかった部分もありましたが、私たち老夫婦としては、牛タンと明石焼きをメインに、友人からの差入をフルに活用させて頂き、無事にお盆をも乗り越えれたと安堵しているところであります。


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No.1488  2015.08.13
生甲斐と仏教―聞思(もんし)

●無相庵のはしがき
  今日からの三日間盆休みに入る方々は多いと思われます。 我が家には、孫達が泊まりがけで来ています。落ち着いて、コラムを書くことは難しい環境にあります。 取りあえずは、井上善右衛門先生のご法話を抜粋引用してご紹介させて頂きまして、時間が許せば、逐一、はしがき、あとがきに私の感想を追記させて頂こうと思います。

     仏教用語に、『聞思修(もんししゅう)』と云う仏道修行の段階を「聞慧」「思慧」「修慧」の三段階の智慧(三慧)に分ける考え方があるようです。
「経典の教えを聞くことによって得られる聞慧」
「真理を思惟することによって得られる「思慧」
「禅定を修することによって得られる「修慧」(つまり修行によって得られる智慧)

     井上善右衛門先生は、正しい聞慧と正しい思慧が有ってこそ、正しい修行が為されて真実の悟りに至ることが出来ると云うお考えから、「聞思」を語られたのではないかと思います。 法話の中に、「聞法(もんぽう)」と「見聞(けんぶん)」の違いを語られています。 「智慧」と「知識」の違いと言えるのではないかと考えますが、在家信者の私と致しましては、正しい「聞思」と、日常生活を仏道修行の場として、米沢英雄先生が言われている応用問題を解いて、仏法の智慧を磨き上げたいと思ったことです。。

●井上善右衛門先生のご著書『生甲斐と仏教』からの抜粋引用
人間が人間の能力の限界につき当たったとき、人間は自己という殻に止(とど)まっておれない位置に立たされる。我々の日常の世界では、交通地獄と言っても、そこではなお人間の注意力や警戒心が役に立つのである。 ところが榴散弾が頭上で炸裂(さくれつ)する戦場では、どう体をかわせばその破片を避けうるか全く見当がつかないのである(井上善右衛門先生は、70年前の戦争で外地に出征し、シベリアに4年間抑留されて後、昭和24年に帰国されました)。

工夫や注意がそこでは無力と化し、人間の判断が途絶のやむなきに立ちいたる。しかもなおなんらか自己を維持してゆかねばならぬ。こうした、人間の判断の及ばぬ出来事が実は人生の本質の中に潜(ひそ)んでいて、いろいろな形であらわれる。 人間が悩むというのは多くこうした出来事との遭遇によって起こる。

 人間の能力を越えた出来事で、しかも全ての人間にもれなく現れて来るのは死であろう。これを如何に受け取るか、それは人間に与えられた大きな課題である。死の未解決の場では生は必ず萎縮する。 ただ限られた枠内で右顧左眄(うこさべん)しなければならぬからである。
生が真に清く溌溂(はつらつ)たるためにはどうしても縛られた枠からの解放が要求される。ここに我々は越えなければならぬ淵(ふち)に立つ。「聞思」という心の姿勢は、こうしたときにまことの意欲となって動きだすように思われる。

聞(もん)とは、自己の殻を越える道をいう。従ってそれはただ鼓膜で聞くことでもなければ、自己の常識を太らせる聞でもない。聞が知識の通路となっているかぎり、それは聞法でなく見聞(けんぶん;見たり聞いたりして得た経験・知識)である。 さらにまた聞法の座にあっても、人間には自分の気付かぬ障害が纏(まと)わりついているものである。人間には我知らず予定観念とでもいうものが、心の何処かに潜んでいるもので、自分の思いに合致することは頷くが、意に反することは受けつけない。 しかしそうした予定の観念に合うものだけを受取るのでは、自分のもっているもの以上に成長することは出来ないであろう。
予め自己という選別の主体が腰を据えていて、それが常に自己中心的に選り分けてゆくのであるから、行っても行っても自分の心の域を脱することが出来ないのは当然である。

藤(秀璻;しゅうすい)師の『歎異抄講讃』には次のような言葉がある。
「歎異抄という大鐘(おおがね)はなかなか本当の音が出ない。下手に撞(つ)いたならば、かすれたような音だけしか出ないであろう。 ・・・・ジョン・ラスキン(19世紀イギリス・ヴィクトリア時代を代表する評論家・美術評論家である。)が、書物を読むにはその中に書いてあることが、如何に自分の心に合うかをさがすような読み方はいけない。 本当に何がその書物に語られているかを聴かねばならぬと言っている」と。
まことに己れを忘れて、先ずそこに何が語られてあるかを聞く心の姿勢があって、始めて聞の道は開けるものといわねばならぬ。

ところがそれと同時に、我々には他方の用心が必要となる。それは己れをさしはさむことなく聞くということが、あやまると鵜呑みに受け取るという溝に堕(おち)ることである。「噛むと知るとも、呑むとは知らすなという」誡(いまし)めがある。 食物は鵜呑みにしてはならぬよく咀嚼(そしゃく;注参照)せよといわれる言葉を、聞法の用心にも用いることができる。
          (注)咀嚼(そしゃく)とは、「食物を細かくなるまでよく嚼(か)むこと。比喩的に、物事や文章の意味を考えつつ味わうこと。」
通俗的に学問は理解に立ち、宗教は信じることにあるといわれる場合、その信じるということが、ただひたすらにそのまま受けとることのように思われてくると、それが鵜呑みと区別のつかぬものになってくる傾向がある。 計らいをさしはさまぬということは、信の世界が人間の心で計い作られるものではないということであって、決して鵜呑みということではない。

鵜呑みは純粋な態度ではなく、怠惰な態度である。聞法は自己の問題を離れて成り立つものではない。閉ざされた自己が、自己を越える法に光被(こうひ;光が広く行きわたること)されて、脱皮せしめられることである。 鵜呑みという態度は、与えられた法と自己とを親しく交わらせることなく、法から身を逸らして、言葉の殻だけを徒(いたずら)に背負うことである。 たとえば、与えられた食物を摂って身の栄養とするのでなく、ビニールの袋に入れて腰に提(さ)げるようなものである。「重宝の珍物を調えて経営をしてもてなせど、食(しょく)せざればその詮なし」といわれてある結果ともなるであろう。 聞法はどこまでもその教をこの身に受け取って噛みしめ吟味し、わが心の現実に照らし合わせて、その言葉に通う親(仏様)の血潮に触れることでなければならぬ。
ここに「聞(もん)」に即する「思(し)」という文字の心がある。

聞思はわが心をもととして取捨するものでもなければ、法の殻を背負うことでもない。聞思は法のいのちが流入する道である。聞と思の二点を踏みしめてゆくと、嫌が応でも大悲の胸に通ずる一筋道が成就されている。それが仏道というものである。 仏陀自ら歩を進めてここに道のあることを知らしめ、祖聖親しくその道を踏んでこれを照らす灯(ともしび)を掲(かか)げたもうた。「聞思して遅慮(ちりょ)すること莫(なか)れ」(注を参照)と喚(よ)ばれる言葉の中に、親(仏様)の悲心があふれている。 止(とど)まっているべきではない。
          (注)この言葉は親鸞が主著『教行信証』のはじめに記すものであり、「(人生のよりどころを明らかにする確かな言葉を)よく聞き考えて、ためらってはならない」という意味です。 ここにいう「聞思」とは、聞き、そして考えるということであり、「遅慮」とは、不信の思いによってためらい、前に進めなくなる様子を表します。

戦後の教育の一大欠陥は自己を主張する口だけを育てて、聞く耳を育てることを忘れたところにあると述べた人があるが、まことである。聞く心を育てずして人間は人間にはなりえない。 人間に何より大切なことは、聞く耳を養って然る後に語る勇気を持つことである。ここに人間尊重の道が開ける。自由とか人権とかいう高い言葉の意味を誤って、人間破壊の迷路にさまよっている事実はないか。 先ず共々に「聞思」の大道をわが足許(あしもと)に確立することから始めたいと思う。

●無相庵のあとがき
     親鸞仏法の真実信心を獲たいと考えている私たちは、今回の井上善右衛門先生のご法話内容を、それこそ、よく咀嚼して井上善右衛門先生が何を私たちに語り届けたいとお考えになっておられたかを一人一人思考したいものです。
米沢英雄先生、井上善右衛門先生みたいに親鸞聖人の教えを親切に語って下さる方は他に居ないと思います。その色合いの異なる両先生に同時に出遇えたことは親鸞聖人に出遇ったことと同じ事 だと思っております。そしてその私の人生がすこぶる運の良い人生だと喜ばしい想いがしております。今日の井上善右衛門先生のご法話をお聴きして特にそう思いました。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

追記

さて、今日(14日)の午前7時半に、私の長男の娘二人(17歳、14歳)が、お母様の実家の墓参りに同行する予定があり、長男の車で我が家を後にしました(長男はまた戻って参ります)。 そしてまた、先ほど午前10時半には、私の長女と二人の子供(11歳、8歳)が、やはり私の長男の車で、娘の三宮の自宅に向けて我が家を後にしました。(長男は運転手役で大変です)
車の後に手を振って見送り出し、夏休みの狂奏曲は、ジ・エンドとなりました。妻と二人で、何事も無く予定をクリアー出来た事をビールの乾杯で締め括ったところです。

昔、私たちも孫(私たちの小中学生だった子供二人)を連れて、熊本県水俣市の妻の実家に、帰省していました。 今の私たちと同じ年齢だった義父母も、「来て嬉し、帰ってヤレヤレ・・・」の想いをしていたのだろうと、いつも妻と話すことです。 遠路来てくれるお客さん家族や我が子ども家族等をお持て成し出来る身に在ることに感謝しなければと思うことであります。


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No.1487  2015.08.10
生甲斐と仏教―一すじの仏道

●無相庵のはしがき
     今日の井上善右衛門先生の法話『一すじの仏道』は調べてみますと以前法話コーナーに掲載したものだと云うことが分かりました。印象に残った箇所があって掲載したものなのですが、今、それがどの部分だっのか、思い出せません。
しかし今回読み返しまして、とても印象に残る箇所がありました。 特に、「そこには何か心がけねばならぬ大切な問題が潜むといわねばならぬ。今これについて考えるに、要は志(こころざ)しの問題であると思われる。」、 「仏道への志しは、この世の無常を思う心と表裏するもの」、「鈴木大拙博士が浄土真宗を「宗教としての完成形態」と言い切られた所以がそこにある」の3箇所であります。

井上善右衛門先生のご法話は難しいと云う講演会の後で能く聞いた感想です。確かに、倫理学の学者さんですから、東西の哲学を詳しく研究された方であります。どうしても私を含む一般人には分かり難い言葉も多くなるのは致し方無いと思います。
今回の法話を、私なりに、現代の平易な言葉で抄訳したものを『無相庵の要点まとめ』として、付け加えさせて頂きます。

●井上善右衛門先生のご著書『生甲斐と仏教』からの抜粋引用
     『正法眼蔵随聞記』に胸に沁みる一節がある。その要を抄訳してみると次のようである。

あるとき、仏道を学んでいる人が来たって道元禅師に問うた。
 「自分は長いあいだ仏道に専念していますが、いまだ悟りに達することができません。悟るには聡明であることを要しないと聞いていますが、しかし用心しなければならぬ点があるなら、どうか聞かせていただきたい。」
 これに対して道元禅師は示して次のように言われている。
「あなたの言われている通り、悟るには智恵も学問もいらない。しかしわざと痴人になれというのも歎かわしいはからいである。仏道には有智高才を要しないから、下根劣機であることをいささかも心配する必要はない。 真実の仏道というものはいたって易いものである。ではあるが、自分が学んだ大宋国の実際にてらしてみても、一人の師匠の門下何百何千人のなかで真に得道の人はわずか一人二人に過ぎない。そこには何か心がけねばならぬ大切な問題が潜むといわねばならぬ。 今これについて考えるに、要は志(こころざ)しの問題であると思われる。換言すると仏道に切なる欣求(ごんぐ)の心をもつということである。 たとえば強い敵にうち勝とうと思い、また美人に憧れるものが、寝ても覚めてもその事を思いつめるように、絶え間なく心に懸けつづけていると、きっと思いをとげることができる。 道を求める志しが痛切であれば、必ず必ずその志しの前に一すじの道が開かれるであろう。これぐらいの心を起こさないで無始以来の生死の輪廻をこの度び断とうとする大事をどうして成就することができようか。 この心さえあれば、下智劣根であろうと、愚痴悪人であろうと、必ず必ず悟りを得べきである。
 さて、こうした仏道への志しは、この世の無常を思う心と表裏するものである。その無常を思うとは、無常観を修することでもなく、またわざと無常を思うことでもない。無常はまことに眼前の事実であって、聖教の文を待つまでもない。 朝に生れ夕べに死し、昨日見た人の今日亡き世界である。この事を自分の身にひきあてて思うことである。 我々は生きている間、憂え悲しみや怨愛で大さわぎするのであるが、無常ということを正しく見きわめてみれば、たとえどうあろうともそのままに過ごしてゆけるはずである。高齢の人、人生の半ばを過ぎた人は今後何年生きるつもりであろう。 まことに当てにならないこの世にあって、さまざまと生活の利害に没頭し、その上さらに人に対して悪事をたくらんで、無駄な時を過ごすのはまことに愚かなことである。
くれぐれもこの道理を心に忘れないで、ただこの日一日、今ある命と思い、仏道を聞き仏道を学ぶ覚悟さえできれば、その後は何事もいと易く、性の上下、根の利鈍ということは全く問題にならないのである。」

 以上のごとく語られる道元禅師の言葉は、不思議にも『大無量寿経』の教えを聞く思いがする。「聖道の難行」といわれるが、ここにそうした言葉もこころも全く見出せない。道元禅師は繰り返して真実の仏道というものは、易いものであると述べられている。 盤珪禅師の語録にも、そうした言葉がたびたび現れる。それは、仏道の真実が我が手で捉えるものでなく、与えられてあるものだからであろう。 ただそこに、その〝おうけなき(おそれ多い)〟賜物(たまわりもの)を遮(さえぎっ)ているものがある。我々にとって問題は、それを如何にして越えるかということであろう。そのために智恵や明敏さが必要なのではないといわれる。 『唯信抄文意』に親鸞聖人が、「下智は智恵あさくせばくすくなきものなり、高才は才覚ひろきもの、是等をえらばずとなり」といわれているこころにも一致する。では問題は何処にあるというべきか。

 今それをまさしく仏道への「志し」と示されている。『大無量寿経』に依って聖人が「たとひ大千世界にみてらん火をもすぎゆきて、仏の御名(南無阿弥陀仏)をきくひとは、 ながく不退(ふたい;正定聚の位から後戻りしない)にかなうなり」と和讃に誦されたのは、 まさしくこの「志し」の問題を取上げられたのであろう。しかしそれは決して、強いて発起せねばならぬような志しなのではない。 『大経(大無量寿経)』下巻に諄々(じゅんじゅん)と説き示されたこの世のはかなさと我が心のさ迷い、それを思うとき湧き起らずにおれぬ止むに止まれぬ志しなのである。 けだしそれは、人間にとって必然の願いという外はない。人間が人間の願いに生きるほど自然なことはない。ただ我々は当てにならぬこの人生で、よしなき利害の願いに翻弄されて、真実の願いを忘れていることが多い。 実(じつ)ならぬものを満たしても、それは夢のごとく〝うたかた〟のごとく、まことの生甲斐に達することはできぬ。そこに人生の〝そこはかとなき〟淋しさがやどるのである。

 我々はまず真実の願いにたち帰らねばならない。その根本の願いを忘れ、ただ安易を欲して易行を求めるところに脱線がおこる。本願他力に対する非難の源はここに潜むといってよい。 仏道は一すじの道である。道元禅師の胸にも親鸞聖人の心にも一すじの道が通うている。その一すじの道が一切の抽象性を離れ、最も具体的に完成の光りを放って顕現しているもの、それが大悲本願の一道である。

鈴木大拙博士が浄土真宗を「宗教としての完成形態」と言い切られた所以がそこにあると思われる。

●無相庵の要点まとめ
     或る仏道修行者が道元禅師に質問しました。
「私は長い間、仏道修行に励んで来ましたが、なかなか悟れません。もし悟りを開くのにこれが大切と云う点があれば、教えて下さい。」と。
それに対して道元禅師は、以下のように答えられた。
「仰る通り、悟りを開くのに、頭脳明晰も学問も要らない。と言っても、わざと馬鹿になるなんて事は、実に愚かな事である。確かに、頭の良さも知識の多さも必要ないので、他の人より劣っていても何も問題は無い。本当の仏道は易いものであるけれど、 私が宋に留学した時に学んだ師匠の門下生は何千何百人と居たが、悟りを開いた人は、たったの一人か二人であるから、悟れない皆が気付かない大切な問題があるに違いないと考えるべきである。
それが何なのかと考えると、志しの有無ではないかと思う。どうしても悟りたいと云う痛切な願い、つまり、その志を持つことが何よりも大切なのである。 では、この志はどうしたら持てるのかを考えると、志は、此の世の無常を思う心と表裏一体なのだ。ないものは無い しかし、その無常を思う心と言っても、無常観を身につけようと勉強する事でもないし、また、此の世は無常だと常に自らに言い聞かすことでもない。無常は、自分の廻りを見渡せば、無常でないものは無いし、何よりも、自分自身が無常の存在ではないか。 無常は眼の前の事実であり現実であるから勉強する必要ない。
我々は生きて居る間、憂いや悲しみ、恨んだり、愛したりして大騒ぎするが、無常ということを正しく見きわめれば、生老病死も苦しみにはならない。損した得した利害に没頭する生活も、他人を陥れることに時間を費やす生活は愚か極まりないではないか。 無常の中にあって、今、生かされて在るこの日一日、仏法を聞き、志を遂げる覚悟さえ持てれば、難しいこと、悩む事は一つもない。

     以上のように、道元禅師が語られたことは、難行と言われる聖道門禅宗の方のお話とは思えない。浄土真宗が最も大切にしている経典、『大無量寿経』で説かれている教えそのものです。また、江戸時代の臨済宗の盤珪禅師も、道元禅師と同じく、 仏道は難しい物では無いと言われています。 それは、仏道の真実と云うものが、自分の努力で掴めるものではなく、他から与えられるものだからであります。与えられる為に、知恵や知識、頭脳は必要ではないのである。親鸞聖人も、『唯信抄文意』に、 「下智であるとか高才であるとかは関係無い」と言われている。そして、それが与えられるか与えられないかは、志が有るか無いかで決まると、 親鸞聖人が「たとひ大千世界にみてらん火をもすぎゆきて、仏の御名をきくひとは、ながく不退にかなうなり」と和讃に詠まれているのです。この世の儚さと、私たちの心の迷いに気付けば、必ず自然と湧き起こるのが道元禅師も親鸞聖人も言われている『志』なのです。 『志』が湧き起らないのは、『志』と表裏一体の無常を見損なっているからであります。」

●無相庵のあとがき
     私たちは、無常と云うこと、つまり、この世の全ては刻々変化している、移り変わっていると云うことを知識として持つ事は出来ます。しかし、本当に我が身にひきあてて思うことは、私にはなかなか出来そうにありません。
ですから、悟りを開く志をしっかり持ち続けることは、私の努力では出来そうにありません。

     井上善右衛門先生は、『正法眼蔵随聞記』を抄訳されて、『一すじの仏道』の法話を説かれたのであります。『正法眼蔵随聞記』は、曹洞宗開祖道元禅師の2歳年長の弟子で、永平寺2世である孤雲懐奘が記した曹洞禅の語録書であります。 従いまして、道元禅師のお考えそのものではありません。この一すじの仏道では、道元禅師と親鸞聖人が同じく他力的立場であるかのように書かれていますが、井上善右衛門先生も、やはり、禅宗の悟りと真宗の信心獲得とは根本的な違いが在るとお考えであったように、 或る別のご法話で感じた事を記憶しています。禅の大家として世界的に有名な鈴木大拙博士が浄土真宗を「宗教としての完成形態」と言い切られたと井上先生が仰っておられることとも、関係があるのではないかと思われます。

     親鸞聖人は、亡くなられるまで、慚愧と感謝を心の中に併せ持たれていたのではないかと思います。一方、道元禅師はいわゆる禅の悟りを開かれた高徳の僧侶だったのではないかと私は受け取っています。
親鸞聖人は、亡くなられる直前まで、嘘の無い方だったのではないかと、私は親鸞聖人が遺された和讃から、そう推察しています。他人にも自分にも嘘を吐(つ)けない方だったと思います。
私たちの常は、他の人から馬鹿にされたくない、むしろ尊敬されたいと身を繕い、心を繕うものではないかと思います。
そして、私たちは、努力によって悟りも開けないし、信心獲得も叶わないと思います。でも、その身心の繕いを止めること位は、自らの努力で出来るのだと、親鸞聖人の実像から私は考えているところです。 その努力が出来ているかどうか、私は、何かを為す前に、自らの心の中に在る真実を求める自ら(自我ではない自己)に問い、そして何かを為した後にも、常に自分を振り返る事だけは、続けようと思っております。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

追記:
明日は、チェコから一時帰国されている方が、お二人のお子さん(13歳と11歳)を連れられて、関東からわざわざお越し下さいます。8年前、私どもに経済的支援を施して下さった方です。詳しくは、2007年の1月から3月までの何回かの無相庵コラムで、 報告させて頂いていますが、あれからもう8年半が経過致しました。これまで、ご帰国された時には、ご無理を申して、数回、関東から神戸までお越し頂いております。今回は初めてお子様をお連れ頂きます。再会とお子様を大変楽しみにしております。
日本語はある程度分かりますとの事ですが、どんなことになるか、少しドキドキしております。日本の同年代の私の孫たちとの触れ合いを楽しみにされていますので、私の孫(14歳女児、11歳男児、8歳女児)が一夜を共にさせて頂く予定でございます。
明石焼き、牛タン、おでん、混ぜご飯、お握り、馬刺し、明太子など等でお持て成しする予定です。


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No.1486  2015.08.06
生甲斐と仏教―想い出の記

●無相庵のはしがき
     私が親鸞聖人のご信心が仏法の真髄ではないかと思う程になりましたのは、多くの先生方(禅宗、浄土真宗、哲学者)のお蔭でございます。 中でも、井上善右衛門先生と米沢英雄先生のご法話に直接間接に接することに依ることが極めて大きいと考えております。最近は、米沢英雄先生の著作集からの抜粋転載をさせて頂き、ご紹介して参りましたが、 今回からは、しばらく、井上善右衛門先生のご法話を抜粋引用させて頂きます。

米沢英雄先生のご師匠方を私ははっきりとは存じませんが、井上善右衛門先生は常々の法話で、ご自身が指導を受けられた多くの先生方のお話をされます。その先生の先生、そのまた先生の先生と信頼と尊敬の念を引き継がれて来たことを感じました。 そして、最終的には七高僧、そしてお釈迦様へと遡ることになります常のご法話で感じて参りました。 今回から、その井上善右衛門先生の『生き甲斐と仏教』(昭和48年出版)と云うご著書から抜粋してご紹介を致しますが、その中で、やはり井上善右衛門先生が先生と慕われておられた 『足利浄円(あしかがじょうえん)』先生に関するエピソードを書かれて、仏法の本物の信心を私たちにお伝え頂いているものだと思いますので、真っ先にご紹介申し上げます。 米沢先生と井上善右衛門先生の表向きの表現ニュアンス・趣はかなり異なると感じられるかも知れません

足利浄円師:
浄土真宗の僧。広島県生。東京高輪大学(後の龍谷大学)卒業後渡米し、帰国して「同朋舎」を設立。 足利瑞義・中井玄道らと研究雑誌『真宗』・信仰雑誌『同朋』(後の『自照』)を刊行し、「真宗学研究所」(後の「自照舎」)を開設。昭和35年(1960)寂、82才。

●井上善右衛門先生のご著書『生甲斐と仏教』からの抜粋引用
     季節も日時も忘れてしまったが、足利浄円先生が与えて下さった不滅の教えとその時の感銘とが昨日のことのようにありありと蘇ってくる。

     前夜私の宅にお泊り下さって、翌朝三宮駅から急行で広島に発たれるその朝の出来事である。 なるべく汽車の待ち合わせが長くならないようにと、心をくばって時間を計り、先生とともに家を出て阪急電車六甲駅までご案内したまでは無事だった。 先生の傍にある心のなごみで朝の空気も清々しく感じられた。阪急六甲から三宮までは十分とはかからない。これから行けば予定の急行にはほどよい時刻である。プラットホームに腰掛かけて六甲の山をうち眺めながら、何やら先生と言葉を交わしていた。 ところがどうしたわけか、大阪行きの上り電車は通過するのに、三宮行きの下りが来ない。遅いですなと私が時計を見たときである。駅のスピーカーが声たてて響いた。

     「皆さんにお伝えします。下り電車は御影駅まで来ていますが、故障で止まっています。恐れ入りますが暫くお待ち下さい」さあ困ったと思った。限られた時間しか残っていない。しばらくして来ればよいが、それがわからぬ。 先生はその急行で発たれないと向こうでの講演に間に合わない。何の懸念もなく立てた私の計算は狂うてきた。おだやかでない心が一秒一秒嵩じてくる。しかし待つより外にはない。するとスピーカーが再び叫んだ。

     「恐れ入りますが、いま暫くお待ち下さい。故障を点検していますが、いつ発車できるか不明です」アナウンスは驚く気配もないが、私にはショックである。 「不明」なものを「暫く」とは何事かと胸は騒ぐが詮ないことである。またしてもまたしても時計を見る。急行に遅れる責任はヒシヒシと案内役である私にかかって来る。とうとうじっとしておれなくなって、せき込んでわたしは先生に言った。

     「どうしましょう。急行に遅れます。バスに乗りましょうか。タクシーを拾いましょうか」バスに乗れば大廻り、タクシーに乗っても直線で走る電車のような訳にはいかないから急行に間に合うとは思われぬ。 それを知りながら、どうして先生に問い掛けたのか私にもわからぬ。燃えている火がわけもなく揺れ動くようなものであろう。すると先生は、私のせき込む言葉に応えて、

     「へぇー成り行きにまかせましょう。」その一瞬。私の燃え動いている心はザブッと冷や水をかぶる思いがした。その感銘を忘れない。そのときの私の顔が写真にうつっていたら、おそらく見ものであろう。 私は答えることを忘れて呆然とした。それからどれほど経過したかを覚えぬが、長くはたたぬうちに電車が来て、それに乗って三宮駅に着いたときは、ギリギリ一杯、ホームに駆け上り、先生を列車に乗せて窓から荷物を渡した。 動く列車の窓から先生いとも静かに「へぇ、有難うございました。左様なら」

     列車が消えてから我に返った私は、いましがたの出来事を噛みしめ噛みしめ家路についた。あのときの「成り行きにまかせましょう」と言われた言葉はまことに珍無類である。思い出すと可笑しくさえなる。 「このまま待ちましょうか、バスにしましょうか。タクシーに乗りましょうか。」とおたずねしたのだから、全くそれの答えとはならぬ。しかも私が冷水を浴する驚きを喫したのは、何故か。 慌てふためいて真実を見忘れ仰天している心そのものに光を当てて、その迷妄を破されたからである。

     『智度論』にこんな喩えがある。犬に石を投げると投げた人には気づかず転ぶ石を懸命に追いかける。ところが獅子に石を投げるとその石には眼もくれず、投げた人に向って飛びつくというのである。 我々の問答というものは転がる石をどこまでも追いかけ廻る。しかしそこに解決の道はない。気づかなかった根源の問題点にたちかえり、それを照らす真実の光に遇うたとき、我々の心には必ず驚きが起こり感動が湧く。 決して意図的に私をたしなめられたのではない。住む心の大地が自然に動いて即妙の言葉となり、それが私の盲点を射たにちがいない。

     教えとは言葉でもなければ文字でもない。心の扉が開かれて真実の活動に道が与えられることである。書かれた文字は剥(は)げるが、うまれた生命は成長する。師とはこの生命を育てられる人である。 私は縁起という仏説をただ文字として受け取っていた。そして自分が勝手に計画し計算した予定表が、そのまま次元するかのごとく思うて疑わなかったのである。 縁起を理解したと思うているが心の底は縁起を離れ、自己の思いに立っているから、来ない電車に腹がたつ。そして自ら苦しむのである。 そのとき車の故障が起こるそのことにこそ縁起の事実を見る。縁起を見る人は縁起に生きる。「成り行きにまかせましょう」の一語はこの真実を私の胸に投げ込んで下さった。教えずして導き、語らずして告げるとはこの事であろう。 不滅の教の前に畏(かしこ)み奉(たてまつ)る。

     足利浄円先生からたまわった慈育の一つ一つには常にこのような光が宿っている。問いに応えて下さらぬという人があるが、そうではない。答うべき根源に心光をもって答えられていたのである。先生の偉大さはこのようなところにあったと思う。

●無相庵のあとがき
如何でしたでしょうか。私は、私自身が井上先生と同じこと、否、自分の立てた計画通りいかなかった場合は、もっともっと焦りまくり、腹を立てたり、愚痴を言ったりしているに違いないと思いました。 『智度論』の喩え話は、心に残りました。 かと申しましても、同時にまた、成り行き任せで全て受け身で日常生活を過ごしていくのは私には難しいです。だから、日常生活こそ、浄土真宗教徒の修行の場だ、応用問題だと米沢英雄先生は仰ったのではないでしょうか。 因縁果の道理を弁えつつ先々の言動を計画予定し、結果もまた縁(予期せぬ環境変化)に依って計画通りにはゆかぬ事もあるのだと云う思考の柔軟性を持っておきましょう、と云うことでしょうか・・・。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1485  2015.08.03
世界一大切にしたい国になろう!

●無相庵のはしがき
     今、国会で安保法制案の審議が続いている。日本がどのような安全保障体制を取るべきか、私たち国民の生命と財産や領土・領海を守るためには、どのような手立てを講じるべきか。 非常に大切な審議であるが、安倍首相は、「アメリカとの同盟関係を強固なものにする為に、これまで憲法9条の条文では許されて来なかった集団的自衛権行使が容認出来るようにする。」と、憲法解釈を変えて法制化しようとしているのである。 憲法違反だと云う意見もあり、憲法の主旨に沿って憲法解釈を変えれば憲法違反ではないとする意見もあり、与野党間の見解の隔たり、国民の賛成派と反対派の隔たりは大きい。
そもそも軍事的抑止力で他国からの攻撃を回避しようと云う考え方は、国際紛争を解決するのに武力を用いないとした憲法第9条、及び憲法前文の主旨に沿わないと私は考える。 そして何よりも、永遠の平和を求める世界の大方の国の大方の国民の願いに反するものである事は間違いない。そしてまた、「知恵のある人」と云う意味の『ホモサピエンス』の名にそぐわないであろう。

     私が表題『世界一大切にしたい国になろう!』をこのコラムに書きたくなったのは、最近のベストセラー『日本で一番大切にしたい会社』の著者である坂本光司氏(法政大学大学院教授)が出版した 『ちっちゃいけど、世界一誇りにしたい会社』を読んだ直後のことである。 その単行本のプロローグ『会社は、人の幸せに貢献するためにある』を『●単行本の序文からの抜粋引用』に転載する。

     現在、世界に存在する会社は、目先の利益追求の為に日々他社と闘っている。従業員の幸せや、お客様の役に立つ本来の目的を置き去りにして、新しい商品やサービスを如何に安く造り、如何に高く売るかに必死になっているのが現状である。 そんな中で、株主や経営者のためではなく、従業員や協力企業の従業員の幸せの為に、お客様が本当に満足する商品やサービスを考え出して、お客様が満足する低価格で提供し続けることに頑張っている小さな会社を探し出して紹介しているのである。
「こんな会社が、本当に在るのだろうか?」と、思われるだろうが、本当にあるのだ。
しかも、ここで紹介されている会社は日本の会社である。否、むしろ、私は日本の会社だからこそ、こんな会社があると思っている。日本人は、古来から、他を思い遣り、他の人々の思いを察して行動する気質を育んできたのである。

だから私は、この『ちっちゃいけど、世界一誇りにしたい会社』の本を読んで、この日本を再び戦争に巻き込まれてしまう国になるのではなく、『ちっちゃいけど、世界一誇りにしたい国』にならなければならないと思ったのである。

●単行本のプロローグ(序文)からの抜粋引用
     会社は株主や経営者のためではなく、そこで働く社員のため、協力企業(外注下請け、原材料提供企業等)の人たちのため、そして商品やサービスを提供するお客様のためにあります。 社員や協力企業の幸せ、そしてお客様の幸せづくりに貢献するのが会社のあるべき姿だと思います。
ところが実際のところ、大企業のほとんどは、どうやって利益を上げるか、シェアを高め、さらには、いかにライバル社を負かすか。そんなことばかり考え、経営をしていると思えてなりません。

 そのため経済社会、とりわけその企業間競争は、幸せづくりではなく、まるで、殺し合いになり、その結果、日本の社会が妙に荒(すさ)んでしまっています。

     経営者が株主をどう喜ばせるか。そのために、いかに短期の業績を高めるか、といったことばかりを考え、社員を大切にしていないので、組織に成果主義がはびこり、社内の人間関係はギスギスしています。 社員は組織全体の成果を高めようとしないばかりか、大切な仲間である同僚にも何も教えない、問題の共有化、情報の共有化をしない。これが同志なのかといった状況が生れてきているのです。

     大企業に限らず、社員に冷たい会社、協力企業に冷たい会社は、残念ながらたくさんあります。そればかりか、利益を優先するために、お客様に対して不誠実な商品を平気で売っている会社もたくさんあります。 でも、社員や、お客様を幸せにできないサービスや商品が、いずれ社員やお客様から見放されてしまうのは確実です。

     今回本書で紹介した会社は、いずれも社員数が最大でも30名程度の小さな会社ばかりです。中には社員数名の会社、家族だけで経営している会社もあります。 でも、規模は小さいけれど、本当に誇りにしたい会社、学ぶべきことの多い会社ばかりです。

     その評価は本文にも書きましたが、「奉仕を先に、利をあとに・・・」といった奉仕の精神での経営や、ぬくもりのある製品づくり、愛のあるサービスの提供 、さらには、弱者への思い遣りに満ちた、私たちの心に響くいい仕事をしている会社ばかりです。 もっとはっきり言えば、利益や採算は二の次で、本当に困っている人のために、なくてはならない製品ばかりをつくり続ける会社。地球環境や地域社会に役立つことを一生懸命考えて、製品やサービスを提供する会社です。

     愚直一筋にお客様に信頼される商品をつくり続ける会社。本当に人の幸せに役立つこと、貢献することを何よりも大切にしている会社ばかりです。
こうした会社は、会社の盛衰を決定つけるお客様がその会社のファンになり、多くの仲間にその会社のことを伝えてくれます。この結果、やがてその会社には日本中だけでなく、世界中からお客様が押し寄せてくるのです。
お客様や協力会社に感謝され、困ったときには、その会社を自分のことのように心配してくれる支援者たちが助けてくれる、そんな会社ばかりです。 

●無相庵の経営者としての感想
     私は25年前、45歳の時に脱サラ起業した。会社を辞めようと思った理由は幾つかあるが、一つは、企業と云うものは、誠実や真実を大事にしない組織体で、私の描いていた理想の姿とは根本的に異なると実感する出来事に遭遇した事である。 あの東洋ゴムの免震ゴムの不良品流出問題は大企業の象徴的なものである。ただ恐らく何処の大企業、有名企業でも有り得る不祥事であって、やり玉に上がっているのは、たまたま表面化してしまったと云うだけの事だと思う。

     私は、自分が起業した会社だけは、単行本に紹介されている様な企業にしたかった。従業員を大切にし、取引企業とは誠意をもって付き合いたいと考えていた。
しかし、現実はそう簡単なことでは無かった。私が起業を決心出来たのは、世界的にも名が通った大企業に供給する或る部品を製造する仕事が約束されていたからであった。 創業開始から直ぐに、手間賃だけで月商600万円の仕事が確保出来ると云うものであったから、普通はお客さんを確保するまでは、塗炭の苦労をするところであるが、幸か不幸か、それが無かったのである。
しかし、その代わり、その仕事はその大企業(東証1部上場会社)と取引していた中小企業(大証2部上場会社)を通しての仕事だった。つまり、下請けの下請けと云う位置付けの、極めて利益の薄い仕事だったから、最初から赤字経営だった。

そして、直接取引していた中小企業は、上述の〝誇りにしたい会社〟とは全く異なる会社だった。 従って私の会社は、年2回のボーナス支払は、金融機関からのボーナス資金融資に頼るしか無く、創業からの10年間、借金だけが積み上がって行ったと云うのが正直なところである。
そして、その中小企業も、失われた20年の不況に勝てず、次々と工場を閉鎖して行く状態だったので、下請けの救済どころでは無かったのである。 そして、更に運悪くも、部品の最終ユーザーだった一流大企業が、私の会社が製造した部品を使う事業を中国に移管することになり、仕事の90%を失う羽目になった。万事休した次第である。全従業員を路頭に迷わせた私は経営者失格である。

最後の忘年会には皆が集まってくれたし(2001年12月27日のコラムNo139に、「明日は、皆との最後の忘年会」と書いている)、 その4年後にまた従業員有志達で忘年会を開いて失格社長の私を呼んでくれた(コラムNo555、『4年振りの忘年会』参照)。 この従業員達に、いつか感謝とお詫びを形にして示したいと思いながら、15年近くが過ぎてしまったが、その思いを果たしたい気持はずっと持ち続けて来た積りである。 そして今回、上述のコラムを読み返し、70歳の私には残された時間が少なくなってきたが、従業員への思いを果たしたい思いを強くした次第である。

●無相庵のあとがき
私が起業した会社が今の状況になったのは、経営者として当然具えておくべき知識、先見性、管理能力等が欠けていたからである事は間違いない。 そんな男が、友人・知人の数名から株式会社設立に必要な多額の出資金を預かり、よくもまぁ脱サラ起業したものだと云うのが、正直な今の思いである。 それはそれとして、最近読んだ坂本光司氏の『日本で一番大切にしたい会社』に続いて『ちっちゃいけど、世界一誇りにしたい会社』を読み終わって思った事は、世界の国々から、 「日本は世界一大切にしたい国」と思われる国にしなければならないと云う事である。 そして、今から私に出来る事は、先ずは自分が「日本一大切にしたい人間」になり、そして、私の親族(妻、兄弟姉妹、子や孫)を「日本一大切にしたい一族」にする事ではないかと思った。 そして、もう一つ、この無相庵コラムを「日本一大切にしたいコラム」にすることだと考えた次第である。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1484  2015.07.30
何故仏法を聞くのかーシューズも宝石も世界のもの(2)

●無相庵のはしがき
今回で、『何故仏法を聞くのか』の米沢英雄先生のご法話の紹介コラムは完了でございます。このご法話は、昭和53年5月14日、第12回名古屋教区同朋大会記念講演として行なわれたものでございます。
実は、私は母が主宰していた垂水見真会の、昭和60年12月1日に開かれた講演会で米沢英雄先から直接『何故仏法を聞くのか』のご法話をお聞きしているのですが、その内容を確と覚えていないのです。
その時の私は40歳の中間管理職のサラリーマン。妻と中学生と小学校高学年の子供二人を抱え、名聞(出世)と利養(お金)の獲得を目指していただけの人間だったのだと思います。 なかなか思うようにはゆかないサラリーマンの歯痒さには遭遇していても、努力で何とか切り開こうと云う考え方をしていて、未だ真剣に仏法を求めていなかったのだと振返っております。
私が行き詰まりを感じ、少し、自分の生き方に疑問を持ち始め、真剣に仏法に生き方を求め出すのは、もう少し後のことでした。

さて、今回の引用部分も、話題の中心であります小学校の女先生が、自己に目覚めてから、如何に明るい日常生活を送られるようになったかが良く分かる内容でございます。
実に素晴らしく、混迷する今の日本には、こんな先生が増えて欲しいと思わずには居られませんでした。

●米沢英雄先生の著作からの抜粋引用
「今日、学校で掃除中に、子供たちが血相を変えてとんで来まして、何ごとだと思いました。ゴミを捨てに行ったら、そこに球根が捨ててあったと言うのです。まだ生きているのにと、大変怒っておりました。 そして、クラスの花壇に植えといたと言うんです。子供たちと云うのはキレイだとツクヅク思います。本当のことが、すっと受け入れられてきます。この頃は、自分の行動が批判されそうでヒヤヒヤします。 反省のノートに、どうしてだか分からないけれど、直ぐ先生の話を思い出してしまうと書いているのを見ました。すこやかに成長して欲しい、と願わずにいられません。」

つまり、球根はまだ生きている。それがゴミ捨て場に捨ててあった。そう云うことを子供たちが憤慨した。それは、先生が子供たちに、ものには生命がある、ものを大切にしなければならんことを教えたわけです。 ものを大切にすることが、人命を尊重することに繋がるのや。人命だけを尊重して、ものを粗末に取り扱って良いと云うことでは、人命もものと一緒に取り扱われてしまう。現代はそう云う時代です。 ものを大切に扱うと云うことが、人間の命を大切に扱うことに繋がるのですね。

ですから、現代の教育はそう云う点で根本的に間違っている。ところが、この先生は本当のことを子供に教えるようになった。だから、子供たちが球根が捨ててあったのを見て、血相を変えて飛んでくる。 子供には、直ぐ反応が現れる。だから怖いですね。教育っていうのは、非常に恐ろしいものだと思う。算数を教えることも大切だが、算数を何故教えるかと云うことを考えねば・・・。 要するに、数を勘定するためだ。その勘定が出来るから人間は勝れていると云うことは、私は言えないと思う。一番大切なことは、人間性を育てることだ。ものの命を知ることだ。球根が捨ててあったことに憤慨する、これは非常に良いことだと私は思う。

この手紙にも応用問題が書いてあるので、読んでみます。
「家庭訪問がやっと終わり、一息ついたところで、父兄の方々とお話して感じたことは、一番大切なことは何なのかと云うことが、明確になっていないなぁ、と云うことです。
食も細く、体も小さく弱い子供のお母さんが、体力をつけることが大切と思っていながら、それを第一の目標にせず、勉強のことだけ心配している。一番大切なものが何なのかが分かっていながら、思い切って捨てることが出来ない。 そして、あれもこれもと追い掛ける。」

問題だな。弱い子供は、体を丈夫にすることが一番大切でしょう。ところが今は、勉強、勉強だ。成績を上げることばかり言っている。私は子供に、成績を上げよなんて言ったことはいっぺんも無い。 あんまり学校の点数をとると、学校の点数が無くなるなんてことを子共に言った。子供が通知票を貰ってくると、先生が子供をどう云う目で見ておられるか、その点を注意しました。
今はそうではない。人間性よりも点数が良いと云うことばかり、親が考えている。ここにお集りの方々は、そんなことなかろうと思うけれど・・・。

「私、今度違う所に引っ越しをしたのですが、その最中に貴金属ばかり入れておいた箱を無くしてしまいました。15万円位なものが入っていたのです。やっぱり惜しくてならないのです。――(そうだな。 私なら警察へ届けて探すと思うが・・・)あれが、私のものだと思えば、惜しくてならない。でも、あれは全世界のものであって、誰がそれを使っても良いはずのものです。 たまたま縁あって私の所にあったけど、縁がなくなって誰か他の縁ある人の所へ行ったのだろう。そう考えていったら、私が私のものだと思っている身の回りのものだって、何一つ私のものなどないのだ。 みんな縁あって、私のもとに有り、私を助けていてくれるのだ、と気が付きました。すべてこう云うふうに見られるなら、お金の介在する余地などないみたいです。が、私は、此の世にたった一人で、裸で生れて来た。 私の周りのものも人もすべて、私が生きていくために与えられたものだと分かりました。――(いいじゃないですか。15万円の応用問題を解いとるのだ)―― 引っ越しを手伝ってくれた母は悔しがり、父は「そもそもそんな大切なものを他の荷物と一緒に運ぶなど、間違っている」と怒ります。確かにその通りで、言葉もありません。 今にして思えば、何故そんなことをしたのかも分からないのです。」

気が付かん時に、失敗するものだ。しかしこう云うふうに、縁がある間は自分のもとに有るけれど、縁がなくなればどっかへ行ってしまうと云うのは、大きな覚りであると思うんです。 こう云う覚りは、この人が真実の自己に目覚めているからだ。自我と云うのは、がめついもんだけど、そのがめついものを我々は持っている。もっているけれども、それが直ぐに転回出来る。転悪成善、悪を転じて善と成す。

 こう云う応用問題を解く実力を、たった1年でこの方が持って下さった。去年の3月に真実の自己に目覚めた人が、もうこれ位の応用問題を解かれるようになったと云うことが、私としては非常に有難いと思うんです。 私は、応用問題の解き方まで教えた覚えはない。ただ、真実の自己が目覚めると云うことの大切さを言っただけです。そして、この人は重心がはっきりすると、ものごとに動かされん。 15万円の宝石に動かされずに済むと云うことは、大したことではないですか。それならお前も出来るかと言われると、私は自信がない。自信がないところで、時間が来たので、話を終わらせて頂きたいと思います。

 どうもご清聴ありがとうございました。

●無相庵のあとがき
この女先生と米沢英雄先生のご交流具合を読んで、私は米沢英雄先生と吉村かほるさんとのご交流をつぶさに記されている共著書『大きな手のなかで』が思い浮かびました。
吉村かほるさんも、この女先生と同じく、米沢英雄先生との親交に依って、暗闇の世界から明るい世界に生まれ変わられた方でありますが、このお二人は、実に良く似た性格・気性、思考過程の持ち主ではないかと私は感じました。 お二人共、真剣勝負の人生を歩まれて居られ、それだけに苦悩も失望も大きかったのだろうと思います。また、疑い深い分、物事をええ加減には済ませられない故に、勉強家であり、早く結論や結果を求めたく、少々セッカチなご性格ではないかと思われます。 お二人の真剣さが、米沢英雄先生の仏法教化心(きょうけごころ)を奮い起こさしめたのだと思います。お二人の暗闇は、米沢英雄先生ご自身も通られた世界であり、暗闇たらしめている自我の正体を付き止めておられたからだと思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1483  2015.07.27
何故仏法を聞くのかーシューズも宝石も世界のもの(1)

●無相庵のはしがき
     今日ご紹介する内容は、米沢英雄先生のご法話から引き続き抜粋したものでございます。
そして、その具体的な内容は、米沢英雄先生の教えを受けられた小学校の女先生が、その米沢英雄先生のアドバイスに依って、暗闇の世界から明るい世界に目覚め、 その変化した心の状況を米沢先生に詳しく報告されているものです。

     ここまで人間は変われるものかと驚く内容でありますが、最も変わられたのは何かを知る為にこれまでの内容を私は改めて見直しましたところ、「それまで自分だと思っていた自分の殆どが自我であり 、その自我とは別に〝真実の自己〟と云うものが自分の心の中にある、或は、自我を超えた尊い世界と呼応出来る自己がある」ことに目覚められた事が、決定的に変わられた点ではないかと思いました。

     私たち人間は、自分と云うものを意識していますが、一般的には、「3才頃に自我が芽生え、思春期に自我が確立する」と言われています。 ここで使われている〝自我〟と云うのは、米沢先生が言われている〝自我〟と全く同一ではないと思うのですが、普通一般の方々が〝自分〟と思っている自分です。
その自分とは、例えて申しますと、40歳頃の私の場合で言えば、日本の兵庫県の神戸市で島根県出身の両親から生まれ、神戸市の○○幼稚園、○○小学校、○○中学校、○○大学で化学を勉強し、現在は○○株式会社でサラリーマンをしていて 、家族は妻と子供二人の自分、と云うことになります。そして、その頃の家庭生活、社会生活に於いては、幼いころから育った過程で色々な問題に遭遇しながら身に付けた経験や知識、そして価値観を駆使して、人生を歩んでいたと思うのです。 恐らく、法話の中で話題の小学校の先生と同じく、自分の心の中の〝自我〟つまり、「自分が一番大切」「自分以外の存在は、自分の役に立つべきもの」と云う無意識のうちに働いている(食欲や性欲の本能と同様)『自己愛(エゴ)』が全ての問題を引き起こし、 自分の思う通りにならなくて悩みになっていることに気が付かない自分だったのだと思います。

女先生は、その〝無意識〟のうちに働いている〝自己愛〟がそもそも自分を苦しめているものだと云うことに新鮮な驚きを以って気付かれたのではないかと思います。勿論、〝煩悩〟とか〝自我〟〝自意識過剰〟とかは言葉としてはご存知だったのでしょうが・・・。

●米沢英雄先生の著作からの抜粋引用
     「お手紙有難うございました。人と接することの不器用な私で失礼をいたしましたが、温かく接して頂き感謝いたします。米沢先生や他の方々までが泣いて下さったのを見た時、皆さまと心が一つになったような気が致しました。 私の苦しかったことを、分かって下さったのだと思いました。友だちと話をしていて、どんなに言葉を尽くして話した時も、どんなに頷いてくれても、空しさがはね返って来て、余計に孤独を感じたものでした。
本当に嬉しかったです。決して忘れません。以前の私と、今の私と較べると、本当に不思議でなりません。今の私なら、きっと苦しみの種になったような出来事や事実にぶつかっても、ちっとも苦しみにまでならない。 失望に終わるような出来事にぶつかっても、私を導いて下さっているのだと思えるのです。怒れるような状態になっても、すぐ違う見方が出来て、その状態から抜け出すことが出来る・・・」

 これが応用問題を解いているところです。たとえば「体育館シューズを・・・」
運動靴だね。学校の先生をしているから、体育の時間に運動靴をはくんでしょう。
 「体育館シューズを洗う積りで、家へもって帰ったのですが、どなたかが、私に無断で履いたらしいのです。それで、しばらくプンプンしていたのですが、ふと靴にとっては、履いて貰らうことが役目なんだし 、それなら誰であろうと履いて貰えたら嬉しいのではないかと思いました。そしたらパッと分かったんです。たとえこの体育館シューズを買ったのは私でも、靴の命(人に履いて貰おうということ)は、私のものではない。 私は、靴に協力して貰っているのだ。そしたら、プンプンしていたのは消えて、どこかへ行ってしまいました。靴に南無阿弥陀仏しなくてはなりませんでした。
 先生、私を苦しめるものが無いと云うことが、どんなに嬉しいことか、どんなに幸せか、今までの自分には想像出来ませんでした。先生は、私の命の恩人です。私は、先生のお蔭で生れ変わり、一つひとつの出来事が私を導いてくれます。 この歩みが、どうか続いて欲しいと思っています。」

 続くことは間違いない。昔の説教ではね、「お前は前世で他人の運動靴を履いたから、この世で他人に運動靴を履かれるのだ」と言う。前世なんて分からん。分からんことを持って来て押さえ付けたんだ。ところが、この人は現世で解決しているではないか。 靴にとっては、履かれることが嬉しいのだから、どなたが履いても、靴は嬉しかったであろう・・・と。こう云う考え方が、出来るかね。こんなことまで私は教えんが、応用問題を見事に解いているではないか。

 これは、去年の四月に来た手紙だ。
 「どうもお手紙と、お葉書を有難うございます。以前の私の手紙の内容上、すぐにご返事を書かねばと思っていたのですが、仕事の関係上、三月が最も忙しい時期でして、――(そうです。学校では、三月は学年末で忙しいのや)―― ついつい書きそびれておりました。先生がご多忙の中を、いつも直ぐご返事を下さることを考えたら、言い訳など言える私ではございませんが、――(私は、女の人に甘いから直ぐ返事を書くんです)――その後の私の心境を申し上げますれば 、やっと何とか生きていけそうだと云う気持ちです。(ここで先生の資格を得たと、私が書いたわけだ)――そして、不思議なことが多くありました。変化と言った方がいいかも知れませんが、一つは、ただ嬉しくて仕方無いのです。」

 いいね。信心とは、こう云うもんや。ただ嬉しくてしかたがない。普通の嬉しさじゃない。人から物を貰ったとか、美味しいものを食べたとか、そう云うことが嬉しいんじゃない。ただ嬉しくて仕方が無い。 生きているだけで、息をしているだけで嬉しいと云うのは、大したことではないか・・・。

 「自分の中に尊いものがある。自分を超える部分があると云うことが嬉しくて仕方がないのです。何かに感謝しなくてはいられない気持ちで、すべてのものに対して南無阿弥陀仏と拝みたい気持ちです。 これが一つの自信につながるのか、どんなことがあっても大丈夫だと云う気になりました。――(この人に重心が出来た)――。一つは、お米の一粒一粒が勿体ないような気がして、粗末に出来ないと思うようになりました。 一つは、大変怠け者の私が、せっせと体を動かすようになったように思います。一つは、今までの私は三寒四温のように、何か悟ったような気がしていい気分になっても(せいぜい、二、三日で)次には死にたいような気分に落ち込んだものですが 、先生に手紙を差し上げてから、いまだにその温かさが続いているのです。何だか、本当に生きていけそうです。今までの私は、何かいつもセカセカしていました。まるで何かから抜け出ようとするかのように。 でも、抜け出るようなものはなかったんだと、やっと気が付いたんです。突然、シャボン玉がパチンと割れるように気が付いたんです。」

 うまいなぁ、この表現は。シャボン玉がパチンと割れるように気が付いた。今まで知らなかった世界を見られたと、こう云うことですね。信心と云うものはそう云うものです。それを昔の人は〝夜明け〟と言った。 今まで暗かったのが明るい世界に出た、と云うので信心の〝夜明け〟と。これを現代の人ですから、シャボン玉がパチンと割れると言う。現代的で良いですね。私にはとてもこんな表現は出来ない。

「私は、何処へも行く必要がないんだ。まして、セカセカと急いでなどと・・・。それが分かった途端に、体が楽になって、のんびりやろうと云う気分になって、そしたら体がよく動くようになったのです。 (ああ、いいねぇ)――私は本当の意味で自分を大切にし始めたような気がします。私の中に仏様がいらっしゃると思うと、自分の心も体も人生も、粗末に出来ないと云う気持ちで(いいねぇ。信心と云うのは 、こう云うもんだ)――今は二度と以前の苦しい日々に戻りたくない。でも、苦しんで来て良かったと思います。」

苦しまなければ、こう云う世界に遇うことが出来ない。浄土に生れるための陣痛であると、私は信じております。私が生まれる前に、母親は陣痛を経験した。しかし、自分が浄土へ生れるのには、自分自身が陣痛を経験しなければならない。 死にたい、死にたいと言っていたのが、この人の陣痛であったと思う。陣痛が成就した。成就して、めでたくこの人は真実の世界と呼応する自分と云うものに目覚めることが出来た、と云うことです。

●無相庵のあとがき
 幸いにも、仏法を聞く機会を得た方は、自我、自己愛に付いての知識を得られるわけですが、我が心に『本来の自己』、『真実の自己』も自我とは別に有ると云う事も知ります。 また、禅の悟り、真宗の信心獲得(しんしんぎゃくとく)と云う、何か特別な境地を得たお坊さんや、先輩方が居られるとも小耳に挟みますので、普通は、仏法にちょっと触れた程度では、女先生のような劇的な変化は生じるものではないと云うのが、 仏教入門者の一般的な印象ではないかと思います。

 私は物心(ものごころ)つく前から、母の背中で仏法の法座に参加し、子供の頃から毎朝仏壇の前でお経をあげていましたので、女先生のような、仏法との新鮮な出遇いを経験出来なかったからと云うこともあるのかも知れませんが、 70歳になった最近、漸く、仏法に出遇えた有難さを実感出来たように感じています。

そして、多くの先生方との縁に恵まれた事、そして特に米沢英雄先生との縁に依って、仏法の真(まこと)を確信出来たことで、70歳になるまでの全てに感謝している自分と出遇い、報恩感謝の有り方をあれこれと思い描いているところであります。

●無相庵の自問自答
70歳ともなりますと、高校時代に同学年だった400人の中、約1割の40名の友達の訃報に接しました。そして、私自身も、左眼の視野を殆ど失い、耳も聞こえ難くなり、糖尿病、高血圧、心房細動と云う老化から発症する病も持っておりますので、 自分の命もそう長くは無いと思い(糖尿病だった母が80歳まで生きましたので、何とかそこまでは、とは思っています)、まだまだ元気だった過ぎ去った過去の人生を振り返ることがあります。
何回かあった節目節目で、自分自身が人生を選択して来た訳ですが、中には苦しい事から逃避して安易な道を選択したのではないかと思う事や、名誉心に駆り立てられて選択したこともありました。 約25年前に脱サラ起業した為に、現在尚、多額の負債を抱えて、妻子に精神的不安を抱かせているのが現実の私であります。

多額の借金は、名聞利養に駆り立てられての脱サラ起業が今日を招いた事は間違いなく、妻子には大変申し訳なく思いつつ、何とか名誉挽回してから亡くなりたいと、これまた『自己愛』に動かされている有様であります。 総じて、『自己愛』から選んで来た人生で、今尚自らが苦しんでいることも事実であります。
しかし、苦境にあるが故に、仏法を求め続けたこともまた確かであり、それ故に、何とも情け無い自分にも出遇い、源信僧都の「妄念はもとより凡夫の自体なり、妄念の他に別に心は無きなり」と云う地獄行の自覚が、 逆に、全てを失った清々しさでもある事にも気付かされ、親鸞聖人の、罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫と云う自覚が親鸞仏法の救いかも知れないとも思うようになりました。そして、このような事に気付けた事はいわゆる『他力』に依るものであります。

最近のコラム完成には大体3日間位掛けております(少なくとも去年までは1日で完成していました)。初日に一旦完成させますが、その後2日間位掛けまして、ありのままを書いているか、本当の事を書いているか、 読者にとって必要な事を書いているか等を、何回も読み返しながら訂正・修正を重ねております。 それが又、楽しみになっているように思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1482  2015.07.23
何故仏法を聞くのかー夢に頼らぬ人生(2)

●無相庵のはしがき
『真実の自己』とは、どんな自分の事でしょうか?私の現時点での結論を〝はしがき〟と〝あとがき〟に分けて申し述べます。

     道元禅師の『仏道を習うと言うは、自己を習うなり。自己を習うと言うは、自己を忘るるなり。自己を忘るると言うは、万法に証せらるるなり。』と云うお言葉が『正法眼蔵』の〝現成公案〟と云う巻にあります。
この意味は、「仏道を修行するのは、真実の自己を究明する為です。真実の自己を究明すると云うことは、自分を忘れる事です。つまり、自分中心の考え方を忘れ去ると云うことです。 自分を忘れると云う事は、自分が宇宙の総てと関わり合っている事、つまり一人で生きているのではなく、全てのお蔭で生かされている事に気が付くと云う事です。」だと私は学びましたが、世間一般では、自己には、無我の自己と自我の自己が有るように思われています。 しかし、そうでは無いと考えます。つまり、無我の自己が真実の自己では無いと考えます。 少なくとも、私が今、自分だと考えている自分は、真実の自己ではないと考えます。全ての経歴・肩書・役割を脱ぎ捨てた自分、今日のコラムの中で言われている〝夢をぶら下げて、その夢を追いかけている自分〟も真実の自己では無いと私は思います。

●米沢英雄先生の著作からの抜粋引用
「お手紙有難うございました。先生が喜んで下さると、私も嬉しくなり、勇気づけられます。有難うございます。私自身、人生観が変わってきたような気がします。」
       そうです。真実の自己に目覚めると、自我で見とった世界と、自己が見る世界とは変わってくるものだ。真実の世界と呼応する、というように、真実が見えて来る訳です。

「今までしてきたように、甘い夢を目の前にぶら下げなくても、生きていけそうです。」
     大事なことです。みんな、夢をぶら下げて生きとるのだ。この子が大きくなったら、就職したら、結婚したら、と云うように夢をぶら下げておる。その夢をぶら下げていると、先ほどの奥さんのように、ご破算になってしまうことがある。

「日常生活の、平凡な営みの中に幸せを感じていけそうです。私は、今まで本当に幸せと云うものを味わったことがないような気がします。勿論、時々はありました。 本を読んだり、映画を見たり、歌や音楽を聞いて、素晴らしい人にめぐり会ったと思った時、生きていて良かった、これが幸せと云うものだと思いました。でも、それはいつでも短時間のことでして、そのことが失望につながることが多かったようです。 母からはいつも、お前は幸せなのに何が不足なのか、と言われました。確かに対外的には、何一つ不幸なことなどありませんでした。 高校進学、大学進学、就職とスムースにきて、友人もあり、良い人々にもめぐり会え、皆さんが親切にして下さり、本当に何一つ不幸なことなどありませんでした。気付くと云うことの大きさを、今しみじみと思います。」
     このような幸せの中にいても、幸せだと気付かなかったら、何にもならんと云うことだね。信心といっても、気付くだけです。大したことではない。ただ気付くだけだ。その気付くきっかけを作ることが、非常に大事なことだと思います。

「この頃の私は、小さな、些細なことに、よく気が付くようになったようです。」
     これは感受性が強くなったんですよ。
「草木の新芽の緑や、花々の色や姿が胸の中にしみてきます。」
     よいねぇ。今は新緑が非常に美しい。それを見ても、それよりどっかに、安いものはないかと、我々の目は向くのではないだろうか。若葉の色に感激したって、そんなもの一文にもならん。安いものを買った方が得だ・・・と。

「中日新聞のともしび欄の文字も、今まで気付かなかったようなところに、心がとまるような事があります。本当に感謝です。先生は、自己を育てていかなくてはならないと仰っておいででした。ただ喜んで、感謝して、南無阿弥陀仏して生きたいです。 私は現在、小学校の教員をしております。以前の私は、自分の生き方を探すのに夢中で、教育関係の本よりも、小説とか宗教関係の本などばかり読んでいました。 自分の生き方を探すのに夢中な自分がエゴイストに思われて、いつでも後ろめたくて、やめた方が良いのではないかと思いました。最近は、先生のお話をお聞きし、これで良かったのかなぁ、とも思ったりします。」

     良かったんです。教育関係の本よりも、人間の生き方を求める方が・・・。この方がどうやら生きて行けそうと、手紙を寄こされた時に、私はあなたが初めて先生の資格を得たと言ったんです。教育学部を出れば、日本の政府から教員の資格をくれます。 しかし、死にたいというような者が、先生の資格があるかと云うことだ。死にたくなるような人が、これから生きて行かねばならん子供を教える資格があるか。人間の生命の尊さに目覚めて、初めて人間を育てる資格が得られたと思う。 人間が何故生きて行かねばならないのか、人生の意義ということ、それを教えることがないから、現在の教育は間違っていると思う。

●無相庵のあとがき
では、真実の自己とは何か、真実とは、偽りの無い事、本当の事ですから、「本当の自分」の事だと考えます。では、本当の自分は自我一杯の煩悩に支配された自分でしょうか?それとも、自我・我執から解放された仏様を自分と云うのでしょうか。 煩悩に支配されて、他人に迷惑を掛けてしまう私も本当の自分ではありますが、そんな自分で満足出来ない自分が居る事も事実であります。 私は自分自身が本当に心安らぐのは、「煩悩に支配されて、他人に迷惑を掛けてしまう自分では満足出来ない」自分になった時であり、真実の自己とはそう云う自分自身が心安らぐ有り方の自分だと気付きました。

私は最近、私生活でも社会生活(仕事、対人関係)に於いても、何かを決める時、心安らぐ方を選びます。心安らぐと云うのは、ただ自分だけが満足することではなくて、自分を取り巻く〝いのち〟の世界全体が心安らぐ事だと考えたいです。 しかし、どうも言葉足らずのように思いますので、更に以下の『無相庵の補足説明』で申し述べたく思います。

●無相庵の補足説明
親鸞聖人が七高僧の中に挙げて居られる、〝源信僧都〟【恵心僧都(えしんそうず)と尊称される、浄土真宗の第6祖】が、『横川法語』の中に、 「妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念のほかに別に心はなきなり。」と申されています。
これは、源信僧都が思い至った『真実の自己』だと私は考えます。つまり、「私の心の中には妄念しかない、否、私は妄念そのものだ。」と気付かれたのだと思います。
それでは、救われようが無いではないかと云うことになりましょうが、源信僧都も、法然上人も親鸞聖人も、その『真実の自己』に気付かされたのは、 「『真実の自己』に目覚めてくれよ」と云う『本願』が私に働いて居て下さっているからだったと気付かれたのだと思います。そして、分かり難い説明となりますが、その『本願』に目覚め得た自分を含めて、丸ごとが『真実の自己』だと考えたいと思います。 仏の心にはなれないが、仏の心に気付ける人間に生れた事を喜びとして、報恩感謝の念に包まれ、念仏を称えられる身と成られたのではないかと想像致します。

親鸞聖人が、歎異鈔の後序に唯円房が親鸞聖人のお言葉として伝えている「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」は、上述の丸ごとの『真実の自己』に目覚められた喜びを表現されたものだった事に思い至りました。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1481  2015.07.20
何故仏法を聞くのかー夢に頼らぬ人生(1)

●無相庵のはしがき
米沢英雄先生が能く使われている『真実の自己』、今日のコラムで紹介しているご法話の中にも、何回も出て来る『真実の自己』とは、一体、何でしょうか。
『本来の自己』とも、『本来の面目』と、禅門で言うところのものですが、今日の法話をお読みになった後に、読者の方々は、一切の参考書を見返すことなく、ご自身の総力を挙げて自問自答為さって見て下さい。

●米沢英雄先生の著作からの抜粋引用
自己と云うのは、自分を超えたもので、仏法で言うと仏性と言うか、正確に言うと無上仏と云うように言われる、この上ない仏。「誓いの要は無上仏にならしめんと誓いたまえるなり。」の無上仏である。 本願と云うのは、真実の自己、この上ない仏を、一人ひとりの胸の中に誕生せしめようという願いである。そして、そこで誕生したものを信心と言うし、この信心がわれわれの重心になると云うことです。
みんな自己に会いたがっているんです。それが分からんから死にたがる、こう云うことになるんです。自暴自棄になるのも、自己不信になるのも、自分の中にある真実の自己が目覚めたがっている〝もがき〟である。

 人間を生きとるといえるのは、この信心があって初めて言える。生きている意味は、自我によって抑えつけられていた真実の自己が目覚めるということだ。真実の自己が目覚めたがっている。 目覚めたがっているけれども、ご当人はノホホンとして、それに気付かん。何で私だけが、こんなひどい目に遇うのかと思っている。
ご長男に死なれた奥さんも、自分の49年の人生は何であったかと云うことを問うて、生きている意味をはっきりさせなければならん。 そうすれば、真実の自己が目覚めて、子供が死んでくれたお蔭と言える。子供が丈夫で、嫁さん貰って・・・と言えば、世間的には幸せかもしれん。けれども何か空しさを感ずる。

真実の自己が目覚めておりますと、どんなに逆境におかれても、人間に生れた生き甲斐(無相庵はこれを生まれ甲斐と名付けてみました)と云うものを感じて暮らすことが出来る。 総理大臣になっても、松下幸之助――ちょっとなれんが――になっても、真実の自己が目覚めておらなかったら、人間に生れた生き甲斐がないと云うことですね。

われわれは付録を余計集めて幸せになろうとする。又、付録をどれくらい集めてもこれで満足ということはない。お前は貧乏しているから、そう言うのだろうと言われるかも知れません。 それは当っているけれども、しかし、どんなに貧しくとも、真実の自己に目覚めていれば、人間に生れた喜び、天上天下唯我独尊と云うことを感じて生きられる。それが人間にとって一番の幸せでないかと思う。 だが、その真実の自己がお留守になって、自我ばかりで生きとるから、思うようにならんで死にたくなるのだ。

「お言葉が冷たいと思われ、しかもどうすべきだというようなお言葉がなかったものですから、私ならこんな手紙は書かない等と、浅はかにも先生を恨みました。」
私という奴はひどい奴だ。
「自分としては精一杯だと思い、これで良いのだと思っていた現在の自分というものをものの見事にすっぱりと否定され、どうすれば良いとも書かれておらず、自分がこれからどうして宣いか全く分からず、 悲しいやら悔しいやら泣けて泣けて仕方ありませんでした。」

後で分かったんですが、若い娘さんでした。若い娘さんを泣かすとは米沢という奴はひどい奴だ。
「先生の手紙に納得がいくまで、返事を書くまいと心に決めておりました。何処までも高慢でした。」
これが素晴らしい。高慢であったことに気が付かんのでなく、何処までも高慢と書いてある。これを邪見驕慢と、親鸞さまは言っておられる。

「間違っているかも知れませんが、今日の先生のお話を聞いて、手紙の中の先生のお言葉は、私の中にも尊い自己と云うものがあると云うことを示して下さっていたんだと初めて気が付きました。」
私はこの人ひとりのために行ったようなもんだ。それで良い。この人ひとりが目覚めて下さったので、私は名古屋に来た甲斐があったと思う。
「私は、先生の手紙のお言葉に接した時に、私と云う人間の全部を否定されたように思いました。でも、自分の中に真実の世界と呼応する・・・」
 うまいことを言うね。呼べば応える。親鸞さまはご承知のように、真実報土という事を言われた。真実世界、太陽も、月も、みんな真実の世界。その真実の世界に生かされて生きている自己。それが本当の我々の姿なんだ。 その本当の姿に遇わせたいと云うのが、親鸞さまの教えです。だから、その真実の世界と呼応すると云うことが、親鸞様の言葉を使えば、真実報土に往生すると云うことになるんです。

「その真実の世界と呼応する自己と云う部分。自分を超えるような部分があることに全く気が付きませんでした。これが、私なりの解釈で間違っているかも知れませんが・・・」
間違ってはいない。こう云うことが、分かって欲しかった。

「一応、先生のお手紙の言葉が解釈出来、納得出来たことが嬉しいです。この私の理解が、何処まで私の血や肉になっているか分かりませんが、兎に角これからも、行ったり来たりを繰り返すことが多いと思いますが、頑張りたいと思います。 あらためてお礼を申し上げます。有難うございました。」
こっちが、お礼を言わんならん。これで米沢と云うのは、大したことを言う男でないと、皆さんお分かりでしょう。そう云う私のような至らん者の話を聞いて、分かって下さったと云うことが、私にとつて非常に有難いことです。 何故こう云うお手紙を紹介するかと言うと、仏法が分かって下さって、応用問題が解けるようになったと云うことで、ご紹介するのです。
応用問題が解けなかったら、仏法を聞いても、何にもならん。

●無相庵のあとがき
さて、「真実の自己とは、○○○だ」と、コラム読者様ご自身、納得出来る回答が得られましたでしょうか?
未だ白紙答案のお方は、次回までに今一度、突き詰めてお考え下さるようお願い申し上げます。
私自身も、自分にも、周りの人にも自信を持って説明出来る回答に仕上げたいと思っています(私の解答は、仕上がれば、次回のコラムの〝はしがき〟でご紹介致します)。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

追加
もし、読者さんの中で、「私はこう考えた」と云うご結論を得た方が居られましたら、解答メールを頂けますと、誠に幸いであります。 宜しくお願い申し上げます。


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