No.1470  2015.06.07
ここがお浄土

●無相庵のはしがき
前回のコラムでご紹介した『イイつもり』を羅列した字句は、最近購入した『お浄土があってよかったねー医者は坊主でもあれー』(樹心社出版)という本の中から引用したものです(原典は、読売新聞の〝気流〟という読者投稿欄らしいです)。
この本の著者は、宮崎幸枝という女医さんであり、医療法人聖光会みやざきホスピタルの副院長さんでもあります。

          高いつもりで低いのが教養
          低いつもりで高いのが気位
          深いつもりで浅いのが知識
          浅いつもりで深いのが欲望
          厚いつもりで薄いのが人情
          薄いつもりで厚いのが面皮
          強いつもりで弱いのが根性
          弱いつもりで強いのが自我
          多いつもりで少いのが分別
          少いつもりで多いのが無駄

宮崎幸枝さんは、この字句の後に続けて、次のように自己と向き合っておられます。
『お言葉通り、これこそ等身大の私そのものではないか。我が身を数々の〝つもり〟ばかりで身繕(みづくろ)いしている私、どうりで重苦しく、窮屈なはずだ! こんなにいっぱいくっつけていては。時に気がついて「一つ捨てようか」「いやいや、これで格好を保っているのに・・・」と、自分までも誤魔化して今に至っていることはまことに面目ない。』

そして、引き続き、〝どん底にいて最高に晴れ晴れとなった体験〟を遠慮がちに述べられています。少し長くなりますが、親鸞聖人のご信心に到るとはどう云うことなのか、 宮崎幸枝さんの廻心の実体験がありのままに書かれており(ご存命中にご自分の廻心体験をここまで語られた方は居られません)、非常に大切なところですので以下に抜粋引用させて頂きます。

●宮崎幸枝医師の著作からの抜粋引用
一つ、こんな経験をしたことがある。私事で恥ずかしいが、こんな体験があった。 源左(げんざ;妙好人のお一人:注1ご参照)さんを理解する過程での一つの出来事であったので勇気を出して書いてみよう(当院の精神科医の先生方、格好の一症例だなどとだけは思われませんように、 決して妄想、幻覚ではありませんから・・・)。

平成4年10月11日
 その朝、洗面所の鏡の前に立ったときのこと、前日の新座(にいざ;埼玉県南部の市:注2ご参照)のお寺でのお説教がとっても有難く、「よかったなぁー・・・・・」という思いになっていた。するとなぜかしら、 とっても「お蔭さまでなんと幸せ者であろうか」という気持ちいっぱいになった。こんな日もあるのかと不思議にさえ思え、これは何としたことかと思った瞬間、突然スーッ とエレベータで風を切って下がったと感じた。不思議、風が頬にフッと感じられた。と・・・瞬時にあらゆる生きとし生ける者、全ての物の最下位であるドン底にスッと降り立ってしまっていた。
 この一瞬の出来事は忘れようにも忘れられない。これが0.03秒間かと思えるほどの短時間であったが、・・・・・。前にも後にもコレ一回キリの出来事である。
 「新生児のときの私はこんなだったのか?」と私の脳は思っていた。なんとすがすがしい爽やかで無垢なこと。新生児のときはこんな美しい世界だったのか! この世にこんな真に美しい世界が元々あったんだというものすごい発見、ものすごい感動、言いようのない歓喜に包まれた瞬間、洗面所の鏡の前が何ルックスかと思われる目も眩むような光でピカピカと光り輝いていた。 光りの中に立つ私の脳裡を日頃の気になるあらゆる苦悩が次々と走馬灯となってクルクルと回りながら現れてきた。なんと、その一つ、一つのそれらはもう「解決ずみ!」これも「解決ずみ!」「これも・・・・・」と、 もう何も苦悩はなくなっていた。
 「なんだ、そういうことだったんだ!私自身が悩みのもとだったんだ!」単純明解!
 私の頬を涙が伝い落ちた。まだ自分の我執のための苦悩だった。新生児と相等となった瞬間、直ちに苦悩が苦悩でなくなった。
 「あぁ、コレだったのか!」
 たった今誕生し、まだ自分の我執が付く前の自分を体験した瞬間に解決が起こった、たった0.03秒の一瞬であった。
 初めて体験する清々した心地よさ。ただただ、
 「お蔭さま、ようこそ、ようこそナンマンダブツ」
 としか言いようのないだけの世界に出遇っていた。快適!
 安楽と平和をいただいていた。自分自身への執着から解放された其処には、一人の赤ん坊のような自分・最も不完全で最も未熟な私が、あらゆる生物や物の最下位に位置し、 あらゆるものの庇護なしには一日の生存すら望めない新生児である私という実感。全てのどん底・下下の下品になりきっていながら、そこは最高に晴れ晴れとした世界であった。
 今までで最も頭の低い、最も無力の低下の自己に出遇ったとき、同時に初めて仏さまのおこころ(仏意)の真髄にも出遇っていたのかも知れない。
 仏法を聞くに邪魔な自力。言わば重いマンホールの蓋のような自身の理性という蓋がこの時一瞬にして吹っ飛び消え、何も理屈が無くなった。今まで何度聞いても、聞いても、 残っていた腑に落ちない仏さまへの疑問、生死の謎、人生の意味への問い、それらすべての疑問がこの時点で消えてなくなった。何故だか全てが解決してしまっていた。
 涙がボタボタ流れ落ちた。
 「ようこそ、ようこそありがとう、ナマンダブツ」のみ。

 源左さんは、自分のお粗末さ、愚かさ、汚い欲が知らされ我が姿が見えたとき、世界がコペルニクス的転回をし、一変したのだろう。
 「とても自分が人さまを許し、堪忍できるような立派な私ではない」
 「人さんがこらえて下さるので日暮らしができる」
 という結論に変わる。自分が最下位に落ち着くと、恨みも、悩み、怒りも消え、お蔭さまだけが残るのである。

 (注1) 因幡の源左(いなばのげんざ、1842年(天保13年)4月18日 - 1930年(昭和5年)2月20日)は、浄土真宗の教えを日常に体現した妙好人の一人とされ、
       鳥取県(因幡国)青谷町(現在は鳥取市に編入)に在住した農民である。
 (注2)
 新座市(にいざし)は、埼玉県南部にある人口約16万2千人の市である。東京都の23区は通勤範囲であり、通勤率は33.0%。

●無相庵のあとがき
医師と云う職業に就ける人は、一般的にはいわゆる勉強もよく出来た人で、有識者とも見られて、尊敬の念を持たれる人でありましょう。そのお医者さんである宮崎さんが下の下の最下位の人物であろうはずがないと私たちは思うでありましょう。  でも、上記で述べられていることは、謙遜でも何でもないと考えねばなりません。何故ならば、親鸞聖人自身がご自分の事を「地獄一定の凡夫、小慈小悲もなき身、罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫」とか、 「浄土真宗に帰すれども 真実の心は ありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」と、如何にも下の下の最下位の自分であると仰っておられる事と同様、宮崎幸枝先生もありのままを語られていると私は推察しております。

考えてみますと、廻心の瞬間を経験していない私でも、長い人生を暮して来た中で、自分の愚かさに溜め息を吐いて来たことが数知れずあった事に思い至ります。でも、私は、その都度、自己弁護と正当化に努力して来ただけだったことに今、気付きました。
素直に自分の愚かさを認める勇気がありませんでした。

愚かさは、学歴や社会的地位とは別物なのですね。世界を見渡しましても、愚かな戦争をしていたり、愚かな戦争に我知らず巻き込まれようとしている国々が思い浮かびます。 社会的地位と言うなら世界一だと言ってもよい世界のリーダー達を愚かと言わずに、誰を愚かと言うのでしょうか(勿論、そのリーダーを選んだ私たちも愚かなのでしょう)。
宮崎さんの住んでいるお浄土へ私も愚者となって足を踏み入れたいものです。
 その為には、私自身の今からの言動が、他の人からの自分評価を気にしての身繕い(自己防衛、自己正当化、かけひき)に当っていないか、常にチェックし(自分の心の奥底に住む仏様の評価を聞いて)、 ありのままの自分を生きることではないかと、宮崎先生の教えを実践する気になっています。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1469  2015.06.04
イイつもり

          高いつもりで低いのが教養
          低いつもりで高いのが気位
          深いつもりで浅いのが知識
          浅いつもりで深いのが欲望
          厚いつもりで薄いのが人情
          薄いつもりで厚いのが面皮
          強いつもりで弱いのが根性
          弱いつもりで強いのが自我
          多いつもりで少いのが分別
          少いつもりで多いのが無駄

参りました。私もイイつもりで生きていました!

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1468  2015.05.31
竹部勝之進さんの詩と信仰―2

●無相庵のはしがき
今日ご紹介する『蝶』という詩は、竹部さんが軽やかに飛んでいる蝶の様子を見られて、軽やかに人生を歩いていない我が身を思いながら詠われたものだと思われます。 そして、蝶と自分の違いは、自分の自我(煩悩、エゴ、自己愛)にあるのだなと感じ入り、竹部さん御自身も自我を無くして軽やかになりたいものだと思われたのではないでしょうか。

ただ、実際には自我は大脳が発達した人間にのみ与えられたものであって、他の動植物には殆ど与えられていないもののようです。
従いまして、軽やかに飛び回り、時には花に止まったりする蝶の行動は、意識しての行動では無く、いわゆる本能に衝き動かされての無意識によるものだと考えるのが自然ではないかと思います。

米沢先生が詳しく勉強された大脳生理学では、大脳は、脳幹、大脳辺縁系(古い皮質)、新皮質(新しい皮質)から成っているそうで、自我は新しい皮質の脳細胞の働きで生じると考えられており、 〝本能〟(食欲、性欲、集団欲)と情動(快、不快、怒り、恐れ等の原始感情)は、古い皮質の細胞(DNA)に埋め込まれているとの事で、これが私たち人間の言動にも大きく影響していると考えられます。

他の動物には発達していない新しい皮質は、より良く生きる為にはどうすれば良いか、本能を満足させるにはどうすれば良いかを思考する部位でもありますから、人類は見事に科学や文明を築き上げて来ました。 しかし一方で、人間だけが有する自我(自己愛)故に、個人同士も国同士も大いに疲れています。なかなか蝶のように軽やかには参りませんし、天下泰平とも参りません。

●米沢英雄先生の著作からの抜粋引用

          蝶

     蝶が飛んでいる
     軽やかに飛んでいる
     軽やかに飛んでいるから
     疲れないのですネ

蝶には現在しかない。縁に応じて休み、縁に応じて飛ぶ。人間は暗い過去と暗い未来を首にぶらさげているから、現在を失って身軽く動けないのであろう。自分の愚かさを身にしみてわかると、過去が有難く未来は明るく、 蝶のように疲れずに現在を生き抜くことが出来るであろう。

          タスカッタヒト

     タスカッテミレバ
     タスカルコトモイラナカッタ

助かるとか救われるというのは、変わった自分になるのではない。本来の自分にかえるだけの話である。だけの話であるが、この〝だけ〟がなかなか容易でないのだ。古人はこのために〝いのち〟を削ったのであった。本来の自分にかえれば、そこに本来の明るい広い世界、浄土がひらけているのであった。その世界におりながら、あたかも眼をつむって、手さぐりでもがいているように、暗い暗いと言うて、あせっていたのであった。 浄土と穢土と二つあるのでない。本来の世界は浄土のみ。そこに住みついたエゴイズムが、せっかくの浄土をエゴで汚して穢土にしているのであろう。愚かという他ない。

          天下泰平

     フッテヨシ
     ハレテヨシ
     アッテヨシ
     ナクテヨシ
     シンデヨシ
     イキテヨシ

我執を先に立てて生きていると、気に入らぬことばかり。ヨシヨシとは参らぬ。我執が否定されると(これが容易ならぬことである。否定に徹底することは出来難いが、せめて我執に気付くこと、気付くだけで世界が変わってくるであろう)こうした全肯定の世界が、出会うすべてを素直に受け入れてゆく生き方を成就するであろう。まさに天下泰平であり、天下無敵である。

          懺悔

     ワタシハナガイコト迷ッテオリマシタ
     迷ッテオリナガラ
     迷ッテイルトシリマセンデシタ
     罪ナ男デシタ

仏法で罪というのは我執、己に対する無知のことである。この世でいう罪は、すべてこの無知から、我執から派生してくるのだ。

●無相庵のあとがき
私は自分が軽やかに生きているとは思えませんので、未だ助かって(救われて)いませんから、竹部さんの、タスカッタヒトの詩の心が正直なところ分かりません。
私得意の理屈をこねてみますと、助かってみればと云うからには、助かるとはどういうことかが分かっていたはず。それなのに、助かることも要らなかったと云う意味が分かりません。 むしろ、自分が考えていた助かると云うことが、実際に助かってみれば、その考えが間違いであったと云うことが分かったと言うのならば納得出来るのですが・・・。

でも、助かった(救われた)と思うことは、助かって(救われて)いないと云う批判もございます。私はもう少し、否、もっと突き詰めてみたいと思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1467  2015.05.27
竹部勝之進さんの詩と信仰―1

●無相庵のはしがき
今日、2015年5月27日は、私たち夫婦の44回目の結婚記念日であります。
50回目の結婚記念日の金婚式の如き節目となる記念日で有りませんが、70歳を超えた老人に45回目、46回目、47回目・・・・を迎えられる保証は無いと思いますので、これからは毎年意識してこの記念日を迎えたいと思うことであります。 午前中に夫婦で記念品を買い求めに百貨店に行く予定でございます。

さて、今回から竹部勝之進さんの詩と信仰をご紹介させて頂きますが、竹部さんは榎本栄一さんと同様、平易な言葉の詩作で私たちに親鸞仏法を説いて下さる方として能く知られているお方です。 理屈っぽい私の様な者からすれば、お二人とも生れ付きの妙好人ではないかと思ってしまいますが、そうではなくて、永きに亘る心の葛藤の末に自然法爾の世界に目覚められた方達だと憧れを抱いております。

●米沢英雄先生の著作からの抜粋引用

彼(竹部勝之進さん)については以前『在家仏教』誌の「いのちの言葉」にちょっと紹介したことがある。彼は明治38年、福井県松岡町に生れた。 大正13年福井中学校(旧制)を卒業(この中学は私の母校でもあるので、彼は私の先輩にあたる)、大正14年逓信省に勤務。昭和13年渡満。満州電信電話KKに勤務。新京、間島、牡丹江と転任し、昭和21年妻子を伴って内地へ引き揚げる。 当時は鯖江市で兄が経営する電気器具商の手伝いをしたが、やがてそこを出て行商に従事する。中学卒業後詩作を始め、『満州詩壇』、『満州詩人』に詩を発表し、昭和9年に『虹の幸福』と題した詩集を上梓したそうだが、その頃の詩を私は知らない。

彼は行商するかたわら、『詩篇』という個人雑誌を出しており、それを知人から貰って読んだのが彼の詩に接した初めである。昭和41年に金沢医科大学附属病院で胃癌の手術を受けている。 以来10年、しだいに元気を増しつつあるから癌は治癒したものと推察される。

敗戦後、引揚者で家族を抱えての行商は、誰もが生きるだけにせい一杯の時代であったから、決して楽ではなかったと思われる。 この間に聞法を始め、彼の言によれば、近所の理髪店主に教えられて初めて曽我量深先生の法話を聴き、これが彼の心の眼のひらける縁になったという。曽我先生は彼にとっての善知識である。彼に、曽我先生を讃えた詩がある。

          曽我量深先生にささげる愚詩

     曽我先生が
     頭をさげて
     ゆっくりゆっくり歩いてこられる
     小さなからだだが
     象のようだ
     講座の前でペコンと頭をさげられるが
     子どものようだ
          弥陀ノ五劫思惟ノ願ヲ
          ヨクヨク案ズレバ
          ヒトエニ親鸞一人ガタメナリケリ
     このお言葉が口をついてでるとき
     お顔がかがやき
     生仏(イキボトケ)だ

曽我量深先生は親鸞教学の解明に大きな足跡を遺されたお方である。といっても単なる学者ではなくて、身体全体、生活全体が念仏になりきっていられた故、先生の話が難しくてわからぬという人でもその法座にすすんで出てきたのは、 先生のお身体から発散する熱気にうたれたのであろう。この詩は念仏者曽我先生の風貌を適確に伝えて遺憾がない。彼の二冊の詩集『はだか』『続はだか』に収録の詩はいずれも短いものであるが、彼の信仰告白として、読む者の魂をうつ。

          クラサ

     ハズカシイコトデアリマシタ
     クラサハ
     ワタシノクラサデアリマシタ

引き揚げ当時の苦しい生活の中で、世を呪う気持ちが起こったとしても無理はない。だが、それでは救われないのだ。彼は聞法に依って、自分を見る眼を与えられた。 今までは外ばかり見ていたから暗かったのだ。暗いと嘆くのは要するに自分の我欲、エゴイズムが満足させられないからだ。世の中が暗いのではなかった。自分の中を、エゴイズムを見る眼が暗かったのだ。無明というのがこれだろう。 エゴイズムが見え、無明が晴れてくると、生活は苦しいなりに、生きることに明るさが出てくる。

          懺悔

     ハズカシイコトデアリマシタ
     ハズカシイママデイカサレテイルトハ
     ハズカシイコトデアリマシタ

わが身を超えた(それを仏と呼ぶのだろう)智慧の光りに照らされてみると、あさましさ一杯のわが身で、よくまあこれで今日まで人間面して通してきたものと、恥ずかしさで頭が上がらぬが、さりとてこれから心がけを入れかえようとしても、 努力は三日と続かぬ甲斐性なし。このあさましさいっぱいのわが身が、よくも今日まで生きてこられたし、現在なお生かされていることに驚かざるを得ない。そこにわが身を超えた(これまた仏と呼ぶのだろう)大いなる慈悲を感ぜざるを得ない。 恥ずかしいままで生かしていただく他に、こちらには手がないのだ。頭の上げようのないわが身となって、いただく宇宙一杯の恩恵。

          拈偈微笑(ねんげびしょう)

     ワタシハ
     コノママデヨカッタ

拈偈微笑は、釈尊が説法されても、弟子どもが皆わからん顔をしている。失望された釈尊がかたわらの花をちょっと拈(ひね)られた時、迦葉尊者が微笑した。釈尊は迦葉に法が伝わったと言われたという、 いわゆる以心伝心の発祥の故事。言ってみればこの微笑は、仏法をいただいた領収証であろう。この詩が、彼(竹部勝之進氏)の仏法受領の領収証だ。
助かるとか救われるとか、今まではその言葉に捉われて、今よりもましな自分、ましな環境に移ることだと思っていた。あにはからんや、現前のありのままの自分に落ち着けることであった。 今までが浮き足立っていたのだった。現前の自分に落ち着いてみると、何という心の安らかさ。もうあくせくすることはない。といって寝転んでいて働かないのではない。働くことが苦労でなくなるのだ。

●無相庵のあとがき
私が仏教書以外で今読んでいますのは『日本でいちばん大切にしたい会社』(坂本光司著、株式会社あさ出版)と云う経営書でございます。通常、会社は、経営者は顧客第一で経営されなければならないと言われますが、この本は、従業員第一を説きます。 勿論、扱う商品自体世の中が大いに求めるものであることが大前提だとは思いますが、経営者は全従業員が誇りを持って働ける職場環境とは何かを常に考える事を勧めています。

私の会社は起業して10年目に仕事の90%を失い全従業員を解雇致しました。理由は兎に角も経営者失格です。それから約15年間(来年の2月には創立25周年を迎えます)、捲土重来を期して踏ん張って参りましたが、今尚経営者失格状態のままであります。 『日本でいちばん大切にしたい会社』を読んで思います事は、私も従業員に活き活きと働いて貰いたくて、赤字経営にも拘わらず、ささやかではありましたが、従業員にボーナスを支払っていました。 結果として借金を重ねて、今尚その返済が完了していないわけでありますが、こうなったのは、私の経営理念が本当の従業員第一では無かったからだと振り返っています。そして今尚経営者として失格ですし、一家の長としても、夫としても失格です。

44回目の結婚記念日を会社再建の再スタートの日として、会社の従業員でもあり役員である妻、長男、長女の幸せ第一を念頭におき、また母が主宰していた仏法を聞く会の第547回以降を続ける為にも、 我が株式会社プリンス技研を蘇らせねばならないと決意を新たにしています。それは、宇宙一杯の恩恵に報いる私が出来る唯一の手立てだと考えるからです。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1466  2015.05.24
続々―榎本栄一さんの詩と信仰

●無相庵のはしがき
前回のコラム表題を『完ー榎本栄一さんの詩と信仰』としてしまいましたが、完了ではなく、続きがございました。 従いまして、今回は、〝続々ー〟とさせて頂きましたが、今回が『榎本栄一さんの詩と信仰』の本当の完了版でございます。

さて仏教には、二灯二依(にとうにえ)と云う教えがございますが、井上善右衛門先生は次のように説明されています。
『釈尊は最後の遺誡を弟子に示して、「当(まさ)に自らを灯明とし、自らを依所とせよ。法を灯明とし法を依所とせよ」という名高い教示を垂れておられます。 自己を灯明とし依所とすることと、法を灯明とし依所とすることが表裏一体に説かれていますから、これを二灯二依(にとうにえ)の教えとよばれています。 自己を離れたものは戯論です。法を聞く場は自己を離れてはありません。先ず自己を依所とし自己に目覚め自己に還らねばならぬ。』と。

榎本栄一師は、まさにこの〝二灯二依(にとうにえ)と云う教え〟を実践され、その心の裡を詩に吐露されているのだと、米沢英雄先生のご註釈から私は学ばせて頂きました。 家庭(夫婦)生活、生業という社会生活を暮している中で、私にも心に生じる様々な葛藤がございます。 私の場合は葛藤を厭うばかりですが、榎本師はその葛藤を葛藤として終わらすことなく、詩という穏やかな形にされて懺悔されたのではないでしょうか。 榎本師の詩は、常に仏に照らされているが故の懺悔と感謝の表白だと受け取らねばならないなと思いました。

●米沢英雄先生の著作からの抜粋引用

          草茫茫(くさぼうぼう)

     草茫茫のわが庭を
     私はこのままにしておけという
     妻は鍬で 草取るという
     こんな者どうしが
     長年つれそうて暮らしてきた

縁は異なものという。小さなことでも二人の意見がくい違う。毎日小さなことで、いさかいしながら、一方で子を生んで育てて、70になるまで生きてきた。縁はまた味なものである。

          老妻

     老妻は
     夫を助けて
     そのむくいを求めず
     こどもらからは
     とくにだいじにされることもなく
     一生を終るのであろうか

さっきは庭の草を抜く抜かんで争った夫婦が,こんなにいたわり合っている。これが夫婦というものの真実の姿であろう。 夫婦だから安心して自我を出し合うことも出来、しかもこころの深い底で自己同志がつながり合っているのであろう。

          百味(ひゃくみ)

     日に日に出会う
     いろいろなことの
     味わいが
     私には百味のおんじき
     ときに すこし苦がみもあるが

人間はただ漫然と生きているわけにはいかぬ。毎日変わった人に会い、変わったことにぶつかる。その一つ一つを味わって、自分の栄養として取り入れて、彼は百味の飲食(おんじき)だという。 百味の飲食というのは、確か極楽でのご馳走のはずだから、彼はこの世ですでに極楽のお膳に就いているわけだ。 ところがこの世は娑婆で極楽ではないから、時にはしごかれることもあるのだろう。 それを小さい声で「すこし苦みもあるが」とつけ加えたのであろう。此の苦味、辛味が彼自身をピリッとさせて、緊張させるので、これまたなくてはならぬ百味の一つだ。

          いちにん

     百人 千人を
     すくう人あり
     家のもの一人をも
     すくいえぬ私もあり

彼は己の分を心得ている。彼は口で説教して救ってはいないかもしれないが、彼の身業説法は説法という形をとらずに受け継がれているに相違ない。

          誕生以後

     ある日 この世に誕生
     それから私には
     むすうの人の
     つながりもあって
     量りしれぬ助けをいただく

自分一人で生きていたのでなかった。無数の人の無量の助けをいただいて生かされてきたのであった。これが如来大悲の恩徳でなくて何であろう。 身を粉にしたって、この無数無量の人、自然の恩徳にご恩返しが出来ようか。この愚か者をかくまでにと、合掌し念仏して御礼とするより他ないではないか。

●無相庵のあとがき
浄土真宗の仏道は易行と言われ、難行苦行を必要としないとされています。しかし、米沢英雄先生は常々仰っておられたようです。
「日常生活がそのまま難行苦行の修行の場である」と。

言われてみれば、私自身の生活にも嬉しいこと楽しいこともありますが、一方で次から次へと問題や壁にぶつかっております。 その問題は対人関係に多く発生しますが、仏法聴聞に依って自己とは何かを考察するようになりますと、その問題は一見他者との戦いであるように思いますが、実は自己と自我の戦いになるように思います。
この自己と自我の戦いは、自己に目覚めつつあるが故に生じているのだと思いますが、なかなか決着がつくものでは無く、苦しいものであります。

親鸞聖人も、85歳を過ぎられてもなおその戦いに涙され、「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」と和讃に詠われたと思うのであります。 しかし、親鸞聖人に於かれましては、その自己と自我の戦いに敗れる(勝つのは自我)度に、その地獄の底で仏心に出遇われ、やがて仏の大慈悲心(他力)に依って救われたのではないでしょうか。 「地獄で仏に会う」と云う表現がありますが、地獄に堕ちて初めて仏に遇う、つまりは、地獄に堕ちて初めて本来の自己に出遇えると云うのが浄土の真宗の信心への筋道ではないでしょうか。
地獄に堕ちておりながら、地獄に堕ちていると気付けないのが、いわゆる自称凡夫の私なのだと思います。米沢英雄先生が仰せの如く、浄土真宗の仏道はやはり険しいものであります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1465  2015.05.20
完―榎本栄一さんの詩と信仰

●無相庵のはしがき
今朝、ツバメさんの巣の下が随分汚れているのに気が付きました。よくよく見ますと卵が割れているような汚れでした。ツバメさんが誤って卵を一つ落としたのかも知れないと思っていましたが、念の為巣の中を覗いてみると卵が一つも見当たりません。 昨夜まではツバメさんが卵を温めている様子がありましたので、早朝にでもカラスかヒヨドリに襲われたのかも知れないと思い、インターネットで調べますと、やはりヒヨドリやカラス対策が書かれていましたから間違いないでしょう。
ツバメさん夫婦は、卵を失ってからも、玄関ポーチ近くの電線にとまってはくれますが、どこか寂しそうに見えるのは、私の寂しさなのでしょうか。
私たち夫婦は悲しい暗い気持ちに陥っています。雛たちと遇う縁が無かったのだとは到底割り切れません。生存競争の激しい〝いのち〟の世界だと思いますものの割り切れない気持ちのまま、コラムの更新をさせて頂きます。

●米沢英雄先生の著作からの抜粋引用

          銭湯

     私は 銭湯が好きである
     銭湯にはいっていると
     自分が 世のなかの
     その他大勢の
     ひとりであることがよくわかる

銭湯へ行って、身体を洗ってさっぱりしてくるだけではない。その他大勢の一人、群萠(ぐんもう;雑草が群がり生えているさまに喩えていう)の自分、とるに足らん庶民の自分を発見してくるのだ。 みんな自分がエリートになりたいのだ。人に頭を下げさせたいのだ。エリートだと威張っても、その人一人のために銭湯は沸かないのだ。その他大勢の庶民であればこそ。 庶民の一人の自覚が私たちを謙虚ならしめる。謙虚な人が仏の前に立った人だ。そしてこれが人間の本質だ。

          鮒(ふな)

     この濁りある沼が
     私の浄土でございますと
     あるとき
     いっぴきの鮒が
     申しました

昔から水清ければ魚棲まずという。蒸留水の中では魚は生きられまい。有機物がなければ、魚の餌がなければ魚は生きられぬ。この詩は鮒のことをうたっているようだが、存外自分のことを鮒に托して述べているのではないか。 彼は商売をやっている。当然かけ引きがある。出血サービスといったところで、全然儲けなしということはあるまい。しかし、この濁りがなければ、人は生きられないのだ。 蓮のうてなで百味の飲食(おんじき)よりは、現在のこの穢土で、損した得したの中で生かされていることを思うと、ここが浄土かも知れない。いや穢土が浄土に転じてくるのであろう。 生かされて生きている、この人間の原点にうなずくことが出来れば。

          天気

     まいあさ
     天気予報をきく
     人間が自然のなかで
     生きていることがよくわかる
     雨や さむい風は
     きょうの売上げにひびく

私たちが天気予報を聞く場合、勤め人や学校へ行く子をもっていれば雨具の用意のためであるが、さすがは生活者、売上げが気になって彼は天気予報をきくという。雨風の日には客足は遠のく。 彼がその中に生きている自然は彼の生活費に直接影響をもたらすところの自然であった。おてんと(天道)様を拝まずにいられぬはずだ。

          手

     むかし私には
     千手観音のように
     手が何本もあった
     然しそれは
     自分を庇(かば)う手であった
     まだその手が
     二本残っている

誰でもが思い当るほほえましい詩である。みんなもってるだろう。あの手この手に奥の手まで、すべては自己防衛、否自我防衛の手であった。その手がまだ二本残っているとかれは悲しんでいる。 この二本の手は切り捨てることが出来ない。真に申し訳ないと手を合わせずにはいられない。残った手はまた合掌のはたらきをする手でもある。

          井戸

     こころのなかの
     井戸を
     こつこつと
     掘り下げて行ったら
     底から阿弥陀仏が 出てきた

悉有仏性(しつうぶっしょう)と言われる。人間に生れたものはみな仏性をもっているのだ。自我ばっかりではない。真実の自己を埋蔵しているのだ。それ故に人間は尊いのであろう。 人と生まれてなさねばならぬことは、自我の拡張拡大ではなくて、真実の自己の発掘であろう。彼も多年聞法を続けて、自分の心を掘り下げてゆくうちに、ついに仏性を掘りあてた。 その時ナムアミダブツが自分の言葉としてあふれ出てきたのであろう。自我という一大岩盤は容易にボーリングのきかないものだ。また、これがボーリングされねばナムアミダブツは噴出しないのだ。 一度穴があいたら、あきっ放しか。さにあらず。その点自我は強靭である。親鸞は80歳をすぎてなお、己の自我のいよいよ強大醜悪なるに泣かれた。一生聞法を続けねばならぬ所以であろう。

●無相庵のあとがき
私たちは自分は特別な存在だと思って生きています。そう簡単には死なないとさえ思っています。津波が来ても、自分だけは助かると云うような気持を持ちかねない存在です。また、自分には幸運が来ると云う甘い期待を持って宝くじを買う存在でもあります。 その他大勢の庶民の一人として、その他大勢の庶民が経験する事件や事故、災害から免れることは出来ない存在でありますが、なかなかそうは思えません。 でも、榎本さんが銭湯で感じられた〝その他大勢〟感は、いつかどこかの銭湯で感じた事があるような気がしました。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1464  2015.05.17
続―榎本栄一さんの詩と信仰

●無相庵のはしがき
今日の米沢英雄先生の文章は〝如何に如来を信じているかがわ分かる。いや、如何に如来から信じられている自分であるかが分かる〟と云うことで締くくられています。
一体、如来から信じられると云う事はどう云うことでありましょうか。如来から信じられていた米沢英雄先生にしてはじめて仰れる事ではないかと思います。 おそらく、「あなた、わたしががたよりなむあみだぶつ  わたしやあなたがたより、なむみだぶつ」とか「如来さん、あなた、わたしにみをまかせ  わたしや、あなたにこころとられて なむあみだぶつ」、 と書き遺した浅原才市さんのような妙好人の信心なのだと思われます。仏様を信じる事は出来そうに思いますが、仏様から信じられるようになりたいものであります。

●米沢英雄先生の著作からの抜粋引用

          先生

     大根が先生で
     私は弟子
     なんの驕りもない
     ありふれた
     この大根のようになれと
     先生は教えてくれる

彼にとって大根はただの食品ではない。大根から人間の生き方を学んでいる。大根からでも教えを受けることの出来る尊い眼を、何処でどなたによってひらかれたのであろうか。 聞法の師を尋ねた私信によれば、若い頃は暁烏敏(あけがらす・はや)師に、一番長く聞いたのは大阪の津村別院で松原致遠(まつばら・ちおん)師の法話だということであった。それには、話の内容は忘れて何も覚えていないが、致遠師の風貌が今でも時々思い浮かぶと書き足してあった。 話は別に覚えている必要はあるまい。 私たちは毎日食事しているが、何年何月に何を食べたか、そんなこと覚えている者はあるまい。にもかかわらず、食べたものは私たちの血となり肉となっている。聞法も丁度そのように、各自の血となり肉となっていなければならない。 彼の聞法が、めでたく彼自身をつくりあげていることが、つぶやきのような彼の詩を読むとはっきり分かるわけである。 聞いた話をしゃべっているのは、食べた魚やソーセージがそのまま身体にぶら下がっているようなもので、自身の栄養となり、自身そのものとなっていなければ、食べた、聞いたとは言えんじゃないか。

          みみずの話

     みみずは 泥の中で
     なんにも引っかからず
     するするうごく
     修行をしているんだとはなしていた

みみずが泥の中を自由無礙に動く。これには人間もかなわない。泥の中でなくとも、人生行路の上で、私たちは色んなものに引っ掛かり、つまずき、転んだりしてるんじゃないか。みみずのようにやはり修行せねばならんだろう。 そうなると、つまずいたり転んだりすることが修行ではないか。その中に彼のように、無力無才がようやく分かりましたとなって、自分の力で生きてるんじゃなかった、大きな力、仏の働きによって生かされているのであったと分かってくるのであろう。

          巡礼

     人間の世界が
     あんまり 奥深いので
     そのふかさを 拝みたくて
     私の こんにちの
     人間巡礼がはじまります

彼は商売しているから御店に行ったり、お客に接したり、毎日各人各様の人に会うているわけだ。縁にふれて遇う人に、人間の自分の深さを教えられている。その深さを拝んでいる。 四国お遍路というて寺々を廻る行者があるが、彼は毎日の生活の中に、多くの人に会い、その人に仏を見出し、その仏を拝んでいるので、四国まで出掛ける必要はあるまい。かくて毎日が賑やかであろう。

          飯

     迷妄 ふかい
     わたくしが
     こんにちのいのちを
     いただいて一杯の飯がしみじみうまい

現代人は栄養学を知ったために、食事は栄養を摂ることだと心得ている。人間として当たり前のことだと思っている。ごちそうさん、アアおいしかったで、すぐテレビだ。この時にうたわれた一杯のご飯の味はどうだろう。 しみじみうまいという味わいは、廻り道のようだが、迷妄ふかい愚かな自分が見えて来て、その地獄行きの自分に今日のいのちが与えられて、そのいのちを生かすべく一杯のご飯が与えられる。そこには深い謝念がある。 謝念の深さだけ、ご飯の味がよくなるのだ。たかが一杯のご飯をそんな面倒にして食べねばならんのかい、こういう逆襲に対しては口をつぐんで、その方に心眼のひらけるのを待つより他あるまい。

          小便さま

     朝起きて
     たまっている小便を
     一気に放出するこころよさ
     これが 出なかったら
     どんなに困ることか
     更には淡い月があり
     私の 今日がある

さっきは食べる方だったから、今度は出す方の詩を。私たちは小便が出る大便が出る、これを当たり前のこととして意にも介せずにおるが、これが自然に出るということほど素晴らしい有難いことがあろうか。 小便さまと彼は敬語をつけて呼んでいる。みんな汚いといって眉をしかめるのに。

          大きな手

     秋のひかりのような
     この 大きな手のなかで
     私はあそんだり
     はたらいたり
     お金のかんじょうをしたり
     時に頭をうったり

この大きな手は摂取不捨の大慈悲心であろう。その如来のふところの中で、毎日の生活が営まれている。真面目くさって仏恩報謝のはたらきをしておりますなんて、彼は言わない。まず遊ぶことをあげ、次に働くことをあげる。 これがいかにもほほえましい。また金勘定をあげることも忘れてはいない。賢善精進の相を現じないのである。おのが粗忽から頭を打つこともあげている。ありのまま、そのままである。如何に如来を信じているかがわかる。 いや、如何に如来から信じられている自分であるかが。

●無相庵のあとがき
ツバメの太郎と花子夫婦が巣作りし始めましてから18日目です。この頃は、太郎か花子のとちらか分かりませんが、巣に籠っている姿をチョクチョク見ます。 姿と申しましても、尾っぽが僅かに見える程度です。卵を抱いて温めているのかも知れません。無事数羽の雛の大きく開いた口が見える時が来て欲しいものです。子か孫を見るような気持になっています。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1463  2015.05.13
榎本栄一さんの詩と信仰

●無相庵のはしがき
米沢英雄先生の著作全集第2巻は、多くの念仏者の詩の解説を通じて仏法の信とは何かを問う著作であります。 その中から、私が非常な感銘を覚え、影響を受けた榎本栄一師の詩と信仰を抜粋転載させて頂きます。皆様の参考になればと思っております。

私が、最初に出遇い、そして身につまされた詩は、後にも引用していますが、〝木の上〟と云う次の詩です。

     うぬぼれは
     木の上から ポタンと落ちた
     落ちたうぬぼれは
     いつのまにか
     また 木の上に登っている

●米沢英雄先生の著作からの抜粋引用
榎本さんは今年(昭和50年のこと)70歳。ここ10年間の短詩を集めて、『群生海(ぐんじようかい)』という一冊の詩集が難波別院から出版された。彼は言う。 「いずれも短いものばかりで、これしか書けないのである。四行、五行で息が切れるのである。何となく泥臭いがどうにもならぬ」と。確かに彼の詩はスマートではない。 「私はここで、群生海にうごめいている、ひとりの人間、私というものを、表現したかったが、力およばず」 最初、彼の詩を四国松山の大山澄太先生が出していられる『大耕』誌上で見付けた時、その詩のもつ宗教味に心をうたれた。短い詩に市井の庶民の感懐を述べ、べつに説教調でもなければ神仏も登場しない。 が、一種独特の宗教味が流れているのを否定し得ない。

例を挙げよう。

          獣心

     私に
     けもの心の湧く時あり
     その時も
     私は 人間の顔して
     暮らしている

もっとも深い懺悔は、懺悔の出来ない私であるという告白だと聞いたことがあるが、この詩がそれでないだろうか。最後の二行は、俗にいう涼しい顔しているというやつだが、これを自覚している点で、ここに宗教性があると思う。 深い痛みは却って涙も出ないものではないか。これは詩ではあるが、匕首【あいくち;鍔(つば)の無い刀剣】のように私の心をえぐる。

          妙用

     行き詰って
     身動きできなくても
     いつか ほぐれて
     みな 動きだす

この人も長年商売をやっているから、その間には二進も三進もいかん場面に何度か直面したのであろう。自分の知恵才覚のかぎりを尽くしても事態は進展しない。そういう時にお手上げのまま動かずにいるのだろう。 やがて時が解決してくれるようだ。その時というのは人間のはからい分別を超えた、いわゆるおはからいなのであろう。 彼は火災に遭って店も住居も焼け、済み込み店員から新規まきなおしをやったというから、それから推しても、この詩は彼の肺腑からでている。

          くわい

     慈姑(くわい)には
     慈姑にしかない味がある

慈姑の味は芋に似ているけれども、芋とも違う。一種独特の味。存在するものはすべてそれぞれに独自な趣きがあるものだ。

            人

     世の中の
     どんな人も
     この私に
     ないものを
     何かもっている

この故にあらゆる人が尊敬出来る。皆は人間を単に人間だと思っている。仏のはたらきを分担して、それぞれ姿形をとって現れているのが人間なのに。彼は形を通して、形のない仏のはたらきを観る眼をもち、拝む心をもっている。

          冥恩【みようおん;目に見えない神仏の恩恵。冥加(みょうが)】

     二坪半の店
     十坪の家
     四人の子供と妻
     これが私の
     今日までの全部である
     少しあわれなようであるが
     冥恩をかんずること切である

小さな化粧品小間物店を張っている人だから、デパート経営者、大会社の社長といった世間的成功者からみたら、少しどころか大いに哀れである。 しかし無力無才の自分にあたえられている恩恵に対して過分であるという謝念を、彼がもっている点において、飽くことを知らぬ野心家にくらべて、彼がはるかに幸福者といえる。 彼は自体満足しているから、自体満足が仏の境涯と称せられるから、彼こそはそれに近い。

          ながい道

     ながい道をあるいて
     自分の無才無力が
     ようやくわかりました
     もう力まずに
     あるけそうです

若い時には、これでも一ぱし知恵才覚があると自負していたのであろう。長い間商人として生き、人生の辛酸を舐めて初めて、わが力でなかった、一切世間様天道様のおかげであったことが、全身でうなづけるようになったのであろう。今までは力みすぎていたんだ。我を張ってきたのだ。如来の手の上で、おあたえをちっぽけな己の努力で克ちとったようにうぬぼれていたのだ。小さな我を張らずに、向こうからあたえられるものを過分といただくところに、仏恩報謝の生活があるのである。

          妻

     妻とふたりで
     小さい あきないをするのだが
     妻は このあきないを
     小さいとは思わず
     精を出す

彼の奥さんばかりでない、世の主婦たちは、洗濯から掃除からご飯の支度、その後始末、いずれも小さいことに相違ないが、その小さいことを小さいとは思わずまじめにやっているではないか。その小さいことの集積が人生ではないか。 一山あてようというところには、真実の意義ある人生はないだろう。

          木の上

     うぬぼれは
     木の上から ポタンと落ちた
     落ちたうぬぼれは
     いつのまにか
     また 木の上に登っている

淡々として述べてあるが、これがなかなか痛烈な詩である。 邪見驕慢の悪衆生というと、そんなものがこの世に居るかいなと思うかも知れないが、木の上から落ちては上るうぬぼれとなると、よほど身近に感じられるではないか。どうもこの厄介者を、お互いは一匹ずつ身体の中に飼っているようだ。

          後光

     私の一生は
     傷だらけであるが
     この傷から
     しみじみと手が合わされるような
     後光がさしてくる

若気の至りでいろんな失敗をやったのであろう。しかし、今は、あの失敗があったればこそ、今日の私があるのだと、昔の失敗を拝むことが出来る。 拝まれた失敗は、彼の人生行路になくてはならぬものと変じてくるのだから、失敗が成仏したと言えるだろう。後光がさしてくるはずである。

          浄玻璃の鏡

     どこ とりあげても
     感心できる自分でない
     もし浄玻璃の鏡があって
     映しだされたら
     恐れいりましたと
     頭をさげるほかない

子供の頃、母親からいつも言われた。嘘をつくと死んでから地獄のえんま様の前に引き出される。そこに浄玻璃の鏡があって、それにみんな映るぞ。悪い事をしたものは針の山から血の池地獄へ追いやられるぞ、などときかされて、幼い私は怯えたものだ。 大人の彼は怯えはせぬが、恐れいりましたと頭を下げる。みな身に覚えのあることばかり。親鸞も地獄は一定すみかぞかしと言われた。碌なことしておらん自分が、こうして生かされ、まわりから夫よ父よと奉られるのは、面映ゆくもあれば勿体なくもある。

●榎本栄一さん(1903~1998)の略歴
明治36年     淡路島に生まれる
           5歳の時、父母とともに大阪に出て、西区で父母が小間物化粧品店を開く。
           15歳 高等小学校卒業、父死亡。
           19歳 病弱なりしが母と家業に精を出す。
昭和20年3月   大阪大空襲で、家族七人淡路島へ逃れる。
昭和25年2月   東大阪市で化粧品店を開業。
昭和54年12月  76歳、廃業。
平成10年10月  94歳、逝去。

●無相庵のあとがき
私の我はなかなか折れません。でも病院で支払う医療費の自己負担比率が3割から2割になる70歳を超えましたから、いわゆる老いぼれ振りを強く感じる事が多くなり、さすがに私の我も少し折れ始めています。 つまりそれは、いよいよ私も認知症かと思う位に忘れ物、忘れ事、それに探し物が増え、自分も困り果て、周りにも迷惑をかけてしまうようになり、我も折れざるを得なくなっている訳であります。 それにまた、長い人生を振り返える時、過去の栄光よりも、むしろ過去に自分の至らなさから為した情けない行状が思い起こされるようになり、全く無力無才無謀な自分だった事に愕然とする瞬間が多くなっているのであります。

そんな今、榎本英一さんの詩を知り、そんな自己の無力無才を詩に歌える素直ささえない私自身を見詰め直さざるを得ません。 榎本師の詩をもっと知りたい方は、福岡県の浄土真宗本願寺派の長明寺さんの『榎本栄一さんの部屋』を覗いて下さい。 上記の榎本栄一さんの履歴も、長明寺さんのサイトから引用させて頂きました。

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No.1462  2015.05.10
人生蝋燭(ろうそく)論(追記編集有り)

今朝の『こころの時代』は、長崎県大村市の禅心寺のご住職、金子真介師(昭和21年生まれ)の『釈尊の遺言~仏遺教経から』と云うお題で金光寿朗氏のインタビューを受けて語られていたものでありました。 『こころの時代』には、以前にも出られており、その時のお題が『人生蝋燭論』(平成21年10月4日) でした。

私たちの人生は蝋燭のようなものであり、私たちの命は蝋燭の炎に喩えられると云う考え方です。蝋燭の炎は何時か必ず消えます。何時かではなく、蝋燭はその長さから寿命は決まっております。 しかし、例えば、たまたま強い風を受ければ寿命までは持たずに消えることもありますから、私たちの命そのものでもあります。 詳しくは上記サイトをお読み頂きたいと思いますが、今朝の『こころの時代』でのお話の中で大いに納得させられたのは、「仏法は、想定外の事が想定内になる教えだ」と云う意味のお言葉です。

私も最近思うのです。「人間が不思議に思うような事や、理屈に合わない事が起こるはずが無い」と。逆に、起こった事には必ず背景や原因・理由が有ると云うことです。 仏法が能く使う『自然法爾』、『実相』、『如』と云うことにもなりますが、来週の土曜日に再放送がありますので、皆さんには金子真介師のお話を是非聞いて頂きたいと思います。

追記編集
今日の午後になって、『釈尊の遺言~仏遺教経から』を視聴された方が、内容を一分抜粋紹介されていましたので、ご覧頂きたく思います。

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No.1461  2015.05.07
続―6年振りの(ツバメさん夫婦)太郎と花子

ヅバメの巣作りは今のところ順調に進んでいます。4月29日(水曜日)に始まり、5月7日(木曜日)今朝、私が朝刊を取りに玄関に出ますと、二羽のツバメが慌てて巣から飛び出て玄関先の電線に避難しました。玄関ポーチの巣を確認しますと、卵を産み付けるお椀型の巣が出来あがっていました。巣作りを初めて9日目のことです。 このまま順調に、雛の顔が見えるまで、無事に進んで貰いたいものです。

6年前には糞害をおそれて撃退しましたが、その後〝いのち〟に対する気持が大きく変化したように思います。それは多分、2011年9月から2012年5月までのコラム〝いのち旅シリーズ〟に取り組んでいる時期に、〝いのち〟の不思議さと尊さに感じ入ったからではないかと思っております。

地球上には多様な〝いのち〟が存在します。その中の人間にも多様な遺伝子が現実として見られ、他人の命を奪う人間と、他人の命を守る為に働く〝いのち〟も厳然として存在します。私たち生物は、他の命を犠牲にして生命を繋ぎ止め、その生命を次の世代に繋いでゆく業を背負わされています。

そんなわが〝いのち〟である限り、縁有って今生に出遇う〝いのち〟である親子、兄弟姉妹等の親族は勿論のこと、友人知人、近隣の人々、そして、今回のツバメさん夫婦のような動植物との出遇いを大切にしなければならないと思うようになりました。勿論、逆縁も有り得ますから、出遇った相手の特性を十分理解した上での付き合い方があることは言うまでも有りません。自分の命や生活を壊しそうな相手との付き合い方は避けなければならないのも、生物の世界の現実でもあります。それがまた、生物の〝いのち〟に生れた責任と義務だと考えたいと思っています。

帰命尽十方無碍光如来―なむあみだぶつ

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No.1460  2015.05.03
6年振りの(ツバメさん夫婦)太郎と花子

5日前の4月29日(水曜日)、我が家に6年振りにツバメ夫婦がやって来ました。
6年前には、糞害が嫌で撃退致しました。太郎と花子と名付けて、その心境をコラムNO.903とNO.905に綴りましたが、 居なくなった後に済まないことをしたと云う気持ちが強くなり、今度巣作りをするツバメ夫婦が来たなら、受け容れて上げたいと思っておりましたが、撃退情報がツバメ世界で共有されていたのか、全く寄り付いてくれませんでしたので、今回は、巣 作りの真下に新聞紙を敷いて糞害対策は致しましたものの、一日十数回の飛来を楽しみにしながら温かく見守っています。

我が家の玄関ポーチの構造は、ツバメの巣を狙うカラス等の外敵が近寄り難い構造になっております。それを十分に知り尽くしての巣作りだと思っております。5日目で既に、厚みが2㎝で、煉瓦の壁から3~4㎝程度の突出た巣の底の部分が形成されました。 誰に教わったのか、底の部分は、巣の高さを考慮してポーチの天井から7、8㎝下に形成されています。ツバメの巣は、これも誰に教わったのか、泥と枯草を唾で固めて作って行くそうです。

夫婦で飛来して来て、1羽だけが、巣作り作業をしに玄関ポーチに入りこんで来ます。そして、1羽が直ぐ近くの電線で待機しています。ツバメさんは、私が玄関ポーチに居ましても、危険人物と思っていないからか、作りかけの巣の上にとまったりします。

一ヶ月後には、数羽の赤ちゃんが大きな口を開けて餌を待つ姿をご報告出来るかも知れません。

左の写真は本日午後1時少し前に玄関先に出て作りかけの巣を斜め下から撮ったもの。右の写真はその直後、巣の上にツバメさん(雄か雌か分かりません)が居るのに気付き、慌てて撮った写真です。
ここまで巣作りが進行したと云うことは、いずれは、巣に卵を産み付ける日も近いのではないでしょうか。今日から5人の孫達が二泊三日で、既に来ておりますが、ツバメ夫婦と、 生れて来る雛たちを、我が子、我が孫を迎えるような気がしています。

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No.1459  2015.05.01
続ー志は何ですか?

前回のコラムで私の志は、〝米沢英雄先生の著作全集を中学生レベルの読解力で理解出来る文章にして、後世に遺す事〟だと申しました。大それたことを申したものだと反省しております。その志を叶えるには、私が米沢英雄先生、 ひいては、親鸞聖人と同じ信心を獲(え)た時にはじめて叶ったと言えるからでございます。

ただしかし、それを私は諦めている訳ではございません。親鸞聖人や米沢英雄先生の様に古今の経典を読み尽くす能力が無いことはこの私が一番知っていますが、信心は能力に依るものでは無いと思うようになったからです。 正しく縁に依るのだと思うからでございます。

でも、考えてみますと、志は若い人にして初めて抱き得るものだと考え直しました。私のような70歳が抱いた目標・目的は志ではなく、遣り残した宿題でしかないでしょう。
その宿題を改めて申し上げ、否、宣言させて頂きしまして、宿題をやり終える原動力にさせて頂きたいと思っております。

その宿題とは、垂水見真会の講演会の第547回目を開催し、更に開催し続けることです。しかし、それにはもう一つ、資金目途を立てる宿題がございます。その宿題をやり終える為には、私の会社の収益を飛躍的に上げることでしか為し得ないと思っております。 その為に、これからの私の残り少ない時間をかけます。そして、その宿題が成るか成らないかは、それこそ縁にお任せするしかございません。

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No.1458  2015.04.26
志は何ですか?

今NHKでやっている大河ドラマは、『花燃ゆ』です。主人公は、井上真央演じる杉文(すぎ ふみ;吉田松陰の妹)ですが、坂本龍馬(1836年1月3日~1867年12月10日;30歳にて没)と共に明治維新を陰で主導し、 明治以降の日本の歩む方向に多大な影響を与えた吉田松陰(1830年9月20日~1859年11月21日;29歳にて没)の実話でもあります。

その松陰が松下村塾の門下生に度々問い掛けているセリフが、「君の志は何ですか?」であります。志とは、辞書で「ある方向を目ざす気持ち。心に思い決めた目的や目標」となっていますが、多分、個人の欲望を満たす為に、自分が何かになりたいとか、 何かをしたいと云うものではなく、世界や国家の為、世の中の為にどんな役割を果たしたいかと云うレベルのものでありましょう。

それでは、吉田松陰の志は何だったのか、ドラマの中でも、本の中でも、志は何かと明確には表されていないように思いますが、『吉田松陰とその家族』と云う単行本の〝はじめに〟と云う中に「神州日本は三千年続いているのだから、 それを救うためなら、たかだか二百年ちょっと続いた徳川幕府が定めた法などに従う必要はない!」と云う言い分を兄の杉梅太郎宛ての手紙に書いているそうですから、彼の志は、 「神の作った日本と云う国を外敵から守る」事だったと言ってもよいでしょう(松陰は、その志を果たす為に、脱藩したり、アメリカ密航を企てたり、幕府要人の暗殺を主導したりしたが、結局は「安政の大獄」で処刑された)。

国を守るために外国と戦争したり、意見の異なる国民同士が殺し合ったりするのが「高い志」かどうかは、一先ず横に置き、やはり、個人の欲望を満たす為ではない志、つまり人生の目標と言いますか、 また生き甲斐とか生まれ甲斐等を持ちたいと私も思っています。

私が最近、私の志にしたいと考えていますのは、お釈迦さまから親鸞聖人、そして、私の間接直接の仏法の師とも云うべき方々が後世に遺したいと考えられていた仏法を、世間一般の人々が受け容れられ易い表現で遺す事です。 私は、親鸞聖人が書き遺された難しい『教行信証』で分からなかった仏法が米沢英雄先生の著作全集で少し理解出来るようになりました。 端的に申しますと、その米沢英雄先生の著作全集を中学生レベルの読解力で理解出来る文章にして後世に遺したい、そしてそれを志としようと考えるようになりました。その為に、これからも、生活上で実践し、尚且つ勉強もし続けようと思っています。

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No.1457  2015.04.22
拝んで祈って子育て見守り隊

●無相庵のはしがき
内山興生【(うちやま こうしょう、1912年 - 1998年3月13日)は日本の曹洞宗の僧侶で、折り紙作家。詩人。澤木興道に長年師事し、その死後に安泰寺の住職】と云う禅僧がいらっしゃいました。西川玄苔師、青山俊董尼ともご縁が深くていらっしゃいました。 師は、常々、仰っています。「とにかく仏教とキリスト教といっても、決して全く異なる世界の話なのではなく、何よりこの自分のことだけが大切なのであり、又この自分のことについていわれているのですから、そのお積りでみていないと、 全く宗教の話にはなりません。いまの人たちが仏教とキリスト教と全く異なるように思っているのは、ただ宗派のことだけを考えているからです。私は始めから宗派の事等考えたことはありません。宗派根性をもって宗教に出会うことを偶像崇拝というのです。 ほんとうの〝生のいのち〟を拝むことだけが、仏を拝む心であり、神を拝む心ですから、それだけを大切になさって下さい。」と。
今回は、師と交流されていた或るお母様に宛てたお手紙の中からの抜粋を紹介致します。

●内山興生師の或るお手紙からの抜粋転載
男の子の、この年代(高校生)は大変難しい年頃であることが、女である貴女にはお分かりにならないかもしれませんが、本当にむずかしいのです。 この年代、おだててよくなく(社会を甘くみるようになるから)、期待してよくなく(重荷を感ずるようになるから)、ハッパをかけてよくなく(反抗心を起こさせるから)――まったく簡単ではありません。 結局ただ祈りつつ見守る以外にはないのだと思います。今の時代、まったく〝いのち〟を拝む心なく、祈る心がないから皆若い人たち育ちそこなっているのです。何より〝いのち〟を拝み、祈る雰囲気だけが若い芽を健やかに成長させるでしょう。

若い男の子として何より大切なことは、「自分を生きるのは自分以外にはなく、向上するのも自分もち、堕落するのも自分もち」――これだけはいつもお母様から言って上げておいて下さい。 そして結局自分自身で自分の生きる道を見出し、切り開いてゆく以外にはないので、それをただ静かに祈りつつ見守って上げて下さい。

決して自分の思惑にはめ込もうとしないこと――それだけが親、教師として大切なことだと思います。
どうせ、失敗したり痛い目をしたりしながら、男の子は成長してゆくのです。失敗なし、痛い目することなく、「始め大吉」と云うような人生ではどうせ、「のち凶」に転ずるだけです、むしろ「はじめ凶」のところに、 この「凶を吉に転ずる努力を学ぶ」ことが大切なので、この凶を吉に転ずる生命力を拝み、祈ることこそが親として大切なのです。
この「生命力」は決して、親の思惑や訓戒から出て来ることはありません。

●無相庵のあとがき
『拝んで祈って子育て見守り隊』は、私が勝手に付けた表題でございます。「何より大切な〝いのち〟を拝み、〝いのち〟が輝くことを祈って、子供を育て、後はあまり口出しせずに見守って行こうではないか」という気持ちを込めました。
これは、相手が子供に限らず、他の人間関係に於きましても相手は無限の過去を背負った〝いのち〟であり、無限の未来ある〝いのち〟である事に思いを馳せねばならないなと云う私の思いを込めております。

内山興正師は、お釈迦様が亡くなられる直前に弟子に示された最後の教えだといわれる、「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生き なさい」という『自灯明・法灯明』の教えを受け継がれていたのだと思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1456  2015.04.17
大和魂再考証

先週の統一地方選挙前半戦、政権与党の自民党公明党が得票数でも、獲得議席数でも、圧勝と言っても良い結果に終わった。私が投票する候補者を決めるに当って考えたのは、安倍首相が進める安全保障政策が近い将来、 日本が戦争に否応(いやおう)なく巻き込まれる可能性が高い道を歩み始めていると感じているので、現政権与党では無い野党第一党(誰でも良くて)の候補者(野党なら誰でも良いと)にしようと云うことだった。

安倍首相に付いては、安倍さんの選挙区が下関市と長門市を含む山口4区である事から、幕末から明治維新にかけてその名を轟かせた長州藩を意識しているのではないかと思っている。 長州藩と言えば、誰しも吉田松陰の名が直ぐに思い浮かぶのではないか。それは、日本の危機を感じて思い切った行動に出て、最終的には処刑された吉田松陰の松下村塾の門下生達が明治維新を彩ったと考えるからである。彼の名言とされる『かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂.』が明治維新を成し遂げさせたと言っても過言では無かろう。

私は、安倍首相がその長州藩の尊王攘夷、特に日本を外国の脅威から守らねばならないと云う攘夷論を身を以て行動した吉田松陰の遺志を受け継いで、吉田松陰と同じく日本歴史に名を残そうと云う志(野望と言うべきかも知れない)を抱いているように思えるのである。

彼(安倍首相)が、そう云う志を抱くのは、日本と云う国が、と云う事は、日本国民が作り上げてきた日本の風土、或は日本人気質、日本人好みの英雄像に影響された大和魂に強い共感を覚えているからではないかと思う。「大義があれば、死んでも決行すべき」、「日本国の為、国民の為には命を捨てても尽くすべし」と云う心意気と言ってもよいのが大和魂であろう。

私も幼い時から、『赤穂浪士の忠臣蔵』、『白虎隊』『神風特攻隊』等で、自分の命を捨ててでも主君の為、国の為に働くのが男の生きる道だと云う大和魂を植え付けられていたように思う。また、無相庵読者の方から紹介されて読んでいる最中の『吉田松陰とその家族』(一坂太郎著、中央新書出版)の吉田松陰に付いても、その大和魂が、明治維新後の日本を築きあげた偉人達を育てた『手本となる善き日本人』と云うイメージしか持っていないのであるが、果たして、その大和魂が、グローバルな感覚が必要とされる今の日本に平安を齎してくれるのか、再考する必要があるのではないかと私は考え始めている。

安倍さんは、記者会見や演説で能く、「日本国民の生命と財産を守り、日本の領土を守る為には・・・」と仰るが、守るべき対象を日本国民に限定する事は即ち日本以外の国を敵国と想定することになるのではないか。その考え方に立つとイザと云う時は戦争止む無しと云うことになる。そして、勝たねばならなくなる。戦争の準備をしなくてはならなくなる。曾て、どの戦争も、そのようにして始まった。 戦争を無くすには今こそ、日本の安倍首相が、日本国民のみならず、同じ時代を生きている全ての国の一般市民の生命と財産を守る為に外交努力を尽くしたいと安倍談話で表明し、各国のリーダーに先んじて範を垂れるのが、敗戦と原子爆弾の洗礼を蒙った日本のリーダーのあるべき姿だと私は思う。それが大和魂故に間違った戦争を起こした日本としての何よりのお詫びの言葉として受け入れられると思うのである。

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追記
3月初めから続いていた我が社に1年に一回来るスポット注文の生産に掛かり切りで、今週の水曜日のコラム更新を怠ってしまいました。今日漸く一段落して、遅ればせながら更新させて頂きました。
私は安倍さんは小泉さんが見込んだ次期リーダーだと思い、ずっと応援して来たように思う。彼は悪人顔では無い、外観はむしろ他国のリーダーと並んでも遜色ない人物だと思って来た位だ。 そして、私なんか到底及ばないリーダーシップがあるし、海外を縦横無尽に訪ね廻れる体力気力も持っていると尊敬している部分も多いのも事実である。
しかし、最近の安倍さんの目指す国家とその言動は、決して日本を平安な国に導きそうにないと危惧するようになったのも事実である。
ただ、かと言って、後継者は見当たらない。心配ばかりが先に立つ。其処に来て、たまたま吉田松陰の大河ドラマを観たり、本を読んだりしている所為かも知れないが、これは日本の歴史を作って来たかも知れない 、日本の古くから崇められてきた『大和魂』が悪い方向に働いているのではないかと考え、今回のコラムとなった次第である。 読まれた読者は夫々に感じられる事はあるかと思いますが、日本の在り方を是非一度立ち止まって考えてみようでは有りませんか・・・。 なお、日曜日のコラム更新は休ませて頂きます。

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No.1455  2015.04.12
戦後70年は私の生後70年

『戦後70年』と云う言葉をよく聞きます。どうやらこれは、1995年(平成7年)8月15日の戦後50周年記念式典に際して、第81代内閣総理大臣の村山富市氏が、 閣議決定に基づき発表した村山談話に倣って安倍首相が戦後70年となる今年の8月15日に「安倍談話」を発表することになっているかららしい。戦後60年には無くて何故戦後70年に談話を発表しなければならないのか、 私は首を傾げるが、終戦の年に生れた者にとっては、満年齢での古希を迎えた生後70年であり、少し感慨深いものである。

昭和20年(1045年)3月17日、神戸はアメリカの戦闘機からの容赦ない焼夷弾投下で火の海になった。その9日前の3月8日に私は生まれた。
生まれたての私を母が湯たんぽと一緒に毛布にくるんで、どれ位の距離があったか分からないが、近くの若宮小学校(当時は、神戸市立若宮国民学校と称していたらしい)に避難したらしい。 そして、その何日後かに、母は5人の子供(11歳、9歳、5歳の3人の姉、そして2歳の兄と0歳の私)を連れて郷里の島根県大社町から、一山越えた日本海に面した入江の村に在った母の実家(母の姉が住んでいた家)に疎開したと云う。 それだけでも大変だったと想像出来るのであるが、疎開して1ヶ月も経たないうちに、0歳の私が切開手術が必要な急性中耳炎になり、大社町からは100km位離れた松江市にしか大きな病院はなく、 今ではどうやって連れて行かれたのかも分からないが、兎に角生れて40日目の私は初めての手術を受けたのである。そしてその手術も当時の事ですから麻酔薬も無く、泣きわめく赤児を数人の看護婦が押さえつけての切開手術だったらしく、 その時の母の心痛を思うと、今も私の心も痛むのである。

それから終戦を迎え、神戸に帰れたのは、小学生の子供達がいましたから、多分学校が再開する翌年の昭和21年4月までのいつの日かだったと思う。

『疎開』と云う言葉を知らないであろう戦後世代(現在の年齢での50歳以下とすると)が国民の6割を占める現在、戦争の悲惨さ、辛さは忘れ去られつつある状況だ。 安倍首相も、昭和29年生まれであるから、戦中戦後の辛さは全く記憶に無いいわゆる〝戦争を知らない子供達〟の中の一人である。 戦後70年の首相談話が注目を集めているが、生後70年の私が思う事は、私はあの戦争に付いて、私個人として近隣の国々に謝罪する気持ちを持ち得ない。恐らく、安倍首相も個人として謝罪する気持は無いのが当たり前であろうと思うし、 私は日本の現政権がわざわざ謝罪する必要も無いと思う。
それよりも、日本国民のみならず外国の人々を含めて数百万人と云う多くの人々の命が犠牲になった戦争を起こした当時の政権・軍部を徹底的に批判し、これまでの日本が歩んできた70年の、戦争に関わらないで来た姿勢を訴え、現在の日本政権は憲法に謳っている通り、 如何なる戦争にも参加しない事を断言すべきだと思う。形ばかりの謝罪は、謝罪として受け取られない。例えて言うと、反対の立場として、アメリカの現大統領が、原爆投下を日本国や日本国民に向けて謝罪しても、殆ど心に響かないであろうし、 ましてや謝罪を心からのものとも思わないであろう。それよりも、現在のアメリカ大統領にあれは今から考えると大きな間違いだったと言って貰う方が、素直に受け取れるはずである。

安倍首相は、戦争を永遠に放棄する日本国憲法を変え、アメリカとの同盟強化に依って、日本の領土と日本国民の生命財産を守らねばならないと考えていると思われるが、日本国民だけではなく、 世界のどの国の国民の生命財産を守る為の外交努力を続ける事を、戦後70年談話で世界中に発信して貰いたいものだ。それが1400年前に聖徳太子が大切にされ、そして今では世界で唯一の大乗仏教国となった日本国の首相が為すべきことだと私は思う。

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No.1454  2015.04.08
念仏申せども――歎異抄第九章――(7)

●無相庵のはしがき
今回の『迷いに方向を持つ』は、米沢英雄先生の歎異抄第九章のご領解解説『念仏申せども』の最終章であります。この『念仏申せども』は、昭和39年東本願寺刊・同朋叢書『親鸞聖人のことば』に収められているものだそうですが、 私が大学2年生の、テニスの練習に明け暮れていた頃に、既にこのような仏法を説かれていたことに今はただただ驚きしかありません。縁が到来していなかったと言えば、それまでなのですが・・・。

歎異鈔第九章を読んだ場合に起きる疑問として、「念仏の信に目覚めても、煩悩は無くならないし、迷いも無くならない、浄土に参りたいとも思えない。少し身体に不具合があると、死ぬかも知れないと云う不安にも襲われる心の状況は変わらない、 と親鸞聖人も仰っていたらしいのですが、それでは何も変わらないではないか・・・。何かが劇的に変わらないと迷える人々を念仏の道に導く上で説得力が無いではないか・・・」と、私は思いましたし、誰しも思うのではないでしょうか。
多分、米沢英雄先生も同じように思われ、ご自分の信心の内容をつぶさに確認され、また色々と思惟され、遂には「迷いは無くならないが、迷い方が変わる、否、迷う方向が変わるのだ」と結論に至り、 この『迷いに方向を持つ』と云うお言葉を思い付かれたのではないかと推察しているところであります。

●米沢英雄先生のご著書からの転載
(10)迷いに方向を持つ
私の知人で、福井の大震災で、子供さんの一人が潰れた家の下敷きになった。これを救い出そうと焦ってるうちに火が廻って来て、子供さんを見殺しにして逃げた人があります。しかし、誰もこの人を不人情と謗(そし)ることは出来ません。 命ある者の悲しさであります。この人は逃げる時に大地にひれ伏して、わが子の前に謝って泣く泣く立ち去られたそうですが、この時ほど自分の力が如何に無力であるか、親だと普段威張っていた自分に、如何に親の資格がないか、 如何に自分があさましい存在であるかが身に沁みて覚られ、この時初めて心の底から念仏が出たと申されましたが、このような境地こそ、真の念仏の場所でありましょう。娑婆の縁尽きて、力なくして自我が終わる時であります。

私たちも、うかうかと生きておりますものの、四六時中これと同じ場所に立たされているのであります。だがそれに気付かない。気付けば慌てるが、時すでに遅しというわけです。これも眼を奪うものが娑婆に多すぎるからです。 金儲け、映画、テレビ、デパートの特売、次から次へと私たちの眼を外へ誘惑するものが多すぎます。 如何に自分があさましい存在であるかが身に沁みて覚られ、この時初めて心の底から念仏が出たと申されましたが、このような境地こそ、真の念仏の場所でありましょう。娑婆の縁尽きて、力なくして自我が終わる時であります。

いや外に多いわけではない、実は内のわが欲、わが煩悩が強すぎるのであります。これがなかなか執拗で死なない。死んでも死にきれぬと叫ぶのが、この自我の執着であります。 喜ぶべきことを喜ばぬのも、浄土へ参るのを拒否するのも、この自我の執着であります。 如何に自分があさましい存在であるかが身に沁みて覚られ、この時初めて心の底から念仏が出たと申されましたが、このような境地こそ、真の念仏の場所でありましょう。娑婆の縁尽きて、力なくして自我が終わる時であります。

この自我に執着して暮らして、それで人間が幸福なら本願は立てられる必要はありません。また簡単に自我の執着が断ち切られるなら、それもまた本願が立てられる必要がない。 この自我の執着は、私たちを苦しめるものではあるが、同時にこれこそ仏の命であります。仏の力、本願他力によって、自我の執着の底にある私自身の真の姿に遇うことが出来るのであります。 如何に自分があさましい存在であるかが身に沁みて覚られ、この時初めて心の底から念仏が出たと申されましたが、このような境地こそ、真の念仏の場所でありましょう。娑婆の縁尽きて、力なくして自我が終わる時であります。

念仏の信が得られても、私たちに迷いがなくなるわけではない。
煩悩が根絶やしになるわけではありません。念仏の信心に遇うまでの迷いは、あてどない迷いでした。右往左往しているだけでありました。念仏の信を頂いてからは、迷いに方向が出来た。迷うことによって本来の自己に還る。 救いの契機としての迷いになるわけであります。迷いはやはり連続する。しかしすでに迷いの意義が異なっているはずであります。 如何に自分があさましい存在であるかが身に沁みて覚られ、この時初めて心の底から念仏が出たと申されましたが、このような境地こそ、真の念仏の場所でありましょう。娑婆の縁尽きて、力なくして自我が終わる時であります。

迷いの意義が違う、ただこれだけのことながら、これが如何に私たちの人生を明暗二色に塗り変えるか、これこそ驚くべき奇蹟であります。どうか私たちが一日も早く正しい法によって、この奇蹟に遇い得ますように。 如何に自分があさましい存在であるかが身に沁みて覚られ、この時初めて心の底から念仏が出たと申されましたが、このような境地こそ、真の念仏の場所でありましょう。娑婆の縁尽きて、力なくして自我が終わる時であります。

●無相庵のあとがき
私も、米沢先生の『迷いに方向を持つ』と云うことに、ある程度共感を覚えますが、正直なとこころ、明確に方向とはどんな方向だとは説明出来ない状況にあります。
でも、一つ救われていると思いますのは、日常の私生活やビジネス生活上で何か迷いが出た時には、常に善き善知識(先生)方から、声なき声でアドバイスを頂き、進むべき方向が自然と決まるからだと思います。 善き善知識(先生)とは、親鸞聖人、井上善右衛門先生、米沢英雄先生、白井成允先生、青山俊董尼、西川玄苔師、その他お教えを頂いた方々です。 相談事は、ビジネス生活に於いては、技術的なことではなく、取引相手やユーザーがあることですから、どう仕事を進めるのが真を尽くすことになるかと云うことですし、私生活に於いても大差ございません。 相談と申しましても、頭の中での自問自答の中で、声なき声が聞こえて来ると云うようなことであります。 私の場合は、そう云うご相談相手に恵まれており、イザと云う時には、その様な相談相手が身近に感じられると云うのが、米沢英雄先生の言われる『奇蹟』なのだと思うことであります。

もう一方で、私は母の事で思う事があります。
母と子ですから、煩悩を包み隠し通せるなんてことは有りません。至らぬ息子の私は母に心配を掛け、その分、小言を言われていました。それは実に鬱陶しいことで、私は当時ある雑誌に『母の愛は無明』と云う論文を出したことが有りました。 そんな息子の事を、雑誌に掲載された事を喜び、私を一切非難することは有りませんでした。今にして思いますと、母親の愛情があるからこそ、大学まで行かせて貰いながら、その愛を『無明の愛』と言っていた自分の姿を恥ずかしく思うことであります。 ただ、母も自分の煩悩から色々と起きた禍いを抱えていました。私は「母が仏法聴きながら、なかなか悟りは開けないのだな」と思い、もう少し何とかならないかと考えていました。ですから、母の愚痴に耳を貸そうとはしませんでした。 今では、「ふんふん」と聞いてあげるべきだったと思っていた事が有りましたが、「母も、煩悩があるからこそ本願が立てられた、本願にお任せするしかない煩悩具足、罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫なんだと悟ってあの世に旅立ったのだ」と思うこと にしています。

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No.1453  2015.04.05
念仏申せども――歎異抄第九章――(6)

●無相庵のはしがき
極最近流行の『アナと雪の女王』で歌われている『ありのままで・・・』と云う言葉、非常に人気があるようです。 「ありのままの自分を受け入れ、自分らしい自分となって自分の力を活用すること」を謳いあげているらしいです。

人間本当は、ありのままに生きたい願望があるのかも知れません。その〝ありのままの〟自我を一生涯見詰め続けられたのが親鸞聖人だと思います。
ありのままの自分は、煩悩具足の凡夫だと目覚めれば、そこに広がる世界は意外にも安らぎの世界なのかも知れません。その〝ありのまま〟が私にはとても難しいです。

●米沢英雄先生のご著書からの転載
(8)執着をいとわぬ
聖人は更に言葉を続けて、「平安の世界、安らぎの世界であるはずの浄土へ、急いで行きたい心もなく、少し身体の具合が悪くても、もう死ぬのではなかろうかと怯えるのも煩悩の所為である。 また遠く昔から流転してきて、遂に安らぎの無い娑婆がなかなか捨てられず、安養の浄土がどんなに安らかな世界であると聞かされても、少しも恋しいとは思わぬ。余程煩悩が強いことである。 娑婆に未練は多いけれども、娑婆の方から自分が見捨てられることになって、初めて、しがみつこうとしてもしがみつく手の力が尽き果てて、やむなく浄土へ参ることである。

自分の力では分からぬ己の執着の強さを、自覚せしめようとの本願であるから、執着は如何に強くともいっこうにかまわない。執着の強いことが本願に遇う条件だから、むしろそれを喜んでよろしい。 簡単に喜べたり、簡単に死んでいけたりしたら、かえって煩悩がないのではないか。人間ではないのではないか、それこそ人間失格ではないかとかえっておかしい」と言われます。

真昼の私たちは自我いっぱいで生きております。自我で隙間なく武装し、自我の防壁を厚くし、その間に小さな銃眼を開けて、そこから外を眺めて、自分の都合悪しと見ればひっこみ、自分に有利と見れば手を伸ばします。 自我で固く武装している人間ほど一見強そうでありますが、却ってもろいものであります。原子兵器を出来るだけ多く抱え込んで吼えている国は、却って弱いのではないか。軍備を誇るのは、強国といえども、怯えているが故に弱いのではないか。 私たちの自我は風船玉に空気を吹き入れたように、精一杯膨らんでいますが、ちょっと針でつつくとヘナヘナと萎(しぼ)んでしまうように、弱いのであります。

(9)力尽きる時
わずかの熱でも、死ぬのではないかと心細く思う。そこにこそ人間の真の姿、その弱さこそ人間の真の姿、ありのままの姿であるにもかかわらず、この期におよんでも人間はその弱さを隠そうとします。 少し病気がよくなるともういつもの横柄な、なまいきな強がりの人間に逆戻りします。人間は自分の弱さを他人に見せたくないのです。己の弱さをさらけ出して、弱い者が弱いままに生きることこそ、真に強いのでありましょう。 念仏の道はそういう生き方でありましょう。

にもかかわらず、人間の持って生まれた自我が、それを許しません。自我が作っている娑婆に、自我がしがみついているのであります。二進も三進もいかなくなって、追い詰められて、やっと娑婆を離れるのであります。 その時に、初めて安らぎが訪れるのでありましょう。

私の知人で、福井の大震災で、子供さんの一人が潰れた家の下敷きになった。これを救い出そうと焦ってるうちに火が廻って来て、子供さんを見殺しにして逃げた人があります。 しかし、誰もこの人を不人情と謗(そし)ることは出来ません。命ある者の悲しさであります。 この人は逃げる時に大地にひれ伏して、わが子の前に謝って泣く泣く立ち去られたそうですが、この時ほど自分の力が如何に無力であるか、親だと普段威張っていた自分に、如何に親の資格がないか、 如何に自分があさましい存在であるかが身に沁みて覚られ、この時初めて心の底から念仏が出たと申されましたが、このような境地こそ、真の念仏の場所でありましょう。娑婆の縁尽きて、力なくして自我が終わる時であります。

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No.1452  2015.04.01
忘れがちな幸せ

      人間に生れて ありがたさ

      仏法を聞き 忝(かたじ)けなさ

      今日を生きる 勿体(もったい)なさ

                        金子大栄『幸福三条』より引用


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No.1451  2015.03.29
死ー人生最後のアドベンチャー

昨日の土曜日、この半年間続いて来たNHK朝ドラ〝マッサン〟が最終回を迎えて終わりました。私たち夫婦はどちらも結婚する前からNHK朝ドラファンでした。 『マッサン』を観て来られなかった方々に、少し説明致しますと、マッサンとは、ニッカウィスキーを創業した竹鶴政孝氏(たけつる まさたか、1894年6月20日 - 1979年8月29日)の呼称です。 そしてその奥さんは〝リタ〟【りた、1896年(明治29年)12月14日 - 1961年(昭和36年)1月17日)】と云うスコットランドの女性ですが、ドラマ『マッサン』では、〝エリー〟と云う名前で配役されていました。 そして、そのエリーを演じたのが、米女優シャーロット・ケイト・フォックス (29)さんでしたが、私が記憶する限り、朝ドラのヒロインを外国の女優が務めたのは初めてだと思います。 このドラマのオーディションで選ばれてこのドラマの為に日本に来られましたので、日本語は演じつつ覚えると云う状況だったらしいのです。 ドラマのエリーは大正9年にスコットランドから遥々日本に来たストレンジャーでした。俳優のシャーロットさんも同じシチュエーションだったからかも知れませんが、実に見事に(リタである)エリーを演じており、その演技力と努力にも感動させられました。

その配役エリーの人生観が、『人生はチャレンジ&アドベンチャー。信じてやり通せば夢は必ず叶う』でありましたが、夫〝マッサン〟に見守られながら、息を引き取る前にエリーは言いました。
それは、「マッサン、死は最後のアドベンチャー(冒険)よね」、でございました。

この3月に満70歳を迎えた私は加齢に依る身体の彼方此方に不具合があり、死を意識することも少なからずと云う状況にありますので、『死の覚悟』が一つのテーマになっています。
そんな私は「私が死ぬと云う事は、親鸞聖人も、お釈迦さまも、また私が仏法の師と仰いでいる井上善右衛門先生、白井成允先生、米沢英雄先生、西川玄苔老師、山田無文老師方が、亡くなられる直前に見られた風景と想いに出遇える事なのだ」と考えていました。 そこに、エリーさんの『死は最後のアドベンチャー』と云う言葉を聞きまして、何か納得出来て、そして心に響いた次第でありました。

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